出雲大社 出雲市大社町杵築東195 境内27000㎡ 短時間では回り切れない
大国主神は国譲りに応じる条件として「我が住処を、皇孫の住処の様に太く深い柱で、千木が空高くまで届く立派な宮を造っていただければ、そこに隠れておりましょう」と述べ、これに従って出雲の「多芸志(たぎし)の浜」に「天之御舎(あめのみあらか)」を造った。(『古事記』)
神話によると、大国主命は、高天ヶ原からきた天孫民族の国譲り強要に屈し、のち出雲大社にまつられ、神となった。その大国主を祀った最初の出雲大社の宮司を、天穂日命(あめのほのひのみこと)という。その子孫が出雲の国造(くにのみやつこ=こくぞう)となり、連綿として出雲大社の斎主となり、現代まで続いている「生きている出雲王朝」 司馬遼太郎
境内図
大鳥居
松並木
楼門
銅鳥居・重文
祓社
拝殿
千家国造館
八足門
高い建物 本殿
本殿 国宝
天前社
観祭楼
西十九社
東十九社
会所 重文
氏社
門神社
釜社