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元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「早乙女カナコの場合は」

2025-04-05 06:05:16 | 映画の感想(さ行)
 監督が、まったく信用出来ない矢崎仁司であり、普段ならスルーするところだが、原作が何度も直木賞候補に挙がっている柚木麻子なので敢えて鑑賞。結果、気分を害すること無く最後まで付き合えた。脚本を矢崎自身が手掛けていないことが大きいのかもしれないが、本作のシナリオ担当は朝西真砂と知愛という、名前も知らない面子。しかし、本作に限っては何とか上手く機能しているようだ。

 大学進学と同時に友達と2人暮らしをスタートさせた主人公の早乙女カナコは、入学早々に演劇サークルのシナリオ担当の長津田啓士に気に入られ、付き合うハメになってしまう。数年後、カナコは念願の大手出版社に入社が決まるが、留年を繰り返す長津田は卒業する気は無く、それどころか脚本を最後まで書きあげたことも無い。そんな中、カナコは就職先のエリート社員である吉沢洋一から告白される。柚木麻子の小説「早稲女、女、男」(私は未読)の映画化だ。



 マジメ一徹の女子と、ちゃらんぽらんな男との恋路という話は大して珍しくもないのだが、語り口はけっこう非凡で飽きさせない。まず、物語を長いスパンで捉えているあたりは好印象。約10年の年月が劇中で経過しており、それだけ主人公たちを掘り下げる余裕が生じる。たぶん勢いで交際が始まったカナコと長津田だが、徐々にすれ違いが生じるプロセスには無理が見られない。

 さらに、吉沢をはじめ、長津田を慕う新入生の本田麻衣子、吉沢を意識している同僚の慶野亜依子といった脇のキャラクターには確かな“肉付け”が施されており、展開が絵空事になることを回避している。結末はまあ予想通りなのだが、それまでの丁寧な作劇により、十分に納得出来る。

 矢崎の演出は今回は素材に寄り添って余計なスタンドプレイも控え、無難な仕上がり。主演の橋本愛と中川大志とのマッチングは良好で、別の作品での共演も見たいと思ったほどだ。山田杏奈に久保田紗友、臼田あさ美、中村蒼といった面々も手堅い仕事ぶりを見せる。

 しかしながら、ただ一人パフォーマンスの拙い者がいた。それは人気作家を演じる“のん”こと能年玲奈だ。橋本と能年は言うまでもなくNHKの朝ドラで共演していて、当時は橋本の演技と存在感は能年に後れを取っていたように思ったが、今では逆転してしまった。やはり“キャラクター優先”の俳優というのは、賞味期限が短くなる可能性があるということだろう。
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「セプテンバー5」

2025-03-15 06:10:06 | 映画の感想(さ行)

 (原題:SEPTEMBER 5 )実録物らしい緊迫感はあり、最後まで引き込まれることは確かである。ただし、鑑賞後の満足度はそれほど高くはない。これはひとえに、扱われている事件は広く知られており、その“結末”も皆が分かっているからに他ならない。主題や各モチーフは骨太ではあるのだが、本作ならではのインパクトには欠ける。このあたりが、各賞レースでは今ひとつ振るわない理由かもしれない。

 1972年9月5日、開催中のミュンヘンオリンピックの選手村で、パレスチナ武装組織がイスラエル選手団を人質に立てこもる事件が発生。当大会のテレビ中継を担当していたのは米ABCだったが、現地にいたのは報道番組とは無縁のスポーツ専門の放送クルーたちだった。しかし、他セクションからの応援をアテにする余裕など無い。テロリストの要求はエスカレートするばかりで、状況が逼迫する中、彼らは徒手空拳でこの難局に立ち向かう。

 突発的な非常事態が起きた際の、マスコミの対応はどうあるべきかは過不足無く描かれているとは思う。畑違いの業務を強いられながら、知恵と工夫で一つ一つ難題を解決していくスタッフたちの苦労は理解出来る。しかもそれらが次々と切羽詰まったタイミングでクリアされていく様子は、映画的興趣は十分喚起される。

 しかし、ここで描かれているのはあくまでも“マスコミの対応”に過ぎないのだ。この事件の背景になっている中東情勢や、肝心のテロリストと当局側との交渉の状況、そして警察の動きといった、本質的なエリアには踏み込んでいない。テレビ局の苦労話ばかりをドラマティックに前面に出しても、何か違うという気がする。

