元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ルー・ガルー 人狼を探せ!」

2025-01-26 06:06:20 | 映画の感想(ら行)

 (原題:LOUPS-GAROUS)2024年10月よりNetflixから配信されたフランス製のファンタジーコメディ映画。正直言って、あまり上等なシャシンではない。劇場でカネ取ってこの程度のものを見せられれば腹も立つだろう。だが、テレビ画面だと何とか我慢は出来る。一種のタイムスリップ物としてのテイストも盛り込まれていて、その興趣は確かにあると思う。

 田舎町に住む一家が、ある日偶然に古びたボードゲームを見つける。早速皆でプレイしてみると、何と15世紀末に全員タイムスリップしてしまう。元の時代に戻るには、毎晩姿を現す恐ろしい人狼(じんろう)たちを退治し、そいつらが持っているカードをすべてボードに装着しなければならない。また、どういうわけか一家にはその世界では特殊能力が備わっており、彼らはそれを駆使して人狼に立ち向かう。

 この設定はアメリカ映画「ジュマンジ」(95年)からの流用だと思う視聴者も多いだろう。だが、出来の方は“本家”には及ばない。そもそも。主なモチーフは「ジュマンジ」で出尽くしていて、現時点でこのネタをやるのは“証文の出し遅れ”だろう。もっとも作り手の方はそれを承知しているらしく、何とか新味を出そうと腐心している。それは、この一家の構成だ。

 主のフランクとスザンヌの夫婦は共に再婚。それぞれに連れ子がいて、肌の色も違う。そしてスザンヌは弁護士だ。そんなプロフィールを中世の人間に説明しても、誰も理解しない。それどころか、読み書きが出来る女性は魔女扱いされる始末。そのあたりのギャップが笑いを呼び込むが、映画全体を押し上げるほどではない。

 監督および脚本担当はフランソワ・ユザンなる人物だが、才気も個性もさほど感じられない。クライマックスのバトルシーンはそこそこ盛り上がるものの、やはりハリウッド作品などと比べると見劣りするのは否めない。ラストに用意されているオチも、大して効果的ではない。

 とはいえ、祖父役としてジャン・レノが出ているのは注目すべき点だ。彼もいつの間にか70歳を超えていて、劇中では認知症に罹患したキャラクターだが、中世にタイムスリップした時には健常者になって活躍するのだから、けっこう感慨深い。スザンヌ・クレマンにリサ・ド・クート・テシェイラ、アリゼ・クニー、ラファエル・ロマンといったその他のキャストは馴染みはないが、皆破綻のない仕事ぶりだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ルート29」

2024-12-07 06:41:06 | 映画の感想(ら行)
 快作「こちらあみ子」(2022年)でデビューした森井勇佑監督の第二作ということで大いに期待したが、話にならない内容で落胆した。キャリアの浅い者が、早々と“作家性”とやらを前面に打ち出そうとするケースは少なくないとは思う。しかし、そこをしっかりと制御するのがプロデューサーの役目であるはずだ。今回のケースは、その職務を果たしているようには見えない。とにかく、オススメ出来ない映画だ。

 鳥取市で清掃員として働いている中井のり子は、他人と上手くコミュニケーションを取ることができず、いつも一人だった。ある日、彼女は仕事で訪れた病院の入院患者の木村理映子から「“姫路市に住んでいるはずの娘のハルを連れてきてほしい”と頼まれる。早速姫路へと向かったのり子は何とかハルを見つけるが、ハルは一筋縄ではいかない変わった女の子だった。森の中で自給自足みたいな生活を送り、初対面ののり子に勝手に“トンボ”というあだ名をつける。それでものり子はハルを連れて、姫路と鳥取を結ぶ国道29号線を進む。



