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本棚転倒事故のことだけど

2009年10月14日 23時36分21秒 | 社会全般
状況が詳しく分かっているわけではないが、報道から分かる情報からふと思い浮かんだことのメモ、ということで。

古書店の本棚倒れ姉妹ら下敷き、妹重体…札幌(読売新聞) - Yahoo!ニュース


大雑把な配置関係は下図のような感じらしい(上から見た図)。
(被)は被害者たちのいた通路で左手側は壁面に本棚、<壁側>というのは、完全な壁ということのようで行き止まり部分、倒れた本棚は3列で、便宜的にそれぞれA、B、Cと名称をつけておく(図では3つとも線が切れているが、本棚は列ごとに一体化されていて、1本に連結状態であったとのこと)。

本棚は高さ2.1mで、通路側だけが幅9センチ程度の板材で連結固定されていた。固定板を本棚と直角になっている横線で示している。


○図1

    <壁側>
   
(被)A  B  C   
   |  |  |
   |  |  |
   |  |  |
   _______  (固定板)


    <通路側>


震度3程度?の地震でも倒れることはなく、問題なかった、というようなことらしい。だが、何故倒れてしまったのだろうか?

基本的には、本棚が独りでに倒れるということにはならないだろうと思う。本の重みで本箱が物理的に壊れてしまう、というようなことはあるかもしれないが、今回の事件では、そういうことは起こっていたということはないようだ。家の棚などを自分で付けたりして、強度不足で棚板がいつの間にか落下している、というような現象は自然に起こる場合はあるかもしれないが、今回の事件ではそういった「壊れた」というような現象が確認されてはいない、ということ。

他には、どのような理由が考えられるか?
本棚は自然に転倒しない、ということになると、答えは限られる。「力が加えられた」ということがあれば、倒れるかもしれない、ということはあるだろう。店内には被害姉妹以外の人間は存在していたか、というと、存在していたらしい。つまり、人間の行動などによって力が加えられた、という可能性はあるのではないか、ということだ。

さて、本棚の本の重量はハンパな重さではない。相当に重い。引越しの時に、よく経験すると思うが、何が一番苦しむかと言えば、本の重量だ。家具や家電類に比べても、格段にキツいよね。衣類とかなんて、軽い軽い。これはいいが、本棚を動かせるほどに力をかけられるかどうか、ということがあるだろう。

もし、人為的な力が加わってしまったのだとすると、この店内の本棚とか固定板の存在が影響していたことはあるかもしれない、とは思う。

まず、固定板から遠い地点に力が加えられた場合、これはテコの原理が働くと思うので、比較的弱い力であっても、本棚の変形を生じて転倒力が固定板を通じて伝わってしまうのではないか、と思う。本棚Bとか本棚Cの壁側に近い部分に力を加えると、支点までが遠い為に倒せる力となりえるかもしれない、ということ。図で示すと、図2のような感じ。


○図2

    <壁側>
   
(被)A  B  C   
   |  |←①|←②
   |  |  |
   |  |  |
   _______  (固定板)


    <通路側>

①や②の地点に誰かがいたのであれば、意図しないとしても転倒力を加える可能性が生じたのではないか、と思える。



要因としては、次のようなことがあるかもしれない。


ア)本棚の高さと奥行き

転倒の可能性が高まるのは、重心の位置が高い、ということがある。相撲なんかで言う、腰が高い、というのと同じだろう。上下2段で2.1mあったらしいので、かなり高いだろう。
力が加わるのが床から高い地点になればなるほど、弱い力でも転倒させる力を発生させやすい、というのは当然だろう。上まで本が積まれていれば重心はかなり高いとはずで、そこから距離の遠い高い場所になれば倒れる可能性は高まる、ということだ。

また、本棚の奥行きが狭ければ狭いほど、転倒しやすいのも当たり前。奥行きだけが異なるカラーボックスが2種類あって、30cmと10cmのものであれば、10cmの方が断然転倒しやすいよ、ということ。常識的に分かるはず。

本事件では、この両者が揃ってしまっていた、ということだと思う。
この高さの割りに奥行きが小さすぎる、ということである。奥行きはわずかに35cmしかなかった、ということのようだ。比率で言えば、高さ90cmのカラーボックスの奥行きが15cmしかない、というのと同じ。この箱の安定性の悪さがどの程度なのかは、実験してみればきっと分かるのではないかと思う。転倒力には弱い、ということ。比較的小さい力でも倒れてしまう、ということ。


イ)固定板の位置

これも壁側はなくて、通路側だけが連結固定されていた、ということだが、もし、壁側にも固定板があれば、ひょっとすると転倒を免れた可能性はあるのではなかろうか、と思ったりもする。

片側しか連結されていなかったことが、逆に3列転倒を招いた可能性があるのではないだろうか、と。図2で示したように、①の地点に力が加わり、本棚Bに転倒力が加わると、上部だけが連結されている為に、各本棚AやCにも「床から「一番遠い地点」に力が伝達されてしまう、ということになったのだろう。

ここでも「本棚の高さ」というのがマイナスに作用しているのだ。
削ってない鉛筆を立てておくと、長さ10cmのものと20cmのものであれば、どちらがより倒れやすいか、というと長い方だからね。短い鉛筆が倒れるギリギリの力の半分であっても、長い鉛筆の上端に力を加えると倒れるだろう。長い分だけ、テコの原理で半分の力で済んでしまうからである。

つまり、上から見た場合の①の位置と固定板までの距離(=本棚全体の横幅)が遠かったこと、水平的に見た場合の床から固定板までの距離(=本棚の高さ)が遠かったこと、この両者が揃ってしまったのが、転倒に弱い構造となっていたのではないだろうか、と。


ウ)通路の狭さ

本棚の間隔が約50cmとかなり狭かったようだ。これがカギを握るのかもしれない、と思ったのだ。

これまで見てきたのは、本棚などが物理的に崩壊するなどで転倒したのではなく、「人間が力を加えたからではないか」という推測に基づいているということだ。そもそも、そういう力が加わったかどうかは不明だが、通路の狭さ故に可能性はあるのではないだろうか、と考えたのである。

たとえば、自分の前面に本棚があって、本の出し入れなどの操作をしているとしよう。この時、自分がどのような位置に立っていて、作業をしているか、ということである。腕全部を伸ばせるほどの距離は必要ないかもしれないが、少なくとも、30cm程度は離れて立っている必要があるのではないだろうか。子供と大人では違いがある、ということはあるが、あまりに接近しすぎると作業が困難になるだろう。

なので、30cm程度離れて立っていたとすると、背後の壁面や本棚までの距離はどのくらい残されているであろうか?
踵の位置は、背後の本棚からどの程度の距離にあると思うか?

幅50cmなら、自分の前面側に30cmの距離があるとすれば、踵の位置は背後の本棚から10cm以内くらいのところにあったとしても不思議ではないのでは。

何が言いたいかというと、体のバランスを崩したりして後ろに倒れそうになった時に、バランスを回復するだけの余裕が殆どなかったのではないか、ということなのだ。体が傾いたり、倒れそうになった時、後ろに足を引いて体重移動を行ってバランス回復できるとして、後ろの余裕がまるでない場合であると体を支えきれなくなって、寄りかかるようなことが起こり得るのではないか。

もしそうだとすると、何かの作業中にうっかり体の後ろに体重がかかり、瞬間的に手で本棚を押さえたり、本棚に寄りかかる形になって体重を支えてしまったら、図2の①や②の部分に力を加えることが起こってしまうこともあるのではないか?

特に、腰よりも高い位置に力を加えることは発生するのではないか?これは、本棚の重心よりも高い位置を、押してしまうとか、体が寄りかかるとか、そういう事態ということだ。転倒力として効果的な場所に、人為的な力が加わってしまったということなのではないか?


