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貸金業の上限金利問題~その12

2006年05月07日 21時43分11秒 | 社会全般
すみすさんからコメント頂いて、大変参考になるアドバイスであったと思います。有難うございます。

特に「逆選択」の部分から考えてみました。また、「情報の非対称性」について書くと前に言いましたので、まずはそこから。


・情報の非対称性

貸金市場では、一般に融資審査が行われるが、現在の審査制度ではあらゆる信用情報などが貸出側に揃っている訳ではない。おおよそ業界毎に存在してきた信用情報システムは、現在4つに分かれているとされる。それらの間での信用情報の共有化が進んでいるわけではない、ということである。例えば銀行系、クレジット系、貸金業系、と別々な借入を行われてしまうと、貸し手には把握できない情報が存在することになる。事故情報も知らない場合や、延滞等の情報に基準が異なる面もある。業者間での情報の非対称性も存在している。


また、返済行為自体は借り手にとっては努力(コスト)の必要なことであり、正確なモニタリングがあれば貸し手が努力を怠っているかどうかを監視することが可能であるし、突然の収入減少(ボーナスカットとか失業とか)などの状況も知ることが可能であるが、現実にはそういった借り手の状況を貸し手が全て知ることはできない。借り手側の返済努力というのは、個人の行動要因に影響を受けると思われる部分もあるため、個人差を事前に予想することは難しい。

参考:月刊ESP12月号


一方、借り手もまた貸出業者についての全ての情報を知っているわけでない。特に「金利」(返済内容)や「取り立て」に関して、事前の区別が困難な(十分理解して判断できない)ことがある。さらに、整理屋・買取屋・紹介屋などの単なる悪質業者であったり、闇金・違法取立て業者などであることもある。


日本での特徴的なこととして、破産者は借入業者数が多いことが指摘されており、その傾向は近年でも依然観察されている。多重債務者というのは、まさにこの状態であって、借入先が多いことが特徴的である(それに伴って債務額も増えている)。これが可能なのは、貸し出す業者が存在しているからである。返済がかなり困難と考えられるような状態になっているにも関わらず、貸し出す業者がいる限り、貸出先を捜し求める債務者が借り続けようとすることを防ぐことはできない。


「回収」業務(=取立て)に比較優位にある貸金業者は、たとえハイリスクグループに貸し込みを行っても、他の業者たちなどに比べれば「取立て」で早期に回収できる可能性があるため、返済能力の限界に達している(或いは超えている)としても、貸し出すことは合理的となり得ます。違法か違法ギリギリの取立てであっても、回収できたもの勝ちですので。しかも、貸出業者数が増えれば増えるほど破綻リスクは分散され、優良業者とそうした複数の「貸し込み業者」とがリスクを分担することになってしまう。なので、複数業者からの借入がある債務者にさらに貸し込むのは、回収に自信のある「貸し込み業者」にとって都合のよい戦略で、「最後の貸出業者」にならない限り回収可能性はあると言える。一定の水準までは、「貸し込み参加者」が増えれば増えるほど、貸出リスクは過小評価されやすくなる。


初めの頃に貸し出す業者は、これらの貸し込みを予測することは難しい。どの債務者が、こうした多重債務に陥るかを、現在の信用情報システムでは知ることはできない。モニタリングも効果的に行われているとは言えない。


・逆選択

民間金融機関やクレジット業者の信用供与額は90年代半ば以降、経年的に減少した。通常、銀行の貸出金利は貸金業に比べて低いことが多い。目的別の住宅ローン、自動車ローン、教育ローン等は金利水準は10%以下の低いものが大半で、フリーローン(結婚・海外旅行・高額商品購入等)などが続き、最も高いカードローン(全くの自由な使用が可能)でも、10~15%程度である。顧客にとってみれば、こうした低金利での借入の方が望ましいが、審査要件や審査日数、即時性(申し込み時に融資が実行されるかどうか)などで貸金業には劣る面があると思われる。しかし、審査が厳しいということで、貸出金利水準の低い商品となっていると考えられなくもない。


また、クレジットカードによる信用供与も減少傾向であり、目的の決まっている販売代金は15%前後の金利で、キャッシングではそれよりもやや高い金利設定が多く見られるが、それでも18%程度である。流通系のカードなどでは、キャッシング金利が12~15%と割と有利な条件設定になっているようなこともある。主に優良顧客向けカードローンは金利が低いものが多く、10%以下のものも見られる。


これらの貸出市場規模で言えば、減少傾向であることは先に述べた通りである。特に銀行の減少が大きい。12兆円もの減少額となっていることは注目すべきであろう。この同時期に貸金業では信用供与額は増加を続け、決して低くない伸び率で増加してきた。以前の記事(その8)にも書いたように、94年の4.5兆円から今の10兆円超のまで増加を続けてきた。


これはどのようなことが考えられるのか。
上述したように、銀行・クレジット系は市場から退出していく一方で、この減少と反比例するように、自己破産申請件数は増加していった。更に、貸金業者数全体では減少しているが、大手は貸出・業者数とも増加した。少なくない利用者がこうした大手貸金業者へとシフトしていったと思われる。


情報の非対称性の部分で述べたように、貸出業者間での情報にも非対称が存在し、多重債務者という特殊な要因が比較的低金利の貸出市場の信用供与額を減らすこととなった可能性があるのではないかと思われる。


多重債務者は、あちこちから借りるのだが、当初から業者数が多い訳ではない。初めは少ない業者からスタートするのが普通で、仮に銀行やクレジットが貸し出して、そこから返済負担が厳しくなったハイリスク層が貸金業者から借入を次々に増額すると、銀行やクレジット、初期貸出を行った比較的優良な貸金業者たちは、返済が続けられている限り、直ぐに借り手の破綻危険性については知ることができない。しかし、実態としては、借り手が個人の負担能力の限界に近づいていて、比較的優良な貸金業者からの借入を断られてしまうとしても、他の貸し手が現れれば、借入することが出来てしまうため、破綻までの時間稼ぎが行われることになる。「取立て」での比較優位にある不良業者などは、その間に他の優良な貸し手よりも先んじて回収できてしまうのである(そもそも貸出金利も高いので)。その結果、自己破産の増加と一件当たりの債務額の膨張が生じ、なおかつ破産にともなう損失は優良業者にも及ぶこととなる。


このような状況によって、比較的低金利の貸出はリスク管理を厳しくせざるを得ず信用供与額を経年的に減らすことになり、それよりも金利水準の高い貸金業では貸出競争が行われ(恐らく貸金業者数減少がその結果であろうと思われる)、概ね大手業者に顧客は集まっていったものの、優良顧客を多く持たない貸金業者は「貸し込み業者」となって、更に多重債務者の破産リスクを高めたであろうと思われる(そのため自己破産件数は増加していったのではないか)。すなわち、消費者金融市場においては、「逆選択」を生ずることとなったのではないかと考える。

このような逆選択によって、低利の銀行系やクレジット系の利用率は減少し、貸金業者の信用供与が一貫して増加しつつ、貸出競争での比較優位にある大手が伸び、取立て優位にある「貸し込み業者」が多くなるということになったと考えられる。


