元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ザ・キラー」

2024-12-08 06:33:16 | 映画の感想(さ行)

 (原題:THE KILLER)2023年11月よりNetflixから配信。第80回ヴェネツィア国際映画祭コンペティション部門出品作であり、どういう出来映えなのかと興味を持って鑑賞に臨んだのだが、どうもパッとしない内容だ。監督のデイヴィッド・フィンチャーはたまに良い仕事をすることがあるものの、概ねあまり信用しておらず、今回も同様だった。

 自称“凄腕の暗殺者”と嘯く主人公の男は、その日もパリで用意周到に“仕事”を済ませるはずだったが、何と失敗してしまう。たちまち彼は窮地に陥り、世界中を逃げ回りながらこの一件に絡んでいる連中を次々と片付けていく。アレクシス・ノレントによる同名グラフィックノベルの映画化だ。

 この主人公は“仕事”に取りかかる前にやたら能書きを並べるようで、殺し屋としてのモットーやスタイルを蕩々と述べるのだが、それでいて素人臭いミスでターゲットを逃してしまうという、まるで見かけ倒しの輩である。ならばそのキザったらしい風体を逆手にとってコメディ路線に転化すれば面白いと思ったのだが、映画はこの主人公を徹頭徹尾クールに描こうとする。

 彼は各地で“仕事”を済ませるのだが、その段取りがじれったく、インパクトの強さやサスペンスなどは全然醸し出されていない。だいたい、別に複雑怪奇なストーリーでもないはずなのに、どういうわけか故意に複雑に撮られているのだからやり切れない。中盤からは筋書きを追うのを諦めて、もっぱらワールドワイドにロケされた風景を楽しむことにしたほどだ。

 撮影監督にエリック・メッサーシュミットという手練れを起用しているおかげで、陰影の深い映像には一目置きたい。音楽は「ソーシャル・ネットワーク」(2010年)以降のフィンチャー作品に欠かせないトレント・レズナー&アッティカス・ロスが担当しており、あまり前には出ないものの、的確な仕事を示していると思う。

 主演はマイケル・ファスベンダーなので、外見だけはサマになっている。ティルダ・スウィントンも敵役として出ていて、硬質な雰囲気は捨てがたい。しかし、他の出演者はどうも影が薄い。シナリオを手掛けたのはアンドリュー・ケヴィン・ウォーカーだが、彼はキャリアが長い割には質の高い仕事は見当たらない。このあたりの人選も、作品の出来映えに影を落としているのかもしれない。
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「西湖畔に生きる」

2024-11-08 06:21:57 | 映画の感想(さ行)
 (原題:草木人間 DWELLING BY THE WEST LAKE)監督のグー・シャオガンが前に撮った「春江水暖 しゅんこうすいだん」(2019年)に比べれば、少しはマシな出来映え。ならば面白いのかというと、そうではない。ハッキリ言って、この映画が前作に対して優れている点というのは、尺が短いことだけなのだ(「春江水暖」は150分だったが、本作は115分)。その分、時間の節約にはなる。

 浙江省杭州市の近郊にある西湖のほとりは、高級茶の龍井茶の生産地である。そこで茶摘みの仕事をしていたタイホアは、女手一つで息子のムーリエンを育て上げた。彼女は茶畑の主人チェンと懇意になるが、チェンの母と仲違いをして茶畑を追い出されてしまう。やがてタイホアは、友人の誘いでマルチ商法に手を染める。ムーリエンはそんな母を救おうとするが、上手くいかない。そして彼は思い切った行動に出る。

 冒頭、山肌に広がる茶畑を空撮でとらえた映像は素晴らしく美しいが、ここだけ観て退場してもあまり後悔はしないと思われる。なぜなら、その後のストーリーが要領を得ないものだからだ。タイホアが違法なビジネスにのめり込んだ理由は明示されておらず、そんな母を慕っているはずのムーリエンの言動は整合性を欠いている。どうでもいい話が延々と進んだ挙げ句、終盤の展開は意味不明だ。

