元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「アイヌプリ」

2025-01-31 06:13:57 | 映画の感想(あ行)
 映画的興趣とは別の地平に位置するような作品だが、資料的な意義は大いにある。とにかく、取り上げられている事物が珍しく、こういうドキュメンタリー映画の形でまとめ上げてもらうと、幅広い層にアピールすることが可能になってくるだろう。また難解な部分はなく、平易なホームドラマとしての側面があることも認めて良い。

 舞台は北海道東部の釧路総合振興局管内にある白糠町。そこで伝統的な鮭漁のマレプ漁をはじめとしたアイヌ文化(アイヌプリ)を継承している人々を描く。映画の中心に据えられているのは、天内重樹とその一家だ。冒頭、彼の猟銃から放たれた銃弾が一発でエゾシカの脳天を貫くシーンはかなりのインパクトだ。しかし、続いて描かれる鮭漁に関しても、決して彼は余分な獲物を得ようとはしない。必要最小限に留め、自然の神に感謝して日々の勤めを全うする。



 もちろん、いくら彼がアイヌとはいえ、古来からの自給自足に近い生活を今も送っているわけではなく、ちゃんと地域社会の一員としての役割も果たしている(漁をするに当たっては年度ごとに当局側に許可申請するのだ)。その折り合いの付け方が彼の中で“完結”しており、それが家族や仲間たちにも共有されていることに感心した。

 特に小学生の息子とのやり取りは面白く、この子がなかなか利発で父親が伝えたいことを過不足なく咀嚼しているのも好印象だ。また、一家の長男は産まれて間もなく世を去っていることが語られ、そこから重樹と妻がどう立ち直っていったのか、観る者の想像力をかき立てる仕掛けも興味深い。

 アイヌの伝統や風習を紹介するくだりは、よく撮られている。監督の福永壮志が彼らの深い信頼を得ていたことが窺われよう。そして何よりエリック・シライのカメラによる自然の風景は、本当に美しい。日の出の神々しさや、夜の深い闇など、アイヌの人々が昔から向き合っていた世界が確かに映し出されている。
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「アイズ・オン・ユー」

2025-01-10 06:16:26 | 映画の感想(あ行)
 (原題:WOMAN OF THE HOUR )2024年10月よりNetflixから配信されたサスペンス編。本作の注目点は、主演女優のアナ・ケンドリックが初メガホンを取っていることだ。よほどこの映画の題材が気になったと見える。しかしながら、出来は良いとは言い難い。もっともこれは脚本に問題があったのかもしれないが、たとえそうでもウェルメイドに仕上げる余地はあっただろう。

 1970年代のロスアンジェルス。駆け出しの女優シェリルは何とかハリウッドで名を売ろうとするが、まるで上手くいかない。そこでマネージャーから提示されたのが、テレビのデート番組の出演だ。元々は視聴者参加番組のような内容で、そこに一応は芸能人である自分が出るのは躊躇われるところだが、背に腹はかえられない。ところが、その番組の男性出演者の一人であるロドニーは連続殺人犯であった。都合良くシェリルとデートできる資格を得た彼は、彼女を次のターゲットに選ぶ。当時世間を震撼させたシリアルキラーのロドニー・アルカラを描く実録映画だ。



 当然のことながら映画は番組内でのシェリルとロドニーの思惑と、番組終了後に本性を現すロドニーの手からヒロインがどうやって逃れるのかをメインに進行するものだと誰しも思うだろう。ところが、ロドニーの過去の悪行が序盤に紹介されるのはまだ良いとしても、本題の話はなかなかシェリルの方を向いてくれない。

 番組観覧者の一人がロドニーの顔に見覚えがあってプロデューサーに通報しようとするが上手くいかないくだりや、後日ロドニーが家出少女を手に掛けようとするパートなどが不必要に長く、かなり散漫な印象を受ける。時制が遠慮会釈無くあちこちに飛ぶのも愉快になれない。結局は事件の全貌はラストの字幕で説明されるのだから、この映画自体に存在価値はあったのかと思ってしまう。

 まあ、筋金入りのフェミニストとしての言動が知られるケンドリックが、このネタに食い付いてきたのはおかしい話ではないが、娯楽映画としての体裁を整えるのを優先すべきではなかったか。シェリルに扮するケンドリックのパフォーマンスは可も無く不可も無し。ロドニー役のダニエル・ゾバットは凄みが足りず、まるで普通のアンチャンだ。ニコレット・ロビンソンにオータム・ベスト、ピート・ホームズ、ケリー・ジェイクルなどの脇の顔ぶれにも特筆すべきものは見当たらない。
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「お坊さまと鉄砲」

