まだ決まらない日銀総裁人事ですけれども、素晴らしい論考を発見致しました。
socioarcさん経由。
次期日銀総裁―候補者を比較する
フェルドマンさん執筆ですので、結論から言うと、「お友だちバイアス」みたいなものでしょう(笑)。
この結果を見たら、誰がどう見てもそのようにしか見えないでありましょう。平ちゃんは立派な人物ではあるけれども、そうかといって他のメンバーに図抜けて優秀かというと、そうでもないかもしれません。
以前にいくつか名前を挙げたことがありますが、上記の結果を見ると、どうも平ちゃんには劣るようですね。
日銀総裁人事案についての提案・さらに補足
植田さんは、伊藤先生と並んで4.50平均でございました。黒田さんはもうちょっと下がっていますね。
あのですね、フェルドマンさんは「三国志」とか「信長の野望」みたいなゲームをやりすぎたんではないかと思えましたね。だって、まるで登場キャラの「武力、知力、政治力」みたいな数値を出しているので。
ま、フェルドマンさんがお書きのように、バイアスを排除するという目的であるとして、変数というか評価点を組成し、まるで通知表のように総合的に評価をしようという試みは判ります。
しかし、これこそがバイアスを反映しているかもしれないかな、と思ったのですよね。個人的思い入れを回避する為に、株式投資の銘柄選定してウェイトをつけポートフォリオを組むというのも似てるかな。例えば銘柄Aと銘柄Bの比率が10%と20%であることの「論理的理由」みたいなものはない、ということです。一見、合理的な評価方法であるかのように「見せる」ことは可能なだけで、論理的な基準とか計算方法の正当性を立証することなどできないのです。
通知表で数学5、音楽4、の時、どっちが優秀であることの指標なのかは、正確に判らない、みたいなもんです。
重原氏って全く存じ上げませんが、評価が高いんですよね。竹中氏の若さが有利に働いていたかもしれませんが、日銀総裁の若さというのは能力と関係がないわけで、グリーンスパンは年寄りだったぞ、とかいうと、たまたまだ、ってことかもしれませんがね。
そういう種々の指標を入れることの是非、指標の適正なウェイトをどうやって考えることができたのか、そういうものの論理的裏付けなど一切ないものでしかない、ということなんですよ。主に、フェルドマンさんの「主観」でしかないわけです。すなわち、それこそがフェルドマンさんのバイアスを反映しているものに他ならないのではありませんか、って話です。
喩えがちょっとズレてますけれども、ある薬を調合しようという時があるとしますか。漢方薬みたいなものと思っていただければ。
コウモリの羽 1g
キノコ 2g
ナントカニンジン 3g
こういう組み合わせであるとしますか。これには、それぞれに意味があるのであって、ナントカニンジンが2gではなく3gであることには、何らかの理由が存在しているのですよ。2gではダメで3gの方がいいんだ、という理屈があるわけです。同じく、キノコ1gとコウモリの羽2gではダメで、上記配合でなければならない理由が存在する、ということなんですよ。説明可能な理由がある、ということです。ナントカニンジンを入れる代わりに、乾燥ワカメを入れていいということにはならないわけで、このことにも理由があるわけです。乾燥ワカメでもいいじゃないか、といわれた時に、「いやダメなんです、それは~だから」という説明が可能な理由がある、ということですよ。別に、適当な思いつきで入れてるわけじゃありません。
しかし、フェルドマンさんの論説の組み立ては、どんな素材を入れるのか、自由に自分の好きなものを適当に入れているのと同じです。
その指標が何故選ばれなければならないのか、別な○○という指標ではどうしていけないのか、という必然性もありませんし、そうしたことの考察がありません。ウェイトの配分にしても、そのことの論理的根拠なんてどこにもありません。
別にフェルドマンさんが意図的に平ちゃんをトップ成績にしたかった、とかそういうことを言ってるわけではありませんよ。しかし、論理的な展開をしているかのような錯覚を与えるだけなら、ちょっとズルい気がしたのですね。もっと率直に「各候補者の通知表をつけてみましたよ」ということなら、ああ「主観的評価」がかなり入ってるな、ということが読み手にも判るからです。
しかし、本評価の目的はバイアスの排除ですので、根本的に本来趣旨から外れるものであり、あるバイアスを排するために新たな「お友だちバイアス」を作っているのと何ら変わりない、ということです。それを読み手に意識させないものになっていることが、やや誠実さに欠けるかな、と思った次第です。
でも、全体的には興味深いもので、入れてる視点としては「人物評価」をする時に役立つものであると思います。
でも、平ちゃんの「経営者としての経験」とか4になってるけど、到底そのようには見えないんですけれどもね。試しに政府系の組織とか、本当に経営させてみたらいいと思うよ。企業経営的な手腕は、恐らく全くダメだろうと思いますね。だって「人の心」みたいなものが判らないもの(笑)。理屈で、理論で、人が動いてくれたりはしないと思うから。軍隊であれば、大将の言うことはきくしかないからみんなその通りに動くけど、軍隊ではない組織に大将が出て行って命令をいくらやってみたところでうまく行くとは限らない、ってことです。
まあこれは別にいいんだけど、フェルドマンさんの見方や考え方が何となく判ったような気がいたしました。
※追記:8日17時頃
