新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

恩赦は遺物で時代錯誤なのか

2019年05月13日 12時23分28秒 | 政治

以前、「恩赦は何のため、誰のため?」というつぶやきの中で、最後に「すでに始まっている統一地方選挙や夏の参院選では、選挙違反も恐れずにふんだんに金を使って当選し、かりに選挙後に公職選挙法違反で逮捕されても『恩赦』で救われるということなのかと、勘ぐってしまう。」と下衆の勘繰りをした。
 
あらためて「恩赦」の位置づけを調べると憲法にキチンと規程されている、
 
「第1章 天皇」の第7条「天皇の国事行為」6号で「大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること」。
 
「第5章 内閣」の第73条「内閣の職務」7号「大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を決定すること」
 
素直に解釈すれば、内閣が閣議決定で恩赦すべき対象者を「決定」し、天皇に国事行為として助言し、天皇が「認証」するという流れである。
 
これに対して、かつては「御用法学者」と呼ばれていた弁護士の小林節が、「国民主権国家での『恩赦』は時代錯誤で矛盾に満ちている」と主張していた。 
 
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 それは要するに、ある行為類型を犯罪だと規定した立法権の決定(法律)と、ある具体的な行為を犯罪に該当すると認定した司法権の決定(判決)を、無効にする大権である。    
これは古来、国王大権のひとつとして国家的な慶事や凶事に際して行使され、国王の権威を支える一助になっていた。
 だから、国民主権国家になって久しい現代において恩赦を正当化しようとすると、大きな困難が伴う。
 まず、司法の過失(行き過ぎ)を修正する機能がある……といわれる。しかし、厳格な訴訟手続きを尽くした結論を、単に政治的判断しかできない仕組みになっている内閣が「正す」ことなど、原理的に無理がある。司法も不完全な人間が担っている以上、間違いはあり得るし、現にあった。だから、厳格な手続きと三審制と再審があり、司法の過失は司法が正すべきが筋であろう。同じく、立法の過失も立法(法改正)で正すべきものである。
また、憲法に根拠があるからといって、「天皇の代替わりの喜びを国民が共有する」と称して殺人犯や強姦犯を赦免して、主権者国民大衆が納得するはずもない。それでは法治国家の崩壊である。
 そこで、結局は先例に倣って、公職選挙法違反などの赦免が行われることになろう。
 しかしこれも、一般国民の関心が薄い「形式犯」かもしれないが、民主国家の根幹に関わる選挙と日常の政治活動における不正を赦すことで、法の精神である「正義」に反することに変わりはない。
 だから、これまでは歴史の流れの中であまり意識もされずに惰性のように残されてきた「恩赦」(制度)ではあるが、この機会に、改憲手続きは800億円もかかるので回避するとして恩赦法を廃止するか、少なくとも「今後はそれを執行しない」と閣議決定し、恩赦は「抜かない刀」にしたらよい。 
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自民党の参考人として呼ばれる程の「御用学者」らしく、「恩赦法」を憲法に則り、安倍政権が天皇の名の下に「恩赦」などはさせるなとまでは言えなかったらしい。
 