2025-01-05 06:18:50 | 映画の感想(あ行)
 (英題:THE MONK AND THE GUN)脚本も手掛けたパオ・チョニン・ドルジの演出は、長編監督デビュー作「ブータン 山の教室」(2019年)よりもかなり手慣れてきた感じで、起承転結はキッチリと整備され、凝ったストーリー展開も違和感が無い。各キャストの動かし方は堂に入っており、娯楽映画としてのスタイルは練り上げられていると言って良いだろう。しかし、それが映画自体の存在感に貢献しているかというと、少し微妙ではある。

 2006年。第5代国王のジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュクが退位し、民主化へと舵を切ったブータンでは、総選挙の実施を見据えて各地で模擬選挙が行われることになる。周囲を山に囲まれたウラの村も例外ではなかったが、この地で敬われている高僧は、なぜか次の満月までに銃を2丁用意するよう若い僧に指示するのだった。銃なんか見たこともない若い僧は、調達するため仕方なく山を下りる。



 一方、アメリカからアンティークの銃コレクターのロナルドが“幻の銃”を求めてやって来て、村全体を巻き込んでちょっとした騒ぎになる。しかも、ロナルドは銃密売の疑いで当局側からもマークされており、事態は先の読めない様相を呈してくる。僧職にある者と銃というミスマッチ感、ガンマニアのアメリカ人とガイド、さらには警察当局といった多彩なモチーフを並べ、それらが混濁しないように進めていく段取りには欠点らしきものは見えない。どうして高僧が銃を所望したのかが明かされる終盤の処理も、誰でも納得出来るようなものだ。

 しかしながら、民主主義に対する疑義をあからさまに表明するような姿勢は、賛否が分かれるのではないだろうか。国王はクーデター等でポストを失ったわけではなく、真に国の民主的な発展を願っての勇退であった。それだけ国民を信頼していたということだろうが、あいにく有権者の意識はまるで追いついていない。

 映画はそのあたりをシニカルに描こうとするが、かといって王政が継続するのも何かと懸念材料が多くなる可能性がある。そういうことを考えると、果たしてこの監督が題材として取り上げるのが適当だったのか、疑問に思えてくる。前作の延長線上であと何本か手掛けても良かったのではないか。とはいえ、キャストは皆好演だし、ヒマラヤの風景はすこぶる美しい。不要な刺激や緊張を伴わない肌触りの良い作劇なので、幅広くアピール出来る内容ではある。
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「アングリースクワッド 公務員と7人の詐欺師」

2024-12-22 06:47:52 | 映画の感想(あ行)
 ひょっとしたら、上田慎一郎監督は快作「カメラを止めるな!」(2017年)を手掛けただけの“一発屋”に終わるのではないかと思うほど、この新作のヴォルテージは低い。とにかく、話の組み立て方が安易に過ぎる。まあ、テレビの2時間ドラマとしてオンエアするのならば笑って済まされるのだろうが、劇場でカネを取って見せるレベルに達しているとは、とても言えない。

 中野北税務署に勤める熊沢二郎は真面目だが気が弱く、上司や折衝先、家では妻子から軽く見られている。ある日彼は詐欺師の氷室マコトの巧妙な罠に引っかかり、大金を巻き上げられてしまう。親友で刑事の八木の助力を得て何とか氷室を探し出した熊沢だったが、逆に氷室は取引を持ち掛ける。それは熊沢が尻尾を掴めずに難儀している怪しげな実業家の橘大和に詐欺をはたらき、彼が脱税した10億円をかすめ取る代わりに、自身を見逃して欲しいというものだった。熊沢は躊躇いつつも、氷室と組むことを決意する。



 設定だけ見れば面白そうなのだが、その段取りはかなり心許ない。まず熊沢は橘が運営する非合法のビリヤード場に乗り込んで接触を図るのだが、公務員がそんなアングラなスポットに入り込めるはずがない。橘あるいは周りの者が税務署に通報してしまえば、アッという間に熊沢はクビだ。さらには地面師詐欺まで持ち掛ける熊沢たちだが、海千山千の橘がそう簡単にだまされるわけがない。だいたい高額の取引を現金払いにするなんて有り得ないだろう。