・金利規制

このような逆選択を生じている場合、金利上限規制というのが有効な政策となり得るか、というのは、正確には評価できないが、個別に貸出規制が可能とも思えず(仮に貸出総額を規制したとしても、将来時点の減収要因を審査時には判断できず、予見可能性の判定は難しいのではないか)、融資審査の強化については間接的に効果がないとも言えない。かつて、融資審査に必要な信用情報の共有化が業界枠を超えて検討されたこともあったが、不十分に終わり、今のような4系統の分立となっている。「情報の非対称性」を改善する方法としては、一本化が最も望ましいが、業界間の軋轢などがあるのであれば、それを早急に実現することは難しいと思われる。


よって、間接的に融資審査強化が期待できる上限引き下げは、暫定的であっても意味があると思われる。もしも、将来時点で金利規制を外すとしても、今のような消費者金融市場では競争が不十分であり、情報の非対称性も解消が進んでおらず、完全競争市場からは程遠いと考える。もっと、銀行・ノンバンク・クレジット・貸金業等の各業界枠を超えるような競争が実現し、信用情報を含む融資審査が改善され、貸出業者の法令遵守、「貸し込み業者」の排除などが実現しない限り、適正な金利水準は望めないと思われる。さらに利用者側への啓蒙等、金融・経済教育(内閣府がやると言ってたヤツですね)が浸透して、ある程度の判断能力を持つようになることが必要であろう。今のような「騙され具合」では、利用者にとって圧倒的に不利となるのではないか(悪質業者に簡単に引っかかる程度ですので)。


将来時点での規制撤廃を望むのであれば、当面、悪質な闇金業者の摘発が一定以上に進められることも必須要件であろう。完全自由化では、利用者が悪質業者かどうかの区別がつかず、再び情報の非対称性を生んでしまいかねないのではないかと思われるからである。



すみすさん、経済学院生さんへのお答え

2006年05月06日 20時10分53秒 | 俺のそれ
「経済学院生」さんより、興味深いコメントを頂きました。

貸金業の上限金利問題~その10

それについてお答えしたいと思います。また、「すみす」さんへのお答えの中で、「薬剤との対比」ということを書きましたので、そこから書いてみたいと思います。


正確に言うと実際とは異なっていますが、仮に、次のようなことが知られているとします。

一般的な薬物の効果に影響する生体の反応を考えます。通常、投与された薬物は次のような変化をするとします(とりあえず注射や点滴のような血中投与とします)。それぞれの薬物の種類や量によって、当然異なります。


代謝条件:

①投与された薬物の20~50%は直ぐに血中タンパクと結合して不活性化される
②肝臓を通過した薬物は、単位時間当たり30~60%が分解される
③肺を通過した薬物は、単位時間当たり5~10%が呼気中に排泄され体外へ出る


これが生体の基本的反応であるとします。ここで、次の薬物を投与するものとします。薬物の作用(薬効)は、分解されたり不活性化されたりせずに血液中に残存している薬物の量に比例するとします。

・血圧を上昇させる薬物A,B,C,D(他の作用や副作用はないものとする)
・上昇作用はAが5%、Bが10%、Cが20%、Dが30%
・各薬物の投与量はランダム
・種類の組み合わせもランダム
・投与期間、投与時期もランダム

以上の薬物を投与されている人に
・薬物?(A~Dのどれか)を量・時期はランダムに投与
・場合によって、更に薬物?を追加投与
・投与からある時間経過後、調査
・薬物投与された人たちを脳血管の「破裂群」と「非破裂群」に分類
・脳血管破裂は個人差(血管弾力性による違い)があるので破裂限界は不明


脳血管破裂は血圧上昇によるもので、他の疾病の要因は皆無であるとします。件のペーパーのような結論を出せば、

・薬物投与量、種類は、破裂群ではやや多かったが、非破裂群と明確な違いがみられなかった
・途中で投与した薬物?は、原因と言えなかった
・最も大きな影響を与えたと考えられるのは、「個体差」である


このモデルを見て、「そうでしたか、個体差による影響が一番だったのですね」という結論である時、これは、どのような科学的意味がありますか?生体の薬物代謝能力の違いによる、というのは、当たり前です、と言っているのです。投与された薬物の薬効自体を変える要因が、「個体差」しかないのですから。破裂限界も個体差ですし。薬物の影響を調べるのに、このようなモデルは不適切です、と何度も言っているのです。借金返済の場合にも、時間経過とともに増減するのは、「収入」と「支出」だけなのですよ?代謝条件①、②などと、同じ意味合いであると思います(むしろ、ペーパーの場合には、この条件すら無視或いは未知)。


個体差は条件①~③の組み合わせによって、各々変わっていきます。この程度はどのくらいかは、事前に予測は困難です。しかも、刻々と変動します。で、破裂群では「血中タンパクが以前よりも減ったから」「肝臓の機能が最初よりも落ちてしまったから」「肺循環の低下があったから」という理由が破裂原因の主なものです、ということであるならば、薬物のリスク評価や、追加投与した薬物の評価がどうしてできるのでしょう?上記モデルは、本当に科学的だと言えるのでしょうか?


このような証拠を持ってきて、「破裂したのは、薬物を投与したせいではない」と何故言えるのですか?そのような思考に疑問を感じる、と言っているのです。初期投与や追加投与の薬物のリスクを評価するのであれば、もっと別な条件を設定して検証するべきで、上記モデルで説明要因は、「個体差である」って、モデルの根本的発想が間違っている、というのが私の主張です。更に、この論文を「上限引下げ」反対の論拠として用いることが正しいとも思いません。金利水準に何らかの判断を与えるものではないからです。

これを正当であり、科学的結論だと信じている、と言われるならば、これ以上、説明のしようがないです。「経済学の世界」では、それが「常識」なのだろう、と解釈するしかありません。


「経済学は科学である」と力説する人々がいなくとも、多分「科学的」な学問であろうと素人ながらに思ってはいましたが、その信頼性は大きく揺らいでいますね。


それから、「経済学院生」さんのコメントを一部引用させて頂きます。

『失われるであろう信用による逸失利益と、販売による利益を比べて、信用を損なうことによる不利益のほうが大きければ販売をとりやめるだけです。』

実際、三菱自動車はリコールせず、アイフルは違法取立てを行っていたわけで、どちらも行政の介入となってしまったと思います。現実世界では必ずしも合理的判断を優先するとは限らない、ということではないかと。これは裏を返せば、「市場」が不完全である、ということなのではないでしょうか?是非経済学をご専門にされている人々に、そう仰って頂ければ有難いです。介入の必要性もあるかもしれない、と。

情報の非対称性とのかかわりについては、改めて記事に書いてみたいと思っています。


『「風呂オケ」モデルを用いて、どのようなことを伝えようとしているのですか?
坂野ペーパーは、
1.借金を一度したら、過剰融資で借金漬けにされてしまって、自己破産した
2.借金の後減収によって借金が返せなくなって、自己破産した
というふたつのケースのうち、どちらがより重要か検討しているペーパーだってわかってる?』


1について:
今まで、「ライフイベント」そのものについて、それは違う、と否定したことなどありませんが?それは以前の記事をお読み頂ければお判りになるかと思います。「風呂オケ」モデルは、記事の続きを是非お読み頂きたく思います。

