今年(2014年)観た日本映画の中では一番くだらない。何のために撮ったのか、少なくとも観客サイドではさっぱり分からない映画で、存在価値は皆無と言って良い。こんな低級なシロモノを漫然と提示しているあたり、周防正行監督は“終わった”と見られても仕方がないだろう。
京都の小さなお茶屋・万寿楽には、舞妓は年かさの百春一人しかおらず、存亡の危機に瀕していた。そこにある日、どうしても舞妓になりたいという少女・春子が押しかけてくる。万寿楽の支配人である千春は最初は断るが、常連客の語学学者の京野は鹿児島弁と津軽弁とがミックスされた独特の言葉をしゃべる春子に興味を示し、彼女を“研究対象”にすることで万寿楽に置いてもらえるように交渉する。こうして万寿楽に住み込みで働くことになった春子は花街の風習に慣れずに苦労するが、実は彼女には、万寿楽にも関係する出生の秘密があったのだ。
一応はミュージカル映画なので、緻密なストーリー展開なんかは期待しないが、この映画の筋書きは論外だ。そもそも、ヒロインがどうして舞妓になりたいと思ったのか、そのあたりが全然描かれていない。物語の根幹がスッ飛ばされたままいくら話を進めても、絵空事にしかならないのだ。
しかも、どう見たって“主人公が苦労を重ねた末に成長する”という構成にしなければ成り立たないような作品の体裁でありながら、春子は大した苦労も血の滲むような努力もせずに、何となくスキルを積んで御座敷に上がることができるという、つまらない段取りが用意されるのみである。こんな状態で、人間ドラマなんか描けるはずがない。
春子と京野との恋愛沙汰や、京野の助手である学生の屈託や、千春ら万寿楽の面々のプロフィールなど、作劇上で重要だと思われるモチーフも全くクローズアップされない(ただセリフで漫然と説明されるのみ)。京野以外の客や万寿楽取り巻く連中の扱いも、手抜き以外の何物でもない。
そして肝心のミュージカル場面だが、これがもう救いようがないほどヒドい。楽曲の出来は凄まじく悪く、振り付けがそれに輪をかけて低レベル(幼稚園のお遊戯以下だ)。それに、照明やカメラワークの杜撰さを見ても、作者がミュージカルに対して何の思い入れも無いか、あるいはトンでもなく音楽センスが欠落しているのか、そのいずれかとしか思えない体たらくだ。
舞台セットも最低。加えて、草刈民代の怪しげな京都弁や長谷川博己のウサン臭い鹿児島弁が横溢するにおよび、ひょっとしたら監督自身が題材に対し、最初から全く興味を持っていなかったのではないかという危惧すら抱いてしまった。
主演の新人・上白石萌音も魅力なし。この監督は新しい俳優を発掘してくる能力がゼロに等しいことが分かる。とにかく、これほど徹頭徹尾アタマの悪い映画は珍しいだろう。“観る価値なし”どころか“観てはいけない映画”の代表だ。本年度のワーストワンはこの映画に決定である。
京都の小さなお茶屋・万寿楽には、舞妓は年かさの百春一人しかおらず、存亡の危機に瀕していた。そこにある日、どうしても舞妓になりたいという少女・春子が押しかけてくる。万寿楽の支配人である千春は最初は断るが、常連客の語学学者の京野は鹿児島弁と津軽弁とがミックスされた独特の言葉をしゃべる春子に興味を示し、彼女を“研究対象”にすることで万寿楽に置いてもらえるように交渉する。こうして万寿楽に住み込みで働くことになった春子は花街の風習に慣れずに苦労するが、実は彼女には、万寿楽にも関係する出生の秘密があったのだ。
一応はミュージカル映画なので、緻密なストーリー展開なんかは期待しないが、この映画の筋書きは論外だ。そもそも、ヒロインがどうして舞妓になりたいと思ったのか、そのあたりが全然描かれていない。物語の根幹がスッ飛ばされたままいくら話を進めても、絵空事にしかならないのだ。
しかも、どう見たって“主人公が苦労を重ねた末に成長する”という構成にしなければ成り立たないような作品の体裁でありながら、春子は大した苦労も血の滲むような努力もせずに、何となくスキルを積んで御座敷に上がることができるという、つまらない段取りが用意されるのみである。こんな状態で、人間ドラマなんか描けるはずがない。
春子と京野との恋愛沙汰や、京野の助手である学生の屈託や、千春ら万寿楽の面々のプロフィールなど、作劇上で重要だと思われるモチーフも全くクローズアップされない(ただセリフで漫然と説明されるのみ)。京野以外の客や万寿楽取り巻く連中の扱いも、手抜き以外の何物でもない。
そして肝心のミュージカル場面だが、これがもう救いようがないほどヒドい。楽曲の出来は凄まじく悪く、振り付けがそれに輪をかけて低レベル(幼稚園のお遊戯以下だ)。それに、照明やカメラワークの杜撰さを見ても、作者がミュージカルに対して何の思い入れも無いか、あるいはトンでもなく音楽センスが欠落しているのか、そのいずれかとしか思えない体たらくだ。
舞台セットも最低。加えて、草刈民代の怪しげな京都弁や長谷川博己のウサン臭い鹿児島弁が横溢するにおよび、ひょっとしたら監督自身が題材に対し、最初から全く興味を持っていなかったのではないかという危惧すら抱いてしまった。
主演の新人・上白石萌音も魅力なし。この監督は新しい俳優を発掘してくる能力がゼロに等しいことが分かる。とにかく、これほど徹頭徹尾アタマの悪い映画は珍しいだろう。“観る価値なし”どころか“観てはいけない映画”の代表だ。本年度のワーストワンはこの映画に決定である。



