元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

漫然と選んだ2024年映画ベストテン。

2024-12-30 06:16:38 | 映画周辺のネタ
 2024年も終盤になり、まことに勝手ながらここで個人的な年間映画ベストテンを発表したいと思う(^^;)。ただし、すでに封切られてはいるが現時点でまだ観ていない作品もいくつかあるので、年が明ければいくらか変動する可能性はある。そのあたりは御了承願いたい。

日本映画の部

第一位 夜明けのすべて
第二位 PLAY! 勝つとか負けるとかは、どーでもよくて
第三位 侍タイムスリッパー
第四位 違国日記
第五位 カラオケ行こ!
第六位 戦雲(いくさふむ)
第七位 青春ジャック 止められるか、俺たちを2
第八位 愛に乱暴
第九位 ぼくが生きてる、ふたつの世界
第十位 HAPPYEND



外国映画の部

第一位 シビル・ウォー アメリカ最後の日
第二位 ランサム 非公式作戦
第三位 フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン
第四位 美と殺戮のすべて
第五位 マリウポリの20日間
第六位 ぼくの家族と祖国の戦争
第七位 ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ
第八位 12日の殺人
第九位 2度目のはなればなれ
第十位 密輸1970



 ベストテンを選んでいて改めて思ったのが、日本映画の低調さである。客は集めてはいるのだが、ヒット作の大半がアニメーションあるいはテレビドラマのスピンアウト版だ。もちろん、その中には悪くない出来のシャシンもあるのだろう。しかしながら、私のようなヒネた映画ファン・・・・という言い方に語弊があるのならば(苦笑)、大人の映画好きの食指が動くような建て付けではない。

 つまりは、ほとんどの観客は“邦画なんて、こんなものだろう”という認識しか持っていないのだ。斯様な状況でマトモな映画が多く作られるわけがない。そして残念ながら、そんな図式が改善される兆しも無い。今後ますますジリ貧の様相を呈していくのだろう。

 対して外国映画に関しては、一位の「シビル・ウォー アメリカ最後の日」をはじめとして(製作国は様々ながら)現実をシッカリと捉えた作品が目立った。要するに、日本映画だけが置いて行かれているのだ。

 なお、以下の通り各賞も選んでみた。まずは邦画の部。

監督:三宅唱(夜明けのすべて)
脚本:安田淳一(侍タイムスリッパー)
主演男優:吉沢亮(ぼくが生きてる、ふたつの世界)
主演女優:杉咲花(朽ちないサクラ)
助演男優:高橋文哉(映画 からかい上手の高木さん)
助演女優:芋生悠(青春ジャック 止められるか、俺たちを2)
音楽:岩代太郎(愛に乱暴)
撮影:福本淳(碁盤斬り)
新人:齋藤潤(カラオケ行こ!)、早瀬憩(違国日記)、空音央監督(HAPPYEND)、齊藤勇起監督(罪と悪)

 次は洋画の部。

監督:キム・ソンフン(ランサム 非公式作戦)
脚本:アレックス・ガーランド(シビル・ウォー アメリカ最後の日)
主演男優:マイケル・ケイン(2度目のはなればなれ)
主演女優:アニャ・テイラー=ジョイ(マッドマックス:フュリオサ)
助演男優:ウィレム・デフォー(哀れなるものたち)
助演女優:サンドラ・ヒュラー(関心領域)
音楽:クリス・ベンステッド(コヴェナント 約束の救出)
撮影:ケイト・マッカラ(コット、はじまりの夏)
新人:ミスティスラフ・チェルノフ監督(マリウポリの20日間)

 ついでに、ワーストテンも選んでみる(笑)。

邦画ワースト

1.本心
2.きみの色
3.Cloud クラウド
4.ルート29
5.あんのこと
6.ぼくのお日さま
7.若き見知らぬ者たち
8.悪は存在しない
9.あまろっく
10.みなに幸あれ

洋画ワースト

1.オッペンハイマー
2.プリシラ
3.ボーはおそれている
4.西湖畔に生きる
5.ARGYLLE アーガイル
6.ゴーストバスターズ フローズン・サマー
7.山逢いのホテルで
8.ゴッドランド GODLAND
9.ヒットマン
10.ボブ・マーリー:ONE LOVE

