元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「北のカナリアたち」

2012-11-27 06:50:00 | 映画の感想(か行)

 阪本順治監督をはじめとする作り手が主演の吉永小百合に対して“遠慮”しているような、まるで煮え切らない映画だ。そもそも吉永扮する元女教師がいったいどういうキャラクターの持ち主なのか、全然描けていない。

 東京で図書館の司書をしている川島はる(吉永)は、昔北海道の離島で教師をしていた。彼女はある事故をきっかけに島から出て行かざるを得なくなってしまったのだ。定年を迎えた彼女の元に、刑事が訪ねてくる。かつての教え子の一人が殺人事件の容疑者になっているという。元の生徒達から事情を聞くために、はるは北海道へ向かう。久々に再会した教え子たちは、あの頃の出来事について今でも思い悩み、屈託を抱えたまま生きていた。

 ヒロインは大学の教員である夫と共にこの島に赴任してきたのだが、旦那は病で余命幾ばくも無いという設定である。そこに現れたのが、本土から転勤してきた警察官。この警官の登場が唐突に過ぎて呆れていると、彼は以前職務上の失態によりメンタル面で問題が生じ、島に半ば“左遷”されていたことが前振りも無く勝手に語られる。さらに、はるはこの警官に同情だか愛情だかを感じ、密会するようになるのだ。

 要するにもう長くは無い夫と、突如現れたワケありの男との間で“よろめいて”しまったのだが、このあたりのヒロインの苦悩や確執が見事なほど全く描かれない。吉永の演技力不足はもちろんのこと、かつての大スターにそんなドロドロとした欲望を表出させたくないという余計な“配慮”じみたものが感じられて不愉快だ。

 このスタンスは、教え子達に対する扱いにも共通している。演じているのが宮崎あおいに小池栄子、松田龍平、森山未來、満島ひかり、勝地涼という、今最も実力のある若手をずらりと並べているにも係わらず、ほとんど見せ場を与えていない(わずかに演技力を発揮させる役を振られたのは、容疑者に扮する森山ぐらいだ)。松田なんか、ただの実直なお巡りさん役でお茶を濁している始末。これも、彼らに本気で演技させると吉永を軽く食ってしまうからという“配慮”であろう(爆)。

 終盤で示される“事の真相”は大したことはなく、容疑者に対する終盤の扱いにも違和感しか覚えない。湊かなえによる原作は未読だが、おそらくこんな腑抜けた話ではないはずだ。題名の“カナリア”は同名の童謡から取っているように、音楽が重要なモチーフになるはずだが、音楽の高揚感や楽しさが全然出ていない。おかげでラスト近くの“お涙頂戴を狙った場面”が白々しいものになってしまった。

 脇の柴田恭兵と里見浩太朗、仲村トオルの演技もパッとせず、木村大作のカメラによる北海道の風景は確かにキレイだが、どこか絵葉書的。情緒過多な川井郁子の音楽もいい加減にして欲しい。観終わって残ったのは“寒いのに、撮影は大変だったろうな”という薄っぺらい感想のみ。スルーして良い映画だ。
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「シザーハンズ」

2012-11-25 07:18:53 | 映画の感想(さ行)
 (原題:EDWARD SCISSORHANDS )90年作品。終始居心地の悪さにイライラしっぱなしだった。この頃のティム・バートン監督はやっぱりどこか“変”である。その“変”というのは、もちろん映像感覚がフツーではないということもあるが、同じ“変”な映画作家である、たとえばサム・ライミやピーター・グリーナウェイなんかとは決定的に何かが違う。

 ライミらが過激な映像を作るのは観客に自己をアピールしたいためである。つまり“観客対作者”という健全(?)な図式にのっとって映画を作っているためで、これは映画作家にとって至極当然の態度である。しかし、バートンには“観客”という概念がまるで欠如しているように思えた。



