(原題:Nuovo Cinema Paradiso )89年作品。臭いっ!たまらなくクサイ映画である。ということを書くと、この映画を観て感動の涙を流した多くの観客(封切り当時に劇場で観た際、私を除いたほとんどの観客が泣いていた)から石が飛んできそうだが、私はそう思ったんだからしょうがない。
で、どういう映画かというと(まあ、有名な作品なので説明するまでもないとは思うが)、戦後間もないシチリアの小さな村が舞台で、唯一の娯楽場である映画館「パラダイス座」をめぐって展開する人間ドラマなんですね。フィリップ・ノワレ扮する初老の映写技師アルフレードと、映画が大好きなトト少年のふれ合いが描かれる。
最初は煙たがっていた映写技師も、トト少年の熱意に負けて、映写助手として採用するようになる。司祭によってキス・シーンがカットされたりする時代から、やがてカラーの時代へと変遷し、フィルムがちょっとした熱で燃えてしまい、その火事のためにアルフレードは失明し、「パラダイス座」が燃えた時代から宝くじで大当りしたナポリ人によって再建された映画館の時代、火をつけても燃えないフィルムの時代へと変わる。トト少年も成長して映画製作者として成功したが、テレビやビデオが映画にとって代わり、映画館も閉館の浮き目にあう時代(つまり現代)まで、この映画は描いている。それをいろどるのが「搖れる大地」とか「駅馬車」「にがい米」「素直な悪女」「青春群像」といった往年の名画の名場面だ。
だいたい私は昔の名画のシーンがいっぱい挿入された映画ってのが嫌いである。それに頼りきっちゃって、肝心の本編がお粗末なものが多いからだ。この映画はどうかというと、たしかにお祖末・・・・ではない。よくできている。しかし、クサイのだ。こうやれば映画ファンが随喜の涙を流すはずだ、という意図がミエミエ。冒頭の気取った構図から、中盤の映画館の画面が壁をつたわり屋外の建物へと移動するシーン、それと「毛糸のシーン」(映画を観てない人にはなんのことかわからないけど、ま、いいか)、画面といっしょになって笑ったり泣いたりする観客、トト少年を演じる子役のいやらしいほどのうまさ、うーん、実にあざとい。
監督が当時29歳の若手というのもいやらしい。「年期の入った映画好きからお涙ちょうだいするなんてチョロイもんだぜ」などと言ってる監督の顔を思い浮かべたのは果たして私だけだろうか(え? やっぱり私だけ?)。どうせダマすんならウッディ・アレンの「カイロの紫のバラ」ぐらいうまくやってほしい。
「パラダイス座」がとりこわされるシーンが終盤にあるけど、これはイヤだね。こういう映画への挽歌っていう感じのノリはキライだ。映画は死なないよ。断じてね。
で、どういう映画かというと(まあ、有名な作品なので説明するまでもないとは思うが)、戦後間もないシチリアの小さな村が舞台で、唯一の娯楽場である映画館「パラダイス座」をめぐって展開する人間ドラマなんですね。フィリップ・ノワレ扮する初老の映写技師アルフレードと、映画が大好きなトト少年のふれ合いが描かれる。
最初は煙たがっていた映写技師も、トト少年の熱意に負けて、映写助手として採用するようになる。司祭によってキス・シーンがカットされたりする時代から、やがてカラーの時代へと変遷し、フィルムがちょっとした熱で燃えてしまい、その火事のためにアルフレードは失明し、「パラダイス座」が燃えた時代から宝くじで大当りしたナポリ人によって再建された映画館の時代、火をつけても燃えないフィルムの時代へと変わる。トト少年も成長して映画製作者として成功したが、テレビやビデオが映画にとって代わり、映画館も閉館の浮き目にあう時代(つまり現代)まで、この映画は描いている。それをいろどるのが「搖れる大地」とか「駅馬車」「にがい米」「素直な悪女」「青春群像」といった往年の名画の名場面だ。
だいたい私は昔の名画のシーンがいっぱい挿入された映画ってのが嫌いである。それに頼りきっちゃって、肝心の本編がお粗末なものが多いからだ。この映画はどうかというと、たしかにお祖末・・・・ではない。よくできている。しかし、クサイのだ。こうやれば映画ファンが随喜の涙を流すはずだ、という意図がミエミエ。冒頭の気取った構図から、中盤の映画館の画面が壁をつたわり屋外の建物へと移動するシーン、それと「毛糸のシーン」(映画を観てない人にはなんのことかわからないけど、ま、いいか)、画面といっしょになって笑ったり泣いたりする観客、トト少年を演じる子役のいやらしいほどのうまさ、うーん、実にあざとい。
監督が当時29歳の若手というのもいやらしい。「年期の入った映画好きからお涙ちょうだいするなんてチョロイもんだぜ」などと言ってる監督の顔を思い浮かべたのは果たして私だけだろうか(え? やっぱり私だけ?)。どうせダマすんならウッディ・アレンの「カイロの紫のバラ」ぐらいうまくやってほしい。
「パラダイス座」がとりこわされるシーンが終盤にあるけど、これはイヤだね。こういう映画への挽歌っていう感じのノリはキライだ。映画は死なないよ。断じてね。


