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「補選2勝」で困惑顔の参院

2006年10月23日 21時23分29秒 | 政治って?
昨日のハム―ドラ戦は、順当にハム勝ちでした(嬉)。
まあ、左腕対決は若人の勝ち、と。
昌はちょっと可哀想だったな。それでも3失点だから、まずまずだったろう。
味わい深いな、山本昌は。今回のシリーズではもう登板機会はないと思うよ。残念だけど。
ナゴヤには戻らんもの(笑)。となればいいのですけどね。

因みに、山本昌の後継者は多分ソフトバンクの和田だろうな。
投球フォームのヘンさ加減とか、「球持ちよし」系の打たれなさは和田に当てはまりそう。
そして、最大の魅力は故障が少ないことかな。
球の出所が見え難いのかな?
どうして和田があれ程打たれにくいのか、判らんもの。

1勝1敗だったシリーズでしたが、とりあえずこれはいい。


補選は自民の2勝と、上々の滑り出し。
安倍政権は短期間で日本全体に浸透したようです。
自民党にとっては、最も良かった結果のハズなのに、ちょっと困っている人たちが若干名。
それは・・・・参院の青木・片山両議員。
えっ?どうしてかって?
これは当然ですよ(笑)。


安倍政権誕生で最も困惑気味だったのが、何を隠そう参院メンバー。青木さんとか片山虎さんとかが、「参院には口出しせんといて」と何度もお願いしたのに、「いやいや、候補入れ替えあるかもよ」とか言われてたので、「カチーン」と来ていたのですよ。更に輪をかけて、「造反組」の処遇(復党)問題でも衝突気味だったのですね。参院の意見に理解を示さない、って。

これは安倍ちゃん本人の意思ということばかりではなくて、周囲の秀さんとか森派内?とか、全然関係ないけど元幹の武部さん(笑)とかが、難色を示していたことが面白くなかったんですよね。青木さんや片山さんに楯突く気か、みたいな感じで。特に何の関係もないのに、武部さんが「やーい腰抜け」的発言(本当は何て言ったか忘れた。ああ、「ヘナチョコ」って言ったんだ)も、「全く何を考えとるんだ!」と青木さんとかがご立腹気味だったのですよ。

で、虎さんが「安倍ちゃんは2勝じゃなけりゃ、負けたも同然。1勝1敗ではもうダメだ」とか、プレッシャーをかけてたんですよ。要するに、参院の言うことも聞いておけ、と。2勝しなかった時には、党内求心力が落ちるんだから、参院には口出しするんじゃないですよ、と。なので、密かに青木・虎ちゃんの2人は願っていたのですよ、1敗かひょっとして2敗することを。その場合、党内運営はかなり微妙になり、どうしても「参院の力をお借りしたい」ということにならざるを得ないからです。これをちょっぴり期待していたハズです。


ところが、思惑は大きく外れ、2勝してしまいましたので、もう何にも言えなくなってしまったのです。事前に余計なプレッシャーをかけておいたことが、逆効果になってしまった。「2勝じゃなけりゃ、絶対ダメだ」と言ってしまったが為に、「2勝したから、いいよね?」ということで、もう何にも言えないのです。候補入れ替えも有り得ることになるかもしれません。これを止める術は、青木さんや虎さんにはないかもしれませんね。実際公認候補入れ替えをやるかどうかは微妙?ですけれども。

秀さんの「造反組復党問題」に対する考えも関連してくるから、一部抱き合わせか、バーターみたいな部分も有り得るかもしれないですね。どこかで一度は参院に恩を売ることがあるはずでしょう。党内運営では、貸しを作っておく方が後々役立ちますからね。つまり、もしも候補者一部入れ替えなら、造反組か下部組織(県連関係とか地方議員とか)などの緩やかな「復帰」(=参院選挙協力を取り付ける)を考慮するかもしれないですね、と。いきなりの完全復党はやや難しいでしょうね。小泉さんの立場もあるし。


