元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「本心」

2024-11-30 06:38:05 | 映画の感想(は行)
 まるで要領を得ない内容だ。特定のテクノロジーが発展した“別の世界”を描くに当たっては、設定自体の詳説から始めないと話が絵空事になるのだが、本作はそれが成されていない。加えてストーリーがまとまっておらず、散漫な展開が目に付く。奇を衒っただけの珍作であり、存在価値が大してあるとは思えない。

 工場で働く石川朔也は、ある大雨の日に同居している母の秋子から“話がある”という電話を受ける。家の近くまで来た彼が見たのは、氾濫する川べりに立つ母だった。助けようとして川に転落した彼が目を覚ましたのは1年後だった。そこで朔也は、秋子が“自由死”を選択して他界したことを知る。工場は閉鎖になっており、彼は“リアル・アバター”なる新たな仕事に就く。ある日、仮想空間上に任意の“人間”を作る技術の存在を知った朔也は、開発者の野崎に“母”の作成を依頼する。一方、彼は母の親友だったという三好彩花を見つけ出し、彼女と件の“母”も加えての共同生活が始まる。



 状況説明がまるでなっていない。朔也が昏睡状態になっていたわずか1年間で、テクノロジーがかくも劇的な発展を遂げるわけがないのだ。秋子が採用する“自由死”なる制度の実相はハッキリと示されておらず、“リアル・アバター”のビジネスモデルも不明瞭。彩花に至っては秋子との関係は上っ面で、朔也と同居しても男と女の関係になる気配も無いのは失当だ。

 気が付けば主人公と母親のストーリーはどこかに追いやられ、ラストで申し訳程度に言及されるのみ。さらに悪いことに、似たようなネタを扱った韓国作品「ワンダーランド あなたに逢いたくて」を最近鑑賞し、本作との格差に愕然としてしまった。また“自由死”みたいなモチーフならば、すでに早川千絵監督「PLAN 75」(2022年)の中で効果的に扱われている。しかるにこの映画は出る幕が無いのである。

 平野啓一郎による原作は読んでいないが、まさかこれほどの低レベルではあるまい。石井裕也の演出は全然ピリッとせず、この監督が不調から抜け出す様子は見受けられない。主演の池松壮亮をはじめ、田中裕子に妻夫木聡、綾野剛、田中泯、水上恒司、仲野太賀と良い面子を集めていながらこの体たらくだ。なお、彩花を演じるのは奇しくも同名の(漢字は少し違うが)三吉彩花である。かなりの熱演で、何とシャワーシーンまで披露。しかし作品の質がこの程度なので、“脱ぎ損”みたいな結果になったのは何とも残念だ。
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山下清展に行ってきた。

2024-11-29 06:22:25 | その他
 福岡市中央区天神5丁目にある、福岡県立美術館にて開催されていた「生誕100年 山下清展 百年目の大回想」に足を運んでみた。この孤高の芸術家の、大規模な回顧展だ。実は私は彼の作品を実際に目にするのは初めて。それだけに、とても有意義な体験だった。

 山下の幼少時から晩年まで、作品展示は万遍なく網羅されており、彼の手法の変遷やテクニックの向上ぶりが手に取るように分かる。特に、山下作品を特徴付ける“貼絵”の手法は精緻を極め、よくもまあこれだけ根気の要る仕事を続けられたものだと感心する。また、作品によっては彼自身のコメントが添えられていて、それがまたユーモラスかつユニークで興味深い。



 印象に残った作品は、展示会のポスターにもなっている「長岡の花火」のほか、九州の人間としては馴染み深い「関門海峡」や「グラバー邸」に「桜島」、モチーフが斬新な「ソニコンロケット」、大胆な構図の「群鶏」などだ。また、ほぼ遺作の「東海道五十三次」は色付けされていないが、これが完成していたならば金字塔になったことだろう。