 登場人物は正体の掴めない者ばかり。意味不明な風体で、言動も意味不明。そもそも、人付き合いの苦手なはずのヒロインが突如として入院患者の願いを聞き入れた理由が分からない。ハルがのり子につけた“トンボ”というニックネームの由来の説明も無く、旅の途中で出会う老人や野外生活を続ける親子、怪しい赤い服の女の行方など、すべてが途中で放り出されたような描き方だ。

 ネット上での評価をチェックすると“難解だ。分からない”といった声が少なくないようだが、これは別に観る者に理解が必要なシャシンではないだろう。作っている側としては、単に“(個人的に)撮っていて気持ちの良い絵柄”を綴っただけの話で、観る側にすれば理解する筋合いは無い。勝手にやってろという感じだ。

 のり子に扮する綾瀬はるかは“新境地”を開拓するかのように頑張っているが、ストーリーと演出がこの体たらくなので“ご苦労さん”と言うしかない。ハルは「こちらあみ子」の主役で鮮烈な印象を残した大沢一菜が連続して登板しているものの、役柄が絵空事である分、前回より存在感は後退している。

 伊佐山ひろ子に高良健吾、河井青葉、渡辺美佐子、市川実日子など面子自体は悪くはないが、いずれも効果的な使われ方はされていない。また何より困ったのは、基本的には題名通り国道29号線を踏破する話であるにもかかわらず、途中で脇道に逸れたりして、ロードムービーとしての興趣が出ていないこと。繰り返すが、プロデューサーは演出者の手綱を引き締めるべく、ちゃんと仕事をして欲しい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「レディ・オア・ノット」

2024-12-01 06:30:07 | 映画の感想(ら行)
 (原題:READY OR NOT)2019年作品。お手軽なホラー編の佇まいで、普通は映画館での鑑賞対象外である。だが、配信のリストに入っていたので何となくチェックしてみた。結果、特別上等なシャシンではないものの、取り敢えずは退屈せずに最後まで付き合えた。上映時間が95分と短めなのも丁度良い。

 サバイバルゲームの製造販売で巨万の富を築いてきたル・ドマス家の御曹司アレックスと結婚したばかりのグレースは、一族に認めてもらうための伝統儀式に参加させられる。それは一族全員(使用人も含む)で実施される屋敷内での“かくれんぼ”だった。しかも隠れるのはグレースだけで、他のメンバーは武器を持って彼女の命を狙う。夜明けまで逃げきれたら彼女の“勝ち”らしい。本来彼女を守るべき新郎は早々に拘束され、いくらか頼りになるのは義兄のダニエルだけ。果たして、命がけのデスゲームをグレースは乗り切れるのか。



 グレースは腕に覚えがあるわけではなく、気が強いだけの普通の女だ。そんなヒロインが窮地に追い込まれ、ついに開き直って手段を選ばないスタンスに転じるあたりが、まあ面白いところか。ならば彼女の命を狙う連中はどうかといえば、いわゆる殺しのプロは一人もおらず素人ばかりなのは笑える。使う凶器もレトロなものばかりだ。

 結果として雰囲気は脱力系の方向に振れており、観る者の神経を特別逆撫でするようなモチーフが無いのは作品のマーケティング上有利だったもしれない。映画は終盤近くでオカルト趣味が突如満載になるのも御愛敬か。マット・ベティネッリ=オルピンとタイラー・ジレットの演出は、まあ及第点だろう。少なくともスピード感はある。主役のサマラ・ウィーヴィングは熱演。関係ないけど、彼女はちょっとエマ・ストーンに似ていると思う(笑)。

 アダム・ブロディにマーク・オブライエン、ヘンリー・ツェーニーといった脇の面子も悪くはない。義母役のアンディ・マクダウェルは久々に見たような気がした。一家の主に扮したニッキー・グァダーニは不気味でよろしい。ロケに使われた古い大邸宅はカナダのオンタリオ州オシャワにあるパークウッド・エステートで、雰囲気たっぷりだ。なお、この屋敷は「ジュラシック・ワールド 炎の王国」(2018年)の撮影にも使われたらしい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ランサム 非公式作戦」