こういう訳で、民主党は勿論ガッカリしているのですが、自民党内にも手放しでは喜べない面々もおられたろうな、と。
青木さんや虎さんでさえ、これほど「北朝鮮のバカ野郎」が大活躍したり(笑)、電撃訪中・訪韓が成功するとは元々思っていなかったんだろうな、と思いますよ。そりゃ、普通の読みではそうでしょうね。人気のあった小泉さんの後を受けるんだもの。難しいに決まっているし、必ず比べられちゃうもんね。なので、補選は「1勝取れば上出来だろう」という読みであったと思いますね。

ところがドッコイ、蓋を開けてみればアッサリ2勝。支持率も70%という高い数字を叩き出していたんですよね。
これまでの、補選や知事選などの連敗がウソのよう。
こんなことなら、余計なことを言うんじゃなかった、と後悔していることでしょう。なんで、「2勝スレ」(笑)なんて言ってしまったんだろう?って。

何も言ってなければ、参院独自でまだ抵抗できたかもしれなかったけど。2つ勝ったら認めます、って虎ちゃんが言っちゃったようなものだもん。

判らないものですね、政治って。



続・奈良の妊婦死亡事件について

2006年10月23日 18時05分43秒 | 法と医療
2)受け入れ拒否の問題

前の記事(奈良の妊婦死亡事件について)からの続きです。

基本的には、診療を拒否することはできないことになっています。緊急性の高い状況が十分想定されうるからでしょう。次のように規定されています。


医師法 第十九条

診療に従事する医師は、診察治療の求があつた場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない。


ここで正当事由に該当するのは何か、ということは判断が分かれる場合が有り得ます。例えば、医師が1人しかおらず、誰かにかかりっきりであって、今すぐ治療を求められても「同時には処置できない」という場合ですよね。でも、根本理念としては「求めがあれば応ずる義務」がある、ということです。


<ちょっとズレますが、寄り道

一般病院に緊急連絡をするとして、連絡手順がどうなっているか、というのは一概には言えないかもしれません。夜間病院に電話すると、直通の緊急番号がある場合もあれば、警備室のような所につながる場合もあるでしょう。通常、外部に知られているのは、直通番号ではないことが多いでしょう。直通番号は消防の指令センターのような所しか知らず、出動した救命救急隊を向かわせる為に使われているかもしれません。
守衛室なんかに繋がってしまうと、守衛から担当部署に内線で繋いでもらって、夜勤ナースか当直医が出るかもしれないが、そこで緊急入院の受け入れについては判断できないことが多いのではないでしょうか。別な上司とか婦長とか、そういう役職者に連絡して判断を仰ぎ、その結果受け入れについて返事が可能になるのではなかろうか、と。

要するに、連絡にも手間暇がかかってしまって、年配の守衛さんが「コトの重大さ」に敏感だとも限らず(寧ろ鈍感な場合が多いかも、守衛さんゴメンね)、内線を回すにしても、数分間待たされることはザラで(夜の病棟の電話が鳴っていても、ナースステーションで暫く誰も出ないことは多々あるだろう)、そういう時間も刻々と過ぎていくんだろうと思います。救急の直通番号以外は、殆どの場合、時間の無駄が多いのではないでしょうか。>


戻りますけれども、医師法第19条によれば、「診療を拒むことはできない」ということになります。なので、受け入れを打診された病院には、「正当事由」がなければ拒否したこと自体に法的責任が発生する可能性が高いと考えられます。


そうは言っても、現実に対応できない場合もあるので、個々の理由を聞いてみなければ判らないでしょう。受け入れを決めても、産科医が捕まらず、緊急呼出にも応答不能の場合もあったりしますからね。そうなると、誰も治療ができないのに受け入れということになってしまいます。それを避ける意味では、「他に当たってもらえませんか」という返事は必ずしも非難できないでしょう。


ただ、拒否が相次ぐような事態は本来避けられるべきであり、その為に救急医療の体制整備が進められたのです。かつての救急医療のたらい回しというのが問題になったからなのです。では、医師個人の責任ではなく、医療機関の責任においてはどのようになっているか見てみましょう。医療法にその規定があります。


