元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「バビロン」

2023-02-27 06:19:58 | 映画の感想(は行)
 (原題:BABYLON )とても評価できる内容ではない。デイミアン・チャゼル監督は自身が本当は何が得意で何をやりたいのか、まったく分かっていないようだ。彼は守備範囲が極端に狭いことを認めたくないのか、前作と前々作では場違いなネタを扱って上手くいかなかった。本作に至って少しは軌道修正したのかと思ったら、さらに酷いことになっている。アカデミー賞では主要部門にノミネートされなかったのも当然だろう。

 1920年代のハリウッドを舞台に、メキシコから夢を抱いてやって来た青年マニー・トレスと、偶然彼と知り合って意気投合した駆け出しの女優ネリー・ラロイ。そして大スターのジャック・コンラッドの3人を中心に、サイレントからトーキーに移行する映画製作の現場を狂騒的に描く。



 まず納得できないのは、この時代のハリウッドを描いた映画としては既に「雨に唄えば」(1952年)という傑作が存在していることを作者が理解していないことだ。“いや、それは違う。劇中にはちゃんと「雨に唄えば」が引用されているではないか”という反論が返ってくるのかもしれないが、単に存在を知っているだけでは「雨に唄えば」の価値を分かっていることにはならない。事実、本作における「雨に唄えば」の扱いは、漫然とした“場面の紹介”に終わっている。

 さらに、昔のハリウッドのダークな内幕を描いた作品としては「サンセット大通り」(1950年)や「イヴの総て」(1950年)といった突出した前例があるが、本作はそれらに遠く及ばない。また、デイヴィッド・リンチ監督の「マルホランド・ドライブ」(2001年)における魔窟としてのハリウッドの描写には、この映画は比べるのも烏滸がましい。ただ、クレイジーな事物を賑やかに並べて自己満足に浸っているだけだ。

 では、チャゼル監督が本当に描くべきものは何だったのかというと、それはジョバン・アデポ扮するジャズ・トランペット奏者である。映画におけるジャズ音楽の重要性、そして黒人プレイヤーとして味わう数々の辛酸、その屈託をサウンドとして叩き付けるプロセスを、得意の演奏場面で活写すればかなりの成果が上がったはずだ。それを何を勘違いしたのか、“自分はハリウッドの歴史を俯瞰的に捉える実力がある”とばかりに総花的な3時間超の“大作”に仕上げてしまった、その暴挙には呆れるしかない。

 ブラッド・ピットにマーゴット・ロビー、ディエゴ・カルバ、オリヴィア・ワイルド、トビー・マグワイアなどキャストは皆熱演ながら、徒労に終わっている感がある。唯一興味深かったのが、オリヴィア・ハミルトン扮する女流監督だ。モデルはサイレント映画時代にハリウッドで唯一の女性監督だったドロシー・アーズナーらしいが、こういう人材が実在していたことを本作で初めて知った次第である。
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「理想の男になる方法」

2023-02-26 06:15:30 | 映画の感想(ら行)
 (原題:WHEN WE FIRST MET )2018年2月よりNetflixより配信。タイムループをネタにしたラブコメディという、過去に何回も見かけたような設定のシャシンだ。しかし、変化球を交えた筋書きとキャスティングの妙、そして効果的なギャグの数々と、観て退屈しないレベルに仕上げられている。お手軽な作品だが、最後まで気分を害さずに付き合えるのは有り難い。97分という短めの尺も適切だ。

 ピアノバーの従業員であるノア・アシュビーは、女友達のエイヴリー・マーティンとイーサンの婚約記念パーティーに参加していた。実はノアは3年前のハロウィンにエイヴリーと知り合って一目惚れしたのだが、いつの間にか彼女はイーサンと恋仲になっていた。

 ヤケ酒をあおって泥酔したノアを、エイヴリーの友人キャリーが職場のピアノバーまで送っていくが、彼は店に設置してあったプリクラで写真を撮った後、そのまま眠りこけてしまう。気が付くと、時間がエイヴリーと会った日に戻っていた。これ幸いとノアはエイヴリーを口説きにかかったのだが、彼女のプロフィールを必要以上に明かしたおかげで怪しまれて失敗。ならばと彼は再度のタイムスリップを試みる。



