鵺塚 (ぬえ) 大阪市都島区都島本通3丁目18
母恩寺から南東に約500mの場所に「鵺塚」がある。平安時代に京で源頼政が鵺を退治した、そしてその遺骸を淀川に流したところ、この地にたどり着いた。付近の村人たちはその祟りを恐れて母恩寺の住職に弔ってもらい、鵺塚を建立した。鵺塚は明治時代に取り壊されかけたが、鵺の怨霊が地元住人を悩ませたりしたので、慌てて鵺塚は修復された。鵺とは、頭はサル、胴体はタヌキ、手足はトラ、尾はヘビ
鵺塚 正面
手水鉢
鵺塚祠
鵺塚 (ぬえ) 大阪市都島区都島本通3丁目18
母恩寺から南東に約500mの場所に「鵺塚」がある。平安時代に京で源頼政が鵺を退治した、そしてその遺骸を淀川に流したところ、この地にたどり着いた。付近の村人たちはその祟りを恐れて母恩寺の住職に弔ってもらい、鵺塚を建立した。鵺塚は明治時代に取り壊されかけたが、鵺の怨霊が地元住人を悩ませたりしたので、慌てて鵺塚は修復された。鵺とは、頭はサル、胴体はタヌキ、手足はトラ、尾はヘビ
鵺塚 正面
手水鉢
鵺塚祠