 邦画のワースト群は、とにかく映画をマジメに撮っていないことに尽きる。だいたい、製作意図そのものが判然としない始末。洋画のワースト群は(前回も触れたけど)有名アワードを獲得したり、あるいは候補になった作品が必ずしも上質とは言えないということだ。

 ローカルな話題としては、2024年3月31日をもって、福岡市博多区中洲にある映画館、大洋映画劇場が閉館したことが挙げられる。まあ、建てられたから相当の年月が経過していたので仕方がないと言えよう。なお、取り壊し後の再開は未定らしい。もちろん私もいずれは復活して欲しいと思うが、すでに中洲地区は映画を観る場所ではなくなっている。別の場所での開館が望ましいのではないだろうか。
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「コール・ミー・ダンサー」

2024-12-29 06:46:22 | 映画の感想(か行)
 (原題:CALL ME DANCER)インド人バレエダンサーの奮闘記だが、特筆すべきはこれがドキュメンタリー映画だということだ。フィクションではないのはもちろん、実話を元にした劇映画でもない。スクリーンの真ん中にいるのは、遅咲きながらダンサーになることを希求し、立ちはだかる数々の試練にも負けずに夢に向かって疾走する生身の人間だ。よく“事実は小説よりも奇なり”と言われるが、ドラマティックな人生を選択し、なおかつ“絵になる”素材を採用した時点で本作の成功は約束されたようなものだ。

 ムンバイに住む少年マニーシュ・チャウハンはストリートダンスにハマり、猛練習を経てダンス大会で好成績を収める。そこで彼はダンススクールへの入学を勧められて通い始めるが、イスラエル人のバレエ教官イェフダとの出会いが彼の人生を変える。奥深いバレエの魅力に取り憑かれたマニーシュは、持ち前の身体能力でめきめきと成長し、プロダンサーとしての展望が開けてきたかに見えた。しかし、バレエの道に進むには、マニーシュは年を重ね過ぎていたのだ。



 現在はニューヨークのペリダンス・コンテンポラリー・ダンス・カンパニーでダンサーとして活躍しているマニーシュ・チャウハンの半生に迫ったドキュメンタリー物で、もちろん主役はマニーシュ自身だ。彼が初めてクラシックバレエのレッスンを受けたのは、18歳の頃だったという。この世界では明らかに遅いスタートだ。しかもインドにはバレエの伝統は無い。

 それでもイェフダの薫陶を受けることが出来たのは幸運だったのだが、幼少時から基礎を叩き込まれた者がゴロゴロいる中では目立てない。そんな彼を受け入れる可能性があったのが、コンテンポラリーバレエだった。決まったスタイルが無いこの分野では、ダンサーのキャリアなど二の次だ。とにかく実力と感性が研ぎ澄まされている者だけが活躍できる。自身の境遇と目の前にある未知の世界の間で葛藤する主人公の姿は、まるでフィクションだ。さらには、家族との関係性も丹念に描き込まれる。

 監督を務めたレスリー・シャンパインとピップ・ギルモアは、虚構の話と実録物との違いを熟知していると思う。マニーシュのような、見た目も生き方も“映画みたいな人間”を見つけ出してくることで、リアルとフィクションとの融合に果敢に挑戦してくる。その気迫はスクリーンから存分に伝わってくる。もちろん、マニーシュをはじめとする各ダンサーが見せる妙技は素晴らしく、映画的興趣は高揚するばかりだ。撮影も音楽も言うことなしである。
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「ザ・バイクライダーズ」

2024-12-28 06:25:57 | 映画の感想(さ行)
 (原題:THE BIKERIDERS)けっこう巷では評判は良いようで、だからチェックしてみたのだが、どうも気勢が上がらない。そもそも、本作の題材であるバイク乗りの行状に関しては個人的にまったく興味を覚えない。よっぽど話が面白くなければ、持ち上げる気にはなれないのだ。そういえば、私は自動二輪車等の免許は持っていないし、取得したいと思ったことも無い。バイクの後部座席に乗せてもらったことも、1回しかないという始末。だから本作に関しては、観る前から門外漢だったという低調な展開なのである。