最後に、幽霊の仕業とかの不可思議現象ということでもない限り、ひとりでに倒れたりはしないであろう。何らかの理由があるからこそ、事故が起こってしまったわけである。

倒れやすい構造、これがない限りは、倒れたりはしない。
これが違法なのかということの判断は、司法判断がなければ難しいかもしれない。設置構造に問題があるとしても、違法と言えるかどうかは私には分からない。が、最も倒れやすい部分に、効果的な力を加えることが起こってしまえば、何の偶然でもなく怪奇現象でもなく、普通に倒れ得るのではないかと思えた。



※追記(15日10時頃)

本棚同士の連結器具が破壊されていた、という報道があったみたい。だけど、連結具自体は、転倒後の衝撃で変形とか破壊される可能性は高いのと、救出作業時などにも、かなり破壊された可能性はあると思う。

事後的に破損したものであれば、本棚が自壊することによって倒れた、というようなことは推測しにくいのではないかな、と。



鶴の恩返し~その2

2009年10月14日 10時16分41秒 | 社会全般
昨日、デットエクイティということを書いたんだけど、当初の報道にはそんなことは書かれていなかったよ?(笑)


日航、2500億円の債権放棄要請 新再建計画 人員削減9000人超(産経新聞) - Yahoo!ニュース

この記事中には、次のような要約がある。


【日航、新再建計画のポイント】

 一、2500億円超の債権放棄を主力銀行に要請

 一、公的資金と民間出資で約1500億円の資本増強を実施

 一、人員削減を9千人超に拡大

 一、西松遥社長は退任。最高経営責任者(CEO)は外部から招き、最高執行責任者(COO)は日本航空内部から昇格させる

 一、3千億円超の新規融資を要請

 一、企業年金関連債務を1千億円に圧縮する


ところが、今朝の新聞記事を見ると、「債権放棄とDES」というふうに変更されていたわけである。まあ、別にいいんだけどさ、私の意見の朴李であろうと何だろうと(笑)。

しかし、上記再建案は、借金を減らしても「新規融資3千億円」ということで、全然債務負担が改善しないじゃないの(笑)。
せいぜいが、年金債務負担の圧縮と、首切りで人件費圧縮という、セコい手法だけのようにしか思えないけど。


今日になったら、記事で債務超過という風に報じられているわけですが、東証は監理ポストとかに指定したんですかね?指定基準は知らないんだけどさ。実質債務超過企業というのは、ほぼ倒産と同義みたいなものなのではありませんか?

NIKKEI NET(日経ネット):主要ニュース-各分野の重要ニュースを掲載

再生チームは日航が少なくとも2500億円の債務超過に陥っていると指摘。素案では(1)債権放棄やDESによる金融支援(2)1500億円の資本増強を含む最大4800億円の新規資金調達(3)約3300億円の年金積み立て不足の1000億円への圧縮――などを盛り込んだ。私的整理手法の一つである事業再生ADR(裁判外紛争解決)の活用方針も打ち出した。 (06:00)

=====

こうして見れば、後になって急にDES(デット・エクイティ・スワップ)が出されてきたんじゃないかとしか思えないわけですが。まあ、拙ブログごときが書いたというだけで、文言が入れられたとは思えませんけど(笑)、普通なら予定していたことであると初めから盛り込んでおくのは普通なのではないでしょうかね。


資産査定で、今後の事業の中核部分に必要とはならないものであれば、売却先を探すのが普通なのではないのか?旧再生機構の面子が中心のタスクフォースって、本当に頼りになるのかな?



例えば、日航グループには、ホテル事業、カード事業、トラベル事業、物販事業など、周辺事業などがあると思うので、本体経営に大きく貢献できるものでないのなら、売却先を探して、少しでもキャッシュを回収するのが普通ではないかと思うが。たとえば、ホテル事業なんかだと売却総額は大きくなる可能性はあるので、物件債務(一部、願わくば全部)引き受けを条件として、他の企業に売ることだってできるはずだろう。

いや、別に、売るのが正当ということを言ってるのではなくて、収益貢献で航路+ホテルで相乗効果が期待できるとかなら残してもいいと思うが、現実に貢献度が低いなら売るのも選択肢の一つではないか、ということだ。売却で、従業員たちの雇用が少しでも確保されるなら、そちらの方がまだマシということもあるし。


本当に債務圧縮の手法を真剣に考えた結果が、上記報道の如くあったような、3000億円級の債権放棄+4500億円規模の新規融資、などという再建プランだったのかな、というのは、極めて疑問である。有利子負債の圧縮には繋がってないんじゃないの?(笑)

オイオイ、ホントに大丈夫なんか?

というのが、素人考えの私の疑問ですわ。



鶴の恩返し~日航は再生できるか(ちょっと追記)

2009年10月13日 18時00分39秒 | 社会全般
前原大臣の肝いりで、旧再生機構なんかの外部専門家が招かれたらしいが、どうも評判は芳しくないようではある。簡単に言えば「本当の専門家なんですか」というような話だな。肩書きばかり立派なんだけれども、現実にはそうでもない、というような人たちはいるわけだしね。いっそ、しがらみの全然ないような外国人で本当に優秀な人に来てもらった方がいいんじゃないか、と思わないでもない。

専門家チームの判断は、単なる債権放棄ということらしいが、前政権の決定であったにせよ、ここに来て税金をドブに捨てるようなマネになるだけなのは、ちょっと許容できないだろう。仮にも上場会社なのだし、やけにレトロな手法を取るのがいいとも思えないのだけれどね。


航空行政のことや、JALについては、偶然にもちょっと書いてきた。

地方空港のこと>理解を超えた騎士団・2

マヌケ静岡空港>改革なんて、多分無理

日航の民営化>JALの社長人事に介入した政府

不採算路線と日航>「整形不美人」の日本列島


で、今は、経営危機に直面しているということらしい。
報道では、2500億円の債権放棄を金融機関に求める、ということらしいが、これについては、やや疑問である。以下、いくつかの論点について書いてみる。


①「レガシィ・コスト」のこと

先日報じられていたと思うが、退職者たちが企業年金の減額には応じない、ということらしい。これはGMの処理の時と似ているのだが、会社が存続できなくなれば「年金受取」どころではないというのに、何故か「減額は応じない」ということになっているわけである。そんな主張をするのであれば、いっそ「債権者の列に、平等に並んで下さい」と言ってあげたいですよ。

まさしく、「親方日の丸」根性が染み付いているとしか思えないわけです。最後は、国が何とかしてくれる、払ってくれる、という、甘い考えに基づいているのではないですか、ということ。倒産してしまえば、年金受給権者といえども、単なる債権者の一人でしかないわけですから、払ってもらえるかどうかは判らないとしても、普通に順番待ちをして下さいね、ということは当たり前なんじゃないでしょうか。

企業年金の減額の話なんて、別に日航に限ったものではない。
NTTの行政訴訟

他の金融機関の債権者たちと同列に、債権縮小を認めさせるよりないと思う。
配当開始が可能になったら、ある金額の年金受取権が発生する、というような仕組みに同意してもらうか、倒産に準じて債権を処理してもらうか、どちらか選択してもらえばいい。親方日の丸時代の日航にしがみついている、巨額の「企業年金」受給者たちを引き剥がすよりないと思う。現役世代がこれで首切りに遭うというのに、どうして年金世代だけが血を流さずに済むというのか。


②2500億円放棄が妥当なのか?

再生のやり方には色々あると思うが、今年になってからでさえ、金を入れていて、それは無駄に終わりました、みたいな話は到底容認できるものではないだろう。

一部は放棄も止むを得ないということはあるとしても、デットエクイティのような手法も有り得るのでは?
保有する債権額に応じて新株を割当を行い、国(独立行政法人?や日本政策投資銀のような政府系金融機関)、金融機関が保有して、将来時点である程度は回収できるような仕組みを考えるべきなのでは。

今のままだと、主要行は債権放棄を同意させられた挙句に、「新規資金も入れなさい」ということを半ば強制されるようなもので、所謂「奉加帳」状態になってしまうのではないか。

企業年金問題を一気にカタを付けるつもりなのであれば、国が受給者たちの債権を買い取って一部肩代わりを行い、一時金として精算金を払うことにするとか。
その分は、国の債権額の割合が大きくなってしまうが、割当の新株はその分だけ多くなるので、将来時点での回収見込みが立たないわけではない。年金受給権を温存するなら、株式配当が開始されて以降に少額の年金支払を認める、ということにするしかないでしょうね。これはかなり面倒なので、できればいっそ清算してしまった方がいいと思うけど。完全倒産で「一円ももらえない」というよりかは、まだマシだろうと思うので。退職者たちにも、そういう痛みを分担してもらわないと、再建できないと思う。

他の金融機関にしても、旧政策投資銀行とか大蔵なんかが主導して、銀行融資団を形成してきたのではないかと思うので、そういう責任があるわけである。これを、今更になって「放棄せよ」といわれても、だったら国の責任はどうなんだ、という話にはなるのでは。そういう点でも、単なる放棄ではなく、新株割当とかにした方が受け入れはしやすいのでは。


③再建見込みはどうなのか

何といっても、ナショナル・フラッグということがあるらしい(笑)。
また、国内線のシェアも高いので、頑張れば採算ベースには乗せられるかもしれない。利払い負担軽減だって、かなり効いてくるかもしれないし、人件費関係の企業負担減額とか退職金関係の整理とか、そういうコストの整理縮小が何よりも必要なのでは。

