元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「OLの愛汁 ラブジュース」

2013-07-31 20:00:52 | 映画の感想(英数)
 99年製作のピンク映画(製作は国映と新東宝の提携による)。ヒロインは28歳のOL(久保田あづみ)。失恋したばかりの彼女は、帰宅の電車の中で知り合った20歳の専門学校生(佐藤幹雄)と衝動的に関係を持ってしまう。半同棲状態になる二人だが、やがて互いの価値観の違いから関係に微妙なズレが生じてゆく。監督は“ピンク七福神”の一人であり、今でもコンスタントに作品を発表している田尻裕司。

 一時間程度の小品ながら、丁寧な登場人物の内面の汲み上げにより、見応えのある作品に仕上がっている。恋人に振られても“30歳近い自分にとって遊びの恋愛は出来ない”といった世間的しがらみから逃れられないヒロインと、“オレ、人間関係のリセットボタン持ってるから”と嘯く今風の若者との対比がまず面白い。

 互いのスタンスは双方に影響を与え合う。よく“人は自分に持っていないものを持っている者に惹かれる”と言われるが、それは事実だろう。ただし、刺激を受け合うだけの関係など長続きしない。そこから二人で何らかの創造的プロセスを歩むことに対しての合意がなければ恋愛は成就できない。



 そもそも人間関係ってのはリセット不可能だ。たとえ相手と会わなくなったとしても、確実にその記憶は残る。会う人々との関係性。その積み上げこそが人を人たらしめる要因だ。“本当の自分を探そう”なんていうのは欺瞞である。みずからを取り巻く“現状”以外に“自分”は存在しない。

 その意味で人間関係のリセットボタンなんていう言葉を口に出してしまうこの若者の方が、失恋はしたものの打ち込める仕事があって気のおけない友人(林由美香)もいるヒロインよりもずっと孤独である。でも、私はこんな野郎に同情はしない。ハッキリ言って嫌いだ。ヒロインがもっと突っ込んだ関係を望んだとき、彼はそそくさと逃げてしまう。しかし彼女の心には淡い希望が残る。このラスト近くの扱いは心に滲みた。

 ディテールが秀逸。最初のベッドシーンで佐藤幹雄がコンドームをごそごそと装着する場面をはじめ、ヒロインおよび彼女の友人の住むアパートの描写、彼女が公園で一人きりの昼食を取るシーンなど、生活感があってなかなかのリアリティだ。それだけに彼女が彼に髪を洗ってもらうシーンや、二人がベッドの上で朝を迎える場面などの情感あふれる美しさが際だっている。

 ヒロイン役の久保田あづみはかなりの美人で演技も上手い。相手役の佐藤幹雄もナイーヴな好演だ。なお、私は本作を某映画祭で観たのだが、国際映画祭出品用の英語字幕入りのプリントが使用され、使い回しでキズが入りやすい一般フィルムとは違うキレイな画面が堪能できた。蛇足だが、冒頭タイトルバックにかぶさる椎名林檎の歌は無断使用らしい(笑)。
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「モンスターズ・ユニバーシティ」

2013-07-30 06:11:03 | 映画の感想(ま行)
 (原題:MONSTERS UNIVERSITY )ヒットした「モンスターズ・インク」(2001年)のパート2を製作するに当たって“続編”ではなく“前日譚”を選んだというのは、どうも納得できない。

 マイクとサリーは後に仲良くなることは前作を観ていれば分かるし、そもそもマイクが“怖がらせ屋”として大成しないことも皆知っている。こういう“最初からネタバレしているような話”だと、物語世界の限界があらかじめ示されており、興趣に乏しくなると思うのだが・・・・。

 とはいえ、いくら“結果の分かった話”だろうと語り口が面白ければ文句は無い。しかし、本作はそのあたりがどうにも物足りない。何より致命的なのは、マイクとサリーの描き方に随分と差があることだ。

 学生時代のマイクは自らの愛嬌のあるルックスが“怖がらせ屋”として大きなハンディキャップであることに悩み、努力を重ねて何とか身の処し方を考えていく。そのプロセスは説得力がある。対してサリーは“名門”の出であり、生まれつきの才能は持ち合わせている。だが、その分傲慢で地道な鍛錬を軽視しているのだが、そんな態度を反省して悔い改めたりする様子がほとんど無い。大して悩まずに何となく(努力家で本来ソリが合わないはずの)マイクと仲良くなったりするのだから、観ていて居心地が悪くなる。

