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低レベルのジャーナリズム気取りが薬害を煽り立てる

2008年10月03日 20時47分23秒 | 社会全般
『月刊現代』なる雑誌をはじめて購入。田中先生がお勧めしていたので、まあ、買ってみようかな、と。11月号に「日本経済再生の処方箋」ということで、萌え系美人?学者2名含む10名が全角度分析(なんつーか、「全方位外交」みたいな感じ?)で執筆しているらしかった。一応、読んだけど。これは本題ではないから、別にいい。美人学者の写真が出ていたから購入した、というわけではありませんので、念の為。
てか、またの機会に、みたいな(←詳しく読んだわけじゃないが、最近これが流行ってるらしい)。

すると、偶然というのは恐ろしいもので、普段なら月刊現代なんて目にする機会なんざ無かったんですが、問題記事を発見したのですよ。騙されたと思って(笑)購入してみたら、読もうと思っていた記事よりも先に、「こ、これは…」ってなったので、早速取り上げておかねば、と。

一応、これの続きということで。
フィブリノゲン製剤投与義務を判示した裁判例

日本の報道によく見られがちな姿勢が垣間見える。一言で言えば、「責任を追及せよ」、だ。トンデモ言説をばら撒く連中の方が、「撒布範囲」が大きいのが困りものなのである。そうして「新たな感染者」を広げ、被害を拡大していくのである。間違った意見や情報だけが拡散されてしまい、まともに考えることができなくなってしまうのである。月刊現代の記事に話を戻そう。

タイトルは、
 >薬害C型肝炎 「もう一つの感染ルート」
で、サブに
 >戦慄データ判明!被害者は3万3000人に
 >感染率が1.5%から42%に拡大―製薬会社の嘘と厚労省の無策が招いた最悪の事態

書いているのは、
 >(ジャーナリスト)木野活明
だそうです。

詳細は現物を見て頂ければと思いますが、要点だけ示しますと、次のようなことです。

記事を書いた木野氏は「42%」という数字に異常に拘っている。タイトルにも、「(感染率が)42%に拡大」と打っているわけだ。これは悪意に満ちた煽り(ありがちなノビーみたいな人種と一緒の手法)でしかなく、センセーショナルに書いておくことで読者を騙しているのと同じなのです。というか、嵌っているのが木野氏本人かもしれないので、自身が「42%!これが間違いない数字だ」みたいに盲信しているなら、周囲の人たちにも「大変だ、大変だ、大変だ、…」と伝道しようとしているのかもしれません。
こうやって、都合のいい特定の数字だけを取り出してきて、断定するタイプの人は新聞や雑誌の記者に多いのでしょうか?

で、数字の出所を見てみた。

対象:岡村記念病院(静岡県)の83年開業時~88年の間に心臓手術を受けた216名
調査:フィブリン糊投与の可能性をカルテで検索

結果:
①条件により除外した患者 55名
②輸血のみ行った患者92名―うちHCV陽性 7名
③輸血+フィブリン糊使用患者69名―うちHCV陽性 29名

③の29/69を「感染率42%」と木野氏が勝手に命名し、②の7.6%と比較すると「大変な数字」ということで、木野氏曰く「戦慄データ判明!」ということらしいです。なんて自分勝手な解釈なのでしょうね。たったこれだけの記述や調査から、「C型肝炎ウイルスの感染率は42%」などということは、判るわけがないのである。それは、真っ赤な大ウソだ。捏造に過ぎない。

取材に応じた岡村記念病院の高田薬局長は、『ただ、糊だけでなく、輸血の際のフィブリノゲン製剤が原因なのか、元々のC型肝炎に感染されていたかはわかりません』と回答しており、「フィブリン糊の感染率は42%」だなんてことは、誰一人として言っていないのです。これは木野氏が自分で合成した「根拠」でしかなく、裁判になった時に主張できるような「合理的根拠」とは言えないでしょう。

他の医療機関についても若干取材しており、都内大手私立病院では、80~89年に「フィブリン糊+輸血」例が930件、うち206名が検査した結果57名が陽性(約28%)だった、とのこと。木野氏が先の42%という数字だけを取材相手の医師に伝えたものと思いますが、そうすると、