 これはまた一頃の日本映画に多かった“観客を無視してひとりよがりの作品を作る”ということでもない。“観客を無視して自分の趣味に走ろう”と意識的にあるいは無意識的に思った時点で、すでに“観客”のことを考えたことになるのだ。

 当時のバートンは完全に観客のことを考えてはいない。おそらくは自分の作ったものを他人が見る、ということ自体がすでに彼にとって理解の外にあるのだ。自分の作った映画だけが自分にとっての“現実”であり、“夢”であり、すべてなのだ。おそらくバートンは映画監督をやっていなければ社会的落伍者になっていただろう。総合芸術である映画だけが、彼の“現実”を作り出す手段なのだから。

 こういう自分だけの世界に入り込んで出てこない人間を“おたく”という。この「シザーハンズ」は“おたく”映画の極北だと思う。

 手だけがハサミの人造人間の主人公(ジョニー・デップ)。彼を愛する少女(ウィノナ・ライダー)。彼に敵意を燃やす周囲の人々。パステル・カラーの家並。浮世離れしたファッション。氷をハサミで削って麓の街に雪を降らせるラスト・シーン、それがこの街に雪が降るようになった理由なのだ。

 感動的な話だとする向きもある。とんでもない。これのどこが感動的か。他人の夢に無理矢理つき合わされた不快感だけが残った。面白いところといえば、ハサミで庭の植木や髪の毛をユニークな形に剪定する場面ぐらいか。それだって別にどうということはない。

 作品自体、他人に見せることなどハナから考えていないため、この映画に対するあらる批評は無意味である。“おたく”監督の隔絶されたイメージなんて私には関係ない。観客あっての映画だと常々考える私にとっては、このような映画は一番相手にしたくないタイプである。
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「アルゴ」

2012-11-24 06:30:03 | 映画の感想(あ行)

 (原題:ARGO)実に面白いサスペンス劇だが、拭いきれない違和感があることも事実である。79年11月、イラン革命の最中にイスラム法学校の学生らがアメリカ大使館を占拠。52人が人質となる。その直前に大使館員の6名が脱出し、カナダ大使の自宅に身を寄せる。

 過激派に見つかれば処刑されるのは確実。救出作戦を持ちかけられたCIAの工作員トニー・メンデスは、突飛な手段を考えつく。イランをロケ地に想定した架空のSF映画の製作をデッチ上げ、人質になった6人をロケハンのスタッフと偽り、そのまま出国しようというのだ。

 前述の“違和感”というのは、イラン側の事情がほとんど語られていないことによる。冒頭、イランの近代史が手短に紹介されるのだが、これが単なるエクスキューズとしか思えないほど、イラン人の描き方は一面的だ。

 本作でのイランは“アメリカを脅かす、悪の結社”であり、イラン人は“すべて悪党”であると断定されている。わずかにカナダ大使邸で働くメイドに対してはシンパシーが感じられるが、結局彼女は祖国を捨ててしまうのだ。果ては、カーター大統領主導による強行的な人質奪還軍事作戦が失敗したことも全く描かれない始末。

 何も“現地住民に最大限に配慮すべきだ!”などと青臭いことを述べるつもりはないが、イランの事情をもっと描いた方が物語に重層的な厚みを与えたと思うのだ。それをせずに、当時の米民主党政権が“徹頭徹尾正しい”と言わんばかりの話の進め方は、いくら民主党シンパの多いハリウッドといえども、観ていて釈然としない。

 さて、以上のような欠点を除けばこの映画はかなり出来が良い。事実を元にしていて結末は分かっているものの、丹念なディテールの積み上げによる緊張感の造出は目覚ましい。トニー役で監督も兼ねるベン・アフレックの腕は確かで、堅牢なプロットはビクともしない。

 そしてもちろん、作者がこの題材を取り上げたのは、救出作戦に映画製作を絡めているからだ。メンデスは知り合いのプロデューサーと共同して、ニセモノSF超大作「アルゴ」の製作を実行に移していく。脚本を作成し、製作発表と記者会見を行い、大々的なプロモーションを企画。

