いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

どうやら壊れたらしい

2006年09月15日 18時06分45秒 | 俺のそれ
最近、ノートパソコンに異常が頻発している。

まず、電源が入らない。

運良く、起動できても、操作しているうちに、突然電源が落ちる。まるで、停電みたいに。

電源回路のどこかに異常なのでしょうか。よく判らないのですけどね。まだ4年程度しか使用していないのに・・・残念です。このままだと、使用できなくなってしまうかも。うううっ・・・・


新たに購入するのも、気が引けるし。

どうしたものか。


貸出金利の条件について

2006年09月14日 21時49分20秒 | 社会全般
消費者金融市場の貸出金利について考えてみたい。

市場の競争が十分であると仮定する。


貸出業者のコストは一定、ある期における収入と損失を考える。

貸出量 M
コスト率 C(その他コスト=M×C)
リスク評価相当部分 r
貸倒率 R
貸出金利 (C+r)

金利収入:M×(C+r)×(1-R) ・・・①
経費=貸倒損失+その他コスト:M×R+M×C ・・・②

例えば、1万円を100人に貸し出し、貸出金利25%、破綻率10%とすると、
金利収入=100×0.25×0.9=22.5万円
貸倒損失=100×0.1=10万円
ということです。

貸し出す業者の選択としては、収入が経費を上回れば貸し出すことになるので、次が成り立つということになります。

①≧②

つまり

(C+r)×(1-R)≧R+C ・・・③が成り立ちます。 これをr について整理すると、

r ≧R(1+C)/(1-R) ・・・④

となります。コスト率Cが10%、貸倒率Rが7%である時、r≧0.0828 となります。これはどういうことかと言えば、貸出金利(C+r)は約18%以上であれば収入が損失を上回るということになります。


上限金利規制では、③式において(C+r)の最大値を規定するので、これをkとおくと、③式は次のように表せます。

k≧(R+C)/(1-R) ・・・⑤

変形して、

R≦-C/(1+k)+k/(1+k) ・・・⑥

この時、Cやkはゼロより大きい値を取るので、kの値を小さくする(上限金利を引き下げる)ことは、結果的にRを小さくする効果を持つ(貸倒率を下げる)。更にCが大きくなるとRの最大値は小さくなり、コストの多い場合には許容されうる貸倒率Rが小さな値しか取る事ができなくなる。

非効率業者である場合には、kを大きくしてしまうことで、RやCを余分に増やすことが可能になってしまう。


k=0.2の時(上限金利が20%)、⑥式は

R≦-5C/6+1/6 ・・・⑦

となる。仮にRが8%であるとすると、R=0.08であるから、⑦式におけるCの範囲は、C≦0.104である。つまりコスト率は最大でも10.4%である。k=0.2で成立する条件ということである。これを超えるコスト率(貸倒率は除かれる)の業者は非効率である可能性があるのではないか。


競争が十分であれば、r は常に最小値をとるはずであり、業者間でコスト率Cの違いが存在しない時にはCは一定であるので、④式においてr はRに依存する。貸出金利が23%、Rが8%である時、④式から

0.23-C=0.087(1+C) より
C=0.1316

これは調達金利や営業経費等の合計(勿論、貸倒損失は除かれる)が13.16%ということであり、これよりも現実の経費が少ない場合には貸出金利が高すぎると考えられる。


今の時点で存在する消費者金融市場の業者のうち、10%以下や15%以下の貸出金利が選択されている業者は複数存在する。貸金業界の10~11兆円以外にも「消費者金融の信用供与」は存在しており、信用供与額でいうと約32兆円程度ある。つまり合計では、貸金業は3分の1程度のシェアということだ。32兆円のうち、貸倒が1兆円だと随分と話が変わってくる。コスト計算も調達金利や営業費用に開きがあるので、一緒ということにはならないだろう。分断市場であるとすれば、市場を越えては借り入れられない、ということだ。それを言うのは難しいと思うけど。30分の1の貸倒率ならばRは3.33%に過ぎず、その場合r の最小値は0.0345×(1+C)となり、Cのとる値が0.1ならばr は約3.8%、貸出金利で13.8%に過ぎない。Cが0.15であっても貸出金利では約19%だ。


つまり、貸金業界の貸出金利の高さは、a)不十分な競争(最小のrとなっていない)、b)高コストによる非効率(Cが高すぎる業者が存在し、業者間で一致が認められない)、c)高い貸倒率(Rの高すぎる業者が多く、消費者金融市場全体とは傾向が異なっている)、といったことが考えられる。



本当に血尿だったのか

2006年09月12日 21時55分57秒 | 法と医療
この事件も、ちょっと気になったので取り上げてみます。医師でもないのに、書くのは躊躇われるのですが、どうしても不思議に思えたので。

矢部先生のところで知りました。
元検弁護士のつぶやき これもカテーテルです。

報道は次のようなものです。

千葉 地域 YOMIURI ONLINE(読売新聞)

(以下に一部抜粋)

判決によると、二男は同年1月1日未明、ぜんそく薬の服用直後に吐き気などの体調不良を訴えて同病院を受診。医師は、ぜんそく薬に含まれるテオフィリンの血中濃度などから、この成分の中毒と判断、治療に際して脚部に挿入したカテーテルが静脈などを損傷して出血し、二男は同日夜に死亡した。病院側は「死因はテオフィリン中毒などであり、血管を傷つけた事実もない」と反論したが、判決では「テオフィリン中毒が出血性ショックを引き起こす医学的知見がない」として、血管損傷が死因とした。




医療過誤:病院に慰謝料8100万円支払い命令 千葉地裁-事件:MSN毎日インタラクティブ

(記事より一部抜粋)

判決によると、男子生徒にはぜんそくの持病があり、治療のため同病院に入通院していた。01年1月1日午前4時半ごろ吐き気を訴えて受診したところ、ぜんそく薬による中毒と診断され、胃洗浄、薬物投与などの治療を受けたが、けいれんなどを起こした。医師が血管にカテーテルを挿入した数分後、血尿が止まらなくなり、午後9時半ごろ死亡した。




・通常の操作では血管損傷は考えられない
・仮に血管損傷があったとしても、出血が数分で尿と一緒の可能性は殆どない
・死因が本当に出血性ショックだったのか?

こういった疑問があるのですよね。


記事からだけの情報なので正確には判りませんが、「ミオグロビン尿」の可能性が高いように思えるのです。血尿というような、出血などではないのではないか、ということです。痙攣があった後ですので、ミオグロビン尿は普通に起こりえます。しかも、テオフィリンの使用であったので、それがトリガーとなり横紋筋融解症が惹起された可能性があったのではないのかな、と。


尿は腎臓で「血液」が濾過された結果ですので、わずか数分で尿に血液が混ざるのは「尿路系」の何処かに「穴が開いている時」だけです。仮に腹腔内に出血があっても、尿路に穴がなければ尿に血液が入ることはほぼ有り得ないのではないでしょうか。


例えて言うと、我が家の風呂場の下水管に穴が開いて、床下に風呂の排水が漏れたとします。下水管はもっと大きな本管に繋がっていますが、遠く離れたご近所の下水管まで「我が家で漏れた風呂の排水」が本管を逆流して行って、そこの家のトイレの水に色が付いた、というようなことです。想定が困難すぎなのです。


「出血」というのは、血管の外に漏れ出ることですので、それが、再び別な管内に「戻り」、腎臓という濾過タンクを通過して尿中に出るなんてことはないのです。そもそも濾過タンクである腎臓には「血液しか」やってこないのですから。仮に本管部分に穴が開いても、尿と一緒に血液が出てくるということはまずないのではないかと思われます。


事実認定で、「血管損傷があったか、なかったか」という争点は殆ど意味をなさないことである可能性が高いのではないでしょうか。問題になるのは、「横紋筋融解症」のような病態が認められる状態であったか、否か、ということではないかと、素人考えで申し訳ないのですが、思った次第です。



活動家の気持ちを考えてみる

2006年09月12日 21時13分54秒 | 俺のそれ
ふと思ったのだが、何かの運動家とか、活動家の心境って、どんな感じなのかね。


時折ネット上で見かける、ジェンダーだのバックラッシュだのとかも、毎回毎回「戦うべき敵」みたいなのが、周りにはウヨウヨいて、いくら個別に撃破したとしても、同じことを何度も無意味に繰り返さざるをえなくなるのかも。少数派であり続ける限り、あちこちから無限に湧いてくる「ゾンビ兵士軍団」みたいなのを相手にすることになるので、次第に疲弊し、徒労感を味わい、大差のリソース投入の限界を感じ、諦めを感じるようになるのかもしれない。それか、虚しさを知りつつも、機械的にそれを行い続けることで自己の活動意義を確認するか、ある意味惰性的な力によって活動を続けるのかな。

よく判らんね。


今のところ、上限金利引下げ派は、主に弁護士軍団とか、共産党系とか、市民グループとか、そういう人たちなのかな。私は共産党系の一派とか、思われているのかもしれんね。友軍(笑)としては、ちょっと・・・だが、最終的には数が重要なので、「烏合の衆」のたった1人に過ぎないけど、それでも抵抗を続ける。とてもじゃないが現状肯定なんかには賛同できない。先月終わりに、あまりの徒労感から、「どうにでもしろ」というようなことを書いたのに、無駄と知りつつも続けてしまった(笑)。

その気力も萎えるけどね。


あのですね、私は何かの闘士でもなければ、活動家でもないので、誤解のないように。



生活困窮者の対策と破綻処理(追加あり)

2006年09月11日 14時50分26秒 | 社会全般
これは以前にも紹介した厚生労働省の融資制度を利用してもらうことが望ましいが、アクセスや申請・手続き等の問題、そもそも貸金利用者が知らないという情報偏在の問題がある。なので、民間に代行させる、という視点で考えてみたい。

貸金業の上限金利問題~その3


条件として、世帯の所得水準、例えば住民税でいくら以下とか、収入総額(200~300万円程度かな)でもいいですけれども、一定基準以下の人には利用可能であれば、本人にそちらを選択することを必ず業者に確かめさせる。主に年金生活者で年金額の少ない者や低所得層などが利用可能となるのではないか。

・融資枠は10万円までと、それ以上の金利逓増のゾーン
・借入枠は総額30万円程度まで
・貸倒保険制度(住宅ローン保証協会のような)を必ず設ける
・現在制度の適用している金利よりも上乗せ数%(利用者負担)
・業者には、代行手数料として別に上乗せ金利分数%を補給
・貸倒になった人は利用を制限(保険料負担をかなり多くする、5年間の利用停止等)
・貸倒率が業者平均よりも顕著に高い場合、ペナルティ(上乗せ率を減らす、代行停止等)を業者に与える
・社会保険料、税金等の未払い金がある場合は、利用制限(生活状況によるが)


