元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ナワリヌイ」

2022-08-29 06:20:56 | 映画の感想(な行)
 (原題:NAVALNY )現時点では必見の作品だと思う。題材は世界情勢を俯瞰する上で欠かせないものであり、しかも映画として実に良く出来ている。ドキュメンタリーではあるが娯楽作品としてのテイストも持ち合わせているほどだ。

 ロシアの反体制派の活動家アレクセイ・アナトーリエヴィチ・ナワリヌイは、2007年に民主主義政党“ヤブロコ”を除名処分になった後、弁護士の肩書を利用して政府や大企業の不正を次々と暴いてゆき、政界にも進出する。政権側は彼を最大の敵と見做し、不当な逮捕を繰り返す。そして2020年8月、ナワリヌイは西シベリアのトムスクから旅客機でモスクワに向かう途中で何者かに毒物を盛られ、昏睡状態に陥る。ベルリンの病院に避難し奇跡的に一命を取り留めた彼は、自ら調査チームを結成して真相究明に乗り出す。



 反体制の急先鋒であったナワリヌイが、政府当局から目をつけられて危うく消されそうになるプロセスは社会派サスペンスの装いだが、さらに興味深いのは危機を脱してから逆襲に転じるくだりである。彼はイギリスに本拠を置く調査報道機関“ベリングキャット”のスタッフと共闘。いわゆる“オープンソース・インベスティゲーション”の手法を駆使して、真実を突き止める。特に、関係者に成りすまして容疑者の一人をトラップに嵌めるパートなど、並みのスパイ映画が裸足で逃げ出すほどのサスペンスを醸成させている。

 妻のユリヤをはじめとする親族や、志を同じくする仲間と目標に向かって突き進む彼の雄姿を見ていると、さらに悪化した現在のロシア情勢を何とか打開する道があるのではないかと、淡い希望を持ったりする。国威高揚のため隣国に戦争を仕掛けたプーチンの支持率は高いが、劇中で描かれたように少なくない数のナワリヌイの支持者たちが存在するのも事実。今は彼は逆境にあるが、希望を捨ててはならないと、強く思う。

 ダニエル・ロアーの演出は小気味良く、98分という短めの尺も相まって、強い印象を残す。マリウス・デ・ブリーズによる音楽も効果的。なお、ナワリヌイは2022年2月から始まったロシアのウクライナ侵攻を厳しく批判している。もしも彼のような者がロシアの指導者になれば、世界はもっと明るくなるかもしれない。
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「スパイダーヘッド」

2022-08-28 06:20:28 | 映画の感想(さ行)
 (原題:SPIDERHEAD)2022年6月よりNetflixにて配信されたSFスリラー。これは面白くない。アイデアは陳腐だし、展開は凡庸。大して予算も掛けられなかったようで、画面いっぱいにショボさが横溢している。またプロデューサーが(クレジットを見るだけで)8人も存在していることから、どうもコケた際の責任を希釈するような意図も感じられて、愉快になれない。

 とある孤島に建つ“スパイダーヘッド刑務所”では、天才的な科学者であり経営者でもあるスティーヴ・アブネスティの管理により、受刑者たちを対象にした人体実験がおこなわれていた。それは彼らに人格を変える各種ドラッグを無理矢理に注入し、その様子を観察するというものだ。そんな中、過去の行為に関する罪悪感に苛まれている受刑者のジェフは、一応模範囚としてスティーヴの実験を手伝ってはいるが、この刑務所の状態に疑問を抱いていた。ジョージ・ソーンダーズによる小説の映画化だ。

 マッドサイエンティストが囚人を相手に怪しげな人体実験をするという設定自体、過去に何度も目にしたようなネタで新味は無い。しかも、スティーヴがこの実験にのめり込む理由も示されていない。取り敢えずは“人間心理をコントロールすることによってトラブルの無い世界を作る”みたいなことが謳われるが、漠然とした御題目に過ぎず、説得力に欠ける。SFミステリーらしい思い切った筋書きや、観る者を驚かせるような映像処理も存在せず、平板なまま映画はエンドマークを迎える。

