元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

最近購入したCD(その8)。

2007-03-31 17:30:09 | 音楽ネタ
 いつものように、最近買ったディスクを紹介します(^^:)。今回はジャズの優秀録音盤3枚。

 まず紹介するのは、九州で活躍するピアニスト細川正彦が率いるトリオによる、タイトルもそのものズバリの「TRIO」。熊本でレコーディングされており、地方でもこのような高水準のソフトが出来るということが嬉しい。演奏者がすべてノリまくっている様子が手に取るように分かる。細川のピアノはとことんアグレッシヴかつ清澄で、思い切ったアドリヴ・プレイも嫌みがなくストレートに聴き手に迫ってくる。反面、緩徐部分ではメロディアスなタッチを活かして哀愁たっぷり。何度でも聴きたくなるクォリティの高さを達成している。録音も素晴らしく、音像一つ一つのつぶ立ちが素晴らしい。特にハイハットの音は氷のように研ぎ澄まされており、思わず聴き入ってしまう。全体的にハードな音造りだが、ヒステリックな部分や特定帯域を強調したようなところはなく、聴感上では流麗で潤いがある。絶対のオススメ品だ。



 次に、昨今は珍しくなったクラリネットがリード担当のユニット、ケン・ペプロフスキー・カルテットの「メモリーズ・オブ・ユー」。“主役”のペプロフスキーはテナーサックスも吹き、本作にも両方の楽器のナンバーが聴けるが、クラリネットを操っている曲の方が数段素晴らしい。実に暖かく、そしてノスタルジックで、かつまたほんのりとデカダンな雰囲気を漂わせる味わいが絶妙。スタンダード・ナンバーの美しい旋律も映え、夕暮れをバックに聴いたりなんかすると、身も心もリフレッシュできそうだ。録音はなかなかにリアルで、特にクラリネットのカチャカチャという“演奏ノイズ”も決して邪魔にはならず上質の臨場感をもたらしてくれる。このレーベル(ヴィーナスレコード)は、音録りがオンに過ぎて時として圧迫感を覚える音造りのディスクもあるが、このCDに関しては音場が適切だ。ジャズ初心者にも十分楽しめる秀作だと思う。



 最後はエストニアのピアニスト、トヌ・ナイソーが地元で吹き込んだトリオ作「You Stepped Out Of A Dream」。これは私が持っているジャズのディスクの中で、たぶん一番音が良い。とにかく奥行きが違う。深々とした音場からピアノのきらめくような音色が飛び込んでくる。リズムセクションの音像も実にしっかりしていて、地に足が付いたような安定感を見せる。リアルではあるが、歪みっぽさやキツさは皆無。オーディオのチェック用に使えるほどのグレードの高さだ。さて、いくら録音が良くても曲や演奏がつまらなかったら何もならないのだが、そちらもなかなかのハイレヴェルだ。ジミ・ヘンドリックス、ボブ・ディラン、ルイス・エサなど、さまざまなジャンルの楽曲を取り上げ、どれも自家薬籠中のものとして堂に入ったアレンジで聴かせてくれる。ピアノの強靱なタッチなど、時折ハッとさせられる。北国発の音源であるせいか、全体的に清涼な雰囲気で、聴いていると部屋の空気が変わってくるようだ。



 これらのディスクに接すると、昨今話題になっているSACDなど必要なのかと思う。通常CDでも、まだこのような情報量を確保することが出来るのだ。新しいフォーマットよりも現行方式のリファインの方が多くのユーザーのためになるのではないかと思ったりする。
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「ラストキング・オブ・スコットランド」

2007-03-30 06:46:15 | 映画の感想(ら行)

 (原題:The Last King of Scotland )フォレスト・ウィテカーに本年度のアカデミー賞主演男優賞をもたらしたケヴィン・レイノルズ監督作。

 確かに悪名高いウガンダ大統領イディ・アミンを演じるウィテカーは驚くべきパフォーマンスを披露している。軍部出身とはいえ最初は“国民のために何かしたい”という理想を持っていたはずの彼が、やがて権力におぼれ保身のみに執着するあまり、数々の蛮行を重ねるようになるまでのプロセスを鬼気迫る力演で見せる。特に、群衆の前での熱のこもった演説で喝采を浴びた後まもなく、政敵の陰謀に恐れおののく弱さ(二面性)を違和感なく表現するあたりは感心した。