 グー・シャオガンの演出は冗長で、タイトにまとめればたぶん1時間で終わる話をスピリチュアルっぽい画像を並べ立てることによって引き延ばしている。ムーリエンに分するウー・レイとタイホア役のジアン・チンチンは演技も見た目も申し分ないとは思うが、映画の内容がこの程度なので“ご苦労さん”としか言いようがない。なお、グオ・ダーミンによる撮影と梅林茂の音楽は及第点には達していた。

 余談だが、中国でもマルチ商法は蔓延っているらしい。被害総額は日本ほどではないが、件数は相当なものとか。引っ掛かるのは主に高年齢層だが、若者も無関係ではない。もちろん当局側は積極的に摘発・検挙に取り組んでいるものの、撲滅させるほどの成果は上がっていないのが現状だろう。この映画でもそのあたりを突っ込んで描いていれば、見応えのある作品に仕上がったのかもしれない。
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「シビル・ウォー アメリカ最後の日」

2024-11-04 06:21:03 | 映画の感想(さ行)
 (原題:CIVIL WAR )たぶん、本年度のアメリカ映画では最も重要な作品になるだろう。また、広範囲にアピール出来るような普遍性も兼ね備えている。いまだに世界各地で起こっている戦争の実相を、アメリカの内戦という“架空の設定”を借りて鮮烈に描き出す。そこには大義も名誉も無く、単なる命の奪い合いがあるだけだ。ここまで振り切った捉え方に接すると、まさに絶句するしかない。

 近未来のアメリカで、テキサス州とカリフォルニア州の同盟からなる“西部勢力”と政府軍との間で紛争が勃発する。各地で激しい武力衝突が展開し、戦況は連邦政府が劣勢のようだが大統領は強気な姿勢を崩さない。戦場カメラマンのリー・スミスら4人のジャーナリストは、1年以上もマスコミの取材を受けない大統領に単独インタビューを敢行するため、ニューヨークからホワイトハウスを目指す。それは地獄のような行程であった。



 映画は“西部勢力”が連邦から離脱した背景には多くは言及しない。周辺諸国の状況も分からないし、中露や中東方面がどんなスタンスを取っているのかも不明だ。しかし、そんな説明不足とも思える御膳立ては、この映画の存在感を減じる結果には繋がらない。戦争はすでに目の前に存在しているのであり、その不条理にどう向き合うかを問うているのだと思う。

 ジャーナリストたちは何とかこの惨劇の裏にあるものを探ろうとするが、それらは徒労に終わるだけだ。結局、彼らは即物的にカメラを構えるだけで、現実を追認するだけの存在に成り下がっている。そんなルーティンワークは、たとえ仲間が殉職しようとも途切れることは無い。

 終盤近くの戦闘シーンはかなり迫真性がある。戦時国際法も国際人道法もどこかに追いやられ、目の前に現われる人間をただ殺していくという、その単純かつ残虐な方法論が罷り通るだけ。本作は明らかに巷間言われている“アメリカ社会の分断”をヒントに製作されていることは明らかだ。しかし、そんな分断なんか世界中どこにでも散見されるわけで、この惨状はいわば“万国共通”のものなのだ。

 脚本も担当したアレックス・ガーランドの演出は実に粘り強く、ドラマが弛緩することは無い。また、彼がアメリカ国民ではなくイギリス人であるというのも嫌らしい。対象をシニカルかつ冷徹に料理するのは、まさに英国人の所業である(注:これはホメているのだ ^^;)。リー役のキルスティン・ダンストをはじめ、ヴァグネル・モウラ、スティーヴン・ヘンダーソン、ソノヤ・ミズノ、ニック・オファーマンといったキャストは派手さは無いが、それが却ってリアリティを喚起している。

 また、最近出番が多い若手のケイリー・スピーニーと、ダンストの夫で特別出演のジェシー・プレモンスが特に印象的。なお、この映画はA24の製作だ。観る前はシンプルな戦争アクション物かと思っていたら、冒頭タイトルにこの映画会社の名称を目にした途端、鑑賞する姿勢を糺してしまった。出来不出来はあるにせよ、このプロダクションの仕事には一目を置くべきだ。
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「サウンド・オブ・フリーダム」