また、件のペーパーでは、データ提供会社による初期貸付及び追加貸付が無理(過剰)な融資となっていなかったかどうかが検証されているだけ(上記モデルでは薬物?の初期投与+薬物?の追加投与)であって、その後には大半が(破産群も非破産群も)他社からの融資が増額されているわけで、世間一般で言う「過剰融資」の否定でも何でもないと思って読みましたが?経済学では、ある融資実行後に別会社からさらに融資された場合には、借入総額が何倍かに増大しても「過剰融資とは定義しない」ということでしょうか?それが経済学では普通なのでしょうか?上記モデルでいえば、他の誰かはその後にA~Dのどれかの薬物を投与していることにかわりはないようにしか思えませんけれども。


2について:前述した通りです。


『bewaadさんにこてんぱんに言い負かされているのは、あまりかっこよくないと思います。経済学の知識がないってことは自分でわかってますよね?だったら、少なくとも教えを請う姿勢が必要でしょう。』


それは勿論判っておりますよ。こてんぱんでも、かっこ悪くても私はかまいませんが、全てを答えてないことに違いはないと思います。いくら私のことを「かっこ悪い」と言ってみても生産的ではありませんし、私なんかよりもはるかに知識の多い、経済学の本職であるところの経済学院生さんが代わりにお答え頂けるなら、嬉しく思います。

以前の記事(その9)に書いたように、ナゾが未だに解けないのです。


それは再掲しますと、次のようなものです。


1)「消費者金融顧客の自己破産の分析~その特徴と原因」について

①「破産」「非破産」群の区分が不適切であり、特に「非破産」群では追跡調査が何も示されておらず、不適切な区分の群間を比較検討したところで、そこから得られる結果というのは信頼に値しないものではないか

②仮に、本モデルを採用したとしても、「金利水準」についての分析結果を与えているものではないので、「初期貸付額」とか「追加貸付額」の分析で「有意差がなかった」という結論が出ていたとしても、「金利水準」に何らかの判断を与えるものではない

それから、bewaadさんからご回答頂いた次の部分。

『多い数をとっても多重債務者は10%以下でしかありません。「破産」寸前は多重債務者以外にもいるとして、安全を見て倍の数字をとっても約18%。「破産」寸前の者を除去した際、仮に「非破産」と「破産」に有意な差が1や2において存在するとしても、それはごくわずかなものだと推測可能です。』

で、私の疑問は、
「非破産群」中の9~18%が破産寸前かどうかを推定することは可能とは思えず、その後に破産する割合を推定するのが困難なことに違いはないと思われますが。


2)「上限金利規制が消費者金融市場と日本経済に与える影響」について

①「上限金利引下げによって、借入不能になる層が出てくる」というのが、論文の示した結果が正しいのであるとすれば、貸出口座数や信用供与額は減少すると推測され、過去の引き下げ(83年、86年、91年、00年)でその通りの現象がどの程度観察されているのか

②マクロ経済への影響については、「上限金利引下げでGDPが減少する」というシミュレーションをしているが、同じく過去の引き下げ後にGDP統計上では必ずしも減少にはなっていない。他の要因によって相殺されたとも考えられるが、信用供与額の減少によってGDP減少が起こるならば、信用供与額減少ということが見られるはずではないか


3)「上限金利引き下げの影響に関する考察」について

①闇金の増加と金利上限引下げの関連性については、「引き下げられれば、闇金市場へ流入する層が増加する」ということが述べられているが、「金利上限引下げが闇金業者の増加をもたらす」とする理由が不明確


経済学のご専門の方であれば、きっとすぐに答えが判るでしょう。もしもよろしければ、是非ともご教示頂ければと思います。


個人的な希望を述べますと、経済学大学院生の知的水準の高さを実証して頂けるならば、「経済学院生」さんの言説は、まことに説得力のあるものとして真摯に受け止めたいです。



貸金業の上限金利問題~その11(追記後)

2006年05月05日 23時58分30秒 | 社会全般
昨日の「風呂オケ」モデル(と、また勝手なネーミングをしてしまいますが)の続きを書いてみたいと思います。以下では、「蛇口1」と書くと「蛇口1から注水される水量」、「ポンプ1」と書くと「ポンプ1から排水される水量」ということを意味するものとします。


借金がない場合には、蛇口1とポンプ1しか存在しない為に、容器の水量を変えるのは、この両者ということになります。仮に住宅ローンを設定して、ポンプ2が設置されるとしますと、この排出能力は元利均等返済であれば、定数項です。時間経過によって、この量が変わるということはないですね。前の記事に書いたように、借金というのは殆どが機械的に数値が決まります(変動金利のような場合を除いて)。ですので、「ライフイベントが説明要因である」、ということは当然なのです。他は変わりようがないのですから。蛇口1を変動させるか、ポンプ1を変動させない限り、容器内の水量の可変要因はないですね。これは、借金を重ねてポンプがいくつか設置されたとしても、ほぼ同じようなものです。つまり、借金をして、ポンプが設置されてしまえば、その後そのポンプの性能には変化はないですね。


ですので、蛇口1が変化する、ポンプ1が変化する、ということは余りに当たり前です(笑)。「薬剤の効果は、個体差がある」というのと同じだ、と言っているのです。金利上限引下げ問題では、蛇口1やポンプ1の部分に対して政策目標を定めるのではないので、検討するべき要因としては、やや外れているのではないのかな、と思います。


以前の記事(その6)にも書きましたが、一般的に消費者金融からの借入を行う層というのは、セーフティ・マージンが狭い層であると想定されます。「風呂オケ」モデルで言うと、常に容器内に残っている水の量が少ない、ということです。これは短期的な変動に対して、空になりやすい(予備的能力が低い、緩衝能力が低い)、ということになると思います。風呂オケに水がいつも大体100残っている人と、5しか残っていない人では、(蛇口1又はポンプ1の)同じ確率の変動幅であっても、「空になるリスク」が異なる、ということです。


収入の絶対額は重要な要素ですが、もっと重視するべきは、絶対水準の収入額ではないと思います。以前の記事に書いた式を再掲してみます。

収入=基礎代謝+自由支出

「基礎代謝」とは生活環境維持の為の必要最低限の支出と考えました。投資(預貯金を含め)がゼロである時、収入と支出は同じになりますが、支出が少なければ手元現金を残す(=容器内の水を増やす)こともありますね。住宅ローンを除く「基礎代謝」を「B」と表わすことにします(住宅ローンがある場合には、ポンプが別に設置されますが、返済費自体は賃貸住宅の賃料と同じ意味合いであるとも考えられます。ですので、自己所有マンションや持家等の住宅ローンがある場合というのは、ちょっと考え方が異なる面があると思います)。

とりあえず、次のように表わすものとします。

元々容器に残っていた量=V0
次の期初に容器に残っている量=V1
蛇口1(収入)=I
基礎代謝=B
自由支出=F
住宅ローン=b

とすれば、

ポンプ1(支出)=B+F
ポンプ2(住宅ローン)=b

V1=V0+I -(B+F)-b ・・・(b)

変形すると

V1-V0=I -(B+F)-b  ・・・(c)

となります。

残っている水が増加する場合(V1-V0≧0、例えば、1ヵ月の収支がプラスということ)には、蛇口1よりも支出全部(ポンプ1+ポンプ2)が少ないということになります。すなわち、

I ≧(B+F)+b ・・・(d)

です。ここで、B及び b は通常では必須的支出ですので、減額が非常に難しい、という部分です。(d)式を変形すると、

I -(B+b)≧F ・・・(e)