 この大芝居を買って出るハリウッドの映画人が“ウソの映画製作だと? まかせてくれ!”と快諾するのには大笑い。演じているのがジョン・グッドマンとアラン・アーキンという海千山千の面子であるのも楽しい。綿密な時代考証も含めて、見応えのある娯楽編だと言えよう。
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MARANTZのプリメインアンプを試聴した。

2012-11-23 06:58:46 | プア・オーディオへの招待
 MARANTZのプリメインアンプPM-11S3とCDプレーヤーのSA-11S3の試聴会に足を運んでみた。MARANTZは元々は1953年に創設されたアメリカのメーカーだったが、それから紆余曲折があり、今では日本のブランドになっている。DENONと同じ資本系列に属し、多くの製品をリリースしている。

 PM-11S3とSA-11S3は両機とも4,50万円ほどだから“無茶苦茶に高い”というわけではないが、一応はMARANTZのハイエンドモデルである。繋げるスピーカーは同社が輸入代理店を担当している英国B&W社の805Dだ。それほど強いクセのあるスピーカーではないので、アンプ類の素性を見極めるのは適当だろう。



 ひとことで言えば、このMARANTZのアンプ類はかなりの美音である。ヴォーカルも弦楽器も艶があり柔らかく響く。広い音場には濁りがなく、特定帯域での強調感も見当たらない。MARANTZの下位の機種は不自然なキツさや密度の薄さが時折感じられることがあるが、PM-11S3とSA-11S3にはそれがない。解像度や情報量は万全で、レンジも大きく確保している。ちなみに、一つ下のPM-13S3と聴き比べたが、クォリティ面では値段相応の差がある。

 ただし、パワフルに鳴らしたいユーザーには不向きだ。ロック系のソースも試してみたが、かなり上品な展開になってしまった(笑)。これはこれで楽しめるのだが、俗に言う“黒っぽい”テイストを求めるリスナーには適していない。

 それと、MARANTZのアンプはB&Wのスピーカーとは相性は良いが、他のメーカーのスピーカーとのマッチングはどうなのか、これは聴いてみないと分からないだろう。少なくともPIONEERONKYOのアンプよりも、繋ぐスピーカーを選ぶタイプだと思う。



 また、気になったのがPM-11S3の外観だ。筐体が大きすぎると感じる。その点をメーカーの担当者に聞いてみたところ、当初はもっとスリムなサイズに仕上げる予定だったらしい。ところが先の震災で工場が被害を受け、やむなく前機種のキャビネットを流用したとのことだ。

 加えて個人的に気になるところだが、同社のデザインはとても“優れている”とは言えない。奇を衒っているだけで、美しくもない。思えば、MARANTZがアメリカのメーカーだった頃のアンプのデザインは良かった。あれを復刻してもいいのではないだろうか(意匠権の問題があって無理かもしれないが ^^;)。

 PM-11S3の前面に付いている主なツマミはヴォリュームと入力切り替えだが、いずれもプラスティック製というのはいかがなものか。決して安くはないモデルなのだから、アルミ無垢にして高級感を出して欲しかった。

 ・・・・いろいろと書いてきたが、サウンド面ではPM-11S3とSA-11S3は上質なモデルである。ハッキリ言って、今のところ私が同社のアンプ類で評価できるのはこの2機種だけである。ストレスフリーでしなやかな美音を楽しみたいユーザーには、有力な選択肢になるだろう。
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「桃(タオ)さんのしあわせ」

2012-11-22 06:38:03 | 映画の感想(た行)

 (原題:桃姐)監督アン・ホイの円熟味を感じさせる一作。誰にでも訪れる老いと死。最期の時を迎えるにあたって、本当に必要なものは何なのか。黒澤明の「生きる」の主人公のように、ミッションを全うすべく前のめりになって倒れるというヒロイックな幕切れを持てる者なんかごくわずかだ。不慮の事故等によりアッという間に命を絶たれるケースを除けば、多くは悔恨と諦念を抱きつつも、粛々と生を全うするのだろう。ただし、その時にそばにいてくれる誰かがいること、それこそが大事なのだと本作は訴えているように思える。

