研鑽義務について判例をみてみます。以前の記事も読んで下さい。
市立札幌病院事件1
市立札幌病院事件2
市立札幌病院事件3
市立札幌病院事件4
研鑽義務について判示された福岡地裁判決(1994年12月26日)、概要は次の通り。
一般的に広く用いられていた(医科のほとんどの診療科や歯科など)消炎鎮痛剤を歯科医師が処方したところ、喘息発作を誘発し、その激しい発作によって気管支狭窄を生じ窒息死した。その薬剤を服用した患者は、元来喘息の既往を有していたが、歯科医師は投与する前に十分な確認をしていなかった。また、多くの非ステロイド性酸性消炎鎮痛剤(一般的な多くのものがこれに該当する)が、喘息発作を誘発する可能性がある(アスピリン喘息と呼ばれる)ことについて、この歯科医師は知らなかった。
この事件においては、歯科医師の注意義務違反が認定された。また、判示された研鑽義務については、次の通りである。
「なるほど、上記医師に課せられる義務のうち、研鑽義務については、医療の高度化に伴って医師が極度に専門化しているがために、薬剤の知識について医学の全専門分野でその最先端の知識を修得することが容易なことではなくなっていることは想像に難くないが、いやしくも人の生命および健康を管理するという医師の業務の特殊性と薬剤が人体に与える副作用等の危険性に鑑みれば、上記のような医師の専門化を理由として前記のような研鑽義務が軽減されることはないというべきである。」
また、この研鑽義務は「(筆者注・アスピリン喘息の知識について)福岡市内の開業歯科医師の間では一般的に定着するに至っていたとはいえないなどの事情は当該医師に課せられていた研鑽義務をなんら軽減するものではないことは明らかである」となっている。
以上のように、医師の業務の特殊性と薬剤の人体への危険性を鑑み、また、(多くの歯科医師)一般に定着するに至っていないとしても研鑽義務が軽減されるものではないと判示されているのである。
医学文献や薬剤添付文書等に記載があれば、たとえ他の歯科医師が修得していなくとも、それらについて修得しておくことが歯科医師の義務であると示されたのであるから、薬剤全般に見られる重篤なショック(アナフィラキシーショック等)についても、研鑽義務が課せられていると考えられるのです。この重篤なショックは急速に気道閉塞等を生じ呼吸困難に陥ったり、急激な血圧低下などをきたす可能性があり、早期の救急処置が必要となります。この病態を予見することは非常に困難であるとされています。
このような研鑽義務について、どのように行うべきかということについては、当時まで何も施策はありませんでした。
起訴後、厚生労働省はこれら判例等から矛盾点を指摘され尚且つ歯科関係者からの意見聴取、また参議院予算委員会での民主党今井・桜井両議員からの質問等を受けて、再考することになったようです。国会質問から約1ヵ月後、新たな通知が出されます。
「歯科医師による救急救命処置及びそのための研修の取り扱いについて」
(2002年4月23日付)
各都道府県衛生担当部(局)長 殿
厚生労働省医政局医事課長 /厚生労働省医政局歯科保健課長 通知
(一部省略)
これらのショック状態が医科の疾患に起因する者と考えられる場合においては、直ちに医師による対応を求める必要があるが、当該歯科医師が、医師が到着するまでの間又は当該患者が救急用自動車で搬出されるまでの間に救急救命処置を行うことは、それが人工呼吸等の一般的な救急救命処置の範囲のものにとどまる限り、医師法に違反するものではない。
また、こうした場合において、気管内挿管や特定の薬剤投与等の高度な救急救命処置を行うことについては、個別の事情に応じ、緊急避難として認められる場合があり得る。
なお、歯科医師が救急救命士に対して指示を行うことは、救急救命士法上想定していないことから認められず、救急救命士が救急救命処置を行うにあたっては、救急救命センター等の医師の指示を受ける必要がある。
2 歯科医師による救急救命処置に関する研修について
歯科医師が、救急救命処置に関する対応能力の向上を図るために医科の診療分野において研修することは、一般的に医師法に違反するものではない。
ただし、当該研修が診療行為を伴う場合においては、診療範囲等に関する法律上の制限が遵守される必要がある。
少し内容が変わってきました。しかしながら、医行為についての解釈は、緊急避難における違法性阻却を根拠としていることは変わりありません。医事課長は「見学で十分」とする考え方の持ち主であり、また医科での麻酔科研修における医行為の法的解釈については説明がつきません。