収支がゼロであれば、等号が成立します。逆に、支出超過であれば、不等号の向きは逆向きとなり、その場合には残る水量がV0よりも小さくなる、ということです。

収支変動に対する対応能力を「予備的能力」と呼ぶことにします。これは、手持ち現金が多ければ、突然の出費に対しても借入なしで対応できる、ということで、「予備的能力が高い」とします。手元資金に100万円、毎月収支がゼロで、翌月だけ急に50万円増の出費となっても対応可能、ということですね。しかし、手元資金が少ない場合は、このような出費に対応できないので「予備的能力が低い」ということになります。上の式に従って言えば、「V0が小さい」ということになります。

また、毎月の収支のうち、必須的支出以外の部分が少ないと対応能力は低くなります。これは「Fが小さい」ということです。毎月の収入が20万円、必須的支出が10万円の人と、収入が30万円、必須的支出が25万円の人では、前者の方が予備的能力が高く、後者の方が低い、ということです。収入の絶対額よりも、差額の方が重要と思います。従って、収支変動に対する「予備的能力」が低い場合というのは、

・V0が小さい
・Fが小さい

ということになります。「予備的能力」が低いと借金をする可能性が高くなります。また借金を新たに行った場合、返済に回せる額は、Fの大きさにかなり依存します。ですので、多重債務者では、既にF の分から返済に回されている部分があるため、さらに収支変動への「予備的能力」は低下していて、ささいな収支変動を生じても借金をしないと空になってしまう可能性が高くなると思われます。


家計調査などで、V0やFを超えるような短期的変動(突発的支出の発生確率)が予測できているといいのですが。例えば、「1年間のうち、10万円を超える臨時支出の発生確率」のような。これが、「3年間のうち、~」「5年間のうち、~」だと、発生確率はどのように変わるか、とか。


保険市場などでは、これに類するリスク分析が結構行われていると思われ、その結果を利用して商品設計がなされているのではないかと思います。ガン保険のようなのとかそうですよね?多分。「30歳未満での発病率」「50歳以上での発病率」のようなマクロの統計データがないと、保険料設定ができないような気がしますので。



貸金業の上限金利問題~その10

2006年05月04日 23時54分10秒 | 社会全般
「ふぉーりん・あとにーの憂鬱」の47th氏からお答えを頂きました。

試験でお忙しい中、お答えを頂いて有難うございます。貴重なお時間を取らせてしまったことにお詫び申し上げます。また、不適切な表現の記事についても、お詫び致します。ただ、特に非難することを目的としているわけではありません。

「経済学の理屈に従えば、金利上限の引下げは不当である。なぜなら・・・」に続く理由の部分というのは、件のペーパーを基に理解されている面が見受けられ、それが本当にそうなのだろうか?という疑問から記事を書いていきました。私が引下げ派代表でも何でもありませんし、あえて反論するべき理由はないのですが・・・。少なくとも妥当性の高い「経済学理論」に沿って、引下げ論者の論点を批判するのであれば、それも当然だろうと思いますが、一部には疑問と思える部分がある為、そのまま受け入れるのは抵抗があったのです。ですので、論文の内容について、反論を試みることにしました。


記事を拝読させて頂きまして、統計分析の妥当性については、記事の通りではないかと思いました。しかし、モデルの設定自体の当否というのは依然解決されていないのではないか、とも思います。


借金のたとえとして麻薬が取り上げられたりしますが、麻薬のような薬物と副作用との因果関係の特定やリスクの評価というのは、借金のような現象とは異なり、不確定要素がずっと多いと思います。その為、何かの結論を得ようと思えば、不確定な要素の影響をできるだけ排除したモデルで検討しなければなりません。また、生体というのは個体自身の持つ不確定要素の影響力が大きくて、実は個体差というのがかなりの影響を及ぼすことは普通だろうと思います(一般的にin vivoというのは、in vitroに比べて条件設定は難しいことが多いと思います)。一般に薬剤の効果にかなりの影響を与えるのは、まさしく「個体差」であり、薬物代謝や薬物動態などの変動要因として作用し、個体間の違いを見れば、薬物効果や分解能などに数倍程度の違いがあったりすることは普通です(たとえ同性・同体重の人だけで比べたりしても)。さらに同一個体であっても、変動は少なからず存在しています(病院などの血液検査で、測定日や時間の違いによって検査結果が異なっていたり正常範囲を超えていたりすることがありますよね?)。そういう変動要因を排除せずに、何かの調査・分析を試みたとしても、「個体差」にマスクされてしまって検出できない、ということはしばしば起こりえると思います。従って、より厳密な条件設定を行う必要が出てくるのだろうと思われます。


因みに、製薬会社というのは、健康保険制度においてかなり厳格な価格統制を受けてしまいます。診療報酬改定では、マイナス改定によって数千億円規模で薬剤の売上高を失います。これらの規制を完全撤廃せよ、という主張はあまり見かけないですけれども。

医療に関する規制が完全撤廃されていると仮定しましょう。ある疾患に効果のある薬品Xを使う場合、治療効果は必ずあるが予見されている重篤な副作用が毎年1500人程度に発生するとして(現在の制度では多分厚生労働省の承認がおりないと思いますけど、とりあえず)、Xの販売で得られる利益が年間3000億円、重篤な副作用の補償にかかる費用が1人1億円である時、販売した方が1500億円の利益を得られる為、経済学的には得である、ということになるかと思います。しかし、現実にはこのような選択を製薬会社がするとは思われません。それは恐らく―社会的な「信用」「信頼」を失う、ということが大きな要因なのではないか、と思います(「信用」というのは経済学用語ではなく、一般的な言葉としてです)。このような社会的「信用」「信頼」というのが、経済価値に換算・評価するのが難しいからなのかな、と思います。

身近な例としては、三菱自動車のようなケースが考えられると思います。欠陥隠し発覚による現実損としては、補償額が膨大であった訳ではなく、リコールに伴う費用はそれなりにかかってしまったとは思いますが、その損失よりも「信用」を失ったことによる「非買運動」的な売上高減少の方が、はるかに痛手となったのではないかと思われます。同様に製薬会社としても、補償が必要となるような副作用が一定水準で発生する場合には、その発生率や件数が割りと少なくても「販売せずに回収」という措置を選択することが多いであろうな、と推測します。製薬会社は承認を通す為という側面はあるものの、かなりの注意義務を課せられている、と言えるかもしれません。薬物の副作用というのは、リスク評価が難しい一方で、その発生が必ず想定されているが故に厳格な規制を受けている、ということかもしれません。


大きく脱線しましたが、借金の場合には、薬剤と比べれば変動要因というのは少ないモデルであると考えられます(破産との因果関係についても、特定されていますし)。それは、基本的に「借金」というのが、「借入額」「金利」「期間」(「返済方法」も関係ありますね)という特定の数値で決定できる性質のものであり、それは普通であれば初期条件が決まれば将来時点での数値が機械的に決定(予測)でき、不規則な変動がない数値であることが多いからです(変動金利という場合もありますが、それはとりあえず考えないものとします)。ある程度、単純な理論モデルで検討することも可能ではないかと思えます。


次のように借金モデルを決めることとします。


風呂オケのような容器を想定します。
・ここに水が入っており、「入っている水」とは「現在保有現金」を表わす
(資産は無視(ゼロと仮定)、通常は今持っている現金と預貯金の合計額ということになりますが、日常的に使うものとして区別せずに考えるものとします)

