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今年は__フランスでは学期が9月に始まり6月に終わるので、年末気分満載なのだ__ほんとうに、何故かヴァイオリン・イヤーであった。
事の始まりは、日本のインターネット番組Bar🍷from Paris with ミエさん(フルート)でフランスの音楽教育に関する談義にゲストとして招待していただいたことであった。
そういうマイナーでマニアックなネット番組をどれだけの人が聴いているのか、私には知る由もないが、どういう訳か、時々お互い子供がいるので近所の公園でたまに顔を合わせていた地元バニョレ在住のMさんが、「その話の続き、聞かせて!!絶対聞きたい」と、家に押しかけて来たのであった。
ネット介して、500メートルの近所で聞いてたんですかな!
Mさんは日本人ソフロローグ(フランスの呼吸療法専門家)で、アマチュアのヴァイオリニストである。アマチュアという割には、その方面ではかなり著名な大学オケをやっていたということもあって、かなりの腕前なんである。
近所ということが幸いして、毎週土曜におしゃべりしたり楽器を一緒に弾いてみたりし始めたのだけれど、土曜日は近所の子供同士が遊ぶ日でもあるので、それが高じて、前からヴァイオリンをやりたい、と言っていた娘の親友のスリランカ人の女の子にヴァイオリンを教える、ということにまで発展してしまった。
そうこうしているうちに、音楽院では「あんたと一緒なら開放弦だけでも弾いてやるゼ!」とまで言ってくれた同僚のヴァイオリン科教授Eくんと意気投合して、私の長年のプロジェクトである異楽器間交換授業「弓使いと息づかいの間」に参加してもらうことになった。
楽器のレッスンって、いっつも同じことばっかり言ってマンネリ化する危険があるので、こうやって違う先生が来てくれるだけでも、それだけで空気の流れが変わって良いものだ。
生徒だって、毎回私が言って耳タコになってることでも、ヴァイオリンという全く違った音で、Eくんの全く違った表現をしてくれたら新鮮に捉えるし、私は違った音を耳に入れること、楽器に対する違った捉え方を多様性として認識することを、とても重要だと思う。
私も、Eくんがあーでもない、こーでもない、とたった一フレーズにボーイングを何十種類もやってみるのを見て、
「あぁ、、、なんとインテリジェンスの必要な楽器なのだろうか」と思ったり
また、ものすごくテクニックの難しいヴィルトォーゾレパ、シャコンヌなどのバッハの金字塔の作品群に奮闘するEくんの姿をみて、「あぁ、ヴァイオリニストとは全存在をこれらの傑作に捧げているのだ。。。」なーんて、感心しきり。(不謹慎?)
私に「フルート」ってどういうところが好きですか?なんて聞かれたら、本当に返答に困る。別に楽器自体は特に好きじゃないし、本当音楽さえできればどうでもいい。敢えて言えばアンブシュアが開いているのでアーティキュレーションにヴァリエーション付けられるぐらいかな。本当にそういうことはずっとやっていると主観が強すぎて分からないんだ。
だから優しく生徒想いのEくんが「フルートは歌の表現に近くて自然だよ」と言ったり、逆に前に一緒にやったチェロの先生の言う「テメェらその音程とヤワなアタック、どうにかせい!」でも何でも、とにかく思った通りフルートについてとやかく言ってくれると、私としてはすごく助かるのだ。
話は戻ってヴァイオリンイヤー、もう一つはパリ管のヴァイオリン奏者、Mちゃんの娘さんがひょんなことから私の生徒になったこと、トドメは、パリ音楽院時代の同級生、ヴァイオリン奏者のJちゃんにプールで偶然再会したことである。
Jちゃんとは、もう20年以来会ってなく、パリ音楽院でも特にたくさん話した思い出もない。
けれど20年を経て、若い頃、経験した人にしか分からないであろう異様に厳しい環境を経て大人になり、正直に今自分が音楽に対する思いを話し合える…こんな嬉しいことはない。
そんなこんなで6月になり、ソフロローグのMさんが日本に旅立つ日が近づいて来た。永久帰国、というほどでも無いが、数年ですぐに帰ってくる訳でもない長い別れである。
仏教校で育ったと言うソフロローグMさんは、いきなり持参した仏経典の意味を説明してくれて、
「私たちはどこで修行を積もうと関係がないの。それがこの世で皆にスターダムと考えられている場所であろうと、そんな場所の名前は全てを超えた存在には見えてなくて、あなたがどこであれ本当には何をしているのか、それこそが大切なの。」
彼女はそんなことを言い残して去って行った。
その夜。私はもう20年来会ってなかったパリ高等音楽院とニコレのところで一緒だった親友(フルート科では数少ない、音楽的にも人間的にも分かり合える人だった)、Sちゃんに会うことになっていた。
Sちゃんはパリ音楽院卒業後、ジュネーヴの国際コンクールで1位となり、ベルリン交響楽団、ウィーン交響楽団を経て、ウィーンフィルの史上初の女性フルート主席奏者に抜擢され、その後1ヶ月で学団を去ることとなった、好む好まざるに関わらず歴史的な瞬間を生きた人である。
今回フランス国立管のフルート首席に受かり、彼女はついにパリに戻ってきたのだった。
彼女と再会することは、私にとって「上の方で修行を積んだ人」と「下の方で修行を積んだ人」、天と地の再会であった。
そんなことは説明しなくとも彼女の顔を見ればすぐ分かった。私たちがこの再会をどれほど待ちわびていたのか、どれほどの事柄が私たちを隔てるために立ちはだかり、また、音楽院時代の大切な友人たちが、卒業後後置かれた地位や立場や苦難によって人が変わってしまい、もう元には戻れなくなってしまったなか、私たちが本質的に変わらず再会出来るということが、いかに貴重なことか。
彼女はウィーンフィルという最上の場所で最悪の修行をする運命にあったし、私はパリの社会の最底辺で目線を落として修行をするのが、それもまた運命だったと、今は言える。
これまで二人が生きてきた痛みは、決してもう繰り返されない、私たちはこれから一緒に、ただ音楽と共に生きていくんだよ。
そんなことを言いながら私たちは乾杯し、抱き合い、苦労話を大袈裟に面白おかしく語り合いながら、心から笑い合う。
人生には超えなければいけない宿題がいっぱいあったね!でも私たちは、どんなことがあっても変わらなかった。何物も私たちを変えることは出来なかった。それは本当に美しいことだよ!
これが彼女から翌日来たメッセージ。
これから天と地の統合が始まっていく。。。
としたら人生めちゃ面白いね!
たとえ天地逆となっても己の道は変えぬ!(たぶん)
激流より静水。
自分の影響力から生徒を守る。
これって50近づいてやっと分かった(たぶん)