 彼に見出されて主治医を務めるようになるスコットランドの若い医師ニコラスを演じるジェームズ・マカヴォイも、思い上がった白人のエセ理想主義者ぶりを下品になる一歩手前のところで上手く描出している。彼に特定のモデルはいないそうで、アミンに関わった欧米人の“一典型”として造型しているとのことだが、無理のないキャラクター設定だったと思う。

 レイノルズの演出はドキュメンタリー出身だけあって対象を即物的かつ効果的に見せる手腕は大したもの。特に戦闘シーンや残虐場面の切り取り方はカメラを必要以上に“放置”させず少ないショットで強いインパクトを観る者に与える。ラスト近くの“エンテベ事件”のサスペンスの盛り上げ方も申し分ない。

 それにしても、本作を観て“アミンを生んだのは先進諸国だ!”とか何とかいう一面的な感想を持つことは禁物だと思った。アミンが失脚したのはこの映画で描かれた時期よりずっと後年で、しかも彼が(亡命先で)死んだ日を国民の祝日として祝いながら、アミンを尊敬している国民もいまだにいるという事実はけっこう重い。確かに独裁者を育てたのは先進国かもしれないが、それを認知したのは国民だ。

 アミン亡き現在でも、スーダンのオマル・バシル大統領やジンバブエのムガベ大統領、赤道ギニアのヌゲマ大統領など、アフリカにはタチの悪い独裁者がのさばっている。私はそれらの国の民衆に対して同情を禁じ得ないが、何とか事態が好転するとはまったく思っていない。先進国とそれ以外の国々との格差(もちろん、民度を含めた)は、想像を絶するものなのだ。
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「ぼくの好きな先生」

2007-03-29 06:41:41 | 映画の感想(は行)
 (原題:Etre et avoir)2002年作品。フランス中部のオーベルニュ地方の小さな村。全校生徒13人が同じ教室で学ぶ小学校を舞台に、定年退職直前の教師と生徒達の交流を描くドキュメンタリー映画である。

 ニコラ・フィリベールの演出は奇をてらった部分がなく、対象を自然に捉えようと腐心している。ナレーションによる説明などを排し、インタビューの挿入も一か所のみである。ドラマ性には欠けるかもしれないが、こういう題材では頷けるだろう。印象的なのは子供達の生き生きとした目である。

 教師歴35年のロペス先生は学年も違う生徒達を実に丹念に教える。安易な詰め込み教育ではなく、本当に理解させるまで粘り強く生徒に付き合うのだ。教師だけではなく、生徒の家族も総出で子供の宿題を見てやる。結果、この学校には落ちこぼれが一人もいない。ここに学校教育のひとつの理想型(少人数の複数学年同居形式)が提示されていると感じる向きも少なくないであろう。

 しかし、よく見ると生地達は個性を生かされて伸び伸びと学習しているものの、学力的に特筆するようなものはない。それどころか中学に上がれば勉強の遅れやイジメに苦しむおそれのある子もいる。悲しいかな、中学校以上では教師が生徒一人一人にかまっているヒマなどない。ロペス先生のように平等に落ちこぼれなくカリキュラムを進めるのは「非効率」だというのも、また事実なのである。教育とは難しいものだ。オーベルニュ地方の四季を追った映像は非常に美しい。
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「善き人のためのソナタ」

2007-03-28 06:42:26 | 映画の感想(や行)

 (原題:DAS LEBEN DER ANDEREN )本年度の米アカデミー外国語映画賞を獲得したドイツ作品。東西冷戦時代の東ドイツを舞台に、シュタージ(国家保安局)の局員(ウルリッヒ・ミューエ好演)が劇作家とその恋人を盗聴するうちに、今までに触れた事のない自由な世界を知ってゆくようになる過程を描く、若手のフロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督作。

 ベテランのシュタージのエージェントである主人公は盗聴なんてそれ以前にいくらでもやっていたはずだし、いくら今回の対象がアーティストであろうと、過去に“西側的な自由な空気”を漂わせたターゲットに接したことは何度もあったと予想できる。なのにどうしてこのケースに限って本人の心は動いたのか。そこが十分描けていないことが本作の弱点である。