 通常の(?)タイムループ物と違い、時間遡及が二段階で発生するのが面白い。主人公は一度3年前に戻ったあと、そこから一気に現在の時制にジャンプするのだ。つまり、3年前の彼の言動が現在の状況にどう影響するのかを瞬時に見せてくれる。御都合主義の展開かもしれないが、それがテンポの良さにも繋がっている。また、タイムスリップを繰り返すうちにノアが“意外な事実”に気付いて軌道修正しようとするのだが、そう上手くいかないあたりもよく考えられている。

 アリ・サンデルの演出は特段才気走ったところは無いが、スムーズにドラマを進めている。そして元々コメディアンであった主演のアダム・ディヴァインの持ち味を存分に引き出して、かなり笑わせてくれる。特に、ストーカーに間違えられて散々な目に遭うくだりは大ウケだった。エイヴリー役のアレクサンドラ・ダダリオをはじめシェリー・ヘニッヒ、アンドリュー・バチェラー、ロビー・アメルといった他のキャストは馴染みが無いが、皆芸達者で作劇の足を引っ張っていないのには感心する。舞台になったルイジアナ州ニューオーリンズ(ジャズの発祥地として名高い)の南部らしい明るい風情も捨てがたい。
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「銀平町シネマブルース」

2023-02-25 06:49:00 | 映画の感想(か行)
 映画館に対して特段の思い入れがある観客は、本作をとても面白く感じるだろう。反面、そうではない者にはこの映画は響かない。ならば私はどうかといえば、基本的に“映画は劇場で観るものだ”というスタンスを取っている手前、この映画の題材は興味深い。しかし、この映画を楽しんで観る層とは、おそらく映画館の在り方についての見解が違う。そこが本作の評価にも繋がってくる。

 主人公の近藤猛は、一文無しのまま若い頃に過ごした銀平町に帰ってくる。昔の友人を頼ろうとしたが断られ、おまけに映画好きのホームレスの佐藤にカバンを奪われて“泣きっ面に蜂”の状態になった猛に救いの手を差し伸べたのが、地元にある映画館の支配人の梶原だった。猛は梶原の紹介で、町の映画館の銀平スカラ座で住み込みで働き始める。



 スカラ座は封切館ではなく、旧作映画を主体に上映する名画座だ。建物も設備も古く、番組は往年の名画を中心にしているため客層は限られており、いまだ営業を続けられているのが不思議なほどである。この、ビジネス的には“終わっている”劇場を本作はノスタルジーたっぷりに描く。

 猛は実は元映画監督で、未完成の作品が自前のPCの中に格納されているとか、佐藤がいわゆる“生活保護ビジネス”に関わったりとか、猛の昔の仕事仲間が急逝していたとか、本作にはいろいろと無理筋なプロットが詰め込まれている。それらも映画館へのノスタルジーというオブラートに包めれば気にならないのかもしれないが、あいにく映画を一歩も二歩も引いて見てしまう当方にとっては単なる瑕疵としか思えない。

 後半にはスカラ座が自主映画の発表の場になって注目を浴びるというネタが織り込まれるが、取って付けたような印象だ。そもそも、登場人物たちは映画館を愛しているという設定にも関わらず、終映後のゴミだらけの客席を批判的な視点も無しに描いたりと、不用意な点が目立つ。城定秀夫の演出はいつも通り手堅いが、いまおかしんじの脚本が万全ではないので割を食っている。

 例の不祥事からの復帰作になった小出恵介をはじめ、吹越満に宇野祥平、藤原さくら、日高七海、小野莉奈、さとうほなみ、片岡礼子、藤田朋子、浅田美代子、そして故・渡辺裕之などキャストは皆好演ながら、どこか“薄味”に感じるのは作品のレベル所以だろう。なお、私自身は劇中のスカラ座のような映画館は役目を終えたと思っており、淘汰されても仕方がない。ノスタルジー派にとっては不本意だろうが、これが“時代の流れ”というものだ。
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最近購入したCD(その41)。

