保有しているアナログレコードの中で録音が優秀なものを紹介する。今回はなんと、アイドル歌謡三題(笑)。まずは松田聖子のアルバム「風立ちぬ」で、81年にリリースされている。なお、このディスクは通常のLP盤よりも重量が大きい“MASTER SOUND”シリーズの一枚で、オーディオファン向けに発売された限定盤だ。
知っての通り、松田聖子は当時CBSソニーが大々的に売り出していたシンガーで、レコード作りにも惜しみない予算が投入されていた。録音面でも十分に練り上げられており、その頃はクラシック音楽のレコーディングに使われ始めていたデジタル録音をいち早く取り入れるなど、その先見性にはオーディオマニアも注目したものだ。
本作はアナログ録音だが、楽曲のクォリティで言えば間違いなく彼女の代表作だ。特筆すべきはA面に収録された「冬の妖精」から「風立ちぬ」までの5曲を、大瀧詠一が作曲とサウンドプロデュース・編曲を担当していることである。大瀧はこのアルバムが発売される7か月前に「A LONG VACATION」(通称ロンバケ)という大ヒット作を生み出しているが、この「風立ちぬ」のA面はロンバケと対になることを意図したと自身が語っていたように、実に気合いの入った逸品に仕上がっている。録音もロンバケとは比べものにならないほどレベルが高い。
5つのナンバーがまるで組曲を形成するように配置され、アレンジも精緻を極めている。特に4曲目の「いちご畑でつかまえて」のラスト部分がフェードアウトすると思わせて、再びフェードインしラストの「風立ちぬ」になだれ込んでいく様子など、そのアイデアには舌を巻くばかりだ。財津和夫や鈴木茂、杉真理らが担当したB面も悪くないのだが、やはりこのアルバムのハイライトはA面に尽きると言っていい。
次に挙げるのが小泉今日子の「ヤマトナデシコ七変化」の12インチシングル。84年のリリースである。通常のシングル盤と同じく45回転でありながらLPサイズの形態を取っていた12インチシングル盤は、長いヴァージョンを収めるために当時は多くの種類がジャンルを問わず市場に出回っていたが、私の知る限り、邦楽で本作を超えるインパクトを持つディスクにはお目に掛かったことがない。
作詞が康珍化で作曲が筒美京平という盤石のスタッフによる本ナンバーは、言うまでもなくその頃の大ヒット曲である。この12インチシングルは通常版のほぼ2倍の演奏時間で、途中で“語り”が入ったり、中国語による合いの手が挿入されたり、ヘヴィメタル風のギターリフも大々的にフィーチャーされるという、まさにやりたい放題の怪作に仕上がっている。
そして録音だが、すこぶる優秀だ。冒頭の打ち込み系の強奏を聴いた途端、その音像の鮮明さと情報量の大きさが強く印象付けられる。三次元的に広がる音場と、ピンポイントで定位するヴォーカル、そのコンビネーションは絶妙。特に底が見えないかのような中低域の深々とした展開は、リスナーを驚愕せしめるだろう。なおB面には「艶姿ナミダ娘」のロングバージョンが収められているのだが、圧倒的なA面に比べると印象が薄いのは仕方がない。
最後に紹介するのが、今は演歌歌手として活躍している長山洋子がアイドルだった頃に出したシングル盤。桑田佳祐の作詞・作曲による「シャボン」というナンバーだ(発売は84年の8月)。もっとも、これは桑田が彼女のために書き下ろした曲ではなく、サザンオールスターズのナンバーのカバーである。
オリジナルはサザンの「人気者で行こう」というアルバムに収録されており、このディスクの中で一番メロディアスな楽曲である。ヴォーカルも桑田ではなく原由子が担当しており、柔らかい雰囲気を醸し出していた。この長山のヴァージョンはさらにウェットな歌謡曲的アレンジが施されており、それだけ端麗なメロディが前面に出ていると言える。
長山は元々歌唱力があり、聴いていて安心感がある。録音はかなりの高水準。特に高音の伸びは素晴らしい。全編に渡って取り入れられたストリングスが効果的で、しかもその音像は氷のようにクリアだ。広い音場に長山の艶やかなヴォーカルが展開する様子は、清涼な音色も相まってリスニングルームの空気まで浄化されるような印象を受ける。
今回挙げたディスクはいずれも80年代の作品だが、この頃の歌謡曲の録音水準は世界レベルだった。ちょうど音楽メディアの主流がアナログ盤からCDに移行し始めていたこともあり、ソースの音質が大きくクローズアップされていた時期でもある(オーディオが一種のブームだったことも見逃せない)。そのため、各レコード会社は音楽ソフトの高品質化に積極的に取り組んでいたようだ。レコード店でもアナログ盤とCDとが同時に置かれており、ユーザー側の選択肢も大きかった。今から考えると実に良い時代だったと思う。
対して、現在の邦楽の主流であるJ-POPの録音は劣悪だ。再生機器の簡便化に呼応するかのように楽曲レベルと音質は低下するばかりで、ネットからのダウンロードに至っては最初から情報量を間引いた圧縮音源がまかり通っている。音楽文化の一端を担うはずの流行歌が、まさに“安かろう悪かろう”といった完全に使い捨ての消耗品に成り果てているのだ。今こそ歌謡曲の方法論の復活が望まれよう。