元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

適当に選んだ2015年映画ベストテン。

2015-12-30 15:20:00 | 映画周辺のネタ
 2015年の個人的映画ベストテンを発表する。2015年は個人的事情により後半に鑑賞本数が減り、全ての注目作をカバーしているとはとても言えないが、とりあえず10本選んでみた、



日本映画の部

第一位 恋人たち
第二位 きみはいい子
第三位 0.5ミリ
第四位 バクマン。
第五位 深夜食堂
第六位 駆込み女と駆出し男
第七位 お盆の弟
第八位 なつやすみの巨匠
第九位 予告犯
第十位 群青色の、とおり道



外国映画の部

第一位 パーソナル・ソング
第二位 セッション
第三位 ストレイト・アウタ・コンプトン
第四位 おみおくりの作法
第五位 サンドラの週末
第六位 イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密
第七位 キングスマン
第八位 アクトレス 女たちの舞台
第九位 ナイトクローラー
第十位 シェフ 三ツ星フードトラック始めました

 外国映画の上位は音楽をテーマにした作品が並んだ。私が音楽好きということもあるが、音楽の持つ魅力と魔力を存分に味わえた作品群だった。

 なお、以下の通り各賞も勝手に選んでみた。まずは邦画の部。

監督:橋口亮輔(恋人たち)
脚本:高田亮(きみはいい子)
主演男優:篠原篤(恋人たち)
主演女優:安藤サクラ(0.5ミリ)
助演男優:坂田利夫(0.5ミリ)
助演女優:黒木華(母と暮せば)
音楽:坂本龍一(母と暮せば)
撮影:上野彰吾(恋人たち)
新人:渋谷すばる(味園ユニバース)、広瀬すず(海街diary)

 次に、洋画の部。

監督:マイケル・ロサト=ペネット(パーソナル・ソング)
脚本:ウベルト・パゾリーニ(おみおくりの作法)
主演男優:マイケル・キートン(バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡))
主演女優:ペ・ドゥナ(私の少女)
助演男優:J・K・シモンズ(セッション)
助演女優:クリステン・スチュワート(アクトレス 女たちの舞台)
音楽:アレクサンドル・デプラ(イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密)
撮影:エマニュエル・ルベツキ(バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡))
新人:タロン・エガートン(キングスマン)、サラ・スヌーク(プリデスティネーション)

 さて、以下はついでに選んだワーストテンである(笑)。

 邦画ワースト

1.ソロモンの偽証
 前後半合わせて4時間、ただの“子供の遊び”を漫然と追っただけ。観る価値無し。同じようなネタならば、台湾映画「共犯」の方がよっぽど面白い(ちなみに、あっちは1時間半でまとめている)。
2.海街diary
3.百日紅 Miss HOKUSAI
4.FOUJITA
5.ジヌよさらば かむろば村へ
6.さよなら歌舞伎町
7.バケモノの子
8.この国の空
9.母と暮せば
10.ヒロイン失格

 次に外国映画。

1.アメリカン・スナイパー
 いかにもイーストウッド監督作らしい、要領を得ない映画。作品の出来よりも、これを褒めている評論家諸氏の思考形態の方が興味深い。
2.博士と彼女のセオリー
3.Mommy マミー
4.ザ・トライブ
5.神々のたそがれ
6.さよなら、人類
7.ターミネーター:新起動/ジェニシス
8.マッドマックス 怒りのデスロード
9.アベンジャーズ エイジ・オブ・ウルトロン
10.ヴィジット

 相次ぐテロ等で、世界は混迷の度を増しているような気がする。この状態を前にして、これから各映画作家はどういうメッセージの発信をおこなうのか、注視したい。
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「ブレインストーム」

2015-12-29 07:38:15 | 映画の感想(は行)
 (原題:Brainstorm)83年作品。SFXスーパーヴァイザーのダグラス・トランブルが秀作「サイレント・ランニング」(71年)に続いてメガホンを取った作品で、興行的には成功していないが、アイデアは面白い。もっと評価されて良い映画だ。