2024-10-05 06:30:11 | 映画の感想(ら行)
 (英題:RANSOMED)先日観た「ソウルの春」では韓国映画のパワーを実感したが、本作のヴォルテージはそれを上回る。少なくとも、娯楽映画としては「ソウルの春」よりも優れていると言えよう。こういうシャシンは今の日本ではまず作れないし、ひょっとしたらハリウッドでも難しいかもしれない。とにかく、130分あまりの尺を一時もダレることなく楽しませてくれる。

 75年から90年にかけて断続的に発生したレバノン内戦。その間に首都ベイルートで韓国人外交官が行方不明になる。それから数年後、現任の外交官イ・ミンジュンは、その消えた外交官が武装組織に拉致されており、人質として生きているという情報を掴む。外交部長官の密命により、身代金を持って単身ベイルートへと出向いたミンジュンだったが、早速大金を狙ったギャングに襲われる。



 そこで偶然彼を救ったのが、韓国人のタクシー運転手キム・パンスだった。帰国のビザを出すことを条件にミンジュンに協力を持ち掛けたパンスと、渋々ながら行動を共にすることになったミンジュンは、極限状態にあるベイルートを人質奪還のために突き進んでいく。

 まず、キャラクターが良い。深夜うっかり人質からの電話を受けてしまったばかりに単身ヘヴィな場所に派遣されるハメになった小市民的ヒラ官僚のミンジュンと、成り行きでレバノンから出られなくなってタクシー運転手として糊口を凌いでいるパンスとのコンビは、まさに絶妙。スムーズに連帯感を醸し出せるはずもなく、隙あらばスタンドプレイに走る。ただ、こうした疑心暗鬼の果てに本物の仲間意識のようなものが形成されるという、そのプロセスの見事なこと。

 現地の武装組織も一枚岩では無く、金を横取りしようとする軍の連中も加わって、まさに仁義なき戦いが全面展開。さらには韓国側では外交部と安企部との確執が繰り広げられ、ブローカー役を買って出るスイス在住の黒幕みたいな奴まで出てきて、先の読めない群像劇が繰り広げられる。主人公2人が遭遇するトラブルは、いずれも絶体絶命のレベル。それが息もつかせず手を変え品を変えて畳み掛けてくるのだから、もう退屈するヒマも無い。

 キム・ソンフンの演出は強靱で、活劇シーンでは一点の緩みも見せず観る者を引き込んでゆく。そして終盤での思いがけない筋書きには、感心するしかない。主演のハ・ジョンウとチュ・ジフンは絶好調。身体のキレも表情の豊かさも及第点以上に達している。バーン・ゴードンやマルチン・ドロチンスキ、ニスリン・アダム、フェド・ベンシェムシなど他のキャストも存在感が強い。さて、直近のニュースではイスラエル軍がレバノンを空爆し、多数の犠牲者が出たことが報じられていた。この地域では、戦火が途絶えることは無いのだろう。だが、それでも平和を望まずにはいられない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「レベル・リッジ」

2024-09-30 06:33:35 | 映画の感想(ら行)
 (原題:REBEL RIDGE )2024年9月よりNetflixから配信。設定だけ見ると、これはシルヴェスター・スタローン主演テッド・コッチェフ監督による「ランボー」(82年)と似た話だと思われがちだが、中身は違う。「ランボー」は帰還兵である主人公を取り巻く情勢に関していくらか言及されていたとはいえ、映画はランボー自身の逆境と苦悩に主眼が置かれていた。対して本作が取り上げているのは、現時点での社会的不条理そのものだ。活劇物としては及第点に達していないかもしれないが、存在価値はある。