 監督のジョセフ・コジンスキーは「トップガン マーヴェリック」のヒットの余波で本作を手掛けたように思えるが(笑)、まるで精彩がない。演出テンポはかなり悪く、上映時間が107分なので大して長くはないのだが、時間が経つのが遅く感じられる。終盤の脱出劇も緊張感は無い。映画の舞台を離島にしたメリットは希薄で、閉塞感の欠片も無い。

 ならばキャストの仕事ぶりはどうかといえば、こちらも低調だ。スティーヴに扮するクリス・ヘムズワースはマーベル映画の印象が強い上、本作のように悪役に回ると大根に見えてしまう。ジェフ役のマイルズ・テラーは奮闘しているとは思うが、役柄が曖昧なので評価出来ず。ジャーニー・スモレット=ベルやテス・ハーブリック、マーク・パギオといった他の面子もパッとしない。
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「きっと地上には満天の星」

2022-08-27 06:22:46 | 映画の感想(か行)
 (原題:TOPSIDE )題材は面白そうなのだが、筋書きはイマイチだ。また、感情移入できる(大人の)キャラクターが見当たらないのも辛い。演出にも殊更才気走った部分は感じられず、90分という短い尺ながら、とても長く感じられる。ロマンティックな雰囲気もある邦題とは裏腹に、愛想の無い出来に終わってしまったのは残念である。

 シングルマザーのニッキーは、5歳の娘リトルと共にニューヨーク地下鉄の下に広がる廃トンネルでひっそりと暮らしていた。そこの住民は彼らだけではなく、社会からドロップアウトした連中が寝起きを共にしていた。ところがある日、廃トンネルで不法居住者の摘発が行われ、母娘は地上への逃亡を余儀なくされる。昔の知り合いをアテにして街をさまようニッキーだったが、生まれて初めて外の世界に出ることになるリトルは戸惑うばかり。そして、地下鉄の駅でリトルは母親と逸れてしまう。



 実在した地下コミュニティへの潜入記であるジェニファー・トスのノンフィクション「モグラびと ニューヨーク地下生活者たち」を原案にしたドラマだ。リトルの父親が誰なのかは最後まで明かされない。それどころか、この2人が本当の親子なのかどうかも判然としない。ニッキーはかなり身持ちの悪い女で、地下に潜る前にはロクな生活を送っていなかったことが暗示される。こんな母親に引っ張り回されるリトルにとっては、まったくもって良い迷惑だ。しかも、ニッキーが地下生活に追いやられた背景も説明されていない。

 リトルが見る外の世界は、“満天の星”どころか目眩を起こしそうになるほど情報過多でストレスフルな環境だ。映画はそれを表現するためか、手持ちカメラの接写を中心としたブレの激しい映像を連発させる。しかし、結果的にこれは観る者の目を疲れさせるだけだ。そんなことより、もっとニッキーの人物像を掘り下げることに注力すべきだった。また、ニッキー以外の地下生活者のプロフィールにもほとんど言及されていないのも不満である。

 ラストは一応の決着は付くのだが、彼女の無責任ぶりがクローズアップされるばかりで、結局は誰も救われない。監督はセリーヌ・ヘルドとローガン・ジョージの共同で、ヘルドはニッキー役で出演もしている。だが、展開は平板で評価出来るものではない。リトルに扮するザイラ・ファーマーは子供らしい可愛さを醸し出しているが、他のキャストについてはコメントする気にもなれない。デイヴィッド・バロシュによる音楽も印象に残らず。
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「レッズ」

2022-08-26 06:20:03 | 映画の感想(ら行)
 (原題:REDS)81年作品。本作の特徴というか、一番印象に残る点は、ハリウッド映画で初めてアメリカ国内に実在した左翼勢力を正面から描いたことだ。もちろん、それ以前もその存在や影響力を暗示した作品はあったが、ここまであからさまに取り上げたケースは無かったと思う。さすがハリウッド随一のリベラル派である、ウォーレン・ベイティの手によるシャシンだけのことはある。しかし、肝心の内容は万全とは言い難い。