 熊沢の友人の八木が刑事だというのも御都合主義であり、さらに八木が警察内で“便宜を図る”ようなマネをするなど、無理筋の極みだ。よく考えてみれば、熊沢が税務署職員としてのスキルを十分活かしている場面は見当たらず、氷室の仲間たちも特技を披露している者は数人だ。これではチームプレイにならない。

 終盤は上田作品らしくドンデン返しの連続にはなるが、どれも軽量級でカタルシスは希薄。もっと全体的に骨太なドラマを構築して、各キャラクターの造型もシッカリと重みのあるものにするべきだ。聞けば本作は2016年の韓国ドラマのリメイクらしいが、どうしてオリジナルで勝負しなかったのか疑問である。

 熊沢に扮する内野聖陽をはじめ、岡田将生に川栄李奈、森川葵、真矢ミキ、皆川猿時、神野三鈴、吹越満、そして小澤征悦と多彩なキャストを集めているのに、脚本が弱体気味なので一向に盛り上がらない。さて、上田監督はこのままライト級の作家として世の中を調子良く渡っていくのか、あるいは心機一転で再び快打を飛ばすのか、生暖かく見守っていこうとは思う。
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「異動辞令は音楽隊!」

2024-12-06 06:23:55 | 映画の感想(あ行)

 2022年作品。観ている最中に、監督で脚本も担当した内田英治はあの愚作「ミッドナイトスワン」(2020年)を手掛けていたことを思い出し、イヤな気分になった。そのことを象徴するように、本作のヴォルテージも低い。設定は実に面白そうなのに、どこをどうすれば斯様なつまらないシャシンに終わってしまうのか、ある意味感心してしまう(呆)。

 愛知県の地方都市で捜査一課に属する成瀬司は、犯人逮捕のためなら手段を選ばないベテラン刑事だ。高齢者を狙った強盗事件が多発する中、令状も取らず強引な捜査を繰り返した挙げ句、上司の反感を買って広報課内の音楽隊への異動を命じられてしまう。嫌々ながら音楽隊を訪れる成瀬だったが、そこに属していたメンバーの大半はやる気が無く、前向きなのはトランペット奏者の来島春子ぐらい。成瀬のストレスは大きくなる一方だ。

 まず、警察音楽隊の存在を軽んじていることが不愉快だ。各県警の音楽隊の演奏には何回か接したことがあるが、いずれも達者なパフォーマンスで観客のウケも良かった。間違っても本作で描かれたような問題刑事の左遷先や、多忙な職員が上層部から無理矢理にやらされる“余興”などという雰囲気は無い。さらに、この映画は音楽の扱いが本当に雑である。いずれの演奏も高揚感が希薄で、しかもブツ切りでじっくり聴かせてくれない。ラストのナンバーこそ長めにプレイされるが、別に上手いとも思わない。

 主人公の造型も褒められたものではない。令状無しでの猪突猛進など、コメディにもならない御膳立てだ。異動後も未練がましく元の職場に顔を出すと思えば、終盤には大した証拠も提示せずに“こいつがホシだ!”と断定にするに及び、作者は音楽だけでなく警察そのものも軽視している様子が窺われる。

 主演は阿部寛が務め、他に清野菜名や磯村勇斗、高杉真宙、板橋駿谷、モトーラ世理奈、渋川清彦、六平直政、光石研、さらに超ベテランの長内美那子や倍賞美津子など、演技が下手な面子は誰一人いないにもかかわらず、印象的な仕事をさせていない。なお、阿部寛はドラムスを担当しているが、最後までサマにならない。他の音楽隊の面々も、楽しそうに演奏しているようには見えないのだ。

 唯一の例外が、主人公の高校生の娘に扮する見上愛だ。音楽隊の一員ではないのだが、ギターを気持ちよさそうに弾きまくる。彼女は本当にギターが得意であるらしく、いっそのこと見上を主役に学園音楽ドラマでも作った方がナンボかマシだっただろう。
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「アイミタガイ」

2024-12-02 06:29:50 | 映画の感想(あ行)
 キャストは万全で、皆それぞれの持ち味を発揮させた良い仕事をしている。だが、ストーリーは大して面白くはない。もっとも、この筋立てで満足してしまう観客がけっこういることは確かだろうし、ネット上の評価はわりと良好のようだ。だが私のようなヒネた人間には(笑)、こういう“感動させてやろう”という作り手の意図が表に出てくるシャシンとは、どうも相性が悪い。

