元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「アングリースクワッド 公務員と7人の詐欺師」

2024-12-22 06:47:52 | 映画の感想(あ行)
 ひょっとしたら、上田慎一郎監督は快作「カメラを止めるな!」(2017年)を手掛けただけの“一発屋”に終わるのではないかと思うほど、この新作のヴォルテージは低い。とにかく、話の組み立て方が安易に過ぎる。まあ、テレビの2時間ドラマとしてオンエアするのならば笑って済まされるのだろうが、劇場でカネを取って見せるレベルに達しているとは、とても言えない。

 中野北税務署に勤める熊沢二郎は真面目だが気が弱く、上司や折衝先、家では妻子から軽く見られている。ある日彼は詐欺師の氷室マコトの巧妙な罠に引っかかり、大金を巻き上げられてしまう。親友で刑事の八木の助力を得て何とか氷室を探し出した熊沢だったが、逆に氷室は取引を持ち掛ける。それは熊沢が尻尾を掴めずに難儀している怪しげな実業家の橘大和に詐欺をはたらき、彼が脱税した10億円をかすめ取る代わりに、自身を見逃して欲しいというものだった。熊沢は躊躇いつつも、氷室と組むことを決意する。



 設定だけ見れば面白そうなのだが、その段取りはかなり心許ない。まず熊沢は橘が運営する非合法のビリヤード場に乗り込んで接触を図るのだが、公務員がそんなアングラなスポットに入り込めるはずがない。橘あるいは周りの者が税務署に通報してしまえば、アッという間に熊沢はクビだ。さらには地面師詐欺まで持ち掛ける熊沢たちだが、海千山千の橘がそう簡単にだまされるわけがない。だいたい高額の取引を現金払いにするなんて有り得ないだろう。

 熊沢の友人の八木が刑事だというのも御都合主義であり、さらに八木が警察内で“便宜を図る”ようなマネをするなど、無理筋の極みだ。よく考えてみれば、熊沢が税務署職員としてのスキルを十分活かしている場面は見当たらず、氷室の仲間たちも特技を披露している者は数人だ。これではチームプレイにならない。

 終盤は上田作品らしくドンデン返しの連続にはなるが、どれも軽量級でカタルシスは希薄。もっと全体的に骨太なドラマを構築して、各キャラクターの造型もシッカリと重みのあるものにするべきだ。聞けば本作は2016年の韓国ドラマのリメイクらしいが、どうしてオリジナルで勝負しなかったのか疑問である。

 熊沢に扮する内野聖陽をはじめ、岡田将生に川栄李奈、森川葵、真矢ミキ、皆川猿時、神野三鈴、吹越満、そして小澤征悦と多彩なキャストを集めているのに、脚本が弱体気味なので一向に盛り上がらない。さて、上田監督はこのままライト級の作家として世の中を調子良く渡っていくのか、あるいは心機一転で再び快打を飛ばすのか、生暖かく見守っていこうとは思う。
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「山逢いのホテルで」

2024-12-21 06:26:06 | 映画の感想(や行)
 (原題:LAISSEZ-MOI )ほとんど共感できない映画であり、ずっと居心地の悪さを感じたままエンドマークを迎えた。登場するキャラクターすべてにリアリティが無く、筋書きも絵空事の域を出ない。どうしてこんな建て付けで映画を作ろうとしたのか不明だ。まあ、上映時間が92分と短いことは救いかもしれない。もしもこの調子で2時間以上も引っ張られたならば、マジで途中退場していた可能性大だ。

 スイスアルプスの麓にある小さな町に住む中年女性クローディーヌは、仕立て屋として生計を立てながら障害のある息子を一人で育てている。真面目に見える彼女だが、別の顔を持っていた。毎週火曜日になると彼女は、濃い化粧をして白いワンピースを身にまとい、アンクル丈のブーツを履いて山の上のリゾートホテルを訪れる。そして一人旅の男性客を選んでは、一日だけの関係を楽しんでいた。ところが、ある日出会ったミヒャエルと相思相愛になってしまう。彼はダム建設の技術者で、この地にある巨大ダムのメンテナンスのために派遣されていたのだが、ミヒャエルはクローディーヌに別の場所に行って一緒に暮らそうと持ち掛ける。