 第一次大戦中のヨーロッパでは国際労働者同盟の闘争が巻き起こっていたが、オレゴン州ポートランド出身の若手ジャーナリストのジョン・リードはこの動きに触発され、1917年に革命の嵐が吹き荒れるロシアに渡る。そこで彼は自身の体験やウラジーミル・レーニンへのインタビューなどをまとめ「世界を揺るがした10日間」として刊行。一躍注目を浴びる。



 彼と行動を共にしたのは交際相手であるルイーズ・ブライアントで、女権主義者のエマ・ゴールドマンや劇作家ユージン・オニールも彼を支援した。リードは帰国後に米国内の左翼勢力をまとめようとするが、上手くいかない。そこでリードは自身が立ち上げた政党を本家のロシアの革命勢力に公認してもらうため、封鎖中のロシアに潜入する。

 題材に関して大いに思い入れがあったW・ベイティは、綿密な時代考証と見事な舞台セットにより、3時間を超える上映時間も相まって本作に歴史大作としての佇まいを与えている。また、劇中ではリードとルイーズを知る人物のインタビュー映像が幾度も挿入される。その面子は歴史家のウィリアム・ダラントや作家のヘンリー・ミラーにレベッカ・ウェスト、アメリカ自由人権協会創立者のロジャー・ナッシュ・ボールドウィン、画家のアンドリュー・ダスブルクなどで、作劇上では正攻法ではないものの、映画の厚みが増したことは確かだ。

 しかし、この映画は一番大事なことを描いていない。それは、どうして当時アメリカで左傾運動が盛んになり、主人公はなぜそれに共鳴したのか、ほとんど説明されていないからだ。もちろん、こういう映画を観る客層はその頃の社会情勢の概要は承知しており、構造的な背景は想像できるだろう。だが、映画的な興趣としては昇華されていない。リードは最初から左翼の闘志であり、ルイーズをはじめとする周りのメンバーも自らのイデオロギーに一抹の疑念も持っていないように見える。こういう図式的な建て付けでは、求心力は発揮できない。

 主役はベイティ自身だが、熱演だとは思う。ルイーズに扮したダイアン・キートンをはじめ、ジャック・ニコルソン、モーリン・ステイプルトン、ポール・ソルヴィノ、ジーン・ハックマンなど、顔ぶれは豪華。だが、映画の内容自体が斯くの如しなので評価は差し控えたい。なお、スティーヴン・ソンドハイムとデイヴ・グルーシンによる音楽と、ヴィットリオ・ストラーロのカメラによる映像は良かった。
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「PLAN 75」

2022-08-23 06:21:06 | 映画の感想(英数)
 本年度の日本映画を代表する問題作だ。奇を衒った題材のように見えて、普遍性の高いアプローチが成され、かなり説得力がある。我々を取り巻く社会的な病理を容赦なく描出し、暗鬱な行く手を指し示すと共に、わずかながらの“処方箋”をも用意する。このテイストは万人に受け入れられるものではないが、テーマの扱い方としては文句の付けようが無い。第75回カンヌ国際映画祭での好評も十分うなずける。

 少子高齢化対策として、75歳以上の者に“死ぬ権利”が法的に与えられるようになった近未来の日本。夫と死別して一人で暮らす78歳の角谷ミチは、ホテルの客室清掃員の仕事を高齢を理由に解雇されてしまう。新しい職は見つからず、住む場所も失いそうになった彼女は、この老人対象の安楽死制度である“プラン75”を申請することを決める。一方、役所の“プラン75”の窓口担当者である岡部ヒロムは、申し込みに来た男が長い間音信不通だった叔父の幸夫であったことに驚く。



 国家権力による人命収奪を描いたディストピア映画としては、過去にリチャード・フライシャー監督の「ソイレント・グリーン」(73年)や瀧本智行監督の「イキガミ」(2008年)などがあるが、本作の深刻度はそれらの比ではない。とにかく、舞台設定のリアリティが際立っている。

 冒頭、老人養護施設での大量殺人事件が映し出されるが、これは“プラン75”成立の要因の一つとして扱われる。かなり図式的な御膳立てのように思えるが、これが思いの外効果的なのは、現実を照射しているからである。本作での少子高齢化対策は名ばかりで、内実は排他的な優生思想だ。生産性のない老人(及びハンデを持つ者たち)は生きる価値は無いので世の中から退場してほしいという、身も蓋もない欲求が国家のお墨付きを得て大手を振って罷り通るこの映画の構図は、いつ現実化してもおかしくはない。