大雑把にこのような感じで、メリットとしては低所得利用者は低金利で借入可能になる、業者には代行手数料が確実に入る、貸倒がない(保険から支払われる為)ので比較的安定的な収益源にできる、制度利用可能な業者は”比較的安心”であるというシグナリングになりえる、業者ごとの貸倒率のペナルティによって安易な貸出は抑制される、若年層の一部などに見られる社会保険料を払わず遊行費に充てるなどの人は利用が制限される、行政の支出分は生活費の直接給付よりも膨大にはならずに済む、といったことでしょうか。


具体例を書いてみます(適当に考えただけですけど)。

①利用者が金融機関や貸金業者にアクセス
②利用者に公的融資制度への申請同意をもらう→申請却下の場合は業者の制度をそのまま利用(年収の早見表のようなものがあれば、大体その場で判るのでは)
③業者から市町村に申請、利用資格ありなら優先的に利用しなければならない
④10万円までは5%(2%分は公的補助、年度ごとの変動制でよい)、超過分は1万円ごとに+0.2%
⑤貸倒保険料は借入元金の0.5%を公的負担、利用者は1.5%負担

・小口の資金需要に対応できる
・業者は金利収入5%+超過部分~+4%を受け取れる
・業者は貸倒リスクがない
・公的負担は補給利子2%分+保険料負担
・利子補給分はもっと低所得層では増やしてもいいかも(例えば4%とか)
・利用可能の決定は必ず本人にも通知(業者が勝手に断るのを防ぐ)


10万円融資を500万人に実行した場合を考えてみます。

債務総額 5000億円
公的負担:利子分100億円(年間)、保険料分25億円
業者受取金利:250億円~(年間)
利用者:借入金利が5%~9%程度で済む
     保険料75億円(1人当たり1500円)
     返済不能に陥っても負債免除


これを超える資金需要がある時は、業者の本来の制度を利用する。利用者のモラルハザードについては、対策は判らない。他のペナルティを用意しないと、ちょっと困るかも。それと、既に多額の負債を抱えてしまっている人にとっては、解決にはならない。新たに多重債務に陥るのは緩和されるかもしれないが。保険料率は貸倒が2%にしか対応していないので、貸倒が増加する恐れがあるのであれば、保険料率は3%とかの水準が必要。その場合は利用者の保険料負担を増やす必要があるが、10万円に対して数千円の範囲内ではある(貸し出す時に自動引去でいいと思う)。



現在の自己破産制度ですが、これよりもアクセスの容易な破綻処理制度が望ましい。現在の制度では初期費用がかかりすぎでしょう。処理に当たって、債務の大幅減免を容易に決着させ、債務者は返済可能な範囲で長期間に渡るとしてもある程度の返還を義務付けることが必要。他のペナルティも必要かもしれないが、どのような制度が望ましいかは不明。


例えば月収20万円で、負債総額500万円(平均借入金利25%)というような場合、返済はほぼ絶望的です。なので、債権を一定比率で買い取り債権者を自動的に整理する、クレジットカウンセリングを必ず受けさせる、返済可能範囲で仮に平均月収の6%程度を返済に充てさせ、これを10年間義務付けるとともに返済が行われている限りにおいては自己破産のような厳しいペナルティとはしないこととする(もしこの義務を途中で果たせなくなった場合には、自己破産と同様の厳しいペナルティに自動的に移行させる)。この返済義務を果たしている限りにおいては、クレジットカード利用やローンも利用可能とするが、その場合には利用を事前に破綻処理機関に報告し、機関が利用を認めない場合には不可とする、というようなハードルを設ける方がいいのではないか。


例に挙げた負債総額500万円では、ずっと同じ月給20万円であれば月に12000円、年間144000円の返還額ですので、10年間払い続ければ144万円回収できます。なので、債権買取価格としては、500万円が100万円程度に減るが(いい加減な例ですけれど)、完全焦げ付きよりはマシだと債権者も考えるハズです(自己破産されるよりはいい。同意できない債権者は別な法的手段ということになるかと思います)。なので、5分の1程度の価格で売ることに同意を得るのは可能だと思います。消費者センターのような機関(半公的でいいですよね)に債務者か債権者の申立があれば、手続き開始可能として、利用料などはないこととします(困窮者たちは処理手数料すら用意できないことが多いので)。債権者は完全貸倒になる前に「処理可能になる」(回収コストは減らせるかも)、債務者の申立で容易に実行可能なので悪質な貸し手は排除されやすい、債務者の不利益は自己破産に比べ軽減されている、10年間の返済義務と新たな借入に関しては処理機関の厳しいチェックを受けることで債務者の安易な利用をある程度制限する、ということになるかと思います。


買取すら不適切であるような債務に関しては、自己破産手続きとするしかないでしょう。あと、個人民事再生ですけれども、これも費用がかなりかかるので、利用しにくい、ということはあると思います。センター利用者のうち、民事再生の方が望ましい場合には、そちらに回せばいいと思います。


あとは、この制度維持の為のコストがどの程度かかってしまうかですが、よく判りません。できるだけ既存の組織・機関等を利用して、窓口はどこでもいいので(システムを理解している受付係が誰かいればいい)、厳密な手続き・審査関係とかは一箇所あれば済むのでは。ネット経由で資料等を本部みたいな所に送り、指示された通りに出先で行える人がいれば済む。主に、これまでの窓口として存在する市町村社会福祉協議会とか、「法テラス」?とか、そういったところに相談することとすればいいのではないかと。


追加です。

最大の問題は、現在既に返済負担能力を超えているような債務を多額に抱える債務者です。前に書いたように、多重債務者というのは、返済管理が非常に困難になっており、これをまず1つか2つ程度にまとめないと「コンフュ状態」からは抜け出せません。推定230万人の多重債務者についての対処を考えねばなりません。


上限金利引下げで予想されるのは、「貸出が止まる」ということらしいです。仮にこの「ハードランディング」という道を選択したとして、「貸し剥がし」「貸し渋り」が起こるとどうなるかと言えば、債務者は「お手上げ」状態になり自然に破綻処理へと向かうことができる、とも言えます。債務者は払えないのでバンザイしました、ということで法の下に出られますから、過重な債務や取立てなどから開放されるでしょう。債権者にとっては、ほぼ全損ですね。問題になるのは、法的手続きの処理が大混雑になり裁判所とかが大変になるかもね、ということでしょうか。貸し手が追加資金を投入するのを止めたり貸出を一気に回収しようとすれば、現状の「綱渡り的返済バランス」を大きく崩す結果を招来し、貸倒率が急上昇するでしょう。どの道回収見込みはないでしょう。


上述したように、破綻処理制度を変えるという強力な「事前情報」というか条件を与えることによっても、業者の行動は変わってくると思います。もしも、新制度設立後に過重債務を抱えたままの債務者がソッコウで申立を行い、債権が買取処理か法的処理に移行してしまえば、損失は免れません。他の業者よりもいち早く回収するか、それが難しければ別な方法を考えねばなりません。対応としては、金利を減免しても返済を継続させるくらいでしょうか。


そこで、多重債務者のうち、既に借入元金を超過する返済が済んでいる債務者(例えば50万円借りて、30万円返済した時点でまた20万円借りて、・・・というのを繰り返してきた人で、元金分以上払っている人)の債権に限って、債権者の誰かか、別の買いたい業者に売却することを促すこととします。


例で考えてみます。

債務は、A社:80万円、B社:70万円、C社:50万円、D社:50万円、E社:40万円、F社:30万円、の合計320万円とします。


新しい破綻処理制度の利用を恐れて、6社の借入をA社にまとめることとします。A社は他の5社から自由に買うものとします。恐らく、予想される破綻処理価格よりも、少し高い価格になるのではないかと思えます。で、A社は320万円分の債権を有することになりますが、5社240万円分の債権を50万円(元の20%ちょっとです)で購入できたとしましょう。すると、A社は単独で実質130万円の債権を保有し、新たに債務者との契約を締結するものとします。この時、破綻処理制度に飛び込まれない程度の契約にしておかないと、本当に処理されてしまいますので、例えば元金部分150万円で金利15%といった設定にするということになります。以前に80万円を25%で貸していれば金利収入は20万円でしたが、新たな契約締結後では22.5万円の利息収入(大雑把に言って)となり、しかも破綻処理制度に飛び込まれるのを防ぐことができます。放置した場合よりもA社の損失ははるかに少なくなります。


今までよりも債務者の返済負担は大幅に改善しているので、破綻リスクは軽減されており、実質的には130万円分の債権で150万円分の貸付ができ、なおかつ既に20万円分は回収しているのと同じですので、破綻処理制度に飛び込まれて20%程度の16万円でしか買い取られないかもしれないことを考えるとかなり得していると言えます。しかし全額回収までには、A社だけがリスクを負うことになるので、その見返りとも言えます。リスクを取れない業者ばかりである時は、座して「破綻処理制度」に飛び込まれるのを待つことになり、大きな損失は確実でしょう。


このようにして、金利上限引下げ期限よりも以前に「新たな破綻処理制度」を確立することにしてしまえば、業者の行動に変化を与えることができうるかもしれません。債務者は320万円の債務から大幅に減額されて返済負担は改善されます。金利負担も随分違いますよね。それと、6社から1社になっていることで返済管理は容易になり、「コンフュ状態」を抜け出せるでしょう。今までに債務額を膨らませてきた業者たちで損失をある程度分散して引き受けてもらうか、確実な「破綻処理制度」での処理で損失を確定させるかは、業者の選択次第ですね。


買い取れるだけの資金力、リスクテイク能力、新規契約後の返済見通しという審査能力など、総合力のある業者に有利になるでしょう。不良顧客比率の高い業者ほど、こうした債権売却対象となるような債務者が多いはずで、自動的に競争力を失い排除されていくことになるでしょう。勿論売らずに頑張り続けてもいいと思いますが、他の業者たちからは非難を浴びるかもしれないですね。「破綻処理制度」に必ず飛び込まれてしまうので。業者全員が大損するか、多少なりとも損失を小さくする努力をしてみるかは自由な判断ですから。


でも、本当の浪費家タイプとかギャンブルタイプで借りまくってる人にはこうした処理は適用できず、新規契約後の返済見込みのある人でなければ無理ですね。それと、既に業者たちの元本部分が回収されている(例えば50万円貸して支払が50万円を超えている)なら、業者の損失が膨大にはならないでしょう。債務額が膨らんでから貸し込んでいる業者にとっては不利でしょうね。


もしもこれが可能であれば、金利引下げの実施以前に過重な債務を有する多重債務者の処理が進められ、市場の正常化が促進されるのではないかと思います。



上限金利問題の論点整理・2

2006年09月10日 15時39分31秒 | 社会全般
前の記事に書いたのですが、経済学的理由以外の部分は何かという指摘がありましたので、再び書いてみました。また簡潔明瞭じゃなくて申し訳ありません。