 それでもティム・フェールバウムの演出は上手く機能しており、作劇に弛緩した部分は無い。ピーター・サースガードにジョン・マガロ、レオニー・ベネシュ、ジネディーヌ・スアレム、そしてベンジャミン・ウォーカーなどのキャストは達者だが地味だ。もっとも、それがまたリアリティを醸し出している。

 なお、本作を観て思い出したのがスティーヴン・スピルバーグ監督の「ミュンヘン」(2005年)である。あの映画はミュンヘンの人質テロ事件の“後日談”をイスラエル諜報特務庁の立場で描いた作品だったが、題材自体の求心力が高く、感心したことを覚えている。やはり実際に起きた事件を劇映画として扱うには、作家性を上手く織り込まなければ印象が薄くなるのは仕方が無いことなのだろう。
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「ソーシャル・クライマーズ」

2025-03-09 06:10:53 | 映画の感想(さ行)
 (原題:SOSYAL CLIMBERS )2025年2月よりNetflixから配信。何と、フィリピン製のラブコメだ。フィリピン映画は過去に何本か観ているが、いずれも映画祭での鑑賞で、中身は社会派ドラマやサスペンス物などのヘヴィなものばかりだった。それだけにラブコメというのは珍しく興味を持って接したのだが、これがけっこう緩い。とはいえ面白くないわけではなく、大きな不満もなく鑑賞を終えた。配信作品ならばこのレベルでも許されるだろう。

 マニラの高級住宅の販売仲介を生業にしている不動産ブローカーのジェサと、フィナンシャル・プランナーのレイとの出会いはあまりスマートなものではなかったが、相思相愛になり互いに結婚を意識するような関係になっていた。ところが2人は思わぬ詐欺に遭い、多額の借金を抱えるハメになってしまう。窮地に瀕した彼らは身分を偽り、売りに出されている高級住宅にオーナーのフリをして住み込み、隣近所の富裕層から金をだまし取ろうとする。だが、この住宅地に出入りする画商が2人の正体を見破ったため、事態は紛糾する。



 いくらジェサが不動産に詳しいといっても、簡単に高級住宅に家人として潜り込めるはずがない。また、事情を知らずに物件の内見に訪れる客と、住民たちがニアミスするサスペンスも大して盛り上がらない。極めつけは、レイに思わぬ絵の才能があり、高値で売れる可能性がクローズアップされることだ。いくら何でも無理筋で、それだけ絵心があるのならば事前に前振りを入れるぐらいの作劇の工夫をするべきだ。

 しかし、あまり気分を害さず最後まで付き合えたのは、主演の2人の健闘に尽きる。ジェサに扮するマリス・ラカルとレイ役のアンソニー・ジェニングスは、本当に愛嬌があって好感度が高い。何となく応援したくなってしまうのだ(笑)。たぶん本国でも人気俳優なのだろう。話は終盤で紛糾してくるが、ストーリーを壊さない程度に留めているのは納得する。そしてもちろん、最後は収まるところに収まるのだ。

 ジェイソン・ポール・ラクサマーナの演出に特筆すべきものはあまり無いが、取り敢えずは安全運転に徹している。リッキー・ダバオにカルミ・マーティン、バート・ギンゴーナ、チェスカ・イニゴといった脇の面子はもちろん馴染みは無いが、皆良くやっていたと思う。
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「聖なるイチジクの種」

2025-03-08 06:20:12 | 映画の感想(さ行)
 (英題:THE SEED OF THE SACRED FIG)イランを舞台にしたサスペンス編。かなりシビアな題材を扱っており、ドラマ運びもヘヴィなタッチなのだが、如何せん脚本の完成度が低い。加えて167分という、かなりの長尺。エンドマークを迎えるまでは、けっこう忍耐力を要した。2024年の第77回カンヌ国際映画祭で審査員特別賞を獲得するなど高い評価は得ているのだが、個人的には受け付けない内容だ。

 テヘランの司法機関に勤務するイマンは、20年にわたる真面目な勤務態度が評価されて予審判事に昇進する。ところが与えられた仕事は、反政府デモの逮捕者を冤罪で処罰するための御膳立てである。さらに、報復の危険があるため家族を守る護身用の拳銃が国から支給される。ある日、自宅で厳重に保管したはずの銃が消えてしまう。当初はイマン自身の過失かと思われたが、やがて妻ナジメや長女レズワン、次女サナの3人のうち誰かが隠したのではないかという疑惑が生じる。不穏な空気が流れる中、事態は思わぬ方向へと狂いはじめる。



