週一寺社めぐり

原則として週一回 神社仏閣を訪れる

西国 第十一番 醍醐寺 2013.03.04

2013年03月04日 | インポート

下醍醐寺 醍醐寺の創建は貞観16年(874年)、空海の孫弟子にあたる理源大師聖宝が准胝観音(じゅんていかんのん)並びに如意輪観音を笠取山頂上に迎えて開山、聖宝は同山頂付近を「醍醐山」と名付けた。醍醐寺は山深い醍醐山頂上一帯を中心に、多くの修験者の霊場として発展した後(この場所を「上醍醐」と呼称する)、醍醐天皇は醍醐寺を自らの祈願寺とすると共に手厚い庇護を掛け、その圧倒的な財力によって醍醐山麓の広大な平地に大伽藍「下醍醐」が発展することになる。

今回は下醍醐だけで上醍醐はまたの機会にゆこう

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西国 第十番 三室戸寺 2013.03.04

2013年03月04日 | インポート

三室戸寺 寺伝によれば、宝亀元年(770年)光仁天皇の勅願により南都大安寺の僧行表が創建したものという。創建と本尊に関しては次のような伝承がある。天智天皇の孫にあたる白壁王(後の光仁天皇)は、毎夜宮中に達する金色の霊光の正体を知りたいと願い、右少弁(右少史とも)藤原犬養なる者に命じて、その光の元を尋ねさせた。

 

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西国第九番 興福寺 南円堂 2013.03.04

2013年03月04日 | インポート

西国巡礼の旅バスツア- trapics  43人

南円堂 藤原氏の氏寺である興福寺はもとは飛鳥にあったが、和銅3年(710年)に現在の地に移ってきたとされている。「南円堂」はその約100年後、弘仁4年(813年)に
興福寺の一堂として、藤原冬嗣が父、内麻呂の供養と一族の繁栄を願い建立したといわれている。

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