・容器に水を注ぐ「蛇口1」があり、これは「収入」を表わす
(賃金などがあれば、容器にその分量の水が注入される)
・容器には排水「ポンプ1」があって、これは普段の「支出」を表わす
・借金をすると「蛇口2」から容器に一気にその分の水を入れる
・返済用に排水ポンプ2、3、4・・・が借金ごとに設置される


収入や支出が変動する為に、容器内の水の量は変動します。住宅ローンや自動車ローンのような場合には、一瞬だけ水が入れられますが、直ぐにポンプ1から同量が排出され、住宅や自動車といった実物に換えられます。返済用のポンプは返済終了まで設置されたままになります。容器が空になり、他からの注水が不可能となれば、破産ということになると思います。消費者金融などからの借入では蛇口2から注水され、容器内の水が一時的に増加しますが、返済の為の排水ポンプが設置されて、そこから排水(返済)されていくということになります。

具体的に考えてみましょう。
いま容器に現金20の水が入っていて、単位時間当たり蛇口1から収入20が注水され、ポンプ1からは20排水されるとなれば現金20が残ったままで、一定状態が維持されます。ここで、排水量(支出)が50だけ一時的に増加して水のin-outバランスが保てないということが予想される時、借入50を行ったとします。この返済の為の排出「ポンプ2」が設置されます。50の借入を行い、その分は直ぐに排水されてしまえば、残る水が20となります。借入後にポンプ1からの排水量が減少せず20のままであると、収入が20で一定であれば、返済用のポンプ2からの排水分だけ残っている水が減少していきます。しかし、ポンプ1のからの排水をポンプ2と同量の分節約で減らせばポンプ1とポンプ2の合計排水量は20となって、容器内の残っている水は減少しません。多重債務は、ポンプ1とポンプ2の合計が蛇口1からの注水量よりも多ければ、必ず容器内の水が空に向かうような場合に、別な借入を行って一時的に容器内の水を増やしますが、新たなポンプ3が設置され、・・・ということが繰り返し起こってしまう、ということになります。


結局、蛇口1-ポンプ1≧ポンプ2+ポンプ3・・・+ポンプn という状態であれば、借金返済は可能と考えられ、不等号が逆向きであれば、いずれ空になるので破綻します。蛇口1の注水量が一定である時、容器が空になるかどうかは、ポンプの排出能力に依存し、ポンプ1(返済以外の支出)の排出能力に大幅な変動がない場合には、残りの返済用ポンプの排出量によって決まります。この返済用ポンプの性能を決定するのは、「借入額」「金利」「期間」などです。

通常、住宅ローンなどのような借入では、「期間」というのはリスク要因となっていると考えられる為、長期間の借入はそれよりも短い借入に比べて金利水準が高く設定されている(貸出側の条件は一定であるとして)と思います。一般に、30年固定金利と20年固定金利では前者の方が金利が高い、ということです。ですので、借金のリスクとして、「期間」に依存してリスクは高くなる、と考えられていると思います(多分、学問的には市場金利の変動確率とか、借入側の収入・支出バランスの変動確率などの要因によって影響されているのだろう、とは思いますが、正確には判りません)。

期間・金利を同一にすると、借入額がポンプの単位時間当たりの排出量(流出速度と言ってもいいかもしれません)を決定することになり、借入額に依存して容器が空になる可能性が高まると考えられます。同様に、期間・借入額を同一にすると、金利水準が流出速度を変えることとなり、金利に依存して容器が空になる可能性が高くなると思われます。


蛇口1を変動させる要因は、賃金低下や失業などがあり、主に経済環境(景気変動など)の影響を受けやすい、と思われます。また、職業などの個人の属性も関係あるかもしれません。公務員や年金生活者などは、他と比較して一定額の収入が予想しやすい、という面があると思いますので。ポンプ1を変動させる要因としては、事故・病気・離婚などの出来事や、個人の消費性向(節約上手、浪費家、借金をしやすいタイプ等々)というような行動要因などがあると思います。収入側への影響を与える要因と、支出側に影響を与える要因とでは、やや意味合いがことなる部分があり、収支バランスの変動リスクというのは、これらが合成された結果であろう、と思います。


また蛇口2からの注水(借入)にもいずれ限界が訪れます。つまり無限には借入できないことになります(寿命がないような場合には理論上では無限期間に渡って借りられるかも?)。蛇口2からの注水量の限界を決める要因というのは、正確には判りませんが、蛇口2は「将来蛇口1に流れ込む量」の一部分に繋がっており、そこから注水されている、ということかな、と思います。蛇口1=「現在収入の大きさ」という要因が関係していそうです。そして、将来獲得が予想される現金のうち、何年か分までは借り入れることができますが、それがどのくらい未来まで可能なのかは不明です(貸出側の判断の差?とも考えられますし)。




容器の水が空になるリスクということで考えれば、次のようなものと思われます。

・蛇口1の変動
・ポンプ1の変動
・他のポンプの要因
(期間、借入額、金利、ひょっとするとポンプの設置個数も?)
・蛇口2の許容量

これらの要因の影響度の大きさ(重み付け)は、条件設定を限定して調べる必要があるように思います。どういった分析手法が妥当なのか、ということは判らないのですけれども。


貸金業の上限金利問題~その9

2006年05月03日 22時33分12秒 | 社会全般
疑問点が不明瞭であったことは、お詫びいたします。ただ、根本的な問題点の説明には至っていないと思いますので、各論文ごとに論点に絞って整理してみたいと思います。前の記事を書いた時点で、「isologue」の磯崎氏の挙げておられた早稲田大学消費者金融サービス研究所のペーパーは読んだ上でTBをさせて頂きました。一応、ご参考まで。

1)「消費者金融顧客の自己破産の分析~その特徴と原因」について

論文中で出されるロジスティック回帰分析について、次の問題点を挙げてきました。

①「破産」「非破産」群の区分が不適切であり、特に「非破産」群では追跡調査が何も示されておらず、不適切な区分の群間を比較検討したところで、そこから得られる結果というのは信頼に値しないものではないか

②仮に、本モデルを採用したとしても、「金利水準」についての分析結果を与えているものではないので、「初期貸付額」とか「追加貸付額」の分析で「有意差がなかった」という結論が出ていたとしても、「金利水準」に何らかの判断を与えるものではない

①に関して:

本論文の分析の不適切だと思える理由として、「喫煙」と「肺ガン」におけるリスク評価を例にして書きましたので、再びそれに沿って書くことにします。借金とは異なる部分が多いですが、判りやすいのではないかと思いましたので。論文のモデルに準じて書くと、次のようになると思います。

・タバコA・B・Cを調査時点で喫煙している喫煙者にタバコDを投与
・喫煙期間はランダム
・タバコA・B・Cの喫煙量はランダム
(ゼロかもしれないし、1種類だけか、複数種類か)
・タバコDの投与量(・期間)・時期はランダム
・タバコDの追加投与量や投与時期は不明
・喫煙者を肺ガン「発生群」と「非発生群」に分類
・「非発生群」とは調査時点で発生していなかったという意味

(「タバコA・B・C」は他からの借入、「タバコD」はデータ提供会社の初期貸付又は追加貸付、「肺ガン発生群」は破産群、「非発生群」は非破産群を見立てたもの)

