ホリエモンに続いて、村上ファンドにも司直の手が及んだ。かつて書いた記事(プロ野球界の「壁」)での自分の印象というのが、非常に甘いものであったと思い知らされた。日本という特別な社会を支えている人たちというのは、易々と退場などしないものなのだ。日本社会のルールをつくり、日本人を支配し、集団をコントロールする人たちは、未だに影の存在として君臨しているのだ・・・。
日本という社会は、本当は何も変わってなどいなかった。
以下に、単なるフィクションを書いてみようと思う。
表舞台から消し去られた守旧派たちは、ひっそりと息を潜めていた。彼らは、それまで占めていた主要なポジションを次々と追われていった。反乱軍の先頭を突き進んできたのは、時代の旗手と目された人たちだった。
華々しく登場した最初の男は、時代の寵児ともてはやされたが、羨望と怨嗟の渦に身を投じて、法の裁きを受けることとなってしまった。まさか自分自身にそうした災難が降りかかることになるとは、予想だにしていなかったであろう。
結果的に、彼があぶり出すことになってしまった閉鎖的序列社会の長老たちは、次々と非難を浴びて社会の日影に追いやられてしまった。それまで築き上げてきたものを、奪われてしまうことになった。その時の恨みの大きさというのは、筆舌に尽くしがたいものであったろう。永遠に癒すことのできない深い傷を負わされることになった彼の所業は、憎んでも憎み切れない、激しい嫌悪感と怨恨を心に刻みつけた。彼の、完全な破滅をもたらすまでは、長老たちが彼を許すことなど絶対に有り得なかった。
そうして、彼は追い込まれていった。自らの勝利を確信したことが、大きな油断を招いた。順調と思えた戦果には、「埋伏の毒」と同じく息の根を止める為の計略が仕込まれていた。一時的な敗北や撤退は、最終的な目標―彼を葬り去ること―の大きさに比べれば、ささいな損害に過ぎなかった。恐らく、もう1人の成功者のように、閉鎖社会の掟に従い、長老たちの末席に列するという選択をしていれば、彼は抹殺されることはなかったであろう。
権力に傅き、年長者を敬い、長老たちから差し伸べられる手に素直にキスをする覚悟があれば、きっと成功者の1人として、長きに渡り権力の一部の恩恵に浴し、歴史にも名を残すことができたであろう。しかし、彼にはそういった臭いを発しているような長老たちへの拒絶感と、あくなき欲望と、自己への絶対的な自信があったのだった。彼がもっと貧乏で、愚かで、そして、低い志しか持たず誰にでも靡きやすい、野心のない男であったなら、旧体制を破壊することもなく、静かに空いた席についていたに違いない。それが彼にとっては最も望ましい選択となっていたはずだ。だが、そうした道を選んだりしなかった。そのことが彼の破滅への、もう一つの道へと彼を導いていったのだ。
大衆はそうした道の行く先を知ることはない。どこの道を歩くのか、興味深々ではあっても、道の選択も行く先にも無責任なのだ。そして、地獄への道を選択してしまった時、堕ちて行った者へも、その後の顛末にも興味を失う。というより、忘れる。それが、もてはやした人々の流儀でもある。
彼の破壊した秩序と体制は、外から見れば無残にも壊れてしまったように見えるが、実際には完全破壊から免れていた。その破壊の代償は、彼にとって非常に大きなものとなった。
特捜部の逮捕劇―それは彼の最も好きな作戦、「電撃作戦」で行われたのだった。
日本という社会は、本当は何も変わってなどいなかった。
以下に、単なるフィクションを書いてみようと思う。
表舞台から消し去られた守旧派たちは、ひっそりと息を潜めていた。彼らは、それまで占めていた主要なポジションを次々と追われていった。反乱軍の先頭を突き進んできたのは、時代の旗手と目された人たちだった。
華々しく登場した最初の男は、時代の寵児ともてはやされたが、羨望と怨嗟の渦に身を投じて、法の裁きを受けることとなってしまった。まさか自分自身にそうした災難が降りかかることになるとは、予想だにしていなかったであろう。
結果的に、彼があぶり出すことになってしまった閉鎖的序列社会の長老たちは、次々と非難を浴びて社会の日影に追いやられてしまった。それまで築き上げてきたものを、奪われてしまうことになった。その時の恨みの大きさというのは、筆舌に尽くしがたいものであったろう。永遠に癒すことのできない深い傷を負わされることになった彼の所業は、憎んでも憎み切れない、激しい嫌悪感と怨恨を心に刻みつけた。彼の、完全な破滅をもたらすまでは、長老たちが彼を許すことなど絶対に有り得なかった。
そうして、彼は追い込まれていった。自らの勝利を確信したことが、大きな油断を招いた。順調と思えた戦果には、「埋伏の毒」と同じく息の根を止める為の計略が仕込まれていた。一時的な敗北や撤退は、最終的な目標―彼を葬り去ること―の大きさに比べれば、ささいな損害に過ぎなかった。恐らく、もう1人の成功者のように、閉鎖社会の掟に従い、長老たちの末席に列するという選択をしていれば、彼は抹殺されることはなかったであろう。
権力に傅き、年長者を敬い、長老たちから差し伸べられる手に素直にキスをする覚悟があれば、きっと成功者の1人として、長きに渡り権力の一部の恩恵に浴し、歴史にも名を残すことができたであろう。しかし、彼にはそういった臭いを発しているような長老たちへの拒絶感と、あくなき欲望と、自己への絶対的な自信があったのだった。彼がもっと貧乏で、愚かで、そして、低い志しか持たず誰にでも靡きやすい、野心のない男であったなら、旧体制を破壊することもなく、静かに空いた席についていたに違いない。それが彼にとっては最も望ましい選択となっていたはずだ。だが、そうした道を選んだりしなかった。そのことが彼の破滅への、もう一つの道へと彼を導いていったのだ。
大衆はそうした道の行く先を知ることはない。どこの道を歩くのか、興味深々ではあっても、道の選択も行く先にも無責任なのだ。そして、地獄への道を選択してしまった時、堕ちて行った者へも、その後の顛末にも興味を失う。というより、忘れる。それが、もてはやした人々の流儀でもある。
彼の破壊した秩序と体制は、外から見れば無残にも壊れてしまったように見えるが、実際には完全破壊から免れていた。その破壊の代償は、彼にとって非常に大きなものとなった。
特捜部の逮捕劇―それは彼の最も好きな作戦、「電撃作戦」で行われたのだった。