2023-02-24 06:10:31 | 音楽ネタ
 昨今、音楽ジャンルとしてのロックの退潮がささやかれている。事実、今はアメリカのヒットチャートで純然たるロックナンバーが上位にランクインすることはほとんど無い。ただ、イギリスにおいてはそこまでロックは斜陽化していない。その中で、2017年にデビューした英マンチェスター出身の4人組バンド、ペール・ウェーヴスが昨年(2022年)発表したサード・アルバム「アンウォンテッド」は、ストレートなロック・サウンドを小気味良く叩き出した快作だ。

 前作の「フー・アム・アイ?」(2021年リリース)も良かったのだが、この新作はよりハードなタッチを前面に出し、歌詞も甘さを控えたダークでエッジの効いたものに仕上げられている。しかも、メロディ・ラインはポップで親しみやすく、ナンバーごとにテンポやアプローチを変えてくるなど、捨て曲無しの完成度の高さを見せつけている。



 紅一点のヘザー・バロン・グレイシーのヴォーカルは、蓮っ葉な中にキュートな魅力を湛える優れ物。プロデューサーにブリンク182やマシン・ガン・ケリーなどを手掛けてきたザック・セルヴィーニを迎え、90年代インディー系をも想起させるパワフルな展開は幅広い支持を得られそうだ。それを裏付けるように、本作はイギリスのインディー・チャートで1位、総合チャートでも4位を記録している。ブリティッシュ・ロック好きは要チェックだろう。

 1931年ボストン出身のジャズ系女性シンガー、ボビイ・ボイルが1967年に吹き込んだカバー曲集に未発表音源を追加して2016年に復刻された「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」は、あまりのウェルメイドさに唸ってしまった一枚だ。この隠れた名作とも言えるアルバムが21世紀になって日の目を見たことは、実にありがたいと思う。



 タイトル・トラックはもちろんビートルズのナンバー。フィフス・ディメンションのヒット曲「ビートでジャンプ」や、ハリー・ニルソンの「うわさの男」、先日惜しくも世を去ったバート・バカラックの「ディス・ガール」など、お馴染みのナンバーばかりが集められ、誰にでも楽しめる。ボイルの歌声は絶品で、とても滑らかで温かみがある。もちろん、ジャズ歌手らしいスイング感も満点だ。

 バックを務めるギタリストのロン・アンソニーとベーシストのクリス・クラーク、ドラマーのチャック・ピッチェロのプレイも万全で、決して刺激的な音を出さずにボイルを的確にバックアップしている。また、レコーディング時期を勘案するとかなり音質が良い。ヘンに音像や音場を弄らずに“素”のままで録られており、自然なサウンド・デザインを創出。こういう音源の再発は今後も期待したい。

 映画音楽の大家ジョン・ウィリアムズは、時に指揮者としてオーケストラを率いて自作を演奏している。過去にボストン・ポップス・オーケストラやピッツバーグ交響楽団と組んだディスクを残しているが、満を持して2020年にウィーン・フィルと共演したディスクが「ライヴ・イン・ウィーン」だ。レコーディングは同楽団の本拠地ウィーン楽友協会でおこなわれ、ヴァイオリニストにアンネ=ゾフィー・ムターを起用するという豪華版である。



 取り上げられたナンバーはお馴染みのものばかりだが、一流どころのオーケストラが手掛けると実に格調高く仕上がる。弦の美しさと馥郁としたリズム運びに思わず聴き惚れてしまう。映画音楽というより、クラシックの小品集に接しているような雰囲気だ。ムターのヴァイオリンも豊かな色彩感を醸し出している。また、このディスクはMQA-CDという高音質仕様で、そのせいか聴感上のレンジや音場が見通しが良い。

 なお、本作のリリース後に今度はベルリン・フィルと共演した「ライブ・イン・ベルリン」も吹き込まれているが、そっちは見事にオーケストラのキャラクターを前面に押し出した重々しいサウンドに仕上がっている。同じ指揮者で同じような曲目を扱っても、楽団によってこうも印象が違うのだ。私はウィーン・フィルとのバージョンが好きだが、リスナーによってはベルリン・フィルに軍配を上げる向きも多かろう。ともあれ、映画好きもクラシック・ファンも満足できる斯様な企画は、これからも続けて欲しい。
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「生きててごめんなさい」