 この美術展に行ったのは週末だったこともあり、かなりの人出だ。貸し切りバスで乗り付けた団体客みたいなのも来ていたようで、人気の高さが窺われる。

 余談だが、山下清は映画やドラマの絶好の素材になっている。小林桂樹が山下を演じた堀川弘通監督の「裸の大将」(1958年)を手始めに、1980年代に芦屋雁之助主演で作られた「裸の大将放浪記」のシリーズが有名だ。近年では塚地武雅が山下に扮したドラマが何本か作られている。しかしながら、キャラクターの面白さばかりが前面に出て作品の神髄に迫っていないのではと思ったりもする(いずれも観たことが無いので、何とも言えないが)。
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「ワンダーランド あなたに逢いたくて」

2024-11-25 06:30:22 | 映画の感想(わ行)
 (英題:WONDERLAND)2024年7月よりNetflixから配信された、近未来を舞台にした韓国作品。どうやら巷の評判はあまりよろしくないようだが、私は気に入った。キャラクター設定と世界観はよく考えられており、少々トリッキィな作劇もエンドマークを迎えてしまえば違和感はあまり無い。存在価値はあるシャシンかと思う。

 映画で描かれた世界は、すでにこの世にいない人たちを仮想空間上で“再生”させ、生前関係の深かった者たちと“交流”することを可能にするサービスが流通していた。そのベンダーの一つである“ワンダーランド”と契約したのは、幼い孫娘に母親の死を隠すために利用する高齢女性、すでに病死した一家の主を仮想世界で生きているように設定する遺族たち、そして昏睡状態になってしまった恋人と電脳空間で話す若いCAなどだ。ところが、この男性が昏睡から生還したことから、当システムの存在価値が問い直されてくる。



 映画は冒頭から“ワンダーランド”の複数の顧客の状況を平行して描くことから、一見まとまりに欠けるように思われる。しかしながら、微妙なところでこれらのエピソードは互いの関連性が確保されている。さらに“ワンダーランド”を提供する若い男女の立ち振る舞いも加わり、物語は重層的な興趣を醸し出してくる。

 また面白いのは、電脳空間内のキャラクターもそれぞれ独自の“意志”を持つようになることだ。それらは自身のアイデンティティーを確立すべく、思い切った行動に出る。そんな仮想キャラクターたちが到達する“現実世界(らしきもの)”と、本当の現実とのギャップの見せ方は、かなり巧みだ。つまりは“この世”も“あの世”も、通底しているのは人間の心情なのだという、分かりやすいモチーフが強調されるのは納得出来る処置である。

 脚本も手掛けたキム・テヨンの演出は、奇を衒っているようでけっこう正攻法だ。中国出身の女優タン・ウェイをはじめ、ペ・スジ、パク・ボゴム、チョン・ユミ、チェ・ウシク,パウ・ヘイチンなど、キャストも全員健闘している。そしてパク・ホンヨルのカメラによる映像が実に清涼だ。
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「コルドラへの道」

2024-11-24 06:27:52 | 映画の感想(か行)
 (原題:THEY CAME TO CORDURA)1959年作品。西部劇スターとして名を馳せたゲイリー・クーパー主演のウエスタンだが、監督が社会派のロバート・ロッセンということもあり、通常の娯楽映画とは一線を画する含蓄のある内容に仕上がっている。特に、極限状態に置かれた人間の生き様を容赦なく描くあたりは感心した。キャストも万全だ。

 1916年のアメリカ南部。ソーン少佐の所属する騎兵隊は、メキシコの革命家パンチョ・ビリャ率いる反乱軍と国境付近で交戦状態に入る。米軍は何とか勝利し、ソーンは戦いで活躍した5人の兵士を叙勲するため、そしてメキシコ軍に便宜を図ったという疑いで牧場主のアメリカ人女性アデレード・ギアリーを軍当局に引き渡すため、7人でテキサス州のコルドラ陸軍基地を目指して出発する。



 ところが、ソーンの触れられたくない過去が明るみに出ると兵士たちは彼を敵視するようになる。しかも道中でゲリラ兵の襲撃を受け、馬を失った挙げ句に徒歩での移動を強いられる。さらにアデレードをめぐって男たちの欲望が横溢し、水と食料も残り少なくなり、病人まで出る始末。彼らの苦難の旅は続く。

 冒頭近くの戦闘シーンこそスペクタクル性が感じられるが、映画の大半は主人公たちの苦闘が綴られる。人間、逆境に直面すると不条理な怒りや欲望に囚われてしまう。叙勲の名誉なんかどうでも良くなり、いかにして生き延びるかという根源的な欲求だけが表面化する。そんな中にあって、ソーンだけは軍の規律とプライドを頑なに守る。

