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「消費者庁」的人柱ではないか?~こんにゃくゼリー問題

2008年10月09日 20時53分44秒 | 社会全般
製造中止にまで追い込むことになった「こんにゃくゼリー」問題ね。

はてなブックマーク - こんにゃくゼリー製造中止は論理的に正しい - 飽きたら消すよ。

これも、「薬害」問題とほぼ似たような話ではないかな、と。
狙われたら、「タミフル問題」みたいに大騒ぎになる。けど、他の薬剤(例えば、鎮痛剤、抗生剤や胃腸薬などの使用頻度の高いもの)の方が重篤な副作用や死亡者が出ているとしても、普遍的に用いられているものはあまり問題にはされない、みたいな。ポッと出の「タミフル」みたいな最近の薬の場合であると、ターゲットとして狙われてしまうとロックオン状態になるので、「またタミフルか」ということで「またか」という認知度が急激にアップするのである。本当は、他の薬剤についても数を探せばそこそこリスクはあるだろうと思う。


前にチラッと書いた、こんにゃくゼリーの記事はこちら。

コンニャクゼリーの問題と裁判を考えてみる

「過失」論議と「医学的準則」の意味について


ええっと、暴論を承知で個人的な感想を書いておく。

・センターの存続危機がそうさせた

無駄な機関の整理統合なんかを検討された時、実は「国民生活センター」だとか「消費者センター」みたいな機関は、原則廃止だったか完全民営化だったか、そういう「存続危機」に立たされたはずだと思う。JILPTの廃止か存続か(ちょっとマイナーな話題だ、国民の99%には関心すら持たれなかったと思うけど…笑)、というようなのと同じで、所謂、組織そのものの瀬戸際に追い込まれていたわけです。
で、組織の存在意義を国民に認識してもらう&大きくする、ということを目指さねばならなかったので、各種商品の「安全情報」みたいなものを懸命に集めたり、「危険だ」という情報を与えようとしてしまったんじゃないかな、と。国民にアピールしよう、という傾向があったのではないかな、と。いや、別に悪気があってやった、とかではないと思いますよ。けど、ちょっと大袈裟だな、と思った。

だって、ウチで「こんにゃくゼリー」の記事を書いた後で「家庭の浴槽での死亡例」と比較したから、というわけではないかもしれないが(笑)、入浴時の死亡危険性のある商品について情報を出していたもん。乳幼児用の浮き輪みたいなヤツだったと思う。
いや、有益な情報だと思いますよ。元々センターを廃止せよ、とは思ってなかったし。だけど、情報を的確に提供するのもそうだし、危険性についての検証みたいなことを正しく行えないと、それは単なる脅しといいますか煽動になってしまうわけなんですよ。

その後に福田総理が「消費者庁を作りたい」とか言い出したので、組織存続の心配は去ったものと思います。


・商品以外の要因はないのか?

こんにゃくゼリーの話で言えば、これは「本当に商品に起因する(特有の)危険性なのか」という問題があるわけなのですよ。こんにゃくゼリーを食べなくとも、その後にアメやピーナッツやキャンディや餅を食べていたりするうちに、やはり窒息していたかもしれない。患者側要因が大きい場合ならば、食品の危険度は若干の違いはあるものの、他の人に比べると誤嚥してしまう確率は高いということになるからです。
因みに、私自身が嚥下反射障害を有していますよ、多分。子どもの時から現在に至るまで、大体同じです。自分が子どもの頃、食事中に度々呼吸が停止しました。嚥下反射に機能的な問題がある為に、一定以上の量の食品を嚥下しようとすると、窒息寸前まで行くのですよ。食べる食品の違いというのは、あまりなかったと思いますね。普通のご飯とか、いも類とか、カボチャとか、そういうものでも呼吸が停止していました。まんじゅうなんかも危険かも。現在は少し改善していると思いますけれども、喉に残留感がよくある、水などをムセやすい、食事中に咳き込むなどの症状(笑)がよくあります。年寄りみたいなもんですよ、既に。水分を一緒に取らないと飲み込みにくくなることもしばしばでした。なので、一日の水分摂取量は結構多い方です。