2002(平成14)年に厚生労働科学特別研究事業で救命救急研修についてのガイドライン策定へと行政側が動き出しました(麻酔科研修に関しては平成13年の厚生科学特別研究により策定し、2003年7月10日にガイドライン通知)。そして、2003年には次のガイドラインが通知されました。この中では、医科における研修方法や、具体的医行為の内容についても規定されるようになりました(問題が表面化した頃からガイドライン策定に向けて動いており、また起訴後には、実質的に救命救急研修の必要性について検討を開始し始め、ガイドライン策定が行われたとみられます)。
「歯科医師の救命救急研修のガイドラインについて」
(2003年9月19日付)
(医政医発第919001号/医政歯発第919001号)
(各都道府県衛生主管部(局)長あて厚生労働省医政局医事課長・厚生労働省医政局歯科保健課長 通知)
(一部抜粋)
Ⅲ 救命救急臨床研修
歯科口腔外科や歯科麻酔科等の歯科医師で、より高度の救命救急研修を望む者が受ける臨床における救命救急の研修をいう。歯科医師免許取得者が一定期間の臨床経験を積んだ後に、救命救急センター等の医科救命救急部門で救命救急分野に関連するより高度な研修を受ける。
(中略)
4 研修方法
1) 研修歯科医師が、歯科及び歯科口腔外科疾患以外の症例に関する医療行為に関与する場合については、別紙1に定める基準に従い、研修指導医又は研修指導補助医が必要な指導・監督を行うことにより、適正を期すこと。
2) 研修実施に当たっては、5に定める事前の知識・技能の評価結果に基づき、必要に応じて別紙1に定める基準よりも厳格な指導・監督を行うなど、患者の安全に万全を期すこと。
このような流れは、本来行政が行うべきことが今まで放置されてきた(所謂不作為と思います)ことが、ようやく制度的に整備されたといえると思います。しかしながら、刑事裁判として起訴された松原医師はどうなったのか?というと、2003年3月に一審判決が出ており、このような流れとは全く違ったものでした。検察側求刑は「罰金6万円」でしたが、これが認められ判決も「罰金6万円」というものでした。この判決後、上記ガイドラインが通知されたことは皮肉でした。行政の壁とは別に、司法の壁が立ちはだかっていました。
現在、松原医師は控訴しており、裁判は継続中です。
次は、一審の裁判について見ていきたいと思います。
市立札幌病院事件1
市立札幌病院事件2
市立札幌病院事件3
市立札幌病院事件4
研鑽義務について判示された福岡地裁判決(1994年12月26日)、概要は次の通り。
一般的に広く用いられていた(医科のほとんどの診療科や歯科など)消炎鎮痛剤を歯科医師が処方したところ、喘息発作を誘発し、その激しい発作によって気管支狭窄を生じ窒息死した。その薬剤を服用した患者は、元来喘息の既往を有していたが、歯科医師は投与する前に十分な確認をしていなかった。また、多くの非ステロイド性酸性消炎鎮痛剤(一般的な多くのものがこれに該当する)が、喘息発作を誘発する可能性がある(アスピリン喘息と呼ばれる)ことについて、この歯科医師は知らなかった。
この事件においては、歯科医師の注意義務違反が認定された。また、判示された研鑽義務については、次の通りである。
「なるほど、上記医師に課せられる義務のうち、研鑽義務については、医療の高度化に伴って医師が極度に専門化しているがために、薬剤の知識について医学の全専門分野でその最先端の知識を修得することが容易なことではなくなっていることは想像に難くないが、いやしくも人の生命および健康を管理するという医師の業務の特殊性と薬剤が人体に与える副作用等の危険性に鑑みれば、上記のような医師の専門化を理由として前記のような研鑽義務が軽減されることはないというべきである。」
また、この研鑽義務は「(筆者注・アスピリン喘息の知識について)福岡市内の開業歯科医師の間では一般的に定着するに至っていたとはいえないなどの事情は当該医師に課せられていた研鑽義務をなんら軽減するものではないことは明らかである」となっている。
以上のように、医師の業務の特殊性と薬剤の人体への危険性を鑑み、また、(多くの歯科医師)一般に定着するに至っていないとしても研鑽義務が軽減されるものではないと判示されているのである。
医学文献や薬剤添付文書等に記載があれば、たとえ他の歯科医師が修得していなくとも、それらについて修得しておくことが歯科医師の義務であると示されたのであるから、薬剤全般に見られる重篤なショック(アナフィラキシーショック等)についても、研鑽義務が課せられていると考えられるのです。この重篤なショックは急速に気道閉塞等を生じ呼吸困難に陥ったり、急激な血圧低下などをきたす可能性があり、早期の救急処置が必要となります。この病態を予見することは非常に困難であるとされています。