 ここで“高潔な軍人VS.下世話な者たち”という単純な構図に陥らないのが本作の長所だ。ソーンにはこの旅を貫徹しなければならない事情があり、それは決して崇高なものではない。兵士たちにしても、こんな修羅場になれば八つ当たりするのも当然なのだ。しかし、ソーンはそれでも自らの任務を放棄しない。そのことが自身の過去を清算することに他ならないからだ。ソーンの意図が明らかになる終盤は十分に感動的であり、ロッセン監督のヒューマニストぶりが窺われる。

 G・クーパーは内面で屈託と使命感がせめぎ合う様子を上手く表現した妙演で、観ていて引き込まれるものがある。アデレード役のリタ・ヘイワースは荒涼とした沙漠の中にあっても魅力的だし、敵役とも言えるチョーク軍曹に扮するヴァン・ヘフリンも憎々しい好演だ。リチャード・コンテにタブ・ハンター、ディック・ヨーク、マイケル・カラなど当時の演技派が脇を固めている。また、バーネット・ガフィのカメラによる荒野の風景は実に効果的だ。
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「ヴェノム ザ・ラストダンス」

2024-11-23 06:32:38 | 映画の感想(あ行)
 (原題:VENOM: THE LAST DANCE )このシリーズはあまり評判が良くないようなのだが、個人的には嫌いではない。少なくとも、それまでの作品をほとんどチェックしておかないとキャラクターの把握すら難儀になってきた本家「スパイダーマン」よりも、悪役の一人をクローズアップして独立したハナシに持って行ったこちらの方が思い切りが良い。この3作目も最後まで退屈せずに付き合えた。

 前作で怪人カーネイジを激闘の末に倒したジャーナリストのエディ・ブロックと、彼と“共生”している地球外生命体シンビオートのヴェノムだったが、結果として政府機関から追われる身となってしまう。そんな中、宇宙の果てに封じられている邪神ヌルが復権を狙う。ヌルは人間とシンビオートの完全合体型が発信する某コードが復活には不可欠であることから、ハンター役のクリーチャーを地球に送る。メキシコに身を隠していたエディらはヌルの企みを知り、シンビオートが複数体隔離されているネバダ州エリア51へ急行する。



 エディ&ヴェノムのコンビネーションは相変わらずだが、今回は馬をはじめとする他の動物と“合体”するのが珍しい。さらに、緊急事態になるとエリア51に集められたシンビオートたちとスタッフの面々も適宜“合体”するのも面白い。

 しかしながら、それだけではキャラクターの多様性レベルが低いかと思われた。そこで今回は興味本位でエリア51に向かうオカルトマニアの一家を登場させ、彼らとエディたちとの掛け合いに時間を割くというモチーフが用意されており、これがけっこう効果的だ。悪党でも政府関係者でもない一般ピープルに近い者たちを関わらせることによって、作劇が一本調子になることを回避している。クライマックスはヌル謹製のモンスターどもとエディたちとのバトルになるのだが、これがけっこう盛り上がる。

 脚本も担当したケリー・マーセルの演出はパワフルで、アクションシーンもスピーディーに決まる。主演のトム・ハーディをはじめ、キウェテル・イジョフォーにジュノー・テンプル、リス・エヴァンス、ペギー・ルー、スティーヴン・グレアムといった顔ぶれも万全だ。なお、題名に“ラスト”とあるように、このシリーズは取り敢えずここで打ち止めになる。とはいえ、エディたちはマーベルの世界の住人なので、別のアメコミ作品で思いがけず登場する可能性もあるだろう。その時を楽しみに待ちたい。
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「八犬伝」

2024-11-22 06:24:30 | 映画の感想(は行)
 製作意図がよく分からない映画である。滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」は長大であり、1950年代に東映がまともに映画化した際は五部作だった。もっとも、各1時間ほどの中編だったらしいが、それでも現時点でやろうとすると長編三部作にはなる。ところがこの映画の原作は、山田風太郎著「八犬伝」だ。ならばその小説を扱う必然性があったのかというと、それは感じられない。有り体に言えば、この原作だったら一本の映画に収められるという、そんな帳尻合わせ的な思惑しか見えてこないのだ。