『42%?うちも30%近い数字が出ていますが、誤解して欲しくないのは糊と一緒に輸血も併用していることです。輸血だけでC型肝炎の感染率は15%から20%になるとする論文もあります。糊だけのデータならともかく輸血と併用しているわけですから、糊と輸血の両方で感染している可能性も高い。そのデータだけで、フィブリン糊の危険性を論じるのは正確ではない』

と医師がちゃんと正しく教えてあげているのです。
にも関わらず、「42%だ、戦慄データだ」みたいに、さもスクープが如く煽っているだけなのです。

別な日本海側にある私立病院では、77年~89年に心臓手術をした1200名のカルテを解析し、628名がフィブリン糊を使用、連絡がついて検査結果が判明した256名中67名が陽性(約26%)だったと書かれていた。こちらの医師も、『輸血後肝炎がありますから糊によるものか輸血による感染かは正確には判断できません。』と答えているのである。



更に、木野氏の問題記述は随所に見られる。

『それにしても、未承認だったフィブリン糊が、これほど医療機関で広がっていたのはなぜなのか。それには止血効果が高いことと並んで、メーカー側、つまりミドリ十字(当時)の積極的な売り込みがあった。ミドリ十字は、糊としての使用が未承認であることを知りつつ、わざわざ「フィブリン糊」の使用法を解説した小冊子まで作り、営業活動をしていた。
また、同社は89年の時点ですでに糊による感染被害者が19名出ていたことを知りながら、厚生省に対して「発症例は確認されていない」という嘘の報告をしていたことも判明している。すべては、フィブリノゲン製剤の売上を増やすために他ならない。』

こういう記述例を見るにつけ、ものは言いようだな、と改めて感心する。それは、いかにも当然の事実であるかの如く断片的な情報をつなぎあわせているだけなのに、読み手を誤解の迷路に導く為の煽動文を書けるというのは、こういった気質を持つ連中特有の特技なのかもしれない。読み手の心証に、いかにも「悪いのは○○」というイメージを植えつける為に書かれているのである。

いくつか反論を書いておく。

a)フィブリン糊の製剤について

何故多くの心臓血管外科で使用例が89年くらいまでしかないかといえば、別な製品に切り替えられたからだ。88年にティシールとベリプラストが相次いで承認取得となった。だから、これらの「専用キット」を持つ製品を使用するようになり、「フィブリン糊」を調製使用することは殆どなくなったであろうと推定される。
薬剤が新しく承認申請が行われるのは、「必要とされているから」であり、承認時点では「治験は終了している」だろう。申請を出してから承認されるまで、最低でも2~3年程度はかかるであろうから、88年に承認取得となる為には85~86年頃には申請を出し終えてなければならないであろう。すると、治験そのものは、着手してから症例数を集めるのに時間がかかるだろうし、分析したり書類を整えるまでには数年かかるだろう。そうなると、治験スタートが少なくとも85年以前であるだろうことは、推測されうるのである。

この当時に他の製品があったかといえば、恐らくなかったであろう。代替薬剤は、「フィブリン糊」以外には多分なかったであろう。営業活動が特別に悪かったわけでもあるまいに。売り歩く営業マンは、「このフィブリノゲンのボトル中には、《C型肝炎ウイルス》がうじゃうじゃ入っているけど、儲ける為にバンバン売っちゃるぞ!」とか、考えていたわけでもなかろう?
最近話題の「食の問題」みたいに、「~~に汚染されている米だと知ってたけど、儲ける為に何倍もの高値で売りました」というような話とは全然違うだろ。中には薬品が入っているとしか思ってないだろ、そんなの。よもやウイルスに汚染された薬が入っているなんてことは思いもよらなかったであろう、ってことだよ。「儲ける為なら、人々を病魔で苦しめようが関係なく薬を売ってやるぜ」なんてことを考えられる人間なんか、圧倒的に少ないに決まってるだろ。普通はいないんだよ、そんな人は。