2024-10-28 06:27:10 | 映画の感想(さ行)
 (原題:SOUND OF FREEDOM)かなり重要な題材を扱っており、鑑賞後の手応えは高レベルだ。描かれるのは児童人身売買の様態、および闇組織と当局側との死闘などだが、これらが実話を元にしているというのだから驚くしかない。世界の理不尽さに晒されるのは無辜の市民だというのは理解しているが、抵抗する術も持たない年少者が犠牲になる事実を突き付けられると慄然とするばかりだ。

 アメリカ国土安全保障省の捜査官ティム・バラードは、性犯罪組織に誘拐された少年少女の追跡捜査を敢行するため、犯罪の温床と思われる南米コロンビアに単身潜入する。当然のことながら捜査は難航するが、それでも地元警察やスポンサーを買って出た資産家パブロ、そして前科者ながら児童人身売買に対して義憤を抱いているバンピロらの協力を得て何とか結果を出し続けていく。やがてティムは誘拐された少女を救うため、ジャングルの奥地へと乗り込んでゆく。



 正直言って、事件解決に至るサスペンス描写や、アクション場面は大したことがない。アレハンドロ・モンテベルデの演出は万全とは言えず、展開もそれほどスムーズではないし、観ていて若干ストレスが溜まるのも事実。しかし、主人公ティム・バラードは実在の人物なのだ。そして彼の言動も事実に基づいている。だから迫真力が違う。

 児童人身売買の手口はエゲツなく、冒頭近くで犯罪組織が芸能オーディションという名目で近所の子供を集め、いつの間にか親の知らないうちに全員が連れ去られるというシークエンスがあるが、これがかなり衝撃的。さらに、ネット上で子供の“オークション”まで開かれて変態どもが落札に“応募”するに至っては、この世のものとは思えないおぞましさだ。

 ティムはこの地でかなりの実績を上げたことが示されるが、それでもこの悪行は今でも綿々と続いているのだ。映画の評価はまずウェルメイドに徹しているかどうかで決めるべきなのだが、映画の主題が出来自体を凌駕して求心力を押し上げることもある。本作はその好例だろう。

 そして何より主演のジム・カヴィーゼルの使命感に突き動かされたような熱演が印象的。エンドクレジットで彼が何と観客に語りかける箇所があるが、それがさほど不自然に見えないのは、事の重大さが観る者を圧倒している証左だと思う。ミラ・ソルヴィノやビル・キャンプ、エドゥアルド・ベラステーギら脇のキャストは申し分ない。そして出てくる子役たちも達者だ。また、ハビエル・ナバレテによる音楽が本当に効果的。幾分饒舌かとも思われるが、目覚ましい美しさを提供していることは確かだ。
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「侍タイムスリッパー」

2024-10-07 06:26:01 | 映画の感想(さ行)
 楽しめた。早くも“第二の「カメラを止めるな!」”という声もあるようだが、確かに卓越した着想と映画のバックステージものを絡めた建て付けは「カメラを止めるな!」(2017年)と共通している。また、当初は小規模での封切りが口コミによって拡大公開になったプロセスも似たようなものだ。そして何より、作者の映画に対する愛情が存分に感じられる点は同じであり、こういうシャシンが広範囲な支持を集めるのだろう。

 幕末の京都。長州藩士を討つよう密命を受けた会津藩士の高坂新左衛門は、ターゲットになる男と相まみえた際に落雷によって気を失ってしまう。彼が我に返ると、そこは現代の時代劇の京都撮影所だった。ロケに飛び入りして刀を抜いてしまった彼は、監督らスタッフに追い出される。やがて新左衛門は、江戸幕府が140年前に滅んだことを知る。



 生きる目的を失いそうになった彼だったが、助監督の山本優子らに助けられ、この時代で暮らしていくことを決心。そして剣の腕を活かし彼は“斬られ役”として採用される。そんなある日、往年の時代劇スターの風見恭一郎から新左衛門は映画の相手役に指名される。