あとは、企業内の文化を変えることだな。
倒産してしまった、もう後のないただの民間企業なんだ、自分の足で立つより他ないんだ、という自覚が必要だろう。
地方空港の本格的不採算路線については、どうしても残すという契約のできる自治体のみについて、維持するという方向にするしかないだろうね。飛ばす航空機も、安い機体とか限定で、利用人数に合った機体とするべき。軽いプロペラ機とか、安い大型へり(?)とか、安価でも済むような工夫(これは専門の人たちが考えればいいのでは。いっそ航空オタクなどを集合させ座談会をやってもらって、アイディア募集とかしてみたらいいんじゃないの?)をするべきだろうね。


④余談として

空港利用料を下げさせるべき。
空港運営も大幅に変えてゆくべきだろう。特に、地方空港。純粋な民間会社にやってもらってもいい。自治体が認めるなら、外資系にだって開放してもいい。アホな官業経営よりは百万倍マシだから。

空港整備勘定(旧空港整備特会)は国交省管轄から取り上げた方がいいんじゃないか。国土交通省は、これまでの航空行政の失敗の責任を取るということで、日航と共に、一度清算させてくれ、ということだな。まともな航空行政ができていないのに、日航だけに無理な再建計画を押し付けるというのもできないからね。

旧運輸省とか国交省役人たちは、日航(及び関連団体)から全員退去させるべき。空港関連団体にいる連中とかも、順次整理するべきだろうね。無駄に高給を食んできた人たちは大勢いたであろうから。
ひょっとしたら、ホテル日航系列なんかにも、隠れているかもしれないし(笑)。



※追記(20時頃)

今、調べてみたら、06年以降公募増資をやったりしていたんじゃないの。
06年7月に7億株、8月には第三者割当5千万株。
211円で7月にやって、何で8月にも第三者割当なんてやってるの?
なんつーか、不可解というか、怪しいわな。

で、08年にも6.14億株の増資(250円)。
これは優先配当権付きのA種株で、議決権はないけど「貸し金の利払い」をガツンと頂きますぜ、というシロモノなんじゃないの。

こういう調達をやってきたわけだから、ここは、倒産企業に準ずる処理をするべき。それは、債権者の放棄だけではダメ、ということ。株主責任も取っていただきます、ということなんですわ。


リストラで現職にダメージ、退職者の年金も泣いてもらう、貸した債権者たちにも被ってもらう、ということになれば、当然株主責任も問われるべきだ。こんなわけの判らん増資をくり返して、責任を負わずに済まそうなんてムシが良すぎる。

債権放棄だけでお茶を濁すなんざ、許されるべきではない。


上記、8月に5千万株の謎がわかりましたわ。
オーバーアロットメントで、追加的に売り出したという名目らしいですぜ。これって、予め売り予測が出来ているから、インサイダーであれば大儲けチャンスだったんじゃないですかね?
主幹事会社への、意図的利益供与も不可能ではない、という可能性だってありますわな。どういう契約だったのか、気になるところでしょうね。



「かんぽの宿」を哂う資格などない

2009年10月13日 12時36分16秒 | 社会全般
日本郵政が「かんぽの宿」をオリックス不動産に百数十億円程度の超激安値で売却しようとしていた件で、竹中や木村剛といった連中が当時の鳩山総務相を非難していたことがあったよな?

彼らの言い分として、「かんぽの宿」は毎年50億円の赤字を出している、だから、損するだろ、早く売ってしまえ、という意見だったように思う。木村なんて、「鳩山大臣が買え」、とか言ってなかったか?(笑)

言い換えると、損失を出したなら「責任を取って自分の金で処理しろ」というようなことを、求めている、と。
ははーん。
なるほど。そうですか。

この前書いたけど>石原都知事と日本郵政(西川)の失敗は似ている

ゆうちょ銀の出した1273億円の損失は経営責任ということで、じゃあ、西川一派に穴埋めさせるといいんじゃないか(笑)。木村剛的意見に従えば、そういうことになるな。

A) 「かんぽの宿」→50億円のマイナス

B) ゆうちょ銀の投資→1273億円のマイナス


どういうつもりか知らんが、A)の損失が「一大事だ」「政局だ」とか大騒ぎしていた愚かな連中がいたわけである。彼らは、どういうわけかB)の損失は「気にしない」「問題にしない」「経営責任は問わない」ということらしい(爆)。一体、どういうつもりなんだろうね。

「かんぽの宿」の単年度で生み出す損失の『25年分』が、たったの1年で生み出されたというのに、彼らときたら、全然平気ということらしい(笑)。「かんぽの宿」のマイナスより、こっちの方がよっぽど酷いんじゃないの?これは、どう責任を取るおつもりで?
これでも西川を絶対に擁護したい、という連中の気が知れん。


以前に、こういうことを言っていた手合いに意見を聞いてみたいよね。

「結論ありきの愚」(笑)


3期連続赤字垂れ流し企業の役員だか何だか知らんけど、表面的なことしか見通すことができないが故に赤字なのだろうか?(笑)
「メシウマ」気質なのは、判ったような顔をして、数字を見ようともしない人たちなのではないのか?

この記事に書いたとおりに、オレは自分で数字を見るまではそう簡単には信用しない。
企業経営の話なのであれば、特にそうだ。

再掲しておくよ。

『オレは確かに頭が悪いかもしれないが、実際の数字を見るまでは信用しない。抽象的な話をいくらされても、関係ないし。もっと具体的に、数字を並べてみて、そうしてはじめて「ああ、やっぱこの値段でも仕方ないね」ということになるだけ。こちらの疑問に全てきちんと回答できない限り、決して信用しない。』


原口大臣や亀井大臣は今後これらについて明らかにしていってくれることだろう。

言いたい放題の連中というのは、結局のところ「大騒ぎしていた鳩山邦夫大臣」が去ってしまえば、中身がどうだっていいのさ。別に何かの答えとか、より正しい選択とか、そういうものを求めているわけではない、ということだろうね。



参考:

「かんぽの宿」疑惑の波紋~7

日本郵政、西川を巡る混乱に乗じる政治家たち

幻の総務省令~郵政民営化承継財産評価委員会規則

郵政公社時代に遡れ

郵政利権に切り込め

郵政利権に切り込め~日本郵政に見る企業私物化




銀行の自己資本増強策

2009年10月13日 11時15分50秒 | 経済関連
今後、国際会計基準に準拠してゆくということになれば、保有株式は評価されないということになってゆくので、自己資本の増強が不可避である。これに対処する為の手立てを書いてみたい。


・どの道、メガバンクは潰せない

銀行は民間だ、国営じゃない、などという理屈を述べる人たちがいるが、公的資金で救済したり、金融システムを守る為と称して数々の金融財政政策を出動させねばならない、ということになってしまったのだから、半公的な部門であるという認識になってしまうのは止むを得ないのではないか。現実に欧米金融機関でさえ、そうした対応を受けてしまったわけだから、日本だけの特殊事情ということでもないだろう。

そうなると、危機発生時には国や中銀が出動して救う、ということになっているので、公的関与がかなり強いということになるわけである。これを否定できる人は少ないように思う。


・自己資本増強の普通株引受を国が主導

潰せないというなら、関与をしたとしても問題ということにはならない。ある種のSWF的役割を担わせる、ということになる。具体的には、国民が持つ資金(政府保証付き資金等)を利用し、大手銀行の普通株発行の引受を優先的に行うのだ。言ってみれば、大多数の一般国民が株主で、銀行は一生懸命働いていっぱい配当してくれれば、国民全体が儲けられる、ということになる。

具体的には、郵便貯金・簡易生命保険管理機構(ここでは略して郵貯簡保管理機構、と呼ぶ)の持つ資金を使ってみては。他の部門が持つ資金を持ってきてもいいけど、ぱっとしたのは思い浮かばないので、とりあえずということで。

まず、郵貯簡保管理機構の持つ国債を日銀に市場価格で売却する。価格の上昇しているものがいいだろうね。仮に、4兆円分としますか。保有する200兆円に比べれば、とても小さい額でしかなく、2%相当です。これをまず現金化する。この売却は市場でもいいのですけど、量的に多額なので混乱を招く可能性がある為、できれば市場外で日銀に直接売った方がいいと思います。で、各メガバンクに普通株式を発行させ、第三者割当増資みたいな形で郵貯簡保管理機構が買うわけです。
3グループに各1兆円ずつ割り当てるとして、株価の算出(どういう基準か知らないけど、過去1ヶ月間の終値平均とか、そういう市場価格の基準を得るんだろうと思います)し、発行株数を決め、これを管理機構が買い取ります。

これをやって、国民が損をする可能性があります。
銀行の株価が下がったりすると、評価損を食らいます。また、配当が少ないとか無配であっても、やはり損する可能性はあります(代わりに国債を持っていた方がお得、という場合はあるので)。1兆円分の普通株式が各銀行のどれくらいの割合を占めるのかは調べていないので判りませんが、経営権を脅かす程の割合とはならないのでは。議決権行使についても、財務大臣が権限を持つということにして、総務大臣と財務大臣の協議と合意を法律で義務づけておけばいいのではないか。余程のことがない限りは、株主として経営に口出しはしないということになる。

保有株式は市場動向を見ながら売却でき、政府が資金を回収するのはやっていいと思います。それは国民に還元されることになるので。ただ、あまりに大量に一気に売却ということになると、株価下落を招いてしまいかねないので、状況によるのではないかと思いますね。高配当とか、含み益が大きいというメリットがあるなら、長期間持ち続けてもいいでしょう。銀行の方で、それはヤメテ欲しいと言うかもしれませんがね。


このようにして、大手に3兆円投入、その他希望する金融機関に1兆円、という具合に、自己資本増強を図ってもらえばいいのでは。


・海外やマーケットから批判される?

