昨日の施政表明に関連していくつか思うところを書いてみたい。
(加筆:竹中大臣は「もはやバブル後ではない」というインパクトのあるフレーズを用いた。「もはや戦後ではない」をなぞらえて・・・この言葉にちなんで記事のタイトルにしました)
小泉内閣の決意は手に取るように分った。「郵政民営化」を必ず成し遂げるということである。自民党内の非難をものともせず、明確な文言を盛り込んだ。決戦を目前にして、明らかな「宣戦布告」を叩きつけた格好だ。ある意味、その気概は「天晴れ」である。生ちょろい改革はしないぞ、骨のある所を見せるぞ、という意志と、族議員・権益死守の官僚・利権集団に真っ向勝負を挑む「勇気」を――蛮勇とも言えるかもしれないが――示したことは確かであろう。
こうした無謀ともいえる政治スタイルが支持されるというのは、本格的改革に挑む政治家が不在であったことを物語っている。到底策士とは言えないし、まともな知恵がある行動とも言えないところがあるが、他の誰かが旧来の体制を打破できたかというと、難しかったかもしれない。普通の感覚ならば、もっと周囲の状況を見たり得策を考慮するからである。そういうまともさがない。「変人」と呼ばれるのもちょっと分る気がする。それ故に、長年続いてきた長老たちの談合政治を少しは変えることができたのかもしれない。
今国会では、郵政民営化関連法案を通せるか否かに内閣の命運がかかっている。本来的には優先事項が社会保障であることは論を待たないし、税制や歳出削減も大いに不満が残る部分でもある。しかしながら、こうした議論も交えながら、財政投融資の資金供給源となっている郵政を切り崩すことは、大きな意味があると思っている。小泉さんや平ちゃんが「肥大化政府の悪の象徴」と見なしている「郵政事業」を本当に切り崩すことが出来たなら、他の大きな改革も可能になるのではなかろうかと別な期待も生じるのである。
これは、族議員やその他抵抗勢力との戦いであると思う。そして、古い政治形態との決別ができるのか、という分岐点でもあると思う。
この問題での議論は、本当の議会政治の実力が問われると思うし、政党の意味や存在価値についても試されるのではないだろうか。私としては、大きな変革が日本には必要であると考えているが、自民党であろうが民主党であろうが実行してくれる人物が登場して、政策として国民に示せるならば、それを支持するであろう。
今朝の日テレでやっていた番組(タイトルは何だったかな?)に出演していた民主党の仙谷さん(政調会長?だったか、弁護士出身らしい)は、他の出演者や塩爺さんなどから質問が出たら、まるでまともな答えができなかった。多分話している本人も何が言いたいのかよく分っていなかっただろう。桂文珍さんにさえ、「困ったな」という顔をされてしまっていた。1人で力説しようとすればするほど、「結局どう考えるのか?論点は何か?」のような明確な問いかけには、きっぱりと答えられないのである。下らない国会答弁を見ているようです。こまごま説明しようとしたり、幾つもの主張を織り交ぜようとしているのか、端的に主張が伝わらない。評論家たちや塩爺さんにさえうまく説明出来ないなら、国民はもっと理解できないでしょう。
隣の人(名前忘れた)に、「民主党は、細かいことを言う前にですね、全体としてどうしていくか、ということを示さなくちゃ・・・」との言葉を遮って、主張に没頭した仙谷さんでしたが、「教育基本法についてもですね・・・」と言いかけた評論家(だったか教授だか?)にも、その人の話を遮って「基本法じゃなく、教育そのものなんですよ!教育をなんとかしなきゃいけない」とまくし立ててみても、言ってることはバカそのもの。「教育をなんとかしなきゃいけない」なんてのは、素人の言うことで、改めてそんなこと言われんでも国民は知っていますから!聞きたいのは「どうしたらよいか」であって、「問題です」ということは分りきっていることなんですから。以前コメンテーターの話を書いたが、まさにそれであった。こんな人が幹部なんですよねー。がっくし・・・
またも民主党、大幅マイナス点でした。がっかりですね。私的支持率さらにダウンです。ここのところ連続ダウンばかりですぞ!自民党に戻ろうかな・・・
もはや――戦後政治ではない、このことを期待しているのであるが、成熟した議会政治と政策重視の議員活動は・・・まだ道のりがはるか遠い。まさか、「もはや・・・手遅れ」なら、国民は泣き崩れるしかないだろう。
