元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「すくってごらん」

2021-03-29 06:23:02 | 映画の感想(さ行)
 まさか、ミュージカル映画だとは思っていなかった(笑)。しかしながら、楽しめる作品だ。正直言ってストーリーはいい加減で、ラストも尻切れトンボ状態。そもそも、題材になっているはずの金魚すくいの扱いもなおざりである。それでも、ミュージカルという御膳立てを採用すればすべて笑って許してしまえるのだから不思議だ。

 大手銀行の東京本店に勤務していたエリート行員の香芝誠は、怒りのあまり上司を罵倒した結果、奈良県の田舎町の営業所に左遷されてしまう。捨て鉢な気持ちを抱えたまま赴任した誠だが、下宿先(一応、名目は社員寮 ^^;)である金魚すくいの店の娘の吉乃と出会い、一目惚れしてしまう。金魚が特産物であるこの町では、金魚すくいは“大人のたしなみ”として認知されていた。



 さっそく彼女の手ほどきで金魚すくいを始めた誠だが、実は吉乃はあることが切っ掛けで人前にはあまり出ず、得意のピアノも人に聴かせる機会も無いことを知る。彼女のために誠は一肌脱ぐことを決心し、夏祭りの日に“大勝負”に挑むことになる。大谷紀子による同名コミックの映画化だ。

 冒頭、地方に飛ばされて失意の誠が“心の声”を歌にして表現する場面で呆気にとられ、その後も楽曲が次々に繰り出されるに及び、ああこれは“そういう設定”のシャシンなのだと合点した。考えてみれば、人気漫画の中身を“そのまま”映画化しようとしても、原作のファンは納得しないケースが多々あるし、元ネタがやたら長ければ消化不良に陥る。思い切って独自の方法論を仕掛けてみるのも面白い。

 誠のキャラクターが最高で、自暴自棄になりそうなところを必死になって的外れなエリート意識により持ち応えようとするあたりは笑える。田舎町の住人たちに“本店仕込み”の場違いな経営改革論をブチあげるのもケッ作だ。それでも、彼のそんなオフビートな真面目さが次第に周囲を巻き込んでいくプロセスはけっこうよく描けている。



 本当は吉乃の屈託なんて大したことはなく、夏祭りのシーンも筋書きとしては盛り上がらない。それでも、登場人物たちが楽しく歌いまくるのを観ていると“これで良いじゃないか”という気持ちになってくるから面白い。監督の真壁幸紀は、映像処理に非凡なものを見せる。キッチュだが独特のセンスを持った大道具・小道具。舞台になった大和郡山市のレトロな街並みと、凝った映像ギミックが絶妙の調和を見せる。さらには(金魚らしく)魚眼レンズを用いたショットがあったり、1時間半の短い尺にも関わらず“休憩”を挿入したりと、まさにやりたい放題だ。

 主演の尾上松也は快調で、思い込みの激しいサラリーマンを賑々しく演じる。そして意外と歌が上手いのにも驚いた。吉乃役の百田夏菜子がピアノを弾きまくったり、ライブハウス店員に扮した石田ニコルが当たり前のようにギターの弾き語りを披露するのにもびっくりだ。柿澤勇人に矢崎広、大窪人衛といった脇の面子も申し分ない。そして鈴木大輔による音楽が最高で、今年度の邦画を代表するスコアになることは間違いない。
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「テレフォン」

2021-03-28 06:23:26 | 映画の感想(た行)
 (原題:Telefon )77年作品。ドン・シーゲル監督によるスパイ・アクション編で、かつての「真昼の死闘」(70年)や「ダーティハリー」(71年)などの切れ味は無いものの、観ている間は退屈しない娯楽作だ。また、捻った設定や展開は脚本担当のピーター・ハイアムズによるところが大きいと思われる。

 米ソのデタントが展開していた70年代後半、コロラド州の修理工場に掛かってきた電話を取った店主が、爆弾を車に積み米陸軍基地に突っ込んで自爆テロを引き起こす。続いてフロリダ州で、小型機でチャーター業をしている男のもとに例の電話が掛かり、彼は米海軍基地に爆弾を積んだ自家用機で体当たりを試みる。