いずれにせよ、80年代前半頃には、「フィブリン糊」様の接着薬剤としての使用方法が、治験等も含めて普及、拡大していったのではないかと推測される。フィブリン糊が、例外的に特殊で突飛な使用方法であったわけではない。


b)適用外使用について

まるで違法な使用方法とでも言いたげな木野氏の文章であるが、全然違う。未承認であろうと、使用は認められる。保険請求などはできなくなるけど。薬剤の適用以外であっても、ごく当たり前に用いられてきた例は事欠かないだろう。
有名なものでは、例えば、アスピリンの低用量投与というのがあった。抗血小板作用ということで心血管系の疾病悪化などの予防効果はあると考えられ、本来の目的である「×抗生物質」
(←※唐突ですが訂正、「鎮痛剤」だよね勿論。ゴメンね。今(10/3)見てたらふと気づいた。なんでこんな基本的ミスをしちゃったんだろ…オレ。これはひょっとすると「ペニシリン脳」(ウソ、某所で大量ペニシリンにより脳を冒されたのか?)かもしれない。書類などの記載ミスとかはこうして起こるのかもしれんな。ともかく反省…)
「○鎮痛剤」として用いるのとは異なる使用法であった。当然「未承認」だった(笑)。が、後年承認取得となったはず。薬事行政の硬直的な面があって、適用を増やすとか変更するというのは「極めて大変」なのだ。金も時間もかかる上、役所仕事の面倒くささに付き合わねばならないのだから。製薬会社が申請を出したがらないのはその為だ。すると、臨床的には「普及した使用方法」であるのに、適用外使用でしかない、ということが起こってしまうのである。

かつて、薬害として催奇形性が問題となったサリドマイドがあった。1960年代前半に、奇形児が各国で生まれて大問題となり、日本では承認が取り消されたはずだ。しかし近年、ハンセン病治療やガン治療の為に使用されていることがあり、未承認ながら日本でも多発性骨髄腫の治療などに用いられている。患者側の要望が強まったので、先頃「未承認」である使用を続けてきたサリドマイドを、今後に承認することになったと報じられた。

木野氏あたりならば、「未承認の使用方法であるにも関わらず、数多くの薬害被害者をもたらしたサリドマイドをガン患者に使っていたのだ」とか、あたかも「脱法行為」であるかの如くに書き立てることだろう(笑)。


c)「糊による感染被害者19名」と嘘の報告について

「糊による感染」というのが、木野氏には断定できるらしい(笑)。
89年時点で、これをどうやって知ることができたのか?
HCVが含まれるかどうかが、検査でも判明しないのに、一体全体、どうやって感染ルートが解明できたのであろうか?
恐らく、「フィブリノゲン製剤が原因だ」と主張している連中には、「神の知性」があるそうだから、これを立証できるのであろう。それを是非ともやってもらいたいね。未だかつて、「フィブリノゲン製剤が原因だった」という立論を、誰もが納得できるように示せた人は「ただの1人」でもいたか?
木野氏じゃなくて、弁護団の誰かでも宜しいですよ。或いは、新聞記者や社説の論説委員でも、テレビのコメンテーターでもいいですよ。「一律救済せよ」と言っていた人たちの中から、説明できる人が1人でもいいから出せばいいだけなんですよ?
誰にもできないんですって、そんなことは。答えは、殆どが「判るわけがない」、だ。

「糊による感染被害者19名」を証明できるはずだ、木野氏には。それをやってごらんよ。
輸血でもなく、医療器具でもなく、元からキャリアでもなく、「フィブリン糊」投与で感染、だけが「高度の蓋然性」をもって立証されねばならない。本当にそんなことができるんですか?(笑)
輸血が感染原因とは考えられない、そのワケは?否定できる根拠とは?

「感染率42%」と幾度も書いている木野氏ならば、きっと判るに違いない。
医療機関において、ある1人のHCV陽性患者が受診し、それ以後に器具類がHCVに汚染されてしまったとしよう。すると、その後に感染する人が出てしまうかもしれない。前の参考記事中に書いた圧トランスデューサーが原因と疑われたHCV集団感染例のような事態が現代でもあるわけだ。
すると、例えば87年の青森の集団感染例が、こうした医療器具等の院内感染ではない、ということを立証できるのか?他の医療機関でもいい。どこでも構わないが、「医療器具による感染」を否定できるか?