 まず、ヒロインの造型にリアリティが無い点が不満だ。都市部ならばともかく、こんな田舎で派手な真似をして、しかも山間部を歩き回るには不適切極まりない服装に身を包んで遠出する女など、いるわけがない。息子がいるということは当然のことながら彼女には夫あるいはそれに相当するパートナーがいたはずだが、それについての言及は完全スルー。

 どうしてクローディーヌが今の土地に暮らして服飾業に携わっているのか、その背景の説明も無い。息子の世話をしてくれる隣家の女性に対して辛く当たったりもするが、単に未熟な女だということが示されるだけで、何ら興趣を喚起しない。彼女の誘いに乗るオッサンたちの振る舞いにも、見どころは無い。

 さらに悪いことに、そろそろ老境に達しつつあるヒロインのリアルな裸身が遠慮会釈なく何度もスクリーンを横切ったりするのだから、参ってしまう。監督マキシム・ラッパズのセンスは最悪だと言えよう。ドラマを作ることを投げ出したようなラストも願い下げだ。

 主演のジャンヌ・バリバールは頑張ってはいるが、それが報われているとは言い難い。また、その他のキャストについてはコメントもしたくない。唯一の救いはブノワ・デルボーのカメラによるアルプスの雄大な風景で、劇場内の空気が変わっていくようだった。
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ソプラノのリサイタルに行ってきた。

2024-12-20 06:30:03 | 音楽ネタ

 先日、福岡市中央区天神にある福岡シンフォニーホールで開催された、ソプラノ歌手の田中彩子のリサイタルに足を運んでみた。だが恥ずかしながら、私は彼女の名前をこのコンサートが告知されるまで知らなかった。聞けば18歳で単身ウィーンに留学し、22歳でスイスのベルン市立劇場において、モーツァルトの「フィガロの結婚」のソリストに選出されたという。これは同劇場日本人初で、しかも最年少での歌劇場デビューであり、大きな話題を呼んだとのこと。2014年の日本デビュー後は、各方面で露出が増えている声楽界のホープらしい。

 また、彼女はソプラノの中でも高域で声を転がすように歌う技法のコロラトゥーラを得意としており、モーツァルトの歌劇「魔笛」における「夜の女王のアリア」をはじめ、それに相当するナンバーを披露してくれた。コロラトゥーラを実演で聴くのは始めてで、そのテクニックには感心するしかない。

 全部で十数曲が演奏されたが、ラフマニノフの「ヴォカリーズ」をはじめとするお馴染みのクラシックの声楽曲以外にも、モリコーネの「ニュー・シネマ・パラダイス」のテーマやマンシーニの「ムーンリバー」などのポピュラー系もカバーしてくれたのも嬉しい。もっとも印象的だったのはヨハン・シュトラウスの「美しく青きドナウ」のジャズ・バージョンだ。バックを務めるピアノの佐藤卓史とチェロの渡部玄一とのコンピネーションも万全で、見事にスイングしていた。それからピアノとチェロのデュエットによるカザルスの「鳥の歌」も冴え冴えと美しい。

 余談だが、田中はかなりの美人である。しかし、その“地声”は強烈だ。フニャフニャの、いわゆる“アニメ声”で、見た目とのギャップが凄まじい。最初はウケを狙って“作っている”のかと思ったが、どうやらこれが本来の声であることが分かり、ただ驚くばかりだ。そのせいか、MCのパートになると周囲にお笑いの空気が充満する。さらには佐藤や渡部と息もピッタリの寸劇を披露。この“笑いを取れるソプラノ歌手”という個性は世界的にも貴重であり、これからの活躍が大いに期待されるところである。
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「グラディエーターⅠⅠ 英雄を呼ぶ声」

2024-12-16 06:37:35 | 映画の感想(か行)
 (原題:GLADIATOR II)前作(2000年)は第73回米アカデミー賞にて作品賞を獲得するほど高評価で、なおかつ興行収入も大きかったのだが、私は中身をほとんど覚えていない(苦笑)。まあ、たぶん“観ている間は退屈させないが、鑑賞後はキレイさっぱり忘れてしまう”という、いわば娯楽映画の王道(?)を歩んだシャシンだったのだろう。この続編も同様で、スクリーンに向き合っている間は楽しめるが、今後どれだけ記憶に残るかは定かでは無い。ただ、印象的なモチーフはいくつか存在するので、忘却のペースは前回よりは遅いかと思われる。

