新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

馬脚を現した出世魚でもボラはとどのつまりは哀れネトウヨ府知事

2019年08月09日 11時16分32秒 | 戦争と歴史


暑い部屋ではゴメンだが、涼しい部屋で新鮮な魚の刺身は格別である。
 
成長と共に名前が変わる魚は出世魚と呼ばれるのだが、そのなかでも代表的なのがブリかも知れない。
 
実は、そのほかにもスズキとかボラも出世魚なのだが、ボラはあまり知られていない。
 
そのボラの幼魚を「二才魚」と呼ぶことから、未熟な男性を「青二才」と言い、最後にトドになるので、「最後に行きつくところ」の意味で「とどのつまり」と言う。
 
政令指定都市長の中では千葉県千葉市長の熊谷俊人に次いで2番目に若い市長に2015年になった吉村洋文。
 
当時若干40歳の市長はまさに「青二才」であった。
 
弁護士、税理士の資格を持ち、政治家としての経歴も大阪市議→衆議院議員→大阪市長と絵に描いたような「出世魚」のようである。
 
しかし最大の弱点は、尊敬する政治家が橋下徹で、大阪都構想の制度設計では中心的な役割を担い「都構想推進本部」の局長を務め、『橋下徹の右腕』と称されたことであった。
 
まさに「橋下徹」2世の如く、当時は橋下徹からこう絶賛されていた。


さらに橋下徹との類似点が数多くあった。
 
20代前半で司法試験に合格し、共にラガーマンで、橋下徹はラグビーで全国大会に出場し、吉村洋文は大阪府ベスト8に輝いている。
 
そして討論会でも決して負けない強さがあった。
 

【2015年11月11日 大阪市長選挙 ネット討論会 吉村洋文・中川暢三・柳本顕】
もっとも4年前の大阪市長選では「自民・民主・共産が反大阪維新で大同団結」というめったに見られない連携が生まれたが、維新陣営からはかなり批判されたにも拘わらず、喜んでいる人も多かった。
選挙戦前は、組織票では劣る吉村洋文が不利といわれていたが、ふたを開けると全く真逆の結果となっていた。
それ以降、この「青二才」は、ボラの若魚をイナというのだが、その名の通り「いなせ」なイケメンとして大阪の若者たちの支持を集めてきた。
 
市長になって3年目の昨夏、ボラは「青二才」、イナと成長しついには「トド」となり馬脚を現してしまった。

『学力調査結果を教員ボーナスに反映』最下位に大阪市長

  
 
さらに批判の嵐は続いていた。


 
当時毎週火曜日、テレビ朝日「ワイドスクランブル」に、レギュラーコメンテーターとして、出演している「夜回り」先生こと水谷修が、珍しく「吉村市長」ではなく、自ブログで「市長吉村」と呼び捨てにしていた。
 
その怒りはいかほどのものかは、「大阪市長吉村について」を参照のこと。

当時の吉村洋文市長の発想は無謀で論外だと普通の人は思うのだが、最近はその「フツー」が通用しなくなってきている。
 
ところで、安倍晋三を筆頭に「日本会議」所属議員やその系列の政治家は、「歴史修正主義者」と一括りに論じられるが、戦前の日本の東アジアでの悪行三昧の被害国に謝罪する姿勢を、その連中は「自虐史観」と攻撃してきた。
 
市長から府知事になってもそのDNAは変わらず、「青二才」の吉村洋文大阪府知事は、よせばいいのに、愛知県主催の「国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」における、「表現の不自由展・その後」が中止になったことを受けて、参戦してきた。

 「『愛知県知事は辞職相当』吉村大阪府知事が“表現の不自由展”めぐり怒り」 
 
 「大阪府知事、愛知の知事は『辞職相当』 表現の不自由展
 
これらの発言も「表現の自由」の範囲内なのかもしれないが、憲法をろくすっぽ理解していない青二才が、年長の他県の知事に対して「辞職」をもとめるとは少々増長し過ぎである。 


★もはや、理性もへったくれもない。ここまで論理的に完全に破綻したことを声高にいえてしまうのは、無茶苦茶な理屈でも、大衆の感情に訴えかければ世論を思い通りに扇動できる、という確信があるからなのだと思う。こういうところに、「維新」の危険さを見ずにはいられない。
★特定展示物の展示中止に留まらない一大政治キャンペーンとしての「あいちトリエンナーレ事件」に発展してきた。大村秀章愛知県知事を「日本国憲法に忠実」つまり「大日本帝国に敵対的」という理由で辞職に追い込もうとしている。
★公権力がある芸術作品をOKかNGか評価することは許されません。その作品が「すばらしい」か「芸術に値しないか」は、国民が判断することです。公権力が勝手に「この作品は芸術に値しない」と判断するなんて、単なる弾圧。大村知事は、その基本理解を忠実に守っただけのこと。
 
『辞職相当』『哀れだな』大村愛知県知事と吉村大阪府知事がお互いを批判」  
 
昨年夏に引き続き、ボラは「青二才」、イナと成長しついには「トド」となったが「トドのつまり」は「哀れなネトウヨ府知事」というまたもや馬脚を現してしまったということである、とオジサンは思う。 


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