 1965年のシカゴ。堅実な生活を送っていた若い女キャシーは、ある日ケンカ早くて無口なバイクライダーのベニーと知り合い、アッという間に恋に落ちて結婚を決める。ベニーは地元の不良共の元締めであるジョニーの片腕だが、一匹狼的なスタンスを崩さない孤高の存在だった。やがてジョニーの組織は各地に支部が出来るほど急速に拡大していくが、それと平行してクラブ内の雰囲気は悪化。犯罪に手を染める者が目立つようになり、敵対クラブとの抗争も始まってしまう。アメリカの写真家ダニー・ライアンが60年代のバイクライダーの日常を題材にした同名の写真集にインスパイアされた作品だという。



 まあ、無頼派バイク乗りに思い入れのある向きには、ベニーがバーのカウンターなんかでカッコ付けているだけで、あるいはジョニーがバイカー達のリーダーとしての苦悩をにじみ出しているだけで感動してしまうのだろう。そしてそういう空気にホレ込んでしまうキャシーの内面も、リアルに伝わってくるのだと想像する。だが、そういう事物とは無縁の当方としては、居心地の悪さを感じるしかない。

 だいたい、集団でバイクを転がして反社会分子を標榜している時点で、彼らがその後どういう犯罪騒ぎに巻き込まれようが、一向にカタルシスを覚えることは無いのだ。勝手にやってろと言うしかない。脚本も担当したジェフ・ニコルズの演出は、まさに“分かる奴だけ分かれば良い”という姿勢で、ひたすら自己の趣味に浸るばかりのようだ。

 ベニー役のオースティン・バトラーのパフォーマンスは、時折乱暴にはなるが、あとは表情乏しく佇んでいるだけだ。ジョニーに扮するトム・ハーディも“地でやっている”という感じを否めない。キャシーを演じるジョディ・カマーに関しては単なる狂言回し役であるせいか、特筆すべきもの無し。ただ、アダム・ストーンのカメラによる時代色がよく出た映像だけは評価したい。
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「正体」

2024-12-27 06:24:55 | 映画の感想(さ行)

 主役の横浜流星のパフォーマンスはかなり力が入っていて、観ていて引き込まれるものがある。彼のファンならば、まさに至福のひとときを過ごすことが出来よう。今年度の演技賞レースを賑わせるかもしれない。だが、映画の出来が彼の熱演に応えるものだとは、残念ながら言えない。原作である染井為人の同名小説は未読なので、それが本作がどうトレースしているのか分からないが、いずれにしてもあまり上等ではない筋書きだ。

 凶悪な殺人事件の犯人として逮捕され、死刑判決を受けた鏑木慶一が脱走する。彼の行方を追う刑事の又貫征吾は、鏑木が逃走中で関わった人々を取り調べるが、彼らが語る鏑木像には共通性が希薄だった。なぜ鏑木は姿や顔を変えながら各地で潜伏生活を送り、ひたすら逃げ続けるのか。やがて、彼の真の目的と事件の全貌が明らかになる。

 最初主人公が身を寄せるのが、訳ありの者など珍しくもない末端の建設現場で、少なくともこの時点までは不満はあまり出てこない。しかし、次に彼がフリーのライターとして出版会社と契約するという段になると、話は完全に絵空事になる。彼は逮捕された時点でまだ十代ということだが、そんな年若い、しかも経験もほとんど無い者がプロのライターとして通用するわけがない。それでも“いや、通用してしまったのだ”と言いたいのならば、その才能の片鱗ぐらいは序盤に見せるべきだ。

 さらに鏑木は長野県の介護施設でスタッフとして働き始めるが、これまた御都合主義のネタであり、そんなスキルをいつどこで会得したのかと突っ込みたくなる。彼を追う警察側の扱いもホメられたものではなく、いきなり拳銃を構えて“突入”してくる又貫刑事の姿に呆れていると、何と鏑木を犯人と決めつけた切っ掛けが随分とあやふやなものであったことも示され、一体これはマジメにドラマを構築する意志があったのかと疑いたくなる。

