95年作品。94年に90歳で他界した片岡仁左衛門丈の晩年の活動を追う2時間40分のドキュメンタリー作品。もっともこれは監督の羽田澄子が長年にわたってずっと追ってきたシリーズの最終章で、全部合わせると8時間を越える長尺になるが、私はそれら“前作”は観ていない。しかしながら、このチャプターだけでも質の高さは十分に伝わってくる。
何より歌舞伎の場面が出色だ。仁左衛門を画面の中央に置き(脇役で出ているときも含む)、微妙な表情や時折見せるカリスマ性を強調。間違っても映画で歌舞伎の華やかなステージングを“そのまま”描こうとはしていない。それは実物に接すればいいことであり、映画ならではのミクロ的なアプローチを試みているのは冷静な態度である。
そしてショックなのは、舞台であれだけ鬼気迫る演技を見せる仁左衛門が、いったん舞台を降りると視力も衰え歩行もままならない老人であるという点だ。芸に生きる人間の凄さを垣間みる。
前作までは弟子に対する厳しさも描いていたそうだが、ここではすでに枯淡の境地に入った仁左衛門の柔和な人となりが紹介される。妻や娘のインタビューや、自宅を訪れた友人たちとのやりとりなどは、本当に観る側もホッとするというか、仁左衛門から適度な距離を取りカメラがそっと優しく見つめる感じが快い。
彼が活動の拠点とした京都の風景、自宅の質素なたたずまいが落ち着いた色調でとらえられているのは、小津安二郎の作品を観るような安心感がある(そういえば小津も歌舞伎のドキュメンタリーを撮っていた)。画面に誰もいない空間を映す場面も目立つが、確実に仁左衛門の存在を感じ取ることができる。素材に密着したドキュメンタリー作家の面目躍如だろう。
何より歌舞伎の場面が出色だ。仁左衛門を画面の中央に置き(脇役で出ているときも含む)、微妙な表情や時折見せるカリスマ性を強調。間違っても映画で歌舞伎の華やかなステージングを“そのまま”描こうとはしていない。それは実物に接すればいいことであり、映画ならではのミクロ的なアプローチを試みているのは冷静な態度である。
そしてショックなのは、舞台であれだけ鬼気迫る演技を見せる仁左衛門が、いったん舞台を降りると視力も衰え歩行もままならない老人であるという点だ。芸に生きる人間の凄さを垣間みる。
前作までは弟子に対する厳しさも描いていたそうだが、ここではすでに枯淡の境地に入った仁左衛門の柔和な人となりが紹介される。妻や娘のインタビューや、自宅を訪れた友人たちとのやりとりなどは、本当に観る側もホッとするというか、仁左衛門から適度な距離を取りカメラがそっと優しく見つめる感じが快い。
彼が活動の拠点とした京都の風景、自宅の質素なたたずまいが落ち着いた色調でとらえられているのは、小津安二郎の作品を観るような安心感がある(そういえば小津も歌舞伎のドキュメンタリーを撮っていた)。画面に誰もいない空間を映す場面も目立つが、確実に仁左衛門の存在を感じ取ることができる。素材に密着したドキュメンタリー作家の面目躍如だろう。