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教育を考える2

2005年01月21日 12時00分31秒 | 教育問題
ゆとり教育批判を受け、「総合学習」(tomberさんが記事に書いておられますので参照して下さい。総合学習の時間を削減するのはまだ早い)の見直しや国語の読解力や算数の基本的計算能力について時間を増やす方向で検討するということのようです。国際比較については「結果に一喜一憂すべきではない」ということはとは確かかもしれませんが、現状の方法で続けることがよいということにもならないでしょう(私の参考記事:「ゆとり教育」は何を教育したか)。



かなり昔、私が学生の時、家庭教師や塾の教師のバイトをしていたことがあります。その時、「これは困ったな」ということが何度かありました。昔の話ですから、当てにはなりませんが、この体験について考えるところがあったので、その話をしてみたいと思います。



中学3年 男子の場合

一人っ子の彼(仮に名前を翼とします)の家がお店を営んでいたので、両親とも忙しく朝から晩まで自宅と隣あった店で働いていた。翼は将来家業を継ぐというつもりであり、時々手伝ったりしてはいたが、本格的に親から仕事を教わっていたわけではない。両親の希望は「高校に入ることが出来れば、それでいいんです」ということで、大学とかは考えていなかった。本人も「高校は卒業したい」ということであった。それほど裕福ではなく、塾には殆ど通ったことがない、ということで、家庭教師に全てを賭けているという様子だった。

翼の学力は非常に厳しいものであった。5教科で一番良いのが国語であったが、100点満点で20~30点くらい。数学・理科・社会は概ね10点くらいであった。一番悪かったのは英語で、常に一桁であった。正解するのは記号問題のみで、書く問題は不正解であった(というか、単語がまともに書けているものはなかった)。

志望校を私立の3教科しかない高校を選ぶことにした。家庭教師を頼まれたのは9月で、試験は2月くらいだったように思う。あまり時間がないので、兎に角「合格する」ということだけを優先することにした。「勉強が楽しい」とか、「覚える意味」とかなどにかまけている暇は無かった。

数学と英語をとりあえず何とかしなくちゃならない。幾つか問題をやらせてみた。数学は単純な文字式の計算問題、英語は発音と簡単な作文(「私は日本人です」みたいな)。じっと見つめていたら、何かを書いたりして、やっているような仕草を見せるのであるが、まるで何を書いているのか不明であり、答えはいつまで待っていても出てこなかった。そこで、もっと純粋に問題を簡単にした。分数と少数の計算問題と、アルファベットの大文字・小文字を全部書くように指示した・・・予想通りどちらも出来なかった。

翼に「今まで授業中はどうしていたの?」と尋ねたら、「何となく座って聞いていた」ということであった。「解らないと辛くなかった?」と聞くと、「退屈で、辛かった」と答えた。彼はとても素直で、不真面目ではないのであるが、何故か勉強が嫌いであり、将来家業を継ぐから勉強は必要ないという考えが少しあったのかもしれない。翼との会話の中から、小学校や中学の今までの生活や勉強の考え方がちょっと理解できた。当面の目標を英語はアルファベットを全部書けるようにすること(Fくらいまでしか書けなかった!小文字は全滅!!)、数学は分数・小数を出来るようにすること、であった。中学3年でもそこから始めることになったのである。宿題を出し、ひたすら練習させた。反復以外になかった。

その後、数学は彼が言うには「好き」になったらしく、分数・小数が計算出来るようになると、先へ進むことが出来た。実力テストみたいなのがあって、数学の伸びが一番であった。覚える量が少なく済むので、やり方さえ身に着けば点数になって顕れた。英語は苦戦に違いはなかったが、これまで4点とかだったのが、2桁になった。翼と私は、一緒に喜んだ。初めての2桁だったからです。しかも、記号問題以外で正解したのは、初めてだったからです。

翼はなんとか高校に合格できました。もちろんレベルが高い学校というわけではありませんから、「たいしたことないよ」と言われるかもしれません。確かにそうです。誰でもできるレベルのことが出来ないというだけなのですから。しかし、中学3年の秋の時点で、アルファベットが書けないとか、分数・小数の計算が出来ない子が存在するという驚くべき事実がありました。翼は、努力してそれを少し改善することが出来ました。彼はとてもいい奴だったので、本当に合格出来てよかったと思いました。高校卒業後、彼は家業を継ぎました。