 ただし、それ以外の部分についてはこのキャラクターは実によく描けていると思う。謹厳実直とは聞こえが良いが、要するに組織に盲目的に依存している無能者だ。しかも彼は他人を信用しない・・・・というか、人間というものが分かっていない。前半、彼がシュターデの若手局員たちに尋問のプロセスを蕩々と解説するシーンは他人を“物”扱いして恥とも思わない彼の虚無的な内面が表現される。

 当然、彼はいい年をして独身。時折馴染みの売春婦に性的処理をお願いするあたりも寒々とした雰囲気だ。非人間的な国家体制のためにこういう人間が生まれた・・・・というより、もともと非人間的なキャラクターだったからこそ旧東側の閉塞的な社会に合っていたとも言える。

 秀逸なラストシーンは語り草になるだろうが、それよりも終盤、ベルリンの壁崩壊後の彼の身の振り方は印象深いものがある。劇作家との関係というイレギュラーな事態は作者から勝手に与えられた“アクシデント”に過ぎないと言わんばかりの有様には、マゾヒスティックな感慨さえ覚えてしまった。

 それにしても、冷静時代のシュターデの所業について逐一記録が残されており、当事者はそれを自由に閲覧できるという事実には驚いた。いかのあの時代が旧東側諸国の国民に影を落としているかを痛感する。
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「プレッジ」

2007-03-27 06:36:53 | 映画の感想(は行)
 (原題:The Pledge)2001年作品。ショーン・ペンの監督としての前作「クロッシング・ガード」はあまり感心しない出来だったが、引き続きジャック・ニコルソンを主役に招いた本作は人物描写に力強さがあり、観賞後の満足感はかなり高い。

 定年退職の日に少女暴行殺人事件に遭遇した刑事が、犠牲者の母親に犯人逮捕を誓ったことにより、偏執的な追跡者に変貌してゆく様子を冷徹に綴る過程で、実はこの主人公は事件が起きる前から“壊れて”いたことが明らかにされてゆく。凡百のハリウッド映画なら、うだつの上がらぬ主人公に最後に一花咲かせてやるところだが、“そんなのは偽善だ!”と言わんばかりに救いようのない真相に徹底して向き合う作者の覚悟が頼もしい。シビアな幕切れも見事だ。

 キャスティングが実に豪華だ。サム・シェパード、ベニチオ・デル・トロ、ハリー・ディーン・スタントン、ヴァネッサ・レッドグレーヴ、ミッキー・ローク、ヘレン・ミレンetc.ちょっとした脇役にも贅沢に有名俳優を投入できるペン監督の人脈の広さには圧倒される。もっとも、ニコルソンの相手役を務めるのは監督のパートナーでもあるロビン・ライト・ペンなのだが、今回は作品のレベルにふさわしい熱演で感心した。クリス・メンゲスのカメラによる身を切られるように冷たいネヴァダ州の冬の点描、ハンス・ジマーの音楽も良好だ。
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「デジャヴ」

2007-03-26 06:41:20 | 映画の感想(た行)

 (原題:Deja Vu )どんなに矛盾だらけの設定でも、いかに御都合主義的な展開であっても、作り手が観客をねじ伏せる力量さえあれば面白く観られるものだ。

 本作に出てくる“衛星地上監視システム”なる小道具は、屋外屋内問わず、地上のすべての映像をあらゆる角度から表示できるという、トンデモな代物だ。しかも、情報整理に4日ほどかかるため、見られる映像は4日前のもので、同時に複数の角度から映し出せないという、これまた取って付けたようなハンディが設定されている。テロリストと警察との攻防という“本題”にしてもプロットの積み上げが大雑把で、これに場違いなタイムトラベルものが絡むと、もう話は支離滅裂だ。

 しかし、それでもこの映画は面白い。プロデューサーであるジェリー・ブラッカイマーのケレン味たっぷりのハデハデ趣味に加え、監督トニー・スコットの“何も考えていないけどクソ力だけはある”という演出が、観客を最後まで引きずり回してしまう。活劇場面も万全で、特に過去と現在とが混濁する映像下での激しいカーチェイスはアイデア賞ものだ。

 加えて捜査官役のデンゼル・ワシントンのスター然とした存在感と、敵役ジム・カヴィーゼルの憎々しさと、ヒロインに扮する新鋭ポーラ・パットンの魅力も十分堪能でき、観賞後の満足感はけっこう高い。