 映画のプロデューサーであるロジャー・リーの実話を元にしている。メイドの桃(タオ)さんは、ロジャーが生まれたときにはすでに家にいた。仕えていた一家のほとんどは海外に居を移し、香港に残っているのはロジャーだけだ。今も独身のロジャーの身の回りの世話をしていた彼女だが、ある日病に倒れる。

 老人ホームでのリハビリで一時は回復するが、いくつもの病を抱えていた彼女には残された時間は少ない。ロジャーは忙しい生活の合間を縫って、桃さんの面倒をみることになる。彼女は結婚しておらず、親兄弟もいない。しかし老人ホームの面々には、家族はいても孤独な日々を送るしかない者もけっこういる。ロジャーが付き添ってくれる彼女の立場は、決して悲しいものではない。

 献身的にメイドの仕事をこなし、決してグチをこぼさず、ロジャーの一家のことを思い続けてきた彼女の“人生の決算表”はプラスを示している。

 アン・ホイの演出は実にきめが細かく、登場人物の内面をじっくりと浮き彫りにしていく。心のどこかに屈託を抱え、いまだに家族を持たないロジャー。演じているのはアンディ・ラウだが、高い人気を誇った香港四天王の一人も、年を重ねて50歳を迎え、渋みが加わった。本を読むとき老眼鏡を取り出すシーンも感慨深い。

 桃さん役のディニー・イップは本作でヴェネツィア国際映画祭で主演女優賞を獲得。それも頷けるほどの妙演だ。老人ホームのメンバーも皆味のあるパフォーマンスを見せてくれる。さらにツイ・ハークやサモ・ハン・キンポー、レイモンド・チョウといった映画人達が本人役で登場するのは本当に嬉しい。

 どんなに華々しい生涯を送ったとしても、最終的には誰しも死の床に就く。それを看取る人を見つけることが、ひょっとして人生の目的の一つではないかと感じてしまう。60歳を過ぎたアン・ホイ監督の心境も垣間見えよう。決して観て損は無い秀作である。
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Sonus faberの新作スピーカーを試聴した。

2012-11-21 06:48:06 | プア・オーディオへの招待
 イタリアのスピーカーメーカーSonus faber(ソナス・ファベール)の新作Venere1.5Venere2.5を試聴することが出来た。Sonus faberは80年に発足し、工芸品のような美しいデザインと肉感的で艶やかなサウンドにより多くのマニアの支持を集めてきた。私も何回かオーディオフェアなどで実機に触れてみたが、その美音には感心したものだ。

 この新型2機種は高級品が主流の同ブランドにしては珍しく、Venere1.5が15万円強、Venere2.5が35万円強と価格を抑えている。製造を中国で行っているためなのだろうが、いずれにしてもSonus faberにとっては“世界戦略モデル”であることは間違いないであろう。外見はこのメーカー独自の木工技術をフィーチャーしたものではなく、コスト削減のため樹脂製の筐体が採用されているが、デザイン自体は他社とは一線を画す美意識に貫かれている。



 なお、使われていたアンプとCDプレーヤーはデンマークの新進メーカーGATO AUDIOの製品だ。初めて聞くブランドだが、ディーラーのスタッフの話によると音に強い色付けをせずストレートに出してくるモデルのようで、スピーカーのキャラクターを見極めるには適しているとのことだ。

 実際に聴いてみてこの2機種に共通しているのは、繊細な美音調との定評があるこのブランドにしてはアキュレートな展開で、スピード感もあるということだ。これならば幅広いジャンルをこなすだろう。とはいえ弦楽器やヴォーカルの温度感は、このブランドらしい艶やかな美しさをキープしていて、以前からのファンを見捨てるようなことはしていないようだ。



