いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

日ハム~CS第5戦

2008年10月22日 19時38分57秒 | いいことないかな
西武に3勝と王手をかけられての試合。ダルビッシュを温存という方針は、まあしょうがないとして、涌井が登板なのだから、3点以上離されたらかなり厳しい、ということは誰でも分るだろう。前回対戦では僅か1得点だったのだから、今日は絶対に3点以下に抑えて戦わねばならない、ということは考えられるだろう。


だが、何故グリンを先発?
前回に打撃練習みたいにボロ負け食らったのに、また先発って勝つ気あるの?

これもまあ、しょうがない、と諦めたとして、何なの?藤井のスイッチのタイミングは。
中島にタイムリーを打たれたのは、まあ、とりあえず我慢するとしよう。
で、グリンがヒットとフォアボールで満塁とされた場面。
既に2失点なんだし、中村を歩かせての満塁で、石井を迎えた場面。
グリンを諦めるのは、ここだろ、普通。
これ以上失点が許されないという場面だから、左には藤井を投入するのは当然だろ。

なのに、どういうわけだかグリン続投。
で、押し出し。
最悪。
満塁だけ残して、打席には右の後藤。
ここでようやく藤井にスイッチ。
しかし、初球を2点タイムリー。代わりバナを打たれてしまう。

これはしょうがないだろ。
藤井を投入するつもりだったのなら、石井の場面以外にはなかったろう。

絶対に勝つ、という意識ならば、3点目をどうやっても防がねばならないに決まってる。ましてや、相手は涌井が投げてるんだから、そうそう大量得点は取れないでしょうよ。

既に5失点で、結果はどうなるか分らないが、これで負けたら、采配ミスだわね。




戦争は他の者に任せるがいい(詠み人知らず、笑)

2008年10月22日 12時28分00秒 | 外交問題
誰が言ったか知らないが、これは結構好きですね。
マクシミリアンが言ったというわけではなさそうですが、オーストリアには関係なく、「汝は結婚せよ!」と日本男児に言っておきたいですね。少子化対策には都合がよいでしょう(笑)。


今、特措法案の審議が行われているようですが、何でも欧米の言い分に合わせる姿勢というのは、最低の対応と思います。昨年に給油法案が頓挫して一度引き上げた時、米国は何をしたのか覚えていないボンクラ頭が多すぎなのでは?

本当に議論したと言えるのか~特措法のこと

続・本当に議論したと言えるのか~特措法のこと


日本がアフガン戦争に加担して、何か意味があるのか?得るところがあるとでも?
日本の国益になんて繋がっていないのだよ。それこそ、ハプスブルク一家の言う通りに、戦争は他の者に任せておけばいいだけだ。ソマリアの海賊対策ということを考えるのであれば、それは全く別の話だ。

海賊狩りは戦争じゃない


もっと長いスパンで考えてみるということが必要だろう。
海賊対策に必要ということなら、「対テロ戦争」みたいな旗印はすっかり降ろして、もっと具体的に「海賊退治」に協力します、ということを明確にするべきだろう。それは米軍やNATOのケツにくっついて、彼らの戦争に協力するということなのではない。

大体、コソボ空爆にしても、欧米の論理だけで行われた戦争に過ぎないじゃないの。バルカン戦争、第一次世界大戦、ユーゴ崩壊、セルビア問題、コソボ紛争と、長い年月をかけても、古くからの紛争なんて終わっていないじゃないか。要するに、いつまでも継続する問題なのだ。民族問題というか、ご当地問題というのは、そこの住人たちや地域の人間じゃなければ理解が困難なことがあるのだよ。そうであるが故に、数世紀に渡り戦争が繰り返されるだけなんじゃないか。そこに他国が介入していったとしても、それはその時点での思惑とか利害関係などがあるだけで、問題解決に繋がるというわけでもないだろう。


ビザンチン帝国が滅亡した時、欧州諸国は派兵してくれたか?(笑)
塩野七生氏の『コンスタンティノープルの陥落』は幾度か読んだが、キリスト教国は増援部隊を派遣してくれることはなかったじゃないですか。ジェノヴァ人傭兵隊長のジュスティニアーニ以下約2千人の傭兵以外は、コンスタンティノープル住人等の民間人が戦っただけだった。総勢7千人の戦力に対して、オスマン・トルコ軍は約10~20万人(諸説あり)の大軍だった。ジェノヴァ船とヴェネチア船の奮戦もあったけれども、金角湾への船の移動(陸越え)という奇策で難攻不落のコンスタンティノープルは攻略されてしまった。

当時のメフメト2世が強勢を誇っていたのが事実としても、同じキリスト教徒であるギリシャ正教会を助けようとはしなかったのが、欧州諸国の判断であったのだ。因みに、セルビア騎士軍団はトルコ軍に編入され、攻撃側についていた。
現代でのスーダンの虐殺に介入しなかったのと同じようなものだし、ソマリアからの撤退をしたのも同じだ。要するに、欧州諸国の自己都合によって、「戦争を選ぶ」ということに過ぎないのである。アフガンでの戦争というものが、欧米諸国の都合だけで介入が行われているのであれば、そこに日本が参加する意味などない、というのはそういうことである。

コソボ問題を長年にも渡って解決できなかった欧米が、今後もっとうまく解決策を提示できるかと言えば、そう簡単ではないように思われるのである。虐殺は度々行われてきたし、繰り返されてきた。そこに攻撃を加えるということで、問題を解決できるようになるわけではない。これはイスラエル周辺の問題とも似ているだろう。テロがみんないい大学を出て高等教育を受けており、思想的な何かに基づいて行うといった水準のものとはまるで違う。
もっと、地と血に根ざした、タイムスパンの長い果てしなき抗争、みたいなものが存在しているとしか思えないのである。


なので、日本の地位向上とかいう、盲目的なスローガンを掲げるのは愚の骨頂である。欧州列強がコンスタンティノープルを救わなかったのと同じく、日本が軍事的協力をしないとしても、誰も文句は言えまい。