2023-02-20 06:19:56 | 映画の感想(あ行)
 主人公たちが抱える懊悩が痛いほど伝わってきて、観ていて引き込まれるものがある。これは別に彼らのような若年層に限ったことではなく、少しでも周囲の者たちの価値観や行動様式に違和感を覚えている人間ならば、年代問わず共鳴できるはずだ。言い換えれば、もしも本作にまったく感じ入るものが無かったとしたら、それはある意味幸せなことかもしれない。

 出版社の編集部員である園田修一は、ある日偶然に居酒屋のバイトをクビになったばかりの清川莉奈と知り合い、そのまま一緒に住むようになる。修一は激務に追われつつも、いつか小説家になるという夢を捨てきれずにいた。莉奈は恵まれない生い立ちである上、極端に不器用で何をやっても上手くいかない。修一は学生時代の先輩の相澤今日子から彼女が勤務する大手出版社主催の新人作家賞に応募することを奨められ、本格的に執筆に取りかかる。一方、莉奈はふとしたきっかけで修一が担当する売れっ子のコラムニスト西川洋一の目にとまり、修一と同じ会社で働き始める。



 本作の主人公たちは先日観た三浦大輔監督の「そして僕は途方に暮れる」の登場人物みたいな真性のダメ人間ではなく、前向きに生きようと奮闘してはみるものの、要領の悪さからダメっぷりを引き込んでしまう。適切な居場所と役割さえ与えられれば、もう少しマシな人生を送れるはずが、それがどうしても見つからない。絶えず“こんなハズじゃないんだ”という思いを抱きつつ、目の前の不条理な人間関係に神経をすり減らす。

 しかも、修一の勤務先は絵に描いたようなブラック会社で、メンタルやられて退職する者もいる。担当する作家センセイどもは軽佻浮薄で自分勝手な輩ばかり。明らかに彼には相応しい環境ではないのだが、文筆家になることへの儚い思いが先に進むことを妨げる。

 脚本も担当した山口健人の演出は登場人物たちの内面を上手く掬い上げ、彼らが日々味わう失望を平易なレベルで表現する。終盤の急展開と潔い幕切れを含めて、今後も期待できる若手監督だ。

 主演の黒羽麻璃央は初めて見る男優だが、的確な内面描写を含めた熱演で感心した。莉奈に扮する穂志もえかは、これまでのイメージを覆すような超自然体のパフォーマンスで強い印象を残す。松井玲奈に安井順平、冨手麻妙、春海四方、飯島寛騎、長村航希、梅田彩佳など、脇の面子も申し分ない。公開規模が小さいのは残念だが、今年度の日本映画の収穫であることは間違いない。
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「2つの人生が教えてくれること」

2023-02-19 06:22:23 | 映画の感想(英数)

 (原題:LOOK BOTH WAYS)2022年8月よりNetflixより配信。これは、アイデアの勝利だろう。このネタは誰でも思い付きそうだが、実際に映画として成立させた例はあまり無いと思われる。しかも、観る側から“所詮はワン・アイデアじゃないか”と見透かされることを避けるため、構成はとても良く考えられている。観て損は無い一編だ。

 テキサス大学オースティン校に通っていたナタリー・ベネットは、卒業を前にボーイフレンドのゲイブと一度きりの関係を持つ。そして卒業式前夜、彼女は突然吐き気を催して妊娠検査薬を使用。ここで映画は2つに“分岐”する。ヒロインが妊娠して地元に留まり、シングルマザーになって子育てに奮闘するというストーリーが進む一方、ナタリーは妊娠せずにそのまま卒業後はロスアンジェルスに引っ越し、アニメーターになる夢を実現すべくハリウッドの製作スタジオに就職する話も進行する。

