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国会議論の根本

2005年01月26日 12時57分08秒 | 政治って?
「腰を低くし、協力を求める姿勢を」――昨日の青木参院会長の代表質問で、「基本的姿勢を正せ」と苦言を呈された小泉首相。これは前日の民主党岡田代表の質問に対する答弁の態度を見ても、総理大臣の取るべき態度ではなかったし、青木さんの忠告は「痛いところ」をついたと言えるであろう。


「賛成、反対ではなく、将来の日本、国民、地域のために…議論を尽くすべき」という青木さんの意見には、賛同できる。政府と自民党の衝突は、そう簡単には決着がつかないであろうし、自民党の元郵政大臣野田さんは「党の拘束があっても、造反する」との意向を示したように内部の反対派が相当存在する。


国会討論の本質は、青木さんが述べた通りであり、国会の本来の役割であるのだから、改めて言われることではないはずなのであるが、これが従来の政治に欠けていた姿勢なのである。前にも述べたが、「郵政民営化」という象徴的議題によって、議会政治のあり方そのものが問われていると思うのである。

その意味においては、小泉首相のとった不誠実な態度は非難されるべきである。少なくとも、「国会議員に向かって答弁」しているだけで、小泉さん自身の言葉を待っている「国民への説明」ということがすっぽりと抜け落ちているのである。記者会見で「国会議員たる者、国会と委員会との答弁の違いについて当然認識すべし」という小泉さんの発言は、非常に疑問に感じた。国民は政府の考えを「政治家自身の言葉」として―官僚が考える答弁ということではなく―知りたいからである(施政方針演説では、小泉さん自身の言葉で述べていたからこそ、その気持ちが伝わったと思っている)。

現在は、自分の言葉で意見を述べたり、政策について議論したりできない国会議員が多すぎるのである。前に書いた仙谷さんがいい例だと思う。自分の中で秩序立ててきちんとした考えが纏まっていれば、他人にも説明ができる。ところが、よく理解できていないと、他人に分かり易く説明ができないのである。このことは、知識習得の段階と似ている。他人にうまく説明することができると、最終的に自分の知識として定着・習得されるといえるのである。だから、政策論議で、政治家自身が他の人に上手に説明できないということは、その人自身が自己の中に意見を確立していないと思えるのである。


最近は自民党の若手議員が勉強会を開いたり、公明党も経済政策についての勉強会を専門家を招いて行ったりという動きが出てきている(民主党も一応やっています)が、本来もっと早くから行うべきであり、立候補する時にはある程度の知識と目的・目標を持って公約するのが普通であろう。オールマイティな知識を持てとは言わないが、あまりに政策的無知が多すぎるのである(現法務大臣を見てごらんなさい)。

元来官僚出身者が石を投げたらぶつかるほど大勢いるのであるから、その人達が中心となって行政システムや基本的知識を教えたらよかろう(それとも、教えられるほどの知識も力量もないとでも言うのか?)。そんなことだから、会計検査院長の答弁で「実質的に犯罪の認知は困難」というような答弁を鵜呑みにしてしまうんですよ。

族議員にはなってほしくないが、議論の土台となる程度の専門的知識が必要であるし、また、国民の意見を聞いたり常に問題意識を持つことによって、必要な行政施策が浮かび上がってくるのである。そういう着想は単なる無知であれば浮かんでもこないし、他人の意見について議論もできないのである。今の議員たちが主に出来ることは、選挙区の陳情を聞くだけなのだ。その結果が今までの政治システムに繋がってきたと思うのである。せめて、委員会の委員になるのであれば、その分野については知識を深化させるような努力をして欲しいのだ。それは国会議員としての最低限の義務であろう。


これらが達成されれば、議員自身が「自分の言葉」で議論したり、答弁したり出来るであろうし、純粋に政策についての有意義な検討が進められすであろう。よく分からないが、政治には国民感覚とはかけ離れた政局や寝技などの「大人のテクニック」もあるでしょうが、これは政治屋のする低劣な活動であって本来の議会政治に必要なことではなく、「日本、国民、地域のために議論を尽くす」という根本を決して忘れてはならないのです。