もし、批判するというのであれば、SWFを全否定してもらうといいのでは。SWFがどこの株式を購入しようと自由で良い、ということなら、日本の独立行政法人が日本の金融機関株を買おうと海外企業の株を買おうと自由でいいはずですから。

半官半民の公的銀行なんじゃないか、と批判する人がいるかもしれませんが、もしそう言うなら公的資金注入を全否定してもらえればよいのではないか。公的資金注入をしている時点で、それが同じようなものだからだ。



今のような、金融機関の株価が下落している環境は、まさに普通株購入チャンスと言ってもいいでしょう。あまり値上がりしてない時期にこそ、株式を安値で大量に購入し、主要銀行の首根っこを押さえてやればいいんですよ(笑、冗談です)。
というか、銀行を働かせてあげればいいんです。それが株主ということのメリットなわけですから。一般国民がその恩恵を享受できるなら、それでいいんです。

損した場合にどう責任を取れるか、という話は出てくるでしょうね。結果は、10年後か20年後に見て下さい、ということにするしかないのでは。自己資本が過少となって、貸し剥がしが起こってしまえば、日本経済の悪化を招くことは確実ですし、そういう環境下で失われる経済損失は株式購入による損失を大きく上回る可能性がありますから。

根本的には、メガバンクが必死に働いてくれさえすればいいわけです。国民を大損させないように。これぞまさしく、社会貢献ではないですか(笑)。



「過去官僚」と「赤い貴族」に破壊される日本経済

2009年10月12日 13時57分15秒 | 政治って?
このまま行けば、政権交代不況は長期化することを覚悟せねばならないだろう。dpj が混乱の渦中にある限り、事態は改善されることはないだろう。

8月に景況感が上向いたのは、自民党下野を見越した、所謂「駆け込み需要」の恩恵がかなり広範に及んだからなのではないだろうかと個人的には推測している。ところが、相次ぐ執行停止措置を受けて、公需が一気に収縮していく可能性があり、そうなると年末から年度末には相当に厳しい経済情勢が待っているだろう。失業率が再び上昇を続けることになる。少なくとも、今の政権が行っていることは、確実に「仕事を取り上げる」ということである。これが失業を生まないはずはないのだ。


野党時代だった時、現厚労大臣の長妻議員は、安倍政権の公約について厳しく攻撃した。年金記録の問題について、自民党が1年以内でやると参院選公約に掲げたことをとりわけ非難していた(誰がどう考えたって、それは無理じゃないかと知っていたとは思うけど。>年金不信が続くだけでは)。選挙公約で約束したのに、「1年以内にできなかったじゃないか」というものだった。同じようなことは、山井議員も言っていた。彼らの主張の主なものといえば、安倍総理が「1年でやる」と言ったのにできなかったではないか、一体いつになったらできるのか答えろ、いつまで終わらせるか約束せよ、という要求を、当時の舛添大臣に突きつけていたわけである。

長妻議員や山井議員などが一番非難していた、公約と違うじゃないか、の論理は一体全体どうなってしまったのか?彼らは二枚舌の使い手なのだろうか。他のdpj 議員なんかも同じようなものなのだが、野党時代に散々批判してきたことを、何故彼らが政権担当となった途端にやるのだろうか。こういう時には、少なくとも反省があってしかるべきなのではないのか。物事に対して誠実であろうとする態度とは思われない。

長妻大臣は、自らの主張であった「紙台帳全部の記録を一からやりなおせ」ということを、すぐさま実行するべきだろう。彼は、政府は約束するべきだ、と強硬に主張していたのだから、1年以内にデータを修復する、とか、第三者委員会での審査を待っている案件を1年以内で処理する、とか、時間を区切って約束をするべきだ。長妻大臣就任後に、2年以内にどうのこうのとか言っていたことがあったと思うが、安倍政権の公約から2年以上が経過してしまったのだから、その分作業は進捗したはずだろうから、少なくとも残り1年以内には旧社保庁に全部の仕事をやらせられるはずだろう。もし、これができない、ということであれば、到底達成できそうにないことを知りながら、政権与党攻撃の為の材料にしていたのだ、ということについて、しかるべき説明なり反省なりを述べるべきではないのか。


こうした矛盾は、何も長妻大臣だけの話ではない。
dpj の約束なんていうものは、あまり当てにはならないものが多いのだ。

実際、未だにこれといった公約実現の約束みたいなものは出されていないのではないかと思うが。
いつになったら、何が達成されるのか?
誰か、何か知っていますか?
一般国民に一つでも言えるものがあるのですか?


はっきり言って、仕事の段取りとか、進め方とか、やり方とか、そういうものが、おかしい。
まず初めに、説明があっても当然なのではないのか?
メチャクチャ。
各自が勝手にバラバラに動いてる。
省庁内では政務3役とか言って、内輪でちょこっと話をするだけだろうけど、省庁間では全然連携など取れていないのではないか。少なくとも、動かす司令塔がどこにあるのか、それさえ判らないもの。

まず、年内の短期的目標を掲げるなら、優先順位をきちんと出せ。それを言うべき。閣内でそれが共有されているべき。
補正を削りたいのなら、それでもいいけど、その振り向け先をまず言う方がいいんじゃないの?
これは本予算の方も同じでは。
20兆円捻出(いや、正確な数字とか知らないけど)とかいう、壮大な計画だったんでしょう?財務官僚が大勢混ざっているのだから、そういうのも可能だと踏んでいたわけでしょう?だったら、早速その答えを出しなさい。予算編成前までに、明らかにせよ。


補正3兆円削って、何に使うの?
高速道路無料化(笑)+暫定税率廃止(=道路特定財源を潰す)に回す、とか?(笑)
何を、何の為に削って、何に振り替えるのか、そういうのをまず出せよ。それとも、いきなり子ども手当て支給か?3兆円をどうするのか、先に言えっての。政策目標が全然ないんだって、dpj のボンクラさんたちは。これは誰が考えるんですか?誰が指示するんですか?(笑)

今の経済状況で必要なのは、「仕事を生み出すこと」だ。
これが最優先課題なのだ。そういうことが、判ってないのだよ、dpj は。


dpj は元官僚の議員さんが張り切っているのと、連合に代表されるように、就業環境に比較的恵まれている大企業の組合員だとか、官公労のような組合員、日教組のような教員組合員、そういう「赤い貴族」たちが力を握ってしまったというわけだ。
これは何かと言えば、貴族制という既得権を打破したいと思って革命が起こったとしても、後から実権を握った特権的社会主義者たちが登場してくるだけ、というようなことだ。彼ら「赤い貴族」は、特定権益層を守るの為のことしか考えないので、末端の労働者たちの生活が良くなるとか、好ましい経済政策が実施されるなどということは、殆ど期待できないのである。

連合赤軍が批判していたようなことは、あながち外れているわけじゃない。

市場原理主義者たちが排除されて、代わりに「官僚主義」的な階層の人たち―元官僚、官公労、連合、日教組など―が実権を握っても、やはり事態がよくなるわけではないということである。脱官僚と謳って、今度は「赤い貴族」に牛耳られるということになってしまうのである。しかも、経済音痴の(笑)。日銀的スタンスに親和性が高いのも、こういう階層なのだ。

日本経済を悪化させているのは、彼らなのだ、という自覚がないのである。



返済猶予法案は不良債権の移転を可能にする?