1)多重債務者は「上限引下げで救済できるのか」


これに関しては、あくまで推測でしかないでしょう。ただ、先日の毎日新聞の男性の例から見えてくることはあります。それは、借り手の資金需要と、現実の返済すべき額には大きな乖離が存在しています。そして、そのことは、債務者の収支変動に対する余力を確実に奪っていくと考えています。

(以下の利払い計算は、実際の貸金とはちょっと違ってるかもしれませんが、額がそれほど大きくは違っていないと思います)

あの男性が初期に必要とした資金は50万円に過ぎません。これを仮に5年間1162560円で購入したとみなします(当時のほぼ上限の40%とします)。月々19376円確実に支払を続ければ、返済可能です。しかし、実際には「預貯金が底をついている」とか「低所得」といったことによって、年間23万ちょっとの水準でさえ払いきれない、ということが起こってしまうのですよ。これがもしも20%ならば794820円の総支払額となり、差額367740円分は自分の生活に充てることも可能なのです。

70万円を払った(3年でこれくらいの返済額)時点で、新たな資金需要が発生してしまうと、40%ならば依然462560円残っており、そこで10万円の新たな借入をしてしまえば、3年経過時点での資金需要の実額は60万円に過ぎないのに、既返済分70万円の他に負債を約56万円以上抱えることになるのです。20%ならば、これは大きく緩和されて、残り約20万円の負債で済むのです。これから発生する利払いの差も依然として大きいのです。


元々返済余力の少ない人たちが借り手であるのに、このような返済負担の差は大きいのです。現実には、男性は約8年経過後には120万円まで負債が増えています。途中の時点で、新たな借り入れを行ったことは確かでしょうが、男性の実際に必要としていた資金需要の額は、恐らく100万円未満であると思います。しかし、8年間の支払分と、その他に120万円という負債を抱えることになっているのであり、資金需要の実額よりも、おそらく数倍に膨らんでいるのです。その後も、120万円が700万円まで膨れ上がってしまっているのです。このような需要は、男性自身の資金需要で発生しているのではありません。貸し手が大きく膨らませた結果生じているのです。貸金業界全体で、このような「債務額の拡大」というのが行われ、それを分配していってるのです。


資産のない普通の借り手であれば、実質的に必要な資金需要が1社50万円分だけだとしても、返済負担が重く返済が困難になってしまうことで、膨張スピードの方が早くなり、それを次の貸し手が「貸し出す」ことによって6社300万円まで増えてしまうようなものです。「大きく育てて、6社で回収・分配」ということをやっているのと同じようなものだ、ということです。返済負担は多くの借り手にとっては、「死活水準」なのです。

担保資産もなければ、金融資産もない世帯の返済能力を見ない金融庁のバカ官僚は、一般家庭の返済負担能力は5万円だ、とかぬかしたそうだが、年金生活者の高齢者(月7万円程度しか年金がなけりゃ、どうやって5万も返せるの?)なんかが借り手であれば、そんなに返せる訳がありません。年収200万円未満の若者にしてもそうです。「1万円」「数千円」というのでさえ困難であるのに、数万円も毎月毎月、何年間も返せないのですよ。


貸金は、こうやって借り手を太らせて、参加(貸し込み)業者も増えて、みんなで分配しているようなものです。


多重債務発生や自殺が防げるか、というのは正確に判るわけはないですが、実質的な資金需要に近い資金を満たすことができ、それが過大な負担とならない範囲であれば、恐らく減ると思っています。膨大に債務を太らされるよりも、簡易な利払い減免等の処理も可能になると思います。借り始めて短期間内での自殺というのは、恐らく少ないと思います。借入枠がいよいよ厳しくなってきて、他からの資金調達の目処がつかなくなり、度重なる取立てや長年の自転車操業という苦闘の末、遂には自殺することが多いのではないでしょうか(実態はよく知りませんが)。そういうのが現実ならば、減らせるはずです。それに負債総額が300万円に到達しているのと、50万円程度であれば、後者の方が心理的負担は少ないのではないかと思えます。「50万円なら何とか・・・」という風に考えられる余地はあるのではないかと。



2)経済学理論は全てに優先されるのか


一番不思議に思うことは、経済学理論を掲げる人々というのは、例えば「法的判断」よりも「経済学理論の方が正しい」という立場をとっているのではないかと思えることです。他の判断や価値観よりも、「明らかに優位にあるべき」ということです。

「法的には利息制限法に従うべき」
という意見に対して、

「経済学理論では利息制限法に従うのはよくない」
という意見をぶつけてくるのです。

結果、「裁判官は経済学無知だからさ」とか、「経済学理論を考えない弁護士や裁判官はアホ」という意見に結びついているように見えます。


「法学理論」という全く異なった評価・判断を必要とすることにまで、「経済学理論」の優位性を主張しているようなものです。そういう思考が全く理解できない。ハッキリ言えば、経済学徒は一体「何様のつもり?」と思っています。何度か書いてますが、経済学理論から考えられる意見というのは、「ただ一つの立場の表明」でしかありません。裁判所判断は、法に基づく判断なのであり、それに対抗するのであれば、「法学理論」という土俵上で対抗するべきでしょう。評価軸が同一の場でないなら、「経済学的立場」と「法学的立場」が互角に衝突してしまうだけで、問題解決には繋がらないでしょう。最終的には、「どの意見、立場、判断等を優先するか」ということが選択されていくのではないでしょうか。


ところが、経済学徒は違う。初めから「結論」を出しており、経済学的評価以外の評価を認めようとしないし、他の価値観は無視・侮蔑という態度しか示さない。故に、信頼することは到底できないのです。私だって、別に経済学徒の論点を好きで取り組んでいるわけではありません。彼らが「経済学という土俵」でしか、反論を認めないからです。他の理由は、全て却下されるからですよ。


現在の法体系の下では、「利息制限法に従うべき」ということは、明確になっているのです。ところが、貸金業者たちは、「刑事罰があるから出資法を守る」というだけであり、「刑事罰がないから利息制限法は守らなくてよい」という脱法行為を続けているのです。こんなことが社会規範において、許されるべきと思いますか?違法行為は違法に決まっているではありませんか。そんなの、経済学理論がどうのこうのなんて関係ないではありませんか。

大体、上場企業ですら、まともに利息制限法を守っているとは言えないではありませんか。そんな企業が公然と違法な企業活動が許されていいという判断を、経済学理論から導き出してくるとすれば、そのような理論はトンデモとしか思わないですね。会計監査法人に刑事罰がないからといって、監査法人は利益を優先するなら違法行為を繰り返すことが望ましい(たとえ社員が逮捕されたとしても)、などという理屈はどこにもないと思います。


タクシーに乗るとメーターが自動的に上がっていきますが、今、清算する時に支払う金額が表示され、それが2000円であるとしましょうか。あなたが支払う時の2000円のうち、支払い義務のある決められた運賃は1500円で、500円分は実はタクシー運転手へのチップで、支払は任意であるとします。まあ、経済学理論を掲げる人々は、この500円は当然払うのでしょうけど。メーターが上がっていくたびに、本当は料金を上乗せされていた、ということです。で、このチップがなければ「タクシーが営業できなくなるから」という理由で、違法なチップが上乗せされるメーターを取り付け、このタクシーの営業を認めるなんていうことは、「経済学理論」以前の問題なのです。乗客が知らないで払わされるような違法メーターは止めろ、ということです。これまでの法体系・行政の管理下において、こうした違法営業が常態化していたのであるから、遵法姿勢という点において信頼に足る業者・業界とは到底考えられず、ならば、それなりに応じた厳しい措置を取るというのは、むしろ自然な判断だと思います。旧法において、「貸金業取締法」だったのですから、取り締まる対象だというのは昔から何ら変わっていない、ということでしょうか。


勿論、上限を守って営業している消費者金融業者も存在しており、キャッシング金利を以前から18%以下でちゃんとやってきているのです。そういう業者との公平性も保てなくなると思えます。しかも、「違法メーターをなくしたら、タクシー業者が失業し、客を乗せられなくなる」とかいうのも、理論でも何でもないでしょ。他にも営業している業者がたくさんあるのですから。貸金業の一部が失業したとしても、最大でも十数万人(業界全部が失業しても)、もっと少ない可能性の方が高い。それよりも貸金で被害に遭う数の方が、圧倒的に多い。営業できなくなる、という市場からの退出を理由に反対しているのは、オカシイですね。そんなことは他業種でもあるのですから。


経済学理論だけで社会の問題解決が可能とでも思っているならば、それは大きな誤りであると思います。



3)「経済学徒が知っている」経済学理論の限界を知るべき


経済学理論は大切だ、それは理解できないわけではありません。が、それを現実世界に適用する時に、「考えるべきこと」が必ずあるはずです。ところが、経済学徒たちは「理論的に明らか」ということでしか考えられないようです。そのことが、本当に不思議でなりません。完全競争市場を想定するのは構いませんが、現実にそれは起こりえないではありませんか。そもそも、そのような架空の市場は、現実世界には存在しえません。ただ、理論を理解する上で役立つだけです。置かれている前提・条件が、あまりに違いすぎるのですよ。完全情報とか、全てに平等なアクセスなんてことが、この世の中でありますか?しかも、その理論と現実世界との乖離の程度とか、適合度とかは「誰も知らない」し、まずそれを調べてから適用するのでもないのです。「頭から」それが絶対的に正しい論理であるとして、疑わないのです。これは大学の研究者レベルでもそうなのですから、まあ、仕方がないのでしょうけど。


リンゴの落下のお話を頂いたので、それに因んで経済学徒の主張の異常さを表現してみましょうか。私自身は研究者でも何でもないので、うまく説明できないかもしれませんが、一応トライしてみます。


ニュートン力学では、所謂古典的な力学を扱います。普通は、物体が高い所から重力に従い落下すると、「位置エネルギー」は物体の「運動エネルギー」に変わりますが、エネルギー保存の法則によって「位置エネルギー」に等しいエネルギーが物体に与えられます。空から雨が降ってくる場合もこれと同じ原理であり、リンゴもそうですね。初速0のリンゴは木から落ちてくる時、位置エネルギーはリンゴの運動エネルギーとして与えられるのです。これを式で表せば次のようになります。

mgh=1/2*mv^2 (vの部分は2乗を表す)

m:質量、g:重力加速度、h:地上からの高さ


これは定式化されており、成り立つと考えられていますね。確かにその通りです。前提としては、例えば物体の大きさはゼロで受ける空気抵抗などが存在しない(正確に言えばきっと色々な条件があると思うが、とりあえず)、重力加速度は均一で一定とされています。これは「確立された理論」として、一般的には理解されていますね。経済学徒たちが言うような、「価格」「需給」などといった理屈と似ています。で、経済学徒たちの不思議なところは、これが「現実に起こっている現象」に必ず適用できる、と信じて疑わないことです。


普通、観測される現象というのは、この理論通りに起こっているかどうかはよく判らないですよね。なので、実際に測定してみたりして、理論が現実とどのように適合しているか、何が異なる要因なのか、などといったことを調べるのです。すると、実際の出来事とは、若干違うんじゃないか、と疑問も出てくるのです。ところが、経済学徒たちは、「これは理論的にも実証的にも正しい、明らか」と豪語するんですよ。本当にそうなの?


