新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

私の履歴書 安倍晋三・PART1

2019年05月15日 11時52分10秒 | 安倍晋三

今週の日曜日に地元のNPO法人の総会があり、終了後の交流会で参加者に「令和になっても残すモノ」と「残したくないモノ」を挙げてもらったら、当然のように、「憲法9条は残し、安倍内閣は残したくない」という声が圧倒的だった。
 
そこで、残したくない安倍内閣の過去を振り返るつもりで、諸悪の元凶の安倍晋三に代わって「もし安倍晋三に作文能力があるのならこんな履歴書を書いた」シリーズを今日から4日連続でお届けする。
 
出典は2016年の「★世の中の嘘を暴き真実を見つけたい☆」というブログの「私の履歴書 安倍晋三」(2017年版)です。
 
したがって、文中に出てくる「参院選」とは2016年の参院選を指します。
 
(注)昔の白黒写真はカラー化しています。    


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----- 私の履歴書 安倍晋三 -----
国民の皆さんは大した学歴もない私が、総理にまで上り詰めた事を羨んでいると思いますが、今でも私は自分の人生を時々後悔する事があります。
 
母方の祖父が元総理の岸信介、父親が元外務大臣の安倍晋太郎ですから、当然の事ながら私も将来を期待されて育ちました。
 
親のコネで成蹊大付属小学校に入れられ、家庭教師までつけられましたが勉強が嫌いで仕方がありませんでした。
 
小学校時代の家庭教師は、あの平沢勝栄さんでした。正直、怖い先生でした。
 
それでもお祖父様の様な有名な人にはなりたいとは思っており、辛抱して自分なりに頑張りました。
 
父の晋太郎は山口の選挙区に入り浸りで、普段はお祖父様と話す事のほうが多かったと思います。お祖父様の武勇伝を聴くのがいつも楽しみでした。
 
そして、お祖父様の事を母(洋子)に話すと母の機嫌が良くなるので、ますます私はお祖父様を頻繁に訪ねるようになりました。
 
      
 
お祖父様は東京裁判でA級戦犯にさせられた事を悔しがっていました。
 
よく「勝てば官軍、負ければ賊軍」と言っていました。だから絶対に負けちゃいけないと、それを徹底的に教え込まれました。
 
でもお祖父様は偉いのです。A級戦犯になっても、死刑を免れて巣鴨刑務所から出所し、遂には総理大臣になったのですから、超人と呼んでも過言ではないでしょう。
 
お祖父様を助けてくれたのはCIAです。だからアメリカには大きな恩があるのです。
 
お祖父様は国民の反対を押し切って日米安保条約を締結しました。あの安保があったからこそ今の日本があるのです。
 
確かに米軍に思いやり予算をつけ、住民を追いやって広大な基地を提供しましたが、それ以外は殆どタダ同然でアメリカに守ってもらったのですから、野党から文句を言われる筋合いはありません。
 
「GHQに押し付けられた憲法で満足しているようでは、国としては半人前だ。日本が真の独立国になるためには独自の憲法が必要だ。」
 
そんな事もお祖父から教えられました。
 
父、安倍晋太郎は滅多に家に帰ってこない癖に、帰ってくる度「お前は東大に行くのだぞ」と言うのが憂鬱の種でした。
 
結局、私の学力で東大は無理で、2歳年上の兄寛信と同じくそのままエスカレーターで成蹊大に進学しました。
 
お祖父様の岸信介は東大法学部、大叔父の佐藤栄作(元総理大臣)、父方の祖父の安倍寛(元衆議院議員)、父の安倍晋太郎(元外務大臣)も全員が東大法学部出身でした。
 
何故こんな家系で私だけ成蹊大しか卒業できなかったのか、皆さんは疑問に思われるでしょうが、私は強制されると反発したくなる性格なので、東大、東大と言われるとますます勉強したくなくなったのです。
 
その点兄は優秀で、成蹊大から東大の大学院に進学しています。そんな兄は三菱商事に入社し、今は子会社の社長に就いています。
 
岸家に養子に行った5歳年下の信夫も慶應の幼稚舎からエスカレーターで慶應大学に進み、衆議院議員になっています。
 
この2人に挟まれて、自分だけ一流大学を出られなかったのは痛恨の極みです。
 
そんな私でも大学時代は部活(アーチュリー)や合コン、麻雀やドライブに明け暮れ、それなりに青春を謳歌しました。
 
父に買ってもらった真っ赤なアルファロメオは私の自慢でした。
 
             
 
大学3年にもなると流石に父やお祖父様も心配し、私に国家公務員上級試験を受けて官僚になるよう勧めてきましたが、私の学力では到底無理です。
 
真剣に勉強しなかった事を後悔し、随分辛い思いをしました。
 
そんな私を見兼ねた父は、私を政治家にするために箔をつけさせようという親心からか、アメリカ留学を勧めました。
 
私なりに悩みましたが、とりあえず留学の道を選ぶことにしたのでした。
 
続く) 


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