 どうやら、KGBにより洗脳された51人もの人間がアメリカに送りこまれ、電話によって暗示が発動して破壊活動をするようにされていたらしい。そして、その首謀者であった過激なスターリン主義者がアメリカに逃れていた。KGBはその者を抹殺するためボルゾフ少佐を渡米させる。彼は同僚のバーバラと夫婦を装って犯人のダルチムスキーを追う。

 話のアウトラインは凝ってはいるが、展開は平易だ。追う者と追われる者という形式が明確で、斜に構えたところが無く、分かりやすく進む。とはいえ、終盤には“ドンデン返し”が控えている。しかし、これは決して観る者の意表を突くようなものではなく、無理筋の居心地の悪さは存在しない。

 シーゲル監督の仕事ぶりは淀みがなく、アクション場面が少ないのは不満ながら、不要な緊張感を強いることは無い。主演はチャールズ・ブロンソンで、珍しい軍服姿が拝めるのは有り難い。東欧系の血を引き、思考よりも行動が先に出るキャラクターなので、役柄に合っている。相手役は“いつもの”ジル・アイアランドではなく、リー・レミックというのも良かった(笑)。また、敵役のドナルド・プレゼンスもさすがの存在感だ。

 音楽はラロ・シフリンだが、ここでも的確なスコアを残している。それにしても、本作が撮られた当時は冷戦が緩和されるような雰囲気があったのだが、その後のソ連のアフガン侵攻によってフッ飛んでしまったのは何とも皮肉だ。
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「わたしの叔父さん」

2021-03-27 06:17:12 | 映画の感想(わ行)
 (原題:UNCLE )まったく面白くない。起伏がほとんどない作劇が延々と続き、上映中は眠たくて仕方がなかった。2時間に満たない尺ながら、途轍もなく長く感じられる。考えてみればストーリー設定自体に無理があり、キャラクターの造型も絵空事だ。聞けば2019年の東京国際映画祭コンペティション部門で大賞を獲得したらしいが、受賞実績はどうあれ、個人的にはダメなものはダメである。

 舞台はデンマークの農村地帯。27歳のクリスは幼い頃に両親を亡くし、体の不自由な叔父と2人で家業の酪農を切り回していた。特に変化のない毎日で、クリスは教会で出会った青年マイクからデートに誘われたりもするが、彼女は及び腰である。ある時、クリスは地区を担当している獣医からコペンハーゲンの大学で講義する際に同行して欲しいとの要望を受ける。2泊3日の行程で家を空けることになった彼女だが、その間に叔父が倒れてしまう。

 まず、邦題にある“叔父”というのは違和感を覚えてしまう。“叔父”というのは親の弟を意味するが、本作の叔父さんは老齢で、どう見ても20歳代の姪がいるとは思えない。ここは百歩譲って“伯父”か、あるいは祖父という設定が望ましい。

 ともあれ、この2人の関係性には疑問が付きまとう。いくら両親がいないとはいえ、クリスが叔父との生活に執着する意味が見い出せない。彼女はもともと獣医志望だったらしいが、それだけでは田舎の酪農農家を手伝う動機にはなり得ない。有り体に言えば彼女は気難しく、まったく共感できない。こんなのが画面をウロウロしているだけで気分を害する。

 しかも、朝起きてから夜寝るまで、2人は生活のパターンを変えようとはしない。何しろ、叔父の入院先でも自宅にいるときと同じ食事のメニューを用意するほどだ。監督のフラレ・ピーダセンは小津安二郎の信奉者らしいが、ひょっとしてクリスと叔父の関係は、小津の「晩春」(1949年)における原節子と笠智衆にインスパイアされたのかもしれない。しかしながら、本作は洗練の極みのような小津作品のレベルには達していない。どこか俗っぽく、そしてワザとらしいのだ。