経済学徒の主張に置き換えて具体的に表現してみると、次のようなものです。

◎高度1万mから落下してくる雨滴は、エネルギー保存の法則によって位置エネルギーは全て運動エネルギーに変換されている。従って、地上(高度ゼロ)での速度は音速を超えるのが当然である。


「ええーっ?」って思うでしょ?普通。雨が降ってきた時に、そんなに速い速度の雨だれに当たったら死んでしまうよ(爆)。なので、感覚的に「それは違うんじゃないか?」と疑問を投げかけると、「いや、理論上でもこれは正しい。それが経済学の教えである」と強硬に主張するんですよ。


「そんな現象は実際に起こってないし、普段は観察できないでしょ」と言うと、
「理論的にも実証的にも明らか」とか「具体的な例を考えても意味はない」とか言うわけです。おまけに「現実の感覚、素人考えというのは、得てしてそういうものであり、理論を判っていないからそういうことを言うんだ」と主張するのですね。確かにエネルギー保存の法則とか、位置エネルギーは運動エネルギーに変換される、というのは正しいんだろうけど、実際音速の雨だれが落ちてくる現象は起こってないじゃないか、という疑問は残るわけです。すると、「高度が低いところからたまたま落下してきている滴を見ているだけだ」とか、そういうことを言うんですよ。「ニュートン力学の式を見てみろ、式を。これは多くの科学者が認めているんだから、絶対に正しい」と言うのですよ。そうは言っても、こりゃおかしいでしょ、と思うわけです。


普通ならば、「雨滴の速度を実際に計測してみよう」「高度の違いで影響があるか調べてみよう」「計測誤差とか観察方法の誤りかもしれないので、調べてみよう」とか、色々と考えるじゃないですか。経済学徒は違うんですよ。「あの式は絶対に正しい。エネルギー保存の法則も成立している」と決して譲らないんですね。でも、実際に調べて行けば、前提条件とされていた、「空気抵抗がない」ということに問題があるのではないか、ということにも行き着くわけですよね?

そういう訳で、雨滴は空気抵抗を受けるので、落下速度は一定以上の速度にはなりえず、ある高度を超える高さから落ちてきても、一定速度でしか落下してこないということが判るのです。


しかし、経済学徒は違います。まず、「教科書嫁」です。ニュートン力学を知らないからそういう疑問を言うのだ、と。いつまで経っても、「実際に観察される現象」というものを見ようとしません。前提条件が違うからではないだろうか、などとも決して考えません。「これは普通の計算テクニックであり、ニュートンの式を批判しても意味はない」というようなことを言うのですよ。


「経済学では、これが一般的だ」
これは殺し文句なのです。そこから先へは決して進めないのですよ。絶対的に正しい、と信じてるから。観察されている現象を理解しようとも思わないから。通説の理論を、「まるまま」現実世界に適用させられる、と信じて疑わないから。


経済学徒は理論が全てであり、上の例でいうと、ニュートン力学の理論に従って、弾丸並みの速度で落下してくる雨滴によって頭を打ちぬかれてしまう(!)ことを信じているのでしょう。これをヘンだと思わないのが、謎なのですよ。そういうレベルなのだ、と言われりゃ、そうですか、としか言えませんが。


現実世界に適用するのが難しいハズの経済学理論にも関わらず、「最重要理論」として他の立場の意見を排撃し、自分たちが「最善・最上の理論を持っており、全てが見通せる」と勘違いしている輩が多く観察されるのが、経済学ということです。そもそも前提条件が成立しているのかどうかさえ経済学徒たちには判らないクセに、結果だけは出してくるし、仮想の理論が現実世界全てに通用すると信じてるのですよ。経済学分野では、そういう思考が本当にごく普通なのだとしたら、経済学からは失望しか学べないでしょう。



上限金利問題の論点整理(追加あり)

2006年09月09日 19時01分13秒 | 社会全般
記事へのコメントで大変厳しいご指摘を受けました。
以下にそれを引用いたします。


まさくにさんは結局のところ、何を主張されているのでしょうか?これといった主張はなく、官僚や経済学者を独自の理論-俗に言うデンパやトンデモのこと-で批判しているだけでしょうか?

貸金の上限金利を下げることに賛成していらっしゃるみたいですが、その理由はあるのでしょうか?
多重債務者を減らしたり、借金苦による自殺者を減らしたりできるとお考えなのでしょうか?
いまいち見えてこないんですよねぇ。

もっと明瞭簡潔に意見を展開されてはいかがでしょうか?




ご指摘はごもっともですね。スミマセン。
なので、ちょっと整理してみようと思いますね。

1)「経済学理論」派

主な論拠は早稲田大学消費者金融サービス研究所のペーパー

①貸出金利は需給で決まり、引下げで超過需要が発生する
②市場は十分競争的
③貸出金利はリスクを正確に反映する
④闇金が大量発生する
⑤750~1000万人が借りられなくなる
⑥借り手は合理的に低金利を選択している


2)私の考え

①上限は引下げられるべき
②市場は十分な競争環境ではない
③情報の非対称性がある
④逆選択の可能性
⑤上限引下げと闇金発生に因果関係は見出せない
⑥貸出金利はリスクを正確に反映しているわけではない
⑦超過需要発生とそれに伴うGDP減少の推計は過大
⑧借り手は必ずしも合理的に低金利を選択していない
⑨信用情報の業者ごとの違いによって、参入障壁となっている


1)に対する反論として、いくつか質問をしましたが、誰も答えていないのが今までの状況です。


次の事項を経済学的に説明せよ。

①坂野論文を支持するなら均衡金利水準は27%以上が前提であり、その推定が可能なはずだからそれを示せ。
②均衡水準がそれ以下なら、GDP減少額は過大な推計に過ぎないのではないか。過去の引下げ時に貸金は必ずしも信用供与額が減ってない。
③借り手と貸し手の情報格差があるのに、消費者金融市場は公正取引が行われる市場なのか。
④十分競争的で「貸出金利がリスクを正確に反映する」ことが言えるなら、全ての業者でコストが一致しているはずである。見かけ上は、そのようになっていないのではないか(業者Mのコストmと業者Nのコストnが一致するか、mやnがリスクrに比べ十分小さいことを示せ)。


ここまでで、「消費者金融市場は十分競争的である」とは到底思えない、ということです。また、上限引下げによって、均衡水準を下回るということが示せないのなら、今のところ、引下げは中立的(どちらとも判らない)としか言えない。貸出金利の水準とリスクは必ずしも一致していないので、堂下論文のような「リスク」と「金利」分布を置換するのは不適当。リスク差よりも、コスト差が反映されている可能性があるのではないか、と。


本当に経済学理論が正しいのなら、説明して下さい、と。
今まで、正しいと言っていた人々は、容易に答えが出せるから、それを受け入れているのだし、それを論拠として支持しているのですから、説明可能なはずです。


⑤闇金発生は経済環境や貸金の借り手増加によるもので、上限引下げに原因があるとは思わない。また01年以前の引下げと闇金発生の関係について示せ。

⑥借り手が合理的に低金利業者を選定していることを示せ。アンケート調査では必ずしも金利で選択していないことが見られる。

⑦借り手の信用リスクによって、クレジットカードキャッシング、ノンバンク、銀行カードローン、銀行系貸金などの、貸金業よりも低い金利帯商品からは排除されており、最初の借入時点で貸金だけからしか借りられない人はどの程度存在しているか。


この辺はあくまで推測でしょうね。理論がどうの、ということではないと思いますけど、どうしてそう考えるか知りたいところですね。


寄り道:
これも前から書いてるが、「イギリスには上限金利はない」と、鬼の首を取ったように言う連中がいるのですが、それは「無制限」を意味するものではないんですよ。イギリスの場合、暴利的信用取引であると裁判所が認めた場合には、”裁判所が契約を再締結させる権限”が設けられてるのですよ。つまり、「暴利な金利」「青天井金利」なんてものは、確実に破棄される、という事前情報が与えられており、それによってある程度の歯止めがかけられるのですよ。日本でもそうするなら、金利規制は外してもいいかもね。

でも、裁判所に持ち込まれたら、上限いっぱいで通してくれるかな?裁判所判断というのは、既に判決もあるんだし、「利息制限法内で十分」ということであって、それでも借り手の状況によっては「暴利的」と認定されるかもしれず、そうなればもっと引き下げられるかもしれんね。私の個人的な気持ちとしては、そっちの方がはるかにいいけど(笑)。判決で裁判所が「利息制限法にしとけ」と言ってるのに、それでもなおかつ「いうことをきかないヤツラ」がいるんだからね。いっそイギリスと同じ方式にしてもらった方がいいんじゃないか?


戻ったので、追加です。

経済学理論派によく見られる理由は他にもありましたね。

「1000万人が借入不能になる!!」

という説を支持していたのは、bewaad氏や池田氏に共通です。

では、何故貸せなくなるのでしょうか?
これは大体が2社以上から借入している債務者ということになりますよね。坂野論文に基づいて、管理債権(破産)となるのは、「金利」や「借入額」には有意差がなく「ライフイベント」が原因なんだ、と主張していたのですが、なぜ「借入金利の高い者」から順に市場から排除されるのでしょう?


「破産はライフイベントが原因なんだよ!」ということで、借入金利の高い人たちと低い人たちで「ライフイベント」の発生率に違いがあるということはないように思えますよね?それとも、金利の高い人はライフイベント発生率が高いというデータでもあるのでしょうか?


ある貸金業者が全員20万円融資している、次の顧客を有していると仮定しましょう。

・2社から借入している顧客100人、平均債務50万円、貸出金利20%
・3社から借入している顧客100人、平均債務90万円、貸出金利25%


どちらも同じ融資額20万円で、前者が20%、後者が25%ですよね。この場合、前者と後者のライフイベント発生率が同じ確率である時、予想される貸倒になる人数は同じですし、債務額も同額です。であれば、金利の高い顧客の方が利益は大きいですよね、確実に。なのに、どうして借入金利の高い層、つまり債務残高の多い顧客を「先に切らねばならない」のでしょうか?