 ルイジアナ州の田舎町。元海兵隊員のテリー・リッチモンドは、拘留されている従兄弟のために、保釈金を手に地元の司法当局に向かっていた。ところがパトロール中の警官に因縁を付けられて、準備した現金の入った袋を不当に押収されてしまう。納得出来ないテリーは、司法研修生のサマー・マクブライドと協力して事態の打開を図ろうとする。すると浮かび上がってきたのは、地元警察およびそれを取り巻く状況の腐敗ぶりだった。

 テリーはスタローン御大が演じたランボーのように派手に暴れ回るわけではない。現役時代は特殊部隊に属していて腕に覚えはあるが、今では単なる民間人だ。問答無用で銃をぶっ放してくる警官たちに対しても、節度を守らざるを得ない。だから殺傷性の低い道具で対峙せざるを得ず、バトルシーンは盛り上がりを欠く。

 それでも強く印象付けられるのは、この地域が構造的に抱える問題だ。州当局はこんな僻地の警察署に予算を回す気は無い。めぼしい産業も見当たらないこの地域に待ち受けるのは、他地域との合併による要員のリストラだろう。だから警察としては現金および銃火器の不法な没収や、拘留期限の誤魔化しによる検挙率の水増しに走る。

 もはや警察は治安維持機能を持ち合わせない“反社会組織”に成り果てている。これが真実なのかどうかは我々部外者には分からないが、映し出される南部の草臥れて寂れた状況を見れば、さもありなんと思わせる。脚本も担当したジェレミー・ソルニエの演出はそれほどスムーズではないが、問題意識の抽出に腐心していることは十分窺われる。

 主演のアーロン・ピエールは不貞不貞しい好演。当初は物腰は柔らかいが、次第に本性を現していくあたりの表現は上手いと思う。ドン・ジョンソンにジェームズ・クロムウェル、ジャネイ・ジャイといった脇のキャストも申し分ない。なお、サマーに扮しているのがアナソフィア・ロブだというのは少し驚いた。十代の頃の彼女しか知らなかったが、見た目も演技も成長の跡が見える。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ラストマイル」

2024-09-28 06:34:56 | 映画の感想(ら行)
 取り敢えず最後まで退屈せずにスクリーンに向き合えたが、正直“こういう映画の作り方ってアリなのか?”という違和感を拭いきれない。確かにカネは掛かっているものの、これは地上波か配信でテレビ画面で鑑賞すべきシャシンではないかと思う。しかも、これが最近の(実写の)邦画では珍しくヒットを飛ばしているという事実を見るに及び、日本映画を取り巻く環境について改めて考え込んでしまった。

 世界最大のショッピングサイトが仕掛けるイベントの一つである11月のブラックフライデーの前夜、関東物流センターから一般消費者に配送された荷物が爆発し。犠牲書が出るという事件が発生。さらに同様のアクシデントは連続して起こり、当該サイトや運送業者は窮地に陥る。関東センター長に着任したばかりの舟渡エレナは、チームマネージャーの梨本孔と共に解決を図ろうとするが、やがて事件の背景には数年前の労務災害が関係していることが明らかになる。



 塚原あゆ子の演出はスムーズで、物語が滞ることはない。野木亜紀子による脚本も、散りばめられた伏線はほとんど回収され、大きな瑕疵は無いように見える。しかし、ここで取り上げられている物流業界やネット通販関係の中に蔓延するブラックな様態とか、儲け主義を優先するあまり人権が軽視されている社会的風潮とかいった重大なモチーフに思いを馳せる観客は、ほとんどいないだろう。なぜなら、これはTVドラマの拡大版とほぼ同じ立ち位置で作られているからだ。

 私は本作を観るまで知らなかったのだが、これはTBSの人気ドラマ「アンナチュラル」及び「MIU404」と世界線で起きた事件を扱っているらしい(私はどちらも未見で内容も知らない)。だから、脇のエピソードに必要以上にスポットが当たっており、意味も無く配役も豪華だ。元ネタのドラマを少しでも関知している向きならば敏感に反応してしまうのだろうが、そうではない私は不自然としか思えない。だから、映画としては物足りない。