 ウェディングプランナーとして働く秋村梓は、親友の郷田叶海が仕事先で亡くなったことを知る。恋人の小山澄人との結婚に踏み切れない梓は、生前の叶海と交わしていたトーク画面に変わらずメッセージを送り続けるのだった。その頃、叶海の両親のもとに、ある児童養護施設から叶海に宛てたカードが届く。それを切っ掛けに、彼女の遺品のスマホに溜まっていたメッセージの存在が明らかになる。一方で金婚式を担当することになった梓は、叔母の紹介で知り合いの小倉こみちに当日のピアノ演奏を依頼するが、その際に中学時代の叶海との記憶がよみがえってくるのだった。中條ていの同名連作短編集の映画化だ。



 要するに“情けは人の為ならず”ということわざをベースに、善意が連鎖していく様子を描いた群像劇てある。身近で大切な者を亡くした悲しみと喪失感も、他者への善行によって癒やされて、その真心は伝播していくといった構図を平易な形で表現していく。また、そのコンセプトが無理なく伝わるように出てくるキャラクターは皆好ましいとも言える。

 だが、この筋書きはあまりにも御都合主義的ではないか。本作を観て思い出したのが、ミミ・レダー監督によるアメリカ映画「ペイ・フォワード 可能の王国」(2000年)である。受けた好意を他人に贈る“ペイ・フォワード”という行動に出る主人公を描いていたが、あの作品は出来の方はイマイチながら、メッセージがグローバルな方向に設定されており、コンセプト自体は訴求力が高かった。

 対してこの「アイミタガイ」は、関係者たちが梓を中心にした狭い範囲で“完結”しており、言いたいことが真にこちらに迫ってこない。そもそも、ヒロインはLINEが既読になった後も、何の疑問も抱かず引き続きメッセージを発出しているのはおかしいじゃないか。かと思えば、彼女と澄人の仲の良さはあまりクローズアップされていない。

 それでも梓に扮する黒木華をはじめ、中村蒼、升毅、西田尚美、田口トモロヲ、風吹ジュンなど演技巧者が顔を揃えているのは心強い。中でも叶海を演じた藤間爽子のフレッシュなパフォーマンスと、こみち役の草笛光子の円熟した仕事ぶりは捨てがたい。草野翔吾の演出は安全運転に徹してはいるが、印象は薄い。あと気になったのが、この企画は数年前に鬼籍に入った佐々部清監督が温めていたことだ。もしも彼がメガホンを取っていたならば、もっとタイトな作りになっていたかもしれない。
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「ヴェノム ザ・ラストダンス」

2024-11-23 06:32:38 | 映画の感想(あ行)
 (原題:VENOM: THE LAST DANCE )このシリーズはあまり評判が良くないようなのだが、個人的には嫌いではない。少なくとも、それまでの作品をほとんどチェックしておかないとキャラクターの把握すら難儀になってきた本家「スパイダーマン」よりも、悪役の一人をクローズアップして独立したハナシに持って行ったこちらの方が思い切りが良い。この3作目も最後まで退屈せずに付き合えた。

 前作で怪人カーネイジを激闘の末に倒したジャーナリストのエディ・ブロックと、彼と“共生”している地球外生命体シンビオートのヴェノムだったが、結果として政府機関から追われる身となってしまう。そんな中、宇宙の果てに封じられている邪神ヌルが復権を狙う。ヌルは人間とシンビオートの完全合体型が発信する某コードが復活には不可欠であることから、ハンター役のクリーチャーを地球に送る。メキシコに身を隠していたエディらはヌルの企みを知り、シンビオートが複数体隔離されているネバダ州エリア51へ急行する。



 エディ&ヴェノムのコンビネーションは相変わらずだが、今回は馬をはじめとする他の動物と“合体”するのが珍しい。さらに、緊急事態になるとエリア51に集められたシンビオートたちとスタッフの面々も適宜“合体”するのも面白い。

 しかしながら、それだけではキャラクターの多様性レベルが低いかと思われた。そこで今回は興味本位でエリア51に向かうオカルトマニアの一家を登場させ、彼らとエディたちとの掛け合いに時間を割くというモチーフが用意されており、これがけっこう効果的だ。悪党でも政府関係者でもない一般ピープルに近い者たちを関わらせることによって、作劇が一本調子になることを回避している。クライマックスはヌル謹製のモンスターどもとエディたちとのバトルになるのだが、これがけっこう盛り上がる。

