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遂にキャップ・・・と勝手に「クール・ビズ」ベスト選出

2005年06月02日 22時29分14秒 | 政治って?
社会保障給付の総額管理は非常に困難であると何度も書いたのだが、経済財政諮問会議で導入がほぼ決まった。ベンチマークとしては、GDPを修正した高齢化GDPだそうだ。何ということか。今後は、病気になっても、金持ちは受診できるが、貧乏人は受診するな、ということになっていくだろう。医療機関の、患者選別の時代がやってくるだろう、アメリカみたいに。
キャップ制は無理だろー?


今日のNIKKEI NETより、以下に一部抜粋。

会議では民間議員が経済成長に高齢者増加数などを加味した「高齢化修正GDP(国内総生産)」などを活用して給付費の伸びを管理する仕組みを改めて提案。尾辻秀久厚労相は「医療費の伸びは医療の高度化などで左右され、経済成長率と連動しない」と反対したが、竹中平蔵経済財政担当相が議論を引き取る形で導入の方向を決めた。



結局のところ、どこの部分にメスを入れるのか、ということであったと思う。年金は世の中の高齢者全体的にお金をバラ撒く。医療費は必要な人だけが専ら使うことが多いが、高齢になれば多かれ少なかれお世話になることが多い。その何処に照準を合わせるのか、ということになるだろう。私は年金一元化を行い、給付水準の調整を主として行う方が、年金の財源に将来悩まされることがないので、その方がよいと考えた。医療関係費は、医療改革によって費用構造の改革を行い、患者サイドにはそうした制度のしわ寄せが行かないように配慮するのが望ましいと思った。勿論自己負担はあるので、利用者負担の原則は従来と同じである。


だが、総額管理制度になれば、一定額までしか公的給付は貰えないので、それ以外は自己負担増で賄う他ない。しかも、旧来の公的機関の病院などのような、大量の補助金を貰っていながら利益の出ない高コスト体質の病院を受診したりすれば、自己負担金は跳ね上がるに違いない。補助金がいつまで入れられるのかは知らないが、もし続いているなら国民からの税金として投入された上に、患者自己負担でも増やされる結果となってしまうだろう。そうでなければ病院を運営できないからだ。日本の医療費構造の改革を行わなければ、医療費が増えていけばいくほど、国民だけが不利益を被ることになるだろう。


経済財政諮問会議に喝!。まず、やるべき順序が違う。年金改革をやれっての。次に医療制度改革だろう?厚生労働省も何で反論できるメルクマールみたいなのを用意できなかったんだよ。高齢化GDPに対抗できるのが見つけられなかったのかよ!まあ、今までトンデモない社会保障行政を行ってきたからさ。厚労官僚諸君、君達の無駄労力は全くの意味がなかったってこと。どうせ、つまらん資料とか作ったんだろうよ。

社会保障再構築

ショックだったが、もう、いい。決まっちゃったし。尾辻臨時議員は、退場だ。


関係ないが、「クール ビズ」初日の個人的ベストドレッサーを選びたい。


まず、小泉さん。全くの予想通り。選外。

平ちゃん。なで肩系とか立派な体型じゃないと、ジャケット着た方がいいですよね。
分りますよ、私も。センス良い、特に胸ポケット。

谷垣君、シャツデザイン選びはよかった、意外に健闘。
しかし、ボタン一番上までしていて、いまいち着こなしセンスない。

番外編で、大健闘だったのが、大野さん。割と似合っていた。
しかもダイエットまで頑張ったらしい。エライ!

中川君、普通。ちょっと自信アリ風だったのがイヤだ。ナルシスト系?選外。

細田さん、この前言った通り(麻生大臣の戦い)。スーツない方がいい。
でも、いつも笑っていてほしい。

ベストは、麻生君。最も決まっていた。カッコよすぎ。特に襟が立っていたところ。
そして、いかにも「その筋のお方」みたいな感じが凄すぎです。
自然にしていて、あの風格が出せるのは凄い。
万が一あの姿で、ゴルフ場で会った場合、どう見ても「今日はどこかの親分さんが・・・」とビビること間違いなし!(笑)
決して貶してはいませんよ。本当に似合っていましたって。本当ですよ。


