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「破局のスパイラル」(追記後)

2005年06月07日 14時02分49秒 | 経済関連
財政審からの漏れ出る情報が事前に報道されていた(財政審の増税プラン)ので、建議の内容そのものには特段のインパクトはなかった。むしろ昨年11月の、「消費税21%必要」という将来予測(十年後の国家財政)の方が、インパクトがあった。民間機関がその後に出した26%という数字も、そうした財政審の予測を裏付けることとなった。具体的な増税額が、身近な感覚で知る事ができたのは大きな意味があった(普通、「40兆円」とか言われてもピンとこないが、普段買い物する時の現実的な感覚だとはっきり分り易い)。当時の防衛庁との攻防や三位一体改革の絡みもあったことは確かであるが、財務省から出たネタであっても、十分国民への注意喚起には繋がったと思う。「えっー?! そんなに増税なの?」って、誰しも思っただろう。それほど国家財政は「逼迫」しているんだな、と。それが公務員給与削減圧力へと繋がったかも。


Yahoo!ニュース - 読売新聞 - 財政審、公務員の総人件費削減を要請…予算意見書


今回の議論は、そこからの流れを汲み、経済財政諮問会議でも幾つか議論されたテーマと同じ軌跡をなぞっている。問題点は絞り込まれているのである。次のステップとしては、「政府部門が縮小した明確な実績」を示すこと→国民に求める負担→増税と債務返済プラン明示、というような具合だろうな。それに先立って、まず国家公務員の人数・給与削減、続いて、全国で無駄の大合唱となった地方公務員の給与・特殊手当等の合理的な削減、市町村合併効果による人件費総額削減、等が求められた。まずは「自らの身を切れ」と、いうことを示すためだ。債務比率が大きい、固定費特に人件費が多い、結果的に投資的支出の自由度が少ないというのは、財政悪化要因であることは確かだろう。

「破局のスパイラル」とは、財政審が記述に盛り込んだ警句である。そして、そこから脱出する為の諸策が、今回の建議となってはいるが、社会保障政策の具体的解決策は示しておらず、「計算屋」の域を出ていない。社会保障政策への踏み込んだ発言は、越権行為に当たるとして非難されるのかな?でも、政策としての具体性に欠けているのだ。「数字が増えていく→数字がふえないようにすればよい」っていうのはさ、私でも子供でも判る。解決策のない提言っていうのは、誰でも出来るよ。例えば「凶悪犯罪が増加している→発生件数を減らす」「自殺が増加している→自殺者数を減らす」、こんなの当たり前だっての。そんなこと判りきってる。じゃあ、どうすればよいのか?それを聞かせて欲しいんじゃないか。「社会保障費の総額を抑制する」為の具体的方法は?何でそこに言及しないのか。卑怯だろ。財政政策上、「お金はこれ以上出しませんよ」って言うのは簡単だ。だが、制度・政策として、せめて「どういうあり方がよい」とか建議に入れないと、いつまでも前進が見られない。



例えば、ラーメン屋経営で言えば、多額の借金を抱えているため、その返済に追われて運転資金が乏しい、暇な時間帯にも無駄な人員を抱えバイトに賃金を払ってしまう、集客悪化のテコ入れのための宣伝費や店舗改装資金などもない、ということになります。破局スパイラルに陥れば、この店は確実に潰れます。一度大きな借金を抱えると、その返済負担が大きすぎて余剰資金がなくなり、他の事が全く出来なくなってしまいます。集客悪化のテコ入れが出来ないので、いつまでたっても売上が増加しません。その為バイトの人員整理(社会全体では雇用減少、失業率アップ)を行っても収益と借金返済のバランスが大きく改善せず(売上が大きく増える訳ではないから)、閑古鳥が鳴き続け、新たな借入もできず、遂には潰れますね。国の財政はそういう状況に陥る可能性がある、ということです。



公債発行については経済学上の諸説があるようだが、日本の将来にとってはマイナスに作用するとしか思われない。借金の多さは、心理的な圧迫要因となるだけである。将来不安によって、消費抑制心理を生み出し、経済活性が低下するのではないだろうか。私は「年金が貰える」とは心底信じてはいない。今の制度が続くならば、給付年齢が70歳になってしまうとか、下手すりゃ貰えないかもしれない、と思っている。老後資金は自分しか信じてはいないので、公的年金を当てにせず、独自に運用し準備をしている(とは言うものの、まだ大した額ではないが)。