 これら2つの筋書きがほぽワン・シークエンスごとに交互に展開し、同時制での主人公の言動や心理状態が並行して描かれるという案配だ。観る側が混乱しないように2つのパートは容易に見分けがつくように衣装や美術などは工夫されており、さらに時おり同一画面でその2つが進行するという離れ業を見せる。特に、卒業直後に“それぞれの”主人公を乗せた2台の車が反対方向に発進する場面は実にうまい処理だ。

 もとよりこのドラマはシリアスな方面には振られておらず、ヒロインの陽性のキャラクターも相まって深刻な結末にはならないことが容易に予測できる。それでも、各パートでの主人公が味わう不条理や思いがけない苦労といったものは、観る者が暗くならない程度には挿入されている。また、ナタリーがアニメーション業界を志望しているというモチーフは効果的で、文字通り“芸は身を助ける”を地で行く筋立てが可能になる。

 観終わって、やっぱり人間は前向きな姿勢を忘れなければ、人生の分岐点に何度か遭遇したところで選択を大きく誤ることはないのだという、作者のポジティブなスタンスが見て取れた。ワヌリ・カヒウの演出はイレギュラーな設定にも動じない堅実なもの。特段のケレンは無いが、安心して観ていられる。主演のリリ・ラインハートは初めて見る女優だが、明るく素直な印象で演技も達者。ダニー・ラミレスにデイヴィッド・コレンスウェット、アイシャ・ディーといった他のキャストの仕事も万全だ。随所にアニメーションが挿入されるのも効果的。
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「すべてうまくいきますように」

2023-02-18 06:21:55 | 映画の感想(さ行)
 (原題:TOUT S'EST BIEN PASSE )作劇に突っ込みどころがあることを承知の上で、作者は覚悟を持ってこの物語を粛々と綴っていく、その思い切りの良さに感服した。各個人が抱える事情というものは、必ずしも厳格な因果律で割り切れるものではないのだ。不条理とも思える筋立てにより、自らの身の処し方を決定することもある。そのことを改めて認識した。

 小説家のエマニュエルは、85歳の父アンドレが脳卒中で倒れたとの知らせを受け、妹のパスカルと共に病院に駆けつける。アンドレは半身不随になっており、その現実を受け入れられず尊厳死を望んでいる。彼は娘に人生を終わらせるのを手伝ってほしいと頼むが、リハビリの甲斐もあって少なくとも寝たきりの生活は避けられる公算は大きい。それでもアンドレの決意は固く、エマニュエルはあまり気が進まないまま合法的な安楽死を支援するスイスの協会とコンタクトを取る。脚本家エマニュエル・ベルンエイムによる自伝的小説の映画化だ。



 常識的に考えれば、アンドレがあえてこの世から退場する理由は無い。経済的には困っておらず、娘も孫もいて孤独ではない。身体の自由が十分に利かなくなっても、残りの人生は全うする価値はある。しかし、それは“外野の意見”に過ぎないのだ。当人にとって、身体が万全に動かせない状態は“自分ではない”のである。特に娘たちに世話をかけることは、本意ではない。

 さらには、アンドレが妻と別れる切っ掛けとなったジェンダーにおける問題や、エマニュエルの家庭の事情もアンドレの決断に少なからぬ影響を与えていることも暗示され、通り一遍の“前向きに生きよう”というポジティヴなスローガンの連呼は巧妙に捨象されている。もっとも、娘たちの懊悩が詳細に描き込まれていないことや、くだんの安楽死協会の実態もよく分からないなどの欠点はある。

 だが、それらを網羅すると上映時間が無駄に長くなる恐れもあり、観客の想像に任せてしまうだけの裁量を評価すべきだろう。フランソワ・オゾンの演出は通俗的な“お涙頂戴路線”から大きく距離を取りクールなタッチでドラマを進めていくが、それが却って主人公の決然とした思いを浮き彫りにする。特にラストの処置など、潔いほどだ。

