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郵貯上限超過の常態化

2005年06月01日 17時19分34秒 | 社会全般
ある所にはある、というのが金融資産でしょうか。日本全国、金融庁の厳しい検査・指導を受けない郵便局は、個人資産の隠れ蓑にしやすい隠し口座天国ということでしょうか?これも社会保障番号とか納税者番号があれば、楽々追跡出来てしまうのでしょうけれども。旧郵政省は野放し行政であったということでしょうか。民間金融機関が預金集めに苦しむのを横目に、他よりも高いお約束金利でたくさん集めていたのでしょうね。国の保障というのは信用があるし、甘い審査が追跡逃れには適していたということなのかな?

Yahoo!ニュース - 読売新聞 - 郵貯限度額230万人超過、違反が常態化

以下に一部抜粋します。


郵便貯金で1人あたり1000万円となっている預け入れ限度額を超えている貯金者が、最大で約230万人にのぼっていることが31日、日本郵政公社の調査で明らかになった。

限度額を超えた貯金の残高は、超過分だけで合計約2兆5000億円に達する。郵政公社は、複数の口座に分散している貯金者の貯金を集めて残高を確定させる「名寄せ」の作業を進め、来年3月末までに超過を一掃する方針だ。「小口金融」が建前の郵貯で限度額オーバーが横行していたことは、郵政民営化に伴う郵貯の業務拡大などと絡み、民業圧迫批判の火種ともなりそうだ。

公社は当初、定額貯金、定期貯金、大口の通常貯金の貯金者に限って貯金残高を調べ、2004年2月末現在で、限度額を超えた貯金者を約11万7000人、超過額の合計は3178億円と把握した。その後、全口座で限度額のチェックが可能な新システムを稼働させて調べたところ、貯金者数で20倍近く、超過額も8倍近くに膨らんだ。超過分は郵貯残高(213兆円、4月末)の1%程度だが、限度額の違反が常態化していることが裏付けられた形だ。


まあこれは予想される事態でしょうね。
公社がなぜこの確認作業に取り掛かったのか不明ではありますが(笑)。230万人全部が上限超過とも言えないでしょうが、今後是正されていくでしょう。

参考記事:
郵政民営化の考察10

民間金融機関は大喜びか、と思いきや、そうでもないかも。国債を買われて保管された方が利息収入は増える訳だし。強制的に国債買ってあげた方が、貯金者にも財務省にも喜んでもらえるでしょ(笑)。でも、移してもらえると期待する中小の金融機関(特に田舎の信金・信組とか、かな・・・)は残念がるだろうね。



もんじゅと住基ネットと行政裁判

2005年06月01日 14時29分04秒 | 法関係
もんじゅ判決は、波紋を呼んだ。最高裁での逆転判決であり、行政の安全審査についてどの程度のレベルが求められるのか、ということの判断をしたのだと思う。2審の高裁判決は、原子力関連の行政訴訟で住民側の連続敗訴を変えた唯一の判決であったが、再び行政側の勝訴となった。過去の判例がどうなのか、というのは確かに重要なのだと思うが、20年もかかったことに加えて、当時の状況と今の状況では変わってしまったし、ましてやもんじゅは95年のナトリウム漏れ事故を起こして以来停止したままで10年も経過してしまっていたのであり、そうした事態を知らなかった時の判例を現時点に適用するのが果たして合理的なのか疑問に思う。


勿論、法学的な専門的立場では、色々な意見があるのでしょうけれども、法の解釈や適用というものが絶対的ではないことを思えば、時代によって求められる安全基準は異なっても不思議ではないように思える。医薬品や医療技術の求められる安全レベルにしても、時代によって新たな知見や技術が加わることで当然高い水準が求められることは確かであるから、同じように考えると行政側に求められる安全審査水準はハードルが高くなっても当然であると思う。原子力施設の安全設計というのは元来多重構造になっており、事故発生を防ぐ安全対策が幾重にも施されているが、現実には事故が起こってしまった。それが、スリーマイル島とチェルノブイリの事故であった。


