「天上天下唯我独尊」お釈迦様の言葉です。
いろいろな解釈がありますが、
「自分と同じ人間は一人としていない、かけがえのない自分を大事にしましょう」
誰もが自己肯定感を持って生きていけたらという答えでしょうか。
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今日も横浜は雨が降っています。
休日と天候のミスマッチが続き2週間、山へ行けてません。
今日は心のつぶやきをあれこれ・・・・
紫陽花、結婚祝いでいただいた蹲(つくばい)で育てています
我が家の🌸(右)と梅(左)です。
梅は挿し木で育てましたが、桜は鳥が?運んできました。
(お互いにせっているのはある意味自然なことです)
花も終わりこの状況、手入れが必要です。
「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」
❶桜は枝を切るとそこから腐りやすくなるので切らないほうがよく、
❷梅は枝を切らないとむだな枝がついてしまうので切ったほうがよいとされることから。
また、桜の枝は切らずに折るほうがよく、
梅の枝は折らずに切るほうがよいことからともいわれるが、桜は折ることもよくない。
今年はどうするか?
お互いに迷惑そうにしている部分はあるので・・・・・。
今日の昼食は、崎陽軒の季節弁当「夏」をいただきました。
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>>> 空海その13
若き空海が眺めたであろう善通寺市『満濃池』
・・19歳になる妙な青年だったにちがいない。
頭髪はよもぎのようで、乞食のなりをしている。
背中に椅子を背負っているのは「兜率天」へ行く旅姿だ。
兜率天(とそつてん)は、仏教の世界観における天界の一つ。
彼が大学を飛び出し「三教指帰」を著してから入唐までの七年間ほどが空白に近い。
七年間とは「仮名乞児(かなこじ)」の頃である。
空海は大学に入った時から奈良の大安寺(官寺)に学んだ。
大安寺は唐の西明寺を範とし、祇園精舎を日本に移したといわれた寺
インド的思考法に魅かれている空海にとって、大安寺の境内に足を踏み入れる
こと事態が、きらびやかな象徴に満ちたインド世界に入り込むことであった。
長安に留学した僧や弟子たち、インド・唐で生活した人が多く住んでおり
長安・インドの縮景のような観を呈していた。