そういうのを逐一積み上げていき、残った要因として最も疑わしいのが「フィブリン糊」と立論できて当然だろう?そうじゃなければ、木野氏が嘘つきということか?「製薬会社の嘘」を断ずる前に、自ら「糊による感染」を証明したまえ。

製薬会社は本当に「フィブリノゲン」由来の感染かどうかは「判らなかった」のではないのか?
だって、当時にそんなことが判りようがないからだ。調べる術もなかった。感染源として自信がなければ、そんな報告ができるわけないでしょう?あれですか、ジャーナリズムな方々というのは、「○○を食べました、すると、××菌による中毒が発生しました」という時、○○が本当の感染源かどうか判らないのに、「○○が汚染されていたせいです、○○が原因です」って報告してるのか?

ある人は肉団子を食べ、別な人はカイワレ大根を食べ、他の人はカボチャを食べ…、ってなったら、全ての食品メーカーが「食べたもの」について「感染源です」と申し出よ、ってか?
どんだけ「安全」なら気が済むんだよ。

あれだ、こういうことを言う連中というのは、事故米混入の疑われる食品を摂取してたまたま食中毒になれば「事故米が混入していたせいだー!一律救済せよ」とか言うんだろうね。冷凍餃子でもいいよ。薬品入りだか農薬汚染のギョーザを食べたせいで病気になったんだー、とうしてくれるー!、みたいな。

理不尽な双六~「フリダシに戻る」を再三要求する社説

薬害利権はこうして拡大する・2



なんなら、仮想記事の見出しタイトルを付けてみますか?(笑)

戦慄!「ジャーナリズムごっこ」が日本を滅ぼす!!

驚愕の真実が明らかに!!

信奉者続出―デタラメ、嘘八百を並べるマスメディアが隠蔽する追及至上主義

「納得できない族」が蔓延る理由



牧歌的なオレ

2008年10月03日 12時36分18秒 | 俺のそれ
特に、非難するとか、何かの意図があるわけではないが。

コレ>2008-10-03 - 弁護士 落合洋司 (東京弁護士会) の 「日々是好日」には、次のように書かれていた。

『検察イコール正義の味方、悪を退治するヒーロー、といった単純、牧歌的な検察観しか持っていない人にとって、いろいろな意味で参考になる事件ではあります。』

=====


これはいつもの、「さてはオレを撃ってきたな」論法を発動せよ!、だな(笑)。

落合先生が、「牧歌的な検察観しか持っていない人」というのを、具体的にどんな人を指しているのかは知りません。
が、偶然にも、拙ブログには先日次のように書いた。

あるコメント

『私にとっての正義の象徴とは、大雑把に言うなら検察(検事)であり、司法なのです。判決を書く裁判官も当然含まれます。弱小個人に過ぎない私が、唯一(国家)権力と向き合う(対決する)ことが可能なのは、司法制度しかないのですから。なので、「法」すなわち司法に正統性を求めています。映画「ダークナイト」で正義の象徴となっていた検事が登場していましたが、そのことが痛いほどよく伝わってきました。』

どう見ても、正義の象徴、すなわち正義の味方・悪を退治するヒーロー的に扱っているのは、オレってことですな(笑)。つまりは、牧歌的なのはオレってことだね。
そうだな、自分でも「おめでたい奴」とか「牧歌的な単純バカ」とか、傾向としてはそうなんだろうな、と思ってるから別にいいけどね。否定はしない。オレはそれでもいいと思ってるから。


法と正義5

検察の調活費問題についての事件は、この記事を書いた04年時点で知っていた。
検察の内部告発をすることと、個人の不正とが別であることは確かであり、内部告発の目的がどんなに崇高であったとしても、個人の不正や罪が消え去るわけではない。
しかし、逆に言えば、最高裁はじめ法務省・検察の暗部というのが「かなり深いだろう」、ということも十分想像できるというものです。検察に対しての「法の支配」が通じていない部分があるのではないか、それは政治的に左右されてしまうものなのではないか、ということです。これは最高裁とて同じ。そういう「間柄」なのだな、と。

橋本派への強力な締め付け&追い落とし策、更には医療改革(医療費削減)に抵抗する厚生族への切り込みという点においても、国策捜査が用いられたのではないだろうか、という側面についても考えるようにもなったし。防衛省の守屋事件にしても、何かの裏がありそうかも、と思うこともあったし。


だが、必ずしも落胆はしていない。
特にこれといった理由はないが、信じているからだ。
こうした暗部があることも知った(考えた)上で、正義の象徴たる司法を求めるのだ。