2009年10月10日 16時29分01秒 | 経済関連
骨子が固まった、とかいう報道が流れたりしていたが、このままで行くと壮大な「ゴミ捨て場」と化す可能性があるのではないか。国が金融機関の持つ不良債権を肩代わりする破目になるかもしれない。

本当に、銀行等の金融機関が善人である、というような前提で法案を作っているのかもしれないが、それは大きな落とし穴となる可能性があるだろう。制度を都合よく利用しようと思えば、可能だからだ。
銀行って言ったって、日本振興銀行みたいな銀行もあれば、新生銀行やあおぞら銀行といったような銀行もあるわけだから、用心に用心を重ねないと、どんな手を使ってくるか分かったものではないからね(笑)。


元々、返済に窮するような借り手がいるとする。延滞債権とかになっていたような、まあ、銀行にとっては「問題債権」とか「不良債権」というような認識の借り手ということ。この借り手に「返済猶予」を申請させて、銀行がこれを認めれば、保証協会の保証が取れるから銀行は回収見込みが立つことになるわけである。そうすると、銀行はいくらでも猶予を認めたいということになるだろう。だって、元々放っておくと焦げ付きとなりそうだった債権が、たった3年猶予するだけで国の保証付きに早代わりすることになるからだ。これはもう、おいしい、という商売になってしまうわけである。銀行に溜まりに溜まっていた、問題債権を一気に片をつけることさえ目論める、ということになってしまうわけである。

・銀行のゴミを集めてきて、返済猶予対象に回す
→問題のある債権だったものが、3年後には破綻させて国から補填を受ける
→ウマー

銀行の損失なし、借り手にしたって、どうせ倒れるのであれば、全てチャラにしてもらった方がいい。
そうなると、国に問題債権をまんまと買い取らせるのと同じ効果を生むというわけであるから、そういう処理をすることを防げるとも思えないのだけど。こうなると、銀行にやられ放題で、税金でこれを補填してやる、ということになってしまい、銀行は丸儲け。


保証協会がこういう銀行貸出を見破れるか、ということになるが、かなり難しいのではないか。銀行審査以上に厳しくしなければならない、ということになるし、そうなると実質的に利用制限が起こってしまう。制度を作る意味がない。
猶予が仮に50万件(中小企業の約12%)、うち、完全に貸倒に至るのが5%水準としても25000件の処理が必要となる。これを政府が保証するということになれば、平均で各1億円の補填額だとしても2兆5千億円の処理費用を税金で負担することになってしまうわけである。銀行等の金融機関は、ここぞとばかりに不良債権の肩代わりをさせる為に、意図的にこちらに振り替えるかもしれない。そうなると、これら2兆5千億円は銀行へのプレゼントということになってしまうわけである。

銀行などが何故反対しなくなったか、というのは、こうした裏事情が即頭に思い浮かんだから、ということなのではないのか?
そういう「オイシイ話」であれば、そりゃあ、誰だって反対したりはしないわな。こっそりほくそえんでいるかも(笑)。

3年後に破綻処理に回される件数とか金額が、ある水準を超えて多い場合には、金融機関にペナルティを課すということにでもしなけりゃ、ダメなんじゃないの?

例えば、返済猶予適用件数(又は額)のうち、破綻処理で保証協会等からの補填を受ける率が、全金融機関データよりも1SDを超えて多い金融機関には、超過分を全て請求する、とか。
1000件(1000億円)適用、このうち破綻処理移行分が200件(200億円)、金融機関データの分布範囲から偏って超過している部分が100件(100億円)あるなら、100億円までは補填してあげるけれども、残りの部分については金融機関の自己責任つまり自分たちで処理してくれ、ということ。

金融機関ごとの違いが少なくて、平均的な分布からの偏りが小さい場合には、ほぼ標準偏差内に留まるため、審査が極端に杜撰だったということではないかもしれない、と判断することにする、というようなことだな。これは他の金融機関の破綻処理率がどういう範囲になっているか、というのが基準になるので、経済環境が極めて厳しい、などの理由で結果的に破綻処理になってしまう割合が高まることも有り得るが、そういう場合に破綻処理率が上がったからといって全てが金融機関のせいではないというのが結果に反映されるのではないかな。

ある銀行が意図的に制度を悪用して破綻件数を増加させたりすると、他の金融機関の破綻処理率より飛びぬけて高い、ということで、区別がつくのではないのかな、と。意図せざる場合であっても、審査のレベルが低いということもあるので、それもやはり「責任は銀行にもありますよね」という意味で、補填を部分的にカットすることができるわけである。標準的な範囲に留まりさえすればいいので、金融機関の努力が必要となり、そうすると悪用はかなり防げるかもしれない。ただ、破綻処理率を「横並び」でそろえようとする可能性があるので、言ってみれば金融機関同士の談合みたいなことは有り得る。銀行協会とか、信金の協会みたいな団体などで、各金融機関の数字を拾ってくれば出来てしまうからね。そこまで防げるかといわれると何とも言えないが、ある程度は金融機関側を信じるしかない。


いずれにせよ、金融機関側が何も言わない、という時には、何かあるだろうね、ということは考えておいた方がいいと思うよ。

世の中、一筋縄ではいかないことの方が多いからね(笑)。



異能の者

2009年10月09日 19時26分36秒 | いいことないかな
世の中には、不思議な才能を持つ人たちがいる。
特別な教育やトレーニングをされなくとも、見ているだけでできてしまうとか、多大な労力や血の滲むような努力を求められなくても、何故かうまくできてしまう、というような人だ。

英国でモーツァルトのような神童、レッスン4カ月で演奏会(ロイター) - Yahooニュース

(一部引用)

10歳のシェーン・トーマスくんが、初めてピアノを演奏したのは7歳の時。耳で聴いて覚えた曲を、ほぼ即座に演奏できたという。   
 シェーンくんは、デーリー・テレグラフ紙に「3歳の時にお父さんに演奏できると言ったけど、誰にも信じてもらえなかった。学校にいるときは、先生の話を聞いたりしながら、頭の中で作曲することができる」と話している。

=====


本当に凄い才能だ。
子どもって凄い、のよい見本、みたいな。

地道に努力しなければ上達できない人たちは、世の中に大勢いるのに、そういうのを一気にすっ飛ばして、初めから何となくできてしまう、という人の才能が本当に羨ましい限りではないでしょうか。

音楽的才能なんて、どんなに望んでいても、生まれつきの能力には敵わない、ということを知ってしまったり、現実に痛感している人たちにとっては、あまりに過酷な結果かもしれない。

スポーツなども、多分そうだね。
努力は必要。だけど、センスを超えることは、極めて難しい、ということなのではないかな。



回収率がミドルリスク市場の存在を否定する?~bewaad氏復活記念

2009年10月08日 15時19分52秒 | 経済関連
ネット上では著名な経済官僚?らしいbewaad氏は、完全に消えたわけではなかったようだ。良かったですね。
復活を期待している人たちは、それなりにいるのではないか。

ミドルリスク・ミドルリターン市場の成立不可能性に関する一考察 - BIK accelerated hatena annex bewaadcom

今回見かけた記事で、ある試みに挑戦されたようだが、どうも直観的に問題があるように思われた。
提示された数式は、次のようなものだ。

ℓ<1-1/(1+r)  …①

ℓ=-a/r+1  …②

平たく言えば、儲かる最低条件を考えたのが①式である。
②式は、貸倒率が『金利水準に関係している』という前提(!)で作られた式である。金利が大きくなると、貸倒率も上がるんじゃないかな、という仮定をしてみて、とりあえず②式のように書けると考えた場合、ということのようである。ここから、回収率uの違いでハイリスクとローリスクの商売の違いを見ているようだ。

何となく、説明と数式は整合的であるかのように思わせるが、違う気がする。それは、自分が貸金の商売をすると考えれば、到底ウソとしか思えないような説明がつけられているからである。

②が成り立つのであれば、①式に代入してみればいいだけだろう。
そうすると、「貸出金利 r」について整理すれば、

r<a/(1-a)  …①´

となり、「貸出金利 r」は自動的に定数a によって規定される上限金利が生じているわけである。

たとえば、a=10%であれば、r<1/9 となるので、限界となる金利がたったの11%程度にしかならないであろう。これは貸倒者からの回収がゼロ水準である時の貸出金利ということなので、回収率が上がるならばもっと「低い貸出金利」で済むはずだ、ということになるだろう。別に、法律で上限金利などを決めずとも、経済学的必然に基づいて上限が決まってしまうではないか。そんな現象が現実世界で起こっていると考えているのだろうか?