 シナリオも担当したモハマド・ラスロフの仕事ぶりは褒められたものではなく、各キャラクターの性格付けがハッキリとしないまま、やたら深刻な筋書きばかりが語られる。そもそも、拳銃が紛失する必然性が曖昧だし、終盤で明かされる“犯人”の設定もまるで説得力が無い。映画は不穏分子を手当たり次第に検挙する当局側の不正義をまず告発しなけれけばならないはずが、主人公一家のゴタゴタばかりが長時間前面にて出て来てしまい、観ている側は途中で面倒くさくなってくる。

 後半のイマンの言動に至っては完全なホラー映画のノリで、いったい何を見せられているのかと呆れるばかりだ。それでも、監督は本作により母国イランで政府を批判したとして複数の有罪判決を受け、判決確定後にドイツへの亡命を果たしている。この程度で生きるか死ぬかの選択を迫られることになるとは、彼の国の情勢はひと頃より良くない雰囲気になっているのだろうか。そのあたりが垣間見えたのが、この映画に接したことの唯一のメリットだと思う。イマンに扮するミシャク・ザラをはじめ、ソヘイラ・ゴレスターニにマフサ・ロスタミ、セターレ・マレキ、ニウシャ・アフシとキャストは皆好演。それだけに中身の薄さが残念だ。
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「ショウタイムセブン」

2025-03-01 06:10:01 | 映画の感想(さ行)

 マスコミの欺瞞を告発したような内容で、日本映画にしては珍しく攻めたネタだと思ったら、何とこれは2013年製作の韓国映画「テロ,ライブ」のリメイクなのである。企画もヨソから“輸入”しなければ提示できないほど、邦画界のヴォルテージは落ちているらしい。さらに出来自体も“本家”には及ばず、暗澹とした気分になってきた。

 ある日の午後7時、ラジオ局に“発電所で爆破事件が起きる”という怪しい電話が掛かってくる。パーソナリティの折本眞之輔はイタズラだと思ってまともに相手にしなかったのだが、直後に本当に発電所で爆発事故が発生する。爆弾は他にも仕掛けられているらしく、犯人は交渉役に折本を指名してきたのだ。実は彼は以前人気ニュース番組“ショウタイム7”の司会を担当していたが、ある事情でラジオ番組に“左遷”されていた。これは元職に復帰できるチャンスだと思った折本は、本番中の“ショウタイム7”のスタジオに乗り込み、犯人との生中継を強行する。しかし、爆弾はスタジオにも設置されていた。

 序盤に、主人公が局内で事件の関係者らしき者と“ニアミス”してしまう時点で、鑑賞意欲が減退した。さらに主人公の立ち振る舞いやスタジオ内の雰囲気、さらにプロデューサーの造型など、これはどう見たってテレビドラマ並みの建て付けでしかない。爆弾は番組出演者のイヤホンなど身近な箇所にも仕掛けてあるのだが、どうやってセットしたのか皆目分からない。

 犯人をよく知る人間が番組に出演するシークエンスは展開に気合いが入っておらず、その者が“退場”するシーンも間が抜けている。折本の元妻がリポーターとして発電所の現場に出向いているのだが、これが何の有効なプロットにもなっておらず、元ネタの韓国映画の切迫度に比べれば、児戯に等しい。脚本も手掛けた渡辺一貴の演出は凡庸の極みで、本作がカネ取って劇場で見せる“商品”であることを失念したようなレベルだ。

 それでも折本に扮する阿部寛の頑張りは印象的で、オーバーアクト気味ながら観客を惹き付けるパワーはあった。しかし、その他のキャストが壊滅的。プロデューサー役の吉田鋼太郎の演技はステレオタイプだし、キャスターを演じる竜星涼と生見愛瑠のパフォーマンスは呆れるほど稚拙。安藤玉恵に平田満、井川遥、錦戸亮らも精彩が無い。極めつけは某音楽グループが出てくるラストの処理で、いったい何の茶番かと思ってしまった。率直に言って、観なくても良い映画である。
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「ザ・ルーム・ネクスト・ドア」