そして、ある法則を発見。
自然に「クール ビズ」スタイルに馴染める議員さんは、改革推進派で、守旧勢力とは違うので、すんなりネクタイやスーツと離れられる。現閣僚や執行部の皆さんなど・・・ですね。武部幹事長も、微妙にネクタイ持参していたけれど、セーフ。改革派の一派であることを証明。ギリギリが、片山の寅ちゃん。ネクタイはずして、白ワイシャツのみになる。これ、なんとか抵抗勢力ではない証明。


ところが、ワタヌキ殿は、「ワシャ、なんも聞いとらん。する必要なし」と受け入れず。ほらね、抵抗勢力は「クール ビズ」スタイルが素直に出来ない人達なのさ。昔の形にばかりしがみついて、離れなれないし自己変革が出来ない表れだよ、きっと。亀ちゃんもそうだったでしょ?抵抗勢力はだいたいそうなのさ。え?ロボ岡田君も?抵抗勢力なんだよ、きっと。民営化法案廃案に持ち込むとか言ってるし。ほりえもんに理解のあった人たちは(諮問会議の民間議員さん達とか)、サクッとネクタイなしでもOKだろうが、「礼儀知らずだな」とか非難していた人達は、ひょっとしてスーツから離れられないんじゃ・・・

やっぱり、この法則は当たっているんじゃない?どうかな?


タイトル無駄に長かったな・・・スミマセン。


格差社会8

2005年06月02日 20時07分19秒 | 社会全般
結婚格差とまで言われるようになってしまったのでしょうか。出生率低下原因は、およそ若年者の出産が減少していることによる、ということのようで、晩婚化が一つの要因になっているようである。対策がなければ、今後もこの傾向が続く可能性があるだろう。特にフリーターの結婚率が正社員の半分に留まるということで、経済的基盤がないために結婚できない、というのが実情のようです。

出生数が最低111万人…2004年 : ニュース : 医療と介護 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

先月30日付の読売新聞の記事には、ニートとフリーターの問題が出ておりました。今日も出生率の問題と併せて、フリーターのことが取り上げられました。このような若年者の問題は、社会問題化してしまっており、本当に解決策を考えなければ、歯止めがかからないのではないか、と危惧されます。


なぜ結婚できないか、というと、乱暴に言えば「お金がないから」ということになります。国民生活白書で見ても、97年と02年では、「自由に使えるお金が減るから」というのが約17%(約30→47%)増加しており、これだけで1.5倍増の理由ということになります。お金がないので、親との同居関係を続けてしまう、ということも多いようです。お金がないのは、正社員として採用されず非正規雇用ということで収入が少ないことによる、ということになります。

先日の報道にもあったように、新卒の正規雇用はバブル期なみの水準ということで、改善されてはきていますが、現状既にフリーターとかニートの方々はちょっと状況が異なるかもしれません。内閣府の統計(読売新聞の記事から見ました)では、ニートの数が02年には84.7万人となっており、このうち就職を希望しない人の数は約42万人で92年当時(約41万人)の水準と変わっていません。これは、おそらく昔から存在する、お金持ちのお嬢様とかがなれる「家事手伝い」という働く必要性もないような人達が多く含まれるということだと思います。

一方、就職を希望する人は、42.6万人で十年前の25.7万人を大きく上回っております。この群について見ると、約3割が病気・怪我、介護や育児と言う理由で就業の為の活動をしないとしておりますが、残りの7割(約30万人)は仕事が出来る環境でありながら、就業活動をしていない、ということになります。また、この内の約19万人が「仕事が見つからなかった」「希望する仕事がない」「自信がない」「急いで就業する必要がない」という理由であり、こういった人達への支援策は色々な形で必要になるでしょう。居住地域の景気動向にも影響されているかもしれません。地方で仕事が中々見つけられないということもあるのかもしれませんね。

それでも、ニートに比べれば圧倒的にフリーターの人数の方が多い(30日の記事中にある国民生活白書のデータでは01年に417万人で、多分非正規雇用者が全部含まれるのかな?今日の記事にある厚生労働省のデータでは03年に217万人となっており、全然違うので定義が異なっているのだと思います)ので、社会的・経済的な影響を考慮すればフリーターの数の削減の方が効果的ということになります。