(加筆:竹中大臣は「もはやバブル後ではない」というインパクトのあるフレーズを用いた。「もはや戦後ではない」をなぞらえて・・・この言葉にちなんで記事のタイトルにしました)
小泉内閣の決意は手に取るように分った。「郵政民営化」を必ず成し遂げるということである。自民党内の非難をものともせず、明確な文言を盛り込んだ。決戦を目前にして、明らかな「宣戦布告」を叩きつけた格好だ。ある意味、その気概は「天晴れ」である。生ちょろい改革はしないぞ、骨のある所を見せるぞ、という意志と、族議員・権益死守の官僚・利権集団に真っ向勝負を挑む「勇気」を――蛮勇とも言えるかもしれないが――示したことは確かであろう。
こうした無謀ともいえる政治スタイルが支持されるというのは、本格的改革に挑む政治家が不在であったことを物語っている。到底策士とは言えないし、まともな知恵がある行動とも言えないところがあるが、他の誰かが旧来の体制を打破できたかというと、難しかったかもしれない。普通の感覚ならば、もっと周囲の状況を見たり得策を考慮するからである。そういうまともさがない。「変人」と呼ばれるのもちょっと分る気がする。それ故に、長年続いてきた長老たちの談合政治を少しは変えることができたのかもしれない。
今国会では、郵政民営化関連法案を通せるか否かに内閣の命運がかかっている。本来的には優先事項が社会保障であることは論を待たないし、税制や歳出削減も大いに不満が残る部分でもある。しかしながら、こうした議論も交えながら、財政投融資の資金供給源となっている郵政を切り崩すことは、大きな意味があると思っている。小泉さんや平ちゃんが「肥大化政府の悪の象徴」と見なしている「郵政事業」を本当に切り崩すことが出来たなら、他の大きな改革も可能になるのではなかろうかと別な期待も生じるのである。
これは、族議員やその他抵抗勢力との戦いであると思う。そして、古い政治形態との決別ができるのか、という分岐点でもあると思う。
この問題での議論は、本当の議会政治の実力が問われると思うし、政党の意味や存在価値についても試されるのではないだろうか。私としては、大きな変革が日本には必要であると考えているが、自民党であろうが民主党であろうが実行してくれる人物が登場して、政策として国民に示せるならば、それを支持するであろう。
今朝の日テレでやっていた番組(タイトルは何だったかな?)に出演していた民主党の仙谷さん(政調会長?だったか、弁護士出身らしい)は、他の出演者や塩爺さんなどから質問が出たら、まるでまともな答えができなかった。多分話している本人も何が言いたいのかよく分っていなかっただろう。桂文珍さんにさえ、「困ったな」という顔をされてしまっていた。1人で力説しようとすればするほど、「結局どう考えるのか?論点は何か?」のような明確な問いかけには、きっぱりと答えられないのである。下らない国会答弁を見ているようです。こまごま説明しようとしたり、幾つもの主張を織り交ぜようとしているのか、端的に主張が伝わらない。評論家たちや塩爺さんにさえうまく説明出来ないなら、国民はもっと理解できないでしょう。
隣の人(名前忘れた)に、「民主党は、細かいことを言う前にですね、全体としてどうしていくか、ということを示さなくちゃ・・・」との言葉を遮って、主張に没頭した仙谷さんでしたが、「教育基本法についてもですね・・・」と言いかけた評論家(だったか教授だか?)にも、その人の話を遮って「基本法じゃなく、教育そのものなんですよ!教育をなんとかしなきゃいけない」とまくし立ててみても、言ってることはバカそのもの。「教育をなんとかしなきゃいけない」なんてのは、素人の言うことで、改めてそんなこと言われんでも国民は知っていますから!聞きたいのは「どうしたらよいか」であって、「問題です」ということは分りきっていることなんですから。以前コメンテーターの話を書いたが、まさにそれであった。こんな人が幹部なんですよねー。がっくし・・・
またも民主党、大幅マイナス点でした。がっかりですね。私的支持率さらにダウンです。ここのところ連続ダウンばかりですぞ!自民党に戻ろうかな・・・
もはや――戦後政治ではない、このことを期待しているのであるが、成熟した議会政治と政策重視の議員活動は・・・まだ道のりがはるか遠い。まさか、「もはや・・・手遅れ」なら、国民は泣き崩れるしかないだろう。