2025-02-24 06:12:58 | 映画の感想(さ行)

 (原題:THE ROOM NEXT DOOR)とても出来が良く、感心した。ペドロ・アルモドヴァル監督の映画は「神経衰弱ぎりぎりの女たち」(88年)こそ好印象であったが、あとの作品は全然ピンと来ず、私の守備範囲外の作家だと断定していた。しかしこの新作は2024年の第81回ヴェネツィア国際映画祭で大賞を獲得し、なおかつアメリカを舞台にした初の長編英語劇ということで、少しは様子が違うのかと思ってスクリーンに対峙したところ、大当たりだった。今年度のベストテンに入るかもしれない。

 ニューヨーク在住の人気作家のイングリッドは、サイン会に訪れた知人から、かつての親友でジャーナリストのマーサが重い病に冒されていることを知らされる。早速マーサを見舞ったイングリッドは彼女と昔話に花を咲かせるが、マーサは治療を拒み、安楽死を望んでいるという。マーサは人の気配を感じながら最期を迎えたいと願い、その時にはイングリッドに隣の部屋にいてほしいと頼む。彼女の願いを聞き入れることを決めたイングリッドは、郊外の森の中にある一軒家で共に暮らし始めるのだった。

 悲壮感漂う設定のドラマだが、驚いたことに作品の印象は透徹した明るさに満ちている。それはおそらく、ひとつにはマーサが自身で人生の“決着”を付ける必然性を獲得したからだろう。今までの歩みに微塵の迷いも残さず、死さえもコントロール下に置くことが出来た彼女には、ある意味“前向き”なスタンスを崩さずにこの世から消えて行ける。

 イングリッドはそんな彼女を看取ることにより、命の大切さと儚さを改めて実感する。そもそも、この一件は今後の執筆活動において大きなインスピレーションを受けるのではないだろうか。つまりは、何もネガティヴなことを考える必要は無いのだ。この題材の捉え方は非凡だ。

 さらに、作品のエクステリアが愁嘆場に流れることを絶妙にガードしている。この監督が得意とするカラフルな映像はポジティヴな雰囲気を演出している(撮影監督は「シングルマン」などのエドゥアルド・グラウ)。また、主人公2人が暮らす家屋および周囲の風景も造型が素晴らしい。

 主演のティルダ・スウィントンとジュリアン・ムーアのパフォーマンスは言うことなし。たぶん彼女たちのキャリアの中でも最良のものになるだろう。ジョン・タトゥーロにアレッサンドロ・ニボラ、ファン・ディエゴ・ボトといった他のキャストも万全だ。ただし、本作のエピローグは少し冗長ではある。ここを少し整理すれば真の傑作になっただろう。
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「新・男はつらいよ」

2025-02-02 06:10:16 | 映画の感想(さ行)
 昭和45年公開の、シリーズ第4作。フーテンの寅こと車寅次郎を演じる渥美清の名人芸と、それを活かすギャグ演出は十分機能しており、楽しんで観ることはできる。しかしながら、封切り日の間隔が前作「男はつらいよ フーテンの寅」から43日しか空いていないというハードスケジュールであったせいか、筋書きに雑な部分が見られるのはいささか残念だ。

 名古屋の競馬場で大穴を当てた寅次郎は、久々に故郷の葛飾柴又に帰って来る。彼はその儲けた100万円以上の金を、日頃の恩返しとばかりにおいちゃん夫婦のハワイ旅行の資金に回すと豪語。早速弟分で今は旅行会社に勤める登に手配を依頼するものの、出発当日になって旅行会社の社長が金を持ち逃げしたことが発覚。旅行プランは夢と消えた。そのおかげで一ヶ月ばかり柴又から姿を消した寅次郎だったが、再び帰郷した彼が目にしたのは、自分の部屋に下宿する若い幼稚園の先生の春子だった。寅次郎は彼女にゾッコンになる。



 確かに寅次郎のおっちょこちょいな行動は見ていて愉快だし、得意の口上も絶好調だ。何度も爆笑ポイントが訪れる。しかし、大金を持ち逃げされて警察にも届けた様子はなく、泣き寝入りするのは有り得ない。また、おいちゃん夫婦と寅次郎が旅行しているように近所に見せかけるため、息を潜めて自宅で暮らすというプロットは無理筋だろう。さらに、途中で泥棒が入ったために事が明るみに出るくだりは蛇足かと思う。