基本的な昔で言うところの「読み、書き、算盤」は特訓すれば、だんだん出来るようになり、次へ進めます。ところが、学校でこれをやってもらうということになると、現状では無理があります。塾に通うほどの余裕があるわけではない人々もたくさんいます。家庭教育で、ある程度カバーしないとダメだということも理解できます。こんな状態になるまで放置することに問題があったと言えますが、小学校でつまずいてしまっても強制的に卒業させられてしまうので、そこまでバックして勉強することはなかなか出来ません。自分で克服するか、「全員出来る」という前提に基づく中学の勉強を、わけも解らずただ聞いているふりをするかしかないのです。

底辺を見てもきりがないよ、というご意見もあるでしょう。確かに、このような生徒がそれほど多くは存在しないと思います。大半は、もっと一杯勉強しているし、学校の勉強についていけると思います。ですが、極端な話で言いますと、基準となるレベルをもう少し上げて設定しますと、やはり同様の現象が見て取れます。解らないまま次へ進まざるを得ない子供たちが多く存在するということです。この辺をどう考えるのか、ということです。


対策として、教科ごとに級を設定するという方法があります。国語8級とか算数5級とかです。これによって、子供の到達度が測りやすくなると思います。この級別にクラスを編成して授業を行うことが出来ないでしょうか。5年生と4年生と3年生が同じクラスでは、やっぱり問題がありますか?算数5級で同じなら、いいような気がするのですが。勿論、年長の生徒は恥ずかしさもあるかもしれませんし、年の違う子供たちに対してどの程度うまく授業を行えるかわかりません。でも、能力が違うということを素直に受け止めると、可能な感じもします。昔のそろばん塾も、年齢が違う子供たちが雑多に同じ教室でやっていたように思います。


年に3~4回昇級試験とか、級位認定試験みたいなのを行うことにしてみては?この試験によって、全国の統一的な判断基準が得られます。どのくらいの子供たち(単なるクラス平均点とかではなくて)が、どこら辺まで到達しているかもわかり易くなるでしょう。子供たちは、次の級位を目標に努力します。級位(クラス)がアップするのは、ゲームでいう“レベルアップ”とか“キャラのクラスチェンジ”みたいな感覚で、分かり易いと思うんだけどなー。


子供たちの理解度によって、授業内容の難易度が変えられますから、今までの点数分布で半分以下に入っていた子供達でも「これは出来る」という部分を増やせると思うし、すごく出来る子供はどんどん先に進むことが可能になります。修学旅行とか運動会とかの学校行事は従来通りのクラス単位でいいと思いますが、勉強は少し変えてみてもいいように思います。小学校の初めのうちは差が少なく、学年が上がっていくに従い、級位にばらつきができてくるでしょう。卒業までに課す最低条件(全科目5級まで、とか、全教科合計20級必要で最低科目が8級以上みたいな)を決めて厳しく取り組んでもらうようにします。このような基準設定は各学年進級時でもいいのですが。


これなら、振り切られることはありませんし、翼君のような事態はなくなると思いますが、差別化が今まで以上に明確になるわけで、反対意見もあるかもしれません。また、以前の記事に書いた(続・「ゆとり教育」は何を教育したか)、所謂勉強以外の科目(生け花とか木工作業とか・・・)も級を振り分けて、勉強苦手な子の級数の足しにします。「オレは算数苦手だけど、機械工作が3級だよ」という自信になるかも?しれませんし。これは、それぞれ参加者が少ないと思いますので、工夫が必要かもしれません。小学校に必要かどうかも分りません(選択可能としても高学年でしょう)。子供自身にとって、点数が零点に限りなく近いものをやるより、級位レベルが低くても実のある内容や試験の方が、いいような気がするんですが・・・みんなと同じ試験の点数で明確に(零点に近い低い点数ということ)自信を奪うのと、級位レベルで明確になるのでは、自信に違いがあるでしょうか?よくわかりません。


この方式は、先に進める子には非常に有利に作用するかもしれませんが、単に獲得級位レベルが高いことが人物評価の全てではないことは、きっと実社会の中で証明されるでしょう。また、本当の基礎中の基礎だけは出来るようになるまで反復されますから、点数分布での底辺に存在した子供たちには大きな意味があると思いますし、底上げには繋がると思うのですが。


教育改革はまだ検討段階でしょうから、今後どのような方策が打ち出されるが、見て行きたいと思います。