 脚本も担当したケリー・マーセルの演出はパワフルで、アクションシーンもスピーディーに決まる。主演のトム・ハーディをはじめ、キウェテル・イジョフォーにジュノー・テンプル、リス・エヴァンス、ペギー・ルー、スティーヴン・グレアムといった顔ぶれも万全だ。なお、題名に“ラスト”とあるように、このシリーズは取り敢えずここで打ち止めになる。とはいえ、エディたちはマーベルの世界の住人なので、別のアメコミ作品で思いがけず登場する可能性もあるだろう。その時を楽しみに待ちたい。
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「プロジェクトX-トラクション」

2024-10-25 06:22:58 | 映画の感想(あ行)

 (原題:狂怒沙暴 HIDDEN STRIKE)2023年アメリカ=中国合作。ジャッキー・チェン主演のアクション大作で、撮影は2018年に完了していたらしいが、“諸般の事情”によってアラブ首長国連邦など一部の国を除き劇場公開されていない。代わりに2023年7月からNetflixが配信を開始しており、それをチェックした次第だ。

 イラクで油田開発を進めていた大手中国企業の精製所が突如武装集団の襲撃を受け、技術主任のチェン教授らが誘拐されてしまう。警備を担当していたセキュリティ・カンパニーの司令官であるルオは、人質を奪還する任務に就く。一方、武装集団に加わっていた元特殊部隊のアメリカ人クリスは、組織の目的が石油資源強奪であることを知らされた挙げ句、ボスによって行動を共にしていた弟を殺されてしまう。そんな彼は偶然ルオと知り合い、反目し合いながらも共闘することを決意。人質奪還のため武装集団に立ち向かう。

 どうも物語の前提が釈然としない。いくらルオが手練れだといっても、公安や軍関係などの国家機関の所属ではなく警備会社の一員に過ぎない。それが国際関係にも影響を与えそうな大暴れを披露するというのは、無理がある。クリスにしても、いくら自分が住む村の子供たちの生活を守るためとはいえ、当初は見るからにテロリストみたいな連中と一緒になっていたのは説得力を欠くだろう。

 しかしそれでも、活劇シーンが始まってしまうとあまり脚本の瑕疵は気にならなくなる。ルオに扮するジャッキーのパフォーマンスはさすがに寄る年波には勝てず、全盛時のキレは望めない。だが、アクションの段取りは悪くないし、格闘場面が続いて画面が冗長になりそうになると派手な爆破シーンやカーチェイスが挿入されるのも賢明だと思う。

 クリスを演じるジョン・シナは元々プロレスラーだけあって、体術もサマになっている。テクニックよりもパワーを重視した立ち回りは、ジャッキーとは好対照とも言えよう。また、ラストのNG集では下ネタの連発で笑わせてくれるし、本当に憎めない奴だ。スコット・ウォーの演出は取り立てて才気は感じられないが、無難な展開ではある。

 ヒロイン役のマー・チュンルイをはじめ、ジァン・ウェンリー、ピルー・アスベック、ティム・マンなど顔ぶれはあまり馴染みは無いが、それぞれ良くやっていると思う。それにしても、ジャッキー・チェンはあとどのくらいアクション映画に関われるのだろうか。くれぐれも身体に気を付けて、出来る範囲で仕事をして欲しい。
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「アトラス」

2024-10-20 06:24:47 | 映画の感想(あ行)
 (原題:ATLAS )2024年5月よりNetflixから配信されたSFアドベンチャーアクション。観始めた時には、これはゲームあるいはコミックなどの元ネタがあって、その世界観をそのまま映像化しただけという、いわばお手軽な方法論で作られたシャシンかと思った。だが、実際はそうではない。それどころか映画ならではの工夫があり、鑑賞後の満足度はそれほど低くはないようだ。少なくとも、エンドマークが出るまで退屈せずに付き合える。

 AI(人工知能)が人間社会に完全に組み込まれるようになった遠い未来、突如卓越した思考力と意志を持つAIのハーラン・シェパードが人類に反旗を翻す。数百万人の犠牲者を出しながら何とかハーランを外宇宙に放逐した人類側だが、ハーランは復権を狙っていた。ハーランと家族同然に育った女性データアナリストのアトラス・シェパードは、ハーランの捕獲作戦に参加する。しかし、遠征軍は敵のアジトがある惑星の近くで早々に壊滅。九死に一生を得たアトラスは、高性能AI搭載のモビルスーツ“スミス”と共に、単身ハーランに立ち向かう。