 監督は藤井道人だが、どうもこの演出家のスタンスは無理筋の建て付けを押し付けてくるところにあるようだ。彼にとって警察や司法は“信用ならない!”というものらしい。それでも冒頭に述べたように横浜流星の演技は評価したいし、山田孝之に松重豊、吉岡里帆、山田杏奈、山中崇、西田尚美など、芸達者のキャストは集められている。それだけに、作劇の不出来は残念だ。
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「東京日和」

2024-12-23 06:16:11 | 映画の感想(た行)
 97年作品。去る2024年12月6日に惜しくも世を去った中山美穂の女優としての代表作は何かというと、岩井俊二監督の「Love Letter」(95年)だというのが大方の見方だろう。私もあの映画は傑作だと思うが、彼女のヴィジュアルが最も効果的に捉えられていたのはこの「東京日和」である。正直、作品としてはウェルメイドとは言い難い。しかし、中山の魅力を活写したという意味で、いつまでもファンの記憶に残ることだろう。

 写真家の島津巳喜男は、今は亡き妻のヨーコのことを思い出していた。ただし、彼女との生活はトラブルの連続だった。まず、ホームパーティを開いていた際にヨーコが招待客の水谷の名前を呼び間違えてしまい、ショックを受けた彼女はそれを切っ掛けに家を飛び出して3日間行方不明になったことだ。しかも、巳喜男の勤め先には夫が交通事故で入院したと嘘をつく始末。



 また、同じマンションに住む少年に無理矢理女の子の恰好をさせようとしたり、結婚記念日に出かけた旅行先でまたしても行方をくらましたりと、一時たりとも油断が出来ない言動のオンパレードだ。それでも巳喜男はヨーコのことが好きでたまらなかった。著名なカメラマンである荒井経惟と妻の陽子によるフォトエッセイの映画化だ。

 監督は竹中直人で、主人公の巳喜男も演じている。ただ、竹中の演出家としての力量は(他の諸作をチェックしても分かるように)それほどでもなく、骨太なドラマの構築なんか期待出来ない。本作もまとまりのないエピソードが漫然と積み上がっていくだけで、散漫な印象を受ける。まるで“明確なドラマ性は観る側で勝手に解釈してくれ”といった案配だ。

 しかしながら、ヨーコを演じる中山美穂は本当に素敵だ。映画をリアルタイムで観たときは、彼女は日本映画を代表する美人女優であると思ったほどだ。特に、野の花を片手に笑いながら走ってくるシーンはヤバいほどの吸引力がある。それだけに、彼女の早すぎる退場は残念でならない。

 あと、竹中の人脈の広さを証明するように、多彩なキャストを集合させていることには呆れつつも感心してしまった。松たか子に田口トモロヲ、温水洋一、三浦友和、鈴木砂羽、山口美也子、浅野忠信などの俳優陣はもちろん、中田秀夫や周防正行、森田芳光、塚本晋也などの監督仲間、さらに中島みゆきまで出ているのだから驚くしかない。大貫妙子の音楽と佐々木原保志によるカメラワークも要チェックだ。
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「アングリースクワッド 公務員と7人の詐欺師」

2024-12-22 06:47:52 | 映画の感想(あ行)
 ひょっとしたら、上田慎一郎監督は快作「カメラを止めるな!」(2017年)を手掛けただけの“一発屋”に終わるのではないかと思うほど、この新作のヴォルテージは低い。とにかく、話の組み立て方が安易に過ぎる。まあ、テレビの2時間ドラマとしてオンエアするのならば笑って済まされるのだろうが、劇場でカネを取って見せるレベルに達しているとは、とても言えない。

 中野北税務署に勤める熊沢二郎は真面目だが気が弱く、上司や折衝先、家では妻子から軽く見られている。ある日彼は詐欺師の氷室マコトの巧妙な罠に引っかかり、大金を巻き上げられてしまう。親友で刑事の八木の助力を得て何とか氷室を探し出した熊沢だったが、逆に氷室は取引を持ち掛ける。それは熊沢が尻尾を掴めずに難儀している怪しげな実業家の橘大和に詐欺をはたらき、彼が脱税した10億円をかすめ取る代わりに、自身を見逃して欲しいというものだった。熊沢は躊躇いつつも、氷室と組むことを決意する。