雇用主側から見た労働力の確保について考えてみましょう。例えば、居酒屋があるとして、そこの従業員の構成を考えてみます。店長とホール1人(店長休みの時の交代要員)、厨房のコック(調理師免許保有者)3人だけは正社員として雇用し、残りはフリーターを集めて訓練すれば営業できるかもしれませんね。この事業所で厚生年金と健康保険加入者は5人、残りが20人位のバイトさんだとして、年金と健康保険未加入でOKということになります。これに雇用保険を併せると、社会保険のある人達は単純に人件費が15%増し位になりますが、バイトの人の1人当たり週労働時間が20時間以内となるようなシフトにしておけば、このバイト達の社会保険料は労災保険のみにできます。労働力を確保する時に有利にする為には、このように責任者以外には正社員を減らすことであり、1人の正社員と同じ時間確保できる2人のバイトがいれば、その方が賃金ははるかに少なくできますね。年収ベースで見れば、同じ年齢の人を雇用するとしても、正社員1人に対してフリーターなら3人雇用できます。これが今のフリーターの、最も基本的な雇用原理ではないかと思います。これは雇用側の都合によるもので、このような形でも十分労働力が供給される(求人募集を載せれば、すぐに手当てがつく)ことも、逆にマイナスに作用しています。条件のよい正社員で募集しなくとも、人員が簡単に集まってしまうということです。


この現象の不利を被っているのは、結婚後子育てが一段落したような女性労働者についても同じですね。キャリアが途中で途切れると、一気に安い賃金でのパート労働(フリーターと同じ不正規雇用)で、中途半端に稼げず(「社会保険料の壁」があって、夫の扶養から抜けると実質収入が増えるほどの収入もない)、かといって正社員で働ける程の実力もない(仕事から何年も離れると、時代は進んでいってしまいます)と、給料のいい仕事が見つからない、というような面もあるかもしれない。このように考えると、非正規雇用者たちの社会保険を企業側にカバーする義務がない(むしろワザと逃れる、と言うべきかもしれない)ことによって、労働市場が歪んだ形になっているわけです。これがそもそもの問題であり、企業の人件費抑制策の落とし穴にみんな嵌まっているかもしれません。


今後、人口減少社会へ向けて、女性や高齢者の就業率を高くしていく必要があるのですから、雇用形態に係わらず企業はその社会保障について応分の負担をするべきであり、時間短縮や非正規とか正規雇用によるべきではない、と思います。雇用人員や給与総額に見合う社会的負担をすることで、こうした「社会保険料の壁」はなくせると思います。前から述べている社会保障改革で、保険料方式を止めて一元化し、企業の新税である「社会保障税」の導入を図るのが望ましいと考えています。このような抜本的政策を実施しない限り、若年層の結婚や出産を増加させることは難しいと思います。


政府は年間20万人のフリーター削減目標を掲げてはいますが、現状の社会保障制度ではそれは甚だ困難と言わねばならないでしょう。正社員は労働時間が週60時間を超える人の割合が増加しており、本当に労働の2極化が進んでいるようです。以前にも書いたように(格差社会3)、やっぱり正社員の下士官クラスがヘロヘロってな具合になってきているということでしょう。


ああ、あと書き忘れていたのですが、フリーターになりたくてなる人は非常に少ないようです。転職歴では、フリーターから正社員になる人の割合は減少しており、逆に正社員からフリーターになっていく人は増えている。フリーターからフリーターの転職も増えている。これはどういうことか?主に、自分に合わない仕事は辞めてしまう場合が少なからず見られ、転職するが残念ながら正社員ではなくフリーターになってしまう人は結構いる、ってことかな。フリーターから正社員へは、逆に険しくなっており、高卒・大卒ともに求人が増加している中でもそうですから、新卒時点での就職に比重が置かれ、その時点で就職活動が満足に出来ないような人材というものを雇用側が求めていない、ということなのでしょうか。



アメリカ凋落の日

2005年06月02日 13時46分27秒 | 外交問題
今は「フレンチ・ショック」に続き「ダッチ・ショック」で失意の中にあるEUであるが、これはある意味折込済みなのかもしれない。まず無理筋ということのようですし、いかに長い歴史の中で離散・集合を繰り返してきたEU諸国といえども、経済的結合以上の繋がりを他民族間で求めるというのは困難であることには変わりがなく、ローマ帝国なみに集権的でなければEUという大国は出現し得ないということなのでしょうか。