考えられる理由は「貸出金利の高い顧客層では、ライフイベントの発生確率が高い」ということくらいしかないのでは。金利の高さも、債務の多さも「無関係だ」というのがライフイベント派の主張ですからね。


もしも同じ確率でライフイベントが発生しても、債務残高の多い(=金利の高い)層が「返済困難に陥りやすい」というのであれば、債務残高や金利が説明力を持つ要因ということになってしまうのではありませんか?でも、経済学理論(ライフイベント原因)派は、金利水準も債務残高も関係ない、というのですからね。きっと整合的な説明があるのでしょう。


企業はわざわざ「利益の多い」顧客から順に貸すのを止めると。不思議ですよね。しかも20%引下げになってしまえば、借入先が1社、多くて2社程度しか認めないというのも、極めて不可解ですね。1000万人が市場から締め出される、と言うからには、それなりの理由があるはずですよね?経済学理論で説明可能な。


⑧貸出金利の高い顧客層では、低い顧客層に比べてライフイベント発生確率が高いことを示せ。
⑨利益の大きい(貸出金利の高い)顧客1000万?人が優先的に市場から排除される理由を示せ。


経済学理論派は、容易に説明できるでしょう。

私が直接聞くことはできませんので、できれば他の経済学徒から是非聞いてみてもらえませんか?経済学理論に従えば、疑う余地のない当然のことのようですので。

ご指摘にもありましたように、所詮ド素人の電波かトンデモ批判程度ですから。



貸せなくなるって、本当?

2006年09月08日 21時06分19秒 | 社会全般
今の制度のままでは、次々と現れる「貸し込み業者」がいるために、破綻に向かって押し出されて行ってるようなもんですね。順繰りと。


普通はまず貸金大手の1社から借入する。全情連のデータ約1400万人では、600万人が1社からの借入だ。大手の新規で約3人に1人くらいが他の貸金から借入のない人だったと思う。大手貸金が新規で貸すのは、年間約190万人強くらいなので、このうち「まっさら」の人は約65万人くらいということだろう。残りの130万人くらいは既に他の貸金から借りてる人ってことですよ。大手の借り手のうち、口座を複数で持っている人たちはかなりいる、ということですよ。しかも、20~30代の男性が多いんですよ(なので、CMには、「アイドル系」みたいなのを投入してくるということ?)。「まっさら」の中には、返済し切れなくて期間が5年60回を過ぎたような人も入ってるかもしれない(この場合、新たに新規契約ということだろう)。


「まっさら」の人のうち、貸金から脱出することができる人は勿論いるだろう。でもね、次のステージに進む人たちもかなりいるんですよ。それが貸金のビジネスモデルなのですから。市場全体では年間65万人が新規で入って、約30万人弱が退出って感じかな?これは自己破産、特定調停、個人民事再生、自殺、夜逃げ等ですね。つまり、将来的には、新規参加者の4割くらいが破綻する、ってことですかね。そこに辿り着くまでには、ある程度時間がかかるからね、普通は。


自分の息子が貸金で200万も背負っていて、将来を憂う親なんてたくさんいるし。そういうのは、親が肩代わりして、清算しているのでしょうね。自己破産なんてさせられないよね、親心としては。それができない親の場合には、別な道に行ってるかもしれんが。あと、彼女に「たかる」とか。彼氏に金を貸してくれ、と言われて、そのままドロン(死語?)されてる女の子はいるだろうね。それとか、結婚してみたら、実は貸金に100万の借金があったのが発覚するとか。そういうのは、女の子の方がしっかりしていることが多いので(主婦以外で見れば、女性の借りてる数は男に比べてずっと少ない)、何とか返済するのかもしれないし。そうやって、どうにか貸金から脱出する人もいるわけだ。でも、それができずに次のステージに進む人たちは少なくないのですよ。


年間約130万人が2社目以降の借入を大手から行う、ということで、600万人くらいのうち、ざっと22%くらいが次に行くってことかな(勿論返済して1社に戻ってくる人もいるだろう)。大体3年くらいで2社目・3社目に進むというのが3人中2人いれば、これくらいになるか。あんまり早く次にいく人が多いと、新規参加者の供給だけでは追いつかなくなるからな。そうなると危険な借り手比率が増えるので、貸倒率も高くなってしまうだろう。


貸金の2~4社から借りてる人は、大体570万人くらいはいると見られる。まあ、130万人が次のステージに進んでいるので、このゾーンで停留している数もそれなりに存在する、ってことだ。ここから返済を頑張って、1社ゾーンに引き返せる人もいるが、更なるステージに進む人たちもいる。これが5社以上から借りている層の230万人だ。どうだろうか?結構な割合で、危険水準に到達しているよね。予備軍が570万人、危険域が230万人、ここから「排除される」のが年間25~30万人ってことだね。年数をかけて順繰り破綻水準に押していけば、毎年毎年「退出者」が誕生することになる。3ヶ月以上延滞してる人は約270万人だとさ。


要するに、2社目以降貸している連中は、「順番に倒れていく」ということをビジネスモデルの中に組み込んでいるんだろ。一定割合は確実に「倒れるのが必然」で貸し込んでいるんだろ。いや、むしろ倒れるまで貸すことで、途中のウマミを抜いているんだろ。以前、「押し貸し」ってのがあったが、これがそのいい例だ。頼んでもいないのに、複数業者からの借入を行っている債務者に、「勝手に貸す」ってやつだ。これも、回収できるかどうかも判らんのに、お金をポンとプレゼントときたもんだ。何故こんなビジネスが成り立つのか?変だよね。普通は、多重債務者になっているんだから、リスクが高くて貸せない、と思うでしょ?ところが、そういう人にこそ、「ウマミがある」って、十分知っているんですよ。初めから商売が成り立つことを知っているのですよ。そして、債務者が次の資金調達先を見つけてくる限り、そういうヤツラの商売は成り立ってしまうのですよ。今の貸金業界は、こういう「貸し込み」で商売が成立する市場になっちゃってるんですよ。なので、貸出順が5番以内とかに入ることができれば、貸すのよ。それが儲けられる方法だから。それで、他の業者から借りてる人たちを食いつぶしていくわけだ。その清算は、方法が色々とあるからね。


業者にとっては、利息返還費用が消えて、貸倒率が大幅に改善されるから、金利が20%でも儲かるように思えるけどね。現在(06年3月期)の大手の費用構造では貸倒率+利息返還費用で金利の10%相当くらいですもんね。平均約定金利が3%ダウンする影響度よりも、こちらの影響の方が大きいんじゃないの?(笑)


現在の大手2社だけからの借入者の貸倒率なんて、全然大したことないと思うけど。でしょ?2社しか借りてない人なんて、滅多に破産しないはずだよね?坂野ペーパーなんかによれば(爆)。借り手が殆ど破綻なんかしないできちんと返済しているのに、「貸せない」とはこれいかに?
でもね、貸せないんだそうですよ。不思議ですよね?


ならば、今の平均債務残高って、どういうこと?と思いませんか?債務が50万円までなら貸せて、60万円ならダメなんですと。それは、平均的な借入限度はその程度ってことなんじゃないの?要するに、貸し込んでるだけだってことじゃないの?次々と貸し手が現れるから貸せるだけであって、それが止まれば、いままでの債務者転がしというビジネスモデルは成り立たないんだろ?「次の貸し手」が現れることが前提なんだろ?逝けるところまで逝かせてみるのが、今までのやり口なんだろ?親や女房や彼女や親戚なんかから、「新たな資金」を調達してきて、返済の穴を埋めてもらうというようなこともできなくなるってことだろ?今までは、「膨らませて」そういう回収をやってきたんでしょ?債務者を貸金業者の中で回して、大きく育ててきたからできた商売のやり方なんじゃないの?前にも書いたが、自己破産の平均債務残高が500万円としても、20万人で1兆円、うち貸金で7割として7000億円の債権額、ということだよね。それが1年で消えて行ってるのに、儲けることが可能な商売だもんね。


いい加減な経済学理論を振り回すしか能のない、おバカな著名人は、毎日や朝日の社説に噛み付いていたようだが、「中小業者が消えてなくなれば、借りられなくなる人々が続出するー!!」と脅しているようですね。でも、上位業者以外の中小業者たちが貸せなくなったって、たかが知れてるのではないか?債権額で見たって、1.2兆円程度で、それらは全部が延滞とかの不良債権でもあるまいに。債権を売ればいいんだよ。それである程度は回収できるだろ。延滞債権でもないのなら、買い取ってくれる人たちがいるよな?返せるはずだと思ってるから貸したんでしょ?大手貸金だけで貸倒引当額は年間7千億円以上なんだし。不良顧客比率の高い業者には、消えてもらうしかないね。


あと、中小企業とかの「事業者向け融資ができなくなる」っていうのもね、結構ウソっぽいな。まず、事業者向け貸金業者は2千以上存在する。その平均約定金利は3.36%で、消費者向け貸金も一緒にやっているが12.37%という水準だ。担保とか連帯保証なんかの条件が違うのかもしれないが、そういう事業者はちゃんと存在している。それに、大手貸金の事業者向け無担保融資は平均約定金利は17.52%、中小貸金にいたっては16.10%だ。20%を切る水準で貸してるんだよ。事業者向け融資で高いのは質屋の18.91%と、別格の日賦業者53.74%だ(これは当然だが)。だから、事業者に貸せなくなる、というのはオカシイと思うね。中小貸金が潰れるなら、大手が買い取れば済むでしょ。銀行などの民間金融機関でもいいでしょ。よっぽどの不良債権以外ならラッキーだよね?


変な特例は絶対に止めろ

2006年09月07日 13時49分24秒 | 社会全般
金融庁のボケ、何で今更になって議論が後退するんだよ!!「後藤田叩き」に勤しむヤツラに尻尾巻いて逃げる気か?無知に付け込んで、雪だるまにするのを黙って見過ごせと?エサをばら撒いて、手ぐすね引いて待っている連中に、まんまと食われていくのを放置せよと?金融庁の急速な軟化は一体何なんだ?どんな薬を嗅がされたのだ?下らん特例なんて止めちまえ。利息制限法の上限は当面守れ。市場がまともになり、下らん引っ掛けに嵌らないような環境が整ったら、失くしてもいいよ。それまでは、凍結。利息制限法死守!!


