SpiMelo! -Mie Ogura-Ourkouzounov

L’artiste d’origine Japonaise qui mélange tout sans apriori

ジャズとクラシックの違い

2018-09-06 13:05:00 | Essay-コラム

September 6, 2018


この15年ジャズを掘り下げてやってきて(詳しくは前のブログ参照)、その前は(正確にははジャズを勉強している間も)

クラシックや、その現代版であるコンテンポラリーを相当掘り下げた経験があるのだから、どっちの世界もよく知ることが出来たのは、2本柱で私の土台となる大変貴重な経験だったと思っている。

 

みんなはジャズとクラシックの違いについてどう思っているのかな。音(音質)が違う、と思っている人は結構多いかも知れない。

 

私は自分なりに苦しみもがきながら違いを理解し習得しようとした結果、違うのは音質ではなく、音への接触の仕方、「アーティキュレーション」だと言える。あとはリズムの取り方、即興性などいくらでも違いはあるのだが、話が大きくなりすぎるのでまた次回に。

 

フィギュアスケートのニコライ モロゾフコーチの書いた本があって、とても興味深い事が書いてあった。

 

モロゾフ氏は若い頃、男子シングルスケーターのトップを目指し研鑽を積んでいたのであるが、同じコーチのところで学んでいたとある将来有望な選手を見て、自分は到底トップにはなり得ないと悟り、17歳という若さでアイスダンスに転向したのだそうだ。そこでシングルとはあまりに違うアイスダンスの滑りに困惑し、必死で違いを分析し学び取ろうとした経験が、いまのコーチングスキルに非常に役立っている、という内容であった。

 

 はスケートのことはよく分からないが、氏の言うところの「エッジワークの違い」と言う言葉が目を引いた。以下抜粋「シングルとアイスダンスとでは、氷の接 触の仕方が全く異なるのだ。スピードを出すにも、シングルのように氷を押すことはほとんどなく、エッジの体重をかける位置を巧みに使い分けることでスピー ドをコントロールする。いわゆるエッジワークだ。、、、同じスケートとは思えないほどの技術的な違いがあるのだ。」

 

こ、 これは!まさしくシングルとは音に重心をかけて伸ばす「クラシック」で、細かなアーティキュレーション(エッジワークだ!)を使い分けるアイスダンスが 「ジャズ」では無いのかっ。なるほど、どっちも違う感動、見応えがある意味がよく分かった。しかしどちらも習得するのは並ではない精神の柔軟性が必要だ し、ひとつの道を極めた人に与えられる輝かしいタイトルには縁遠かったことだろう。モロゾフ氏はしかし後にこの経験を活かし、生徒を教える時にはこの二つ の要素を結びつける事によって、フィギュアに新しい可能性を切り開いた。ええなあー。。。音楽もその二つの要素の融合が、必ず新しい扉を開くと信じて、私 も日々精進しているのだけど。

 

おーっと話が逸れまくってますね。

私の思うジャズでの細かな「エッジワーク」とは「アーティキュレーション」であって、聞けば聴くほどその深い魅力、各楽器奏者によって極められた、あまりに表情の違うアーティキュレーションの美学に、引き込まれてやまない。

 

ここでいくつか最近よく聴いているアルバムを紹介したい。

 

Rip rig and panic Roland Kirk

 

ジミ ヘンドリックスがボロボロになるまで聴きこんだアルバムだそうである。しかしこのカークの骨の髄までスウィングしつつ耳の直ぐそばで話しかけているかのようなアーティキュレーションの、子供のような純真さ。

ドラムスがエルヴィン ジョー ンズで、このアルバムを南仏に友人の車で旅行中に窓を開けっ放してイヤホンで聴いていたのだが、そうするとごーごー外の音がうるさくてエルヴィンのシンバ ルだけが強調されて聴こえるんだけれど、これがもう!!圧倒的な黒のスウィング。そうスウィングとは人間の作り出すナマのアーティキュレーションだっ!打 ち込みのドラムだと何故感動出来ないのか、遅ればせながらよく分かります。

 

Cher Baker quartet vol.1 “This time dream’s on me”

 

黒い激しい揺れ幅のスウィングに疲れたら必ず聴きたくなる、白いスウィング。同じスウィングでも何故これだけ違うんだか、チェットのスウィングは川を渡る水面のように狭い幅で永遠にせせらぎ、揺れる。

それにしてもこの、アーティキュレーションの芸術的なまでの完璧さ。。。付け足すべきものもひとつなく、

削ぎ落とさなければならないものも一つもない。そこにはチェットの深い宇宙があるのみだ。

 

Miles Davis Doo-Bop

 

敬愛するマイルスの遺作で、彼がヒップホップに足を踏みいれようとした意欲作。

 イルスはこのアルバムが出来た時にはもう亡くなっていたそうだから、直接制作には関わらず、ヒップホップの打ち込み音楽に合わせて即興していたテイクを組 み合わせて作ったアルバムらしい。さっき打ち込みのドラムはイヤだと言ったばかりだが、マイルスは打ち込みで何が悪い?それは使いようだ、と言っていたそ う。それもそのはず、彼が即興でフレーズを吹けば、ヒップホップであろうがポップであろうがロックであろうがファンクであろうが、打ち込みの平坦ささえあ まりの個性の強さにマイルスの音楽に調理されてしまう。。しかしこんなミュージシャンは彼ひとりしかいないのでは?死の直前65歳での彼のアーティキュレーションは、枯れていて滑らかで、到底マネのできそうなものじゃない。ちなみにキースジャレットはマイルスのこの特技について、「カチカチしたデジタル仕様の音楽の中でマイルスひとりがオーガニックに動く面白さ」と言うように表現していたと思う。

 

長くなってしまった!これからパリ音時代に大変仲良かった友人が企画した「即興」アトリエのパリ市交換勉強会に行ってきます。私と逆に「非イディオム即興」に留まった彼の即興や現在はいかに?すっごく楽しみです。結果はまた次回ブログで!



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