 本気で社会派の題材を扱おうとするならば、テレビ版に寄りかかったような余計な“お遊び”は不要だ。もっとも、そうなると広範囲な観客は呼べないという意見もあろうが、正攻法を突き詰めて高評価を得るようなレベルまで引き上げていれば、それはそれで存在価値がある。

 及び腰な姿勢でライト層にアピールすればそれでヨシとする送り手と、映画に多くを求めていない観客との“共犯関係”が罷り通っている状況では、韓国映画あたりにはとても追いつかないだろう。主演の満島ひかりと岡田将生は悪くはないが、彼らとしては(特に満島は)“軽くこなした”というレベルだろう。他のキャストは多彩だが、何やら“総ゲスト出演”という空気は拭いきれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「リオ・ブラボー」

2024-08-19 06:40:40 | 映画の感想(ら行)

 (原題:RIO BRAVO )1959年作品。名匠と言われたハワード・ホークス監督が、フレッド・ジンネマン監督の「真昼の決闘」(1952年)に描かれた保安官像に不満を持ち、ジョン・ウェインを主役に据えて撮り上げた、ジンネマン作品へのアンチ・テーゼと言われる西部劇らしい。しかし「真昼の決闘」の革新性は今でも際立っているのに対し、本作は影が薄いように思う。とはいえ公開当時は大評判になったらしく、娯楽作品としては成功したと認めて良いだろう。

 テキサス州南部のメキシコ国境に近い町リオ・ブラボーの酒場で、客同士のトラブルが発生。そこに介入したならず者のジョーが、堅気の者を射殺する。保安官のジョン・T・チャンスはジョーを投獄するが、ジョーの兄ネイサンは多くの殺し屋を雇い入れ、町を封鎖してしまう。孤立したチャンスは連邦保安官が到着するまでの間、数人の仲間と共にネイサンの一味に戦いを挑む。

 設定だけ見ればスリリングなバトルものという印象を受けるが、語り口は緩い。展開は遅く、場面展開は意外なほど少ない。しかも室内のシーンが多いせいか、何やら演芸場の舞台を観ているようだ。結果として2時間20分という、この手のシャシンとしては無駄に長い尺になっている。ならば面白くないのかというと、決してそうではないのが玄妙なところだ。

 ウェイン御大が演じるチャンスをはじめ、以前は凄腕だったが失恋してから酒に溺れてロクに銃も持てない助手のデュード、若くて生意気だが腕の立つコロラド、片足が不自由な御老体ながらオヤジギャグと射撃に長けたスタンピー、そして偶然この地に逗留することになったショーガールのフェザーズら、キャラが異様に“立って”いる面子が勢揃いして持ち味を発揮しているのだから、ほとんど退屈しない。

 しかも、ディミトリ・ティオムキンによる有名なテーマ曲をはじめ、登場人物たちが歌うナンバーが実にチャーミングなのだ。クライマックスはもちろんネイサンの一派との撃ち合いになるのだが、けっこう段取りが考え抜かれていて感心する。まあ、敵方があまり強くないのは難点だが、それでも存分に見せてくれる。

 ディーン・マーティンにリッキー・ネルソン、ウォルター・ブレナン、ジョン・ラッセル、クロード・エイキンスら、役者も揃っている。また、フェザーズを演じる若い頃のアンジー・ディキンソンは本当に素敵だ。なお、石ノ森章太郎の代表作である「秘密戦隊ゴレンジャー」は、この映画をヒントにしているとか。確かに主人公たち5人の設定は、戦隊ものにピッタリかもしれない(笑)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「落下の解剖学」

