週一寺社めぐり

原則として週一回 神社仏閣を訪れる

母恩寺 2022/9/10

2022年09月10日 | 神社仏閣

母恩寺 大阪市都島区都島本通1丁目20-22 

寺伝によれば創立は(1168年)、開基は後白河法皇である。本尊 阿弥陀如来
高野山金剛峯寺に参詣する途中であった後白河法皇は、大川沿いの風光明媚の地でありながら、たびたび洪水で被害を被っていたこの地を憐れんで、(1160年)に十五社神社を建立した。そして、(1168年)にやはりこの地が気に入ったのかこの場所に目をとめ、(1145年)に亡くなった母待賢門院の菩提をここで弔おうと考え、十五社神社の北側に寺を建立した。寺名の由来は「産んでくれた母への恩返し」という意味による Wikipedia

            山門

      本堂

      扁額

   外観

    白峰神宮

   崇徳天皇白峰御陵

崇徳上皇 鳥羽天皇の第1皇子。母は藤原璋子(待賢門院)。父の譲位により5歳で即位。実は白河法皇の皇子といわれ,院政をしく鳥羽法皇の意向で,3歳の異母弟近衛天皇に譲位させられた。近衛天皇の死後は同母弟の後白河天皇と対立,敗れて讃岐に流された(保元の乱)。長寛2年826日配所で死去。46歳。死後,怨霊としておそれられた。墓所は白峯陵

  崇徳院

    椿説弓張月

待賢門院 鳥羽帝との間に5男2女 崇徳天皇 後白河天皇  晩年法金剛院で、過ごした

西行も待賢門院璋子(1101~1145没44才)への叶わぬ恋の物語があった。西行と璋子17才の年の差があったが、西行は17才も年上の中宮(皇后)璋子に恋こがれ、想い叶わぬと知ると出家し、それでも彼女が亡くなるまで慕い続けた。西行は出家しても、中宮璋子の居る京の都から離れられず、京に近い畿内の山中で草庵をあみ、叶わぬ恋の寂しさ、哀しさを歌にして詠んだ。

参考 Wikipedia

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