 映画は2つのパートが同時進行する。一方は八犬士の活躍を描く元ネタをトレースし、もう一方では滝沢馬琴と友人である絵師の葛飾北斎を主人公に、この大河小説が生まれる過程を描いている。八犬士が活躍するパートは面白くない。「南総里見八犬伝」の粗筋を知っておかないと何が何だか分からないし、そもそも映像がショボすぎる。さらに殺陣が低調で、アクション場面がさっぱり盛り上がらない。出ている面子もテレビの“イケメン戦隊もの”と大して変わらないレベルだ。



 ならば馬琴と北斎の関係を描く部分はどうかというと、これはそれなりに見応えはある。何しろ役所広司に内野聖陽、黒木華、寺島しのぶ、磯村勇斗などの手練れが集められているのだ。特に立川談春演じる鶴屋南北が出てくるシークエンスは出色である。しかし、馬琴と北斎を主人公にした映画では過去に新藤兼人監督の「北斎漫画」(81年)という傑作があり、それに比べれば本作は分が悪い。

 監督の曽利文彦の仕事ぶりは、表面的には賑々しいが深みが無いというパターンは相変わらず。キッチュな味わいで場を保たせるケースならばともかく、今回のように多大な予算投入が必要な素材を扱うと、どうも力不足の感が否めない。第一、作り手に八犬士に対してどれほどの思い入れがあったのかも不明だ。

 あと関係ないが、私が鑑賞した際には上映中に八犬士の各プロフィールに関して隣のカミさんに蕩々と解説していたオヤジがいて、とても気分を害した。席が離れていたので直接注意は出来なかったが、マナーをわきまえない輩はどこにでもいるものだと憤慨した次第である。
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「国境ナイトクルージング」

2024-11-18 06:25:16 | 映画の感想(か行)
 (原題:燃冬 THE BREAKING ICE)手練れの映画ファンならば、ジム・ジャームッシュ監督の代表作「ストレンジャー・ザン・パラダイス」(84年)との共通性を見出すことだろう。もっとも、本作はあの映画のクォリティの高さには及ばないが、それでも十分な訴求力を持ち合わせていると思う。観て損はしない中国=シンガポール合作だ。

 吉林省延吉市は、中国と北朝鮮との国境に位置する街である。友人の結婚式に出席するため、上海から冬の延吉にやって来た青年ハオフォンは、翌朝の帰路のフライトまでの時間を利用して観光バスツアーに参加する。ところが途中でスマートフォンを紛失してしまい、女性観光ガイドのナナは責任を感じて彼をその晩食事に誘う。ナナの男友達のシャオも加わって夜遅くまで盛り上がるが、翌朝ハオフォンは寝坊して飛行機に乗り損ねる。こうなったのも何かの縁だと割り切った彼は、シャオの提案による3人での国境近辺でのバイクツーリングに出掛ける。



 ハオフォンはエリートサラリーマンなのだが、激務でメンタルが限界に達しようとしており、定期的にカウンセリングを受けている。ナナは以前はフィギュアスケートの選手だったが、足の怪我により断念。今では観光ガイドで糊口を凌いでいる。シャオは叔母の飲食店で働いており、取り敢えずは生活に不満は無いようなのだが、ハオフォンとの出会いにより何か別の生き方があるのではないかと思い始める。

 彼らの屈託は、けっこう普遍的なものではないだろうか。もちろん挫折したことのない者や、そもそも能動的に人生を送っていない人間には関係の無い話かもしれない。だが、そういうのは多数派ではないだろう。それぞれが心の奥に(意識的・無意識的に関わらず)ため込んだ懊悩は、他者と触れ合うことによって顕在化したりもする。それがここではよく表現されている。

 飲んで酔いつぶれたり、バイクの3人乗りで北朝鮮との国境付近を走り回ったり、書店で誰が一番分厚い本を万引き(未遂)できるかといったようなゲームをしたりと、彼らは若者らしいアホな振る舞いばかりやっているが、それでもコミュニケーションが自己の内面を照射するという本筋をトレースしている。別にドラマティックな出来事があるわけではないが、作品の好感度が高いのは人間関係の在り方をマジメに捉えているからだろう。