2024-03-17 06:08:56 | 映画の感想(ら行)
 (原題:ANATOMIE D'UNE CHUTE)設定に無理がある。裁判のシーンが劇中でかなりの時間をかけて描かれているのだが、よく考えると、この法廷劇自体が噴飯物なのである。裁判所でのやり取りに重きを置きたいのならば、それ相応の段取りを整えなければならない。ところが本作はそのあたりが“底抜け”と言わざるを得ない。第76回カンヌ国際映画祭での大賞受賞作ながら、有名アワードを獲得した作品が良い映画とは限らないことを改めて実感した。

 フランス南東部の人里離れた雪山(ロケ地はオーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏)の山荘で、目が不自由な11歳の少年が愛犬との散歩中、血を流して倒れていた父親を“発見”する。父親はすでに息絶えており、当初は転落死と思われたが不審な点も多く、夫婦仲がイマイチだったことが明らかになり、妻である有名作家のサンドラに嫌疑が掛かる。やがて彼女は逮捕起訴され、裁判がおこなわれる。



 そもそも、この“事件”には状況証拠らしきものはあるが、物的証拠は何一つ無い。さらに唯一の“目撃者”と思われる息子は目が見えない。このような状態で逮捕されるはずもなく、ましてや刑事案件として起訴される必然性は皆無だ。こんなあやふやな状況での裁判など、最初から有り得ないのである。百歩譲って彼の国では曖昧な状況証拠だけで検挙されるのだとしたら、フランスはどれだけ後進国なのかと思ってしまう。

 とはいえ、虚飾に満ちた夫婦関係が明らかになる部分はけっこうスリリングで、少しばかり興味を覚える。私はこれを観てイングマール・ベルイマン監督の秀作「ある結婚の風景」(73年)を思い出してしまった。しかし、北欧の巨匠の横綱相撲的な仕事に比べれば、まだ長編4作目のジュスティーヌ・トリエの演出は見劣りする。

 また何が真相か分からないという点では、黒澤明監督の「羅生門」(1950年)にも通じるものがあるが、やはり黒澤御大の力量とは比較するのも烏滸がましい。それでも主演女優サンドラ・ヒュラーの奮闘ぶりは印象に残る。主人公と同じドイツ系で、異国の地で暮らすサンドラの立場を表現する意味では絶妙だった。しかしながら、彼女以外のキャストで特筆できる人物は見当たらない。

 そして、上映時間が無意味に長い。このネタで2時間半は引っ張りすぎだ(ちなみに「羅生門」は1時間半ほど)。体調が万全ではない状態で鑑賞すれば、眠気との戦いに終始するのではないだろうか。なお、シモン・ボーフィスのカメラによる雪深い山々の風景は良かった。少年の愛犬スヌープ役を務めた犬のメッシの“名演”も記憶に残る。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「レディ・バニッシュ 暗号を歌う女」

2024-02-02 06:05:02 | 映画の感想(ら行)
 (原題:The Lady Vanishes )79年作品。アルフレッド・ヒッチコック監督のイギリス時代の代表作「バルカン超特急」(1938年)の再映画化で、脚本はエセル・リナ・ホワイトの原作小説からジョージ・アクセルロッドが書いている。といっても、この映画を観た時点では私は元ネタをチェックしていなかったし、オリジナルに比べてこの作品の細部がどうだとかなんてことは思い当たらなかったので、ここではその時点での感想を書いていておく。結論から先に言ってしまえば、ヒッチコック映画のリメイクか何か知らないが、要するに何の変哲も無いただのサスペンス映画だ。

 1939年、南ドイツのバイエルンの田舎町。いつもは平和なこの地域も戦争の影が忍び寄り、ホテルや列車は軍の徴用になっていた。そんな中、ロンドン行き最終列車に乗り込んでいく旅行者の中に、身なりの良い若い女アマンダがいた。彼女はアメリカの富豪の娘で、二日酔いに悩まされながらも何とかコンパートメントに座り込んだが、そこにミス・フロイという陽気なイギリス人の中年女性が入ってきてアマンダと仲良くなる。