 ノースカロライナ州にあるエヴァンス電子研究所では、革命的な実験が行なわれていた。リリアン・レナルズ博士とするチームは、脳に直接情報を入出力する装置“ブレインストーム”を開発しており、それが完成間近の段階に達している。これは自分の体験を他人と共有出来る機能もあり、軍は洗脳マシンとして使えると判断してこの研究に介入しようとする。



 そんな中、リリアンは心臓発作で急逝。だが、死ぬ直前に装置を起動して死ぬ間際から死後までを記録する。リリアンの共同研究者であったマイケルは“ブレインストーム”に残された彼女のデータを守るべく、妻カレンの理解を求めながら軍の圧力に対抗していく。

 この装置を通して見る画像は魚眼レンズを使ったような歪んだタッチで表現されているが、下手に特殊効果を付与するよりも数段“それらしく”思える。おそらくは機械に記録された人間の“体験”というものは、こういう感じでデフォルメされているのだろうと納得した。また、その映像の“揺れ具合”が我々が睡眠中に見る夢に通じているあたりも面白い。

 臨死体験のイメージは魂が天上に舞い上がるというもので、まさにそれ以外に表現出来ないといった展開だが、無数の水晶玉が空中に浮いているのが印象深い。たぶんその一つ一つがメモリーの役割を果たしているのだろう。

 マイケルと軍の駆け引きはありがちの話になるが、“ブレインストーム”の解析によって彼が妻とヨリを戻すのは、気が利いたモチーフだと思う。しょせん人間の記憶なんかデータの集まりだ。しかし、それらを組み合わせて再構築できるのも、また人間なのである。より建設的な方向でデータを並べ替えれば、壊れた人間関係も修復出来るという、そんな作者のポジティヴなスタンスが見て取れる。

 マイケルに扮するクリストファー・ウォーケンとリリアン役のルイーズ・フレッチャーは好演。カレンを演じたナタリー・ウッドは、残念ながらこれが遺作になってしまった。リチャード・ユーリチックの撮影とジェームズ・ホーナーの音楽も、作品に風格を与えている。
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「母と暮せば」

2015-12-28 06:02:08 | 映画の感想(は行)

 出来が悪い。その大きな原因は、主演の吉永小百合にあると思う。彼女が出ていた映画は過去に何十本も観ているが、一度たりとも演技が上手いと思ったことは無い。有り体に言えば、大根なのだ。ところが、若い頃のアイドル的人気が高すぎたせいか、今でも彼女を“神格化”する向きが多いらしく、必然性も無いのに主役級に押し上げてしまっている。これは日本映画界にとっても、彼女自身にとっても、不幸なことだと思う。

 井上ひさしが書いた、広島を舞台にした戯曲「父と暮せば」と対になる作品として、山田洋次が作り上げた映画だ。昭和20年8月9日に長崎市に投下された原子爆弾により、助産師として働く伸子の息子・浩二は死んでしまう。それから3年後、伸子のもとに浩二が幽霊になってひょっこりと現れる。それから彼はたびたび姿を現し、伸子の近況やかつての恋人だった町子のことについて聞き出すと、もしも今でも生きていたならどう振る舞ったかとか、そんな話をしていくのであった。

 黒木和雄監督による「父と暮せば」(2004年)よりも大幅に落ちる出来。何より吉永演じる伸子と、二宮和也扮する浩二とのやり取りが、観ていて恥ずかしくなるほどぎこちない。終戦直後は相当難儀したと思われるが、その苦労の跡がほとんど見えない伸子と、死後も母親に甘えっぱなしで、やたら饒舌で調子の良い浩二が、どうでもいい絵空事のような内容の会話を延々と続ける。

 そのなかで大きなウェイトを占めるのが何かと伸子をフォローし続けている町子についてだが、これはもう“成るようにしか成らない話”を反芻しているに過ぎず、鼻白むばかりだ。

 終盤は伸子は体調を崩していくのだが、それについての伏線が無いばかりか、少しも弱っていく様子がうかがえない。さらにはヘタクソなSFXや妙にB級ホラーじみた場面が散見され、ラストなんかまるで“丹波哲郎の大霊界”みたいな有様で脱力した。

