ひとこと、くだらない。まさに箸にも棒にもかからない駄作だ。最初に断っておくが、反日だ何だという巷のイデオロギー面での論議なんかまったく興味がない。映画は娯楽である限り“面白いか、面白くないか”が唯一の評価基準となる。右だろうが左だろうが、はたまた斜め後方だろうが(?)、そんなことは眼中にはない。本作はまったく面白くないし、そもそも作り手は“面白くしてやろう”とも思ってはいないのだ。その意味では、この映画には存在価値さえないと思う。
メインとなる素材は靖国神社に日本刀を奉納していた老刀匠である。映画は彼の仕事ぶりを紹介すると共に、長い時間を割いてインタビュー場面を映し出す。しかし、そこでは何も語られない。元より寡黙な彼の口から重要な言質を取ろうとする工夫さえもない。ただ質問して、それに対して考えている彼の顔を大写しにするだけ。
本当は、おそらく彼のような刀匠が作った日本刀が軍属に渡り、それが戦場で使われたことについてのコメントを得たいのだろう。あえて指摘すれば、南京事件の“百人斬り競争”なんかに関係するようなことを言ってもらいたいのかもしれない。しかし、相手は“大人”だから、そう簡単に問題発言をするはずもない。挙げ句の果てに“じゃあ、そっちはどう思う?”と逆に質問されて口ごもる始末。この映画の作者は、靖国神社に縁が深い刀匠にまで会いに行って、いったい何をしているのか。平易な質問を並べて、相手の顔を撮っているだけならば、誰でも出来る。
映画は8月15日の境内の風景を映し出す。軍服姿などの濃い面々が大挙集合してなかなか興味深いが、言うまでもなくこれは映画の“手柄”ではない。当日当所にカメラを置いてただ回しているだけだ。本作を観るよりは実際8月15日に靖国に行った方が数段面白い体験が出来るだろう。逆に言えば、その日に彼の地で撮影を敢行すれば、誰だって撮れる絵である。
この李纓とかいう中国人監督は、マイケル・ムーアや原一男の爪の垢でも煎じて飲んだらどうなのか。たとえば、靖国神社の宮司に夜討ち朝駆けのアポなし突撃取材を行い、刺激的なコメントを取るぐらいのことをやってみろ。誰にでも取れる映像を漫然と流すことしか出来ないで、何がドキュメンタリー作家だ。何がカツドウ屋だ。恥を知れ。
しかも、ラスト近くにはニュース映像を反日テイストたっぷりにコラージュしてお茶を濁す始末。御丁寧にナチス・ドイツのユダヤ人迫害からインスピレーションを受けたグレツキの交響曲第3番をバックに流し、旧日本軍の所業をナチスと同レベルで扱おうという、あまりアタマのよろしくない意図さえ透けてみせる。そういう取って付けた“語るに落ちる”ようなマネはやめてほしい。
なお、映画の冒頭に“靖国神社の御神体は日本刀である”とのテロップが流れるが、これは正しくはない。明治44年に靖国神社が正式に発行した「靖国神社誌」に所収されている「祭神・附御霊代」には“御霊代は神剣および神鏡である”と明記されており、どこにも“日本刀オンリーだ”とは謳っていない(付け加えると、剣と日本刀は同一のものではないだろう)。こんな調べればすぐに分かることさえやっていない作者の怠慢さには呆れるばかりだ。
いずれにしても、この無能監督に何も考えずに国民の血税を進呈した文化庁の体たらくは批判されてしかるべきだろう。そんなカネがあるのなら、自分の国の映画作家の育成に回すべきだ。