 タイムスリップ物としての興趣は(ある一点を除けば)大したことは無い。主人公が遭遇する時代のギャップを強調するモチーフは希薄だし、そもそも実体験で命のやり取りを経験した新左衛門が、撮影用の殺陣を“芝居だ”と見破れないはずが無い。だが、そんな瑕疵があっても本作には堪えられない魅力があるのだ。それはズバリ言って、作者の時代劇に対する熱い思いである。

 劇中で描かれるテレビの連続時代劇は、打ち切りが取り沙汰されている。かつてはゴールデンタイムの定番であった時代劇は、今は風前の灯火だ。スクリーン上でも時代劇が展開するケースは少なくなっている。それでも、日本でしか撮れないこのジャンルを何とか維持していかなければ、我が国のエンタテインメント自体が地盤沈下してしまう。

 本作の登場人物たちは、時代劇の魅力に取り憑かれて損得抜きで付き合っている。過去から来た新左衛門も、この“空気感”があったからこそスンナリと現代に溶け込める。さらに風見恭一郎の“正体”が明らかになる後半のくだりは、まさにアイデアの勝利。タイムトラベルを時代劇に結び付けるメソッドとしては最良のものだろう。

 脚本はもちろん撮影や編集まで担当した安田淳一の演出は闊達でメリハリがある。随所に挿入される効果的なギャグと、絶妙な“泣かせ”の段取りには感心するばかり。キャストは主演の山口馬木也こそ少しは知られてはいるが、冨家ノリマサに峰蘭太郎、庄野﨑謙など無名の者ばかり。しかし皆良くやっている。特に優子役の沙倉ゆうのは本当にこの映画の“助監督”であり、作品内で有効に機能している。とにかく、一人でも多くの人に観てもらいたい快作だ。
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「全部ゲームのせい」

2024-09-20 06:29:18 | 映画の感想(さ行)
 (原題:SPIELEABEND )2024年7月よりNetflixから配信されたドイツ作品。冒頭の明るいラブコメ的展開は、とてもドイツ映画とは思えない雰囲気なのだが(笑)、途中から筋書きが怪しくヒネたものになるに及び、やっぱりドイツらしさ(?)は確保されていると納得してしまった。とはいえダークな方向には行かずにコメディの体裁は整えられているので、観て損のないシャシンではある。

 ベルリンで自転車店を営むヤンは、ある日偶然フォトグラファーのピアと知り合う。2人の相性は抜群で、交際は順調。そんなある日、ピアはいつもの仲間とのゲームナイトにヤンを誘う。会場はピアの僚友であるカロの豪邸で、メンバーはカロの夫のオリヴァーにアーティストのシェイラら、個性的な面子ばかり。一応はゲームで盛り上がるが、何とそこにピアの元カレのマットが現われる。思わぬ人物の登場に敵愾心を露わにするヤンだったが、一方その裏でオリヴァーが飼っていたオウムが逃げてしまう。ヤンは共同経営者のアレックスに密かに連絡し、オウムを捕まえるように依頼する。



 胡散臭い連中が集まるパーティーに参加したら、ハプニングが次々と起こって主人公が難儀するという話は別に珍しくもないが、本作のエゲツなさはシャレにならない。ヒロインの元の交際相手が登場するのはまあ許せるとして、けっこうピアとの関係が生々しく、しかもそれが“つい最近”まで続いていたというのは、実に底意地が悪い話だ。

 さらにヤンが“あるスポーツ”でマットに決闘を挑むというくだりで、2人の格好が常軌を逸しているというネタはブラックに盛り上がる。ピアはカロが主宰するアパレル企業に誘われているが、要するに部下として迎えるということで、それをキャリアアップと断じているカロの独善もイヤらしい。