 モンスター・ユニバーシティにおいてエリートコースとされているのが“怖がらせ学部”だが、そこを除名処分になった二人が一発逆転を図るのが自治会主催の“怖がらせ大会”というのも、何か釈然としない。学生イベントなんかで学部復帰が決まるのならば、一般の正規カリキュラムとは一体何なのだと突っ込みを入れたくなる。

 また、ディズニーのアニメーションに付きもののハラハラドキドキのスペクタクル場面が見当たらないのも不満だ。まあ、人間世界に取り残されてしまった二人が脱出を図るシークエンスはあるが、あの程度では盛り上がらないだろう。

 技術的には前作よりも進歩しており、ビリー・クリスタルやジョン・グッドマン、スティーヴ・ブシェーミ、ヘレン・ミレンといった声の出演者も達者なのだが、気勢が上がらないままエンドマークを迎えてしまった。ヘタに“前日譚”なんか取り上げず、パート1から続くさらなる冒険をケレン味たっぷりに描いてくれればそれで良かったのだ。なお、同時上映の短編「ブルー・アンブレラ」は秀逸。こっちの方だけで入場料のモトは取ってしまいそうだ(笑)。
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「人間の証明」

2013-07-27 06:44:07 | 映画の感想(な行)
 77年作品。角川映画の大ヒット作ながら、出来はかなり悪い。東京のホテルで黒人青年が殺されたのをきっかけに、日米両国の戦後史の暗い部分が浮き彫りになる・・・・ような筋書きだが、どうでもいいような脇のモチーフが必要以上に多く、散漫な印象のまま“お涙頂戴”のラストに突入するという、何とも冴えないシャシンなのだ。

 岡田茉莉子に松田優作、夏八木勲、岩城滉一、竹下景子と豪華な顔ぶれを集め、脚本が松山善三で監督が佐藤純彌という有名どころのスタッフを揃えていながら、かくも低調な映画しか出来なかったというのは、プロデューサーの角川春樹の無能さ故だろう。ただしこの作品、内容そのものよりも、映画を取り巻いていた状況の方が興味深かったと思う。



 角川春樹の戦略は、徹底したメディアミックス路線であった。とにかく山のような広告費をつぎ込み、テレビCMも大量にオンエアさせ、キャッチコピーを流行語にまで押し上げる(もちろん、本業であった出版部門とのリンクは言うまでもない)。その洪水的な宣伝攻勢により“この映画を観なければ遅れている”というような風潮を世間的に作り上げる。いわば観客を催眠状態に置いて劇場に雪崩れ込ませるという、当時としては画期的なマーケティングを示していたことは間違いない。

 ところが、そういう新しいPR方法を提案したまではいいが、肝心の映画が古色蒼然とした“母もの”でしかなかったのは、脱力せざるを得なかった。おそらくは、プロデューサー側では“大量動員させる映画なんてのは、単純なメロドラマあたりがちょうど良い”という見くびった態度を取っていたのだろう。

 困ったことにこの手法はフジテレビをはじめとする放送メディアに引き継がれ、CMを頻繁に流して作品の知名度だけを上げ、映画の出来は二の次・三の次というスタイルが出来上がったのは嘆かわしいところだ。

 とはいえ、角川がこういう宣伝方法を取って邦画を興行的に活性化させなかったら、70年代後半からの日本映画の凋落ぶりはもっと大きかったと思われる。それを考えると複雑な気持ちになるのは確かである。

 さて、本作は“意味の無いニューヨーク・ロケ”が挿入されているが、これは後年の角川自身の映画に良く出てくる“意味の無い外国人の登場シーン”の嚆矢とも受け取られ、何とも愉快ならざる気分になってくる(爆)。
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「コン・ティキ」

2013-07-26 06:17:58 | 映画の感想(か行)

 (原題:Kon-Tiki)同じ海洋漂流もの(?)でも、以前観た「ライフ・オブ・パイ」みたいな腑抜けた映画とは違い、見応えがある。実録映画ということもあるが、何より作者のスタンスが“冷静”であるところが大きいと思う。いたずらにヒロイズムを持ち上げたり、主人公の業績に対して手放しの賞賛を示したりはしない。