 特に、叔父が自分でプロの介護士を呼んだことにクリスが腹を立て、“私がいるじゃない!”と言い放つあたりは不快感を覚えた。2人の恋愛感情じみたものを描こうとしたようだが、それまでに何もエモーショナルなモチーフを提示していないため、いたずらに唐突で生臭い。

 ピーダセンの演出はメリハリが皆無で、観ていて退屈だ。じっくりと淡々としたタッチで撮れば何か描けると思い込んでいる。そんなのはただの“スタイル”であり、確固としたドラマツルギーの裏付けのない表面的な小細工を見せられてもシラケるだけだ。主演のイェデ・スナゴーとペーダ・ハンセン・テューセンには魅力が皆無。オーレ・キャスパセンやトゥーエ・フリスク・ピーダセンといった脇の面子もパッとせず、とっとと忘れてしまいたい映画である。
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「マ・レイニーのブラックボトム」

2021-03-26 06:25:11 | 映画の感想(ま行)
 (原題:MA RAINEY'S BLACK BOTTOM)2020年12月よりNetflixにて配信。本国では絶賛されているらしいが、個人的にはどこが面白いのかさっぱり分からない映画である。キャストの演技も演出もストーリーも、評価すべき点は見当たらない。救いは上映時間が94分と短いことで、この調子で2時間以上も引っ張っていれば途中で“離脱”していたことだろう。

 舞台は1927年のシカゴ。当時高い人気を誇っていた女性シンガーのマ・レイニーは、レコード会社幹部の依頼により、忙しいツアーの最中に時間を作ってレコーディングに臨もうとしていた。バックバンドのトランペッターのレヴィーは野心的で、他のメンバーと揉め事を起こす。そこに遅れて到着したマ・レイニーは、白人のプロデューサーらとの“見解の相違”により激しく対立。レヴィーのおかげでチームワークを喪失したバンドの状態も相まって、スタジオは不穏な空気に包まれる。劇作家オーガスト・ウィルソンが82年に発表した戯曲の映画化だ。

 まず、このマ・レイニーというキャラクターの造型が気にくわない。実在の人物で、当時は“ブルースの母”と称されたほどの実力の持ち主だが、ここで描かれる彼女はワガママでどうしようもない。レコーディングスタッフやバンドのメンバーに対して散々文句を言った挙げ句、“言い分が通らないのならば、ツアーに戻る”と啖呵を切る。

 さらに彼女は吃音を持つ甥を曲の口上に起用させて、手間ばかりを周囲に強いる。厚化粧で趣味の悪い服装は史実通りかもしれないが、不愉快だ。バイセクシュアルという設定も、昨今のLGBTQのトレンドに安易に乗っかったようで面白くない。バンドの面子も同様で、レヴィーは自身のバンドを作るの何のと威勢の良いことを言うが、彼のパフォーマンスには突出したものは感じられない。

 他のメンバーも没個性で、彼らがどうでも良いことをグダグダと言い合う序盤にはアクビが出た。まあ、その中には黒人が受けた迫害を訴えるシーンもあるのだが、さほどの切迫度は無い。終盤の展開は乱雑で、ラストなんか“何だこりゃ”と言うしかないほどだ。

 ジョージ・C・ウルフの演出は凡庸で、特筆すべきものは無い。マ・レイニー役のヴィオラ・デイヴィスは熱演ながら、役柄自体が嫌いなので評価は差し控える。レヴィーを演じるのはこれが遺作になってしまったチャドウィック・ボーズマンだが、セリフが多い割にはキャラクターが活きてこない。致命的なのは演奏シーンに求心力が欠けることで、音楽自体を題材にしたシャシンではないことは分かるが、音楽担当にブランフォード・マルサリスという大物を起用していながらこの程度とは、不満が残る。あと関係ないが、マ・レイニーが歌うシーンでは歌詞の字幕が出ないのには閉口した。
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「ウルフウォーカー」