医療法 第四条

国、都道府県、市町村、第四十二条第二項に規定する特別医療法人その他厚生労働大臣の定める者の開設する病院であつて、地域における医療の確保のために必要な支援に関する次に掲げる要件に該当するものは、その所在地の都道府県知事の承認を得て地域医療支援病院と称することができる。

一  他の病院又は診療所から紹介された患者に対し医療を提供し、かつ、当該病院の建物の全部若しくは一部、設備、器械又は器具を、当該病院に勤務しない医師、歯科医師、薬剤師、看護師その他の医療従事者の診療、研究又は研修のために利用させるための体制が整備されていること。

二  救急医療を提供する能力を有すること。

以下略




第4条第1項第2号によれば、「地域医療支援病院」とは「救急医療を提供する能力を有する」ことになっており、都道府県知事承認を受けて整備されていることになります。この業務としては、次のようになっています。


医療法 第十六条の二
地域医療支援病院の管理者は、厚生労働省令の定めるところにより、次に掲げる事項を行わなければならない。

一  当該病院の建物の全部若しくは一部、設備、器械又は器具を、当該病院に勤務しない医師、歯科医師、薬剤師、看護師その他の医療従事者の診療、研究又は研修のために利用させること。

二  救急医療を提供すること。

三  地域の医療従事者の資質の向上を図るための研修を行わせること。

四  第二十二条第二号及び第三号に掲げる諸記録を体系的に管理すること。

五  当該地域医療支援病院に患者を紹介しようとする医師その他厚生労働省令で定める者から第二十二条第二号又は第三号に掲げる諸記録の閲覧を求められたときは、正当の理由がある場合を除き、当該諸記録のうち患者の秘密を害するおそれのないものとして厚生労働省令で定めるものを閲覧させること。

六  他の病院又は診療所から紹介された患者に対し、医療を提供すること。

七  その他厚生労働省令で定める事項




ここで、第16条の二の第2号において「救急医療を提供すること。」となっていますので、この条文からは「地域医療支援病院は救急医療の提供義務を有する」と解されるものと思われます。特定機能病院も同様なのですが、「紹介患者に対して医療を提供する義務」というのは、救急医療とは分けて考えられるべきかと思われ(もし救急患者に対して医療提供義務があるとすれば、第2号で別に言及する必要性がないから、と考えています)、「紹介患者」は広い意味では「救急患者」である面もありますが、特定機能病院においては必ずしも救急医療に対応する体制をとることが義務付けられてはいないでしょう。


従って、原則としては、

・医師法上は、求めがあれば医療提供義務が「医師」に存すると考えられる(第19条)。
・医療法上は、救急患者への医療提供義務が「地域医療支援病院」に存すると考えられる(第16条の二)。

ここから考えると、産科医がいてもいなくても無関係に「受け入れをしなければならない」という基本原則はあり、特に地域医療支援病院にはどのような救急患者であっても受け入れる義務があると考えられるでしょう。


ただ、奈良県内には「地域医療支援病院」はないようです。となれば、近隣県の地域医療支援病院に受け入れ要請をすることになると思われますが、承認自体が都道府県単位ですので、越境の場合に果たして「受け入れ義務があるか」というのは、解釈が分かれる可能性があると思います。厳密な都道府県単位で見れば、越境患者を受け入れる義務はないという解釈が有り得るでしょう。しかし、医療という生命身体の危機に重大な影響を及ぼすという性質を鑑みれば、救急患者が「最短距離、最短時間」で到達可能な「地域医療支援病院」に向かうことは当然であり、その受け入れを拒否する合理的理由は存在しないと考えます。

従って、厳密な都道府県単位というのは行政制度上での意義はあるものの、実際の救急患者受け入れに際しては「地域支援病院」に求めがあった場合には受け入れ義務が発生し、医療提供義務があったと解するのは妥当であると思われます。「同一県内に1時間かけて行く」よりも、「近隣県に30分で到達」して医療を受けた方がよいのは確実であり、救急医療とはそういう意味合いのものであるはずです。