 彼らが足を運ぶ白頭山の近辺をはじめとするこの地方の冬の風景は、まさしく「ストレンジャー・ザン・パラダイス」での主人公3人の“冬の旅”を想起させる。ユー・ジンピンのカメラによるモノクロに近い凍り付いた風景は、とても心惹かれる。アンソニー・チェンの演出は、起伏が乏しいと思われるストーリーラインを冗長にならずラストまで運んでいて好感が持てる。

 ハオフォン役のリウ・ハオランにシャオを演じたチュー・チューシャオも悪くないのだが、最も印象的だったのはナナに扮したチョウ・ドンユイだ。デレク・ツァン監督の秀作「少年の君」(2019年)で女子高生を演じた頃に比べると随分と大人っぽくなったと思ったら、彼女はあの映画の出演時にはすでに二十歳をとうに過ぎていたのだ。容貌のせいもあるのだが、パフォーマンスの力によって役を引き寄せるのは流石だと思った。
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「タイムカット」

2024-11-17 06:20:21 | 映画の感想(た行)

 (原題:TIME CUT)2024年10月よりNetflixから配信されたSF編。タイムリープをネタにしているが、プロットには随分と穴がある。そもそも、設定からして納得出来ない点が散見される。ならば面白くないのかというと、そうでもないのだ。展開はテンポが良くて退屈しないし、キャストも十分機能している。カネ払って映画館で観たら腹も立つだろうが(笑)、テレビ画面だと気軽に付き合える。

 主人公の女子高生ルーシーが住む田舎町(ロケ地はカナダのマニトバ州のウィニペグ市郊外)では、2003年に未解決の連続殺人事件が起こっている。彼女の姉サマーも犠牲者の一人だった。ある日、納屋に設置された怪しげな機械に接触したルーシーは、2003年にタイムスリップしてしまう。そこは件の惨劇が起きる数日前で、サマーも健在だ。何とかして姉の命を救うべく、ルーシーは奮闘する。

 そもそも、簡単にタイムトラベルが出来てしまうメカが無造作にあんな場所に置かれていること自体が噴飯ものだ。両親の外観や振る舞いには、2つの時間軸で大して時の流れを感じさせないのもおかしい。父親は核エネルギーを扱っているらしい怪しげな大手企業に勤めているのだが、そんなアブナい会社のプラントが住宅地のすぐ近くにあるというのは失当だろう。

 肝心のタイムパラドックスの処理にしても、かなりいい加減で御都合主義に近い。それでも、シリアルキラーに主人公たちが追いまくられる段になると、けっこう盛り上がる。事件が発生する日時は分かっているのだが、何とかしようとするたびに障害が立ちはだかるという段取りは型通りだが悪くない。そして犯人は意外な人物で、その動機も強引ながら納得出来るものになっている。

 脚本にも参加しているハンナ・マクファーソンの演出は手堅く、91分という短い尺も相まって冗長な面を見せない。ルーシーに扮するマディソン・ベイリーをはじめ、アントニア・ジェントリーにグリフィン・グラック、マイケル・シャンクス、レイチェル・クロフォード、ミーガン・ベストといった顔ぶれは馴染みは無いが、皆良くやっていたと思う。それにしても、こんなシチュエーションの映画に接するたびに、あの「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズは実に良く出来ていたものだと改めて思う。
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「2度目のはなればなれ」

2024-11-16 06:23:27 | 映画の感想(英数)

 (原題:THE GREAT ESCAPER )本作に“欠点”があるとしたら、それはこの邦題だろう。まるで通俗的メロドラマかラブコメみたいなタイトルで、普通ならば鑑賞対象にはならなかったはずだ。しかし、何の気なしにストーリー設定とキャストをチェックしてみたら、これはとても見逃せない内容であることが窺われた。まったくもって、我が国の配給会社にはセンスが足りていない(まあ、昔からそうなんだけどね ^^;)。