これは人類に与えられた試練の一つに違いない。世界の中でEUという基盤は弱くはないが、政治的には未だ個々に進むべき道がある、ということなのでしょう。大昔のフランク王国を思わせる大国の復活という偶然は、歴史的には数少ないことなのかもしれない。ソ連が誕生してからまだ百年もたっていないことを思えば、次のチャンスは、もっとずっと先の話のような気がする。それでもEUの地位が低下した訳ではないし、世界の極の一つであることには変わりがない。


世界の軍事的・政治的バランスを考えれば、アメリカという超大国のみに依存する世界を長期間維持し続けることは困難だと思う。その理由というのは明確には分らないが、過去の歴史から見て、そう感じてしまうのである。恐らく将来的には、環境・エネルギー・食糧・資源などの分野で、超大国であるが故の弱点を持つようになるのではないか、と思ったりする。


アジアでは、日本が早い段階で近代国家へと変貌を遂げていったが、それでも明治以降の僅か百数十年である。国としての歴史は長いのであるが、「世界」デビューはかなり遅い方だ。それでも日本民族の国としての歴史が長くあったことは、「世界」デビュー後の急速な成長へと繋がった。例えて言えば、日本のプロ野球で経験を積んでいたので、大リーグへデビューしてもすぐに活躍できるような選手になれたのと同じような感じかな。極東に一つの極を作り上げたのが、今の日本であると思う。


中国は、日本以上に大国としての歴史を長く持ち続けたが、歴史的には分裂・混乱と統一が訪れるという印象であり、今後もそういう流れであるだろうと思ったりする。まあ、分裂がこれから起こるのかどうかは分らないが、大きな混乱というのは起こってしまう可能性はあると思う。ソ連も一つの大国としての存続というのは難しかった。これと単純に比較などできないし、国の形も歴史も異なってはいるが、人々が求めるものというのが、おおよそいつの時代にも同じようなものであるならば、大きな混乱に見舞われることも有り得るだろう、っていう程度の感想ですので。厳しく突っ込まないで下さいね。その中国は元の時代以来、世界の中心からは遠のいており、逆にどんどん影響力を失っていった感が否めない。今後主役に躍り出ることがあるのか、という点に関しては、恐らくアメリカのような超大国にはなれないし、政治的には英仏独以上にもならないだろう。少なくとも今の中国でそれは無理だと思う。経済的に見ても、模倣文化をどうにかしない限り商品価値が高まったりはしないだろうし、違法コピー・海賊商品の横行が中国国内でさえ競争力のある製品等を生み出す意欲を奪うだろう。


かつて覇権国家群は、長い歴史の中で見れば光輝く時もあったのだが、何れも世界一の覇権は失われていった。それは滅亡を意味するものではないが、世界一の超大国ではなくなったということだ。それが、歴史の常であると思う。そういう流れはアメリカにも必ずやってくると思っている。それは、政治的、国家的な混乱というよりも、世界の中での影響力が低下するということを意味するだけであるが。フランス、イギリス、スペインなどが世界をリードしていた時代が終わったように、アメリカにもそれは訪れるであろう。


アジアやアフリカ諸国がそれぞれ国として成長し、社会基盤整備が進むと、先進国と似たような生活様式を求めるようになっていくだろう。そうなると、地球上全体のバランスで見た時に、エネルギー需給・食糧需給は今のレベルでは到底追いつかないでしょう。いつだったか、読売新聞の「地球を読む」にアルビン・トフラーが書いていたと思うが、中国人が今のアメリカ人と同じような生活をした場合に、必要となる小麦や牛肉や石油というのは、現状の世界的生産規模では全く追いつかないというような主旨であった(正確な数字とかは忘れました)。これは全くその通りであり、地球上の人類のうち、先進国のような生活をしている人間が少ないから、今の生活が可能なのである。もしも、全人類が同じ生活様式となってしまったら、地球の環境は破壊され、酸素・二酸化炭素バランスは崩壊し、食糧は完全な供給が不可能になるのではないか。今は飢餓の多い地域が存在するおかげで、先進国の浪費が許容されているとも言えるかもしれない。途上国全てが本気であちこちの土地を開発し、高層ビルを建て、森林を切り開いて牛を飼うための牧草地などに転換していこうものなら、地球上に人間が住める環境ではなくなってしまうかもしれない。