更に、奈良県内に地域医療支援病院が未整備であるとすれば、これが「行政の不作為」となるかどうかを考えてみましょう。基本的には都道府県知事の過失(知事承認によるので)、ということになるかと思われます。都道府県の責任は次のように規定されています。


医療法 第三十条の三

都道府県は、当該都道府県における医療を提供する体制の確保に関する計画(以下「医療計画」という。)を定めるものとする。

2  医療計画においては、次に掲げる事項を定めるものとする。

一  主として病院の病床(次号に規定する病床並びに精神病床、感染症病床及び結核病床を除き、診療所の療養病床を含む。)の整備を図るべき地域的単位として区分する区域の設定に関する事項

二  二以上の前号に規定する区域を併せた区域であつて、主として厚生労働省令で定める特殊な医療を提供する病院の療養病床又は一般病床であつて当該医療に係るものの整備を図るべき地域的単位としての区域の設定に関する事項

三  療養病床及び一般病床に係る基準病床数、精神病床に係る基準病床数、感染症病床に係る基準病床数並びに結核病床に係る基準病床数に関する事項

四  地域医療支援病院の整備の目標その他機能を考慮した医療提供施設の整備の目標に関する事項

五  医療提供施設の設備、器械又は器具の共同利用等病院、診療所、薬局その他医療に関する施設の相互の機能の分担及び業務の連係に関する事項

六  休日診療、夜間診療等の救急医療の確保に関する事項

七  へき地の医療の確保が必要な場合にあつては、当該医療の確保に関する事項

八  医師及び歯科医師並びに薬剤師、看護師その他の医療従事者の確保に関する事項

九  前各号に掲げるもののほか、医療を提供する体制の確保に関し必要な事項

3  前項第四号から第九号までの事項を定めるに当たつては、同項第一号に規定する区域ごとの医療を提供する体制が明らかになるように定めなければならない。

以下略




ちょっと分量が多いですけれども、関係のある所を簡単に言うと、都道府県は

・医療計画を定めること(第1項)
・医療圏を地域単位で設定(第2項第1、2号)
・地域医療支援病院の整備目標(第2項第4号)
・救急医療の確保に関する事項(第2項第6号)
・医療提供体制を区域ごとに明らかにして定める(第3項)

を定めることになっています。

ですので、都道府県が救急患者の受け入れ体制等を定めていなければ、責任が発生すると考えられると思います。地域医療支援病院については、「整備目標」となっているため、設置は義務ではない可能性があります。が、代替機能としての医療機関の機能整備や、地域医療支援病院が奈良県内に設置されるまでの間、どのようにするか定めるべきでしょう。また、近隣県との協力・連携をどのように行うのかも定めておくのは当然でありましょう。


地域医療支援病院の整備目標はあったが、現時点で未整備であったとしても、「医療機関の代替機能」「区域ごとに近隣府県との協力連携体制」等を整備しておくこと、救急医療に関する事項について定めること、というのは都道府県に責任があると考えます。これが明確に定まっておらず、各医療機関や消防の救急隊指令部などにも周知されていなかったとすれば、不備があったと言わざるを得ないでしょう。

医療計画の策定・変更については、厚生労働大臣に提出義務があり(第30条の三第2項第13号)、また公示義務があるので、奈良県の医療計画は調べればわかるはずだろうと思われます(これこそメディアの方々が頑張って下さいよ)。


前の記事の1)からも含めて総括すると、次の通り。
(これまでも書いていますが、あくまで素人の私見に過ぎませんので、宜しくお願いしますね)


・診療科目によらず医師には救護・救命義務がある
・医師は、医療提供義務は原則拒否できない
・(確定)診断がついていないことは過失と言えないのではないか
・頭部CT撮影は「行うべきであった」が、他科に該当する医療行為
・地域医療支援病院は救急医療提供義務がある
・故に、同病院は救急患者を拒否できない
・近隣府県であっても受け入れ義務は発生する可能性がある
・奈良県及び同知事には不作為の可能性がある