 アンドレに扮するアンドレ・デュソリエの演技には感服するしかなく、本当に病人にしか見えない。エマニュエル役のソフィー・マルソーはオゾン監督の肝入りのキャスティングらしいが、若い頃とは違う深い魅力を振りまいている。しかも、体型がアイドル時代(?)と大して変わらないのもエラい。そして彼女の母親役にシャーロット・ランプリングが控えているのだから、フランス映画好きにとっては堪えられない。ジェラルディン・ペラスにエリック・カラバカ、ハンナ・シグラなど、その他の配役も確かだ。イシャーム・アラウィエのカメラによる清涼な映像、バックに流れるブラームスのピアノソナタ第三番が美しさの限りだ。
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「アモーレの鐘」

2023-02-17 06:12:08 | 映画の感想(あ行)
 81年東宝作品。公開時は市川崑監督の「幸福」との併映だったらしい。内容はまったく面白くなく、ありきたりの物語展開、凡庸な演出、新人を中心にした出演者の硬い演技など、本来ならば言及しないほどのシャシンだが、後述する3つの点によりこの作品は注目に値する。もとより、二本立ての“メインじゃない方”の映画なので、不用意に期待して裏切られるよりも少しでも良かったところを見出すのが得策だろう。

 信州の美ヶ原で主人公の松本龍一は都会からやってきた厳本陵子と出会う。陵子は行方不明になった弟を探しにこの美ヶ原に足を運んだらしい。龍一は彼女の境遇に同情する以前に、愁いを帯びた年上の女性の佇まいに惹かれてしまう。彼が陵子の道案内をするうちに互いの距離は縮まっていくが、あるとき“私を忘れないで”という言葉を残して彼女は姿を消してしまう。

 渡辺邦彦監督の仕事ぶりはピリッとせず、この芸の無い筋書きを盛り上げようという努力もさほど感じられないのだが、その中にあって前述の3点は語る価値がある。ひとつは、映像の美しさである。押切隆世のカメラがとらえた四季折々の美ヶ原の風景は観る者をシビれさせずにはおかない。この点だけに限れば本作はその頃の日本映画の中でも上位に属する。

 2つめは、これが映画デビュー作になったヒロイン役の城戸真亜子の魅力だ。正直、演技力はほとんどない。見どころのある俳優というのは、たとえそれが映画第一作であろうが、演技が未熟であろうが、どこかに光るものがあるのが普通だが、彼女にはそれが感じられない。事実、城戸は現在に至るまで女優としては目立った実績を残せていないのだ(バラエティ番組の司会や画家としての仕事の方が有名)。

 しかしながら、今回に限っては城戸のモデル出身らしい見栄えの良さと柔らかい雰囲気が、この映画の上質のヴィジュアルに実に良くマッチしている。なお、龍一に扮する松本秀人や河原崎次郎、宮田真など他のキャストは印象は希薄だ。

 そして3点目は、バックに流れる音楽である。担当しているのはジュニア・オリジナル・コンサートなる団体で、音楽の天才教育を受けた十代の少年少女からなる作曲者グループだ。こういう映像のバックにベテラン作曲家の作品を流すとヘンに重くなる恐れがあるが、ここで新人を起用したことは大きな意義がある。日本映画の音楽とは思えない流麗な旋律は、美しい映像を十分に盛り上げていた。
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「イニシェリン島の精霊」

2023-02-13 06:52:01 | 映画の感想(あ行)

 (原題:THE BANSHEES OF INISHERIN )面白くない。米アカデミー賞のノミネートをはじめ、各種アワードを賑わせていることがとても信じられないほど作品の質が低い。ただし、いわゆる“考察好き”の観客には合っているかもしれない。抽象的なモチーフの“裏読み”をして、あれこれ見解を述べるというのも映画の楽しみ方の一つだろう。だが、本作は“裏読み”に長い時間を掛けられるほどの深みは無いのが辛いところだ。

 1923年、アイルランドの小さな孤島イニシェリン島に住むパードリック・スーラウォーンは、長年の友人コルム・ドハティから突然に絶縁を言い渡されてしまう。理由を問うてもコルムは答えず、パードリックは同居している妹のシボーンや村の住民たちに仲裁を依頼するが、それも上手くいかない。ついには、コルムは“これ以上関わろうとするなら自分の指を切り落とす!”などと物騒なことを言い放つ。