 国民の分断化が進み、皆が“今だけ金だけ自分だけ”というだらしのないエゴイズムに走り、他人のことや世の中のことをまったく顧みない。それどころか、的外れな自己責任万能主義が持て囃される始末。おそらく、この“プラン75”の法案が実際に提出されれば、賛同する国民は大勢いるだろう。

 映画はミチとヒロム、そしてミチの相手をするコールセンタースタッフの瑶子、フィリピンから出稼ぎに来ているマリアという、4人のパーソナリティを並行して描くが、終盤を除いて互いにエピソードが交わることは無い。だが、それぞれのフェーズで彼らが直面する問題を通し、多角的に真相を切り取ることにおいては大いに成果を上げている。

 本来は希望者のみに適用される“プラン75”は、いつの間にか強制的なものになり、さらには基準年齢の引き下げまで取り沙汰されるようになる。“プラン75”に付随する関連業務は早々に“民営化”され、在日外国人などの労働者が搾取されるシステムが出来上がる。いずれも現実のトレンドを反映しているようで、迫真性が際立っている。

 これが長編デビュー作となる早川千絵の演出は、外連味を極力抑えた正攻法のもの。素材がセンセーショナルなものだけに、この姿勢はうれしい。ミチに倍賞千恵子が扮しているのは感慨深く、刻まれた皺も隠さずに堂々とした演技を見せている。磯村勇斗にステファニー・アリアン、大方斐紗子、串田和美といった脇の面子も万全。ただし瑶子役の河合優実はイマイチで、大して実力もないのに仕事が次々に入るのは解せない。浦田秀穂の撮影とレミ・ブバルの音楽も及第点だ。

 ラストの扱いは賛否両論あるだろうが、事態を絶望視していない作者の良心の発露と受け取りたい。幅広い層に観てもらいたい作品だ。
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「亜人」

2022-08-22 06:25:08 | 映画の感想(あ行)
 2017年東宝作品。まったくもって、箸にも棒にもかからない出来だ。ある意味、昨今の日本映画のダメな点を集約したような内容である。まず、有名な元ネタ(今回は漫画)を安直に採用し、そして付け焼き刃的に脚色、さらには人気のある(と思われる)キャストを集め、なけなしの予算で作家性の欠片も無い演出家に丸投げする。興行成績に対する責任の所在は曖昧だ(製作委員会方式の弊害)。これらが全て垣間見えるような出で立ちのシャシンである。

 不死身の新人類“亜人”の存在が認知されるようになった日本社会。研修医の永井圭は、交通事故で死亡したはずが生き返ったのをきっかけに、亜人であることが発覚する。政府の研究施設に監禁されて非道な実験材料にされた圭は、同じく亜人の男である佐藤と田中によって救われる。しかし、佐藤らは人間そのものを憎み、東京の“亜人特区化”を狙うテロリストだった。その過激な思想に共感できない圭は、佐藤一派と対立することになる。

 大ヒットしてテレビアニメにもなった桜井画門による原作は読んでいないが、全17巻にも及ぶ長編のようで、これを2時間以内の映画に収めるのはどう考えても不可能だ。事実、いちいち突っ込むのが面倒くさくなるほど無理筋の展開やモチーフがてんこ盛りである。そもそも、主要キャラクターのバックグラウンドが十分描き込まれていないので、感情移入する対象が見出せない。

 肝心の活劇場面も大したことはなく、亜人が戦闘ツールとして現出させる“幽霊”の造形や動きもアイデア不足だ。本広克行の演出はいつも通りであり、深みの無いシナリオをトレースしているに過ぎない。あと気になったのが、佐藤たちがジェット旅客機を乗っ取ってビルに突入させる場面で、9.11テロのパクリのつもりだろうが、観ていて不愉快である(しかも、安っぽいCG処理)。