 ハッキリ言って、ここは町子とその新たな婚約者(浅野忠信)を主人公にすべきだったと思う。伸子と浩二は、しょせん“去って行く者たち”でしかない。戦後の苦難にめげず、懸命に生きてゆく町子たちを中心に描いた方が、よっぽど希望が持てる。町子を演じる黒木華は、本作の出演者の中でダントツの演技力を見せているだけに、余計にその思いが募るのだ。

 セット中心の撮影では長崎の街の魅力が出ておらず、方言の扱いも万全とは言えない。近森眞史のカメラによる映像も、何やら奥行き感に欠ける。スタッフで良かったのは音楽担当の坂本龍一だけだった。
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雑誌「SCREEN(スクリーン)」について。

2015-12-27 06:26:51 | 映画周辺のネタ
 近代映画社が発行している映画雑誌「SCREEN(スクリーン)」が、今年(2015年)9月に通巻1,000号を達成したという。創刊は1947年で、1919年に産声を上げたキネマ旬報誌よりは新しいが、それでも相当古いことは確かだ。

 前にも書いたが、この雑誌は私も十代から二十代始めの頃によく購読していた。洋画専門誌なので外国映画の記事が中心だが、見やすいレイアウトで、特に作品紹介欄とストーリー内容が別掲載になっているあたりが便利だったと思う(後に同じページに載せられるようになったらしいが ^^;)。基本的に公開される映画はすべて取り上げられ、洋画ポルノの記事まであったのには苦笑したことを覚えている。



 私が最も好きだった連載は評論家の双葉十三郎による「ぼくの採点表」だが、それ以外にも話題作をピックアップしての長文の評論が載っていたのは興味深かった。雑誌の性格上ミーハー的な読者が多いと思われたが、それらの評論はけっこう硬派で、いわゆる提灯記事なんか見当たらなかった。この媚びない姿勢が面白いと思ったものだ。

 しかし、いつの頃からか記事内容が低年齢層を意識したものに変わっていき、私としては違和感を覚えるようになって敬遠するようになった。それでも洋画関係の新作ニュース等は充実していたので、ときおり読んでいた。

 また、この雑誌の俳優・スタッフの表記は独特だ。たとえばフェイ・ダナウェイをフェー・ダナウェー、レオナルド・ディカプリオをレナード・ディカプリオ、ケヴィン・コスナーをケヴィン・コストナーといった具合に、大方の呼び方とは違うスタイルを頑なに守っている。いつだったか、読者投稿欄に“どうしてそんな表記にするのか”という質問が掲載されたことがあったが、編集側は“原語での読み方に近い表記を採用している”といった回答を返していた。私は心の中で“そりゃ違うだろ!”と突っ込みを入れたことは言うまでもない(笑)。

 集英社から出ていた同様の雑誌「ロードショー」は廃刊になり、洋画専門誌としては唯一の存在になった感があるが、発行元の経営のゴタゴタも乗り越えて、今でも存続していることは立派だ。ネットの普及で雑誌そのものも斜陽化しているが、可能な限りリリースを維持して欲しい。
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「007/スペクター」

2015-12-26 06:22:37 | 映画の感想(英数)

 (原題:Spectre )居心地の悪い映画だ。作品のコンセプトが間違っている。前作「スカイフォール」の出来が良かっただけに、質的な凋落は残念だ。おそらくは次回から装いを一新しての“仕切り直し”になるとは思うが、その際にはシッカリとやってほしい。

 「スカイフォール」で焼け残った写真を受け取ったボンドは、今は亡き前任の“M”からの依頼もあり、単身メキシコに乗り込む。そこで悪名高い犯罪者と渡り合う過程で、それまでの敵たちの背後に潜む悪の組織の存在を知ることになる。一方、英国情報部では新任のチーフ“C”による構造改革が進行し、ワールドワイドな情報システムの導入によって、ボンドたちの所属する部署はリストラの危機にさらされる。

 タイトルにもある“スペクター”とは、シリーズ初期作品にも登場した絶対的な悪の結社だが、実際にあくどいことをやっている大掛かりな組織が世界のあちこちに存在している今、果たして復活させる必要があったのか疑問だ。舞台を50年代や60年代に設定するならば話は別だが、現時点で取り上げるべき素材とは思えない。