自分自身、以前に簡略化した式を想定してみたことはあったが、数式はちょっと違った感じにした。

参考記事:

貸出金利の条件について

貸金業の上限金利問題~その16



要するに、①式や②式には、無理な想定が含まれているであろう、ということは、推測できるわけである。
「貸出金利は破産の説明要因ではない」と主張してきた人が貸出金利の関数を想定していることに驚くけれども、それは本題ではないからいいとしても、仮定としている数式とかがあまり意味のないものではないかと思える。


回収率が低い場合と高い場合で貸出金利に違いがあるか、ということを考えれば、普通であれば、回収率が高い方がコスト(貸倒損失処理など)が現象するので、貸出金利は下げられる余地が増えるであろう、ということは想定される。ただし、貸し手がそれを選択するか、というと、どうなのかは判らない。金利を下げずに貸せるなら、多く回収して儲けた方がお得だからね。

回収率を高くする方法としては、基本的には「担保を取る」ということに尽きるのでは。貸金だろうと、銀行のような金融機関だろうと、あまり大きな違いはないのではないか。担保が貸出金に見合いの価値があれば、たとえバンザイされてもかなり回収できるのだから。逆に言えば、ナニワ金融道的世界においては「回収率を100%以上にすると儲かる」ということになっているわけで、それをやられるのは「アホだから」ハメられる、ということだろうね。貸出金以上に大きい担保を取り、身包み頂きます、というのも一つのビジネスだったということです。

銀行などでも、貸出の担保を取るのが一般的であり、担保の種類などによって回収率が50%以上とか70%以上といった違いは生じるだろう。それこそ、バーゼルⅡのような基準適用だと、担保の回収率の相違が反映されたものだったはずだ。回収率が高いと貸出の事前評価が適正(=借り手を見抜く能力が高い?)という金融機関ということになり、結果的に貸倒率が低くなる傾向があるのかもしれないが、基本的に貸金のような「無担保貸し」の場合であると、回収率の違いというのが借り手の貸倒率に反映されるとも思われないのだが。

ああ、そうか、杜撰な借り手ほど「回収できる資産を持ってない」ので=回収率が低くなる、とか、そういう借り手の条件が反映されるということだろうか?
よりマシな借り手であれば、たとえ貸倒になったとしても、いくらかは回収できる、とか。


貸倒率がそこそこ高くても商売がやっていける、というのがあるとすれば、回収の手法が「独自のノウハウ」みたいに何らかの強みを持っているということはあるかもしれない。これが、ナニワ~系ということだな。担保に取るのは、実家の田畑ばかりではないかもしれない。たとえば、公務員や教員の「職場に秘密を知られるとマズい、バラされたら困る」という特殊な担保かもしれない。そういう担保の回収権行使によって、公務員の「未来の給料」さえも差し押さえる効力を生じうる、ということだ。これはまあ、あんまり関係ない話だから、別にどうだっていいのだけれどね。

担保があっても、これが現金化しやすいものかどうか、というのも違いはある。不動産を差し押さえてみたところで、これを現金化できてはじめて回収、ということになるので、結構なコストがかかってしまうということは普通だろう。質屋の質草が、購入すれば価格がそれなりに高いものであろうとも、借りられる金額はその何分の1か何十分の1しかない、というのは、ごくありふれた話ではないか(近年ではそういった質屋もあんまり見かけることはないけれど)。



ま、阪大グループ(筒井、大竹ら)のペーパー(貸金業の上限金利問題~その17)にあったみたいな、一般論としての金利水準というのは、経済学のお約束としては「最大に儲かる金利」というのがただ一つ決まるはずだろう。それは、別に、「ミドルリスク・ミドルリターン」みたいな市場を区別するものではない。だって、どの借り手にも一つの金利を適用すればいいはずだからだ(笑)。元々市場が別だ、ということなら、異なる市場について同列に議論している方がおかしい。
単峰性のグラフ形状なのであれば、上限金利の存在さえなければ一つの金利しか有り得ないだろう。もし、それが上限金利より高いということなのであれば、ほぼ全ての貸出金利は上限金利に張り付く。他の選択はないはず、である。

何度も言うように、5兆円の貸出を行う消費者金融と、総額200万円の貸出量の個人貸金とで、「同じ金利」とか金利の関数で商売を語ろうなんてことそのものが、間違っているんじゃないのかな、という話。この両者の貸出金利が同一とか、貸倒率が同じとか、そういう仮定みたいなものが、経済学として意味があるのか、ということをまず考えるべきなのでは。
殆どの場合であれば、「貸出額が十分大きい時」という暗黙の仮定をおいているというだけだろう。それは、貸出総額の大きい企業などであると通用する議論であって、零細個人の貸し手の場合にもそれと同じか、というと違うんじゃないのということ。


・回収率に関してRCCの例で書いた記事
特殊法人の不良債権額の推測?

・貸出量の違う業者について書いた記事
多重債務者は減少したか~3


因みに、貸倒率を想定するのに、失業率(とか、その他ライフ・イヴェント発生率?)で関数を作らない理由があるなら、是非知りたいよね。




おめでとう、日ハム

2009年10月06日 22時20分16秒 | 俺のそれ
優勝だし。

今年の戦いが出ていた試合だったね。
チームのみんなが出て、一人ひとりの役をこなしていた。「

建山も戻ってきたし。
疲れが少し緩和されたか。回転は良くなってきたね。一安心。
金森がここに来て、よく投げているよね。

ハムの形を象徴するいいゲームだった。
久は、一敗もしてない。
他のチームの抑えが3敗くらいしていたのだけど、0敗で来たのは、素晴らしいの一言。


最後は、今年のMVP級の活躍を見せた金子が決めた。
何と言っても守備の人。
不動の二遊間。再三再四ピンチを救ってくれた。

だけど、今年はプロ人生最高の打撃。

ありがとう。
素晴らしいチームだ。




で、八ッ場ダムはどうなったの?

2009年10月05日 23時00分16秒 | 社会全般
住民たちの意見を聞くとか、そういうのは、もう今後もないというわけですか?群馬県の激怒りモードはどうなったんですか?

なんと言いますか、尻切れトンボ的な物事が多くなっているようにも思えますが、どうなんでしょうか。選挙に勝った後、何を考えてきたか、というのが出ているのではないかな。

それと、いかに「マニフェスト」とやらが役に立たないものなのか、ということがよく分かったよ、みたいな話ではないか(笑)。
約束は守る為にあるわけではない、というのと、カラ手形であろうと何だろうと、票さえもらえばいい、ということなのだよ。詐欺みたいなもんだ。

大体、殆どのメディアが「勝ったらこっちのもんだ、後は掌かえせ」というのを推奨するという間抜けぶりだ。何の為の公約か。

だったら、最初から大言壮語は吐くなよ。
反対の為の反対をしていました、申し訳ありません、と詫びるべきだろ。


都合のよい使い分けはやめろ。

自分たちの主張を通したい時だけ、「選挙で勝ったのだから、これが民意だ、だからマニフェストに書いた通りに~~」と肯定。八ッ場ダムがまさにこれ。

情勢が不利なものや、ちょっとマズイものについては、マニフェストにはこう書いたがやっぱやーめた、みたいな、そんなときだけ「君子豹変」って、なんじゃそりゃ。


やり方が卑怯なんじゃないの?

しかも、未だに重要議題の話がどう進んでいるのか、何らの情報公開もないのは一体全体どういうこと?何一つ、閣僚会議の議事録なんて出されてないんじゃないの?
これは、政治主導という名の隠れ蓑を着た「密室政治」そのものだろ(笑)。族議員と派閥の長が直談判をして手を打つのと、一体何が違うと思うか?


こんな僅かな期間で、早くも企画倒れ、ってやつですか。

これじゃ、自民党を笑えないっての。



石原都知事と日本郵政(西川)の失敗は似ている

2009年10月04日 16時24分35秒 | 社会全般
どちらも高齢者である。
失礼。これは単なる偶然ではあるけれども、失敗の原因は同じような気がするのだ。それは、簡単に言えば「独裁者」というようなことである。トップの人間が、自分のやりたいようにやった結果、案の定ダメだったということではないか。


石原の功績って、一体何があるのか思い浮かばないが、失敗ならばいくつも挙がってくる。
石原本人に「(東京都の)選挙民はオカシイ」と言われてしまうくらいだから、石原を選んでしまったのかもしれんな。成功と呼べるのは「東京マラソン」くらいで、これもボストンマラソンとか、ベルリンマラソンとか、ホノルルマラソンとか、そういう諸外国の真似をしてみただけなんだろうけれどね(笑)。要するに、「ヨソでやっているのが羨ましい」というだけではないか。

この延長線上にあったのがオリンピック招致であり、北京やロンドンが羨ましい、というのと変わりない。幼児が他の子の持ってるおもちゃを欲しがるのとあまり違いはない。石原がやりたいことを、他人の金を盛大に使って実行してみました、というだけだな。で、周りにいる特定の権限行使できる者たちにそのオコボレが分配され、その蜜に外部から群がる業者たちがいた、というようなものではないかな。新銀行東京の失敗というのは、そういう典型例なのではないか。

これに近いのが、日本郵政公社の資産を食いものにした、”日本郵政”の一派だ。
西川権限なのかよく判らないが、鶴の一声みたいにして、あちこちに金や資産がばら撒かれていったということだな。経営者として優秀とかいう話は、到底信じることはできないな。

例えば「ゆうちょ銀行」の決算資料によると、21年3月期の実質業務純益は約4800億円しかない。200兆円以上の資産を使ってでさえ、この程度でしかないのだ。しかも笑えるのは、次の2つだ。