 用意周到に任務に臨んだはずの遠征隊が戦う前から簡単に撃破されてしまうのは呆れるし、そもそもハーランはどう見てもアンドロイドで、AIの佇まいは希薄である。だからバトル主体のロボット活劇としての面ばかりが強調され、本来メインになるはずの頭脳戦が脇に追いやられているのは不満だ。

 しかしながら、アトラスと“スミス”との掛け合いは面白く、バディ・ムービーとしての興趣はよく出ている。アトラスが向こう見ずな突っ込み役ならば、“スミス”は高知能のボケ役だろう。この両者がやり合いながら次第に心理的な距離を詰めていく過程は、けっこう無理なく表現されている。題材が斯くの如しなので、当然映像のほとんどがCG。このエクステリアが肌に合わない視聴者もいるとは思うが、私は大して気にならなかった。

 アクション編の演出には定評のあるブラッド・ペイトンの仕事ぶりは堅実で、間延びすることなくスピーディーに話が進む。主演のジェニファー・ロペスは製作も担当しているだけあって、かなり頑張っている。そういえば彼女はすでに50歳代であるが、撮り方の上手さもあって年齢を感じさせない。また、ハーラン役のシム・リウは「シャン・チー テン・リングスの伝説」(2021年)の頃よりも垢抜けている(笑)。
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「エイリアン:ロムルス」

2024-10-19 06:23:03 | 映画の感想(あ行)

 (原題:ALIEN: ROMULUS)不満な点はけっこうあるのだが、捨てがたいモチーフもあり、結論としては“まあまあ観られる出来”ではないかと思う。少なくとも、デイヴィッド・フィンチャー監督によるパート3(92年)やシリーズ前日譚になるリドリー・スコット監督の「プロメテウス」(2012年)なんかよりはずっとマシだ。

 第一作の舞台になったノストロモ号が爆破されてから数年経った2142年、ジャクソン星の鉱山で働く若い女レイン・キャラダインは、劣悪な職場環境に辟易していた。彼女はいくらか状況が良いと言われているユヴァーガ第三惑星への移住を切望しているが、会社側による不当な労働時間の延長等により上手くいかない。そこで男友達のタイラーらと秘密裏にジャクソン星を離れる。彼らが最初にたどり着いたのは、廃墟と化した宇宙ステーション“ロムルス”だった。生きる希望を求めて探索を開始する彼らだったが、突然にエイリアンの群れに襲われる。

 まず、どうしてジャクソン星を飛び立った主人公たちが見るからに怪しい“ロムルス”に立ち寄ったのか、その理由が不明。加えて、この“ロムルス”の構造と建て付けがよく分からない。だから、彼らがどの地点にいるのか、どこに行けばどういう環境が待ち受けているのか、まるで判然としない。結果として、サスペンスがイマイチ醸し出されない。そもそも“ロムルス”の中にエイリアンが大量保管されていた理由も説明されていないのた。

 しかしながら、本作には面白いキャラクターが出てきて、何とか場を保たせることに成功している。それは、レインの亡き父によって“娘の安全確保”をプログラムされた旧式アンドロイドのアンディだ。これがパッと見た感じは鈍重なのだが、実に愛嬌がある。特に始終ダジャレを連発しているあたりは愉快だ。

 対して“ロムルス”内に半壊状態で放置されていたもう一体のアンドロイドのルークは、海千山千の食えない奴だ。この2体の対比は、かなりの興趣を呼び込んでいる。エイリアンの生態はほぼ従来通りだが、終盤に思いがけない“突然変異体”が出てきて驚かせる。フェデ・アルバレスの演出は馬力はあるものの、節度は持ち合わせているようで、ドラマが空中分解することは無い。

 レイン役のケイリー・スピーニーは、長身だった第一作のヒロインのシガニー・ウィーバーとは好対照で、小柄で可愛い感じだ。しかし、非力に見える彼女が大きな敵に立ち向かうという構図は、それなりに盛り上がる。デイヴィッド・ジョンソンにアーチー・ルノー、イザベラ・メルセド、スパイク・ファーン、エイリーン・ウーら他のキャストも申し分ない。
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