スリーマイル島の事故は、当時の安全審査では「10億年に1回」という確率でしか起こりえないとされたことが、現実には起こったのだ。また、チェルノブイリでは、幾つものヒューマンエラーが重なり、安全対策は無効となってしまった。そうした過去の事例を踏まえながら、日本の原子力施設は設計・工事され、安全対策が講じられたとは思うが、それでもやはり、もんじゅのナトリウム漏れが起こってしまった。原子炉の形式なども異なるし、一概に比較などできないが、安全審査基準が妥当なのかどうか、ということだけ考えてみても、行政の責任が果たされてきたのかは疑問である。もしも万全と言える施設ならば、そもそももんじゅの事故は起こらなかったのではないか?事故が起こる時には、通常事前に専門家達が考える「想定内」の出来事ではないことが起こるのである。原子力施設という、万が一にも事故が発生した場合の甚大被害を考慮すれば、十分なまでの慎重さが求められることは当然であると思う。また、細部に渡る安全基準の責任を行政が負わなければ、一体誰がこの責任を負うのであろうか。


その意味では、今回の最高裁判決はそうした「基準の甘さ」というものには触れずに、”用意された専門家”の判断基準をもって「適法」としたことは、大いに疑問が残る。最高裁の「行政寄り」と言われてしまう所以は、こういうところにあるように思う。10年も放置されている高速増殖炉に求められる基準ということについて、具体的な「危険性」「重大事故可能性」という部分への認定が行われるべきであり、行政に求める「クリアすべき基準」というものについても判断を示しておくのが住民側に立った判決なのではないか。私には法的判断の是非について述べられるほどの知識もないのであるが、司法が行政への踏み込んだ判断をしてくれることも必要であると思っている。今後の課題は原子力行政の見直しであり、高速増殖炉自体の存在が本当に必要なのかは、広く国民の議論・判断をする必要がある。現状では、原子力行政への国民の信頼は乏しいと言わざるを得ない。諸外国では欧州を中心に高速増殖炉建設中止が相次いでおり、日本でも昔の政策決定当時と現状の認識は一致しているとも言えず、もんじゅ運転再開が妥当なものなのか、私には疑問である。



これとは別に、住基ネット裁判では、全く逆の判決が2つ出た。個人情報への判断が分かれたのだと思うが、これからの社会の形を考えるに、ネットワーク社会への参加を全く拒否することは難しいのではないだろうか。勿論個人が自由意志でネットワークへの不参加を決めるということは有り得なくはないと思うが、昔みたいに戸籍謄本台帳みたいなのを作って、不参加の人達の為だけに分厚い電話帳みたいなのをいくつも管理するというのは、非効率的であるし、検索する時の手間も大変である。「住民票をお願いします」と言って役所に行くと、ぱらぱらと台帳をめくって探し出し、コピーして公印を押し、発行するという面倒があるんじゃないだろうか。でも、電子データならば、時間も手間も省けるのである。離脱する人達だけ管理費を上乗せして別途徴収することにでもしない限り、非効率を続ける意味はない。


住基ネットは政策決定に当たって、当時のIT業界育成といった側面はあっただろうし、官公庁からの受注で急速に業績拡大が出来たということもあっただろう。また、将来像というのはe-japanに代表されるようなものがあったのだろうが、現実の政策として住基ネットに付加していくものが追いついていかなかったということがあると思う。私の提案は、前から述べているように、社会保障番号と納税者番号を搭載するというもので、これは住基ネットのようなネットワークを利用する以外にないと思っている。こうした管理は、行政システムの効率化には必要であると考えているからである。


例えば、大きな大学病院のようなところに行けば、個人情報は電子化され磁気カードの診察券となり、各診療科、各種検査、処方箋発行、会計などで統合的に用いられており(多分そうだと思う、高齢者が複数科を受診しても一体処理されていて、受付もATMみたいな機械で自分で出来るし)、この院内LANと全国的なネットワークはシステムとしては違うが、情報の扱われ方としては似ており、まさかそこに行った時に「自分の情報だけLANに載せないで下さい」とも言えまい。個人情報の管理についての選択権が各個人にあるとしても、情報の管理・運用段階で余程の過失がなければ業務遂行の為に利用されることは許容されるべきである。もしも、ネットワークでの個人情報管理を拒否するならば、個人がそういった情報の使われ方を全くされない場所のみを利用する以外にない。そういう個人の為に、行政に非効率なアナログ部分を多く残した場合、そのコストを誰が負担するのか、という問題も議論されるべきかもしれない。


いずれにしても、行政裁判(全ての裁判でそうなのかもしれないが)における法解釈というものは、判断が全く分かれてしまうような曖昧なものなのであり、国民自らが判決に関心を寄せることが重要であるということだろう。


参考記事:

公共事業は誰の為にあるか
社会保障番号の導入
新社会保障の重要因子2
電子マネーは紙幣を殺すのか?(笑)