 しかし、コンパクト型のVenere1.5はサイズが小さいこともありスケール感は不足。ウーファーなんかほとんど動いていないのではないかと思うほど、低域が出ていない。そのせいか音場感は乏しく、特に奥行き感の再現には厳しいものがある。加えて指向性がシビアで、リスニングポイントが限定される可能性がある。さらには専用スタンド(置き台)を併用しないと真価を発揮しないとのことで、とても無条件で奨められるような製品ではない。

 対してフロアスタンディング型のVenere2.5は実に良い。筐体の大きさも相まって低域の再現性と音場の展開(特に縦方向)は万全。中高域は透明感があり本当に美しい。指向性もVenere1.5ほど厳しくはなく、セッティングは楽だ。まさに“音よし、デザインよし、使い勝手よし”の三拍子そろった逸品かと思う。ペアで35万円強の商品だが、このパフォーマンスとデザインを勘案すると、これはバーゲン価格だと言って良い。中国の工場で作られたことがどうしても我慢ならないリスナーを除けば(笑)、幅広く奨められる。

 それと、今回初めて接したGATO AUDIOの製品は外観がとても面白い。特に前面ディスプレイの表示なんか、日本のメーカーにはちょっとマネの出来ない仕上がりだ。結構なお値段だが、所有満足度は高いと思われる。
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「アウトレイジ ビヨンド」

2012-11-20 06:45:59 | 映画の感想(あ行)

 単調な映画だ。関東を根城にする大手暴力団・山王会は、5年前のクーデター騒ぎを経て、会長が交代した後は政界にまで手を伸ばそうかという勢いを誇示するようになる。悪徳刑事の片岡は、暴力団壊滅を図るため山王会と関西の巨大ファミリーである花菱会とを対立させようと裏工作を仕掛ける。その一環として片岡は、前作で抗争に負けて服役していた大友を無理矢理に出所させ、彼の山王会に対する遺恨を利用しようと企む。

 何よりつまらないのは、本作のメインディッシュであるはずの“騙し合いと裏切り”というモチーフが、メリハリも無いまま全編に渡って漫然と並べられている点だ。

 この“騙し合いと裏切り”というネタがインパクトを持つためには、一方で“信頼と協調”という正反対のモチーフをしっかりとキープしておかなければならない。もしも“信頼と協調”というフレーズがヤクザ映画に似合わないと思われるのなら、それを“(建前としての)仁義”と言い換えてもいいだろう。ところが本作にはそれが全くないのだ。

 どのシークエンスを見ても、あるのは“騙し合いと裏切り”ばかり。登場人物の誰かがのし上がると、すぐさま粛正されるというパターンの繰り返し。これではいくら凄みを効かせたセリフの応酬や残虐シーンが出てきても“ああまたか”といった具合で、ほとんど盛り上がらない。

 もっとも、見せ方を面白くすれば、たとえ“騙し合いと裏切り”のオンパレードであっても映画的興趣は得られるだろう。しかし、この映画には観る者を退屈させないだけの映像的ケレンがまるで足りない。わずかにバッティングセンターでの殺しの場面に興味を惹かれる程度で、あとは冗長な展開に終始する。

 前作で生き残った三浦友和、加瀬亮、小日向文世、そしてビートたけしに加え、今回は西田敏行や高橋克典、新井浩文、神山繁らが顔を揃えるが、いずれも怒号と罵り合いの連続では、いい加減飽きてしまう。

 それにしてもあのラスト、北野武監督はかつての「仁義なき戦い」のようにシリーズ化でも狙っているのだろうか。ヤクザ映画に対する需要が限りなく小さくなった現在、得策とも思えない。もうちょっと違う題材で勝負してもらいたいものだ。
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北九州市のAVフェアのリポート。