大体、経済学の講釈垂れて、もっともらしい理屈を並べ立てていた連中が何か「事実」を示したか?反論に耐えうるような説明ができたか?経済学理論が正しいなら、説明がつくはずでしょう。何が一番腹が立つかって、もっともらしいことを言って引下げの反対だけはするが、「経済学理論」に基づいてよい解決法を何一つ出しもしないことだ。残念ながら、日本の経済学のレベルというのが、信頼に値しないと心底感じていますね。大学院生レベルでさえ、ド素人程度のことすら考えられないのか、と。


貸金業の問題について、いくつか気になったことがあるので書いておこうと思う。


まず、業者数であるが、減少してきたものの依然かなり多い。特に小規模業者数が圧倒的に多い。貸金業の費用構造を見れば、大手が有利である印象はある。調達金利、人件費等の占める割合が相対的に低くなり、有利であるのかもしれない。実証研究ではどうなのか不明であるが、規模の経済は存在する可能性があるのかも。銀行でも、規模の経済が確認されていたと思う(うろおぼえ、メガバンク誕生以前だったと思うが)。銀行業務のリテール強化で、銀行カードローン等の貸出増となるならば、範囲の経済も働く可能性もあるのではないかな。特に銀行口座を保有している人であれば、携帯電話料金や公共料金等の引き落とし状況が情報として蓄積されているので、「延滞」傾向とか判りそうな気がするが。ほかのカード引き落とし情報なんかがあれば、もっといいのかもしれんが。平均残高なども判りやすいだろうしね。


個人向け無担保融資は、今までの蓄積(経験?)というのが大事な面があるのかもしれない(特に零細業者などでは、数字に表れない特別な審査能力が培われてきたのかもしれない)。特に昔は地域性ということがあったりして、質屋や貸金業などが一定範囲の地域だけを市場としていて、分断されていたのかもしれない。しかし、そうした地域分断はATM網とかネット環境などによって、失われていったのかもしれない。その結果が、業者数減少ということで顕れてきているのかもしれない。


貸出競争と「貸し込み」は異なっていると考えている。最初に大手から借りて50万円に到達すると、次の借入は他の大手から困難になることもあるかもしれないが、3社くらいまでなら借りられる場合もあるのかも。でも、大手の全社からは借りられなくなってくるだろう、多分。大手の貸出は借入先が3社以内である債務者が大半だからだ(平均的にはゼロが多い。つまり初回借入先に選択されやすい)。なので、大手の2~3社から借りることができても、次は借りられなくなるということは考えられる。そのような債務者は、既に「利息が利息を産む」という初期段階に到達しているが、破綻まではまだまだ時間がかかるだろう。大手は審査によって断ることが少なくないことも、大手からいくつか借りてしまって新たな借入先を求め回遊している借り手は結構いるだろうと推測している。次に借り手はどうするかと言えば、「貸してくれるところ」をひたすら求めるしかない。


そこで登場するのが、次の准大手グループだ。この業者数はかなり多い。20社以上ある。特徴は昔からこのグループは「貸倒率が高い」ということだ。業績拡大を目指すからなのか、ノルマとかの影響なのかは不明だが、大手数社から借りている債務者に積極的に貸し出すということだ。しかも、金利は高い。これは当然だ。「大手の金利」を下回ることは、通常有り得ないのである。債務が膨らんでいるからであり、貸倒率も高いので、必然的に金利は高く設定されなければならないのである。なので、准大手にとっては、最初の1~2社以内に入れても、大手から借りる場合よりも金利は高いことが多い。こうした現象は、「大手の金利」が必然的に「下限」を形成してしまっている、ということでもある。一種の「貸し込み業者」的振る舞いをしているのが、この准大手グループではないだろうか。彼らは、数社から借入を行っている借り手が、更に「貸し手を捜す、資金を調達してくる」ということを知っていれば、「貸し出せる」のである。直ぐには「貸し倒れない」ということを知っているのである。もっと借入件数が増えるというのが判っていれば、貸し出すのは合理的戦略と思える。多少の例外はあるが、大抵は社内下限金利が高く、上限は29.2%なので、大手に比べても「狭いレンジ」の金利帯であることが多い。これも必然的ではあるが。5社以内くらいに入れれば、利益を上げられる、ということが大体判っているのである。金利帯の低いところ(例えば上限が18%とかになっているような銀行系とか)は、逆に貸出を見合わせることになってしまうだろう。


借り手を見ると、大手貸金の新規顧客は20~30代が過半数であり、経済環境とか低収入とかそういう状況を反映している面はあるかもしれない。所得が低いフリーター等が多い世代なので、借入需要も多い可能性は有り得る。ただ、貸し手を合理的に選択しているかどうかは、やや疑問が残る。主にイメージなどで借りてしまっていることも考えられるからである。他には、銀行などの場合、窓口での手続きなどに心理的マイナスがあるのかもしれない。大手貸金の契約の7割以上が無人機であるからだ。「窓口は面倒」とか、他を調べるのが面倒、といったこともあるかもしれない。他には、「時間帯」というのが案外と影響しているのではないかと思ったりもする。無人機の効果は、24時間とか深夜までとか、そういう営業が可能になるからだ。ネットとか、窓口での手続きは、決まった時間までに行わねばならなかったりするかもしれず、特に銀行系とかの有利な金利のところでは、そういうのが不便とか思われているのかもしれないな、と。若年層の活動時間を考えれば、仕事が終わってからの方が多いだろうし、通常は夜の時間帯に借入行動を起こしやすいのではなかろうか、と。あと、夜の段階で「急に入り用になる、気付く」などの事情などもあるかもしれず(遊んだりする時だってそうですよね)、遅い時間帯で借入可能というのは若年層の行動様式に合っているのかもしれないな、と。あくまで印象なんですけれども。


金利の有利な業者がどの程度借り手をリスクで排除しているのか不明なのであるが、「最初の借入がどこか」というのは重要な判断情報になっている可能性はあるかもしれない。

例えば、銀行カードローンとかの有利な金利はあまり選択されないが、「審査が厳しい」ということでもあるかもしれない。そこでの情報として、「貸金からの借入があるか、ないか」ということが排除するかしないかの分岐点になっていると、借り手がこれを知っているかどうかで変わってくるのではないかな。

・貸金負債あり→排除
・貸金負債なし→貸出

このような原則である場合、これを借り手が知らずに、最初に貸金大手を選択してしまい負債が残ったまま、次に銀行カードローンを選択しようとしても、自動的に排除されることになる。順序が逆ならば、同じ資金需要であっても借入可能であるのですけれども。銀行カードローン10万円、次に大手貸金20万円、とかの組み合わせはできるが、大手10万円、次には大手or准大手20万円、という具合に条件が悪化していっている、ということである。「貸金から借入を行ってしまうこと」というのが、借り手の信用リスクを増大させ、そのことを知らない借り手は不利な状況となるのではないか。もう低金利帯へ戻ることができなくなってしまう、という可能性もあるのではないか。


単なる私の推測ですが、貸金利用者と非利用者を比べると、業者選択の基準で「低金利」を理由としているのは後者の方が有意に高いのではないかと思っています。初回貸出で「貸金」を選択している時点で、最も低い金利の業者を選ぶという判断ができていないことがあるからではないかと思うのですよ。消費者全部(借りる必要のある人もない人も含めて)でみれば、「金利で選ぶ」という人は大半でしょうね、きっと。そういう人は、その判断の結果、そもそも貸金からは「借りない」という選択をすることが多くなるためだと考えます(実際貸出金利は高いので)。借りてる人の存在割合は、人口比で見ればかなりの少数派ですからね。

ところが、貸金利用者で見れば、
①金利の高さを十分理解しているが、合理的に判断した結果借りている人
②他から断られて、これしかなくて借りてる人
③金利を見ずに、何となく借りてしまっている人

という人たちが混在するのだろうと思いますね。で、①の人はどの程度いるのか判らないが、そういう人は大体短期間で借りる為に問題ない、ということでしょうね。その人たちにとっては、家の近くにあるから、とか利用時間が便利、とか、そういう別な理由が優先されいるだけで、上限金利が下がったとしても市場からは排除されたりはしないので、金利は関係ないですよね。むしろ、下がるのは歓迎だよね。

問題は②と③で、②にとっては金利が下がれば借りられなくなる、という人は出てくる可能性があるが、③は下がると債務額の成長が抑制されるので多重債務は減らせるようになるかもしれないが、元々借金に対する理解が乏しければ、量を増やすだけ、ということもあるかも。

消費者金融利用者の約9割は「グレーゾーン金利」に任意で払うことを知っていたわけではなく、本人は同意したつもりもない、ということであった。借り手と貸し手の間に、このような情報格差がある時、公正な取引が市場で行われていたとは言い難いのではないか。となると、①の合理的判断で選択した人というのも、どれほど存在するのかやや疑問ではあるな。あまり多くはないかもしれないな、と。


とりあえず。



消費者金融市場での貸出金利は「リスクを正確に反映する」とは言えない・3

2006年09月06日 02時54分48秒 | 社会全般
前の続きです。

まず初めにお断りしておきますが、「上限金利規制が経済学的に正しいか」というのは、私なんかに判る訳がありませんよ。これまでの記事(過去数ヶ月を遡って頂ければ)でも書いてきたように、経済学理論を掲げる人々はlydiaさんと同じことを言っていましたので。それは十分承知しております。その上で、なお「本当に経済学的な主張が正しいのか」、「根拠に挙げているペーパーは信頼に足るのか」ということを書いてきたに過ぎませんので。


lydiaさんの書いている『結局私が主張したいことは消費者金融市場に問題があるならばその問題に合った処方をすべきということにつきます.それに価格競争が行われている場合には寡占市場であっても超過利潤が存在し得なかったりするので(ベルトラン競争),下手な策は打たない方がマシってことがありえるのですよね.そもそも物価上昇率が上昇すればプライムレートだって10%近くにはなったりするのですが,今行われている議論がそのような状況を考えているといえるでしょうか?』ということは、理解していますよ。経済学徒たちから、色々と教わったりしましたので。


しかしながら、経済学理論を掲げながらも、それが正しい議論でないなら、結局私のような経済学無知が上限金利引下げを主張するのと何が違うと思いますか?根拠とする理屈が正しいのであれば、それはそれでいいと思いますよ。他者に対しても十分説得的ですからね。それを実際示してもらえれば、それで済む話ですよね。


話を元に戻しますが、今まで幾つかの意見を頂いたのですが、当方の質問にはあまり答えていませんよね。論点は上限金利引下げが適切な政策かどうか、という大きな部分ではなく、消費者金融市場の貸出金利が「リスクを正確に反映する」かどうかです。私は自分の知っているものについては、一応いくつか資料を提示していますが、lydiaさんはどれにも根拠を示してはいませんよね。私は研究者でもなければ、経済学に詳しい訳でもありませんし、単なる素人に過ぎないのですから、まずご自身で考えて頂いた方がいいのではないでしょうか。

特に、『私が知りたかったのは「銀行とサラ金で金利の決定方法が異なっているのはなぜなのか」』などは、経済学に詳しいのであれば、自分でお考え頂いた方がいいでしょうね。限界費用が重要であるならば、ご自身で計算して頂き、業者間でコストに違いはないことをご説明されれば、即私の主張は崩されますよね?