 2014年の夏、イギリス南東部の都市ブライトンにある老人ホームで暮らすバニーとレネのジョーダン夫妻は、静かに余生を送っていた。ところがある日、バニーはフランスのノルマンディーへ向かって一人で旅立つ。目的はノルマンディー上陸作戦70周年の記念式典に参加することと、今は亡き戦友の墓参りである。とはいえ周囲に無断で出掛けたため、彼が行方不明だという警察のSNSの投稿をきっかけに、思いがけず世間で大きなニュースになってしまう。実話を基に描いたヒューマンドラマだ。

 戦争は悲惨な出来事だが、生き残ってそれから長らく人生を送った者にとっては、“自分史”の一つとして昇華される。いろいろなことが起きたが、それでも戦後は年齢を重ねてきた。その確固とした事実は、現時点で出会う人々に対しても存在感を発揮する。同じくノルマンディー上陸作戦に従軍した老紳士に、施設の若い女子ヘルパー、さらにはこの記念日に合わせてやってきた元ドイツ兵たちをも感心させる。

 レネにとっては、夫と離ればなれになるのは戦時中に続いて2度目なのだが、今回は夫の無事を信じて疑わない。夫婦を演じるマイケル・ケインとグレンダ・ジャクソンは、まさに余裕のパフォーマンス。この2人が出ているだけで、彼らのキャリアを想起させて観る者を満足させてしまう。オリヴァー・パーカーの演出も横綱相撲で、ケレン味も無く悠々とドラマを進めていく。

 ジョン・スタンディングにダニエル・ビタリスなどの脇のキャスティングも良好で、若き日の主人公たちに扮するウィル・フレッチャーとローラ・マーカスの演技も手堅い。なお、ケインは本作での引退を宣言し、ジャクソンはこれが遺作になった。彼らの最後の勇姿を見届けるだけでも、観る価値がある。
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「ミステリと言う勿れ」

2024-11-15 06:21:53 | 映画の感想(ま行)

 2023年作品。公開時には大ヒットで、その年の興収ベストテンにもランクインしている。私はわざわざ映画館まで足を運んで観る気はまったく無かったのだが、配信のリストに入っているのに最近気付き、どんなものかと思いチェックしてみた。結果としては“この程度のシャシンが一番客を呼べるのだろうな”という印象しか持てない。つまりは若者向けで、有り体に言えば超ライト級である。

 数々の事件解決に関わったという大学生の久能整(くのう ととのう)は、広島で開催される美術展を観るために同地にやってくるが、そこで出会った女子高生の狩集汐路(かりあつまり しおじ)から、バイトを持ちかけられる。それは、狩集家の莫大な遺産相続に関して発生した不可解な出来事の解明だった。相続候補者は汐路を含めた4人だが、遺言書の内容を精査していくうち、整はこの家系にまつわる意外な事実を突き止める。田村由美による同名コミックの映画化だ。

 私は原作はもとより、先だって映像化されたテレビドラマも知らない。だから立ち位置のよく分からないキャラクターらが出てくるあたりはコメント出来ないのだが、それらを除外し単発のミステリー物として観ても、中身は大したことはない。大時代な舞台設定や天然パーマの探偵役など、明らかに金田一耕助シリーズを意識しているのだが、話のレベルとしては横溝正史御大の作品群とは比べるのもおこがましい。

 冒頭、狩集家の者たちが交通事故で死亡するくだりが描かれれるが、これは“事件”にもならない内容だ。そして、犯人の目星はすぐに付いてしまう。さらに、動機には説得力が無い。トリックらしいトリックも見受けられない。テレビドラマのスペシャル版として放映すれば実質1時間半以下で済むハナシだが、監督の松山博昭(および製作陣)は2時間を超えるシャシンに仕上げてしまった。

 それでも、整に扮する菅田将暉をはじめ、町田啓太に原菜乃華、萩原利久、鈴木保奈美、滝藤賢一、野間口徹、松坂慶子、柴咲コウ、松下洸平など、キャストはかなり多彩。この顔ぶれだけで満足した観客も多かったのだろう。昔からテレビ番組のブローアップ版を劇場用映画に仕立てることはよくあったが、企画自体が安易と言うしかない。それでも商業的には悪くないのだから、送り手としてはやめられないと思われる。ちなみに、この映画はフジテレビジョン創立65周年記念作品とのことだ。
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