このような研鑽義務について、どのように行うべきかということについては、当時まで何も施策はありませんでした。
起訴後、厚生労働省はこれら判例等から矛盾点を指摘され尚且つ歯科関係者からの意見聴取、また参議院予算委員会での民主党今井・桜井両議員からの質問等を受けて、再考することになったようです。国会質問から約1ヵ月後、新たな通知が出されます。
「歯科医師による救急救命処置及びそのための研修の取り扱いについて」
(2002年4月23日付)
各都道府県衛生担当部(局)長 殿
厚生労働省医政局医事課長 /厚生労働省医政局歯科保健課長 通知
(一部省略)
これらのショック状態が医科の疾患に起因する者と考えられる場合においては、直ちに医師による対応を求める必要があるが、当該歯科医師が、医師が到着するまでの間又は当該患者が救急用自動車で搬出されるまでの間に救急救命処置を行うことは、それが人工呼吸等の一般的な救急救命処置の範囲のものにとどまる限り、医師法に違反するものではない。
また、こうした場合において、気管内挿管や特定の薬剤投与等の高度な救急救命処置を行うことについては、個別の事情に応じ、緊急避難として認められる場合があり得る。
なお、歯科医師が救急救命士に対して指示を行うことは、救急救命士法上想定していないことから認められず、救急救命士が救急救命処置を行うにあたっては、救急救命センター等の医師の指示を受ける必要がある。
2 歯科医師による救急救命処置に関する研修について
歯科医師が、救急救命処置に関する対応能力の向上を図るために医科の診療分野において研修することは、一般的に医師法に違反するものではない。
ただし、当該研修が診療行為を伴う場合においては、診療範囲等に関する法律上の制限が遵守される必要がある。
少し内容が変わってきました。しかしながら、医行為についての解釈は、緊急避難における違法性阻却を根拠としていることは変わりありません。医事課長は「見学で十分」とする考え方の持ち主であり、また医科での麻酔科研修における医行為の法的解釈については説明がつきません。
2002(平成14)年に厚生労働科学特別研究事業で救命救急研修についてのガイドライン策定へと行政側が動き出しました(麻酔科研修に関しては平成13年の厚生科学特別研究により策定し、2003年7月10日にガイドライン通知)。そして、2003年には次のガイドラインが通知されました。この中では、医科における研修方法や、具体的医行為の内容についても規定されるようになりました(問題が表面化した頃からガイドライン策定に向けて動いており、また起訴後には、実質的に救命救急研修の必要性について検討を開始し始め、ガイドライン策定が行われたとみられます)。
「歯科医師の救命救急研修のガイドラインについて」
(2003年9月19日付)
(医政医発第919001号/医政歯発第919001号)
(各都道府県衛生主管部(局)長あて厚生労働省医政局医事課長・厚生労働省医政局歯科保健課長 通知)
(一部抜粋)
Ⅲ 救命救急臨床研修
歯科口腔外科や歯科麻酔科等の歯科医師で、より高度の救命救急研修を望む者が受ける臨床における救命救急の研修をいう。歯科医師免許取得者が一定期間の臨床経験を積んだ後に、救命救急センター等の医科救命救急部門で救命救急分野に関連するより高度な研修を受ける。
(中略)
4 研修方法
1) 研修歯科医師が、歯科及び歯科口腔外科疾患以外の症例に関する医療行為に関与する場合については、別紙1に定める基準に従い、研修指導医又は研修指導補助医が必要な指導・監督を行うことにより、適正を期すこと。
2) 研修実施に当たっては、5に定める事前の知識・技能の評価結果に基づき、必要に応じて別紙1に定める基準よりも厳格な指導・監督を行うなど、患者の安全に万全を期すこと。
このような流れは、本来行政が行うべきことが今まで放置されてきた(所謂不作為と思います)ことが、ようやく制度的に整備されたといえると思います。しかしながら、刑事裁判として起訴された松原医師はどうなったのか?というと、2003年3月に一審判決が出ており、このような流れとは全く違ったものでした。検察側求刑は「罰金6万円」でしたが、これが認められ判決も「罰金6万円」というものでした。この判決後、上記ガイドラインが通知されたことは皮肉でした。行政の壁とは別に、司法の壁が立ちはだかっていました。
現在、松原医師は控訴しており、裁判は継続中です。
次は、一審の裁判について見ていきたいと思います。