 ノルウェーの人類学者トール・ヘイエルダールは、ポリネシア人の祖先がアジアから島伝いにやって来たのではなく、南米から海を渡ってやってきたのだと考えた。それを証明するため、古代の南米大陸で手に入る材料だけで大型の筏“コン・ティキ号”を建造し、1947年にペルーの港から5人のスタッフと共に出帆する。それは8,000キロにも及ぶ大冒険の始まりであった。

 子供の頃、確か学研の雑誌「○年の科学」に、この「コン・チキ号漂流記」の抜粋が載っていたことを思い出す。それは単なるアドベンチャーものとしての紹介ではなく、仮説→実験という科学的アプローチを学習するためのネタであった。この映画もそれを踏襲するかのごとく、航海中の展開はヘイエルダールの科学者としての立ち位置および“これは冒険ではなく、学術的な実証なのだ”というコンセプトから外れることはない。各乗組員のプロフィールに必要以上に立ち入ることも無く、淡々と事実だけを追っているように見える。

 ならば面白くないのかというと、そうではない。大海に浮かんだ“密室”の定点観測という意味で、リアルな興趣を醸し出しているのだ。またそれにより、人間と大自然との埋めることの出来ない距離感が浮き彫りにされてくる。

 そして本作の最大の手柄は、ヘイエルダールと彼との妻との関係性を隠し味のごとく挿入している点である。越えられない壁は人間と自然の間だけではなく、苦楽を共にしてきたはずの身近な者との間にも存在していたのだ。航海が終わってこの夫婦がどうなったのかは事実を参照してもらうとして、やはり(一般ピープルが思いも付かないような)何か大きな事をやろうとすると、私生活においては苦渋の選択を迫られるものなのだろう。

 監督のヨアヒム・ローニング&エスペン・サンドベリをはじめ、ヘイエルダール役のポール・スベーレ・バルハイム・ハーゲン、盟友ヘルマンに扮したアンダース・バースモー・クリスチャンセン、そしてヘイエルダールの妻に扮したアグネス・キッテルセンなど、馴染みの無いスタッフ・キャストばかりだが、皆良い仕事をしている。

 残念ながらポリネシア人の南米起源説はDNA鑑定などで否定されてしまったらしいが、大胆な仮説を“実現可能”というレベルにまで押し上げたヘイエルダールの偉業は、現在でも色褪せることはない。
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「ミュータント・フリークス」

2013-07-25 06:18:16 | 映画の感想(ま行)
 (原題:FREAKED )93年作品。コイツは面白い。まさに「裸の銃を持つ男」も「悪魔の毒々モンスター」もブッ飛ぶ“おちゃらけ映画”の決定版! このテの映画の最高ケッ作だ。

 若手の俳優がカネ欲しさに引き受けた仕事は、南米の某国に超有害な農薬を売り込むためのキャンペーンだった。ところが、途中で寄った見せ物小屋の変態支配人に捕まった俳優一行は、有害農薬によってフリークスにされてしまう。さて、どうなるのでしょうか・・・・、といったストーリー紹介はするだけ無駄。全篇これギャグとズッコケのオンパレードである。



 ひとつひとつネタを紹介していきたいのだが、文章にするとあまり面白さが伝わらないのでやめておく(爆)。ゲストにキアヌ・リーブスとブルック・シールズまで出ている。キアヌは“犬男”の役で、ほとんど出ずっぱりにもかかわらず、メイクが強烈過ぎて誰も本人とは気付かない(クレジットにも出てない)。ブルックはどういう役かといえば、こりゃもう観てのお楽しみ。大爆笑ものである。

 徹底的にグロい特殊メイクは見もので(スクリーミング・マッド・ジョージが担当)、特に冒頭タイトルの登場人物がじゅるじゅるになっていく処理は見事。BGMは当然ヘヴィメタルである。

 全体的にシロートさんにもわかるギャグと、ホラー映画マニアにしかわからない“おたくギャグ”が絶妙のコンビネーションを見せており、「ホット・ショット」などという“低能トホホ映画”とは一線を画している。誰にでも薦められるヘンタイお笑いムービーだ。監督は「ビルとテッドの大冒険」などに出ていた、俳優でもあるアレックス・ウィンター。