 春子のプロフィールは意外に掘り下げられておらず、医師が春子の父親について“罪のむくいを受けた”の何だのという話をするが、真相がどうなのは最後まで分からない。終盤になって突然現われる彼女の恋人も、まるで正体不明だ。監督が山田洋次ではなく、TVシリーズ時代のディレクターだった小林俊一が担当しているというのも、作品の出来に影響しているのかもしれない。

 とはいえ渥美清をはじめ、森川信に三崎千恵子、前田吟、倍賞千恵子、笠智衆らレギュラーメンバーが揃うと安心できる。ゲスト出演の財津一郎も個人芸を披露しているし、何より春子に扮する若い頃の栗原小巻は本当にキレイだ。なお、序盤に流れる主テーマソングの歌詞が、いつもと違っているのは珍しい。何でもこの歌詞が使用されたのはシリーズの中でも本作だけだったらしい。その意味では存在価値はあると思う。
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「セキュリティ・チェック」

2025-01-19 06:17:26 | 映画の感想(さ行)
 (原題:CARRY-ON)2024年12月よりNetflixから配信されたサスペンス編。これは楽しめた。劇場公開しても良いほどのレベルだ。舞台設定とキャラクターの扱いは、レニー・ハーリン監督の「ダイ・ハード2」(90年)との共通性を見出す向きも多いだろう。ただし、本作の筋書きはよりアップ・トゥ・デイトであり、主人公の造型も等身大に近付いている。それだけ訴求力が大きい。

 ロスアンジェルス国際空港の運輸保安局員として勤務しているイーサン・コーペックは、実はかつて警察官を目指していた。しかし微妙な理由で採用されず、今は冴えない日々を送るのみだ。そんな中、クリスマスイヴに手荷物検査係に回された彼は、謎の男から脅迫を受ける。首都ワシントン行きの機内に持ち込まれる予定の危険物を見逃さないと、同じ空港に勤める妊娠中の恋人ノラの命は無いというのだ。イーサンは事態を打開すべく、テロリストとの戦いに身を投じる。



 イーサンは「ダイ・ハード2」の主人公ジョン・マクレーン刑事よりも、さらに非力だ。もっともマクレーンもそんなに敏腕というわけではないが、前作で大きなヤマを解決した実績があり、警部補という階級も保持している。対してこのイーサンはしがない空港職員で、腕っ節も強くない。そんな“一般人”が巨悪に立ち向かうハメになるというのは、アピール度が高い。

 そして、テロリスト側の思惑も捻っていて、単に危険物を仕掛けるだけではなく、この事件が起こったらどこが疑われて結果的にどうなるといった複雑な計算もカバーしている。また、運び屋と調整役が別々のスタンスで動いているあたりは上手い処理で、事件発生に気付いた女性刑事が外部からフォローするというサブ・プロットも的確だ。ジャウム・コレット=セラの演出は前作「ブラックアダム」(2022年)よりもさらにレベルが上がったようで、弛緩した部分が見受けられず、最後までドラマを引っ張ってくれる。

 アクション場面は予算はさほど投入されてはいないが、アイデアが豊富で飽きさせない。特に手荷物集積場での格闘シーンは、先の読めない展開もあってかなり盛り上がる。主演のタロン・エガートンは“普通の男”を懸命に演じ、「キングスマン」シリーズ出演時よりも成長が認められる。ソフィア・カーソンにダニエル・デッドワイラー、ジェイソン・ベイトマン、テオ・ロッシなどの他のキャストも申し分ない。
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「ザ・バイクライダーズ」

2024-12-28 06:25:57 | 映画の感想(さ行)
 (原題:THE BIKERIDERS)けっこう巷では評判は良いようで、だからチェックしてみたのだが、どうも気勢が上がらない。そもそも、本作の題材であるバイク乗りの行状に関しては個人的にまったく興味を覚えない。よっぽど話が面白くなければ、持ち上げる気にはなれないのだ。そういえば、私は自動二輪車等の免許は持っていないし、取得したいと思ったことも無い。バイクの後部座席に乗せてもらったことも、1回しかないという始末。だから本作に関しては、観る前から門外漢だったという低調な展開なのである。