 それでも逃げたオウムに関するエピソードからは映画はスラップスティック方面に向いてきて、平易な笑劇としての雰囲気を醸し出していく。特に舞台がカロの邸宅を離れて夜のベルリン動物園に移行すると、それが顕著になる。そしてラストは収まるところに収まるのだから、不満を覚えることは無い。

 マルコ・ペトリーの演出はテンポが良くドラマを最後まで持って行ってくれる。ヤン役のデニス・モーイェンとピアに扮するヤニナ・ウーゼは、飛びきりの美男美女ではないけど味のある好演を見せる。アンナ・マリア・ミューエにアクセル・シュタイン、シュテファン・ルカ、アレックスといった顔ぶれは馴染みは無いものの、いずれも満足出来るパフォーマンスを披露している。
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「集団左遷」

2024-09-15 06:36:37 | 映画の感想(さ行)
 94年製作の、東映による社会派映画。こういう題材がそれまでなかったのが不思議で、遅まきながら作られたことは評価しよう。何より感心したのは、ドラマが浪花節的なお涙頂戴劇に走るのを必死になって阻止しようという、スタッフの努力が伝わってくることだ。

 バブル崩壊後、業績不振に陥った不動産会社。経営側はリストラ要員の掃き溜めとして新設された“首都圏特販部”に50人を送り込み、達成不可能なノルマを課し、やり遂げなければ解雇に追い込もうとする。崖っぷちに立たされた“不良社員”たちの反撃なるか。監督は「ちょうちん」(87年)や「修羅場の人間学」(93年)などの梶間俊一。宣伝プロデューサーとして舛添要一が参加している。



 特販部の部長に選ばれたのは、副社長(津川雅彦)のスキャンダルを暴露しようとし、逆に閑職に追いやられた元重役(中村敦夫)。バブル期の強引なセールスが顰蹙を買い、総務課に飛ばされた課長(柴田恭兵)。ほかに、妻の重病を契機に家庭人間となった者(河原崎健三)や、退職寸前で事なかれ主義の係長(小坂一也)など、深い事情を抱えた人物が揃っており、やろうと思えばいくらでも大仰にウェットに仕上がるところだ。

 ところが、題材が題材だけに、そうはならない。ほとんどのメンバーが営業経験がなく、宣伝費はゼロ、クズみたいな物件を押しつけられ、おまけに経営者側のスパイがわずかなチャンスをも摘み取っていく。荒唐無稽というなかれ、けっこう現実と近かったりするのだ。サラリーマンの悲哀などゆっくり味わうヒマはなく、厳しい現実になりふり構わず抵抗する彼らの姿を容赦なく描くことによって、逆に組織の中で埋没しそうになる人間性をリアルに提示しようとしている。

 クライマックスは特販部の廃止を決める役員会での、特販部員と幹部との対決。副社長の元愛人の女子社員(高島礼子)の証言により、副社長の不正の数々が暴かれる。そして特販部スタッフがどんなに辛酸を嘗めたかも公表される。センチメンタルに盛り上がって当然の場面だ。しかし、ハッピーエンドには持って行かない。副社長の“貴様らのようなボンクラどもの食い扶持も、俺たちが頑張って稼いでやったんだぞ。少しばかり頑張ったからって、お前らが会社のお荷物だったことは間違いない!”という言い分も事実なのだ。

 柴田恭兵が副社長に怒りの鉄拳をぶちこもうとも、中村敦夫が病身を顧みず必死の説得をしようとも、カタルシスは生まれない。作者もそれを知っている。このやりとりは、重く苦い。結局、勝負の行方は“これ以外の結末はない”という形で終わる。

 それにしても、“どんなに惨めな仕事でも、与えられればやらずにはいられない、それがサラリーマンの悲しい性だ”という劇中のセリフには考えさせられた。見ようによっては食い足りない点も多々あるが、この頃の邦画の中ではかなりマシな部類である。なお、レゲエを大々的にフィーチャーした小玉和文の音楽は非常に見事だ。
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「ソウルの春」

2024-09-14 06:37:03 | 映画の感想(さ行)