2012-11-19 06:47:01 | プア・オーディオへの招待
 去る11月9日(金)~11日(日)に、北九州市小倉北区のJR小倉駅近くのKMMビルで今年も開催されたオーディオ&ヴィジュアルフェア(今年で26回になる)に足を運んでみた。春に福岡市で行われているフェアと同じく、オーディオ評論家の福田雅光の主催による“オーディオアクセサリーの聴き比べ大会”が実施されたが、今回は電源周りの機器だけではなくアンプとプレーヤー等を繋ぐラインケーブルも扱っていたのが興味深かった。

 その中で印象に残ったのは、アメリカのケーブルメーカーDH LabsREVELATIONである。同社の製品は多くのレコーディングスタジオで使用されているらしいが、それも頷けるほど聴感上の特性がフラットでクセが少ない。しかも、中高域が明るく活発で聴いて楽しい音でもある。



 工程に銀素材を多用している製品だが、昔から言われてきた“銀は音像が細身になり、カン高くなる”といったことはない。司会の福田も“銀に対する従来の見方とは異なる音だ”というようなことを述べていた。REVELATIONは定価5万円と安くはないが、同ブランドでは安価な製品もあり、機会があれば入手してみたい。

 他にはインシュレーターのKRYNAのD-DROP extendも注目に値する製品だ。主にアンプ類の下に敷くことを想定されたモデルだが、効果は大きく、音場の見通しが確実に良くなる。アンプ類のインシュレーターの装着としては、アンプの足をスパイクに履き替えるといったものが多かったが、これはアンプ底板の任意の位置にセットすることが出来るので、使い勝手が良い。こういう方式の製品は手軽な音質向上ツールとして有用であろう。

 残念だったのがアメリカのハイエンドメーカーNVS SOUND CABLEのラインケーブルS1-XLRで、50万円というトンでもない価格ながら、やたら中低音を協調した芝居がかった展開で、とても好みに合わない。やはり、オーディオアクセサリーというのは値段では決められないものだ。

 フェア会場で展示されていたスピーカーやアンプ類は過去にショップで聴いたことがあるものが多く、とりたててリポートするべきものはない。ただひとつ、イタリアのDiapason社のスピーカーAsteraは今回初めて接することが出来た。



 サイズはコンパクトなのにバカ高いというイヤな値段設定の製品である(爆)。だが、現代美術のオブジェのようなフッ切れたデザインと丁寧な仕上げにより、屹立したエクステリアを実現させている。サウンドは見事な美音調で、深くてコクがある。特にヴォーカルや弦楽器の再生では地に足が付いた表現力を見せ、聴き手をとらえて離さない。まさしくハイエンドの音だ。

 PIONEERの新型アンプA-70は主要な家電量販店でも見かける機種だが、当フェアではメーカーの担当者からじっくりと説明を聞くことが出来た。同社初のデジタル駆動アンプで、しかもDAC内蔵。音はこのメーカーらしいフラット指向で滑らかなものだが、スピード感と音のキレをも併せ持っている。音色面でもスピーカーを選ばず、汎用性は高い。前にDENONの新製品PMA-2000REを紹介したが、A-70もそれに劣らず良い製品である。

 仕様はモダンだが外見が復古調なのもA-70の面白いところで、ヴォリュームつまみがアルミ無垢であるのは嬉しい。PMA-2000REほど図体はデカくないので、幅広い層にアピールしそうだ。

 さて、この会場は遮音が良くない。大部屋をパネルで仕切っただけなので、隣の部屋の音が大々的に漏れてくる。もうちょっと何とかして欲しい。とはいえ、北九州市のオーディオファンにとっては楽しみなイベントであることは間違いなく、今後も続けて欲しいものだ。
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「太陽の誘い」

2012-11-18 07:01:05 | 映画の感想(た行)
 (原題:Under Solen )98年作品。50年代のスウェーデンの農村。一人暮らしの中年の農夫オロフは、結婚も出来ないまま日々農作業に追われていた。遅ればせながら婚活に乗り出そうと、手始めに新聞にメイド募集の広告を出してみると、30代前半で都会育ちのエレンが応募してきた。二人きりの生活が始まり、オロフは彼女に恋心を抱くが、これまで女性と付き合ったことが無い彼は、勝手が分からず苦悩する。