 設定だけ見れば面白そうなのだが、その段取りはかなり心許ない。まず熊沢は橘が運営する非合法のビリヤード場に乗り込んで接触を図るのだが、公務員がそんなアングラなスポットに入り込めるはずがない。橘あるいは周りの者が税務署に通報してしまえば、アッという間に熊沢はクビだ。さらには地面師詐欺まで持ち掛ける熊沢たちだが、海千山千の橘がそう簡単にだまされるわけがない。だいたい高額の取引を現金払いにするなんて有り得ないだろう。

 熊沢の友人の八木が刑事だというのも御都合主義であり、さらに八木が警察内で“便宜を図る”ようなマネをするなど、無理筋の極みだ。よく考えてみれば、熊沢が税務署職員としてのスキルを十分活かしている場面は見当たらず、氷室の仲間たちも特技を披露している者は数人だ。これではチームプレイにならない。

 終盤は上田作品らしくドンデン返しの連続にはなるが、どれも軽量級でカタルシスは希薄。もっと全体的に骨太なドラマを構築して、各キャラクターの造型もシッカリと重みのあるものにするべきだ。聞けば本作は2016年の韓国ドラマのリメイクらしいが、どうしてオリジナルで勝負しなかったのか疑問である。

 熊沢に扮する内野聖陽をはじめ、岡田将生に川栄李奈、森川葵、真矢ミキ、皆川猿時、神野三鈴、吹越満、そして小澤征悦と多彩なキャストを集めているのに、脚本が弱体気味なので一向に盛り上がらない。さて、上田監督はこのままライト級の作家として世の中を調子良く渡っていくのか、あるいは心機一転で再び快打を飛ばすのか、生暖かく見守っていこうとは思う。
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「山逢いのホテルで」

2024-12-21 06:26:06 | 映画の感想(や行)
 (原題:LAISSEZ-MOI )ほとんど共感できない映画であり、ずっと居心地の悪さを感じたままエンドマークを迎えた。登場するキャラクターすべてにリアリティが無く、筋書きも絵空事の域を出ない。どうしてこんな建て付けで映画を作ろうとしたのか不明だ。まあ、上映時間が92分と短いことは救いかもしれない。もしもこの調子で2時間以上も引っ張られたならば、マジで途中退場していた可能性大だ。

 スイスアルプスの麓にある小さな町に住む中年女性クローディーヌは、仕立て屋として生計を立てながら障害のある息子を一人で育てている。真面目に見える彼女だが、別の顔を持っていた。毎週火曜日になると彼女は、濃い化粧をして白いワンピースを身にまとい、アンクル丈のブーツを履いて山の上のリゾートホテルを訪れる。そして一人旅の男性客を選んでは、一日だけの関係を楽しんでいた。ところが、ある日出会ったミヒャエルと相思相愛になってしまう。彼はダム建設の技術者で、この地にある巨大ダムのメンテナンスのために派遣されていたのだが、ミヒャエルはクローディーヌに別の場所に行って一緒に暮らそうと持ち掛ける。



 まず、ヒロインの造型にリアリティが無い点が不満だ。都市部ならばともかく、こんな田舎で派手な真似をして、しかも山間部を歩き回るには不適切極まりない服装に身を包んで遠出する女など、いるわけがない。息子がいるということは当然のことながら彼女には夫あるいはそれに相当するパートナーがいたはずだが、それについての言及は完全スルー。

 どうしてクローディーヌが今の土地に暮らして服飾業に携わっているのか、その背景の説明も無い。息子の世話をしてくれる隣家の女性に対して辛く当たったりもするが、単に未熟な女だということが示されるだけで、何ら興趣を喚起しない。彼女の誘いに乗るオッサンたちの振る舞いにも、見どころは無い。

 さらに悪いことに、そろそろ老境に達しつつあるヒロインのリアルな裸身が遠慮会釈なく何度もスクリーンを横切ったりするのだから、参ってしまう。監督マキシム・ラッパズのセンスは最悪だと言えよう。ドラマを作ることを投げ出したようなラストも願い下げだ。