 (英題:12.12:THE DAY )韓国映画の好調ぶりを改めて確認できる一本だ。特に本作のような、近現代史にスポットを当てた大掛かりなシャシンでは、まさに正攻法のアプローチに徹して弛緩する箇所は見当たらない。これがもしも現時点で日本映画が似たようなネタを取り上げたならば、演技面で難のある“若手タレント”が少なからずキャスティングされて感心しない出来になったことだろう。

 1979年10月26日、独裁者として悪名が高かった韓国大統領が側近に暗殺される。国民は民主的な政治体制に移行することを望んだが、暗殺事件の捜査責任者のチョン・ドゥグァン保安司令官は、次は自分が大統領の座に就いて強権を振るうことを望んでいた。彼は陸軍内の有志団体“ハナ会”の将校たちを引き連れて同年12月12日にクーデターを起こす。これに対して首都警備司令官イ・テシンは、事態を正常化すべくチョン・ドゥグァンの一派に敢然と立ち向かう。

 70年代末に発生した監督の政変を、フィクションを交えながら映画化。本国では2023年で最大のヒット作になった。史実ではわずか9時間ほどの攻防だったらしいが、迫真性は高い。もっとも、鎮圧側の具体的な動きについては正確な資料が見つかっていない。そこで監督のキム・ソンスをはじめとするホン・ウォンチャンとイ・ヨンジュンによるシナリオ製作陣は、いかにも“それらしい”話を構築させている。そして、それは成功していると言って良い。

 チョン・ドゥグァンが抱える微妙な屈託と、それに呼応する“ハナ会”の連中の理屈では割り切れない同属意識。もちろん、高潔な軍人として知られるイ・テシンの矜持は確かなものだが、言い換えればそれは軍律を遵守しているだけの堅物と片付けられる隙を見せている。後半、チョン・ドゥグァンが38度線に展開している空挺部隊をソウルに呼び寄せるくだりは、いかに彼らが国益よりも権力欲に囚われているがが活写され、しかもそれが当然のこととして扱われることを目撃するに及び、一面的な見方を拒否するほどの複雑系の有り様に感心するしかないのである。

 キム・ソンスの演出は強力で、次から次へとヘヴィなモチーフを畳み掛けてくる。まさに息もつかせない。主役のファン・ジョンミンとチョン・ウソンをはじめ、イ・ソンミンにパク・ヘジュン、キム・ソンギュン、チョン・マンシク、チョン・ヘインなど、大半がオッサンのキャストも相まって、求心力は高まる一方だ。それにしても、韓国が民主制に回帰するまでにそれから長い時間を要したことは、このエリアが抱える地政的状況の複雑さを痛感せずにはいられない。
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「ザ・ユニオン」

2024-09-08 06:38:31 | 映画の感想(さ行)

 (原題:THE UNION )2024年8月よりNetflixから配信。あまりにも脳天気なスパイ・アクションで、観ていて笑ってしまった。しかしながら主要キャストは有名どころを起用している。スタッフやキャストとしては、いわゆる“歩留まりが高い”仕事で、ヘタに劇場公開用の大作に出るよりも実入りが良いのかもしれない。確かに、本作を映画館でカネを払って観たら腹も立つだろうが、配信ならば許せてしまう。気軽に接すればそこそこ満足出来る内容だ。

 ニュージャージー州の田舎町に住むマイク・マッケンナは、中年ながら独身の建設作業員だ。人当たりは良く友人も多いが、何となく張り合いの無い日々を送っていた。そんなマイクの前に、高校時代の恋人ロクサーヌ・ホールが突然姿を現す。喜ぶ彼に彼女はいきなり鎮静剤を打って眠らせ、彼を拉致してしまう。

 マイクが目覚めたのは、ロンドンにある国際スパイ組織“ザ・ユニオン”の本部だった。この“ザ・ユニオン”は各国の情報部も手を焼く凶悪な陰謀を潰すために結成されたシンジケートだが、最近思わぬトラブルから多くのエージェントを失ったため、マイクを組織にスカウトしたのだ。マイクは戸惑いながらも、そのオファーを引き受ける。そして2週間の過酷な訓練の後、危険な任務に挑む。