業者Mの貸出金利=コストm+リスク評価部分r と、業者Nの貸出金利=コストn+リスク評価部分r' において、m=nが成立していることを示して頂ければ、『市場が十分競争的ならばm=nが成立して,金利がリスクを反映すると考えることに何の問題がありますか?』と仰っていたことが明らかになると思います。


>今後の議論では「消費者は金利の低いところから借りようとする」を前提としませんか?

この意味がわからないのですが、双方の取り決めとかで現実の出来事が変わる訳ではありませんよね?こちらの主張を否定する資料を提示して頂き、借入を行う際「消費者は常に合理的に行動する(低金利を選択する)」ということを示せばそれで済むと思いますが。一応、多重債務者は消費者の代表でも何でもありませんので、全消費者を対象とした調査でなければ確かに全体は見えてこないと思います。しかし、多重債務者は約230万人程度存在しており、「少ない数」とも言いにくいとは思っています。人口比(本当は借入可能な年齢の人口かもしれませんが)で見れば、大したことないですけどね、勿論。

古い資料でも見ていたのですが、このような資料だと数字が出てきていない為イマイチと思い敢えて出さなかったのですけれど、参考までに出しておきます。

消費者金融会社の好業績とその背景


>本当のリスク部分が小さかろうがなんだろうが上乗せ部分がリスクと反比例して動きでもしない限り「リスク高い→金利高い」「金利高い→リスク高い」ということは成立するのですが.


これは、上の書き方で言いますと、貸出金利1=m+1と、貸出金利2=m+5というようなことですね。要するにrの部分が高くなるから、貸出金利も高くなる、ということが言えるだけであって、貸出金利が「リスクを正確に反映している」ことの根拠にはなりにくいでしょうね。r部分に比べてmが無視できるほど十分小さい時には、ほぼ貸出金利=rが近似できるのかもしれませんが。これを言うには、mやnはrに比べて十分小さい、ということを示さねばなりませんよね。



lydiaさんが書いているように、確かにこれ以上議論しても時間の無駄ですね。

・借り手は常に合理的に行動する
・消費者金融市場は十分競争的
少なくとも上記2つが成立していることを示してもらえれば、上限引下げ反対派の経済学的な理由というものにも同意出来る部分があると思いますけれども。




消費者金融市場の貸出金利は「リスクを正確に反映する」とは言えない・2

2006年09月05日 15時11分08秒 | 社会全般
前の記事からの続きです。lydiaさんの質問に回答してみたいと思います。


>あたかも借り手が合理的に行動しないことが事実であるかのように書いてありますが,それをサポートする証拠はあるのですか?

「合理的ではない」と完全否定はどんな場合でも困難でしょうが、そう推定する根拠はあります。借り手の調査ですけれども、これによれば金利によって「貸し手」を選択しているとは思われませんね。

多重債務問題の現状と対応に関する調査研究

この中では金利で選ぶ割合が5%未満に過ぎないのですよ。


>1.銀行のリスク評価のばらつきは小さい
2.銀行間で十分競争が働いているため,(調達金利+リスク評価)以外の超過利潤は生じない
という2点を仮定したことによるものですね.確認していただきたいのですが,上の2つのうちどちらか1つでも成立しないならば,まさくにさんの言うような結論は成立しません.


銀行の事業資金融資の信用リスクや審査水準、競争市場かどうかを肯定又は否定してみたところで、消費者金融市場の問題が明らかになるわけではないと思います。銀行の例は、理解する上で参考になるかと思って書いてみたのですが、lydiaさんが経済学を十分熟知しているならば、このような説明は不要でしたね。銀行の事業向け融資は、上限金利もないですし、市場は別のものだと思っています。「銀行の競争が『十分』働いている」というのは、どの水準を言っているのか判りませんが、lydiaさんの主張するように、「低い金利のところから借りればいいだけ」という理屈を銀行に適用しないのは何故なのか不思議ですね。


lydiaさんの指摘のように、仮に銀行融資が「十分な競争市場でない」として、「金利がリスクを正確に反映する」とは「言えなくなる」だけであって、銀行の金利は競争が十分な場合に比べて「高く設定されている」と言えるだけですね。銀行の融資はもっと金利を下げられるはずだ、ということでしょう。銀行の貸出金利=短期プライムレート+上乗せ部分、という形で表せば、短期プライムレートはその時点での定数ですので、上乗せ部分は競争が十分な場合よりも「見かけ上高く設定されている」=リスクを過大評価している、ということですね。本当のリスク評価部分はもっと小さいはずで、そうであるなら「貸出金利はリスクを正確には反映していない」ということ結論付けることになると思いますが。


参考までに、都市銀行はどうか知らないですけれども、地方銀行や信金等の金融機関においては、地域間格差は存在するのではないか、と言われています。これは金融機関の不良債権比率が高い場合に、貸出金利が高めとなっていることが指摘されており、こうしたbank effectは皆無とは言えません。同一の企業が融資を受ける場合であっても、所在地域によって「高い金利」を要求されてしまうことになります。このような場合の説明要因としては、「競争環境が十分ではない」ということは有り得ますが、必ずしもそういう要因ばかりではなく、他の供給側要因の方が説明力のあるものもありますので。そのような場合においても、借入金利が10%も異なる、などということはなく、ある範囲での金利分布になるでしょうね。


>価格X=費用A+利益B

念の為申し添えますが、この「費用A」というのは、あくまで私の知る「費用」であって、現実のお金で表現されるものです。経済学的な用語として考えておられたのなら、違います。専門用語には不慣れなので、日常生活の延長上で使ったのです。従いまして、機会費用は含まれるものとなっていませんし、通常の「費用」という意味で書きました。それ以下の説明で用いたコスト部分というのも、そういう意味でしたけれども。


>価格は(限界)費用Aで決定されます

と、ここで気付いたのですね。ひょっとして機会費用のことが、私の書いたことからは抜けていたな、と。

金融庁 貸金業~懇談会資料

(こちらの資料では、規模によって費用構造が異なっています)

もしも、消費者金融市場の全ての業者について、コストが全部同じである、ということになれば、実際の資料から得られる数字(普通の会計上の数字ですよね)以外の、「機会費用」を推計することになりますが、それは果たして可能なのでしょうか?「貸出金利=コストm+リスク評価部分r 」と表せるとして、全ての業者において、コスト部分が同じということですよね?それは会計上の費用の差を埋めるだけの「機会費用」が全てに存在していることになるかと思います(もし間違いならゴメンナサイ)。実際に、それほどの大きな機会費用の差が存在するとは思えないのですけれども。もしも、これが示せるものがあれば、お伺いしたいと思います。単なる個人的な意見ですが、銀行カードローンでも、オリックスのローンでも、クレジットカードキャッシングでも、或いは貸金(アイフルとか・・・)でも、機会費用が大きく異なるとは感じないですね。金利差で言えば、20%くらいですけどね。
貸金業だけで見ても、大手と準大手やそれ以下の費用構造は異なっているので、その分だけ「機会費用に差がある」ということですよね。それか、消費者金融市場は細かく市場が分断されており、借り手は隣の市場には入らない(入れない?)ということでしょうか?


>コスト高さは金利の高さに反映され,金利が高い業者は市場から退場しますから


消費者金融市場において、競争が十分成立しているかどうかは判断が難しいのですが、「金利の高い業者」が市場から撤退しているとは思えず、先に示したように借り手側が「金利」を正しく認識せず借入を行っていれば、「非効率」な業者が存在しても不思議ではありませんね。年収200万円の20代男性が、初回借入を行う場合、銀行カードローン・ノンバンク・20%以下のクレジットカードキャッシング等を全て断られるのか、というと、必ずしもそうではないと思えますが(確認したことはないのですけれども)。貸金以外の業者から完全に排除されているというのなら、貸金市場は「ハイリスクな顧客のみ」を相手にしているのであり、そこの顧客は全員がそれよりも低金利の業者からの借入は「不可能」ということになると思いますが、そうとは思えないですね。貸金業者の中でも、初回貸出金利が全ての業者で同じなどということは確認できないですね。社内下限金利が、他社の社内上限金利を上回っている業者は普通に存在していますので。


文献では大手貸金が独占的競争市場の可能性が指摘されていますが、部分的なものですから一概には言えないでしょうけれどね。

消費者金融サービス市場の競争度

それから、昨日の記事の後、別なコメントを頂いていたのですが、ちょっと見落としていました。でも、こちらの議論が進んできたので、このままの進行とします。前のコメントに一部答えていないところがありますが、御了承下さい。


消費者金融市場の貸出金利は「リスクを正確に反映する」とは言えない

2006年09月04日 13時36分05秒 | 社会全般
ご質問を頂いていますが、長くなるので記事にしました。繋がりは、記事のコメント欄の方からお読み下さい。


理解に苦しむね

以下に回答をしてみたいと思います。


>つまり同一人物への貸出しについて,業者A,B,Cの条件がそれぞれ例の様に異なっていると考えてよいのですね?

そうです。

>一番安いところから借りれば良いだけ

これはその通りです。借り手の行動が合理的であれば、正しい選択が行われるハズですが、現実にはそうなっていないと思われます。その理由はかなり以前から謎とされていますが、今も有力な説明は出てきていません。恐らく、借り手と貸し手の情報格差などの影響があると思います。あとはイメージとかアクセスの容易さとかでしょうか。

>結果として必要以上の金利をとっている業者は市場から消えざるを得ないのですから,「金利がリスクを反映している」と考えることになんの問題があるのですか?

業者が競争で淘汰されることと、消費者金融市場での金利が「リスクを反映している」ということとは違いますよ。

>では銀行もいわゆるサラ金も借り手のリスク評価に大きな違いはないと考えていると理解してよいのですか?