 紀元3世紀初頭、前作の主人公マキシマスの息子であるルシアスは、アフリカ北部の都市ヌミディアで暮らしていた。ところが将軍アカシウス率いるローマ帝国軍が突如侵攻。街は壊滅し妻も失った彼は、マクリヌスという訳ありの男と出会ったことを切っ掛けに、マクリヌス所有の剣闘士となってローマに赴くことになる。



 主人公ら剣闘士が競技場で対峙する相手は手練れの戦士だけではなく、巨大なサイや殺人ヒヒなど人間以外も含み、それらとのバトルは賑々しく展開する。そもそも、冒頭近くの海戦のシークエンスだけで観る側を圧倒するだけの迫力があり、特殊効果も前回から20年以上経過しただけの進歩が感じられる。

 ただ、私が興味を持ったのはキャラクターの方だ。正直言って、主人公ルシアスは可も無く不可も無し。史劇のヒーローとしてのルーティンをこなしているだけだと思う。それよりも面白いのはマクリヌスだ。かなり屈折した世界観・社会観の持ち主で、それでいて抜け目がない。黒人であることもマイノリティがのし上がっていく背景を強調している。

 そして、暴君として知られるゲタ帝とカラカラ帝の扱いも非凡だ。いわゆる五賢帝の時代が終わり、ローマが隆盛から衰退へと向かっていく時代性の象徴としての造型で、中身の薄さを効果的に印象付けられる。前回から連続登板のリドリー・スコットの演出は特段優れているとは言えないが、この前に撮った「ナポレオン」(2023年)よりはマシな仕事をしている。

 ルシアスに扮するポール・メスカルをはじめ、ペドロ・パスカルにリオル・ラズ、デレク・ジャコビ、コニー・ニールセンといった顔ぶれはまあ悪くないだろう。マクリヌス役のデンゼル・ワシントンは、さすがの海千山千ぶりを見せつけた怪演。2人の皇帝に扮したジョセフ・クインとフレッド・ヘッキンジャーも難役を上手くこなしている。
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「ティアメイカー」

2024-12-15 06:27:50 | 映画の感想(た行)

 (原題:FABBRICANTE DI LACRIME)2024年4月よりNetflixから配信されたイタリア製の学園恋愛もの。設定がいかにも“古典的”で最初は面食らったが、屹立するキャラクターとキャストの頑張りで何とか付き合うことが出来、終わり近くにはけっこう盛り上がる。結果として観てそんなに損はしないシャシンかと思った。

 児童養護施設で辛い幼少期を過ごした女の子ニカは、十代後半になりミリガン家の養子として引き取られることになる。ところがこの施設で育った男子リゲルもミリガン夫妻は気に入ってしまい、一緒に迎え入れる。同年齢のリゲルとニカは同じ高校に通うことになるが、互いに抱えているトラウマのために家でも学校でも気まずい思いをするばかり。そんな中、ニカに思いを寄せる同級生のライオネルが引き起こしたトラブルが、リゲルを巻き込んで大きな騒動に発展する。エリン・ドゥームによるヤングアダルト小説の映画化だ。

 鬼のような院長が支配する孤児院で辛酸を嘗める主人公たちという、大時代な設定にはまず苦笑してしてまう。さらにいくらミリガン家に余裕があるといっても、2人同時に、しかも色気付いた(笑)年頃の男女を養子にするという筋書きは相当無理がある。通う高校は明らかに中流以上の家庭の子女を対象にした佇まいで、この学校の選択は養父母の意向なのは明らかだが、2人ともそこの生徒にしてしまうというのは考えものだ。せめて別々のところに通学するように配慮すべきではなかったか。また、リゲルとニカの周囲の生徒たちの造型も図式的で感心しない。

 だが、話が児童施設の虐待を告発する裁判劇の様相を呈する終盤は、興趣が俄然増してくる。主人公2人の言動の背景にあるものは、幼少時の体験にあることが強調され、けっこうドラマは深みを帯びてくるのだ。これが事故が元で生死の境をさまようことになるリゲルの容体と同時進行し、観ていて少し引き込まれるものがあった。

 リゲルを演じるシモーネ・バルダッセローニは二枚目ではあるものの、ミステリアスで悪魔的な風貌が強い印象を与える。ニカに扮するカテリーナ・フェリオリはかなりの美少女だが、性根が据わっていて大胆な演技も厭わないのには感心する。孤児院の院長役のサブリナ・パラビチーニも実に憎々しい。