私個人としての感想は、できるだけ早く「人員、設備」の有利な(少なくとも問題となった町立病院よりは)医療機関に素早く搬送するべきであったことは確かであり、その体制整備を奈良県は行っておくべきであった。亡くなられた患者さんの状況はどうであったかは不明ですけれども、生命予後にどの程度影響したのかは分りません。家族が「何とかして欲しい」と言ったとしても、どうにもできない状況というのは有り得ます。仮に、30分以内に受け入れ先が見つかっていて、そこに搬送できたとして、脳出血への治療が奏功したかどうかは、別問題なのです。亡くなられたのは数日後であり、町立病院での選択が悪かったかどうかというのは、不明ではないかと思われます。1次医療機関で可能な範囲というのには、自ずと限界があるのです。何よりも、「人が揃っている」というのが、戦力を大きく左右するのです。前にも書いたが(助産師・看護師の業務に関する法的検討)、「パーティの強さ」ということなんですよ。


最後に、緊急事態というのは、火災・防火訓練と同じで、大抵どのような場合でも「日頃からの訓練」、「事前準備」、「決め事の周知徹底」、これらに尽きると思います。これがない場合には、「混乱」を招くことになるでしょう。受け入れ拒否問題の本質は、受け手側の問題なのではなく、体制整備というシステムに関する問題で、その責任はあくまで行政にあると思います。


報道機関の方々には、もうちょっと意味のある報道をしてもらいたいと思います。素人考えの私よりは、法学的素養もあるはずだろうし(かなりの数が法学部卒者なんじゃないの?)、人的資源も投入できる(記者がゴロゴロいるんでしょう、他社も含めりゃ、もっとだね)はずですよね。なのに、どうして低俗な方向に流すのでしょうか。稀にはいい報道もあるのですから、「良いもの」をどうやって生み出せるか、よく研究した方がいいよ。

毎日新聞の井上奈良支局長が述べた、『結果的には本紙のスクープになった』というような発想が根本的に違ってると思うよ。スクープなんかじゃない、社会システムの問題がそこにはある、というところまで踏み込まないと、結局「ミスしたやつがいて、きっと隠してるんだ」という、「犯人探し」スクープからは抜け出せないんですよ。


事実に対して、記者の感情を織り込みすぎなのです。何度も例を挙げて指摘してきましたが、伝えるべき事実と、そこから言えることを正確に書くべきでしょう。余計な推定が多すぎ。修飾語も。記者の感情や意見は、(ハッキリ判るように)別にして報道するべき。結果責任を問われないジャーナリスト気取りの人たちが、好き勝手にやっているだけなのですよ。それが日本の大衆を煽動しているんです。



奈良の妊婦死亡事件について

2006年10月23日 13時42分18秒 | 法と医療
大淀町立病院事件のことについて書いておこうと思います。「たらい回しだった」という衝撃の報道でした。悲しいことです。亡くなられた方も、遺族も無念であったろうと思います。ご冥福をお祈り申し上げます。


今回の一連の報道について、初めに述べておきたいと思いますが、報道とは何か、何をどのように報ずるべきか、そういう視点が全く欠けていると言わざるを得ません。どうしてこのような悲劇が起きてしまったのか、何が問題でどこが悪かったのか、どうすれば改善されるのか、そういうことを考えないカラッポの報道です。それは、「スクープになる」「生贄を仕立てて叩けば絵になる」「何でもいいからミスを探し出せ」ということです。

Yahooニュース - 毎日新聞 - 支局長からの手紙:遺族と医師の間で /奈良


毎日新聞の取材の発端は、「無念に思った遺族が、やり場のない怒りや悲しみ」をぶつけたわけではありません。内部情報のリークであろうと推測されます。恐らく記者の誰かが個人的にあやふやなネタを掴んだのではないかと思います。リークした動機は不明ですが、ひょっとすると、何か個人的感情に基づいていたのかもしれません・・・・。何れにせよ、遺族が率先して申し出てきた訳ではないようです。この報道によって何が起こるのか、何が得られるのか、現実が正しく伝わるのか、そういったことを何も考えずに報道が先走った結果が今の状況でしょうね。