 極めつけは舞台がニューオーリンズで、作品がハリケーン・カトリーナの被害者に捧げられていること。天災でやられた上に、非情なテロまでが追い打ちを掛けるというシチュエーションは、まるで傷口に塩をすり込むようなセンセーショナリズムだが、これが観る側にとっては事態の深刻度をより大きく見せてしまう。他人の不幸まで映画のネタにしてしまうのはホメられたことではないが、ブラッカイマーならば“天晴れなカツドウ魂”として通ってしまう。

 それにしても「デジャヴ」という題名ながら、本来の意味での“デジャヴ”とはちょっと違うモチーフになっているのも、まあ御愛嬌だろう(爆)。
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「青 ~Chong~」

2007-03-25 15:38:27 | 映画の感想(あ行)

 「フラガール」のヒットで“若手職人監督(?)”との地位を確立した感のある李相日(リ・サンイル)が日本映画学校の卒業試験として作った映画で、2000年度の「ぴあフィルムフェスティバル」でグランプリを受賞。評判の良さからそのまま一般公開につながった。

 主人公(眞島秀和)は神奈川県内の朝鮮高級学校に通う在日三世。勉強はそこそこに野球部の練習と友人とつるんでのイタズラに余念がないフツーの高校生だ。ある日、姉が家に突然日本人の婚約者を連れてくる。朝鮮人としての誇りを教えられて育ってきた彼はとまどいを隠せない。さらに、幼なじみで同級生の女生徒が日本人と付き合っているのを知ったり、日本の高校との練習試合では大敗したりしたことで彼の動揺は大きくなる。

 一時間程度の中編だが、なかなか面白く観た。何より在日朝鮮人を主人公にしていながら“差別”や“イデオロギー”といった大仰なネタがまったく入り込んでいないのが良い。ここで示されるのは若者らしいナイーヴな感情とアイデンティティへの疑問という普遍的な題材だ。

 “自分とは何か”を考える場合、本人が置かれた状況が大きくモノを言うのは当然だが、彼の場合はたまたまそれが“在日三世”であっただけの話。悩みや喜びは他の高校生と同じなのに、在日という個的な事情によりほんの少し違ったアプローチをせざるを得なくなる。でも映画はそれに対して声高に何かを唱えたりしない。あるがままを受け入れ、前向きに生きることを淡々と描くだけだ。作者の冷静なスタンスがうかがわれる。

 演出はテンポがある。効果的なギャグの連発で飽きさせない。随所に北野武や森田芳光の影響が見られるものの、作劇自体(クールではあるが)シニカルなところはない。舞台になる朝鮮学校の描写も興味深く、快作と言って良い出来だ。
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牧野修「アロマパラノイド 偏執の芳香」

2007-03-24 08:53:06 | 読書感想文
 芳香をテーマにした作品なら、映画「パフューム」よりもこの小説の方が数段面白い。並はずれた嗅覚によって「調香師」として世界的な名声をおさめ、さらには他人の心を操る香水をも作り出し、反社会的な野心を抱く男と、女流ノンフィクションライターとの“対決”を描くホラー篇。

 正直言って小説としては出来が良くない。オカルト的なテイストを詰め込みすぎで消化不良を起こしているだけではなく、後半は明らかに収拾がつかなくなり、ヤケクソ的な終わり方で読者を唖然とさせる。キャラクターがそれほど魅力的でないのもマイナスで、何より“劇中劇”である犯人が殺人を告白した書物の紹介が不必要に長く、全体的な作劇のバランスを著しく欠いている。

 しかし、それでもこの本が捨てがたいのは、“匂い”がもたらすイメージの描写が非凡であるためだ。些細な幻覚がやがて視界すべてをひっくり返すような異世界へと変貌してゆく様子を、たたみかけるような筆致で綴り、読む者を圧倒する。スケール感もたっぷり。筋書きを整理して脚色すれば、ハリウッドで映画されてもおかしくないほどのネタだ。映画「パフューム」も、このぐらいの大風呂敷を広げて欲しかったのだが・・・・。
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「パフューム ある人殺しの物語」

2007-03-23 06:43:05 | 映画の感想(は行)

