SpiMelo! -Mie Ogura-Ourkouzounov

L’artiste d’origine Japonaise qui mélange tout sans apriori

再会と出会い

2022-03-24 14:22:00 | Essay-コラム

来週月曜のフランス・フルートオーケストラとのコンサートについて、なんともトンデモない成り行きのコンサートなので、忘備録として書いておくことにした。


一昨年のある日、長年連絡を取っていなかったパリ音楽院時代の師、ピエール=イヴ・アルトーからいきなり電話があった。コロナ禍でコンサートが無く、FBYouTubeに色んな演奏動画を作っては貼っていた最中であった。


「最近のミエのやっている事に注目している。素晴らしいと思う。ぜひ自分が音楽監督を務めているOFF(フランス・フルートオケの略称)に曲を書いてもらいたい。そして即興で共演して欲しい」


作曲はずっと自分のプロジェクトや生徒たち、身近な人に書いていたけれど、正式な委嘱は人生初である。えー、ほんとに私で良いんですか?ジャズで良いんですか?えっ、ジャズでなければならないと?それなら嬉しいです!ぜひぜひやりましょう、という話になった。


その後、このプロジェクトは、ピエールイヴの昔からの友人だという、フランス領カリブ諸島のマルティニークの巨匠、伝統フルート奏者のマックス・シラさんの作品と私の作品で折衷し、二人がフルートオケバックに共演するという、面白い展開になったらしい。


今年に入ったとある日、マックスさんから電話連絡が来た。


「お知り合いになれてとても嬉しい。しかし私は最近目が見えんでねぇ。。。楽譜が書きたくても書けんのじゃよ。。。」


この電話が、コンサート4ヶ月前。え?!じゃあいったいフルートオケの楽譜はどうなるのだろう?!と考えるも、まあ自分の作曲にめちゃくちゃ忙しいので、気になったけれどあまり考えないことにする()


コンサート3ヶ月前。マックスさんの自宅に招待していただいた。彼が製作しているという様々な音程の竹製のフルート、ヨーロッパのロマン派期のフルートのような木製のキーの極端に少ないフルートで、マルティニークの音楽やキューバ音楽を、たくさん目の前で吹いてくださった。


仙人のような容貌のマックスさんは、75歳を超えていて、目がほとんど見えないようだが、自在なアンブシュアとこのようなフルートではめちゃくちゃに難しいであろう運指を自在に操り、ものすごく楽しそうに、まるで私のことをずーっと昔から知っていたかのように、まるでフルートというおもちゃが大好きな子供のように、いっぱいいっぱい目の前で演奏を披露してくれた。


この人も即興をし始めたらやめられない人種らしい。


実際に聴く彼のリズムはホンモノで、彼の愛情のこもった音とお話しに耳を傾けていると、そのピュアな魂に圧倒されてしまった。


で。ここからが肝心な話。


「これらの曲はどのように記譜されるんでしょう?まさかぜーんぶ覚えていらっしゃるんですか?!」


「私には独特の記譜法があってだね。。。ド、とかレ、とかアルファベットで書いて、矢印で音高を表す。。。」



なんとかーーー()!!!


それって、目が見えないからって言うか、もともと楽譜書けないんじゃん!


「え、ええと、それじゃあフルートオケの人たち、読めないんじゃないですか?結構コンサート迫ってますけど、一体誰がアレンジを。。。」


(言いにくそうに)だから、今、アレンジしてくれる人を探しておってだね。。」と私の顔をピュアに凝視するマックスさん。


わ、私?やっぱり私しかいないってか?!そーだよねー、いかにもそういう状況じゃん苦笑!!


「。。。分かりました、、、分かりましたよ、、あなたの音楽は素晴らしい。だから私がやりましょう。でも、ちょっといくらなんでもギリギリじゃあ、、、私まだ自分の作曲もまだ全部終わっていませんし、このヴァカンスはブルガリア旅行が入っています。アレンジがいつスタート出来るかまだ分かりません。ピエールイヴに電話して、このコンサートをもっと素晴らしくするため、日程を後倒しに出来ないか聴いてみません?」


で、二人で一緒に電話するも、無慈悲にも師匠の返事は「ノン!それ無理。」であった笑 無言で顔を見合わせる私たち。万事休す、もうやるしかないみたい。


私、この人じゃなかったら絶対引き受けてなかったと思う。


この人の存在や音楽が、ホンモノでなければ。


その話をアフリカン・パーカッションの同僚Cにしたら


「ミエ、君はきっと「橋」なんだよ。記譜音楽と、伝承伝統音楽の間の。それこそが君の使命だ。その二つを芯から分かっている人にしか、それは出来ないんだ」


さすが、物分かりの早い親愛なる同僚C。そんなカッコよく言うてくれたら覚悟は決まったやろ()



というわけで、それからブルガリアでの「らるちぇにっつぁトリオ」の配信録音は控えているわ、万博事業の終了に伴う事務作業は山積み、慣れない自分の作曲を全部終わらせなきゃならないめちゃくちゃなストレス、その上なぜか本人を前に編曲を反射的に引き受けてしまったわで、前代未聞の大わらわな日々が始まった訳です。


果たしてめでたく全てが終わって、来週月曜、師匠とのコンサートでの再会はなるのか?!


(長いので次のブログに続。)



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