大体、肉1kgを生産するのに鳥や豚に比べて、牛は、大量の飼料(当然エネルギー効率は最悪である)を消費するし、大量のゲップで二酸化炭素をたくさん放出するし、摂取エネルギーの多くは熱変換されるから温暖化に繋がるし、世界的な牛肉消費増加は地球環境の破壊行為でしかない(極端な話をすれば、人間だって肥満体型とか体重の重い人達は、やせて小柄な人達よりも食糧や酸素を多く消費し熱エネルギーや二酸化炭素を多く放出するので、環境には悪いってことになってしまう。笑。これは冗談ですからツッコミ入れないでくださいな)。いずれこの傾向にも限界が訪れるだろう。なので、全人類が同じように牛肉消費をすることは不可能だ(宗教的に牛肉などを食べないインド人のような人達もいますから、全部ではないだろうけれど)。肉の生産に適しているのは鳥で、次に豚、そして最も不適切なのが牛であろう。


しかも人口が増えると(もしくは今の世界中の飢餓がほとんどなくなる程度の基盤整備が進めば)、その分の食糧供給が必須になるので、牛の飼料に回すほどの余裕はなくなっていくだろう。今までは途上国で子供のうちに死亡する数が多かったから、食料消費は限られていたが(それでも飢餓は無くなっていないですが)、その殆どが先進国なみの生存率(平均余命の上昇、ってことかな?)になったら、世界的な計画生産とか供給割り当てシステムとかにしなければ、60億人(あと30年後だと何億人くらいになるのでしょうか?)分以上の食料需要を満たすのは大変なのではないのかな、と思いますけど・・・。地球表面積は限られているから、森林とか山とか農地とか砂漠・・・そういう区分けで、面積配分を考え、地球全体の食糧生産効率を上げることになるだろうから、牛の頭数に制限を設けないと不可能になるのではないかと思うのである。放牧地を農地に変え、牛に食べさせていた飼料生産を減らし、人間用に変える必要が出てくるかもしれないと推測している。


将来、アメリカ的文化様式は世界中で否定的になり、環境・食糧への配慮・制限が各国に求められるようになるかもしれないと思えば、アメリカの経済を支えてきた旺盛な大量消費の限界を迎えると思う。日本のような食料輸入大国は必然的に弱い立場になるかもしれません。また、あらゆるエネルギー・資源の消費大国は数量的制限を受けるようになるのではないだろうか。それは、京都議定書のように、勝手に無視するとか、守らない、というのは許されなくなっていくのが世界的な潮流ではないのかな、と。そのような時代になった時に、果たしてアメリカはどういうパワーを持ち続けているだろうか。


マンハッタン計画以後、アメリカの核兵器関連に投入された費用は5兆8千億ドル以上で、同じ期間における教育・雇用・環境など非軍事7部門の連邦予算総額を上回っているという試算があるらしい(米・ブルッキングス研究所)が、こうした多額の軍事コストを払い続けられる程の体力がいつまで確保されるのか不明であると思う。軍事力需要が減少させられれば、アメリカの影響力は相対的に弱まるかもしれない。人類が賢明であれば、地域紛争は減少していくかもしれないが、それには全ての国の国家・生活基盤が整えられることが必要であり、それが充足するまでには長い時間を要する。それまでは、やはりアメリカの軍事力に頼らざるをえない、ということだろう。


米国を支える真の源泉は経済的パワーであり(それこそ、「アメリカがくしゃみをすれば日本がカゼをひく」とまで言われるように)、世界大戦によってもたらされた恩恵は、いずれその効力を次第に失っていくだろう。戦争で国内産業の大きな破壊を受けなかっただけでも、戦争終結時に他のどの先進国よりもリードしていたと思えるからである。日本やEU諸国が復興を遂げる頃には、アメリカは強力な経済基盤を築きあげることに成功していたのだと思う。だが、その貯金はいずれ吐き出されるように思うのである。それは、「諸行無常」を私は信じているからである。いつの時代にも、太陽はいずれ沈むものである(百夜もあるよ、とか言わないでね)、それがいつになるのかは判らないのであるが。