浅薄な報道です。悪趣味な面白半分の言い回しです。「煽り」「燃料投下」としては、最高のネタだったということでしょう。これが報道側の基本姿勢です。本当に社会全体のことや遺族のことを考えていたならば、このような報じ方はしなかったでしょう。少なくとも、3流以下のゴシップに落とし込んだことは間違いないでしょう。こういうのを今まで積み重ねた結果が、今回のような受け入れ拒否を引き起こした最大の原因になっているということを、マスメディア自身がまず感じるべきでしょうね。最大の責任は、報道する側にあったということです。そのことに気付かない限り、よりよい報道は今後も出てこないでしょう。


報道の問題はとりあえずこれくらいにしておきます。次に、法的な問題はどうなのか考えてみたいと思います。


今回の問題点としては、大きく分けると、1)搬送前の問題(産科医の対処等)と、2)受け入れ拒否の問題、ということになるかと思います。これに沿って考えてみたいと思います。


1)搬送前の問題:
これは、主に産科医のとった措置が適切であったかどうかが問われると思います。その責任について考えることにします。


①診断の問題
情報がそれほど多くないですが、報道ベースでみれば、「脳出血があり、これが原因で死亡に至った」「頭部CTを撮影しなかった」ということが挙げられています。撮影しなかったことは、責任を問われる可能性が高いと思われます。ただ、撮影したからといって、治療ができたとも言えないし、症状が良くなることもないかもしれず、生命予後に影響があったかどうかは不明です。それでも、「撮るべきであったか」と問われれば、YESということかと思います。

 ◎頭部CTは撮影するべきであった可能性が高い。この責任は問われるかもしれない。


②法的責任

当たり前なのですが、医師は国家試験に合格すると専門科はどれでも選択できます。外科でも皮膚科でも小児科でも、専門領域は法的に規定されません。唯一「標榜」制限があるのは、麻酔科だけであったかと思います(自信ないが、確かそうだった)。これはどういうことかと言えば、法的に医師の区分はない、ということです。従って、法的責任を考えれば「どの医師であっても同じ」ということが普通に考えられると思われます。

 ◎医師法上では専門領域による医師の区別はなく、負っている法的責任は基本的に同じである(麻酔科は除く)。


これはどういうことかと言えば、眼科の医師だろうが、整形の医師だろうが、産科領域の患者であっても「処置を行わなければならない」はずだし、「救命しなければならない」という義務は発生する可能性はあります。医師国家試験に合格することによって、全ての医療行為について「法的責任が発生する」と考えてよいのではないかということです。なので、禁止行為は存在し得ないのです。専門領域が眼科であっても、産科の処置を行ってよいし、形成外科であっても小児科の医療行為は全て許容されます。ただ、現在の医療水準に照らして、「過失」があってはならないし、行った医療行為の結果は責任を問われます。例えば、一度もやったことのない手術を行い、その結果が悪い場合には、過失認定される可能性はある、ということです。

 ◎医師である以上、救護・救命義務はどの領域の患者に対してであっても法的責任を負っているだろう。


しかし、現実には心臓外科の専門ではない医師に心臓手術をやってもらうとか、産科医でない医師に帝王切開をやってもらうとか、そういうことは極めて困難です。医師法というのは、専門が何なのかというようなことは考慮されておらず(多分、昔にできた法律だからだろうと思います)、医師はある意味「スーパードクター」でなければならないのです。法的には、1人で「何でもできなければならない」ということです。そう考えると、産科医であっても「脳出血」を正確に診断し、適切な処置ができなければならない義務を負うことになります。医学部を卒業し、国家試験に合格している以上、それが出来ることが当然ということでもあります。

ズレてる喩えかもしれませんが、刑事訴訟を専門(得意)とする弁護士であっても、急にその場その場で「離婚訴訟」だの「商法」だの「行政訴訟」だの、全てのことを今すぐたった1人でできなければならない、ということです。時間との戦いなのですよ。刻々と変わっていく状況の中で、全てを正しく対応しなけりゃイカンのですよ。過去の判例だとか、他の文献なんかを調べたり読んだりする暇なんかないのです。弁護士が果たしてそれをやっているでしょうか?できますか?「たった今、目の前でやれ」ですよ。これはほぼ無理なのではないかと思われます。