ネトウヨからは常に「反日マスゴミ」と攻撃されている朝日新聞は社説で明確に「恩赦」を批判していた。
 
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<(社説)即位と恩赦 前時代の遺物と決別を>
 2019年5月13日05時00分 朝日新聞DIGITAL
 政府は、天皇陛下が即位を公に宣明する今年秋の「即位礼正殿(せいでん)の儀」にあわせて、恩赦を行う方針だという。
 しかし、皇室の慶弔事を理由にした恩赦には、もはや何の合理性も説得力もない。前時代の遺物そのものであり、実施するべきではない
 恩赦は、有罪の言い渡しを無効にしたり、有罪で失った資格を回復させたりする行為だ。本人らの申し出を受けてふだん行われている「常時恩赦」のほかに、▽対象となる刑や罪を内閣が決め、不特定多数に一律に実施する「政令恩赦」▽内閣が一定の基準を設け、期間を限って申請に基づいて個別に判断する「特別基準恩赦」がある。
 政令恩赦と特別基準恩赦は、国家的行事の際に何度か行われているが、今回、政府がどんな内容・規模で臨もうとしているのか、詳細は不明だ。
 いずれにせよ、裁判所が法令を適用して確定させた判決や、検察官の起訴権限に政府が介入する性格をもつため、権力分立の原則を侵すとして、かねて批判が寄せられてきた。
 まして、実施の理由が天皇の即位ということになれば、時の支配者が慈悲や寛大さを示し、その支配権をより強固にするために恩赦を利用してきた過去と重なる。国民主権や象徴天皇制をかかげる憲法の理念にそぐわないことは明らかだ。
 いつ起きるか分からない皇室の行事に、偶然いきあたった人だけが恩恵を受ける不公平感もつきまとう。
 確認しておきたいのは、恩赦の全てを否定しているわけではないということだ。罪を犯した人の更生を図る観点からは、相応の意味がないわけではない。
 例えば、無期懲役刑が確定した人は、仮釈放になっても保護観察下に終生おかれ続ける。大きな制約だが、本人の反省状況などを踏まえ、恩赦によって終わらせることができる。
 ただそれであれば、常時恩赦で対処すれば良い話だ。実際に中央更生保護審査会の判断を経て、こうした例を含め年間30件前後が恩赦相当とされている。これを超えて、広く一斉に実施する必要性は認められない。
 平成への代替わりの際には大規模な恩赦が実施された。そのとき最も恩恵を受けたのは、公職選挙法違反で有罪が確定し、公民権を停止されていた人々だった。政治家が支援者らの「復権」を果たすために恩赦と皇室を利用する。繰り返されてきたそんな構図が浮かびあがり、批判が巻きおこった。
 夏には参院選がある。まさかそれを視野に入れての恩赦ではあるまい。良識に基づいて判断するよう、政府に求める。
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ネット上の声からは・・・。 


お上の「お慈悲」により赦されるのが「恩赦」であり、時の権力者が恣意的に行うことには大きな批判が付きまとう。
 
ただし個別恩赦については、福島至龍谷大教授はこう言っていた。
 
「たとえば、無期懲役刑が確定して服役し、真人間になって仮釈放される人がいる。あくまで『仮』釈放なので、その後も無期懲役囚であることには変わりなく、保護観察の対象なので、いつまで経っても月2回保護司との面接が必要。この状態にピリオドを打てるのは、現行法制では恩赦しかないんです」
 
「今は、無期懲役囚の仮釈放は厳しくなって、確定して30年経たないと検討対象にすらならない。更生して仮釈放となり、何十年も経って80代90代の老人になって、それでも保護観察の対象で選挙権もない。人道的な観点から、こうした者を救済することは、犯罪を犯した者の更生や社会復帰を促す、という意味で、もっと活用してよいと思います」

<裁判で有罪の言渡しを受けた人たちが、その後深く自らの過ちを悔い、行状を改め、再犯のおそれがなくなったと認められる状態になった場合などには、被害者や社会の感情も十分に考慮した上で、残りの刑の執行を免除したり、有罪裁判に伴って制限された資格を回復させたりということが行われます。
 このように恩赦は、有罪の言渡しを受けた人々にとって更生の励みとなるもので、再犯抑止の効果も期待でき、犯罪のない安全な社会を維持するために重要な役割を果たしているといえます。>と、法務省もホームページで、政令恩赦を含めた恩赦の意味を説明している。
  
「残念ながら未だ民主主義が根づかない後進国とはいえ、天皇即位を理由にした恩赦とは時代遅れも甚だしい。 遅れた民主主義を一歩でも前に進めるためにも、このような愚策は絶対に実行すべきではない。」という強硬な意見もあながち否定はできないが、少なくとも安倍政権の自らの保身のため、そして参院選をにらんだ「政令恩赦」や「特別基準恩赦」はすべきではない、とオジサンは思う。  

 

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