教育基本法の改正案が出されました。将来にわたる日本の重要な資源は、人です。人的資源が大切です。その意味においては、教育は重要課題でしょう。
現在の問題点は、何度も議論されてきましたが、ゆとり教育への世間の非難とニートに代表される若年世代の問題です。今回の教育基本法改正に当たっては、これらに配慮した内容ということのようです。
戦後ある種のアレルギー反応とも言うべき、国旗・国歌拒否や愛国心への拒絶が見られたように思います。現在のお上が醸し出すナショナリズム復活傾向が必ずしも良いとは思いませんが、少なくとも、礼節や愛国心は必要と思うし、行き過ぎた個人主義や誤った自由の謳歌は改められる必要があると思います。こうした傾向は、今まで大人たちが作り上げたことは間違いなく、小さな集団が崩壊していったことが一つの要因かもしれません。
家庭という最小単位の中でさえ、うまくいかないことが多くなったように思います。それは、家族の殺害のような現象に見られると思います。昔もありましたが、今よりはるかに珍しかったと思います。親は自分の子供にどうしてよいのか分らず、当事者同士では解決ができないような事態が起こってきています。また、親が子供の養育を放棄したり虐待したりというようなことも少なくありません。家族関係さえ崩壊の危機にあるのが現状なのです。
大都市部では、小さな地域社会に互いの不干渉が浸透し、各家庭は孤立したような状態となることも珍しくないでしょう。親は育児の面で誰にも頼れないとか、どうしたらよいのか誰にも相談できないといった状況になっているのかもしれません。そのしわ寄せが学校に出てくる、ということもあるのでは?学校は家庭の代わりは出来ません。本来、家庭教育は各家庭で行うしかないのです。非常に希薄な人間関係となった地域社会は、困っている家庭の手助けをしたり支えができなくなっています。子供は家庭内でも地域社会でも孤立しつつあるのではないでしょうか。
一方、薄汚い欲望に駆られて行動する大人たちが存在することも事実で、安心できる大人や信頼できる大人が少なくなったと感じます。殺人などの犯罪を犯す高齢者が珍しくなくなってきました。社会的に信頼できると思われていた、教師や警察官などもわいせつ行為やその他犯罪が毎日のように報道されているように思います。他人を簡単に信用できなくなっているのが、今の世の中です。このような世の中を作り上げたのは、他ならぬ私たち大人です。
それでも、心優しき善良な人々は、まだたくさんいるはずです。非常に小さな単位から、再生していくほかないと思います。地域社会が復活すれば、犯罪抑止にも繋がるでしょう。防災訓練とか町内会の清掃行事とか、何でもよいのですが、地域の人間関係をつくることができるよう努力するしかないでしょう。そうした取り組みは今までもありましたが、各自治体は一層の努力と工夫が必要であると思います。
メールやインターネットが便利になって、人間は疑心暗鬼が強くなったのでしょうか。他人に猜疑心を抱くことが多くなったのでしょうか。よくわかりません。また、所謂ケータイ世代ではコミュニケーション能力の低下が起こっているのでしょうか。一概には言えませんが、若年層には、私には理解できないような「大きな変化」があったのであろうと思うのです。その正体が何か?と問われても、明確には答えられないのですが、漠然と思うのは・・・実体験の減少と信頼の欠如、かなと思います。何かに真剣に取り組めた人はそうでもないかもしれませんが、学生時代に何も見つけられなかった人は、そういうことが起こるのかな?
最も重要な仕事は、「人を育てること」と何かで読んだように思います。まさしく、そうだなと思います。わが子もそうですが、仕事上の部下にしてもそうですね(「金を残すは下、仕事を残すは中、人を残すは上」だったかな?ちょっと、よく覚えていません、ごめんなさい)。
日本の唯一にして最大の資源――「人物」を育てられたら、私の存在価値があったと言えるのかもしれませんね。

現在の問題点は、何度も議論されてきましたが、ゆとり教育への世間の非難とニートに代表される若年世代の問題です。今回の教育基本法改正に当たっては、これらに配慮した内容ということのようです。
戦後ある種のアレルギー反応とも言うべき、国旗・国歌拒否や愛国心への拒絶が見られたように思います。現在のお上が醸し出すナショナリズム復活傾向が必ずしも良いとは思いませんが、少なくとも、礼節や愛国心は必要と思うし、行き過ぎた個人主義や誤った自由の謳歌は改められる必要があると思います。こうした傾向は、今まで大人たちが作り上げたことは間違いなく、小さな集団が崩壊していったことが一つの要因かもしれません。
家庭という最小単位の中でさえ、うまくいかないことが多くなったように思います。それは、家族の殺害のような現象に見られると思います。昔もありましたが、今よりはるかに珍しかったと思います。親は自分の子供にどうしてよいのか分らず、当事者同士では解決ができないような事態が起こってきています。また、親が子供の養育を放棄したり虐待したりというようなことも少なくありません。家族関係さえ崩壊の危機にあるのが現状なのです。
大都市部では、小さな地域社会に互いの不干渉が浸透し、各家庭は孤立したような状態となることも珍しくないでしょう。親は育児の面で誰にも頼れないとか、どうしたらよいのか誰にも相談できないといった状況になっているのかもしれません。そのしわ寄せが学校に出てくる、ということもあるのでは?学校は家庭の代わりは出来ません。本来、家庭教育は各家庭で行うしかないのです。非常に希薄な人間関係となった地域社会は、困っている家庭の手助けをしたり支えができなくなっています。子供は家庭内でも地域社会でも孤立しつつあるのではないでしょうか。
一方、薄汚い欲望に駆られて行動する大人たちが存在することも事実で、安心できる大人や信頼できる大人が少なくなったと感じます。殺人などの犯罪を犯す高齢者が珍しくなくなってきました。社会的に信頼できると思われていた、教師や警察官などもわいせつ行為やその他犯罪が毎日のように報道されているように思います。他人を簡単に信用できなくなっているのが、今の世の中です。このような世の中を作り上げたのは、他ならぬ私たち大人です。
それでも、心優しき善良な人々は、まだたくさんいるはずです。非常に小さな単位から、再生していくほかないと思います。地域社会が復活すれば、犯罪抑止にも繋がるでしょう。防災訓練とか町内会の清掃行事とか、何でもよいのですが、地域の人間関係をつくることができるよう努力するしかないでしょう。そうした取り組みは今までもありましたが、各自治体は一層の努力と工夫が必要であると思います。
メールやインターネットが便利になって、人間は疑心暗鬼が強くなったのでしょうか。他人に猜疑心を抱くことが多くなったのでしょうか。よくわかりません。また、所謂ケータイ世代ではコミュニケーション能力の低下が起こっているのでしょうか。一概には言えませんが、若年層には、私には理解できないような「大きな変化」があったのであろうと思うのです。その正体が何か?と問われても、明確には答えられないのですが、漠然と思うのは・・・実体験の減少と信頼の欠如、かなと思います。何かに真剣に取り組めた人はそうでもないかもしれませんが、学生時代に何も見つけられなかった人は、そういうことが起こるのかな?
最も重要な仕事は、「人を育てること」と何かで読んだように思います。まさしく、そうだなと思います。わが子もそうですが、仕事上の部下にしてもそうですね(「金を残すは下、仕事を残すは中、人を残すは上」だったかな?ちょっと、よく覚えていません、ごめんなさい)。
日本の唯一にして最大の資源――「人物」を育てられたら、私の存在価値があったと言えるのかもしれませんね。