 主演の佐藤健をはじめ、綾野剛に玉山鉄二、城田優、千葉雄大、川栄李奈、浜辺美波、吉行和子、山田裕貴、宮野真守と、そこそこ名のあるキャストが顔を揃えているにも関わらず、誰一人として魅力を醸し出していない。それに、ユーチューバーのHIKAKINが何の脈絡も無く(お笑い担当として)出てくるのには脱力した。

 唯一感慨深かったのが、大林宣彦が顔を出していること。たぶん彼の最晩年のドラマ出演の一つだろうが、もしも脚本を大幅に改訂して大林に監督させればどんな作品に仕上がったのだろうかと、そんなことを思ってしまった。
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「ビリーバーズ」

2022-08-21 06:51:21 | 映画の感想(は行)
 カルト宗教を題材にした山本直樹による原作漫画は99年に連載が始まったが、これは95年に起こったオウム真理教事件に影響を受けている。だから現時点で映画化することは証文の出し遅れの感もあったが、何と今一番アップ・トゥ・デイトなテーマを扱った作品になってしまった。言うまでもなく“あの事件”のせいである。改めてこのテーマは風化させてはならないと、強く思う。

 宗教団体“ニコニコ人生センター”は、信者に無人島でサバイバル生活をさせ俗世の汚れを浄化し解脱を図るというプロジェクトを実施していた。現在はオペレーターと呼ばれる若い男と議長と命名された中年男、そして副議長役とされる若い女の3人が島に滞在している。彼らは日々瞑想やテレパシーの実験など、本部からの指示による修行に励んでいたが、勝手に上陸してきたチンピラどもを排除してから、様子がおかしくなる。今後の方向性に関して互いの意見が衝突し、欲望と打算が表面化。やがて、当局側に追われた教祖と信者たちが大挙して島に押し寄せてくる。



 彼らが島でやっていることは、まったく意味が無い。いくら各人が見た夢の報告をしようと、半分地面に埋まって自己を“総括”しようと、それで何かが好転するわけでもない。逆に自分を追い詰めるだけだ。この、外界から隔絶され既存の価値観から切り離された状況こそが、カルト宗教のフェーズの一つであると言えよう。

 しかしながら、絵空事の教義はリアルな人間の本能に勝てるはずもない。後半から3人がカオス状態に突入するのは当然のことだ。対して、教団によるガバナンス(?)が行き届いている教祖に近い信者たちには、それが通用しない。オペレーターの場合、元は母親が信仰ににハマっていて、それを何とかしようと教団に近付いたら自分が取り込まれてしまったという複雑な立場だ。だが、そんな彼でも本音で生きるしかない無人島での生活を体験すれば、考え方を変えざるを得ない。つまりは、カルト宗教こそが“俗世の汚れ”そのものなのだ。

 正直言って、城定秀夫の演出は今回それほど上手くいっているとは思えない。展開が平板で、終盤の“大活劇”のショボさには失笑する。ラストの扱いも釈然としない。しかし、取り上げられた素材の重大さ、そしてキャストの熱演により見応えのある作品になっている。オペレーター役の磯村勇斗は、これまでのイメージをかなぐり捨てた力演。彼のファンは戸惑うだろうが(笑)、評価出来る仕事ぶりだ。議長に扮した宇野祥平も、アッパレな変態演技で場を盛り上げる。

 だが、本作の一番の“収穫”は、副議長を演じる北村優衣である。後半は服を着ている場面の方が少ないほどだが、とにかく物凄くエロい。この若さ(99年生まれ)でこれだけのワイセツさを表現できるとは、端倪すべからざる人材だ。曽我部恵一の音楽は良好で、原作者の山本も顔を見せるという遊び心も捨てがたい。確実に観る者を選ぶ映画ではあるものの、屹立した存在感を示している。
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「仁義なき戦い 代理戦争」

2022-08-19 05:13:50 | 映画の感想(さ行)
 73年東映作品。人気シリーズの第三作だが、実質的には同年初頭に公開された第一作の続編に当たる。正直言ってプロットはパート1よりも複雑で、分かりやすい映画とは言えない。だが、尋常ではない熱量の高さと濃すぎるキャスティングにより、見応えのあるシャシンに仕上がっている。この頃の邦画のプログラム・ピクチュアは、まだまだ勢いがあったと思わせる。