そのような飛躍は書いていないのですが、誤解を与えたかもしれないですね。コメントに書いてありますが、銀行の例は、あくまで「事業性資金の融資の例」として書いたまでです。『銀行貸出は、短期プライムレート+上乗せ=1.4+0.5のような数字が出てくるので。銀行が異なれば、若干数字は変わりますが数倍もの違いはないですね』というのは、消費者金融市場とは異なるものと思います。銀行と貸金業でリスク評価に違いがない、などとは言えないと思いますよ。


銀行が融資する場合に、「短期プライムレート+上乗せ(リスク評価)部分」という構造になっているならば、上乗せ部分が金利に反映される、ということです。

仮に鈴木商店、田中商会の2人に融資する場合、ある銀行では

鈴木=短期プライムレート+0.5
田中=短期プライムレート+1.0

となるとします。この時「短期プライムレート」はその時点では「定数項」ですので、上記0.5と1.0の差は「借り手のリスク評価」の差として、「金利に反映」されます。リスク部分を変数、鈴木・田中部分(つまりは貸出金利)も変数(借り手が十分大きい数だけ存在する)となっていて、リスク部分と貸出金利は一次関数で表現されます。この場合には、「金利はリスクを反映している」と言えるということです。これと同じ事を複数の銀行で調べると、鈴木さんの0.5の部分や田中さんの1.0の部分が、割と狭い範囲に分布しており、プライムレートとの合計値である貸出金利を数倍にするほどの差は滅多にない、ということです。この場合、銀行審査はある水準で同じくらいに機能している、ということです。他の銀行が鈴木さんに貸し出す時には、プライムレート+0.7かもしれませんが、要するに、分布範囲は限られている(例えば鈴木さんでは0.5~0.7という風に)、ということです。


ところが、消費者金融市場を見ると、必ずしもこのような関係が成立しないのではないか、ということを指摘しているのです。


ある製品Xの販売価格構造が次の通りであるとします。

価格X=費用A+利益B

Xを売る業者が多数ある時、費用Aが一定(定数項)であれば、業者ごとの価格Xは利益Bの変動に依存します。この時、価格Xが定数項である費用Aを代表する数字になっていますか?Xは色々な値を取っているのに、それが定数である費用Aを「表す値」であると?
lydiaさんが仰るように、同一人物に貸し出す際の「リスク評価が一定」であるという仮定をすると、貸出金利=リスク評価部分(定数項)+上乗せ部分ですから、XとAの関係と同じ意味合いですよね。これは貸出金利がリスク評価(定数)を示す値などにはなっていない、ということです。


ある業者Mが多くの人々に貸す時に、貸出金利=コストm+リスク評価部分rでコスト部分(利益も含むとして)が定数であるとリスク部分が変数となるのですが、この業者Mと別の業者Nでは、貸出金利=コストn+リスク評価部分r'となっていれば、mやnが定数項であれば貸出金利はリスクに依存する変数とも考えられなくはありません(業者単独で見れば)。そこで消費者金融市場を見るとき、同一人物に貸し出す場合のリスク評価がr=r'というのがほぼ成り立たねばならず(lydiaさんの主張はそういうことですよね)、貸出金利はコストmやnに依存する変数となってしまいます。であれば、貸出金利は「定数r」を代表させられるようなものではないでしょう、ということです。金利構造にもよりますが、リスクを反映するよりも、「コスト差」の方が割合的にかなり大きければ、貸出金利というのはむしろ「コスト差」を表現する値、ということになってしまいますので、貸出金利の分布を「リスク評価の分布」に置き換えることは不適当だと言っているのです。


唯一成り立つ可能性があるのは、全ての業者が費用構造が同一であり、コストm=コストnが全ての業者で成り立つ場合だけですが、前にコメントに書いたように、企業規模等でコストmやnは大きく異なっているのは事実ですので、見かけ上の貸出金利が「リスクを正確に反映している」などということはない、というのが結論です。銀行の場合には、短期プライムレートや長期プライムレートによって代表され、これらコスト部分に貸金業ほどの大差がない為に、リスクが反映されやすいとも言えるのではないかと思いますが、正確には文献などを見た方がいいでしょうね。


最も望ましいのは、「一番金利の低い所」を選択する人が十分多くなればいいのですが、初回借入だけ考えても、貸金大手から借りる人々が多く、もっと低金利の銀行系、クレジットキャッシング、ノンバンクや銀行のカードローンなどは金利が有利にも関わらず借り手が優先的に選択してきたとは言えないのです。



教育の経済学分析を頑張って欲しいです

2006年09月03日 18時19分15秒 | 教育問題
以前に社会科学の方が理系よりも将来所得は多いかもよ、とか記事(将来を考えるなら、社会科学選択が有利)に書いておいたのですけれども、大変よくまとまっている文献を見つけたので紹介したいと思います。

日本の教育経済学:実証分析の展望と課題


小塩隆士先生と妹尾渉先生の共著になっておりますが、過去の実証研究を中心に基本的文献がたくさん紹介されており、ざーっと見ていくのには勉強になりましたよ(が、難しい部分もあるね、私にとっては。笑)。中にはいいペーパーがあるESRIでございます。民間シンクタンクなんかに分析とか外注する必要がないのではないの?といつも思うのですけどね。ふんだくられてるし。まあ、これは関係ないからいいのですけど。


中身は割と楽しく読めますよ。例のベッカー先生も登場しますし。人的資本論はベッカー先生なのかー、と初めて知りました。


中身は是非ご自身でお読みいただくとして、特に目を引いたのは「数学の成績」と将来所得の関係ですけれども、数学の成績がいいと所得の多い職業に就く可能性が高く、期待できるかもよ、と(笑)。これはひょっとして理系にも反撃チャンスかも、と思わせといて、実は文系だけど数学を頻用する経済学分野であったりなんかすると、もうガックリ、って感じでしょうか。でも、階層化を軽減する可能性があるかもよ、ということらしいので、低学歴・低所得層の親御さんたちは、「とりあえず、『数学だけ』はガンバレ、受験には数学を必ず選択せよ」と言ってみるのも一つの方法ではあります。ナルホド!!


それから、教員とか教育の成果に関する研究もありますが、古いものも多く、日本での実証研究は少ないようですので、お手の空いてる経済学者さんたちは、こぞって教育分野の分析をお勧めいたします。本当に。格差社会が云々とか、階層化・格差再生産なんかもこうした教育の実証研究によって、本当の要因とか、一般的に言われてるのが正しいのかどうかが見えてくるかもしれません。案外と、違ってたりすることもあるかもしれませんし。教育学的或いは社会学的な分析とも違った視点が生まれると思いますし。


それより何より、安倍構想では「教育改革」というのが目玉の一つですので、「再チャレ」ものとかの関連もあって、「予算」が付きやすいと思われます。これは「研究費獲得の狙い目」であると思いますので、どしどしご参加下さい。

とか、こんな冗談を書いてしまうと、本当に「予算目当てなんでないの?」という誤解を生ずる恐れがありますよね。ゴメンナサイ。でも、教育分野の経済学的ま実証分析は本当に大事だと思いますよ。何故なら、昨今ハヤリの下層とか下流とか言われる家庭に育ってしまえば、本当に次の世代も、その次もずっと浮かび上がれない、という危惧はありますから、もしも教育のやり方とかでそれが変われるのであれば、チャンスを広げてあげる政策は必要だと思いますので。



貸金業者数減少は上限引下げが原因か

2006年09月03日 16時46分52秒 | 社会全般
何度も書いてきたが、弱小業者数の減少が始まったのは00年の金利引下げ以前からです。堂下論文とか貸金業界の人たちが言うような、「2000年の上限金利引下げのせいで中小業者は減少した」というような、安直な推定は当然なのでしょうか?こういうのが、当たり前と思うことに甚だ疑問を感じますね。


大手の貸出比率は経年的に上昇してきた。これは競争力があることで達成されただけであって、普通に考えれば大手スーパーが弱小個人商店を駆逐するのと何ら変わりないように思えるが。上限が引き下げが本当の原因だ、などとは思えないのである。


金融庁の統計上の区分としては「消費者向無担保金融業者」というのがありますが、一般的な貸金業はこれです。で、90年には約8000社あったのですが、90年代は一貫して減少傾向でした。90年以前でも、上限が段階的引下げが行われていたので、どこからが引下げの影響なのは不明ですけれども、かつては貸金業者は事業者向けも含めて約8万社あったと言われていますが、それが90年には約21000社に減少してきたのですね。なので、ずーっと昔からほぼ減少トレンドを続けてきて、大手への集約化が進んでいったという過程を見ているだけとも考えられるのです。


で、約8000社から98年には6067社、99年には5859社に減少してきたのです。10年くらいで2000以上減ってきたのです。大手の無人機登場が93年、広告緩和が95年、社内上限金利引下げが97年頃までですから、その間は中小業者数は確実に減ってきたのですよ。ところが00年の上限引下げ直前には逆に増加しているのですよ。6029社に増えている。引下げ完了後の01年には6218社ともっと増えたのです。この時に多かったと思われるのは、財務局の認可を受けて、通常の借り手を釣り上げる「闇金」が増加したことです。結局、上限金利引下げが直接原因とも言えず、大手・準大手のグループがそれ以下の規模の業者を駆逐していったのだろうと思いますね。


しかし、これ以降闇金被害が社会的に取り上げられ、警察の取り締まりも強化され、03年の取立て規制などの強化(貸金業規正法改正等)された結果、違法業者の登録は行いにくくなったので、かつての減少トレンドに戻っただけなのではないかと思えます。


貸金業と隣接市場とも言える、質屋ですけれども、これも時代と伴に減少傾向なのであり、上限金利は日賦業者と同様に特例的に認められてきた109.5%で変わっていなかったのですが、90年頃の約1600社から01年には約400社まで約4分の1にまで減少を続けてきたのです。質屋は金利引下げには関係ないので、貸金業の方へと需要がシフトしていったためであろうと思います。


日賦業者は89年に約400社だったのが、96年には約1260社へと大幅に増加しました。これも109.5%の特例金利があったので、闇金などがこれに目を付けて、日々取り立てを行うことが可能なことも悪用されたためなのだろうと思います。


それから、これも前から書いていますが(貸金業の上限金利問題~その12)、民間金融機関の個人向け貸出は大幅に減少してきたことは、貸金業の貸出競争を招いたとも思えます。銀行・信金などの個人向け融資(目的別ローン、カードローンなど)は90年には約21兆円程度あり、このうちカードローンが約13.7兆円あったのが、03年には約4.4兆円まで減少したのですね。つまり約9.3兆円の信用供与が失われたということです。それと期を同じくして、貸金業の信用供与額は増加の一途を辿りました。銀行の不良債権問題とか、厳しい銀行検査とか、そういうことも関係しているかもしれませんが、要するに、民間金融機関は大幅に貸金市場から撤退していき、逆に貸金業者が同時期に約3兆円から約11兆円まで残高を増やしてきたのです。


闇金被害の顕著な増加や自己破産の増加は、これらの影響を受けて大体98年頃から増加してきたのですよ。特に、98年以降は国民所得の減少というのが明らかとなってきていたので、そうした時期とも一致しているのです。00年に上限金利を引き下げた結果、闇金被害が増えたとも、破産が増えたとも言えないのではないかと思いますね。そういう要因ばかりではないと思います。


経済学理論を信じている人々が、なぜ実際の数字で理論の正しさを証明しないのか、不思議ですね。「理論的にも実証的にも明らか」などと豪語できるのは何故なのか、その気持ちを知りたいですよね。「理屈はもっともらしく」、でも現実と全くかけ離れているなら、到底信用できるような理屈じゃありませんね。しかも、最後の決め台詞が一緒なのも笑えます。「教科書嫁」ですから(笑)。