 アレッサンドロ・ベデッティにロベルタ・ロベッリ、オルランド・チンクェ、ジュジュ・ディ・ドメニコなど他のキャストは馴染みは無いが、皆良い演技をしている。アレッサンドロ・ジェノベージの演出には特段才気は感じられないが、及第点だろう。ルカ・エスポジートのカメラによるロケ地のイタリア北部ラベンナの美しい風景と、音楽担当のアンドレア・ファッリが提供する流麗なスコアも効果的だ。
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「ビバ・マエストロ!指揮者ドゥダメルの挑戦」

2024-12-14 06:35:08 | 映画の感想(は行)
 (原題:IVIVA MAESTRO!)とても興味深いドキュメンタリー作品だ。題材になっているのはベネズエラ出身の世界的指揮者グスターボ・ドゥダメルである。ドゥダメルといえば2017年1月のウィーンフィル・ニューイヤーコンサートで指揮を務めたことで有名だが、1981年生まれであり、この世界では若手に属する。

 ラテン系というのも珍しく、そのせいか彼のタクトから紡がれる音色は精緻かつ明るくノリが良い。今やベルリン・フィルハーモニー管弦楽団から実力を嘱望されるほどの才能の持ち主であるが、映画はドゥダメルの音楽性を追求するような方向には行かない。本作の主眼は彼の“活動”についてである。



 本作撮影中の2017年に、ベネズエラの反政府デモに参加した若い音楽家が殺害される事件が発生。これを切っ掛け手に、ドゥダメルは現マドゥロ政権に対する批判記事をニューヨーク・タイムズ紙に投稿する。それまでノンポリなスタンスを取ってきた彼は、ここで明確に社会への発信力を意識したわけだが、そのせいで彼が主宰するシモン・ボリバル・ユースオーケストラとのツアーは中止に追い込まれてしまう。さらにドゥダメルは実質的に国外追放の処分を受けるのだ。

 ここで“ミュージシャン、特にクラシックの音楽家が政治に口出しするのは不適切だ”といった見方もあるとは思う。だが、音楽は社会に密接しているものであり、ましてや当事国の一員であるドゥダメルが関与してはいけないということは絶対ない。そもそも彼はかねてより経済的に恵まれない母国の若手音楽家の育成に取り組んでおり、社会体制あっての音楽であるという立場は崩せないのだ。

 こういう“社会の不条理と戦うミュージシャン”という彼の側面を映画は強調し、同時に音楽の持つ奥深さをも表現する。終盤で彼はベートーヴェンの曲を指揮するのだが、これは本当に気迫がこもっている。ベネズエラの状況を考え合わせると、そのパフォーマンスが彼個人の資質だけではなく、外に向かったメッセージをも内包しているのではと信じたくなるほどだ。

 監督のテッド・ブラウンの仕事ぶりは、スタンドプレイに走ることなく実直に素材を追っているあたり好感が持てる。クラシック音楽好きだけではなく、広く奨められるドキュメンタリーの佳編だ。
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江口寿史展に行ってきた。

2024-12-13 06:28:47 | その他
 先日、福岡市博多区下川端町にある福岡市アジア美術館で開催されていた「江口寿史展 EGUCHI in ASIA」に足を運んでみた。江口とは、もちろんあの漫画家のことだ。実を言えば、私は彼の初期作品「すすめ!!パイレーツ」や「ストップ!!ひばりくん!」には昔は大いに楽しませてもらったものだ。しかしながら漫画家としての活動は2000年代よりほとんど見られなくなり、イラストレーターとしての活動がメインになっていく。今回のイベントは、大型キャンバス作品やオリジナルの漫画原稿など総数約500点を網羅したかなりの規模で、見応えがあった。



 江口の絵柄で最も特筆されるのは、女性キャラクターの造型だ。ひと頃は“可愛い女の子を描かせれば他の追随を許さない”と言われたほどで、今回の展覧会も大々的にフィーチャーされている。そういえば連載誌でのインタビューで、どうやればそんなプリティな女子を描けるのかという質問に対し、彼は“可愛い子、可愛い子、出ておいで・・・・と執筆中に念じればいい”と答えていたのを思い出した。もちろん、凡人がいくらそう念じても可愛い子は出てこない(笑)。これが才能というものだろう。