一つは、金銭信託投資で1000億円以上の損失を出してしまっていること(笑)。
これはまさに、慶応大学の投資損が数百億円食らいました、というのと同じようなものだな。慶応はただの民間だが、日本郵政公社の保有していた資産は国民から預かっている、政府保証付き資産だったわけで、それが「ゆうちょ銀行」に持ち替えさせただけで、1000億円以上の投資損を単年度で計上しやがった、という、稀に見るアホさ加減なんですわ。どこが優秀なんですか?
業務純益がたったの4800億円しかないというのに、その2割以上の資金を吹き飛ばした経営陣ってのは、マヌケということですかい?どこぞの特定の投資会社とかを儲けさせるか助ける為に、金を注ぎ込んだのではあるまいね?(笑)
どういった経緯で選定されたのか、投資対象は妥当だったのか、経営陣の責任を明確にするべきだろうね。広告の博報堂みたいな件も明らかになってきているので、怪しい話はいくつもあるのかもしれんな。
人的つながりを利用して特定利権に群がるという構図は、よくありがちだろうから。

もう一つは、国際業務粗利が大幅赤字に転落したことだ。債券損が拡大した結果だろうね、きっと。派手にやって、273億円も損失を出したわけですわ。業務純益が4800億円の会社で、4分の1以上の1273億円が消えてなくなった、ということですわ。日本郵政という、「民間企業」になった途端に。下手に手を出すと、こういう目に遭う、ということですわな。たかられた、ということでしょうよ。生兵法は怪我のもと、ということですかね。そういうことわざだか、格言だかを知らない経営陣ということなんかな(笑)。無駄に年を食ってもしょうがないんですわ。これが、”民間企業”の実態なのだ、ということですわ。やりたい放題。自由でいいもんね。”民間”だから。


あれだ、地域の暴力団を追い出す為に雇った用心棒が、今度は一帯を乗っ取って、新たな暴力団になってしまう、みたいなもんだな(笑)。参考までに、ゆうちょ銀行のROAは0.14%→0.11%に低下、ROEも3.85%→2.82%と大幅に悪化(3割近く低下)、という結果ですわ。元から効率が良くない、ということはあるとしても、これまで以上に悪化させる必要性なんてなかったんじゃないの?(笑)これじゃ、何の為に民間企業にしたか判らんわな。経営をよくしたんじゃなくて、特定業者に蜜をすわせた挙句に、損失を拡大させただけなんじゃないのか?

郵貯マネー200兆円以上というのは、資金調達コストはたったの0.33%という破格の好条件で、運用利息が寝ていても1%以上入ってくるわけだから、この鞘を取るのなんて楽勝なんですわ。西川の経営がいいから利益が数千億円になる、というわけじゃない。逆に、下手にしくじったりしなければ、もっと利益水準は高かった、ということ。僅か0.7%の鞘でも、200兆円×0.7%=1.4兆円が入ってくるわけだから、楽勝だな。
ゆうちょ銀行が魅力的なのは、その保有資金量が膨大である、ということだな。ゆうちょ銀を狙うとすれば、稼げるかどうかなんて関係ない。低い資金コストと莫大な資金量、これこそが、郵貯パワーの源泉なのだからね。

ところで、少し話しが飛ぶが、
コレ>はてなブックマーク - 「亀井モラトリアム」の行き着く先は? - Baatarismの溜息通信

郵貯マネーが財投を通じて政府系金融機関に流れる、という話は、今だとあんまり関係ないと思うけど。政府系金融機関が調達している資金の多くは、昔みたいに財投とか政府保証付き融資とかは減っているだろう。資本の半分くらいまで減ってきているのでは。

しかも調達額の規模が郵貯マネーに比べると段違いに少ない。せいぜい、数兆円~数十兆円で、全部で20兆円とか30兆円もあるかどうか、という水準では(日銀を通じたCP買入とか緊急融資制度なんかで、日本政策投資銀行の資金枠を10兆円だったか拡張したのがあったけど)。政府系金融機関の財投債だか機関債だかを郵貯が買う、という間接的な資金の流れはあるかもしれないが、別に買いたくなければ買わなければいいだけなので、代わりに国債を持ちたいならそうすればいいだけだろうね。国債よりも利回りがちょっぴりいいのが魅力的だと考えるなら、やっぱり買うんじゃないかと思うけど(その方が儲かるから合理的なのでは)。

ま、財務省の思惑(だけじゃなく、経産省なんかも?)としては、日本政策投資銀行とかの復権を願いたい、ということはあると思うが、民営化されてしまっているから、昔みたいな形には戻れないということは覚悟しているのではないか。アメリカの「民間信奉」社会であっても、ファニー&フレディは民間金融機関と言いながらも、現実には「政府系金融」機関だったわけで、そういうのが完璧な民営化会社になっていたかといえば、それは「違う」ということになるだろう。他にも、FDICみたいな公的部門があったからこそ、危機対応というのも可能だったわけで、そういう役割の機関が必要ない、ということは思っていない。


ま、いずれにせよ、トップに立つ石原都知事が発案して金をドブに捨てるようなことになったのは、数百億円というレベルではない。1千億円超の、大損失を都民は被りましたよ、と。「浅薄な選挙」(by 石原)を演じてしまう東京都民が石原を知事に選んだことによって、こういう結果を招いたのだということは肝に銘じるべきだろう。

同じく、西川体制の日本郵政は、数千億円規模の損失を拡大したのだ、ということだな。




行政の体制整備が急務

2009年10月03日 12時40分46秒 | 政治って?
組織の位置づけをある程度明確にするべきだろうね。似たような会議や組織を作って、屋上屋を重ねる、というようなのは効率が悪くなるだけだろう。

総理を含む重要閣僚からなる、「最高意思決定組織」は何か、というのが、全然明確になっていないもの。経済財政諮問会議がかつて「最上位」とされていったように、そういう機関をまず明確にするべき。とりあえずこれを「最高組織X」と呼ぶことにする。ここには総理、その他連立を担う閣僚を入れたいということなら、そうすればいい。人数は多くて10人以内くらいか。これまでのところ、政府の重要会議の議事録が明らかになっているものというのは、一体何があるのか知らないが、そういう情報公開も全く進んでいないよね。

もっと、きちんとした構想を、具体的に、一般国民にも理解できる程度のものを提示しないと、どうしようもないと思うけど。

素人考えですが、とりあえず書いてみるから。


・最高組織X:
経済財政諮問会議みたいな、役回りの会議。ここで最重要案件を討議、連立政権内の意思統一を図ると共に、総理の最大の指導力発揮の場とする。組織の意義と存在は、極めて明確。


・戦略局:
主に1年以上の中長期に渡る政策決定の基礎を作る組織。政権の目標とする政策テーマをまず掲げること。具体的には、例えば
①社会保障 ②税制 ③地方分権 ④公務員制度改革 ⑤教育
のように設定し、何をどう変えるべきか、その実行段階をどう設定するか、そして最も重要なのはタイムスケジュールを提示することだ。そういう具体的作業をやらせるのに、必要な組織を作ればいいのでは。
最高指揮官は戦略相。配下には、グループ分けごとに、各リーダーを置く。とりあえず大隊長と呼ぶことにする。それぞれに副官を付けてサポートする。その下には、分野ごとで必要な細分化を行ってもいいことにすればよい。社会保障なら、年金、医療、介護、福祉、というように。更に下の部門には配下を置いてもいいよ、と。福祉なら、生活保護と障害者、みたいに。

戦略相――大隊長(+副官)――中隊長(+副官)――小隊長(+副官)

こうすることで、何をどうやっていきたいか、というのを明確にしてゆくことが必要。大隊長クラスには、議員、民間人、官僚、など、中隊長クラスには民間人か官僚、以下同、というような感じで。副官は、モロに官僚の定位置というべきかもしれないので、官僚から誰か選抜して充てればいいのでは。この人選も戦略相に人事権がある、ということにすればいいだけだ。

社会保障を変えようと思っても、税制も同時に変えていく必要があるのだから、そういう大きなテーマに取り組んでゆくべきだろう。年金統合は困難が大きいならば、まず医療保険統合を先行実施させる、その為にはどういう課題をクリアしなければならないか、税や保険料負担と給付の関係はどうなのか、というようなことを、具体的に実施スケジュールに乗せてゆく作業をしないと、何も実現できないのではないかと思うが。そういう最後のまとめ段階にもってゆく為の土台を、まず目指すべきでは。
最終的な決定権限は、「最高組織X」にあるので。

税調とかの組織との兼ね合いなんかも、少し整理する必要があるかも。ある程度専門的な話をまず積み上げることが必要なので、戦略局である程度作っていってから税調で議論、それを再びフィードバックさせて戦略局で「社会保障と税制の一体改革」みたいに着手することを考えるのか、というようなことです。


・行刷会議:

ここは、行政の無駄組織や無駄な仕事なんかを洗い出す部門。まずは、全員会計検査院の検査報告書を精読し、点検の目の付け所を感覚として養えばいいのではないか(笑)。総務省の行政評価もそうだし、まずは、そういう「既にあるもの」の結果を生かすべく仕事をするといいのでは。

ただ、削る一方であると、失われる機能というものもあるので、「それが本当に消えていいのか、問題ないか」というのは、検討する必要があるかもしれない。そういう部分にも配慮しつつ、削るものは削り、他の部門と統合できるものは移し替え、予算、権限、人員についての整理をつけるように考える、ということになるだろうか。

他には、「いらない規制項目」なんかもあるので、例えば「理美容」に必ずシャンプー台設置義務、みたいな、アホな規制をなくせ、というような話だな。そういう規制の削りを行うかどうかは、dpj がどういう構想を持っていたかにもよるだろう。そっちは内閣府のどこかでやってくれ、という話になるかもしれないし。行刷で予算編成というのは、あんまり意味がないよ。


・補佐官、秘書官:

これもどういう権限を与えるかによると思う。補佐官は、主に総理に代わって情報を集めたりするのでは。補佐官は言ってみれば総理の分身だから。何かを決める、といったような、強大な権限は必要ないと思うが、総理の命令や意向を各関係部門に伝達するとか、そういうのは必要かもね。

秘書官というのは、秘書なので、代理とか分身ではない。極端に言えば、お世話係、ということになるよね。組織というよりも、一層個人に近いものではないかと思う。秘書官が何かの権限を持つというのは、基本的に望ましくないのでは。秘書官は会議に出席できたりしないし。補佐官とは違うと思う。


・官房長官:

平たくいえば、「女房役」という名の通り、女房なんですよ。政権運営に必要な女房であって、どちらかというと、表舞台のメインには立たないと思うけど。影の役回り、ということ。

大名がいるとして、官房長官は女房、各大臣は配下の武将、ということになるわけで、女房がでしゃばるとろくなことはない(笑)。配下の武将は戦闘に出かけたりするけれど、女房は滅多なことでは戦場には立たないし。家を守りつつ、主従の関係をうまく取り持つとか、あちこちに気配りしたりとか、時には夫の相談に乗ったりとか、そういった役目なんでは。

女房殿が鉢巻巻いて、薙刀片手に戦場で「一番乗り~!」とかやろうとすると、それは大抵の場合、「マズいんじゃないですか」ということになってしまうよね、と。武将じゃないんだもの。あくまで女房殿ですから。目立ちすぎは問題だよね。そういう控え目な役回りであると自覚していることが必要。
でも、一家の内側から全てが見えるという利点があるので、欠かすことのできない重要な存在ということになる。夫を立てつつ、官房の仕切りは、女房の仕事ですから。夫が誰に会い、どんな話をし、何を命じたか、みたいなのを知る立場にある、ということです。




「経済音痴」露呈の鳩山政権で市場は失望一色

2009年10月03日 10時54分28秒 | 政治って?
これほど僅かな時間しか経っていないにも関わらず、選挙が終わってからの1ヶ月で期待というメッキは全て剥げ、マーケットの失望売りが鮮明となってきた。dpj は、組閣まで一体どんな準備をしてきたのか。

最も問題なのは、司令塔なき迷走劇である。
多くの識者たちが、自民党時代の総理総裁を非難していたけれども、ここに来て総理のリーダーシップが霞んでいる、ということに気づいたであろう。はじめから予期されたことではあるが、官邸機能は別に何かがよくなったわけではない、ということがある。また、菅戦略相、仙石行刷相が、共に「何を、どうやって作業を進めるか」ということについての認識が極めて乏しいということがある。つまり、入れ物ばかりが増えただけで、別に何かが変わったというわけではない、ということでもある。
戦略室、行刷会議という2頭立て馬車は、一歩も前に進まない、ということになっているわけである。


ここに、リーダーの構想力の乏しさが浮き出ているわけである。端的に言えば、全ては準備不足、ということである。誰に何をさせるか、仕事をどんな風に割り振るか、という、まさに「コンビニ店長」っぽい差配能力が欠けているためである。それは、dpj 内部ですら、何をどう進めていったらよいのか判らない、という、ただの迷いと混乱が起こっているのだ、ということになるであろう。

個々人に、好きなように仕事をさせていると無駄が多くなりがちである。居酒屋であろうと、ファミレスであろうと、似たようなものではないかと思う。結局は、仕事でもって人間を鍛えないとダメなんだろうな、とは思う。自分にそういう能力が乏しくてうまくできないなら、誰か他の者に命じて代わりにやってもらえば済むはずなのだ。フランス語ができなければ、通訳を手配すればいいだけだ、というごく当たり前のことが判っていないのである。逆に言えば、自分1人では全部できないのだから、いかにやってもらえるか、ということを考えるべきなのだ。フランス語を一からマスターしようと試みるには、時間と労力を必要とするということ。


仮に、自分であればどうするか。
とりあえず、一番暇な人間は誰か、ということを考えれば、自ずと答えは出てくる。鳩山総理は海外に出かけたり、表舞台で活動しなければならないのだから、「日本の顔」という役回りがとりあえず必要だったわけでしょう。そうなると、手の空いている暇人にやらせるというのが、効率がいいと大体決まっているんですよ。そうです、菅さんが一番「決まってすることがない」人なんですよ。他の担当省庁を割り振られた人たちは、それなりに仕事が沸いてくるだろうけれど、菅さんはそれがあまりないのですからね。

つまり、答えは、「当面は、菅のところでやれ」ということになりますわな。「まず、菅に聞け」ということにすればいいだけ。鳩山総理が、そういう指示を発すればいいだけですもん。
菅さんも、やけにノンビリと言いますか、ちゃっちゃと陣容を整えて、仕事の割り振りを考えていけばいいのに、一体全体何をやっているんだろうね。まずスタッフを集めない限り、前には進まないでしょうよ。「改革の志士」に賛同する官僚たちを集めてくればいいだけなんじゃないの?(笑)
そういう人脈とか、ないのかな?準備はしてなかったの?
自分が、「どういう連中に集まってもらいたいか」というのを、まず出さない限りは人は来ないんじゃないの?例えば、国鉄民営化の時だって、国鉄総裁とかみたいなトップの人間だけではできなかったでしょう?そうじゃなくて、むしろ、松田さんとか、葛西さんとか、そういった「内部の人間」こそが、国鉄について熟知しており、そういう人たちの能力を使うのがいいはずだ。一番霞ヶ関に精通しているのは官僚に決まっているのだから、改革派のやる気と能力のある人材を募ってこない限り“脱官僚“なんてできないと思うけど。

リーダー格を指名したら、そのリーダー格の人間が2~3人とか連れてくればいいだけなのでは。


まあいいや。鳩山総理は時間が限られるのだから、細々した話は菅のところで、ということを考えないと組織を置く意味がないと思う。総理にレクチャーしたり、専門的知識の不足をサポートしたりするとか、どうしても時間が取れない時に会議へ代理出席する補佐官とか、そういう役割分担をやっておけばいいのに。

今の補正予算の削減積み上げとかなんて、戦略局で個別部分について対応すべきことでもないと思うけど。せいぜいあるとすれば、「補正の割当額および項目の優先順位一覧表を出せ」「足りない○○省は上積み10%とするよう○○大臣に要請」「決めかねる5千億円は、~会議(~閣僚委員会?)で」とか総枠の指示くらいでしょう。だって、財務省の陣容と比べたって、どう見ても同じ仕事量をこなすというのは物理的に無理なんだから。あとは、行刷に権限を与えるので、ここまではやってほしい、というような、指示を出せばいいだけでは。


ちょっとダレたので、各論は次の記事で。




『極北クレイマー』読んだけど

2009年10月02日 20時04分15秒 | 俺のそれ
家族の評判はいま一つ。

あれは、判る人たちには判る、という中身なので、やや一般人ウケは厳しいのかもしれない。が、個人的には、次の作品を期待させるものではある。


ああ、海堂さんは、たぶん田舎暮らしをした経験が殆どないのかもしれない(笑)。あまりに大袈裟な、差別的記述が目立つからだ。


人口10万人もいれば、そこにどんな店があって、どういう規模でコンビニやスーパーが存在するのか、ということが、実感として判っていないのではないかな、と思う。地方の小都市というか、10万人以下だけど、数万人の人口を抱える中核市がどんな陣容になるのかが、多分理解できないのではないかと思う。

つまりは、東京標準、ってことだね(笑)。
トラベルものを書くような作家さんだと、実際に訪れて取材して書いたりするのではないかと思うけど、そういう手間暇を省くと「架空にしても有り得ない」というレベルの記述が登場することになってしまう。

人間って、そういうもんなんだろうな、と。