滝口寺 京都市右京区嵯峨亀山町10-4
法然の弟子念仏房良鎮が開創した往生院の子院三宝寺の旧跡。「平家物語」の平重盛の家来斎藤時頼と建礼門院の侍女横笛との悲恋の物語ゆかりの地として近年再興された。出家して滝口入道と称した斎藤と横笛の坐像を本堂に安置。参道の歌碑は横笛が記したとされている
寺へ入場されない方・撮影禁止→セコイ寺
平家一門の供養塔
本堂
横笛と滝口入道
小松堂 平重盛を祀る
勾当内侍(こうとうのないし)の供養塔
出家して滝口入道と称した斎藤と横笛の坐像を本堂に安置。参道の歌碑は横笛が記したとされている 滝口入道は、横笛にこれからも尋ねてこられては修行の妨げとなると、女人禁制の高野山静浄院へ居を移す。それを知った横笛は、悲しみのあまり大堰川に身を沈めたとも、奈良・法華寺へ出家したとも伝えられる。
新田義貞の首塚
達磨寺 北葛城郡王寺町本町2-1 聖徳太子霊跡19番
この寺の創建については、推古天皇21年(613年)の冬、聖徳太子が片岡山で飢えていた異人に衣食を施したという片岡山飢人伝説にからめて語られる。その後は、衰退と中興が繰り返され、江戸時代には幕府から30石が与えられた
本堂
千手観音
左・聖徳太子座像
達磨大師
一休寺 酬恩庵 京田辺市薪里ノ内(たきぎさとのうち)102
臨済宗大徳寺派の寺院である。山号は霊瑞山。本尊は釈迦如来。一休寺とも称される。枯山水の石庭や一休和尚の木像のほか、「一休寺納豆」でも有名。 出自は後小松天皇の落胤とする説が有力視されている 88歳で死去
唐門
本堂
開山堂
方丈庭園 正面・観音堂
大徳寺の住職も兼ねる 輿に乗って25kmもある大徳寺へ行った
森女 森女は30歳代なかば、一休77歳 http://blog.goo.ne.jp/goo0633/e/17920d7097fe81afdb6520a0a446998a