 1965年のシカゴ。堅実な生活を送っていた若い女キャシーは、ある日ケンカ早くて無口なバイクライダーのベニーと知り合い、アッという間に恋に落ちて結婚を決める。ベニーは地元の不良共の元締めであるジョニーの片腕だが、一匹狼的なスタンスを崩さない孤高の存在だった。やがてジョニーの組織は各地に支部が出来るほど急速に拡大していくが、それと平行してクラブ内の雰囲気は悪化。犯罪に手を染める者が目立つようになり、敵対クラブとの抗争も始まってしまう。アメリカの写真家ダニー・ライアンが60年代のバイクライダーの日常を題材にした同名の写真集にインスパイアされた作品だという。



 まあ、無頼派バイク乗りに思い入れのある向きには、ベニーがバーのカウンターなんかでカッコ付けているだけで、あるいはジョニーがバイカー達のリーダーとしての苦悩をにじみ出しているだけで感動してしまうのだろう。そしてそういう空気にホレ込んでしまうキャシーの内面も、リアルに伝わってくるのだと想像する。だが、そういう事物とは無縁の当方としては、居心地の悪さを感じるしかない。

 だいたい、集団でバイクを転がして反社会分子を標榜している時点で、彼らがその後どういう犯罪騒ぎに巻き込まれようが、一向にカタルシスを覚えることは無いのだ。勝手にやってろと言うしかない。脚本も担当したジェフ・ニコルズの演出は、まさに“分かる奴だけ分かれば良い”という姿勢で、ひたすら自己の趣味に浸るばかりのようだ。

 ベニー役のオースティン・バトラーのパフォーマンスは、時折乱暴にはなるが、あとは表情乏しく佇んでいるだけだ。ジョニーに扮するトム・ハーディも“地でやっている”という感じを否めない。キャシーを演じるジョディ・カマーに関しては単なる狂言回し役であるせいか、特筆すべきもの無し。ただ、アダム・ストーンのカメラによる時代色がよく出た映像だけは評価したい。
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「正体」

2024-12-27 06:24:55 | 映画の感想(さ行)

 主役の横浜流星のパフォーマンスはかなり力が入っていて、観ていて引き込まれるものがある。彼のファンならば、まさに至福のひとときを過ごすことが出来よう。今年度の演技賞レースを賑わせるかもしれない。だが、映画の出来が彼の熱演に応えるものだとは、残念ながら言えない。原作である染井為人の同名小説は未読なので、それが本作がどうトレースしているのか分からないが、いずれにしてもあまり上等ではない筋書きだ。

 凶悪な殺人事件の犯人として逮捕され、死刑判決を受けた鏑木慶一が脱走する。彼の行方を追う刑事の又貫征吾は、鏑木が逃走中で関わった人々を取り調べるが、彼らが語る鏑木像には共通性が希薄だった。なぜ鏑木は姿や顔を変えながら各地で潜伏生活を送り、ひたすら逃げ続けるのか。やがて、彼の真の目的と事件の全貌が明らかになる。

 最初主人公が身を寄せるのが、訳ありの者など珍しくもない末端の建設現場で、少なくともこの時点までは不満はあまり出てこない。しかし、次に彼がフリーのライターとして出版会社と契約するという段になると、話は完全に絵空事になる。彼は逮捕された時点でまだ十代ということだが、そんな年若い、しかも経験もほとんど無い者がプロのライターとして通用するわけがない。それでも“いや、通用してしまったのだ”と言いたいのならば、その才能の片鱗ぐらいは序盤に見せるべきだ。

 さらに鏑木は長野県の介護施設でスタッフとして働き始めるが、これまた御都合主義のネタであり、そんなスキルをいつどこで会得したのかと突っ込みたくなる。彼を追う警察側の扱いもホメられたものではなく、いきなり拳銃を構えて“突入”してくる又貫刑事の姿に呆れていると、何と鏑木を犯人と決めつけた切っ掛けが随分とあやふやなものであったことも示され、一体これはマジメにドラマを構築する意志があったのかと疑いたくなる。

 監督は藤井道人だが、どうもこの演出家のスタンスは無理筋の建て付けを押し付けてくるところにあるようだ。彼にとって警察や司法は“信用ならない!”というものらしい。それでも冒頭に述べたように横浜流星の演技は評価したいし、山田孝之に松重豊、吉岡里帆、山田杏奈、山中崇、西田尚美など、芸達者のキャストは集められている。それだけに、作劇の不出来は残念だ。
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