ドキュメンタリー映画「なぜ君は総理大臣になれないのか」(2020年)と「香川1区」(2021年)で斬新な視点とキレの良い語り口を見せた大島新監督作にしては、いささか薄味な内容だ。もちろん本作は過去の2本とは異なり、明確な題材と切り口を提示しているわけではない。だから印象が散漫になるのも無理はないのだが、そもそも散漫になるようなネタとアプローチを採用したこと自体が不適当だと言える。
2022年9月27日、同年7月8日に凶弾に倒れた安倍晋三元首相の国葬が東京の日本武道館で執り行われた。映画は、当日に東京や安倍晋三の選挙区である下関市、銃撃事件が起こった奈良市、そして京都、福島、札幌、広島、長崎、静岡、沖縄の計10拠点で取材を敢行し、国葬や安倍元首相に関する市井の人々の思いを描いている。ただし対象の捉え方がスケッチ風であり、観ていて骨太な求心力を感じることはない。
国葬についての意見や所感は、当然のことながら人それぞれである。しかし、それらを並べるだけでは映画は成り立たない。これではいけないと思ったのか、福島では原発に関する問題や、沖縄では辺野古への普天間基地移設の一件を取り上げている。広島と長崎については。原爆投下地としての側面を表に出そうとしているの言うまでもない。だが、そうすることによって印象付けられるのは、作者のリベラル的スタンスのみだ。それも、曖昧で決定力には欠ける。
かといって、安倍元首相という人物像が浮かび上がるという仕掛けも無い。第一、監督は当日はひとつのスポットにしか行けない。あとは別のスタッフに任せるしか無いのだが、そのあたりの事情も関係しているのだろう。救いは上映時間が88分と短いことで、この調子で2時間以上も続けられるとさすがに辛いものがある。
さて、本来この国葬を映画のモチーフとして採用するのならば、2つの論点を集中的に攻めるべきであった。それはまず、世論調査では国葬に反対する声が多かったこと、そして国葬の開催には法的根拠が存在しないことである。前者は民意の無視というデモクラシーの根幹に関わる重大イシューであるし、後者は法治国家の成立意義にまで影響する一大事なのだ。これらを取り上げれば、主題の掘り下げが大いに進みインパクトが高まったはず。いずれにしろ、製作サイドの視点のパラダイムシフトが望まれるところだ。
2022年9月27日、同年7月8日に凶弾に倒れた安倍晋三元首相の国葬が東京の日本武道館で執り行われた。映画は、当日に東京や安倍晋三の選挙区である下関市、銃撃事件が起こった奈良市、そして京都、福島、札幌、広島、長崎、静岡、沖縄の計10拠点で取材を敢行し、国葬や安倍元首相に関する市井の人々の思いを描いている。ただし対象の捉え方がスケッチ風であり、観ていて骨太な求心力を感じることはない。
国葬についての意見や所感は、当然のことながら人それぞれである。しかし、それらを並べるだけでは映画は成り立たない。これではいけないと思ったのか、福島では原発に関する問題や、沖縄では辺野古への普天間基地移設の一件を取り上げている。広島と長崎については。原爆投下地としての側面を表に出そうとしているの言うまでもない。だが、そうすることによって印象付けられるのは、作者のリベラル的スタンスのみだ。それも、曖昧で決定力には欠ける。
かといって、安倍元首相という人物像が浮かび上がるという仕掛けも無い。第一、監督は当日はひとつのスポットにしか行けない。あとは別のスタッフに任せるしか無いのだが、そのあたりの事情も関係しているのだろう。救いは上映時間が88分と短いことで、この調子で2時間以上も続けられるとさすがに辛いものがある。
さて、本来この国葬を映画のモチーフとして採用するのならば、2つの論点を集中的に攻めるべきであった。それはまず、世論調査では国葬に反対する声が多かったこと、そして国葬の開催には法的根拠が存在しないことである。前者は民意の無視というデモクラシーの根幹に関わる重大イシューであるし、後者は法治国家の成立意義にまで影響する一大事なのだ。これらを取り上げれば、主題の掘り下げが大いに進みインパクトが高まったはず。いずれにしろ、製作サイドの視点のパラダイムシフトが望まれるところだ。