 なお私は本作を東京国際ファンタスティック映画祭で観ているが、とうとう日本では封切られなかった。しかも、ビデオ化も見送られている。ひょっとすると現時点で公開すれば、カルト映画として評判になるかもしれない。
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「欲望のバージニア」

2013-07-24 06:18:03 | 映画の感想(や行)

 (原題:LAWLESS )以前観た「L.A.ギャングストーリー」と、印象はほとんど一緒だ。つまりこれは、娯楽西部劇である。時事ネタとか大仰なテーマ性とか、そういう柵から距離を置き、単純明快な割り切り方で観客を楽しませることに徹している。史実を元にしているあたりも共通していると言えよう。

 禁酒法が敷かれていた1930年代。バージニア州フランクリンは、世界有数の密造酒の産地だった。中でも幅を利かせていたのが、怪力で大酒飲みの長男ハワードと才気走った次男のフォレスト、そして野望を持ってはいるが線の細い三男ジャックから成るボンデュラント3兄弟である。

 当局側とは付かず離れずの関係を築き、果敢な営業活動で高収益を挙げていた。ところがある日新任の特別取締官レイクスがこの地区の担当として着任し、密造酒業者達を締め上げに掛かる。その遣り口はヤクザ顔負けで、目的のためならば脅迫や人殺しも平気でおこなう。当初は上手くやり過ごそうと構えていた3兄弟だが、身近な人々が犠牲になるに及び、とうとう堪忍袋の緒が切れる。

 勝因はキャラクターが立っていることだろう。3兄弟は過去に修羅場を何度も潜り、そのたびに復活を遂げ、人々から“不死身”と呼ばれている。事実、そのタフネスは観ていて笑ってしまうほど凄い。

 本来ならば“絵空事に過ぎる”と突っ込みを入れるところだが、3人の性格設定が上手い具合にそれぞれをカバーするようになっており、一人ずつでは大したことが無くても兄弟揃えば“何かあるぞ”と思わせてしまうあたりは納得してしまった。特に次男フォレストの、剛胆でありながら惚れた女に対しては奥手であるところはチャーミング度を大幅アップさせている(笑)。

 「ザ・ロード」などで知られるジョン・ヒルコートの演出は取り立てて技巧的に優れている点があるわけではないが、ドラマを停滞させないだけのテンポの良さと丁寧にシークエンスを積み上げる手堅さは評価出来る。そしてアクション場面にはキレの良さも見せる。

 フォレスト役のトム・ハーディ、ハワードに扮するジェイソン・クラーク、そしてジャックを演じるシャイア・ラブーフ、いずれも好演だ。敵役はガイ・ピアースだが、これが実に憎々しくてアクが強くて出色である。ジェシカ・チャステインやミア・ワシコウスカなどの女優陣も良い。

 禁酒法時代が終わり、エピローグで3兄弟の“その後”が語られるが、不死身伝説が思いがけない形でエンドマークを迎えると共に、ラストのクレジットで実際の3兄弟の写真が紹介されるに及び、鑑賞後の味わいはなかなか深いものがある。
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Zonotoneのスピーカーケーブルを使ってみた。

2013-07-23 06:19:27 | プア・オーディオへの招待

 スピーカーケーブルを一組調達したので使用感をリポートしたい。先日ディーラーに“保有しているスピーカーがKEFLS50だが、これに合うケーブルを教えて欲しい”と伝えたところ、奨めてくれたのがZonotoneの6NSP-2200S Meisterだ。

 Zonotoneというのは国内メーカーで、以前Ortfonの日本法人に所属していた技術スタッフが独立して発足させたブランドである。販売拠点は幅広く、家電量販店であっても単品オーディオ機器を扱っているところにはZonotone製品は置かれている。ただし、ブランド名が主宰者の名前から由来していることも考え合わせると、実質的にはエンジニア個人の嗜好が色濃く反映された商品展開をしているという見方も出来る。

 実際に繋げて音を出してみると、私が常用しているBeldenなどの業務用ケーブルとはかなり違うテイストを持っていることが分かる。もちろん業務用と民生用とでは音の組み立て方が異なるが、このZonotoneは(私の知る限り)他の民生用ケーブルとも似ていない。独特の個性を演出している。