 主演のジャンヌ・バリバールは頑張ってはいるが、それが報われているとは言い難い。また、その他のキャストについてはコメントもしたくない。唯一の救いはブノワ・デルボーのカメラによるアルプスの雄大な風景で、劇場内の空気が変わっていくようだった。
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ソプラノのリサイタルに行ってきた。

2024-12-20 06:30:03 | 音楽ネタ

 先日、福岡市中央区天神にある福岡シンフォニーホールで開催された、ソプラノ歌手の田中彩子のリサイタルに足を運んでみた。だが恥ずかしながら、私は彼女の名前をこのコンサートが告知されるまで知らなかった。聞けば18歳で単身ウィーンに留学し、22歳でスイスのベルン市立劇場において、モーツァルトの「フィガロの結婚」のソリストに選出されたという。これは同劇場日本人初で、しかも最年少での歌劇場デビューであり、大きな話題を呼んだとのこと。2014年の日本デビュー後は、各方面で露出が増えている声楽界のホープらしい。

 また、彼女はソプラノの中でも高域で声を転がすように歌う技法のコロラトゥーラを得意としており、モーツァルトの歌劇「魔笛」における「夜の女王のアリア」をはじめ、それに相当するナンバーを披露してくれた。コロラトゥーラを実演で聴くのは始めてで、そのテクニックには感心するしかない。

 全部で十数曲が演奏されたが、ラフマニノフの「ヴォカリーズ」をはじめとするお馴染みのクラシックの声楽曲以外にも、モリコーネの「ニュー・シネマ・パラダイス」のテーマやマンシーニの「ムーンリバー」などのポピュラー系もカバーしてくれたのも嬉しい。もっとも印象的だったのはヨハン・シュトラウスの「美しく青きドナウ」のジャズ・バージョンだ。バックを務めるピアノの佐藤卓史とチェロの渡部玄一とのコンピネーションも万全で、見事にスイングしていた。それからピアノとチェロのデュエットによるカザルスの「鳥の歌」も冴え冴えと美しい。

 余談だが、田中はかなりの美人である。しかし、その“地声”は強烈だ。フニャフニャの、いわゆる“アニメ声”で、見た目とのギャップが凄まじい。最初はウケを狙って“作っている”のかと思ったが、どうやらこれが本来の声であることが分かり、ただ驚くばかりだ。そのせいか、MCのパートになると周囲にお笑いの空気が充満する。さらには佐藤や渡部と息もピッタリの寸劇を披露。この“笑いを取れるソプラノ歌手”という個性は世界的にも貴重であり、これからの活躍が大いに期待されるところである。
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「グラディエーターⅠⅠ 英雄を呼ぶ声」

2024-12-16 06:37:35 | 映画の感想(か行)
 (原題:GLADIATOR II)前作(2000年)は第73回米アカデミー賞にて作品賞を獲得するほど高評価で、なおかつ興行収入も大きかったのだが、私は中身をほとんど覚えていない(苦笑)。まあ、たぶん“観ている間は退屈させないが、鑑賞後はキレイさっぱり忘れてしまう”という、いわば娯楽映画の王道(?)を歩んだシャシンだったのだろう。この続編も同様で、スクリーンに向き合っている間は楽しめるが、今後どれだけ記憶に残るかは定かでは無い。ただ、印象的なモチーフはいくつか存在するので、忘却のペースは前回よりは遅いかと思われる。

 紀元3世紀初頭、前作の主人公マキシマスの息子であるルシアスは、アフリカ北部の都市ヌミディアで暮らしていた。ところが将軍アカシウス率いるローマ帝国軍が突如侵攻。街は壊滅し妻も失った彼は、マクリヌスという訳ありの男と出会ったことを切っ掛けに、マクリヌス所有の剣闘士となってローマに赴くことになる。



 主人公ら剣闘士が競技場で対峙する相手は手練れの戦士だけではなく、巨大なサイや殺人ヒヒなど人間以外も含み、それらとのバトルは賑々しく展開する。そもそも、冒頭近くの海戦のシークエンスだけで観る側を圧倒するだけの迫力があり、特殊効果も前回から20年以上経過しただけの進歩が感じられる。