 さらに、過去の作品群からのあからさまな引用や、作劇面で不自然な点が目立つ。まあ、これがかつてのロジャー・ムーアやピアース・ブロスナンが主演していたならば“笑って許せる”展開にもなったところだが、無愛想でゴツゴツとした印象のダニエル・クレイグでは全然サマにならないのだ。ここは「スカイフォール」よりもストイック路線を突き詰めて、ハードなスパイ映画としての存在感を示すべきだった。

 監督はサム・メンデスが連投しているが、前回に比べて精彩を欠く。冒頭のメキシコシティでの追っかけこそ迫力があるが、あとはどうにも気合いが入らない。ローマでのカーチェイスや、オーストリアでの雪山での活劇などは、観ていて途中でアクビが出るほどの芸の無さだ。また、ちょっとした爆薬で大々的に壊滅してしまう敵基地や、拳銃で簡単に撃ち落とされてしまうヘリコプターなど、段取りが全然上手くいっていない。

 敵の首魁ブロフェルドを演じるクリストフ・ヴァルツは貫禄不足。単なるインテリ崩れの“父ちゃん坊や”にしか見えず、かつてのドナルド・プレザンスやテリー・サバラスの足元にも及ばない。50歳過ぎたモニカ・ベルッチがボンド・ガールを担当するということで話題を集めたが、彼女の出番はわずかしか無い。代わりに多くの時間をボンドと共にするマドレーヌに扮するのはレア・セドゥーだが、私はこの女優が前から嫌いである。色気も愛嬌も希薄で、大して美人でもない。まあ、祖父が仏映画界の大物なので、そのコネで映画に出してもらっているだけだろう。

 シリーズ最長の上映時間であるにもかかわらず、この中身の薄さ。文字通り“これで終わり”といった感じのラストを迎えて、何だか虚しい気分になってきた。
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「コンペティション」

2015-12-25 06:28:21 | 映画の感想(か行)
 (原題:Competition )80年作品。ドラマとしては物足りないが、全編を覆う音楽の高揚感に心が躍る。観終わっての満足度は決して低くはない。

 30歳のポールは、サンフランシスコで開かれる最も権威あるヒルマン・ピアノ・コンペティションに臨んでいた。このコンクールの参加資格は30歳までであり、彼にとっては最後のチャンス。これに失敗すると、コンサート・ピアニストの道を断念し、音楽教師にでもなるしかない。予選を経た6人のファイナリストに彼もエントリーすることが出来たが、その中に過去に何度かコンクールで顔を合わせていた若い娘ハイディがいた。



 彼女はポールを憎からず思っているものの、ピアノ教師からは恋愛禁止を言い渡されていた。決勝進出者はそれぞれの屈託を抱えながらも、最終日に挑む。ポールの父親は息子に夢を託してきたが、病弱でもうあまり長くは働けない。しかも、決勝日と音楽教師の面接の日が重なってしまうという不運に見舞われる。

 ソ連から来た出場者の教師が亡命騒ぎを起こしたり、このコンテストを芸能タレントとして売り出す切っ掛けにしたいと思う者がいたりと、それぞれのキャラクターの境遇は賑やかだ。しかし、監督(ジョエル・オリアンスキー)のキャリアが浅いせいか、どこかワザとらしいのである。

 特に主演二人以外のキャスティングが弱いため、俳優の存在感で全てを語らせるという手段を採用出来なかったのは痛い。ポールとハイディのアヴァンチュールも適当にロマンティックで、また適当に打算的で、あまり観る者に迫ってくるところが無い。

 だが、いざ彼らがピアノの前に座って妙技を披露すると、画面全体が弾けるような輝きを見せるのだ。この映画では演奏場面に吹き替えは一切使われていない。それぞれが“弾いているような演技”を違和感なく見せきっている。リチャード・ドレイファス扮するポールはベートーヴェンの「皇帝」を見事に弾きこなしているが、それより凄いのがエイミー・アーヴィング演じるハイディの演奏だ。出し物はプロコフィエフの3番で、この難曲を圧倒的なパフォーマンスで見せきっている。アーヴィングとしてもキャリアを代表する仕事になったはずだ。

 ウィリアム・サックハイムのカメラによる深みのある映像も相まって、(やや腑抜けたラストの処理も無視出来るほどに)まるでコンサートに足を運んだかのような気分になること請け合いである。
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「裁かれるは善人のみ」