このような条件で「発生群」と「非発生群」を比較し、「タバコDの初期投与量、及び追加投与量」と「肺ガン」の発生リスクを評価したものが、本論文の分析です。で、結果、「タバコDの初期投与量・追加投与量」が「肺ガン」の発生リスクを増大させるかどうかは「有意差がなかった」という結論が出されています。「収入の減少」とは、タバコの例で言うと、「個体差」ということです。つまり、「タバコDの投与よりも、個体差で説明できる」というのが結論になっています。これは、例えば個人の「一回換気量の低下」とか「肺活量の低下」のような個体特有の変化が説明要因である、とするものです。

このようなモデルで「タバコD」と「肺ガン」の発生リスクを評価するというのは、そもそもオカシイ、と申し上げています。群の分類もそうですし、対照となる「非発生群」という設定も、一定の観察期間がない状態で評価するのは「発生リスク」を正しく評価していることにはならない、と申し上げています。モデルの条件設定があまりに曖昧である、ということです。さらに、不適切なモデル設定の分析結果を元にして、「喫煙量と肺ガンの発生リスク」に言及すること自体に無理がある、ということを指摘しているのです。

このモデルのような調査・分析を用いて、「喫煙量と肺ガンの発生リスクには有意な関係は見出せない」ということを信じている、と言い切られてしまえば、それはそれで止むを得ませんけれども。私にも証明する手立てが思いつきませんので。


②に関して:
タバコの例では、「金利水準」に該当する部分がないので、無理っぽい例にしかなりませんけれども、「有害物質の蓄積率」のようなものでしょうか。「タバコDの投与」の影響をいくら検討してみても、「蓄積率」の違いによる影響というのは、評価できません。「蓄積率は肺ガンの発生リスクには関係ない」ということを結論付けることはできません。

上記の不適切なモデルを用いて「タバコD」の関与を調べ、得られた結論である、「主なリスクは個体差である」ということが、「蓄積率」とリスクの関係を示すことにはならず、そこに言及するという推論は単なる飛躍としか思えない、と考えます。つまり、たとえ「個体差」(=収入の減少)という要因が説明要因であるとしても、そこから金利水準のリスク評価を行うことはできない、ということです。


本論文の内容とは直接的に関連がないと思いますが、お答え頂いた次の部分は、何を意図しているのかよく分かりません。

『多い数をとっても多重債務者は10%以下でしかありません。「破産」寸前は多重債務者以外にもいるとして、安全を見て倍の数字をとっても約18%。「破産」寸前の者を除去した際、仮に「非破産」と「破産」に有意な差が1や2において存在するとしても、それはごくわずかなものだと推測可能です。』

これは、全消費者金融利用者に占める多重債務者の推定割合、ということではないかと思いますが、この数値を推定することは、どのような意味があるのでしょうか。どの程度をもって「多重債務」と定義するのか私は知りませんが(住宅ローンとクレジットだけではそう呼ばないような気がするので)、一般的には「複数の消費者金融に債務を有する」ということだろうと思います。本論文では、「非破産」群も「破産」群と平均で言えば同程度の複数業者からの借入があり、既に多重債務とも考えられますが、初期借入後に別な消費者金融業者からの借入増加件数を見れば、「非破産」群では「破産」群に比べればやや少ない、という結果が出ています。お答え頂いた『「破産」寸前の者を除去した際、~それはごくわずかなものだと推測可能です』という意味がよくわかりません。「非破産」群のうち、当該新規借入以降に、件数増加の無かった者は約35%であり、それ以外の者は借入件数・額ともに増加しており、額で言えば、平均で41.4万円→116.2万円です。「非破産群」中の9~18%が破産寸前かどうかを推定することは可能とは思えず、その後に破産する割合を推定するのが困難なことに違いはないと思われますが。

因みに本論文中で、参考文献として挙げられているHiraの論文では、破産者の約3%が5件未満の借入で、残りは5件以上からの借入、64%は10件以上から借入を行うということが指摘されています。ただ、91年頃の話ですから、現代では変わっているかもしれないとは思いますが。



2)「上限金利規制が消費者金融市場と日本経済に与える影響」について

①「上限金利引下げによって、借入不能になる層が出てくる」というのが、論文の示した結果が正しいのであるとすれば、貸出口座数や信用供与額は減少すると推測され、過去の引き下げ(83年、86年、91年、00年)でその通りの現象がどの程度観察されているのか

②マクロ経済への影響については、「上限金利引下げでGDPが減少する」というシミュレーションをしているが、同じく過去の引き下げ後にGDP統計上では必ずしも減少にはなっていない。他の要因によって相殺されたとも考えられるが、信用供与額の減少によってGDP減少が起こるならば、信用供与額減少ということが見られるはずではないか


(以下、論文中の消費者金融会社を「貸金業」、消費者ローンを「消費者金融」と呼ぶこととします。その方が紛らわしくなく私が判りやすいので)


論文中の表2にあるように現状29.2%から23%への引き下げで、「現在借入顧客のうち46.1%が借入不可能になる」というシミュレーションをしています。もしも20%まで引き下げられれば、更に借入不可能になる割合は高くなるとの予測ができ、現在顧客のうち50%程度の借入不可能者が出ることになります。従って、概略の貸出口座数が1100~1200万口座(これは大手の口座数から私が推測した、いい加減な数字です)存在したとすれば、約半分の600万人程度が借入不能になる、ということを意味すると思いますが。この推測は、あくまで論文に沿ったものです。bewaadさんが示したように2200万人程度の現在顧客がいる場合には(現在残高保有がその数かどうかは不明ですが)約1000~1100万人もの締め出しが起こるということですね。


過去の引下げ後にハイリスクグループがどれくらい消費者金融市場から締め出されたかは不明ですが、少なくとも過去数回で29.2%まで引下げられたので、リスクの高い側から順次貸金市場から締め出されているはずです。よって、信用供与額が減少してもよいのではないかと思われますが、貸金業の信用供与額は85年以降減少した年は見られていません。消費者金融全体でも、金利引下げと信用供与額の減少の明確な相関は見出せないと思います。消費者金融全体の信用供与額減少は95年以降に見られており、91年の金利引下げがここから影響した為なのかは不明です。信用供与額減少の額は99年が最も多く、続いて98年が多いですが、これは金利引下げ要因とは異なったものと考えるのが妥当ではないかと思いますが。

日本の長期統計系列 第14章 金融・保険
(リンクが貼れないので、見出しになってしまいますが、最下段の方に三つあり、そのうちの「消費者金融信用供与残高」です)


00年引下げ後のGDP・信用供与額減少は金利引下げの影響という可能性はありますが、その時点で数百万人規模で消費者金融市場から締め出されたのであれば、貸金業界はそれ以上の新規顧客を獲得した、ということでしょうか?00年以降で、貸金業の信用供与額の減少はなく、00年改正後の01年には前年よりも約8400億円の信用供与額増額が見られます。つまり、この増加分+締め出しの減少分を、新たな顧客に貸し出したと考えられます。上限金利が引き下げられたにもかかわらず、です。


考えられる要因としては、アクセスが容易になった(無人機が増えた、等)、金利引下げによる利用者側の潜在的利用層の拡大、経済環境(賃金減少など)、他の業者(主に民間金融機関)の代替、などでしょうか。銀行などの貸出要件の引き締めで、逆に高金利帯である「貸金業」へと利用がシフトした可能性も考えられるかもしれません。