 音場が横方向に広い。各音像はそれに応じてフラットに並んでいるという感じだ。ならば奥行きに乏しい平板な音なのかというと、そうでもない。音像のエッジ及び付帯音を細かく表現しているような“味付け”が施されているためか、前後方向の狭さが巧みにカバーされている感じだ。

 感心したのは、別の国内ブランドの製品のようにハイファイ度を強調するあまり妙に聴き辛い展開には持って行っていないこと。帯域面でのフラット路線が堅持されているようだ。

 ただし、中域を重視した欧米製ケーブル(まあ、全てそうではないと思うが ^^;)に比べると、ヴォーカルは引っ込んだ感じがする。それに、繋ぐシステムによってヴォーカルのサ行がキツくなる。私のシステムでも当初はサ行がいたずらに強調されて閉口したが、プレーヤーとアンプとを繋ぐRCAケーブルを硬めの音が出るMOGAMIの2534から別のものに替えると、気にならない程度に改善された。なお、手持ちのRCAケーブルの中では吉田苑のLSSCが相性が良かった。

 皮膜は硬く、芯線を出すのに苦労する。また、接続する際に無造作に扱うと芯線が数本切れたりするので要注意だ。

 高純度の素材を採用しているせいか、音には“着色”が感じられるが、不愉快になるほどではない。解像度は確保されているので、たとえばスピーカーに付属しているケーブルからこのZonotoneにチェンジするとかなりの音質アップが分かりやすい形で示されると思うので、初心者にも奨められるだろう。
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「錆びたナイフ」

2013-07-20 06:44:33 | 映画の感想(さ行)
 昭和33年日活作品。福岡市総合図書館映像ホール「シネラ」での特集上映にて観賞。石原慎太郎の原作を、彼自身と舛田利雄が脚色し、舛田が監督した往年の日活アクションドラマの一編だ。観た印象としては“古い”と言わざるを得ないが、出ている面子のスター性により、無視できない存在感を発揮している。

 舞台は新興の工業都市。ここで運輸会社を営む勝又は、実は地元のヤクザの大物でもある。事件が起こるたびに参考人として何度も警察に呼び出されるが、当局側も決め手を欠き、起訴に追い込めない。そんな中、5年前に自殺した市会議員は他殺だという投書が検察に届く。これを書いた島原はその事件を目撃しており、他に橘と寺田という二人の男も一緒だったという。しかし、ヤクザ側をも強請ろうとした島原は、何者かによって列車から突き落され死亡。その魔の手は今ではバーを経営している橘と、そこで働いている寺田にも迫ってくる。

 随分と突っ込みどころの多い作劇だ(笑)。警察署の周りではライフルを持った悪者が徘徊し、追跡するため主人公が飛び乗った他人の車にはなぜかキーが付いたままだし、拘留された容疑者は怪しい奴が差し入れた毒まんじゅうを食べて死んでしまう。黒幕の存在は取って付けたようだし、しかも終盤の決着の付け方はワケが分からない。ダンプカー同士のカーチェイスという見せ場もあるのだが、車の動きとハンドルの切り方が全然シンクロしておらず、思わず失笑してしまった。

 ところが、出演している連中が醸し出すオーラを見せつけられると、そんなことは笑って許してしまいたくなる。主演の石原裕次郎はやっぱり“華”があり、演技が多少大根でも観ていて引きつけられてしまう。しかも、若い頃の小林旭や宍戸錠も顔を揃えているのだから、言うことなしだ。

 勝又には杉浦直樹が扮しているが、これがまた“垢抜けているのに凄味がある”という出色の悪役ぶり。北原三枝や白木マリの女優陣も悪くないのだが、野郎共と比べると影が薄いのは仕方がない。そして特筆すべきは音楽で、上原賢六の作曲による有名な主題歌もさることながら、佐藤勝のスコアが迫力満点で光っている。

 昭和33年といえば、映画興業が最高の収益を上げた時期でもある。その一翼を担っていたのが、こういう“スター映画”だったのだろう。今では通用しない方法論であることは分かるが、無くなってしまったのは何とも寂しく思う。
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津和野に行ってきた。

2013-07-19 06:12:32 | その他
 先日、“山陰の小京都”と呼ばれる島根県津和野町に行ってきた。私が前に訪れたのは学生の頃なので、随分と久しぶりだ。