 展覧会の宣伝文にもある通り、彼の作風は最近リバイバル・ブームになっているという80年代の若者文化やシティ・ポップなどとは、抜群の相性を示す。とにかく明朗で、何の陰りも無く、現実世界とは別の空間を形成している。見ていて本当に心地良いのだ。あと、漫画家、特にギャグ作品を得意とする作家は“寿命”が短いと言われるが、江口は早々にイラストを主戦場にしたおかげで今も元気に活動しているのだと思う。

 なお、彼は熊本県水俣市の出身であるが、2021年に当地の観光大使第1号に任命されていたことを今回初めて知った。肥薩おれんじ鉄道の「水俣号」のラッピングイラストも手掛けていたとのことで、一度その車両を見てみたかった。
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「対外秘」

2024-12-09 06:30:15 | 映画の感想(た行)
 (英題:THE DEVIL'S DEAL)イ・ウォンテ監督の前作「悪人伝」(2019年)ほどバイオレンス場面は多くはないが、この新作もヴォルテージは高い。作劇には荒っぽいところも見受けられるものの、展開は予測不能で緊迫感があり、エンドマークが出るまで引き込まれてしまう。こういうネタを扱えば、最近の韓国映画は無類の強さを発揮するようだ。

 92年、釜山の地方議員のヘウンは次期総選挙での大手政党の公認を約束され、出馬を決意する。しかし土壇場になって、フィクサーとして裏で権力を振るうスンテが自分の言うことを聞きそうな別の男に公認候補を変えてしまう。激怒したヘウンは、スンテのそれまでの悪行を記した極秘文書を手に入れて反転攻勢に打って出ると共に、ヤクザのボスであるピルドから選挙資金を得て無所属で出馬。スンテも黙ってはおらず、仁義なき選挙戦は果てしなく続く。



 とにかく、出てくるキャラクターが濃い。ヘウンは党公認を期待していた序盤こそコメディ的で軽量級の扱いだが、スンテに正面から対峙する中盤からは腹黒さがクローズアップ。悪徳政治家としての凄みが出てくる。スンテも目的のためならば人の命など屁とも思わない悪党で、この2人に比べればヤクザのピルドは青臭く見えるが、それでも凶暴さは遺憾なく描かれる。報道倫理など完全無視のマスコミ連中も含め、全員がワルだ。最後まで正義が反映される局面は無い。

 くだんの極秘文書をめぐるやり取りはあまりスマートとは言えず、後半のバタバタした展開は気になるが、それでも本作の吸引力は大したものだ。ストーリー自体はフィクションだが、92年といえば韓国で初めて大統領選挙と総選挙が同時に行われた年ということで、軍人出身ではない金泳三大統領が誕生したことも含めて、激動の時期であったらしい。映画で描かれたことが絵空事とは思えないのも、時代設定を吟味したイ・ウォンテ(脚本も担当)の手柄だろう。

 へウンに扮するチョ・ジヌンは、いかにも抜け目のない俗物を上手く演じている。スンテ役のイ・ソンミン、ピルドを演じるキム・ムヨル、いずれも満足出来るパフォーマンスだ。余談だが、今でこそ釜山広域市は韓国第2の大都市として知られているものの、90年代前半まではオリンピックを開催したソウルに随分後れを取っていたらしい。本作は釜山の発展前夜を取り上げたということで、その混沌とした状況も映画のアクセントになっていると思う。
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「ザ・キラー」

2024-12-08 06:33:16 | 映画の感想(さ行)

 (原題:THE KILLER)2023年11月よりNetflixから配信。第80回ヴェネツィア国際映画祭コンペティション部門出品作であり、どういう出来映えなのかと興味を持って鑑賞に臨んだのだが、どうもパッとしない内容だ。監督のデイヴィッド・フィンチャーはたまに良い仕事をすることがあるものの、概ねあまり信用しておらず、今回も同様だった。

 自称“凄腕の暗殺者”と嘯く主人公の男は、その日もパリで用意周到に“仕事”を済ませるはずだったが、何と失敗してしまう。たちまち彼は窮地に陥り、世界中を逃げ回りながらこの一件に絡んでいる連中を次々と片付けていく。アレクシス・ノレントによる同名グラフィックノベルの映画化だ。

