June 11, 2018
前のブログでブルガリア音楽の小学生向けプロジェクトを担当者に却下されて機嫌が悪いと書いた。
しかし、この間チューリヒに演奏旅行している間に、久々子供が隣にいなかったので、じっくりとラサーン・ローランド・カークの音楽を聴き直し、これだ!というプロジェクトを考え付くにいたった。
担当者さん、どうもありがとうよ。
時に嫌な一言が考えようで鶴の一声になったりするだから、人生は楽しい。
こ の、大変難題ではあるが、次に実現すべき「スパイラル・メロディー」プロジェクト(去年秋出したCDの曲たちで一人ライヴを実現すること)を後押ししてくれ たのが、私の敬愛する、マルチインストゥルメンタリスト、ラサーン!この名は彼が夢の中でこのように呼ばれたことで芸名に付け足したそうである。
カークはたった2歳で医療事故によって盲人となり、夢や子供の感性を信じ、ナチュラルな音楽のヴァイヴレーションの中にいることを一番愛している。
自分の頭の中で鳴っている音を実現するためにはどんな難しい事であれ挑み、普通に世間が思っているどんな非常識も厭わず、楽器屋を回って理想の音が出る楽器を探し、そして独自の奏法を開発した。
そ の傍、盲人や黒人であると言う差別にいつも晒され、そしてしまいにはその彼が発明した「頭の中で鳴っている音楽を実現させる方法」(3本のサックスをいっ ぺんに吹いたり、首から色んな笛を吊るしたり、20分循環呼吸だけでソロしたり。。彼がフルートを吹くときはいっつもサックスのベルの中から取り出す)ま でもが視覚的に「正当でない」というイメージを呼び、同世代の黒人ジャズマンに比べても評価されなかった。それは決して奇をてらっているのではないのに。
その様な話を聞くと、通常の視覚とは真実を聴くために、時に邪魔なものなのだろうと思う。
彼らには見た目に振り回され何が本物なのかよく分からなかった。
「俺を信じないんだったら、とにかく耳を開いて聴くんだ。全力を尽くして聴け。聴け こんちきしょう!聴け!」
カークの強い信念、(ここまでの信念を持つのにどれだけ自分のエゴを空っぽにして音楽に身を挺していることだろう)また本当の意味では音楽を聴いていない人々にそれを分かってもらえない、もどかしさが伝わってくる叫びである。
難しい、難しい、分かってくれない、と躊躇してたらだめだ。そんなのはちっぽけなエゴだ。
「さあ僕たちと一緒に旅に出ようぜ。僕たちはどこにでも行く。あんた方用意は出来たかい?用意出来たら教えてくれ。。。」
TGVの中で聴いた彼のひとつの音が、時空を超えわたしをあっ!と小さく後押ししてくれた。
愛に溢れた、ピュアな音の洪水。彼がとらえる音の真実の前では、ガラクタの音も神様になる。
全 てのブラックミュージックを愛し、誰よりも本物の正統なジャズをやっているにもかかわらず、壮大すぎてオリジナル過ぎて、ジャズにもRBにもどこのカテに も押し込むことの出来ない音楽。現在の頭で考えられたアバンギャルドな音楽よりずっとずっと活き活きしていて、誰よりも歴史を勉強して伝統を理解し、正統 とアヴァンギャルドという本来相反するものが実は裏表に共存する、ということを証明させるような即興演奏は、人々を混乱させたのだろうか。誰にも彼を音楽史の 正当な場所に当てはめることが出来なかった。
当たり前かもしれない。何よりも俗っぽく、何よりも神々しい音楽。何より進歩的で、何より地に根ざしている!!人類の歴史を差し置き、怖れることなく、彼は世界の矛盾を統合してしまったのだから!!
ここに彼の言葉を少し残したい。
「今すぐ失敗の取り繕いをやめろ!
目と耳の汚染をやめろ。
我々は今日のテレビの冷凍音楽の終結を要求する!」
「私たちは皆見えない鞭に追い立てられている。
ある者ははしり、ある者は楽しみ、ある者はヒップで、ある者はチップを与え、ある者はスリを働くが、
私たちはみな、その見えない鞭にやり返さなければならない。」
それでは例に習って有言実行宣言。ローランド・カークに愛を捧げる「スパイラル・メロディー」プロジェクト、これより約一年後に実現いたします。お楽しみに!!
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