法が通用しなくなった時、暴力に負ける。暴力に支配される。
端的に言えば、ロシアのような状態、ということだ。
その点では、アメリカは違う。アメリカには正義が残っているのである。
国家の陰謀とか権力による犯罪があるとしても、いつかは糾弾される。暴かれてしまうのだ。
それが、正義の国、アメリカだ。
<蛇足:
時々余計なお節介とか、大きなお世話を「他人に押し付ける」ので、かなりウザいのが玉に瑕なんだが(笑)。
「イデオロギーの押し売り」みたいなところもあるかな。>


正義を信じる者たちの意志、それは法によって支えられ、力を与えられるのだ。
暴力は、いつかは負ける。
永続する暴力支配は、存在しない。
暴力は、必ず暴力によって葬り去られる。だから、長続きしないのだ。

けれども、人間の意志は、簡単には消え去ることがない。
代々受け継がれ、意志は残される。
法とは、正義を信じた者たちが引き継いできた意志だ。
暴力は必ず負けるが、意志は受け継ぐ人間がいる限り負けない。
キリストが死んでも、暴力に負けはしなかった、というのと同じ。


個人を超えた、「法を守る者」の意志、というものがある限り、それを信じたいのだ。
しかし、法は時として、暴力以上に暴力的なことがある。
この暴走を止める唯一の方法は、人々が見守る(監視監督する)ことである。
バットマンが闇から見守るのと同じく、正義は、そして意志は、常に見守り続けて受け継ぐしかないのだ。



フィブリノゲン製剤投与義務を判示した裁判例

2008年10月03日 01時46分11秒 | 法と医療
「薬害だ」と言って、原因も判らぬままに、何でも薬害に結びつけてしまう人々は後を絶たない。マスコミにもそうした論調は依然として残っている。よく判りもしないのにマスコミが大騒ぎした結果、一律救済という欺瞞を生み、多額の税金が投入されるのである。この国は、ちょっとおかしいぞ、本当に。


古い裁判例であるが、以下で検討してみる。

輸血措置止血措置の遅れ

(以下、一部引用)

弛緩出血ショック止血措置輸血措置懈怠―医師側敗訴
東京地方裁判所昭和50年2月13日判決(判例時報774号91頁)

本件では胎盤娩出から同6時10分までの僅か35分位の間に少なくとも300ccの出血があり、前記ガーゼタンポンの操作に取掛る同6時4、50分頃には合計650ccに達し、その頃既に正常範囲を超える出血を見たほか、なおも子宮から少量の血液が持続的に流出している状態であった、というように、分娩時の出血の中でも特に重大視されている弛緩出血、しかも子宮の収縮不全がその原因として疑われる状態であったのであるから、医師としては、これに対して迅速な止血措置を行うと共に、出血量、血圧数及び一般状態を確実に観察把握の上、輸血適応の状態に達したときには、時期を失することなく速やかに輸血措置を講ずべきであり、これに伴い、血液の性状につき凝固性が疑われるとき、又は多量の出血によって生ずる出血傾向を防止する必要があるときには、線溶阻止剤や線維素原の投与をなし、輸血にしても新鮮血の大量輸血を施すのが当を得た注意義務ということができるとすべきである。

(中略)

またその頃既に前認定のように、流出している血液は暗黒色で凝固しにくいようにも見られ、引続き多量の出血があったことからして、血液の凝固性を維持する措置が考慮されなければならなかった。そして、同7時25分以降アミノデキストラン輸液が開始された後、血圧は最高値が80mmHgより上昇せずに、同7時50分に最高50mmHgとなっていることから見ても、前記ガーゼタンポン挿入の操作と併合して、血圧、脈搏等の状態を把握しつつ、輸血の手配がなされていれば最善であったが、少なくとも同7時25分以降は速やかに、いかに遅くとも同8時頃までには輸血が実施されるべきであったことが明らかであって、同8時50分輸血が開始されるも、もはやショック状態の回復には奏効しなかったのであり、被告医師の輸血の手配時期は遅きに失したものであって、同被告には前示注意義務を怠った過失があると言うべきである。また右の点のほかに、線溶阻止剤や線維素原の投与並びに新鮮血輸血について配慮していないことも指摘できる。