 鯉が泳ぐ掘割がある殿町通りや太皷谷稲成神社、森鴎外旧宅、永明寺など多くの観光スポットがある。ちょうど週末だったこともあって観光客は多かったが、残念なことに昼過ぎから大雨に見舞われ、あまり見て回ることが出来なかった。



 本降りになったのが山沿いにある乙女峠マリア聖堂に着いた時点だったので、狭い山道をどうやって無事に戻れるのかと心配になってしまったが、何とか帰り着くことが出来た(笑)。雨のためにリフトに乗って津和野城跡まで行く予定を断念せざるを得なかったのが悔やまれる。

 JRの津和野駅はSL「やまぐち号」の終着駅でもある。山口線の沿線にはかなりの数の鉄道マニアがカメラ片手に陣取っていたが、その場の雰囲気に呑まれたせいか、いつの間にか鉄道ファンでもない私も走る蒸気機関車にカメラを向けていた(爆)。



 蒸気機関車といえば、昔は写真を撮るだけではなく、テープレコーダーを抱えて走行音や汽笛を録音するサウンドマニアも少なくなかった。ラジオ番組でも聴取者のそんな“作品”を発表するコーナーがあったことを思い出す。

 山の幸を主体にした昼食は殊の外おいしかったし、土産に買った菓子“源氏巻”も値段の割に風味が良い。天候はイマイチだったが、福岡県から日帰りで行ける観光地としてはこの町の魅力は大きいと思う。
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「さよなら渓谷」

2013-07-15 06:11:52 | 映画の感想(さ行)

 この作品の唯一最大の欠点は、主演女優のキャスティングだ。真木よう子は救いようが無いほど大根である。セリフは棒読み。表情が乏しい。身体のキレも悪い。ついでに言えば、肌が汚い。取り柄はオッパイが大きいことだけ(爆)。

 どうして彼女のような実力も才能も無く、(バストを除いた)ルックスも見栄えしない俳優が、スクリーンの真ん中でデカい面をしていられるのかと、困惑すること小一時間という感じだ。おまけにエンドクレジットでは下手な歌まで披露しており、マジで“何とかして欲しい”と思ったものだ。

 渓谷に近い山間の街で幼児殺害事件が発生する。その容疑者として、被害児童の母親が逮捕されるが、隣に住む尾崎が事件に関与しているのではないかという疑いが浮上。その妻・かなこと共に警察とマスコミにマークされることになるが、実はこの二人には意外な過去があった。

 吉田修一の同名小説の映画化で、監督は大森立嗣。いかにもこの演出家らしい、的確なプロットの積み上げときめ細かなディテールの配備が印象的だ。尾崎は大学時代に野球部に所属し、将来を嘱望された実力の持ち主であったが、一時の気の迷いで引き起こしてしまったレイプ事件で、すべてを棒に振ってしまう。事件を追う雑誌記者も、昔は実業団で活躍したラグビー選手だったが、ケガのために引退とリストラに追いやられてしまう。妻との仲も最悪だ。

 共に鬱屈した日々を送る二組の夫婦を対比させることにより、人間関係の玄妙さを浮き彫りにしようという構成は悪くない。映像の切り取り方、演出のリズム、共に及第点だ。

 監督の実弟でもある記者役の大森南朋は好演で、ヒリヒリするようなコンプレックスをさらけ出している点は出色である。妻に扮する鶴田真由の、行き場の無い欲求不満ぶりも見事。若手記者役の鈴木杏や、井浦新、新井浩文といった脇の面子も申し分ない。だが、肝心の主役が“あの体たらく”では、映画が輝きを持つには至らない。

 実を言えば、尾崎役の大西信満の仕事ぶりも大したことはなく、可も無く不可も無い“普通の演技”である。しかし、超大根の真木と並ぶと“けっこう上手い演技”に見えてしまうのが悲しい(笑)。

 幸か不幸か、この映画は先のモスクワ国際映画祭で特別賞に輝いている。困ったことに主演の真木は“一生、女優を辞めたくない”との決意を新たにしたらしい(呆)。それにしても、この真木をはじめ30歳代の女優には、(一部を除いて)ロクな人材がいない。20歳代にはあれだけ逸材が揃っているのに、この格差はいったい何なのだと思ってしまった。
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