週一寺社めぐり

原則として週一回 神社仏閣を訪れる

落柿舎  2015.01.08 Archives

2016年08月20日 | 神社仏閣

落柿舎 京都市右京区嵯峨小倉山緋明神町20
京都市右京区嵯峨にある向井去来の別宅。豪商の別邸を買い取り修理したもので,芭蕉もしばしば訪れ,「嵯峨日記」を残した。

 

蓑笠・主人の在宅を知らせた

     

次庵

 蛍壁

昭憲皇太后御歌・

賀茂川のはやせの波のうちこえしことばのしらべ世にひびきけり

十三畳半の落柿舎冬支度五月雨や色紙へぎたる壁の跡

   

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福源寺  2015.03.31 Archives

2016年08月17日 | 神社仏閣

福源寺 奈良県吉野郡川上村高原902
福源寺は、1000年前の白鳳時代に役行者が開いたとされ、大峰山とのつながりが深く、秘宝大峯山上出土発見の蔵王権現(石の仏頭)、役行者や役行者の(石の獨鈷・役行者母公像)などが祀られており、当時の風貌を伝え歴史ある仏像をお祀りしているお寺です。
 後には、人皇第55代文徳天皇、第一皇子の惟喬親王が帝位継承ができなくなり、貞観年間に京都小野の里から高原に入られ木地職を営み、祖となられ、岡室御所として伝えられて来ました

本堂

    

国宝・薬師如来坐像  

  

役行者

     

阿形天部像釈迦如来如意輪観音

吽形天部像

 

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常寂光寺 2015.01.08 Archives

2016年08月16日 | 神社仏閣

常寂光寺 京都市右京区嵯峨小倉山小倉町3
平安時代に藤原定家の山荘「時雨亭」があったと伝わる地で、安土桃山時代末の(1596年)に日蓮宗大本山本圀寺十六世日禎が隠棲の地として当山を開いた。歌人でもある日禎に小倉山の麓の土地を寄進したのは角倉了以と角倉栄可で、小早川秀秋ら大名の寄進により堂塔伽藍が整備された。

    

庫裏

    

九輪 

開山堂

歌遷祠---定家卿の御神像を祀る祠「歌遷祠」。明治時代までは、小さな祠だったものを、1900(明治23)年に現在の大きさの建物に改築して、歌遷祠と呼ぶように。歌遷祠の扁額は、富岡鐡齋

鮎茶屋

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二尊院  2015.01.08 Archives

2016年08月15日 | 神社仏閣

二尊院 京都市右京区嵯峨二尊院門前長神町27
平安時代初期の承和年間(834–847年)、嵯峨天皇の勅により円仁(慈覚大師)が建立したと伝わる。以後荒廃するが、鎌倉時代初期に法然の高弟だった湛空らにより再興される

 

   

 勅使門蟇股

 

 

本堂

左・阿弥陀如来・釈迦如来

 法然上人・御廟御霊屋

阿弥陀堂  

九頭竜弁財天堂

西行法師庵の跡と歌碑・・「我がものと 秋の梢を思うかな 小倉の里に 家居せしより」

角倉了以 二尊院は角倉家の菩提寺八社宮八社宮地蔵堂

  嵯峨天皇皇女墓

土御門天皇、後嵯峨天皇、亀山天皇の分骨を祀る

伊藤仁斎の墓 江戸時代の儒学者

 

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清凉寺 2015.01.08 Archives

2016年08月13日 | 神社仏閣

清凉寺    京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤之木町46

正式名称を五台山清凉寺と言い、せいりょう寺・しょうりょう寺などと発音される,但し地元では通常は”嵯峨釈迦堂”と呼ばれている、因みに同じ京都市で釈迦如来が本尊の寺で上京区今出川七本松上ルの大報恩寺は千本釈迦堂と区別して呼ばれている。

 

仁王門

 

多宝塔

本堂

本堂

 生の六道逆さ獅子

一切経蔵 傅大士像・中国南北朝時代の在家の仏教信者。仏教を広めるために尽くし、転輪蔵を創始した。そのため経蔵などにその像が置かれるようになった

 弁天堂 

  阿弥陀堂堂内

   

以下TVより

   勢至菩薩  阿弥陀如来

普賢菩薩 源の融墓

愛宕権現桂昌院殿遺愛の井戸

秀頼公首塚

 