次の記事にちょっとお詫びしました。
socioarcさん経由。
次期日銀総裁―候補者を比較する
フェルドマンさん執筆ですので、結論から言うと、「お友だちバイアス」みたいなものでしょう(笑)。
この結果を見たら、誰がどう見てもそのようにしか見えないでありましょう。平ちゃんは立派な人物ではあるけれども、そうかといって他のメンバーに図抜けて優秀かというと、そうでもないかもしれません。
以前にいくつか名前を挙げたことがありますが、上記の結果を見ると、どうも平ちゃんには劣るようですね。
日銀総裁人事案についての提案・さらに補足
植田さんは、伊藤先生と並んで4.50平均でございました。黒田さんはもうちょっと下がっていますね。
あのですね、フェルドマンさんは「三国志」とか「信長の野望」みたいなゲームをやりすぎたんではないかと思えましたね。だって、まるで登場キャラの「武力、知力、政治力」みたいな数値を出しているので。
ま、フェルドマンさんがお書きのように、バイアスを排除するという目的であるとして、変数というか評価点を組成し、まるで通知表のように総合的に評価をしようという試みは判ります。
しかし、これこそがバイアスを反映しているかもしれないかな、と思ったのですよね。個人的思い入れを回避する為に、株式投資の銘柄選定してウェイトをつけポートフォリオを組むというのも似てるかな。例えば銘柄Aと銘柄Bの比率が10%と20%であることの「論理的理由」みたいなものはない、ということです。一見、合理的な評価方法であるかのように「見せる」ことは可能なだけで、論理的な基準とか計算方法の正当性を立証することなどできないのです。
通知表で数学5、音楽4、の時、どっちが優秀であることの指標なのかは、正確に判らない、みたいなもんです。
重原氏って全く存じ上げませんが、評価が高いんですよね。竹中氏の若さが有利に働いていたかもしれませんが、日銀総裁の若さというのは能力と関係がないわけで、グリーンスパンは年寄りだったぞ、とかいうと、たまたまだ、ってことかもしれませんがね。
そういう種々の指標を入れることの是非、指標の適正なウェイトをどうやって考えることができたのか、そういうものの論理的裏付けなど一切ないものでしかない、ということなんですよ。主に、フェルドマンさんの「主観」でしかないわけです。すなわち、それこそがフェルドマンさんのバイアスを反映しているものに他ならないのではありませんか、って話です。
喩えがちょっとズレてますけれども、ある薬を調合しようという時があるとしますか。漢方薬みたいなものと思っていただければ。
コウモリの羽 1g
キノコ 2g
ナントカニンジン 3g
こういう組み合わせであるとしますか。これには、それぞれに意味があるのであって、ナントカニンジンが2gではなく3gであることには、何らかの理由が存在しているのですよ。2gではダメで3gの方がいいんだ、という理屈があるわけです。同じく、キノコ1gとコウモリの羽2gではダメで、上記配合でなければならない理由が存在する、ということなんですよ。説明可能な理由がある、ということです。ナントカニンジンを入れる代わりに、乾燥ワカメを入れていいということにはならないわけで、このことにも理由があるわけです。乾燥ワカメでもいいじゃないか、といわれた時に、「いやダメなんです、それは~だから」という説明が可能な理由がある、ということですよ。別に、適当な思いつきで入れてるわけじゃありません。
しかし、フェルドマンさんの論説の組み立ては、どんな素材を入れるのか、自由に自分の好きなものを適当に入れているのと同じです。
その指標が何故選ばれなければならないのか、別な○○という指標ではどうしていけないのか、という必然性もありませんし、そうしたことの考察がありません。ウェイトの配分にしても、そのことの論理的根拠なんてどこにもありません。
別にフェルドマンさんが意図的に平ちゃんをトップ成績にしたかった、とかそういうことを言ってるわけではありませんよ。しかし、論理的な展開をしているかのような錯覚を与えるだけなら、ちょっとズルい気がしたのですね。もっと率直に「各候補者の通知表をつけてみましたよ」ということなら、ああ「主観的評価」がかなり入ってるな、ということが読み手にも判るからです。
しかし、本評価の目的はバイアスの排除ですので、根本的に本来趣旨から外れるものであり、あるバイアスを排するために新たな「お友だちバイアス」を作っているのと何ら変わりない、ということです。それを読み手に意識させないものになっていることが、やや誠実さに欠けるかな、と思った次第です。
でも、全体的には興味深いもので、入れてる視点としては「人物評価」をする時に役立つものであると思います。
でも、平ちゃんの「経営者としての経験」とか4になってるけど、到底そのようには見えないんですけれどもね。試しに政府系の組織とか、本当に経営させてみたらいいと思うよ。企業経営的な手腕は、恐らく全くダメだろうと思いますね。だって「人の心」みたいなものが判らないもの(笑)。理屈で、理論で、人が動いてくれたりはしないと思うから。軍隊であれば、大将の言うことはきくしかないからみんなその通りに動くけど、軍隊ではない組織に大将が出て行って命令をいくらやってみたところでうまく行くとは限らない、ってことです。
まあこれは別にいいんだけど、フェルドマンさんの見方や考え方が何となく判ったような気がいたしました。
※追記:8日17時頃
次の記事にちょっとお詫びしました。