 タイトルにある“精霊”とは、人の死を予告するというアイルランドの超現実的な存在であるバンシーのことを指すらしいのだが、劇中では効果的に扱われることは無い。ならば所謂(リアリティ軽視の)ファンタジー要素は希薄なのかというと、コルムの振る舞いが在り得ないほど常軌を逸している等、ヘンなところで現実味を欠いている。要するに中途半端なのだ。

 そもそも、主人公2人の唐突な不仲自体、語るに落ちるような話である。これはアイルランド本土で勃発していた内戦の暗喩だ。ケネス・プラナー監督の「ベルファスト」(2021年)でも描かれたように、この紛争の理不尽な点は、それまで隣人として親しくしていた住民たちが宗教の違いによって敵対してしまうことである。

 本作では最初は文字通り海を隔てた“対岸の火事”でしかなかったインシデントが、次第に無関係ではなくなってくる理不尽さを主人公たちの境遇に投射しているという案配だ。この図式が分かってしまえば“何を勿体ぶってるんだ”と片付けてしまえるような出来でしかない。しかも、その堅牢ではない建付けを巧みにカバーするような意図も感じられない。感情移入できない者たちの、愉快ならざる所業を延々と見せつけられるだけで、途中から面倒くさくなってきた。

 監督のマーティン・マクドナーの前作「スリー・ビルボード」(2017年)も底が浅くてつまらない映画だったが、この映画はさらに低調だ。コリン・ファレルにブレンダン・グリーソン、ケリー・コンドン、バリー・コーガンらキャストは熱演ながら、作品自体が斯くの如しなので評価出来ず。しかしながら、ベン・デイヴィスのカメラによる島の風景だけは痺れるほど美しい。ドラマ部分をすべてカットして、ヒーリング系の環境ビデオとして売り出した方が理にかなっていると思ったものだ。
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「ブラック・ウィドー」

2023-02-12 06:05:31 | 映画の感想(は行)
 (原題:Black Widow )似たタイトルのマーベル映画があるが、これは別物。87年作品のサスペンス編だ。正直言って、出来は凡庸で取り立てて高く評価すべきものではない。しかしながらキャストの存在感は大したもので、それだけで観て得した気分になる。加えて、題材自体が現時点で考えても割とタイムリーである点が興味深い。

 司法省捜査局の女性エージェントのアレックス・バーンズは、近年立て続けに起こっている富豪の独身男性の死亡事件に疑念を抱いていた。独自で調査を進めた結果、一連の事件の裏にキャサリンという若い女が暗躍していることを知る。ニューヨークの出版王サム・ピーターセンは、キャサリンとの結婚後わずか4カ月で病死しており、その莫大な遺産は未亡人が相続した。新婚6カ月で死去したダラスの玩具王ベン・ダマーズの妻も、やはりキャサリンだった。彼女が金持ちの独身男性と次々に結婚し相手を殺害して巨万の富を得ていると踏んだアレックスは、身分を隠してキャサリンに接近する。



 ひところ我が国でもハヤった“後妻業の女”をネタにしており、こういう遣り口は古今東西絶えることは無いのだろうが、アメリカの上流社会が舞台になると関わる金銭の額もケタ外れだ。それだけターゲットになる側の警戒心は高く実行は容易ではないと想像するが、映画はそのあたりを適当にスルーしている。

 ボブ・ラフェルソンの演出はピリッとせず、展開は平板でサスペンスが醸成されない。後半、アレックスの正体に気付いたキャサリンが罠を仕掛け、相手を窮地に追い込んでいくのだが、ここもドラマティックな見せ場は用意されていない。ラストのドンデン返しも、ハッタリを利かせるのが上手い監督ならばもっと盛り上がったはずだ。

 ただし、主演にデブラ・ウィンガーとテレサ・ラッセルという、当時は“旬”の女優を持ってきたことで映画は何とか求心力を維持する。さらにはサミー・フレーにデニス・ホッパーといったクセ者男優が脇に控えているのも嬉しい。マイケル・スモールによる音楽も悪くないのだが、特筆すべきは名匠コンラッド・L・ホールによる撮影で、陰影を活かした清涼な映像はインパクトが強い。
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