インペリアルカレッジで行った日本のマクロ経済に関するシミュレーションでは、財政赤字のファイナンスの影響を次のように示している(概略ですから、専門家の方は、専門家の立場で評価してみて下さいね。私には難しくてよく判りませんが、何となく程度の理解ですからツッコまないでね)。
「民間貯蓄によって財政赤字の影響を相殺するが、十分ではなくリカードの中立命題は成立しない。日本経済が実質的に小国の開放経済であると見なさないのであれば、財政赤字を用いることにより資本ストックと財政の収益率には長期的効果があると見なされる。この仮定がなければ公的債務が積みあがった後資本ストック水準は更に低くなり、この効果は債務返済の完了後も続く。このことは、債務累積により将来のGDPはかなり低下することを意味している。」
(ちょっとよく判らなかったのであるが、”日本国内で用いられる資本ストックが国内貯蓄率と独立である場合”というのは、国際資本市場でのみ国債を発行するということ?とか思ったり・・・「小国の開放経済」とは、国際資本市場で国債発行が出来ない場合を意味しているのかな?)
この理屈で、財務省は国際資本市場での国債発行を海外投資家達へ啓蒙しに行った(経済学は難しい3)ということ?ですか。よく判らん。


それから、内閣府の研究(マクロ経済計量モデルによるシミュレーション)では社会保障給付・負担削減を行った場合には、給付・負担を増加した場合に比べ(重い方と少ない方の差が10兆円となるような設定)、短期的なスパンで見ると当初消費を中心に景気抑制効果が見られるが、中・長期的には高齢者の労働参加促進等、労働供給側に影響し、マクロ経済に対しては拡張的に働く、との報告がある。また、同じく内閣府の研究(一般均衡型シミュレーションモデル)で、年金負担を消費支出に求めた場合(具体的には消費税)のものがあり、引退世代に対しても広く年金負担を求める制度改革によって、引退世代や現行の年金制度下においてある程度年金負担を行っている世代の効用水準を低下させはするものの、経済を活性化させ、将来世代の効用水準を増加させる、との報告もある。


これらを考えると、①国債発行は出来るだけ国際資本市場で行い、負債総額の積み上がりを防ぐような歳出削減を実施する、②社会保障給付・負担を現行方式での将来予測額よりも削減する、③その為に年金負担を現行方式から消費税による負担に変える、ということになるのかな。よくわからんけど。


専門家の方々が真剣に検討してくれない限り、変わりようがない。私は、一元化し消費税方式と企業の新税(社会保障税)方式の組み合わせによって社会保障財源を確保するべき、と言ってきましたが、私が主張しても何の説得力も信頼性もありません。専門家が頑張るしかないのですよ。どうして、専門家達は何のアクションもないのでしょうか?今の日本の経済・財政運営で行けばよい、ってこと?経済の理屈は色々あるんだろうけれど、結局「どうするべきか」という明快な答えを、知っているのに誰も言わないということなのですか?政策として、「これとこれとあれをやればいい」という、はっきりとした政策の形で答えて欲しい。そうじゃないと、一般人にはよくわかりませんから。理論の説明なんかより、最後の答えを知りたい。そして、それを実行・実現するには、国民はどうすればいいのか教えてほしい。


経済学者達は、学術的な正しい理論があるんだろうから、それをきちんとした政策に反映できるような具体的アドバイスをしてくれればいいんだよ。正確な理論とか考えがあるなら、どんな相手でも説得できるはずでしょ?もしも、一つの方法とか見方が出来ない(数学の答えのように)ならば、それは非常に曖昧な学問だってこと?前にも書いたけれど(経済学は難しい6)、いつまでたっても病状はよくならないじゃないか。経済理論を研究していて答えを知っているなら、実のある政策になるように、政府や日銀や官僚達や議員さん達に、ちゃんと教えてあげればいいんだよ。学者さんにしか、相手を説得できる理論とか信頼性とか、そういうものが無いでしょ?一般素人には、そんなことは出来ない、っての。大体、数百人か数千人も経済・財政学者が揃っていて、皆で考えれば良さそうな方法は見えてくるだろう?そんだけ集まっても答えがないのか、決まらないってこと?せめて、一つか二つでもいいから、政策として実行できる解決方法というか答えを教えて欲しい。「なんとか審議会」とか「なになに委員会」とか官庁に呼ばれて会議をいっぱいやっているんでしょ?それで、どうして何も変わっていかないんだ?正しい答えを知っているなら、政府や役人達に、教えてあげて欲しい。それならば、道が開けるでしょ?


今まで経済・財政の専門家達は、今の日本の状況を読み取っていたのか?それは、経済理論に沿って現象を予測出来たということなの?もし、出来なかったのなら、その理論に大きな誤りがあるのか、理論が余りに未熟で使い物にならないということなのか?それとも、予測していたにもかかわらず、放置したのか?多くの国民や政治家達や官僚等の行政担当者達が誤った方向へ進むことを、放置したと?何が何だかよく判らんな。学者さん達は結局何をやっていたんだか、見当もつきません。経済理論は何の為にあるのでしょうか?

今日を予測出来なかった理論を駆使して、今から将来予測をしたり分析するというのも変な話だが、おおよそ未来は「こうなる」ということが学者なら判るから、「~は間違ってる」とか「あーしろ」「こーしろ」「こうした方がいい」という意見が出るんでしょ?それとも予測はかなり大きく外れるってことでしょうか?じゃあ、将来予測がかなり外れる理論(?)に基づいて「あーしろ」「こーしろ」って議論をぶつけ合っているのだろうか。