映画的興趣とは別の地平に位置するような作品だが、資料的な意義は大いにある。とにかく、取り上げられている事物が珍しく、こういうドキュメンタリー映画の形でまとめ上げてもらうと、幅広い層にアピールすることが可能になってくるだろう。また難解な部分はなく、平易なホームドラマとしての側面があることも認めて良い。
舞台は北海道東部の釧路総合振興局管内にある白糠町。そこで伝統的な鮭漁のマレプ漁をはじめとしたアイヌ文化(アイヌプリ)を継承している人々を描く。映画の中心に据えられているのは、天内重樹とその一家だ。冒頭、彼の猟銃から放たれた銃弾が一発でエゾシカの脳天を貫くシーンはかなりのインパクトだ。しかし、続いて描かれる鮭漁に関しても、決して彼は余分な獲物を得ようとはしない。必要最小限に留め、自然の神に感謝して日々の勤めを全うする。
もちろん、いくら彼がアイヌとはいえ、古来からの自給自足に近い生活を今も送っているわけではなく、ちゃんと地域社会の一員としての役割も果たしている(漁をするに当たっては年度ごとに当局側に許可申請するのだ)。その折り合いの付け方が彼の中で“完結”しており、それが家族や仲間たちにも共有されていることに感心した。
特に小学生の息子とのやり取りは面白く、この子がなかなか利発で父親が伝えたいことを過不足なく咀嚼しているのも好印象だ。また、一家の長男は産まれて間もなく世を去っていることが語られ、そこから重樹と妻がどう立ち直っていったのか、観る者の想像力をかき立てる仕掛けも興味深い。
アイヌの伝統や風習を紹介するくだりは、よく撮られている。監督の福永壮志が彼らの深い信頼を得ていたことが窺われよう。そして何よりエリック・シライのカメラによる自然の風景は、本当に美しい。日の出の神々しさや、夜の深い闇など、アイヌの人々が昔から向き合っていた世界が確かに映し出されている。
舞台は北海道東部の釧路総合振興局管内にある白糠町。そこで伝統的な鮭漁のマレプ漁をはじめとしたアイヌ文化(アイヌプリ)を継承している人々を描く。映画の中心に据えられているのは、天内重樹とその一家だ。冒頭、彼の猟銃から放たれた銃弾が一発でエゾシカの脳天を貫くシーンはかなりのインパクトだ。しかし、続いて描かれる鮭漁に関しても、決して彼は余分な獲物を得ようとはしない。必要最小限に留め、自然の神に感謝して日々の勤めを全うする。
もちろん、いくら彼がアイヌとはいえ、古来からの自給自足に近い生活を今も送っているわけではなく、ちゃんと地域社会の一員としての役割も果たしている(漁をするに当たっては年度ごとに当局側に許可申請するのだ)。その折り合いの付け方が彼の中で“完結”しており、それが家族や仲間たちにも共有されていることに感心した。
特に小学生の息子とのやり取りは面白く、この子がなかなか利発で父親が伝えたいことを過不足なく咀嚼しているのも好印象だ。また、一家の長男は産まれて間もなく世を去っていることが語られ、そこから重樹と妻がどう立ち直っていったのか、観る者の想像力をかき立てる仕掛けも興味深い。
アイヌの伝統や風習を紹介するくだりは、よく撮られている。監督の福永壮志が彼らの深い信頼を得ていたことが窺われよう。そして何よりエリック・シライのカメラによる自然の風景は、本当に美しい。日の出の神々しさや、夜の深い闇など、アイヌの人々が昔から向き合っていた世界が確かに映し出されている。