 この主人公は“仕事”に取りかかる前にやたら能書きを並べるようで、殺し屋としてのモットーやスタイルを蕩々と述べるのだが、それでいて素人臭いミスでターゲットを逃してしまうという、まるで見かけ倒しの輩である。ならばそのキザったらしい風体を逆手にとってコメディ路線に転化すれば面白いと思ったのだが、映画はこの主人公を徹頭徹尾クールに描こうとする。

 彼は各地で“仕事”を済ませるのだが、その段取りがじれったく、インパクトの強さやサスペンスなどは全然醸し出されていない。だいたい、別に複雑怪奇なストーリーでもないはずなのに、どういうわけか故意に複雑に撮られているのだからやり切れない。中盤からは筋書きを追うのを諦めて、もっぱらワールドワイドにロケされた風景を楽しむことにしたほどだ。

 撮影監督にエリック・メッサーシュミットという手練れを起用しているおかげで、陰影の深い映像には一目置きたい。音楽は「ソーシャル・ネットワーク」(2010年)以降のフィンチャー作品に欠かせないトレント・レズナー&アッティカス・ロスが担当しており、あまり前には出ないものの、的確な仕事を示していると思う。

 主演はマイケル・ファスベンダーなので、外見だけはサマになっている。ティルダ・スウィントンも敵役として出ていて、硬質な雰囲気は捨てがたい。しかし、他の出演者はどうも影が薄い。シナリオを手掛けたのはアンドリュー・ケヴィン・ウォーカーだが、彼はキャリアが長い割には質の高い仕事は見当たらない。このあたりの人選も、作品の出来映えに影を落としているのかもしれない。
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「ルート29」

2024-12-07 06:41:06 | 映画の感想(ら行)
 快作「こちらあみ子」(2022年)でデビューした森井勇佑監督の第二作ということで大いに期待したが、話にならない内容で落胆した。キャリアの浅い者が、早々と“作家性”とやらを前面に打ち出そうとするケースは少なくないとは思う。しかし、そこをしっかりと制御するのがプロデューサーの役目であるはずだ。今回のケースは、その職務を果たしているようには見えない。とにかく、オススメ出来ない映画だ。

 鳥取市で清掃員として働いている中井のり子は、他人と上手くコミュニケーションを取ることができず、いつも一人だった。ある日、彼女は仕事で訪れた病院の入院患者の木村理映子から「“姫路市に住んでいるはずの娘のハルを連れてきてほしい”と頼まれる。早速姫路へと向かったのり子は何とかハルを見つけるが、ハルは一筋縄ではいかない変わった女の子だった。森の中で自給自足みたいな生活を送り、初対面ののり子に勝手に“トンボ”というあだ名をつける。それでものり子はハルを連れて、姫路と鳥取を結ぶ国道29号線を進む。



 登場人物は正体の掴めない者ばかり。意味不明な風体で、言動も意味不明。そもそも、人付き合いの苦手なはずのヒロインが突如として入院患者の願いを聞き入れた理由が分からない。ハルがのり子につけた“トンボ”というニックネームの由来の説明も無く、旅の途中で出会う老人や野外生活を続ける親子、怪しい赤い服の女の行方など、すべてが途中で放り出されたような描き方だ。

 ネット上での評価をチェックすると“難解だ。分からない”といった声が少なくないようだが、これは別に観る者に理解が必要なシャシンではないだろう。作っている側としては、単に“(個人的に)撮っていて気持ちの良い絵柄”を綴っただけの話で、観る側にすれば理解する筋合いは無い。勝手にやってろという感じだ。

 のり子に扮する綾瀬はるかは“新境地”を開拓するかのように頑張っているが、ストーリーと演出がこの体たらくなので“ご苦労さん”と言うしかない。ハルは「こちらあみ子」の主役で鮮烈な印象を残した大沢一菜が連続して登板しているものの、役柄が絵空事である分、前回より存在感は後退している。

 伊佐山ひろ子に高良健吾、河井青葉、渡辺美佐子、市川実日子など面子自体は悪くはないが、いずれも効果的な使われ方はされていない。また何より困ったのは、基本的には題名通り国道29号線を踏破する話であるにもかかわらず、途中で脇道に逸れたりして、ロードムービーとしての興趣が出ていないこと。繰り返すが、プロデューサーは演出者の手綱を引き締めるべく、ちゃんと仕事をして欲しい。
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