(原題:Zazie dans le metro )1960年作品。ニュープリントでのリバイバル上映をやっていたので足を運んでみた次第。有名な作品だが、実は私は観たことがなかった。で、今回実際に接してみて、心底驚いた。この個性とセンス、比類無き映像感覚とノリの良さは、まさにカルト映画の極北に位置している。当時20歳代だったルイ・マル監督の才気のほどが分かる一作だ。
小学生の女の子ザジ(カトリーヌ・ドモンジョ)は母親に連れられてパリにやってくる。母親はとうの昔に旦那と別れており、パリに来たのは“恋人”と会うためだ。その間、ザジは2日間だけ叔父のガブリエルの家に預けられることになる。ところが、乗るのを楽しみにしていた地下鉄はストでお休み。落ち込むザジだが、怪しげなキャバレーの舞台に立っているガブリエルをはじめ、周囲には奇人変人がいっぱい。地下鉄のことを思い出すヒマもなく、次々に持ち上がる騒動に巻き込まれていく。
ハッキリ言って、これは戦前のサイレント時代にたくさん撮られたドタバタ喜劇のカラー・トーキー版である。チャップリンやキートンによって作られたそれらの映画のヴォルテージの高さは、モノクロ映像とサイレントという二大要素によって支えられていたと言えよう。どんなにシュールな作劇が展開されようと、色彩と音がネグレクトされた世界での話なので、まさに“何でもあり”という決まり事が作者と観客の間には締結されていた。ところが画面に色が付き音声が流れるようになると、映画が実世界に近づいてくると同時にサイレント時代のような無茶な作劇が出来なくなってくる。そんな筋書きを打ち破ったのが本作だ。
サイレント喜劇のエッセンスを巧みに現代風にアレンジしている。その中でも、ザジがヴィットリオ・カプリオーリ扮する胡散臭い紳士とパリの街で追いかけっこを演じるシークエンスは素晴らしい。絶妙のカット割りと編集技術。そしてスピード感。今のようにCG合成なんか存在しないはずなのに、この場面の特撮効果は現代の映画よりも上である。
さらにキートン映画を彷彿とさせる集団チェイス・シーンや、フィリップ・ノワレが披露するエッフェル塔でのヨタヨタ演技など、あまりにも見事で、笑う前に感心してしまうシーンの連続だ。さすがに後半になると緩慢な場面も目立ってくるが、パイ投げならぬスパゲッティ投げの大立ち回りや、ラストのザジの“決め台詞”などでしっかり踏みとどまってしまう。パリの名所・旧跡がいっぱい出てくる観光映画としての側面も見逃せない。
マル監督は後年は出来の良くない映画もけっこう作ってはいるのだが、「死刑台のエレベーター」をはじめ、この時期の彼は“天才”と言える。サイレント時代の先人に対して敬意を払っているあたりも気持ちが良い。必見の快作だ。