 田舎暮らし、デブ、おっさん、文盲、恋愛経験ナシという“五重苦”の主人公が突然あらわれた女性との恋に邁進する姿を描くアカデミー外国語映画賞候補作。人物描写が的確で、奥手だった主人公が恋することによってみるみるうちにたくましい男に変身してゆく過程が丹念に示される。



 コリン・ナトリーの演出は丁寧で、主人公はもちろん、後ろ暗い過去を持ったヒロインの微妙な屈託や、友人ヅラして実は主人公を見下すことによってしかアイデンティティを確認できない若い男の扱いなどに感心させられる。ラストの処理など“人間、愛して信じれば生きる価値はある”という作者のポジティヴなスタンスが感じられて好ましい。

 主役のロルフ・ラスゴードとヘレーナ・ベリーストロムはもちろん日本では馴染みが無いが、キャラクターの内面を的確に表現していて好演だ。脇役のユーハン・ヴィーデルベリもイイ味を出している。

 そしてスウェーデンの田園風景の悩ましいほどの美しさ。特に白夜の神秘的な描写(低い太陽に照らされて外の風景が黄金色に輝くなか、ベッドに入って眠る)にはシビれた。少し上映時間が長いけど、まずは必見の秀作といえよう。原作者のH・E・ベイツは、「旅情」の脚本家としても知られている。
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「鍵泥棒のメソッド」

2012-11-17 07:07:43 | 映画の感想(か行)

 監督・脚本を担当する内田けんじの腕の確かさに感心する映画である。オリジナル脚本で勝負する演出家は今時貴重だが、内田の場合はヘタな“原作付きのシャシン”よりも、ストーリーテリングの精度が数段高い。細部まで練り上げ、それでいて“策におぼれた”ような様子は微塵も見せず、余裕綽々でラストまで見せきっている。

 30歳をとうに過ぎてもまったく売れず、自殺まで考えるようになってしまった役者の桜井が、銭湯で転倒して記憶を失った殺し屋のコンドウの鍵を盗んだことで、まんまと互いの人生を入れ替えてしまうという設定が非凡だ。ちょっと考えると、二人の性格と職業は違いすぎてシチュエーションには無理があると思うのだが、両人とも人間関係の幅が極端に狭く、浮き世離れした稼業に従事しているという点では同じだ。

 さらに、入れ替えを不自然に思わせない(御都合主義一歩手前で巧みに踏みとどまった)ディテールの積み上げには抜かりが無い。桜井の住居環境や、コンドウの仕事の段取りなど、小さなところまで物語にマッチするように相当に作り込まれている。

 前半で撒かれた小ネタが中盤過ぎからイッキに収束して、終盤の意外な展開に雪崩れ込んでいく構図は、いつもながら唸らされる。また、この出来事を通して二人が人間的に“成長”していくプロセスを追っているあたりも心地良い。

 もちろん脚本がよく出来ていても演じる者がイマイチだったら失敗作にしかならないが、本作は堺雅人と香川照之という、邦画界きっての巧者が顔を揃えているので安心して観ていられる。二人の丁々発止とした演技合戦も見ものだ。コンドウの依頼主に扮する荒川良々や、事件の鍵を握る女を演じる森口瑤子もクセ者ぶりを十分に発揮している。

 ただし、ヒロイン役の広末涼子はどうでもいい。計画的婚活を実施する編集者の役だが、無表情で突っ慳貪なだけの奇を衒った表面的なキャラクターは、誰だって演じられるだろう。別の芸達者な女優に振った方が、もっと盛り上がったのではないだろうか。逆に言えば、広末の起用を除けば万全の出来であり、その瑕疵を考慮してもなお今年度の邦画の収穫であることには間違いない。田中ユウスケによる職人芸的な音楽も要チェックだ。
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