この辺は、単なる推測でしかないですから、本論文の内容とは関係ないですが。

前の記事(貸金業の上限金利問題~その8)でも指摘しましたが、23%への引下げ(引き下げ率で約21%)では、(貸金業で6121億円、)消費者金融全体では2兆1099億円(GDP比0.364%)の減少が起こる可能性が本論文で述べられており、00年改正時の減少額がどの程度あったのかは不明であるが、40.004%→29.2%(引き下げ率で言えば約27%)で信用供与額減少はなく、逆に1900億円程度の増加が見られています。つまり、GDP減少という影響は殆どなかったのではないか、ということを言っているのです。それとも、引下げの影響で、本来は2.5~3兆円程度は減少していたが、それを上回る新規顧客への貸出で補った、ということでしょうか?信用供与額の伸びでいうと、相当高水準でそれまでのトレンドとはかけ離れているとしか思えませんけれども。


もしも、本論文を支持しているのであれば、何らかの良い説明があるのかもしれません。


GDP減少などのマクロ経済への影響度として、マイナス面がシミュレーションよりもはるかに少なく、逆に金利低下による新規顧客流入効果や金利低下分を他の消費へ振り向ける等の効果の方が大きければ、経済学的には得だと考えられる、という可能性はあると思っています。



3)「上限金利引き下げの影響に関する考察」について

①闇金の増加と金利上限引下げの関連性については、「引き下げられれば、闇金市場へ流入する層が増加する」ということが述べられているが、「金利上限引下げが闇金業者の増加をもたらす」とする理由が不明確


この論文では、貸出市場から排除された層が闇金利用となってしまう、ということになっています。であれば、闇金利用者のうち、大多数は正規市場から排除された者たちで構成されており、他からの借入調達は不可能であるはずです。とことが、実際の被害ケースを見れば、他からの借入をしているものが多く見られます。これはどの時点で闇金から借入を行ったかは不明なので、多重債務に陥って他からの借入不能となったものだけが利用していたとする解釈も可能ですが、そういったケースばかりではありません。


闇金は、主に98年頃から被害が増加してきており(GE土屋氏の資料などで)、これは上限金利引下げの影響というよりも、多重債務に陥る者の増加によると思われます。賃金低下やリストラなどがその背景にあったのではないか、ということであると思います(まさに収入減少=ライフイベントによる、ということでしょうか)。上限引下げが行われてからの経過年数が、結構長いと思いますし。単に、表に出てこなかっただけかもしれませんけれども。


上限金利引き下げから外れていた、日賦業者は同じ時期に増加(大手以外の貸金業は減少)が見られます。上限金利は00年までは109.5%、00年以降でも54.75%の特例的な年利が認められていた為ではないかと思われます。故に、毎日取り立てることが可能となり、闇金の温床となった可能性はあると思います。それ以降には、財務局から認可を受けて、巧妙に(多重債務者だけでなく)一般利用者を「釣り上げる方法」が広まっていったのではないかと思います。

(上の統計局のリンクの、下のほうの「貸金業者数」を参照)

いずれにしても、「上限金利引下げ」と「闇金増加」ということについては、関連性が強く推定される、という実際的な理由は見出せないように思えます。



私の不勉強や経済学的知識の不足などを否定する積もりもないですし、勿論、優秀な人々から見れば甚だ低レベルであるという指摘も当たっていると思います。それは本当です。しかし、上記論文を読んで疑問に思わない、ということはなく、むしろ「信じがたい」という感想しか出てこないですね。書かれている内容全てがオカシイとは言いませんが、少なくとも部分的には分析やシミュレーションなどに問題点があるのではないか、と思っています。


上記論文に基づいて論を展開するのであれば、少なくとも説明可能である、という解釈をしていると受け取らざるを得ない、というのが私の意見です。



権威主義?それとも・・・

2006年05月02日 13時57分59秒 | 俺のそれ
金利上限引下げ問題の記事を書いていて、不思議に思うことがある。それは、「早稲田大学消費者金融サービス研究所」の出してるペーパーをある種の「証拠」として提示している人たちが、なぜその内容に何らの疑問を感じないのか、ということだ。


参考記事:
貸金業の上限金利問題~その8



有名どころでは、公認会計士である「isologue」の磯崎氏、官僚であるbewaad氏、弁護士である「ふぉーりん・あとにーの憂鬱」の47th氏などであり、いずれのブログも読者が多いだろうし、社会的にも十分信頼されうる人たちだ。私も勿論彼らの記事をいつも読んでいるし、勉強させてもらっている。だが、そういう人たちが揃って、同じようなペーパーを根拠に金利引下げには反対の論を展開しており、少なくともペーパー自体が「疑念を差し挟む余地はない」か「(無条件に)正しい」とする立場であるという印象を受けた。で、問題とされた金融庁だかの懇談会で大勢を占めた「金利上限引き下げ論」に対しては、厳しい批判をしていると思われる。


それはそれで、個人の意見表明であり、自由なことだと思うが、「金利上限引下げ論者は(提示されたようなペーパーに対して)論理的に有効な反論をしてから、引下げ論を言うべき」と批判している以上、彼らが論拠となした「ペーパー」に関しては、十分信頼できると判断した理由というのが必ず存在するはずで、ペーパーへの反論に対しては論理的説明ができるはずだと思う。もしも、信頼できないということならば、当然そのペーパーの意見を自分の意見の論拠として採用しないからだ。


「経済学理論の見地からも考えるべき」ということには、反対する積もりはない。その思考過程というか、政策決定に際しては、そのような複眼的考え方を用いた方がよい、ということには、多くが特段の反対はしないと思う。検討するのには、有効な方法が色々あった方がよい、と普通は考えるからだ。その結果、意見の採用・不採用とか、どこに比重を置くべきかという価値観的相違(例えば「国民感情に配慮する」といったような)になってくるとするならば、それは価値判断の問題であると思う。


「単なる同情や人情というような曖昧な判断をするのはよくない」ということは、ある意味正しいとは思う。私はよくそういった判断をしやすいからね。けれども、「経済学理論に基づいて判断するべき」と主張する人々が、素人目で見て疑問に感じるような理論を用いている時、その正しさを説明できないということは有り得るのでしょうか?経済学的な考え方を信頼している人々は、経済学理論の中でも「あれはトンデモ理論だ」とか批判をしていることは少なくないと思うが、「トンデモ理論」を振りかざしている経済学者と「説明不能なペーパー」を論拠となしている人々には、何か違いはあるのでしょうか?そうでないなら、有効な反論というものがあってもいいと思います。


私は別に喧嘩を売りたい訳でもなく、ブログ界の著名人に噛み付いたところで特段の利益を生ずる訳でもないですが、根本的な疑問が拭い去れないのですね。それは人々に「理論を重んじろ」ということを表明する、社会的にも信頼され、知的水準がそれなりに高いと思われるような人々が、なぜ「早稲田大学消費者金融サービス研究所」のペーパーを鵜呑みにするのか、ということです。鵜呑みという言い方は不適切かもしれませんが、彼らの論の展開としては、土台の部分では件のペーパーがあってのものだからです。十分信頼できると考えるから採用する訳ですよね?その評価の源は何によるのか、ということが謎なのです。単に権威主義的に「早稲田大学だから」というようなことで信頼するということでもないですよね?ならば、読み手の評価が必ず存在し、その時の評価とは「彼らが知っている経済学的理論」に十分適合したものであるはずなのです(それ故採用したわけで)。彼らは政策についても、「経済学的理論で評価するべき」と求める訳ですし。その「読み手の評価」というのがあるのであれば、素人に湧いてくるような程度のごく普通の疑問は、きっと説明可能なものであると思います。