 ◎全ての領域について正確に診断し、適切な処置ができることを求めるのは実際には難しい。


一方、世間の評価とかマスメディアの論調などでは、医師の技術レベルや能力などに関して厳しい非難があります。「できないのであれば、やるべきではない」ということであり(当たり前ですが)、医師の対応能力を超えているものであれば、転送するしかないでしょう。通常、1次医療機関(ごく普通の病院や診療所)でできない場合には、2次、3次という高次の医療機関に送って診てもらう以外にはありません。2次とか3次とかの医療機関は、大きな総合病院とか地域の基幹病院、大学病院等であろうかと思います(厳密には行政の指定などがあるのかもしれません)。

ここで、1次医療機関から送る際には、色々な場合が考えられます。a)確定診断がつけられず不明のまま送る、b)ある程度診断がついていて送る、c)確定診断があっても治療できないので送る、というようなことがあるかと思います。送り手も受け手も、「必ず確定診断をつけてからではないと送れない」などという決まりは持っていないでしょう。もしそんなことがあるとしたら、1次医療機関は「常に完璧でなければならない」ということになってしまいます。治療の実行可能性だけの問題になりますが、現実的には不可能であろうと思います。そもそも「全てが確定診断可能である」という発想そのものに誤りがあると思います。日常でも、c)のような場合だけではなく、a)やb)というのが多いハズであり、専門医じゃなければ判らないとか、他科のドクターが見て送るとか、そういうのは普通なのです。

 ◎全ての確定診断はほぼ不可能であり、診断不明でも高次医療機関に送らざるを得ない。


これを「過失」と呼ぶとすれば、日本の医療の大半は過失が含まれると思います。多くの医療機関において誤診はあるし、確定診断ができないことも有り得るでしょう。これを「止めるべきだ」ということにするのであれば、多くの専門医集団だけから成る総合病院のみに患者全てを集めてくるしかないでしょう。医療における診断というのは、そう単純なものではありません。あくまで合理的推定(という用語が適切か否かは判りませんが)によっているのです。相当の確率で「~と考えるのが合理的」ということであって、推論に過ぎないのです。


「高圧電流が流れることがある生き物」
という条件があるとしましょう。ここから推定される生き物はいくつかありますが、こういう条件を調べて幾つかの疾患を絞り込んでいき、最終的に最も疑われる疾患を見つけ出す作業、ということだろうと思われます。さて、何でしょう、この生き物は?電気ウナギ?電気ナマズ?
実際には、ピカチュウかもしれません(笑)。こういうのが思い浮かぶかどうか、というのは、訓練以外にありません。勿論「知っているかどうか」というのが重要なことは間違いないのですが、「以前に見たことがある」というのは、非常に大切なことだろうと思われます。まるで将棋の定跡に近いかもしれません。その局面を見たときのその後の変化や分れがパッと思い浮かべば、選択の際には有利でしょう。多分、経験とはそのようなものではないかと。


医師の能力から見て、「できないこと」「経験のないこと」というのがある時、「やるべきではない」「やった結果が不良である時は過失認定される」となれば、敢えて何かの医療行為を行うことはないでしょう。これは当然です。できないから、他の病院に転院させるのですし。福島県の事件のように、「産科医が一人で行ったこと」自体が違法行為として逮捕され、刑事責任を追及されてしまう可能性があるわけですから。

条件その1:
できないことはやらない→やれば違法行為として刑事責任を追及されるから


しかし、奈良の事例では、できないから転院させようとしたのに、「何もしなかった」ことが責任追及されているのです。つまり、できないことでもある程度やるべきだ、ということになってしまいますね。