=====


まるでどこかで目にしたかのような、妊婦の出産に伴う大量出血例の裁判である。事件の中身については、とりあえずおいておく。
かいつまんで言うと、本件では大量出血があったので、「速やかに輸血すべし」「線溶阻止剤や線維素原の投与すべし」ということが義務であったと認定され、これを怠ったのであるから注意義務違反である、という判示である。

a)輸血適応の状態に達したときには、時期を失することなく速やかに輸血措置を講ずべき
b)血液の性状につき凝固性が疑われるとき、又は多量の出血によって生ずる出血傾向を防止する必要があるときには、線溶阻止剤や線維素原の投与をなす、新鮮血の大量輸血を施す

ということである。
そもそもは、輸血時期が遅きに失した=注意義務を怠った過失がある、とされているが、これに加えて、線溶阻止剤や線維素原の投与並びに新鮮血輸血について配慮していないことも、義務違反と指摘されているのである。

これはどういうことか?
輸血は当然として、他にも「抗プラスミン剤」や「フィブリノゲン製剤」を投与すべき、ということである。これを裁判所が求めている、ということである。事件は1965年に発生、判決は1975年である。65年時点で「フィブリノゲン製剤投与を考慮しなかったことは注意義務を怠っていた」と言われてしまうのである。抗プラスミン剤はとりあえず関係ないので、裁判所指摘の「線維素原」だけ考えると、「フィブリノゲン製剤」以外には有り得ないであろう。

以前に紹介した厚生労働省の出した調査報告書によれば、1965年時点で存在していた製剤は旧ミドリ十字のものだけであった。

・6月9日 株式会社日本ブラッド・バンクがフィブリノゲン製剤の承認取得(販売名は「フィブリノーゲン-BBank」)
・10月24日 株式会社ミドリ十字への社名変更に伴い、「フィブリノーゲン-ミドリ」に販売名変更

と記載されていたのだ。つまり、裁判所はこの「フィブリノーゲン-ミドリ」を投与すべきであった=投与しなかったことは義務違反でしょう、と認定したということである。

で、これを投与したら、後になってから「薬害だ!一律救済せよ!」と?
投与しなかったら義務違反、じゃあ、一体どうしろと?


この国の法学分野の研究は、この40年間、一体何をやってきたのか。
法曹界では、どういった前進があったのか。こうした裁判例をどのように検証し、どう生かしてきたのか。言った通りだったじゃないか。検証ができていないのだ。知見の積み上げには役立ててこなかった、ということさ。
昔も今も、何も変わってなんかいないのだ。同じようなことが繰り返されるだけなのだ。


1965~85年までは、ウイルスの不活化処理として、BPL(β-プロピオラクトン)処理が行われていた。
推定ではあるものの、この処理によってHCVはほぼ不活化されていたと考えられる。完璧に感染防止ができていたかは確かめようがないが、感染リスクはかなり軽減されていたであろう。偶然にも、HCV感染は多くが防がれていたであろう、ということだ。発症例の報告が少なかったこととも符合するであろう。

85年8月以降には当時の厚生省の指導もあって、BPL処理ではなく抗HBsグロブリン添加に変更された(残留薬剤とその発癌性の問題なども影響したのかもしれない)。肝炎感染では最も怖れられていたのがHBVであったので、止むを得ない面もあったろう。輸血後肝炎の発症はかなり減少していたものの、ゼロになっていたわけではなかったから、主原因としてはHBVが疑われていたのかもしれない。この当時でもHCV同定は不可能であった。


参考:薬害の一律救済は欺瞞に過ぎない

防げないものについてまで、賠償せよ、というのは、そもそもおかしいのである。ましてや、裁判所が投与義務はあった、と認定しているのだから、防衛医療ということで見れば、投与しがちの風潮を生み出した可能性すらある。過失認定を恐れて、フィブリノゲン製剤を投与したのは「判決のせいだ」と言われたら、それを否定できるだけの論拠を裁判所は持つだろうか?

C型肝炎訴訟に関していうと、弁護士たちの立論や考え方もおかしいが、感情論的に何でもかんでも薬害とか言って煽動するマスコミもおかしいのである。これは、また改めて書くことにする。