 昭和35年4月、広島市随一の規模を誇る暴力団である村岡組のナンバー1が、他の組とのトラブルで殺されてしまう。ところが村岡組傘下の有力者である打本昇は、この事態の収拾に及び腰だったため、たちまち村岡組の跡目争いが勃発する。一方、同系列の山守組を預かる山守義雄も村岡組の後継争いに参画。人望がある広能昌三を強引に山守組傘下に復縁させ、打本らを説き伏せて山守への権限委譲が成立したかに見えた。



 ところが打本が別件のいざこざにより神戸の広域暴力団である明石組に助けを求めたことから、状況は一変する。山守は明石組に対処するため、同じ神戸の神和会との縁組みを企む。かくして、関西の大手組織同士の代理戦争が広島で大々的に展開することになる。

 概要だけ見れば広島を舞台にした関西の二大暴力団の覇権争いなのだが、広島の地元勢力も明確に2つに分かれてはおらず、それぞれの事情によって場当たり的に所属派閥を変える。それこそ“仁義なき戦い”なのだが、すべてが欲得ずくで動いているわけではなく、昔ながらの義理と人情も完全には廃れていない。それが本作においてストーリーを追うことを難しくしている証左でもあるのだが、言い換えれば実際は部外者が思うほど事は単純ではなく、複雑な離合集散が延々と描かれているのは現実に近いのかもしれない。

 監督はお馴染みの深作欣二で、熱量の大きいヤクザ群像を骨太のタッチで描ききっている。しかも、この密度の高さを実現していながら1時間40分ほどの尺に収めているのは、まさに職人芸だ。

 そして何よりキャスティングの充実ぶりは圧倒的。狂言回しの広能に扮した菅原文太をはじめ、川谷拓三に渡瀬恒彦、金子信雄、田中邦衛、成田三樹夫、山城新伍、加藤武、室田日出男、丹波哲郎、梅宮辰夫と、それぞれが出てくるだけでスクリーンを独占してしまうような存在感の持ち主で、また彼らがもういないことを考え合わせると、切ない気持ちでいっぱいになる。残念ながら、今の邦画界には本作の出演陣のようなスター性とアクの強さを兼ね備えた濃い面子はほとんど存在しない。そういった観点からも、日本映画の将来は明るいものではないことを、改めて思う。
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「モガディシュ 脱出までの14日間」

2022-08-15 06:52:18 | 映画の感想(ま行)
 (英題:ESCAPE FROM MOGADISHU )かなりハードな題材を扱っていながら、娯楽活劇としての体裁もしっかり整えられている。しかも、実話というのだから驚くしかない。本国で大ヒットを記録したのも納得だ。こういうシャシンを観ると、今や韓国映画は総体として日本映画より先を行っていると思わざるを得ない。

 1990年、その2年前にオリンピックを成功させた韓国政府は、国連への加盟を目指して多数の投票権を持つアフリカ地区でロビー活動を展開していた。ソマリアの首都モガディシュでも、韓国大使ハンはソマリア政府上層部の歓心を買おうと必死だ。対して北朝鮮も国連加入を狙っており、何かとハンたちと対立していた。



 そんな中、反政府勢力統一ソマリ会議がバーレ政権に対して反乱を起こす。各国の大使館は略奪や焼き討ちにあい、北朝鮮大使館も占拠され、リム大使およびスタッフ・家族は着の身着のままで街をさまよう。切羽詰まった彼らは、本来は敵であるはずの韓国大使館へ助けを求めることを決める。

 当時アフリカで両国がこのような活動をしていたことは知らなかったし、もちろん映画で描かれたような出来事も初耳だ。それだけでも興味深いが、キャラクター設定は絶妙で無駄がなく、観る者をスムーズに物語に引き込むことに成功している。三枚目的なハンと真面目一徹のリムとのコントラストは映えるし、それぞれの参事官のキャラも濃い。