 いくら建築の仕事で高所作業とバランス感覚に優れているとはいえ、ズブの素人であるマイクが2週間程度でスパイの荒仕事をこなせるわけがない。しかも、相手は人の命など何とも思わない国際的な経済ヤクザやテロリストどもだ。もちろん、手向かう奴は容赦なくブチ殺していかないと“ザ・ユニオン”の任務は達成できない。ニュージャージーの大工が容易くそこまでフッ切れるはずがないだろう。

 だが、ジュリアン・ファリノの演出は明朗そのもので、活劇場面は派手に盛り上がる。加えて、主演がマーク・ウォールバーグとハル・ベリーだ。そんな御膳立てならば、何も考えずに最後まで観ていられる。深く突っ込むのも野暮だとも思えてくるのだ。

 そして思わぬ黒幕(という割には意外性は希薄 ^^;)との大々的なバトルになる、舞台をイタリアに移しての終盤部分は、観光映画も顔負けの美しい映像をバックに展開し、観ていて得した気分になってくる。ジャッキー・アール・ヘイリーにJ・K・シモンズ、ロレイン・ブラッコといった脇の顔ぶれも多彩だ。ラストは何やら続編の製作も匂わせるが、本作同様に配信専用でコンバクトな尺に収めてくれれば、またチェックするかもしれない。
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「好きでも嫌いなあまのじゃく」

2024-08-02 06:30:30 | 映画の感想(さ行)

 2024年5月よりNetflixから配信されたアニメーション映画。スタジオコロリドという製作スタジオは知らなかったが、過去にいくつか注目作をリリースしているらしいので、この新作を敢えてチェックしてみた。結果は芳しくない。話自体が面白くないし、映像も何やら既視感を喚起させる。致命的なのはキャラクターに魅力が無いこと。これでは評価出来ない。

 山形県に住む高校1年生の八ッ瀬柊は、大人しくて消極的な性格だ。他人との接し方がよく分からず、自分から何かやろうとしても上手くいかない。夏なのに雪が降ってきたある日、柊は鬼の少女ツムギと出会う。彼女は人間の世界に母親を捜しに来たというのだ。成り行きで柊は彼女を家に泊めることになったのだが、ユキノカミと呼ばれるクリーチャーの襲撃を受け、2人は鬼たちの住処である“隠の郷”との出入り口になっているという日枝神社へと逃避行を始める。

 柊が素性の知れない女の子を迎え入れるだけではなく、一緒に当て所もない旅に出るという設定からして無理っぽい。柊が両親に連絡して事情を知らせる素振りが無いのも、明らかにおかしい。道中で2人が出会う者たちは“都合良く”親切で、今後の行き方のヒントを与えてくれる。たどり着いた“隠の郷”は、どのような“構造”になっているのかハッキリしないし、肝心のツムギの母親の所在も、どうしてそこなのか納得出来る説明はない。

 鬼とユキノカミとの関係性も“分かる者だけ分かれば良い”というレベルで、まるで詳説されない。そもそも、真夏に雪が降ってくること自体が異常であり、この時点で世の中がひっくり返るほどの騒ぎになって当然ながら、皆さほど問題意識も持たず受け入れているのも噴飯物だ。

 柊は優柔不断なだけの男子であり、ツムギは跳ねっ返りで活発な女子に過ぎず、何ら映画的興趣を呼び込む深い性格付けはされていない。他の登場人物も同様で、目を引くような面子は見当たらない。ユキノカミの外観や“隠の郷”の風景は、どこかで見たような趣であり、活劇シーンは凡庸だ。

 監督の柴山智隆はスタジオジブリ出身で、過去に「千と千尋の神隠し」の製作に参加したらしいが、見た目に新鮮味が無いのはそれも関係しているのかもしれない。山形県を舞台にしていながら、それほどローカル色が出ていないのも失当としか思えず。とにかく、何のために撮ったのか判然としないシャシンである。
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