条件その2:
専門外等のできないことでもやるべき→やらないと(刑事)責任を追及されるから

このようになってしまうと思います。
どっちにしろ、叩かれるし刑事責任を追及されるんですよ。やっても、やらなくても。条件1と2を満たせるとすれば、前述したようにたった1人でも何でもできる「スーパードクター」の場合だけなんですよ。医師は神でもなければ、ブラックジャックでもない。全てに万能で完璧な医師なんて、この世に存在しない。


マスメディアの論調のオカシイところは、「何がどう問題なのか」ということを考えず、ただ「ミスがあったのではないか」「誤診だったのではないか」という具合に、煽り立てているだけです。「バッシング対象」をひたすら渉猟しているだけで、問題解決には繋がらない方向に誘導し、人々の気を引こうとするだけなのです。まるで、国会で起こったガセネタメール騒動みたいなものなのです。無責任な放言だけなら馬鹿でもできるんですよ。素人がネット上で「デマ」を流すのと、マスメディアが「煽情報道」を垂れ流すのと、何が違いますか?


多くの一般大衆を煽動し、こうした方向に大衆意志が向けられたのは、マスメディアの論調に大きく影響されたが故です。考えないメディア担当者たちの「おもしろおかしく」伝える姿勢、人気取りの姿勢、バッシングを好む姿勢、そういうのが広く拡散された結果なのです。


相手は誰でもいいですよ。考えてみて下さい。
あなたと最愛の人が、山小屋にたった2人だけでいるとします。救急隊が到着するまでには、数時間以上かかってしまうとしましょう。他に誰もいません。

今、最愛の人が、喉に何かを詰まらせました。非常に苦しがっています。このままでは窒息しそうです。
あなたはどうしますか?
大型の登山ナイフを持っています。喉を切り裂き、気管に空気を送れる穴を開けることに成功すれば、助けられるかもしれません。でも、切らなくても、どうにかして喉の奥に詰まったものが取り除けるか、吐かせられるかもしれないし。時間がありませんよ。さあ、どうします?最愛の人は意識を失いましたよ。迷っている時間はありません。どうしますか?このまま死を待ちますか?


或いは、こういうのはどうでしょう。

山小屋には大きな風車が回っています。内部の天井に上がって巨大な歯車なんかが回っているのを2人で見ていました。その時です。最愛の人が右腕を大きな歯車に挟まれました。ぐちゃぐちゃに潰れてしまっています。でも、挟まったままで今度は体が歯車に向かって引き込まれていきます。既に肘がつぶされる所まできました。このままでは、巨大な歯車に全身を巻き込まれてしまいます。どうしますか?
歯車は強力で、物理的な力では止めることができません。山小屋には斧があって、右腕を切断し体を引き離せば助けられるかもしれません。一か八かやってみますか?仮に切断したとしても、その後大量出血でやはり助からないかもしれないし、外傷性ショックで死亡するかもしれませんけど。もう時間はありませんよ。決断せねばなりません。さあ、どうしますか?もう肩が歯車に近づいていますよ。切断部位が体に近づけば、切断そのものができなくなりますよ?巻き込まれるのをじっと待って見ていますか?


大袈裟なシチュエーションだというのは判っています。しかし、多くの人々が医師に求めているのは、こうした状況下であっても、100%完璧に対応し、全部を救ってくれ、ということなんですよ。人間なのですよ、医師も。ギリギリの状況なんていくらでもあると思いますよ。でも、決断しなければならない。どうにか決めて、何かをやらねばならんのですよ。


歯車を止めようとして、間に合わなかったら、結果は最悪の死ですよね。「何故腕を切断しなかったんだ?」とか後から言うのですよ、みんなは。「風車を止めに行く」という決断をしたのが誤りであった、とかを追及され、刑事責任を負わされることになるんですよ。或いは、切断した結果、外傷性ショックで死亡したら、「何故風車の連結部かベルトを探し出して止めなかったんだ。切断したら大量に出血することくらい予測できただろ?オマエが殺したようなもんだ」とかバッシングに晒されるのですよ。そうして捜査当局を後押しして、逮捕に至ってしまうのです。


長くなったので、とりあえず。
2)の受け入れ拒否に関しては次の記事で述べたいと思います。