 韓国大使館を警備していた地元の警察も早々に逃げ出し、いよいよ彼らは自前で国外脱出の段取りを整える羽目になる。何とかイタリア大使館の援助を取り付けたものの、タイムリミットは迫ってくる。主人公たちがモガディシュの市街地を徒手空拳で突破するシークエンスは、素晴らしい盛り上がりを見せる。アクションに次ぐアクションの末、静寂でホロ苦い幕切れを用意するあたりも憎い。

 脚本も担当したリュ・スンワンの演出は序盤こそギャグ仕立てのオフビート風味が目立つが、内戦勃発以降の展開はハードボイルドにしっかりとドラマを組み立てる。キャストはいずれも好演で、ハン大使役のキム・ユンソクの海千山千ぶりと、リム大使に扮するホ・ジュノの渋さは印象的。チョ・インソン、ク・ギョファン、キム・ソジン、キム・ジェファ、パク・ギョンヘといった脇の面子も良い。そしてモロッコでのロケによる舞台設定に手抜きは無く、大作感を醸し出している。第42回青龍映画賞で作品賞、監督賞ほか5部門を受賞。本年度のアジア映画を代表する快作だ。
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「小倉昭和館」が焼失。

2022-08-14 06:54:46 | 映画周辺のネタ
 去る2022年8月10日夜、北九州市小倉北区魚町にある映画館「小倉昭和館」が、隣接する旦過市場の火災の巻き添えを食らい全焼した。同館は北九州市に唯一残る個人経営の映画館で、福岡県内最古。今では珍しい35ミリフィルムの映写機も稼働していた。配給会社から預かっていたフィルムも焼失したとのことで、実に残念だ。

 ただし、注意しなければならないのは、旦過市場はほんの数か月前にも大規模な火災を引き起こしていたことだ。その時の瓦礫撤去の目処も付き、復興の気運が高まっていた矢先である。それにも関わらず、また同じような災害に見舞われたのは、ハッキリ言って学習能力が無い。この地域は昭和30年代に建てられた木造建築物が密集しており、中央の通路を挟み建物が神嶽川の上にせり出して建っている。しかるに災害に対しては脆弱で、99年の丸和スーパーが火元となる大火災をはじめ、近年の水害でも被災家屋が発生している。

 北九州市では神嶽川の改修にあわせて旦過市場の再整備のための「旦過地区土地区画整理事業」を2021年に策定しているが、それが実現化する前の災難だった。しかも、今回の火災で大きな被害を受けた新旦過横丁は、この土地区画整理事業のエリアに入っていない。

 旦過市場は北九州の台所とも呼ばれ、幅広い層の利用客がいたらしいが、そのセールスポイントはバラエティに富んだ飲食店を含めラインナップが充実していたことと同時に、大正時代に創設されたというノスタルジックな風情だと思われる。しかし、逆にそれが災害に弱い環境に繋がっていたのではないか。そもそも、被災が幾度となく繰り返されてきた過去がありながら、再開発計画が策定されたのはつい最近なのだ。

 私は同じ福岡県に住んでいながら、旦過市場には行ったことはなく、当然のことながら「小倉昭和館」にも足を運んだことはない。だが、画像をチェックする限りこの映画館の設備は満足できるものとは言えないようだ。客席は急勾配で、バリアフリー環境とは程遠い。座席自体も広いように見えない。つまりは“昔ながらの街の映画館”である。

 こういう劇場の佇まいには郷愁感は覚えても、決してその有り様は現在に通用するものとは思えない。こういう“昔ながらの街の映画館”の多くが淘汰され、シネコンに置き換わったように、このビジネスモデルは古いのだ。35ミリフィルムの映写機や、有名人のサインなどの貴重な資料があるとしても、それは“映画をちゃんと見せる”という本来の映画館の目的とは別物である。

 ならば被災後のこの劇場の在り方はどうなのかといえば、まずは当然のことながら、復活はして欲しい。何しろ、新旧取り混ぜたこの映画館の上映ラインナップは映画好きにとっては堪えられないものだ。しかし、それが土地区画整理事業の対象にはなっていない今の土地で営業を再開するのは賛成できない。とにかく、災害に巻き込まれる可能性が小さいエリアに移転するのが最優先事項だ。そして、顧客の立場を十分に考えた設備を整えて欲しい。
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