2015-12-21 06:34:40 | 映画の感想(さ行)

 (英題:Leviathan )観ていて少しも楽しくない映画だ。もちろん“楽しくないからダメだ”と言うつもりはない。たとえ無愛想なタッチでも求心力さえあれば、最後まで付き合うことは出来る。しかし本作には、娯楽性も観る者を惹き付ける力強さも無い。底の浅い暗鬱さが全編を覆っているという感じなのだ。これでは評価するわけにはいかない。

 バレンツ海に面したロシア北部の小さな町で、自動車修理工場を経営している中年男コーリャ。同居しているリリアは二番目の妻であり、先妻との間には中学生の息子ロマがいる。市長のヴァディムは再開発のため彼の土地を安値で買い叩こうとするが、コーリャはそんな横暴なやり方には納得できない。モスクワから友人の弁護士ディーマを呼んで市長の悪事を暴露し、有利な状況に持って行こうとする。両者の攻防は激しさを増すが、リリアとディーマがいつの間にか懇ろな仲になってしまったのを切っ掛けに、コーリャは窮地に追い込まれてしまう。

 何より、この邦題はいただけない。この映画には“善人”は出てこないのだ。“悪人”ではないのは年相応のナイーヴさを持ち合わせたロマぐらいで、あとはどいつもこいつも生臭い。

 権力に固執する市長とその取り巻きはもちろん“善人”とは程遠いが、コーリャも頑迷で喧嘩っ早い問題人物だし、リリアは“よろめいて”ばかり。一見親切な友人夫婦にしても、警察官のくせに公私混同と飲酒運転は平気でやる旦那と、人生に疲れたようなカミさんのカップルでしかない。正義漢であるはずのディーマは、結局最後まで煮え切らないままだ。

 まあ、たぶん作者としてはロシア社会の実相を描こうとしたのだろう。権力側は傲慢で目的のためには手段を選ばず、対する庶民は諦めの中で皮相的な笑みを浮かべるしかない。そして人々を救うはずの宗教(ロシア正教)は体制側にべったりで、まるで機能していない。ただしそれらは図式的にしか提示されていないのだ。

 市長室にはプーチンの肖像画が掛けてあり、コーリャ達は射撃の的として歴代ロシア・ソ連の指導者の写真を並べる。原題の「リヴァイアサン」を象徴するがごとく、海の怪物めいた鯨の骨が画面に鎮座し、ホッブスの同名著作をなぞるように司祭は権力擁護の姿勢を隠さない。いずれにしても“語るに落ちる”ようなレベルである。

 監督のアンドレイ・ズビャギンツェフはかつて「父、帰る」(2003年)で素晴らしい映像世界を展開させたが、ここでの北極に近いロシアの風景はただ荒涼としていて、何ら迫ってくるものがない。ただ“ああ、寒々としているね”という印象しか無いのだ。第67回カンヌ国際映画祭での脚本賞をはじめいくつかの主要なアワードを獲得しているが、正直それほどのシャシンとは思えない。
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「バカヤロー!2 『幸せになりたい。』」

2015-12-20 06:49:05 | 映画の感想(は行)
 89年作品。森田芳光が総指揮と脚本を担当するオムニバス・ドラマ「バカヤロー!」シリーズの第二弾である。4つのエピソードのうち前半の2つはどうでもいいが、残りの2つは印象深い。特にその頃の時代性をヴィヴィッドに切り取っているあたりは評価したいと思う。

 本田昌広監督によるパート1「パパの立場もわかれ」は、小林稔侍扮する旅行代理店社員が仕事と家庭の板挟みになる話。鈴木元監督によるパート2「こわいお客様がイヤだ」は、深夜のコンビニエンス・ストアでアルバイトしている男(堤真一)が自分勝手な客達に翻弄される話。いずれも現時点で内容を忘れかけているということは、大した出来ではなかったのだろう。だが、パート3の岩松了監督の「新しさについていけない」はけっこう笑えた。