2021-03-22 06:21:53 | 映画の感想(あ行)
 (原題:WOLFWALKERS )ファンタジー仕立てのアニメーションという、私が最も苦手とするジャンルに属する作品ながら(笑)、大いに楽しめた。しっかりとした作劇のセオリーに則って撮ってもらえば、形式・分類はどうあれ訴求力の高いシャシンか出来上がることを、改めて確認した。限られた範囲での公開だが、幅広い層に観てもらいたい良作だ。

 舞台は中世アイルランドの町キルケニー。イングランド政府から派遣された護国卿に仕えるため、狼退治の専門家であるハンターのビルが娘のロビンを連れてこの地にやってくる。護国卿の狙いは、キルケニー周辺の狼を一掃して木を伐採し、農地として再開発することだった。ある日ロビンは森の中で謎めいた少女メーヴと出会い、仲良くなる。



 実はメーヴは半人半獣の狼人間“ウルフウォーカー”で、眠っている間だけ魂が狼の姿になって活動できるのだった。メーヴは眠ったままの母親の“狼形態の本体”を探しており、ロビンは手助けすることを約束する。しかし、メーヴにうっかり噛み付かれたロビンも“ウルフウォーカー”になってしまい、そのことでビルは窮地に立たされることになる。アイルランドとルクセンブルクの合作だ。

 設定が面白い。睡眠中は狼になる“ウルフウォーカー”だが、“本体”に戻るためには眠っている自分のすぐそばにいなけれはならない。離れた場所で狼の姿のまま拘束されると、メーヴの母親のように“本体”には復帰できないが、この仕掛けが最後まで揺るがないのが良い。ロビンとビルの親子関係や、ビルと護国卿との主従関係の扱いも不自然さは無く、各登場人物の言動はすべて納得がいくように作られている。悪役の護国卿にしても、その振る舞いは合理的だ。このあたりが凡百のファンタジーものとは違うところである。



 トム・ムーアとロス・スチュアートの演出は実に達者で、テンポよく最後までドラマを進めている。終盤には大々的なバトルシーンもあるのだが、畳み掛けるようなタッチと“画面分割”のテクニックが駆使され、素晴らしい盛り上がりを見せる。また、当時のイングランドとアイルランドの関係を物語のスパイスとして取り入れているのも天晴れで、歴史好きにもアピールできる。

 絵柄やキャラクターデザインはディズニーやジブリ等とは全く異なるアーティスティックなものだが、違和感が無いばかりか目覚ましい美しさを醸し出している。また、ブリュノ・クーレやKiLa、オーロラといったミュージシャンによって提供された楽曲群も、かなり効果的。終盤の扱いも後味が良く、これは欧州製アニメーションの収穫だと断言したい。
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「時の面影」

2021-03-21 06:27:31 | 映画の感想(た行)

 (原題:THE DIG )2021年1月よりNetflixにて配信。事実を元にした題材は興味深く、映像は素晴らしく美しいのだが、ドラマの内容はあまり評価出来ない。ストーリーの焦点が絞り切れていない印象を受ける。各キャストはかなり健闘しているのに、もったいない話である。

 1930年代終盤、イギリスのサフォーク州に広大な土地を所有する未亡人のエディスは、敷地内にある墳墓を発掘するため、アマチュアのベテラン考古学者バジルを雇う。当初、墳墓は盗掘されて中には何も無いと予想していたが、実際に作業を開始すると、バイキングの時代よりも遥かに古い時代の歴史的遺産が眠っていることが判明。エディスらは近所や親戚筋から人を集めて、本格的な発掘に乗り出す。しかし、遺跡を大英博物館に移設することを主張する当局側の人間たちもやってきて、バジルと対立する。やがて第二次大戦が勃発し、この地にも影響が及んでくる。ジョン・プレストンによるノンフィクション小説の映画化だ。

 恥ずかしながら、このイギリスの著名な遺跡“サットン・フー”のことは本作を観るまで知らなかった。7世紀のアングロサクソン人のものだというが、日本だと古墳時代の後期に当たる。物語は当然、この遺跡を巡ってのエディスたちと当局側の駆け引きと、バジルとエディスの触れ合いを中心に描くものだと思われた。

 しかしどういうわけか、途中でエディスの親戚筋の若い男と、考古学者の妻との恋愛沙汰がストーリーの真ん中に躍り出る。この男は従軍が決まっており、映画としては戦争の不条理をも強調したつもりだろうが、話がチグハグになるばかりだ。当然、そのあおりを食ってバジルとエディスの描写は扱いが軽くなる。この2人の“その後”の人生も表面的に触れるのみになってしまった。

 サイモン・ストーンの演出は今回は要点を間違えただけで、本来は実力があると思われるだけに惜しい。とはいえ、マイク・エリーのカメラによるこの地方の風景は、目覚ましい求心力を発揮している。ここをチェックするだけでも、観る価値はある。

 エディス役のキャリー・マリガンは、最初彼女だと分からなかったほどの老け役に徹していて驚いた。バジルに扮するレイフ・ファインズの高年齢メイクにも感心する。リリー・ジェームズにジョニー・フリン、ベン・チャップリンなど、その他のキャストも悪くない。それだけに、作劇の不備は残念だ。
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「あのこは貴族」

2021-03-20 06:26:15 | 映画の感想(あ行)
 つまらない。フワフワとした印象しか受けない。何も描いていないし、描こうともしていない。すべてが表面的であり、見応えは皆無だ。いい役者を起用しているのに、もったいない話である。驚くべきことに世評は高いようなのだが、他人の意見がどうあれ、私としてはダメなものはダメだと断言するしかない。

 渋谷区松濤の裕福な開業医の家に生まれ、20歳代後半になるまで箱入り娘として育てられた華子は、結婚を考えていた恋人に振られて少なからずショックを受ける。それでも何とか新しい交際相手を探そうとしていた彼女だが、周囲の紹介で出会った弁護士の幸一郎に一目惚れしてしまう。彼は見た目も毛並みも申し分なく、結婚を決めるまでそう時間は掛からなかった。

 一方、富山から大学進学のため上京した美紀は、父親の失業により退学を余儀なくされる。それからはただ生活するために、目先の仕事に追いまくられていた。実は、美紀は幸一郎と付き合っていた。そのことを知った華子は、美紀に会うことにする。山内マリコの同名小説の映画化だ。

 華子や幸一郎が属している、いわゆる“上級国民”の描写には失笑を禁じ得ない。もちろん現在も社会的ヒエラルキーは存在しているし、上級セグメントの者たちの“生態”もここに描かれている通りなのかもしれないが、それにしても扱いが大時代的でリアリティに乏しい。これでは谷崎潤一郎の「細雪」の劣化コピーか、はたまた大昔の少女マンガの焼き直しではないか。

 結婚前に幸一郎の親族は華子のことを調べ上げているのに対し、華子側は何もしていないというのも呆れる。幸一郎のようなハイスペック男子が、見合いのような段取りで簡単に結婚を決めるわけがなく、他に異性関係があると疑うのが自然だろう。そもそも華子の造型にも共感できない。覇気も主体性も無く、有り体に言えば退屈な女だ。終盤近くになって少しは前向きに生きるような素振りは見せるが、人間そう容易く変われるものではない。

 美紀にしても同様で、逆境にもめげず何とかやってこられたのは、ルックスの良さ以外に何かあるとも思えない。幸一郎に至っては論外で、中身が無いように見える。少しは人望のあるところを見せないと、この役柄はアウトだろう。社会的格差の問題を強調するにしても、せいぜい富山の田舎町のシャッター街をサッと映すだけでは話にならない。

 岨手由貴子の演出はメリハリが無く、ただのっぺりとした時間が流れるだけ。何やら“抑えたタッチ”と“退屈な作劇”との見分けがついていないようだ。華子役の門脇麦をはじめ、水原希子や高良健吾、石橋静河、山下リオ、篠原ゆき子と役者は揃っているが、どうでもいい演技しかさせてもらっていない。わずかに目を引いたのは衣装デザインぐらいで、個人的にはほとんど存在価値のない映画だった。
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「サンティネル」

2021-03-19 06:20:03 | 映画の感想(さ行)
 (原題:SENTINELLE)2021年3月よりNetflixにて配信された、フランス製の活劇編。はっきり言って、出来はかなりヒドい。ストーリーは行き当たりばったりで何の工夫も無く、キャラクター設定もお粗末の一言。1時間20分という短い尺ながら、やたら長く感じられた。

 フランス陸軍の通訳としてシリアに従軍したクララは、理不尽な戦争の悲劇を目の当たりにしてPTSDを患ってしまう。海外勤務を終えて故郷のニースに帰り、テロ対策の歩哨を命じられた彼女だが、向精神薬がないと日常生活も送れない有様だった。そんなある日、妹のタニアがナイトクラブに行った後に何者かに暴行され、瀕死の状態で発見されるという事件が発生。クララは犯人を見つけて妹の復讐をするために向こう見ずな行動に出るが、容疑者のロシアの大手IT会社の社長には、警察も手も出せない有様だった。

 戦争帰りの兵士が義憤に駆られて大暴れするという、今までも何度となく扱われてきたネタだが、本作には目立った工夫が見受けられない。犯人を捜すプロセスをはじめ、敵のアジトを特定するくだりや、そこに侵入する段取りなどは、まさに手抜き。それどころか、中盤以降は“どこかでフィルムが飛んでいないか”と思うほどシークエンスの繋ぎが荒く、脈絡の無いシーンが突然出てきたりする。

 ならば活劇場面はどうかといえば、これも低調。クララの格闘シーンはスクリーンにまるで映えず、かといってリアリティがあるわけでもない。また、キレの良いガンプレイやカーチェイスなども無し。そもそも、クララは悩みを抱えているにしては振る舞いが直情径行で、観る側としては感情移入しにくい。敵方の存在感の無さにも閉口する。

 ジュリアン・ルクレール監督の仕事ぶりは冗長で、安手のテレビドラマ並だ。主演のオルガ・キュリレンコは頑張っているとは思うが、まだまだ鍛え方が足りない。そして、それをカバーする演出上の措置も無い。マリリン・リマにミシェル・ナボコフ、マーティン・スワビーといってた脇の面子も弱体気味で、結局印象に残ったのは、風光明媚な南仏の描写だけであった。
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「世界で一番しあわせな食堂」

2021-03-15 06:34:51 | 映画の感想(さ行)
 (原題:MESTARI CHENG )この内容にしては上映時間が長いし、筋書きに突っ込みどころもあるのだが、実に肌触りの良い作品で最後まで気持ち良く観ていられた。ミカ・カウリスマキ監督の作品に接するのは初めてながら、シニカルでストイックな作風が身上の弟のアキ・カウリスマキ監督とは様相がまるで違うのも面白い。

 フィンランド北部にあるラップランド地方の小さな村の食堂に、中国人の中年男チェンが小学生の息子と一緒にやってくる。チェンは昔世話になったフィンランド人に会いに来たのだが、誰もそれらしい人物を知らない。途方に暮れた彼を、食堂の女主人シルカは泊めてやることにする。翌日、なぜか食堂に中国人の団体客が押し寄せてくる。彼らを満足させる料理を出すことに自信のないシルカを助けたのが、実は上海の有名レストランでコックをやっていたチェンだった。



 地元の食材を使った上海料理を急遽振る舞い、彼はその場を切り抜ける。そして食堂の調理係になった彼の料理は評判を呼び、店は大繁盛。チェンは常連客たちとも親しくなる。だが、観光ビザの期限が迫り、チェン親子は帰国しなければならない。いつしか彼を憎からず思うようになっていたシルカは、大いに悩むことになる。