 (原題:PERFUME: THE STORY OF A MURDERER)。これはダメだ。悪臭たちこめる18世紀フランスを舞台に、不遇な生い立ちでありながら驚異的な嗅覚を持つ主人公が、天才香水調合師として究極の芳香を追求すべく、次々に殺人に手を染めてゆくさまを描く時代物だが、肝心の“嗅覚の映像化”がまるでなっていない。単にヒクヒクさせた鼻をアップで映して、それが感じ取っているであろう対象を漫然と示すだけ。芳香のために殺人さえ厭わない主人公である。それが圧倒的なエロティシズムと共に扇情的に観ている側に伝わってこないと何もならないだろう。

 さらに思わせぶりに香水のビンの口なんかを大写しにするものの、ただ“エロティックな感じを出そうとしているのだろうなあ”との感想しか持てず。問答無用で芳香の性的な世界へ誘う仕掛けも覚悟も何も無し。殺人の場面もサスペンス不在。

 監督のドイツ人トム・ティクヴァは明らかに人選ミスだ。彼は「ラン・ローラ・ラン」みたいな明確な絵解きを身上としているようで、本作のような理屈抜きのセンセーショナリズムを喚起させないと話にならないネタにはまるで不向きである。ラスト近くの処刑場のシーンなんて、エロさ大爆発のスペクタクルにならなきゃいけないのに、ただ平板な情景が書き割りのセットのごとく芸もなく並んでいるだけで大いに盛り下がる。

 ならばストーリー展開は面白いのかと言えばそうでもなく、芸のない紙芝居のような語るに落ちる話を愚直に追っているだけ。結末の付け方も“なんじゃこりゃ”である。舞台セットだけは大層立派だが、ヨーロッパのスタッフが関わっているにもかかわらずセリフが英語であるのは興ざめだ。

 唯一楽しめたのはティクヴァ自身による流麗な音楽で、これをサイモン・ラトル&ベルリン・フィルという超豪華版の演奏者にやらせている。サントラ盤のみオススメというところか。
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「バスケットボール・ダイアリーズ」

2007-03-22 06:44:43 | 映画の感想(は行)
 (原題:The Basketball Diaries)95年作品。60年代の青春文学の傑作と言われるジム・キャロル(正直言って、よく知らない)の「マンハッタン少年日記」の映画化。ミッション・スクールに通うジム(レオナルド・ディカプリオ)は少しツッパッてはいるがバスケットボールと詩が好きな繊細な少年だった。しかし、友の死をきっかけに軽い気持ちで手を出したドラッグで退学になり、家からも追い出され、ホームレス同然の暮らしをするジムとその仲間は次第に犯罪に手を染めていく。監督はこれがデビューのスコット・カルヴァート。

 これを観て真っ先に思い出したのがドイツのウリ・エデル監督による「クリスチーネ・F」(81年)である。純真な若者がドラッグに溺れていくさまをヴィヴィッドに描く内容が似ており、ロック音楽の効果的な使い方やスタイリッシュな映像という点でも共通している。ただ、感銘度では「バスケット・・・」は大きく遅れをとっているのは確かだ。

 理由はこれがディカプリオを主演としたスター映画だということだ。当時は見るからに繊細な美男子タイプだった彼(今では見る影もないけど ^^;)がドラッグに蝕まれていく様子を痛々しく演じれば演じるほど、彼のファンの女の子のサディスティックな快感を含んだ悲鳴(なんじゃそりゃ ^^;)は沸き上がるものの、ハタから見ると彼のプロモーション・フィルムにしか思えないのは私だけだろうか。

 彼が麻薬に手を出すプロセスが納得できるように描かれていないし、彼の母(ロレイン・ブラッコ)の扱い方も中途半端。バスケットの相手をする黒人の男の描き方は図式的で、“麻薬を始める奴らのタイプあれこれ”に対するモノローグが出てきてシラケさせたと思うとラストには説教じみた演説(?)もある。対してカメラワークは気取りまくり、バックの音楽とのコラボレーションはもろMTVだ。「クリスチーネ・F」のような容赦ないリアリズムと対象を突き放す思いきりの良さは望むべくもない。

 要するにこれは、その頃のディカプリオに夢中になるような年代のために作られた“麻薬防止キャンペーン”の宣伝フィルムだと思う。それ以上でも以下でもない。私はに主人公よりさっさとジャンキーから足を洗ってタフに生きていくジュリエット・ルイス扮する少女の方が印象的だった。
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