 郊外の建売り住宅に引っ越してきた若夫婦は、新しい家電品のことに関してほとんど知識が無く、かなり苦労する。しかも、隣に住む家電品オタクの男がいろいろと難癖を付けてくる。耐えきれなくなった旦那の方が“バカヤロー!”と叫ぶのだが、その後の夫婦の独白が泣かせる。実は彼は地元では無頼の“新しもの好き”だったのだ。それが慢心している間に時代に取り残されてしまった。バブル期でハヤリ物のサイクルが短くなった世相をよくあらわしている。

 それにしても、主人公がレコード針を買いに行ったら“今はCDの時代ですよ”と電器屋からバカにされるくだりは観ていて苦笑した。それから20年以上経って、再びレコードが見直される時代がやってくるなんて、あの頃は誰も思わなかっただろう。演技面では、藤井フミヤと荻野目慶子の小市民的カップルがイイ味を出している。

 パート4の成田裕介監督による「女だけトシとるなんて」は厳しい話である。主人公は26歳のOLだが、交際相手が煮え切らないため嫌気がさして仕事を辞め、故郷に帰る。ところが、地元の会社は東京帰りを煙たがり、親は見合いを勧める。仕方なく再就職を決意するが、面接では年齢や結婚のことばかり問題にされ、彼女はついにブチ切れる。

 景気が良く皆が浮かれていたあの時代の中にあっても、ちょっと世の中のメインストリームから外れると、途端に逆境に陥ってしまうことを容赦なく描いて圧巻だ。好況の裏にはすでにドラスティックな格差社会が存在していたのだと、改めて思う。

 ヒロイン役の山田邦子は好演だが、正直言って本当の“美人女優”を持ってきた方がインパクトがより大きくなっただろう。とはいえ、主人公の境遇を象徴するかのように、彼女が持っていた風船が空に消えてゆくラストは秀逸だった。
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「愛を語れば変態ですか」

2015-12-19 06:37:46 | 映画の感想(あ行)

 演劇界の鬼才と言われているらしい福原充則の監督デビュー作。上映時間が73分と短いが、とても長く感じられる。これは映画の段取りが上手くいっていないことを示しており、やはり舞台劇のノウハウをそのままスクリーン上に移設しても良い結果には結び付かないのだろう。

 郊外の住宅地にカレー屋をオープンするはこびになった若夫婦は、翌日の開店を控えて準備に精を出していた。そこにやって来たのはゴーマンなバイト志願者。立場をわきまえずに横柄な口を叩く彼に夫婦は呆れるが、次に現れる者達と比べれば可愛いものだった。レトルトカレーを開店祝いに持ってきた怪しい若者と、全身傷だらけで大金を抱えた不動産屋兼ヤクザは、何と店主の妻・あさこの不倫相手だったのだ。

 実は彼女はトンでもなく尻が軽く、誘われれば拒まないタイプで、店主はそのことも含めてあさこを許容していたのだが、今日ばかりは堪忍袋の緒が切れた。やがて開店の手伝いに来ていた夫の後輩をも巻き込んで、ワケのわからん騒動に発展する。

 終盤あたりまでカレー屋の店内に舞台は限定されるが、それが映画作りとして得策だったとは思えない。なるほど不条理なセリフの応酬とキャストの大仰な身振り手振りで盛り上がっているように見えるが、まるでアングラ芝居を最前列で無理矢理鑑賞させられたような圧迫感しか覚えない。映画らしい空間をもっと使って、広がりのある作劇にならなかったのだろうか。

 さらに致命的なのは、あさこがブチ切れて店を飛び出し、まるで“愛の伝道師”みたいなスタイルで暴走を始めるラスト近くの展開だ。それまで狭いスペースに押し込められていた映画のサイズが一気に広がり、観客にカタルシスを与える絶好のチャンスだったのだが、これがまるで不発。それまでの限定された舞台と同じような演技・演出スタイルしか提示出来ず、バックに広がる野外空間に完全に負けている。ここはもっと大風呂敷を広げて、もっと大作っぽい雰囲気を醸しだし、観る側を圧倒させるべきだった(予算不足は言い訳にならない。撮り方の問題だ)。