こうした私と似た感じの機能的障害がある人は、別にこんにゃくゼリーを食べたことがなくても、運が悪ければ窒息することは有り得る、ということです。滅多に起こらないけれども、事故は起こってしまう、ということです。食品特有の危険性というのは、本当にあるのでしょうか、という話です。

疾病などによって嚥下機能に問題がある人の場合には、介護施設などでも行われていると思いますけれども、とろみをつけたり、「ゼリー状」にしたりして、誤嚥を防ぐような食事にしていることがよくあります。こんにゃくゼリーが、これらゼリーに比べて窒息しやすい食品なのかどうかが、どうもよく判らないのですね。
参考記事にも書きましたが、こんにゃくゼリーでの死亡が10年間で3名、それ以外の食品で約3万人かそれ以上の死亡者数がいるのであれば、本当に危険な食品なのかどうか、ということが大変疑問に思うわけなんですよ。だって、こんにゃくゼリーがこの世に存在していなかったとしても、3万人の65歳以上の人が亡くなってしまうわけですから。

「商品のせいだ」と言いたいのは気持ち的には判らないでもありませんが、それは「食べた幼児が悪い」とか「食べさせた○○が悪い」というような「当事者に責任がある」ということが心情的に許せない、ということではないかな、と思わないでもありません。

こんにゃくゼリーを禁止させるのであれば、他の窒息死亡をもたらした全ての食品について、同様の措置をするべきでしょう。摂取者サイドの要因(機能的・形態的問題)が存在してないことも必要となるでしょう。本当にそんなことが判るものなのでしょうか?
しかも専門家の評価を全く受けていないにも関わらず、素人衆だけの判断で決めるといったことにも大きな問題があるのではないでしょうか。


・賠償を安易に認めたことが遠因

参考記事に書いたことですが、メーカー側に責任を押し付ける傾向が強く、結果的には「責任を認めた」みたいなことになってしまっているのではないでしょうか。責任があると認めたのなら、製造販売は中止せよ、と。危険な食べ物である、ということの証明が「何一つない」のにも関わらず、賠償ですからね。

製造中止を求めるかもしれない、みたいな行政側の非公式見解にしても、「暗に製造を止めろよ」という圧力になったものと思われるのです。これも「消費者庁」を張り切りたい、という思惑もあって、行政権力でどうにかしましたよ、みたいな手柄&功名心の結果ではないかと思えます。こんにゃくゼリーは、「消費者庁」のテストケース的なものとして、象徴的となってしまったわけです。つまりは、「人柱になれ」、と。消費者庁&野田大臣の存在がなければ、多分、製造中止には至らなかったのではないかと思われます。

車のスライドドアの問題があったと思いますけれども、たとえ死亡例があろうと、あれは「製造中止」にはされないわけです。何故かといえば、自動車メーカーは政治力を持っており、動く金の大きさも段違いです。なので、中止にはできないのですよ。しかし、弱小こんにゃく関連であれば、「ひとひねり」というところでしょう。

実際のところ、こんにゃくゼリーを販売中止すべし、という国民の意見が圧倒的大多数なのかというのは、実際のところどうなんでしょう?これは多数派なんでしょうか?そういう要望が殺到しているのでしょうか?
本当に過失相殺ということにもならないのでしょうか?




在米日本人研究者の活躍

2008年10月09日 17時40分56秒 | いいことないかな
物理学賞に続いて、化学賞も下村名誉教授が受賞ということでした。

いいことは続いていますけれども、今回の4名の研究者のうち2名が在米研究者という点が、今後の日本の科学研究に影を落とします。

たとえ「人材があっても」、国内の研究拠点やレベルでは閉塞感があるとか自由度の制限があるといった不利がある為に、国外に人材が流出してしまうかもしれない、ということですね。これは後進を育てる、という点においても大きなマイナスであると思います。

日本がもっと研究分野を大事にしなければ、早晩資源が枯渇することになるでしょう。受賞者の年齢を見ればわかるように、「過去の遺産」のお陰で受賞できたようなものですので。

未来に、夢と希望を。
教育に未来を。