 

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滝口寺  2015.01.08 Archives

2016年08月13日 | 神社仏閣

滝口寺 京都市右京区嵯峨亀山町10-4 
法然の弟子念仏房良鎮が開創した往生院の子院三宝寺の旧跡。「平家物語」の平重盛の家来斎藤時頼と建礼門院の侍女横笛との悲恋の物語ゆかりの地として近年再興された。出家して滝口入道と称した斎藤と横笛の坐像を本堂に安置。参道の歌碑は横笛が記したとされている

  

 

 

寺へ入場されない方・撮影禁止→セコイ寺

    

平家一門の供養塔

本堂

横笛と滝口入道

 

小松堂 平重盛を祀る

    

 

 

勾当内侍(こうとうのないし)の供養塔  

出家して滝口入道と称した斎藤と横笛の坐像を本堂に安置。参道の歌碑は横笛が記したとされている 滝口入道は、横笛にこれからも尋ねてこられては修行の妨げとなると、女人禁制の高野山静浄院へ居を移す。それを知った横笛は、悲しみのあまり大堰川に身を沈めたとも、奈良・法華寺へ出家したとも伝えられる。

新田義貞の首塚

 

 

 

 

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祇王寺  2015.01.08 Archives

2016年08月12日 | 神社仏閣

祇王寺  京都市右京区嵯峨鳥居本小坂町32
「平家物語」の遺跡。平清盛が愛した祇王・祇女、仏御前が尼僧として余生を過ごしたと伝えられている。本尊大日如来のほか、清盛、祇王・祇女らの木像を安置している。祇王・祇女の墓といわれる宝筐印塔、鎌倉時代の作とされる清盛の五輪の石塔がある

   

山門

茅葺門

   

本堂

祇王 祇女 刀自 仏御前

妓王妓女仏刀自コケ 

  

大日如来

壇林寺壇林寺人形の家

 

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達磨寺 Archives 2011.01.29

2016年08月11日 | 神社仏閣

達磨寺  北葛城郡王寺町本町2-1       聖徳太子霊跡19番
この寺の創建については、推古天皇21年(613年)の冬、聖徳太子が片岡山で飢えていた異人に衣食を施したという片岡山飢人伝説にからめて語られる。その後は、衰退と中興が繰り返され、江戸時代には幕府から30石が与えられた

   

本堂

 

千手観音

左・聖徳太子座像

達磨大師

    

  方丈の庭

  

 

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野中寺  Archives 2010.12.15

2016年08月10日 | 神社仏閣

野中寺 羽曳野市野々上5-9-24
野中寺は「河内三太子」の一つである。叡福寺の「上の太子」、大聖勝軍寺の「下の太子」に対し、「中の太子」と俗称されている。四天王寺を振り出しに下・中・上の太子寺に参る巡礼を、太子寺巡礼という。近世になって盛んになる巡礼であるが、寺の俗称はその巡礼のために名付けられたものであろう。寺伝は、聖徳太子の命により蘇我馬子がこの寺を造営したと伝えている。だが、考古学的知見では、境内出土の瓦から創建は7世紀後半とされている

 

内陣

参道大師堂唐門

地蔵堂地蔵堂内

   

金堂跡 石人像

塔跡 お染・久松墓

ヒチンジョ池西古墳石棺

太子像

船氏王後の墓誌(668年製作)

 

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一休寺 酬恩庵 2011.10.16 Archives

2016年08月09日 | 神社仏閣

一休寺 酬恩庵 京田辺市薪里ノ内(たきぎさとのうち)102
臨済宗大徳寺派の寺院である。山号は霊瑞山。本尊は釈迦如来。一休寺とも称される。枯山水の石庭や一休和尚の木像のほか、「一休寺納豆」でも有名。 出自は後小松天皇の落胤とする説が有力視されている 88歳で死去  

 

   

唐門

本堂

  

開山堂

方丈庭園 正面・観音堂

   

    襖絵方丈 一休骸骨 一休咄狂雲集

大徳寺の住職も兼ねる 輿に乗って25kmもある大徳寺へ行った

 

森女  森女は30歳代なか一休77歳 http://blog.goo.ne.jp/goo0633/e/17920d7097fe81afdb6520a0a446998a

  

 

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