 やがて居眠りをしてしまった彼女が目を覚ますと、ミス・フロイの姿が無い。同じコンパートメントにいたキスリング男爵夫人に聞いても、そんな女性は最初からいないと言う。食堂車をはじめ他の車両にもミス・フロイはおらず、先日ホテルで知り合ったライフ誌の記者ロバートに相談するも、相手にされない。だが、そんなアマンダを亡き者にしようとする陰謀が背後で進行していた。

 設定だけ聞けば面白そうで、事実、部分的にはヒッチコック先生からのいただきだと思われる興味深いところもある。たとえば、消えた女の名前が窓に残っていた、というところとか。また証拠品のティーバッグの袋を捨てたつもりが、それが列車の窓にひっついて、それを主人公が目撃するところとか。だが、アンソニー・ペイジなる監督の腕が凡庸で、少しもスリリングではない。

 そもそも、この邦題そのものがネタバレだ。配給会社は一体何を考えていたのだろうか。ヒロイン役のシビル・シェパードはまあ良いとして、主人公のエリオット・グールドがどうも軽い感じでビシッとしない。アンジェラ・ランズベリーやハーバート・ロム、アーサー・ロウなど脇のキャストも印象に残らず。何でもビデオソフト発売時のタイトルは「新・バルカン超特急 暗号を歌う女」というものだったらしく、ストーリーが同じなのに何で「新」なのか、これも判然としない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「リバー、流れないでよ」

2023-08-18 06:12:10 | 映画の感想(ら行)
 巷では絶賛されているらしく、実際観ても最後まで飽きずに接することは出来たが、諸手を挙げて評価するほどではない。少なくとも、同じく劇団“ヨーロッパ企画”が提供したシャシンでは「サマータイムマシン・ブルース」(2005年)の方が数段楽しめる。さらには、似たような体裁の「MONDAYS このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない」(2022年)が前年公開されたばかりなので、かなり分が悪いと言える。

 京都府貴船にある老舗の温泉旅館“ふじや”で働く仲居のミコトは、別館裏の貴船川のほとりで物思いに浸っていたところを女将に呼ばれて持ち場に戻るが、なぜか2分後に気が付くと元の場所に立っていた。しかも彼女だけではなく、他の従業員や宿泊客も同じ現象に遭遇している。どうやら時間が2分ごとにループしているらしく、かつ個々人の記憶は引き継がれていくので、彼らは次第にパニック状態に陥っていく。それでも人々は力を合わせてこの異常事態からの脱出を試みる。



 2分間というループ周期はドラマをスピーディに進める上で有効かと思われたが、短すぎて出来るごとが限られてしまう。さらに、2分間でやるべきことを実行しようとするため、全員早口でカメラワークも忙しない。おかげで1時間半ほどの尺ながら後半から単調さが目に付くようになる。このタイムループ現象は“ふじや”とその周辺だけで発生しているのだが、終盤明かされるその事情は何とも安直だ。また、劇中に何かドラマティックなネタが仕込まれているわけでもなく、せいぜいミコトの淡い色恋沙汰が挿入される程度。

 山口淳太の演出はギャグの振り出し方こそ非凡だが、骨太なドラマ性には欠ける(もっとも、そんなものは必要ないと割り切っているのかもしれないが ^^;)。ミコト役の藤谷理子をはじめ、鳥越裕貴に永野宗典、角田貴志、酒井善史、石田剛太といった“ヨーロッパ企画”の面々は、手堅いと言えば手堅い。本上まなみや近藤芳正、早織、久保史緒里(乃木坂46)などの外部キャストも悪くない。

 なお、舞台になった旅館は藤谷の実家らしいが風情はとても良い。タイムループが進むうちになぜか季節が変わって雪が降り出すあたりは突っ込むべき点だろうが、絵面としてキレイなので許そう(笑)。滝本晃司の音楽と“くるり”による主題歌も効果的だと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする