元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

最近購入したCD(その22)。

2011-04-30 07:27:13 | 音楽ネタ
 今回まず紹介したいのが、東日本大震災チャリティ・アルバムである「SONGS FOR JAPAN」だ。世界4大レコード会社(ソニー、ユニバーサル、ワーナー、EMI)がタッグを組み、レーベルの枠を超えて、世界のトップ・ミュージシャンたちの楽曲を集結させた2枚組。前にネット配信されて評判を呼んだ音源だが、今回市販CDとしてリリースされた。本ディスクの収益は、アメリカのソニー・ミュージックエンタテインメントを通じて義援金として日本赤十字社へ寄付される。



 日本のためにこういう企画を立ち上げてくれたことは有り難いし、日の丸をあしらったジャケットも泣かせる。ただそれ以上に、本作が極めてコストパフォーマンスの高い商品であることに注目したい。ボブ・ディランからレディー・ガガまで新旧取り混ぜた多彩な顔ぶれが揃い、しかも各ディスク70分を超える長時間収録。これが1,500円で買えるのだから、音楽好きとしては喜ばずにはいられない。また圧縮音源であるネット配信に比べれば、CDの音質面でのアドバンテージも見逃せない。まさに一家に一枚の必携盤だ。

 特にこのCDは、普段あまり海外のポップスを聴かない層にお奨めしたい。我々洋楽ファンにとってはお馴染みのビッグネームでも、邦楽オンリーのリスナーには縁遠いと思われるアーティストの作品も多数収録されている。チャリティ目的ということで、広範囲な消費者の購入の動機付けにも繋がるだろう。是非ともこのディスクを手にして、気に入ったサウンドを見付けて欲しい。



 ロンドン出身の新進女性シンガーソングライター、イライザ・ドゥーリトルのデビュー・アルバム「イライザ・ドゥーリトル」は、その斬新な音造りで異彩を放っている。60,70年代のポップス、ソウル、オールディーズを基調に、レゲエやジャズ、ブルースなどのテイストを取り入れ、全体として独自のレトロな脱力系サウンドにまとめ上げるという、ありそうでなかなか無いことをやってのけている。

 どのナンバーにも“刺激的”な部分はなく、コーラスや手拍子、口笛なども挿入された緩くてフワフワした世界が展開されるが、よく聴くとメロディ・ラインは計算され尽くしたように巧みだ。アレンジも凝っていて、いつまでも聴いていたいような明るい空気感を醸し出す。声の質も歌詞の内容もけっこうチャーミングだ。昨今はリリー・アレンやエイミー・ワインハウス、ダフィーなど英国出身の女性ミュージシャンの活躍が目立っているが、ドゥーリトルは21歳という若さと特異な音楽性で、屹立した存在感を発揮していると言える。今後の活躍に期待したい。



 ハービー・シュワルツ・トリオの「トゥ・レイト・ナウ」は、ONKYOが提供する「MASTER OF SOUND」シリーズの第一弾で、録音は88年(今回が初CD化)。ハービー・シュワルツのベース、ビル・チャーラップのピアノ、トッド・ストレイトのドラムスという構成。人気ピアニストのチャーラップの初レコーディング作品でもある。スタンダード中心の選曲だが、技巧面では定評のあるメンバーが揃っているだけに、演奏は聴き応えがある。特にハービー・Sの流麗なパフォーマンスは、聴き手をとらえて放さない。

 本作の一番の売り物は、サウンドデザインである。マスターテープからハイビット・ハイサンプリングによってデジタル変換し、その上で精細なマスタリングが施されており、極めて音の鮮度が高い。特に空間の再現性には卓越したものがあり、まるでニューヨークのクラブにいるような臨場感を味わうことが出来る。近年の旧譜のリマスターの成功例としてはビートルズの一連のアルバムなどがあるが、このディスクのように埋もれていた旧い録音を現在でも通用するような音のクォリティに仕上げる際にも有効な方法論であると思う。この調子でディスコグラフィを充実させて欲しいものだ。
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「イリュージョニスト」

2011-04-29 06:59:58 | 映画の感想(あ行)
 (原題:L'ILLUSIONNISTE )作品内容と映画作りの手法がマッチしていない印象を受けた。フランスの喜劇王ジャック・タチの幻の脚本をアニメーションとして仕立てたのは、傑作「ベルヴィル・ランデブー」のシルヴァン・ショメ。今回はエキセントリックな味は抑えてオーソドックスなサイレント映画に近いスタイルを採用している。しかしこれが上手くいっているとは思えないのだ。

 1950年代のパリ。場末のキャバレー等で古くさいマジックを披露する初老の手品師タチシェフは、電気が開通したばかりのスコットランドの離島での“営業”を頼まれることになる。娯楽の少ないその島では、時代遅れの彼の芸もまだ通用した。下働きをしていた少女アリスはタチシェフを本物の魔法使いだと思い込んで、彼と一緒に島を離れエジンバラの片隅で共に暮らし始める。実はタチシェフは昔一人娘を亡くしていて、アリスにその面影を見ていたのだった。

 断っておくが、ここまで書いた大まかな設定は映画の中盤を過ぎてからじゃないと掴めない。アリスがタチシェフを魔法使いだと信じたことも、タチシェフに娘がいたことも、リアルタイムでは伝わってこないのだ。セリフを交わせばすぐに分かることを、サイレント形式を採用したおかげで説明不足の状態に陥ってしまう。

 無口な“ユロ氏”にオマージュを捧げたつもりだろうが、ジャック・タチがもしも本作を手掛けていたら、もっと平易な語り口で臨んだはずだ。しかも、終盤の重要なモチーフにはメモ(セリフ)が使われているあたり、スタンスが徹底していないようにも思える。さらにはタチシェフが映画館に入ると「ぼくの伯父さん」を上映しているという、妙なところで“饒舌”なドラマツルギーが挿入されるなど、姿勢の一貫性の無さに違和感を覚えざるを得ない。

 別にアニメーションにしなくても良かったのではないか。いくらタチ御大による元ネタでも、実写版で普通に映画化して悪いことはないだろう。それでもショメに任せるならば、アヴァンギャルドな持ち味を全開にして観る者の度肝を抜いて欲しかった。

 映像面の仕上がりは及第点には達してはいるが、満点の出来ではない。このレベルのアニメ作品は他にいくらでもあるように思える。音楽も印象に残らない。良かったのは時代考証ぐらいだ。よほどのアニメ好きでもない限り、スルーしてもいいと思う。
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「オー・ブラザー!」

2011-04-28 06:29:03 | 映画の感想(あ行)
 (原題:O Brother, Where Art Thou?)2000年作品。隠しておいた現金120万ドルを目指して脱獄を敢行した囚人3人組と、ギターの名人だという黒人の青年との珍道中を描くロードムービー。監督はジョエルとイーサンのコーエン兄弟だ。

 ホメロスの「オデュッセイア」の映画化ということだけど、私は原作を読んでいないので、どこをどう脚色して舞台を30年代のアメリカに持ってきたのかは不明。そのへんがわかっていたらもっと楽しめたかもしれない。ともあれ、コーエン兄弟作品としては前作「ビッグ・リボウスキ」より出来は良く、万人受けする喜劇に仕上がっている。

 ジョージ・クルーニーも好調。ただし、このネタとしてはちょっと長い。そして、この監督特有のシニカルさが単純コメディであるはずのドラマの足を引っ張っていると思う。なおT・ボーン・バーネットによる音楽は好調だった。

 余談だが、私は本作を封切り当時に劇場で観たのだが、初日の朝一発目に行ったところ、終わり近くになって劇場の外から映画の中で使われていた音楽と同系統のサウンドが聴こえてきた。なんと、出入り口の階段のところでカントリー&ウエスタンのバンドがミニライヴをやっていたのだ。なかなか面白い企画だと思ったが、気を付けないと、映画鑑賞の妨げになるゾ(笑)。
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「神々と男たち」

2011-04-27 06:36:05 | 映画の感想(か行)

 (原題:DES HOMMES ET DES DIEUX )観る者によって評価が分かれるだろう。もちろん製作国であるフランスと、全般的にキリスト教に関して疎い日本の観客とでは、受ける印象が違ってくるはずだ。私はと言えば、頷ける部分もあれば納得出来ない箇所も目に付くという、好悪相半ばの感想を持った。

 96年、アルジェリアの北西部の山あいの修道院で活動していた7人のフランス人修道士が、武装勢力に拉致されて殺害された実際の事件を元にしている。彼らが滞在する村の有り様が実に興味深い。キリスト教の伝道に来ているはずだが、周りは当然のことながらイスラム教徒が多い。しかし、修道士たちは相手がどんな宗教を信じていようと分け隔て無く奉仕活動に従事する。それどころか、ムスリムの催しにも積極的に参加。イスラム教徒の間でも修道士たちに対する信頼は厚い。

 キリスト教もイスラム教も一神教であり、神の前では平等であるという基本テーゼは共通している。イエス・キリストはイスラム教では預言者の一人でもあるし、本来は両者がいがみ合うこと自体が間違いなのだ。この“あるべき姿”を描写した部分は感動的である。世界中が互いの価値観をこのように尊重し合っていたら、どんなに良いだろうか。

 しかし、理想論では全ては語れない。アルジェリアはフランスの植民地であり、激しい独立戦争を経て国家を樹立したはずだが、いまだにフランス経済の影響下にある。軍事政権とイスラム反政府勢力との抗争は植民地時代の政策に端を発しているとも言えるのだ(それを指摘するセリフも出てくる)。修道士たちが善意の奉仕者といっても、この国では異分子でしかない。

 映画は彼らが帰国するか、あるいは留まって活動を継続するか、それを決断するまでを丹念に追う。結果は事実の通りになるのだが、これは一種の“殉教”だと言える。もちろん背後には我々部外者が“狂信”と捉える部分がある。その意味では彼らの行動には頷けない。

 だが、彼らが帰国しても行くところがないと独白するくだりにはハッとする。寄る辺ない生活を送る者にとって、残されるのは信仰しかないのだ。本来、人生を実りあるものにするための宗教が、逆に人生を空洞化させてしまった者の拠り所として扱われていることの皮肉。この指摘はシビアだ。しかし、覚悟を決めた彼らがチャイコフスキーの「白鳥の湖」を聴きながら“最後の晩餐”に臨むシーンは図式的でつまらない。このように、本作は良いところと不十分なところが混在している。

 グザヴィエ・ボーヴォワの演出は丁寧で、ランベール・ウィルソンやマイケル・ロンズデールといったキャストも万全だ。それだけに、製作スタンスの“ゆらぎ”が気になるところである。ただ、ストイックな作風のこのシャシンが本国では大ヒットしたという事実は、映画に対する認識についての(我が国との)国民性の違いに、改めて驚いてしまう。
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真山仁「マグマ」

2011-04-26 06:38:16 | 読書感想文
 原子力発電の危険性が取り沙汰されている現在であるからこそ、是非ともチェックしたい本だ。外資系投資ファンドに勤める若手キャリアウーマンが、某特殊法人の再生を命じられる。その会社は、地熱発電のデベロッパーだった。太陽光や風力といった新エネルギーの陰で無視されてきた地熱発電のリエンジニアリングに、なぜ今取り組むのか。やがて彼女の前に、政財官の思惑が錯綜する重い現実が立ちふさがる。

 地熱発電の欠点は、せっかくスイートスポットを掘り当ててもバルブがすぐに詰まってしまうこと、そして立地候補のほとんどが国立公園内にあるため、環境アセスメントの策定が困難を極めること・・・・という事実ぐらいは私も知っていたが、本名ではさらに突っ込んだ説明が成されている。

 さらに、海外の投資銀行がどのようにして“カネの臭いがする場所”を探り当て、収益をかすめ取っていくかも具体的に知ることが出来る。外資系企業の人事メソッドが説明されているのも興味深い。

 だが、それ以前に本書が魅力的なのは、新エネルギーの開発に邁進する人々の矜持が鮮やかに描かれている点である。我が国は原発に簡単にダメージを与える地震の巣であると共に、世界有数の火山国でもある。私達の足の下には、無尽蔵のエネルギーが存在しているのだ。もちろん題名の「マグマ」とは、日本の産業界のあるべき姿を追い求める登場人物たちの熱い心の象徴でもある。やがてヒロインが“公”に目覚め、地熱の開発に一生を捧げようと決心するくだりは感動的だ。

 「ハゲタカ」や「ベイジン」で知られる真山仁の筆致は達者そのもので、ぐいぐいと引き込まれていくパワーがある。それほどの長編ではないので終盤が若干駆け足になってしまうのは仕方がないが、脱原発が叫ばれる今、次世代エネルギーを考える上で読む価値は十分にある力作である。
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「SOMEWHERE」

2011-04-25 06:31:44 | 映画の感想(英数)

 (原題:SOMEWHERE )全然面白くない。ギョーカイ人の手前勝手なメランコリーを勿体ぶって描いているだけ。もちろん、そんな題材を取り上げてはいけないというキマリはない。ただし、劇場でカネを取って見せる以上、観客の耳目を集めるだけの(広義の)スペクタクル性がなくてはならないし、実際にそういうモチーフを効果的に挿入して注目作になり得た映画は過去にある。ところが本作には見事なほどそれがない。少なくとも観ている私には何の接点もないシャシンだ。

 俳優のジョニー・マルコは売れっ子だが、連夜パーティにウツツを抜かしていても、常時女を侍らせていても、高級車を乗り回していても、どこか心は満たされない。ある時、別れた妻と暮らしている11歳の娘をしばらく預かることになる。無為な日々がほんの少し有意義な方向を示したと思ったら、やがて父娘には別れの日がやってきた・・・・という話だ。

 冒頭からこれ見よがしな長回しの連続。ただそこには“主人公はこれほど孤独なのである”といった、観客から見れば木で鼻を括ったような御題目の提示しかなく、映画的興趣のカケラも存在しないのだ。

 これは監督ソフィア・コッポラの、父親との関係性を描いているという評もある。なるほど、大物監督の娘として業界のド真ん中で育ち、あまり構ってもらえなかった苦い経験が反映していると解釈するのは、ひとつの見方だ。しかし、それがどうした。自身のトラウマがどうだろうが、出来た映画が面白くなければ何もならない。そんなに手応えのない日々を送っているのならば、元妻の言うようにボランティアにでも精を出せばいい(実行しているハリウッドスターもいるではないか)。

 ジョニーの言動を追うカメラワークにはまったく緊張感がなく、この監督の唯一の取り柄である音楽の使い方も今回は大したことはない(せいぜいが終盤にブライアン・フェリーによるスタンダード曲を挿入する程度)。主演のティーヴン・ドーフは凡演。誰でも出来るような役だ。娘に扮したエル・ファニングは独特の存在感はあるが、演技らしい演技もしていない。

 ソフィア・コッポラには父親フランシスの(全盛期の)ような才気は感じられず、しかも何かの間違いか本作がヴェネツィアで大賞を獲得してしまったおかげで、この毒にも薬にもならない“作風”も継続していくことになるのだろう。彼女の今後のフィルモグラフィをチェックする必要はなさそうだ。
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「焼け石に水」

2011-04-24 06:51:23 | 映画の感想(や行)
 (原題:Gouttes d'eau sur Pierres Brulantes )2000年作品。70年代のドイツ。ホモの中年男に誘われて同棲生活を始めてしまった青年と、彼の婚約者アナ、性転換して女性になった中年男の元“恋人”との奇妙な四角関係を描くフランソワ・オゾン監督作品。

 部屋から一歩も外に出ないカメラや4人しかいない登場人物、フランス語映画なのに舞台をドイツに置いている点などから、エキセントリックな密室劇を狙っていることはわかるが、印象に残ったのは主演のベルナール・ジロドーのアクの強さとリュディヴィーヌ・サニエの巨乳のみ。映画としてさっぱり面白くない。

 この頃のフランソワ・オゾン監督には、娯楽映画作りにおける良い意味でのケレンが全くなく、意図的にストイックな作風に振ろうとしているものの、見事に画面が空回り。上映時間は90分と短いはずなのに、中盤眠くてしょうがなかった。脚本を書いたライナー・ヴェルナー・ファスビンダーが絶好調時に監督していれば、もっとインパクトのある映画に仕上がっていただろう。
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「婚前特急」

2011-04-23 06:38:57 | 映画の感想(か行)

 まあまあ楽しめるラブコメディだが、とびきり面白いわけでもない。設定も配役も万全だが、これが長編劇場用映画デビュー作となる前田弘二監督の腕が今ひとつで、なかなか画面が弾んでこない。もっと手練れの演出家を起用しても良かったのではないかと思った。

 若いOLのチエは5人の男と付き合っている。相手は年齢も職業もさまざまで、彼女はその時の気分と必要性に応じて交際相手を選んでいる。ところが、親友のトシコがいきなり結婚。それに触発されたチエは、5人の中から本命の彼氏をピックアップするために、それぞれのメリットとデメリットを列挙して“査定”を始める。

 とりあえず一番ポイントの低い工員のタナシに別れを告げようとしたところ、相手から“最初から付き合ってもいないのに、なんで別れるんだ”とあっさり言われ、いたくプライドを傷つけられる。何とかタナシに仕返しをしようとするチエは、自分に惚れさせた後に手酷く振ってやろうという作戦を練るが、事態は思わぬ方向に走り出す。

 だいたい、他の4人がそこそこのルックスとステイタスを持っているのに対し、ブサイクでカネもないタナシがチエと懇意になっていること自体、話の結末は見えている。あとはどれだけ工夫を凝らしてその“お約束”のラストまで観客を引っ張っていくかが重要だが、あまり上手くいっているとは思えない。早い話、演出テンポが悪いのだ。

 特に気になったのはシークエンスの繋ぎが間延びしていること。各エピソードがいくら面白くても、興趣が醒めた後にスローペースで別のシチュエーションに入ろうとするので、見ている側はまどろっこしくなる。それに、彼氏が5人もいるのに彼らがニアミスを起こす場面は一回か二回しかない。工夫次第でそういったいくらでも笑えるシーンが作れるのに、それをやらないのは明らかに不手際だろう。終盤近くになってやっとスラップスティック調に盛り上がってくるのだが、時既に遅しという感じだ。

 それでも主演の吉高由里子は健闘している。考えてみればかなりイヤな女の役なのだが、あっけらかんとしたキャラクターで可愛く見せている。用意周到のようでとことん間が抜けているあたりもキュートだ。タナシに扮する浜野謙太もイイ味を見せている。図々しいのに憎めないという、この造型はポイントが高い(笑)。

 加瀬亮、榎本孝明、青木崇高、杏、石橋杏奈、白川和子といった脇の布陣も悪くないと思う。それだけに、演出面の至らなさが惜しい。なお、ラストに出てくるハネムーン列車は茨城県のひたちなか海浜鉄道湊線で、今回の震災で大きな被害を受けている。早期の復旧を願いたいものだ。
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「わたしを離さないで」

2011-04-21 06:37:07 | 映画の感想(わ行)

 (原題:Never Let Me Go )物語の前提が十分に説明されていないため、消化不良の感が否めない。人類の平均寿命が百歳を超えた“もう一つの世界”を舞台にした本作、こういうSF的設定を違和感なく提示させるにはディテールの作り込みが重要だが、それがほとんど成されていない。

 外界から隔離された英国の寄宿学校ヘールシャムで幼い頃からいつも一緒に過ごしてきたキャシー、ルース、トミーの3人、彼らはいつどこで生まれたのか分からず、親の顔も知らない。神経質なほど健康を管理され、長じて寄宿舎を出て行くのだが、残酷な運命が待っていたという話だ。

 要するに、彼らはクローンなのである(注:これはネタバレではない。最初の数十分間を観れば、誰だって分かる)。どこかに住んでいる“本体”が病気やケガで重大な事態に直面したとき、彼らの“身体のパーツ”が移植される。もちろん器官を除去された彼らは死ぬだけだ。前述の“平均寿命が百歳”という対象に彼らは入らない。人間でさえないのである。

 この映画はマイケル・ベイ監督の「アイランド」と設定がよく似ている。ところが話の筋道が通っているのは、脳天気なアクション映画であるはずのベイ作品の方だ。あの映画の主人公達は自らの絶望的な未来を知り、必死の脱出を試みる。それが当然だろう。対して本作の主要登場人物は、自分たちの末路が分かっていながらも何ら抵抗しようとしない。せいぜいが“最期の時を先延ばしにする方法”の噂を知って淡い期待を抱く程度だ。

 しかも、彼らは隔離されておらず、宿泊所からは外出自由。自分の“本体”らしき人間を見かけてそれを確かめようともする。このような展開にするためには、どうして彼らが諦念に絡め取られているのかをテンション上げて描く必要がある。しかし、そんな様子は微塵もない。

 このような調子で“彼らの健気で短い人生に涙しましょう”と言われても、そうはいかないのだ。カズオ・イシグロの原作(私は未読)にはそのあたりが説明されているのかもしれないが、映画単体として見た場合は到底納得出来る出来ではない。

 主演の3人に扮するのはキャリー・マリガン、キーラ・ナイトレイ、アンドリュー・ガーフィールドだが、この中ではナイトレイが断然素晴らしい。彼女としては珍しい現代劇での登板だが、卓越した演技力で見せきってしまう。ところが一応は主役扱いのマリガンはつまらない。表情に乏しく、身体も硬い(もうちょっと精進してほしいものだ)。

 じっくりと構えたマーク・ロマネクの演出、メランコリックなレイチェル・ポートマンの音楽、そしてアダム・キンメルのカメラによる痺れるほどに美しい映像など、エクステリアは万全。けれども、大きすぎる不備のある脚本では、評価は出来ない。
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「裏切り者」

2011-04-20 06:33:19 | 映画の感想(あ行)
 (原題:The Yards )2000年作品。「ザ・ファイター」でも好演したマーク・ウォルバーグ主演のサスペンス編だ。ニューヨークを舞台に、仲間をかばって服役していた主人公をめぐって、またしてもファミリー・ビジネスの不正が暗躍する。

 決して根っからのワルではないのに、自分の身可愛さに悪事を重ねて行く登場人物たちを容赦なく描こうというジェームズ・グレイ監督作。ハリウッド映画には珍しいマジに暗いドラマで、映像も演出テンポも実に重々しい。ウォルバーグやジェームズ・カーン、ホアキン・フェニックス、シャーリーズ・セロンなど新鋭ベテラン取り混ぜた多彩なキャストにより、けっこう見応えのある映画には仕上がっている。

 でも、終盤のプロットの詰めの甘さを俳優の存在感で押し切ろうとしているのがミエミエなのはちょっと愉快になれない。これをもしイギリス映画あたりでやったらもっとインパクトのある作品に仕上がったかもしれない。

 ハワード・ショアの音楽は良好。エレン・バーステインは「レクイエム・フォー・ドリーム」に続きまたしてもロクでもない息子の母親役である(笑)。また久々にフェイ・ダナウェイが顔を出しているのも嬉しかった。
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