 福原の監督ぶりは“オレ様調”で、映画に適用出来るようなフレキシビリティを感じさせない。ヒロインを演じる黒川芽以は過去にいくつかの映画に出ているはずだが、まったく印象に残っていない。今回初めて主演作を観たことになるが、頑張っていることは分かるものの、セクシーさと余裕が不足している。夫役の野間口徹とヤクザに扮した永島敏行の方が却って目立ってしまう。登場人物全員が走ってゆく幕切れを観ながら、何となく冷え冷えとしたものを感じてしまった。
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アナログレコードの優秀録音盤(その4)。

2015-12-18 06:22:35 | 音楽ネタ
 所有しているアナログレコードの中で録音が優秀なものを紹介したい。アメリカのNONESUCHからリリースされていた「中世のクリスマス」というディスクは、往年のオーディオ評論家・長岡鉄男がその著書の中で絶賛していたものだ。演奏はジョエル・コーエン指揮のボストン・カメラータ(どういう楽団なのか、具体的にはよく知らない)。75年にボストン美術館で録音されている。



 文字通り中世に作られたクリスマス用の楽曲が中心で、どのナンバーも親しみやすく、楽しく聴ける。そして録音はすこぶる優秀だ。とにかく、どこまでも広がるホールエコーに圧倒される。音場は前後左右上下に展開し、fレンジ、Dレンジ共に広大。その中で音像は強固に定位。滲んだりボケたりすることは決して無い。

 おそらくは少ないマイクで録られたのだろう。曲の途中で楽器が移動する場面があるのだが、その様子がスムーズで違和感を覚えない。まさにオーディオシステムのチェック用にはもってこいである。ただし、アメリカで製造されているため盤質は良くない。さらにはジャケットの紙質と印刷も安っぽい。もっとも、これはこのレーベルに共通していることなので、文句は言うまい。

 英国のAmon RaはSaydisc傘下の古楽専門レーベルである。リリースされた数々のレコードの中で、84年に録音されたこの「フルート・コレクション」は、発売当時に演奏内容と音質の良さで評判になったらしい。クリストファー・ホグウッドやトレヴァー・ピノックら古楽器の名手達と何度も共演したスティーヴン・プレストンが、8種類のバロック・フルートを操り、時代の移り変わりによる音色の違いを演出する。



 曲目はダカンの「かっこう」、クヴァンツの「ソナタ ニ長調」、ドヴィエンヌの「ソナタ ホ短調」など、馴染みの無いナンバーばかりだが、どれもチャーミングで聴き飽きることは無い。プレストンの演奏は闊達で、高度なテクニックに裏打ちされ、流れるようにメロディを奏でていく。チェンバロを担当するルーシー・カロランとの息もピッタリだ。

 マイクとの距離感は的確で、直接音が多いものの、圧迫感が無くスンナリと聴き手に伝わってくる。楽器ごとの音色の違いがよく出ているのはもちろんだが、明るさを伴った艶やかな音像の捉え方には感心した。それにしても、Amon Raのレーベル・デザインは、アラン・パーソンズ・プロジェクトの「アイ・イン・ザ・スカイ」のレコード・ジャケットを思い起こさせる(笑)。

 プリンス&ザ・レヴォリューションが84年にリリースした「パープル・レイン」は、この時代を代表する大ヒットアルバムだ。ほぼ同時期に発売されたマイケル・ジャクソンの「スリラー」と並んで、いつまでも色あせることのない名盤として語り継がれることだろう。なお、プリンスの自伝的映画のサントラでもあるが、映画の出来の方も悪くなかった。



 また、彼の作品はポップス系としては録音がけっこう良いことでも知られる。このディスクをはじめとしてプリンスが80年代から90年代前半にかけて吹き込んだ作品群は、どれも上質だ。もっとも、「パープル・レイン」がその中でも特別録音が良いわけではない。それでも今回敢えて取り上げたのは、そのレコード盤の色である。

 国内盤なのだが、色がタイトル通り紫である。おそらくは初回プレス分のみの“特典”だったと思うが、所有欲は十分満たされる(笑)。黒以外のカラーリングが施されたレコードは他にも何枚か持っているが、盤上の溝が見えにくいという欠点がある。しかしながら、そういうディスクがターンテーブルの上で回っているのを見るだけで、何だか楽しい気分になるのだ。これもCDでは味わえないレコード再生の醍醐味なのだろう。
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