 ただ、私が興味を持ったのはキャラクターの方だ。正直言って、主人公ルシアスは可も無く不可も無し。史劇のヒーローとしてのルーティンをこなしているだけだと思う。それよりも面白いのはマクリヌスだ。かなり屈折した世界観・社会観の持ち主で、それでいて抜け目がない。黒人であることもマイノリティがのし上がっていく背景を強調している。

 そして、暴君として知られるゲタ帝とカラカラ帝の扱いも非凡だ。いわゆる五賢帝の時代が終わり、ローマが隆盛から衰退へと向かっていく時代性の象徴としての造型で、中身の薄さを効果的に印象付けられる。前回から連続登板のリドリー・スコットの演出は特段優れているとは言えないが、この前に撮った「ナポレオン」(2023年)よりはマシな仕事をしている。

 ルシアスに扮するポール・メスカルをはじめ、ペドロ・パスカルにリオル・ラズ、デレク・ジャコビ、コニー・ニールセンといった顔ぶれはまあ悪くないだろう。マクリヌス役のデンゼル・ワシントンは、さすがの海千山千ぶりを見せつけた怪演。2人の皇帝に扮したジョセフ・クインとフレッド・ヘッキンジャーも難役を上手くこなしている。
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「ティアメイカー」

2024-12-15 06:27:50 | 映画の感想(た行)

 (原題:FABBRICANTE DI LACRIME)2024年4月よりNetflixから配信されたイタリア製の学園恋愛もの。設定がいかにも“古典的”で最初は面食らったが、屹立するキャラクターとキャストの頑張りで何とか付き合うことが出来、終わり近くにはけっこう盛り上がる。結果として観てそんなに損はしないシャシンかと思った。

 児童養護施設で辛い幼少期を過ごした女の子ニカは、十代後半になりミリガン家の養子として引き取られることになる。ところがこの施設で育った男子リゲルもミリガン夫妻は気に入ってしまい、一緒に迎え入れる。同年齢のリゲルとニカは同じ高校に通うことになるが、互いに抱えているトラウマのために家でも学校でも気まずい思いをするばかり。そんな中、ニカに思いを寄せる同級生のライオネルが引き起こしたトラブルが、リゲルを巻き込んで大きな騒動に発展する。エリン・ドゥームによるヤングアダルト小説の映画化だ。

 鬼のような院長が支配する孤児院で辛酸を嘗める主人公たちという、大時代な設定にはまず苦笑してしてまう。さらにいくらミリガン家に余裕があるといっても、2人同時に、しかも色気付いた(笑)年頃の男女を養子にするという筋書きは相当無理がある。通う高校は明らかに中流以上の家庭の子女を対象にした佇まいで、この学校の選択は養父母の意向なのは明らかだが、2人ともそこの生徒にしてしまうというのは考えものだ。せめて別々のところに通学するように配慮すべきではなかったか。また、リゲルとニカの周囲の生徒たちの造型も図式的で感心しない。

 だが、話が児童施設の虐待を告発する裁判劇の様相を呈する終盤は、興趣が俄然増してくる。主人公2人の言動の背景にあるものは、幼少時の体験にあることが強調され、けっこうドラマは深みを帯びてくるのだ。これが事故が元で生死の境をさまようことになるリゲルの容体と同時進行し、観ていて少し引き込まれるものがあった。

 リゲルを演じるシモーネ・バルダッセローニは二枚目ではあるものの、ミステリアスで悪魔的な風貌が強い印象を与える。ニカに扮するカテリーナ・フェリオリはかなりの美少女だが、性根が据わっていて大胆な演技も厭わないのには感心する。孤児院の院長役のサブリナ・パラビチーニも実に憎々しい。

 アレッサンドロ・ベデッティにロベルタ・ロベッリ、オルランド・チンクェ、ジュジュ・ディ・ドメニコなど他のキャストは馴染みは無いが、皆良い演技をしている。アレッサンドロ・ジェノベージの演出には特段才気は感じられないが、及第点だろう。ルカ・エスポジートのカメラによるロケ地のイタリア北部ラベンナの美しい風景と、音楽担当のアンドレア・ファッリが提供する流麗なスコアも効果的だ。
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