私は既に自分の思い込みで誤った読み方をしていたことがあるので、前科持ちということになりますから(笑)、自分の疑問・解釈というのが「経済学理論では間違いです」と指摘されるならば、喜んで訂正します。件のペーパー類が本当に適切な分析を行っている、ということを支持する人たちは、論理的説明が可能であるからそのように判断すると思いますので。


是非色々とご指摘下さればと思います。



NTTの行政訴訟

2006年05月01日 18時20分40秒 | 法関係
かつての公社時代から、本格的な民間企業へと脱皮していくことを表す出来事なのかもしれない。「親方日の丸」で巨大化した公社をスリム化して、度重なる人員削減も行ってきたNTTとしては、十分血を流した、ということだろう。他の民間企業の足音が確実に迫ってきては、とてもじゃないが「ノンビリ」してられない、ということだと思う。退職OBの「高額な年金給付」という問題が表事情なのだが、本質は共済組合の問題なのではないかと思っている。


Sankei Web 経済 NTT、企業年金減額却下で1日にも国を提訴

産経の記事より。

NTTは30日、退職者に対する企業年金の給付減額が認められないのは不服として、早ければ1日にも東京地裁に国を相手取った行政訴訟を起こす方針を固めた。厚生労働省が2月、退職者への年金給付額を減額する条件変更を却下した処分の取り消しを求める。
 NTTは、同省が条件変更の基準としている3分の2以上の年金受給者から受取額の減額について同意を得ており、厚労省の措置は企業年金の自主的・安定的運営を損なうなどと主張するとみられる。

 確定給付年金は、あらかじめ決められた給付額を、社員が退職後に年金の形で受給する。企業が拠出する掛け金は損金算入が認められ、税制面の優遇措置があるため、給付額の変更などは厚労省の承認が必要となる。

 NTTは昨年9月、退職者約14万5000人の企業年金について、1人月額1万4000円程度の減額を申請。だが厚労省は今年2月、「減額を承認するほどの経営悪化は認められない」と判断。退職者の企業年金減額を承認しない初のケースとなっている。




NTTは既に厚生年金に移行しているが、日本電信電話共済組合時代の事業主負担分が相当重いのだろうと思うのだが。これは単なる勘繰りにしか過ぎないので、定かではないけれども。そして、厚生労働省が「減額を認めなかった」というのも、「国家公務員共済」の都合ということなのではないかと思われる。それか、減額が認められれば、「既受給者の減額」が認められることになってしまうから、と。これを認めてしまえば、公務員の共済年金も減額が可能になってしまう、と。


公社時代の年金規定というのは、「国家公務員共済組合法」によって定められており、現在も公社時代の部分はそのまま適用されているのではないかと思う。それ故、企業側の負担が非常に重いことになる、ということだろう。だって、それまでは国庫から取ってくれば済んだ分を、企業(事業主)負担とすることにされてしまっているのだから。普通の民間企業に比べれば、その企業負担が過度に重すぎる、ということだろう。公務員共済の給付水準が「いかに高いか」ということを、NTTは身に染みて感じたのだろうと思う(笑)。

(因みに、国家公務員共済組合連合会には、衆・参議院共済組合もあるのだが、これは国会職員が加入ということなのだろうか?ちょっとよく判らないのだが。故に、公務員共済の減額には、議員繋がりで反対が多い、ということだろう。特に政治の世界からは引退した人々の。)


前に書いた記事が関連するので、挙げておきます。

恩給・職域加算の減額は憲法違反か?

恩給・職域加算の減額は憲法違反か?その2

恩給等の減額問題



多分処分を決めた時の、厚生労働省の判断では、

・企業負担が重いと言っても、黒字じゃないか=まだイケル
・旧法共済法で規定されていた電電公社時代に退職した「既受給者の財産権(笑)」を侵害する

ということだろうと思う。


松下電器の年金減額訴訟では、改廃規定の適用について、

経済環境(運用収益水準等)、運営主体(企業)の業績(黒字水準)も当然判断材料となるだけではなく、「現役従業員との著しい格差を生じるような場合」においても改廃規定適用となり得る、という判断を示していた。旧法時代には既に国家公務員共済組合法に改廃規定の条文は存在していたはずで、旧法での受給権者についてもその効力が及ぶと考えるのは妥当ではないかと思うが。


普通に考えて、年金制度という性質上、相当程度長期に渡り維持存続させる義務があるということから、「途中での制度変更ということも有り得る」、という契約なのであり、それが契約段階(受給権獲得時点?それとも保険料払込開始時点?)で全く予見できないという性質のものではない、ということだろう。何故なら、昔に払い込んだ高々1万円分が、数十年後には市場での運用収益を超えて給付されるのであり、物価上昇の影響などを勘案されて増額されてきたことは十分知りえるはずであろうな、と。しかも、そうした「増額変更の場合」には文句を言わず(笑)、減額された時だけ「制度変更はオカシイ」という異議申立てというのも変な話であろう。


それと、「憲法に規定する財産権を侵害するおそれ」というのは、多分、年金制度検討の中でも、公務員労組からの申入れでも出されていたようだ。どうやら霞ヶ関には「財産権侵害説」というのが、早くから蔓延していたらしい(これって、誰がそういう講釈を垂れているのかね?きっと公務員の中の誰かだろうけど。それとも法学者なの?)。その影響なのかどうなのか不明だが、自民党幹部も「憲法で保障する財産権の侵害で訴訟を起こされる」と言ってるらしいんだが、多分大臣経験者じゃないかと思うね。


国家公務員共済組合法では、受給権者が禁錮刑以上の刑に服する場合、「職域加算」部分の減額もしくは不支給決定ができることになっており(第97条)、既に受給権が発生していたとしても、その権利とは関係なく、減額が可能ですね。「財産権を侵害する」と主張する人々にとってみれば、まさに、「財産の没収」と同じような意味合いなんでしょうね。でも、それが本当に正しいのならば、国家公務員共済組合法の第97条は、違憲ということですよね?公務員の労組が議員に申し出ればいいのではないですか?「違憲だから、法律を変えてくれ」って(笑)。何でそう言わないのですか?公務員は。官公労と繋がりの深い民主党議員にでも、「違憲だから、どうしても変えてくれ」とか言えばよいではありませんか。


もし、第97条の規定が違憲とはいえない、という判断であるなら、「職域加算相当部分の減額は可能」ということですよ。で、年金受給権(減額反対派の言う「財産権」ですか)というのは、減額されたところで必ずしも「財産権は侵害されない」ということなのだと思いますよ。つまり、年金の減額決定というのは、合理的理由があるのであれば十分認められる、ということだと思いますね。それに松下電器の訴訟では、「労働の対価が観念できない部分(超過利息分)は、あくまで贈与的なものであり、その分が減額対象となったとしても問題ない」という判断なのです。


NTTの年金制度がどうなっているのかは知らないが(報道では確定年金と出てたけど、どうなんでしょ?)、給付減額を認めないとした厚生労働省の処分の取消を求める、ということで訴訟提起となったのでしょうね。まあ、当然だね。NTTとしては処分から今まで、対応をどのようにするか検討していたんでしょう。

でも、裁判というのは、やってみなけりゃ何とも言えない、という面もあるので、判らないですけどね。確定拠出年金ではないから、大丈夫のようにも思えるけど。