 いくら“海外進出”が盛んな中国人観光客とはいっても、名所旧跡も無い片田舎に大挙して来訪するとは考えにくい。また、薬膳料理が“万能薬”みたいな扱いであるのも、何か違う気がする。そもそも製作に中国資本が入っているためか、やたら彼の国を持ち上げているのも気になるところだ。しかし、各キャラクーの描写には卓越したものを感じる。

 チェンもシルカも辛い過去を抱えており、いまだ立ち直っていない。そんな2人が出会うことにより、改めて人生に向き合っていくプロセスには説得力がある。悪い奴が一人も出てこないのは、さすが世界幸福度報告書でトップのフィンランドらしいが、なぜ彼らが善良なのか、その理由が垣間見えるあたりも興味深い。それはひとえに地域コミュニティが有効に機能しているからに他ならないのだが、映画はそのことを必要以上に強調しないのも納得だ。

 ミカ・カウリスマキの演出は悠然としていて無理がない。ヤリ・ムティカイネンのカメラによる美しい自然の風景も印象的だ。主演のアンナ=マイヤ・トゥオッコとチュー・パック・ホングをはじめ、カリ・バーナネン、ルーカス・スアン、ベサ=マッティ・ロイリら脇のキャストも好演だ。それにしても、この食堂で当初出されていたのはソーセージとマッシュポテトと野菜の付け合わせという、とても美味しそうとは言えないシロモノであるのには苦笑した。こんなのばかり毎日食っていれば、キレイに盛り付けられた中国料理に皆瞠目するのも良く分かる。
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「クローバーフィールド・パラドックス」

2021-03-14 06:56:14 | 映画の感想(か行)
 (原題:THE CLOVERFIELD PARADOX )2018年2月よりNetflixにて配信。J・J・エイブラムス製作による「クローバーフィールド HAKAISHA」(2008年)の前日譚ということだが、私はその映画は未見である。だから本作には“単品”として接したのだが、これは怪作だと思った。とにかくワケが分からない。ただ、妙なパワーだけはあり、戸惑いながらも最後まで観てしまった(笑)。

 エネルギー資源が枯渇しつつある近未来。各国は共同で巨大な宇宙ステーションを作り上げ、新エネルギーの開発実験に取り組んでいたが、何年たっても進捗しなかった。だがやっと成功したと思われたその時、乗組員の目の前から地球が消えてしまう。しかしそれは、宇宙ステーションそのものが遠くへ飛ばされたということだ。



 戸惑う一同は、やがて壁の中から聞こえてくる呻き声に気づく。壁の内側を調べてみると、見知らぬ女性が閉じ込められており、しかも彼女はこのステーションのスタッフだと名乗るのだ。どうやら実験が成功したことにより異なる次元との交錯現象が発生したらしく、続けて船内に怪異なトラブルが次々と起こる。

 はっきり言って、意味の分からないことの連続だ。この宇宙ステーションで行われている新エネルギー開発実験の概要は、最後まで説明されない。当然、どうしてそれが異次元への扉を開くことになるのか不明だ。度々やってくる“絶体絶命のピンチ”とやらも、何がどうヤバくて、どうやったら危機を回避出来るのか皆目わからない。

 怪異現象の発生は、文字通り行き当たりばったりで、全容がほとんど掴めない。まあ、要するに“異次元と交錯しているのだから、何でもアリ”という状態で、話の辻褄を合わせる気などさらさら無いのだろう。この変異は地球にもおよび、地上ではモンスターらしきものがのし歩いているという設定になっているようだが、このあたりも詳説されない(続編を観ろということだろうか)。

 だが、全体に無手勝流でヤケクソじみた力感が漲っていることだけは認めていいし、デビューしてから日の浅いジュリアス・オナー監督としては、そこそこ健闘していると言っていいのかもしれない。ググ・バサ=ローやデイヴィッド・オイェロウォ、ダニエル・ブリュールといったキャストはあまりパッとしない。中国人クルー役でチャン・ツィイーも出ているのだが、印象に残らず。ただ、謎の女に扮したエリザベス・デビッキだけは、その高身長も相まって目立っていた。
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